ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

人間が活動をやめるとどうなるのか?

2017年08月26日 16時43分11秒 | 風物・光景
今月の20日に岩手県にある旧松尾鉱山跡を訪ねてみました。

1969年に廃鉱になる前まで、硫黄を採ってた鉱山でした。
戦後の昭和28年頃の最盛期には一万人の人が暮らす鉱山でした。
1960年頃を境にエネルギーの需要が石炭から石油へとシフトしていくにつれ、地中から掘り出す硫黄よりも、石油の精製過程の副産物の硫黄の価格が安かったため、鉱山は廃れていきました。

そこの従業員や家族の住居である当時のアパート群が、残されています。緑ヶ丘アパートと言います。



人の背丈を超す勢いの灌木や草が繁茂する中に、その建物は残されています。
当然、当時はその建物に通ずる道が整備されていたのでしょうが、今はただ草の中に建造物が取り残されているばかりです。
草や灌木などの自然物が、人間が作った建造物に近づくことを拒んでいます。

ただ一カ所の建物は道路沿いにあるので、そこまでは行けました。





朽ち果てた外部階段、窓には当然ガラスは残っていません。
その窓から外に延びている灌木の緑を見た時には、驚きました。
建物の中の床には土があるはずもないのに、木が育っているのです。

外から覗ける部屋の中には、これから育とうとしている幼木や草が生えていました。


人が造った物は朽ち果てていくのに、自然の草木はこれからは自分たちの天下だと言わんばかりの勢いです。

また、この鉱山跡に残存する有害物を除去するための施設が、鉱山敷地の奥にあります。



そこでは雨水に含まれる有害物を無害化していると思われます。
この鉱山跡に残されている有害物をすべて除去するのに、何年かかるのでしょうか。そしてそれに費やされる費用は?

人間が造った物は、人が手を加えなければいつかは朽ち果てていきます。
建造物はそれ自身では再生産が出来ないのです。
自然の草木は、自分自身で再生産が出来るのです。

この当たり前の事に気づかされた風景を見て、そこを後にしました。

帰り道に出会った動物がいます。
野生のキツネでした。そのキツネの人馴れしていること。
車を停めて近づいても逃げる様子などは、ありません。むしろ、人の方に寄ってくるのです。
多分、通りがかりの人が食べ物を与えたことがあるのでしょう。
車が来ると、人から食物を貰えると学習してしまったのでしょう。



人を拒んでいる草木と、人から食べ物を貰おうとする野生動物。
そして朽ち果てていく建造物。私たちがそのどれとも共生して行く途はあるのでしょうか?














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