じいくれふの部屋

じいくれふのGはト音記号(G-clef)のG。音楽教室は現在無料塾に。シニア世代になり、新たな活動模索中

つきそい

2013年11月12日 | 家族のこと

昨日は府立医大病院へ。

実家の母の退院後の検査につきそいです。






ダンナがお休みだからとアッシー君をひきうけてくれました。

「あたりまえやろ。」

って言ってくれる。

ひたすら感謝。








大学病院は一日仕事。

私は車の駐車場の心配や帰りの居眠り??や

夕方の仕事に間に合うかっていらいらしたりの心配もない。

疲れは半減されるので後の仕事にも支障をきたしません。






若くて優しそうな先生。

退院の時にこれからこういうことの繰り返しになりますといわれている母。





「今度はいつごろになるのでしょう。」

「???」

「肝臓にまた癌ができてくるのがいつかと母は聞きたいみたいです。」

「それがわかればこんなところにはいません。」

その間隔ができるだけ長くあってほしいと祈っています。





今母が過ごしやすいようにと姉がいろいろ考えてくれて

実家をリフォームしています。




居間、トイレ、お風呂と生活空間の工事も入るので

3か月間近くのレオパレス21の1室を借りて

昼間はそこで母は生活しています。






リハビリの先生とかが来られるときはいいのですが

だれも来ない日は

少しの時間でも行って話をするようにしています。



レオパレス21はお部屋はコンパクトですが

家具も家電もあって1カ月単位で借りられて契約もややこしくなくていいです。

収納とかもとても効率よく設計されている。


学生さんとか独身の方が多いのかな?

