わたくしは50年ほど前に大学に入るために北東北の田舎都市より上京しました。
当時は新幹線などもあるわけではないので、寝台急行に揺られて上野駅に着いたのです。
一浪しての入学だったので、その前の年も受験のため上京しているのですが、その時のことは記憶に残っていません。
今でも所用のため上京することはありますが、当時上野駅についてまず感じたことは東京人はせっかちだな、というのが第一印象でした。
渋谷からの私鉄に乗り換えるのですが、階段やホームを歩くスピードが東京人は、速いのです。
東京人の歩く速さは50年前も今も変わっていないと感じられます。
東横線沿線の親類宅に少しの期間、居候したのですが、そこの家には同年齢の女子大生がおり彼女の案内で渋谷の街に出かけ、フルーツパフェなるものを生まれて初めて食したことがあります。
なんて美味しい食べものなんだと感動したものでした。
その後、東京での生活には結局、馴染むことは出来ず約6年間を過ごした東京を後にして、故郷に帰ってきました。
東京を去るときに、お世話になった親類宅を訪れ、帰郷する旨を伝えると彼女も少し涙ぐんでいたようです。
もう少し東京で頑張っていれば、今とは違った人生になっていた事でしょう。
当時は新幹線などもあるわけではないので、寝台急行に揺られて上野駅に着いたのです。
一浪しての入学だったので、その前の年も受験のため上京しているのですが、その時のことは記憶に残っていません。
今でも所用のため上京することはありますが、当時上野駅についてまず感じたことは東京人はせっかちだな、というのが第一印象でした。
渋谷からの私鉄に乗り換えるのですが、階段やホームを歩くスピードが東京人は、速いのです。
東京人の歩く速さは50年前も今も変わっていないと感じられます。
東横線沿線の親類宅に少しの期間、居候したのですが、そこの家には同年齢の女子大生がおり彼女の案内で渋谷の街に出かけ、フルーツパフェなるものを生まれて初めて食したことがあります。
なんて美味しい食べものなんだと感動したものでした。
その後、東京での生活には結局、馴染むことは出来ず約6年間を過ごした東京を後にして、故郷に帰ってきました。
東京を去るときに、お世話になった親類宅を訪れ、帰郷する旨を伝えると彼女も少し涙ぐんでいたようです。
もう少し東京で頑張っていれば、今とは違った人生になっていた事でしょう。
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