ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

なぜヒトの欲望は<幻想>となっていくのか?

2018年01月30日 12時36分24秒 | ひまつぶし
先日仮装通貨」の事に関する記事を書きました。

その記事で人が持つ欲望が「仮想通貨の価値」を決めていると記述しました。

きょうは、なぜ人は「欲望が持つ幻想」にとらわれているのか?
ヒトはいつからそれににとらわれるようになっていったのか?
そもそも、「欲望と幻想」となどんなものなのか?などについて考えてみます。

動物には「お腹がすいたから、食べものがほしい」という事はあります。
動物園で飼育されている以外の自然界にいる動物は、そんな時には餌を求めて活動をします。
小型の鳥類であれば、地上の虫や木の実などを食料にしていますので、それらを見つけることが彼らの生存活動となるのです。
大型の動物であれば他の小型動物を食料としていますので、狩りをするのです。
余談ですが、自然界でのこの性質を人の役に立つようにしたのが「鷹狩」や猟犬による「キツネ狩り」などです。

さて、ヒトの祖先ははじめは自然界に存するものを入手して、それを食料にしていました。
「採取経済」の時代です。その後、人口が増えることにより自然界での食料の入手だけでは自分たち全員の食料を賄う事が出来なくなると、その食料を保存しておくことが必要になってきます。さらに人口が増加すると、食料を自前で造り出さなければならなくなったのです。
そんな時に目についたのが元々自然界に存在していた穀物類の原種だったのです。
その種を再採取して、それをヒトが居住する場所の近くや穀物の生育に適した地域にヒトは移動をしていって、そこで穀物類の生育を行ってきているのです。
いまの稲や麦の原生種がそれにあたります。

さて、そのような時代には食料を入手すること自体が、ヒトの生存の目的でしたが、食料を自在に作り出すことが可能になると、彼らはそれ以外の事に<欲望>の対象を見出すようになっていきます。
生存する事がヒトの<欲望>であったのが、それが満たされると他の事に<欲望>を求めて行くようになったのです。

そうして歴史は「商業経済」の時代になってゆきます。
生産したものや、その土地では手に入らないものの「希少価値」を求めて、人は遠くの地に出掛け、それを手に入れるために多くの困難や時間を費やしてそれを入手しようと考えるようになっていきます。
わたしたちが学校で習った「大航海時代」の幕開けが、それです。

当時のヨーロッパにはなかった胡椒などの希少品をアジアの地域に行き、それを入手して本国に持ち帰ると、多くの富を得ることが可能になったのです。
そして、その後現地での胡椒や綿花の栽培を行ってゆくようになっていったことは、学校で習ったことですね。
胡椒や綿花が「商品」として「通貨との交換価値」に高い価値が与えられるようになっていったのです。

このことは、ヒトには「商品価値」が高いものを求める<欲望>がある事を示しています。
この<欲望>が文明や産業の発展に大きく作用してきた事は歴史的な事実です。

しかし、この度の「仮装通貨の流失」問題は、別の観点からとらえることが出来ます。
ヒトが持つ欲望にはその時代の技術や倫理観に限界があるにも関わらず、それに手を染めてしまっている人々にとっては、それが最上のものであるとの錯覚を生み出すものであることを、忘れてしまっているのです。
金塊が今自分の眼の前にあるのに、それに手を付けないのはおかしい事だという認識が、それです。

それらの欲望が、<幻想>から生み出されたものだとわたくしは考えていますが、それについて「なぜ、幻想が生み出されてゆくのか?」については、回を改めて考えることにします。

















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