上京のついでに、いま開かれている上記の美術展を観てきました。三菱一号館美術館で開かれています。平日の金曜日というのに多くの人が訪れていました。チケット売り場でまずわたくしは、放送大学の学生は学生料金が適用になるのかと受付嬢に聞きました。結論を言えば放送大学の本科生は学生料金が適用になりました。単科生や科目生では適用にならないかもしれません。学生証の提示が必要です。
チケット代は¥1000でした。一般料金より¥700も安かったのです。放送大学は国立の美術館や博物館には学生の料金が適用されるのですが、民間の美術館でも適用されることがあるので、それらを訪れるときには一応窓口で聞くようにしてみると良いでしょう。
さて、この美術館を訪れるのは初めてです。展示品の内容にも興味がありますが、美術館の建築としてのたたずまいにも興味があります。以前に行ったことがある国立新美術館は巨大な展示場のように感じられ、従来私たちが持っていた美術館のイメージとは異なった印象でした。それに比べると三菱一号館美術館は古典的な様式の建物です。レンガ造りの外観が特徴の古めかしい建物です。
そこで今開かれている美術展「フィリップス・コレクション展」ですが、作品の展示方法が馴染みの無いものでした。複数の作家の作品を展示する場合、作家別や作品の年代順でまとめられるのが普通です。ですがここでの展示はフィリップスというコレクターが作品を入手した時期の順になっていたのです。ですから同じ作家の同時期の作品でもコレクションに加えられた時期により、展示室が異なっていることがあるのです。これは鑑賞者に混乱をもたらします。美術品のコレクターは美術品の鑑賞者でもあるのですが彼が興味を持った時期やその他の事情によりコレクションに加えられた時期が同じ作家の作品でも異なっていました。
このようにコレクターの思惑がその後の鑑賞者(今の私たち)には正確に理解されないという齟齬が生じてしまいます。それにも関わらず、今回の展示ではコレクターが集めた時期により作品が分別されていました。
これでは一般の鑑賞者には理解不能な展示となってしまいます。
なぜ、このようなことが起こってしまうのでしょうか。以下は私の独善的な推測です。フィリップス・コレクションを管理している者がよそでの美術展のために作品を貸し出す条件に収集時期別の展示方法を取らせているのではないかと思われるのです。これはコレクターであるフィリップス氏の意図を重要視してのことなのでしょうね。ですが、この方法は美術商や一部の美術評論家などには通用する仕方なのかもしれませんが、私などの一般鑑賞者にはふさわしい方法とは思われません。
このような美術展ですが思いがけない収穫もありました。それはロシアの作家「ワシリー・カンディンスキー」の作品に出合えたことです。次の3作品がありました。
一番目の作品
「秋 Ⅱ 1912年」
二番目の作品
「白い緑のある絵のための下絵 Ⅰ 1913年」
三番目の作品
「連続 1935年」
ワシリー・カンディンスキーはわが国では馴染みのある作家とはいえませんが、現代美術を理解するにはエポック・メーキングな作家です。
「具象」から「抽象」へと橋渡しをした始めての美術家なのです。
1番目と3番目の作品を見ると3番目の年代の後期の作品の方が抽象性が高いですね。
カンディンスキーはドイツの造形学校バウハウスで教鞭をとったこともある美術の理論家でもありました。そんな彼の作品を見てみたいと思っていたのが実現されたので、この美術展に行った甲斐があったというものです。
なお断っておきますが、本ブログでのカンディンスキー作品の画像は美術展で実写したものではありません。写真撮影は禁止になっていたことは言うまでもありません。
この美術展での他の作品については、機会が有れば触れてみたいのですが本日はこれまでとします。
チケット代は¥1000でした。一般料金より¥700も安かったのです。放送大学は国立の美術館や博物館には学生の料金が適用されるのですが、民間の美術館でも適用されることがあるので、それらを訪れるときには一応窓口で聞くようにしてみると良いでしょう。
さて、この美術館を訪れるのは初めてです。展示品の内容にも興味がありますが、美術館の建築としてのたたずまいにも興味があります。以前に行ったことがある国立新美術館は巨大な展示場のように感じられ、従来私たちが持っていた美術館のイメージとは異なった印象でした。それに比べると三菱一号館美術館は古典的な様式の建物です。レンガ造りの外観が特徴の古めかしい建物です。
そこで今開かれている美術展「フィリップス・コレクション展」ですが、作品の展示方法が馴染みの無いものでした。複数の作家の作品を展示する場合、作家別や作品の年代順でまとめられるのが普通です。ですがここでの展示はフィリップスというコレクターが作品を入手した時期の順になっていたのです。ですから同じ作家の同時期の作品でもコレクションに加えられた時期により、展示室が異なっていることがあるのです。これは鑑賞者に混乱をもたらします。美術品のコレクターは美術品の鑑賞者でもあるのですが彼が興味を持った時期やその他の事情によりコレクションに加えられた時期が同じ作家の作品でも異なっていました。
このようにコレクターの思惑がその後の鑑賞者(今の私たち)には正確に理解されないという齟齬が生じてしまいます。それにも関わらず、今回の展示ではコレクターが集めた時期により作品が分別されていました。
これでは一般の鑑賞者には理解不能な展示となってしまいます。
なぜ、このようなことが起こってしまうのでしょうか。以下は私の独善的な推測です。フィリップス・コレクションを管理している者がよそでの美術展のために作品を貸し出す条件に収集時期別の展示方法を取らせているのではないかと思われるのです。これはコレクターであるフィリップス氏の意図を重要視してのことなのでしょうね。ですが、この方法は美術商や一部の美術評論家などには通用する仕方なのかもしれませんが、私などの一般鑑賞者にはふさわしい方法とは思われません。
このような美術展ですが思いがけない収穫もありました。それはロシアの作家「ワシリー・カンディンスキー」の作品に出合えたことです。次の3作品がありました。
一番目の作品
「秋 Ⅱ 1912年」
二番目の作品
「白い緑のある絵のための下絵 Ⅰ 1913年」
三番目の作品
「連続 1935年」
ワシリー・カンディンスキーはわが国では馴染みのある作家とはいえませんが、現代美術を理解するにはエポック・メーキングな作家です。
「具象」から「抽象」へと橋渡しをした始めての美術家なのです。
1番目と3番目の作品を見ると3番目の年代の後期の作品の方が抽象性が高いですね。
カンディンスキーはドイツの造形学校バウハウスで教鞭をとったこともある美術の理論家でもありました。そんな彼の作品を見てみたいと思っていたのが実現されたので、この美術展に行った甲斐があったというものです。
なお断っておきますが、本ブログでのカンディンスキー作品の画像は美術展で実写したものではありません。写真撮影は禁止になっていたことは言うまでもありません。
この美術展での他の作品については、機会が有れば触れてみたいのですが本日はこれまでとします。
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