昼間は静かです。


こんな経験ができるのも悪くないかも。




年を取っていくこと

悪いことでも

いろいろな変化を受け入れること



それさえ楽しむこと


人生いろいろ


だし。


退院

2013年10月22日 | 家族のこと

先週の土曜日、実家の母が退院できるということで

府立医大まで車で迎えに行きました。

長引かなくてとりあえずよかった。






これから先、入退院を繰り返さないといけないかもしれないけれど

「早く帰りたい。」

と言っていたので

できるだけ家で過ごせるようにと思います。







お医者さんには

「とにかく食べなさい。」

と言われました。




これからおいしいものいっぱい持っていかないと。

気分転換に外食にも連れて行ってあげなくちゃ・・・







心配は、

母が少し食べて「もういらない」

といい

私が食べてまた太る

という展開・・・。


1週間

2013年10月15日 | 家族のこと

先週の水曜日に再手術した母。

「今度は前よりしんどい。」






母はC型肝炎から肝臓にがんができ、

手術してもまた再発する

「いたちごっこになるよ」

とお医者さんから言われています。




それでも手術するのは

まだ元気だし体力があるから。

治療がまだできるから・・・です。






でも

治療がきついからか

この1週間母は食欲がなく点滴がとれません。

「早く家に帰りたい。」

といいます。

じゃあ食べないと・・・。

「なんでもいいから食べてくださいね。」「歩いてくださいね。」

とお医者さんも看護師さんも言ってくださいます。


私は食欲がないとか胃が痛いということが

人生の中でもあまりなかった人間で

本当に食欲を半分くらいわけてあげたい。

それでも母はうどんやおかゆを

少しずつ食べられるというか食べようとしていて

何とか来週には退院できるといいなあと思います。


お盆

2013年08月09日 | 家族のこと

Dcim0200_2実家のお墓参りに行きました。

父が亡くなり今年は2回目のお盆です。

とても暑いうえに

お墓が上のほうにあるので

母も登っていくのが大変そう。




蝉の鳴き声

生まれて鳴いて土にかえる






人間も生まれて生きて土にかえる


この頃、

蝉も人もそんなにかわるものではないんだなあと

思うようになりました。



長い年月の中でみれば

命があるのは一瞬の時間、





一生懸命鳴いて

生きないと。


7月11日

2012年07月12日 | 家族のこと

昨日は実家の父の誕生日でした。



もし生きていたら満88歳。


お酒とビールとケーキを持ってお昼に実家にいきました。

お仏壇には既にどなたかが

酒の好きだった父に上等の日本酒をを供えしてくださっていました。


母は4ヶ月の入院の後退院しましたが

このところ食欲もなくあまり体調もよくなくて

点滴に送り迎えしたり心配な状況が続いています。


女性の平均寿命は長い、まだまだです。

「お父さん、まだ母をよんだらダメ。もうちょっとこちらの私たちを見守っていてね。」





何年か前に

私たち夫婦とそれぞれの親とで

香住にかにを食べにいった後

出石によったのですが

そのときの写真がでてきてPhoto

なかなかいい2ショットで

大きくプリントアウトして飾りました。


やっぱりいろんな思い出を写真や文章にしておくのは

大切なことなのですね。


3ヶ月ぶりに

2012年04月21日 | 家族のこと

転倒骨折し1月から入院していた実家の母は

やっと外出が許されて3ヶ月ぶりに家で1泊できることになりました。



今日迎えに行き

もう明日は送って行かなくてはならないのだけれど

やっぱり”自由”にすごせるということは

何よりです。


これからまだしばらくリハビリは続きますが

春の嬉しい一日です。



転職してゴルフ場勤めになったダンナは

本来Photo1ヶ月は見習い期間で練習は許されないのだけれど

あんまりにも練習したい気持ちが顔に出ていたのか???

お許しが出て

仕事の後ハーフを回ったり、

アプローチを練習したりできるようになりました。

これも嬉しいこと。



小さなできごとでも

心満たされる

贅沢は望まないようにしよう




・・・といいつつ

夕方打ちっ放しに行き、

ドライバーを試打して

心ざわめいている自分


お医者様

2012年01月26日 | 家族のこと

昨日母の手術が終わり経過は順調で一安心。



主治医の先生は前回の母の骨折の時も父の骨折の時もお世話になったので

心から信頼しています。




今回の母の骨折は去年の今頃の父の骨折と同じで

人工股関節をいれることになりました。

他のひびの入った部分とかは自然治癒を待ちます。



父の骨を拾うときに焼け残った人工骨

燃えないその人工骨はとても重く大きかった。

鮮烈に心に残っています。



40kgもない母の体に

あんなにも重く大きい人工骨が入って

支えられるのかとか素人には不安でしたが

手術後の母の様子を見ていると

よくなると希望がもてます。



先生はお忙しい中

今日も何回か母の様子を見に来てくださり



「座れてるね。」

「手術した方の足も体重さえかけなければ床についても大丈夫だしね。」

とか





ちょっとした言葉が

患者や家族にとってどんなに嬉しく

がんばろうという希望につながるかということ・・・

深く深く心に刻んでいます。




やっぱり人としての心

それを伝える言葉

暖かいまなざし

そして

すべきことの明確な方向性を与える



とても大事なんだと思いました。


一切我今皆懺悔

2011年11月06日 | 家族のこと

Kyo_04_2いつのまにか11月


三月(みつき)にわたるとよくないとかで

10月末に

49日ではなく35日で忌明けの法要をしました。



実家は浄土宗のお寺、西念寺さんの檀家です



でも私自身は何も知らなくて

お葬式や法事では聞くだけのお経でしたが

一切我今皆懺悔

のところはわかりやすい、

心がとまりました。


私の今の思いそのままです。



何もできない何も言えない

元気なときに

もっと言葉で伝えたらよかったのに。


父に

感謝している

心の中で誇りに思っていた

尊敬していた

でもよく反発もしてきた

可愛げもなく勝手な娘だったと思います。


父が管理職や行政職にいたときには

組合側で上を批判していたり






「教師は20年たたないとそのよさはわからない」

と言われていたのに

20年手前で辞めてしまった。






「おまえは勝手な女や。」

と今も天から声が聞こえてきそうです。

でもたったひとつ親孝行できたこと…

 

結婚したのが飲むのが大好きな人だったこと。

ダンナはこの25年

父のよき飲み友達でいてくれました。


父がもう1週間持たないかもしれないと言われてからは

毎日仕事帰りに病室に来てくれました。


亡くなる2日前

病室にジョッキを持ってきて





「お父さん、はよ ようなってまた・・・。」

ってジョッキを見せると

父は笑ったそうです。




母や姉が

「あれが最後の笑顔やったね。」

って言っていました。



忌明けの法要で親戚もたくさん集まってくれました。

今までは法事、苦手でしたが

亡き人を思い話をし


そしてだんだんと気持ちを

切り替えていく・・・

これも大事なことなんだと思いました。


ありのままに

2011年09月30日 | 家族のこと

今週の火曜日の夜に父が亡くなりました。

今日は告別式です。




いつもお世話になっている西念寺さんのご住職が御導師をつとめてくださいます。



お願いにあがった際に、

父の経歴や家族から見た性格・人柄を教えてくださいとのことで、


家族で父はどんな人だった?

