ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

秋田港に車運搬船が入港した。(「裏日本」の役割)

2011年04月02日 07時44分01秒 | 秋田県のくらしと歴史
3月31日に秋田港に車運搬船が始めて入港しました。
名古屋港より東北地方の各地へ配送する為1000台ほどの新車を積載してきたそうです。
運搬船より車が降ろされるのを地方テレビ局の画像で見ました。この画像は秋田港に接岸した船を対岸より撮ったものです。

また、この秋田港沖合いには震災6日後くらいにアメリカ軍の強襲揚陸艦が来て、艦載の大型輸送ヘリが数機、岩手県方向に飛来していくのも目撃されました。
同時に北海道や関西地方より自衛隊、警察、消防などの緊急車両も数度に渡りフェリーで入港し被災地へ向け救助と援助に向かいました。
秋田港より自衛隊秋田駐屯地へ通ずる道路はそれらの車両で片側車線が埋め尽くされてしまうほどでした。

日本海沿岸を通る鉄道路線もこのたびの震災では燃料を輸送するために大いに役立ったと聞いています。
ガソリンなどと記載されたタンク車が20両ほど連結され北に向かう貨物列車を偶然、目にしました。
秋田、青森を経由して盛岡に向かったそうです。
牽引していた機関車は今となっては旧式のディーゼル機関車のタンデムでした。
他所からエネルギーをもらって動く電気機関車はこんな時には役にたちません。
また、当然の事ながら鉄道線路は列車以外は走りません。
よって、緊急物資輸送の列車を優先するダイヤを組めば短時間で大量の輸送量をまかなう事が可能になります。

さて、日本海側の地域はかって「裏日本」と呼ばれていました。(私たちの子供の頃の教科書にはそのように記載されていました)
「表日本」の繁栄に取り残され人口減少の一途をたどる我が秋田県ですが、この度の大震災では「表日本」の救援に少なからず役に立った場面もあったように思います。

日本列島は縦長の国土です。日本海から太平洋までは直線距離では200キロほどもありません。
幸い、日本海側ではこの度の震災では被害を受ける事はありませんでした。
そこで、太平洋側と日本海側が同時に大震災に見舞われることは少ないと考えれば、、これからの国土の復興にあたっては、一方に偏った所ではなく社会的に重要な設備(発電所や物流基地など)を分散させる方策も有効になると思います。
事実、東北地方の物流基地の多くは「表日本」の仙台市近郊にあり、建築資材や金属材料などは満足に供給できないでいるらしいです。


旧式のディーゼル機関車や「裏日本」がこの度の震災で少しは役に立ったことを見て、鶴田浩二の唄の台詞を思い出してしまいました
「古い奴だとお思いでしょうが、古いものには古いものなりの良さがあるものでございます。」と。






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