と今さらながらみんなで話しました。


言葉にはなかなかできませんでしたが

ぽつぽつとメモすると




・ありのまま、表裏がない、自然体

・学問が好き、読書家だった

・お酒が好き

・頑固

・社会的身分に左右されない、媚びたり見下げたりしない


眠れなくて改めて読み返した父の自叙伝の中にこんな一文がありました。

沢庵和尚の不動智神妙録に次のような言がある。



「舞を舞えば、手に扇をとり、足を踏む、

その手足をよく舞はむと思いて忘れ切らねば上手とは申されず候。

未だ手足に心とまらば、業は面白かるまじ。

悉皆、心を捨てきらずして、する所作は悉く悪しく候。」


私について言えば、いつも心は何かに止(とど)まっているような気がする。

止まってはならぬと思う心が実は一つの所に止まっている。

そこから執着が起こり、迷いが生じ、悩みが激しくなる。

心を何処にでも働かすには、

どの地点にも心を止めないことが肝要とされるが、

そのような境地になりうることができるか。




ただ、自分では、「ありのまま」、「そのまま」の生き方を心がけていきたい。

気取らぬ心である。

虚栄心にとらわれない心である。

花の色と香りにのみ奪われない心である。

こうしたことが少しでも実現するように努めていきたい。



その言葉を読むと

ああ、本当にそうして生きてきた人だと思います。


棺の中には

好きだった夏目漱石の本と吉川英治の宮本武蔵の英文訳も入れようと家族で用意しましたが

武蔵の本は分厚すぎて燃えないと言われ五輪書にしました。


大好きなお酒のお猪口やビールのジョッキもいれてあげたいけれど

これも燃えないしだめだそうで、

出棺の前にお酒をかけてあげたらいいねと話しています。




でも酒の席での数々の武勇伝??

また天国で迷惑をかけるといけないかな?


立誠小学校で

2011年09月25日 | 家族のこと

先週、造形教室をやっているお友達に誘われて、Italy_01

驚くべき学びの世界展in京都

が開かれている立誠小学校に行ってきました

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子供の個性や創造性を重視したユニークな教育方法で知られる都市でもあります。

そこで展開される幼児教育の先進的な実践内容はとても興味深いものがありました。




そしてもっと興味深かったのは立誠小学校200707_17_59_c0112559_15522634



この学校は京都の有名な繁華街のど真ん中

木屋町通り、三条と四条の中間にありますが

今は廃校となり

歴史的な建物が町のコミュニテイの場として使われています。




昔のままの建物。P1090659P1090654

私の父は2年間ここで教員を務めましたが、

また学問?を志して大学に入り直した。

明治からの写真もずらりP1090660


見つけました。

昭和23年の若き日の父。


立誠小学校の話に

なんとかうなずいてくれます。


記憶の中に

2011年08月08日 | 家族のこと

今日は午前中父の病室ですごしました。



長期記憶と短期記憶、

老いてぼけてくると

昔のことは覚えているけれど

ついさっきのことをすぐ忘れる



でちょっと話がはずむかしらと

父が仕事を辞めたときに書いた父の自分史の冊子を持って行きました。

意図は的中?話ははずみました。Photo



父と祖父の写真、

いい感じ。

たぶん父は6年生ぐらい?

004

家族で撮った写真

お手伝いに来てくださっていた

お竹さん(右上)はまだ10代だったそう。



でもはっきりものをいいなかなかこわかったのだという。

(父はやんちゃ盛りで怒らせるようなことをしていたのでしょう)



祖父は父が学生の時に亡くなり

祖母は私が生まれてすぐに亡くなったので

私には全く記憶がありません。



そんな話をいっぱいしながら、

窓から見える空と建物。

ここがどこか、前の建物はマンションかと

何回も聞き、何回も答えます。

「ここは病院で、向こうの建物も病室、今日は検査で・・・」


夕方の検査の結果はだいたい先生が説明してくださったとおりで

よかったような悪かったような複雑な気持ちです。

これからの日々を大事にしようと思います。


楽しみは?

2011年08月06日 | 家族のこと

実家の父が金曜日に入院し昨日は検査。

やっぱりしばらく入院生活に。



183cmある父は普通のベッドだと足が窮屈そうです。

家にいるときの介護用ベッドは長身の人用に長く継ぎ足してもらっていました。



病院が嫌で

「おまえの車で帰ろう」

というのかと思ったら

昨日はなぜか陽気でよくしゃべりました。



主治医の先生が若くて綺麗な女医さんだったからかしら???




てきぱきとわかりやすく

今の状態、これからの治療について

説明してくださいました。


看護師さんやお医者さん、

自分や家族がお世話になるたびに、

ただただ感謝、頼りにしています。



すごい仕事です。