じいくれふの部屋

じいくれふのGはト音記号(G-clef)のG。音楽教室は現在無料塾に。シニア世代になり、新たな活動模索中

沖縄で

2018年05月21日 | 家族のこと

日曜日は沖縄で甥っ子の結婚式でした。

 

 二人の結婚は

実家の母がもう余命もあまりないというときだったので

入籍は済ませたものの結婚式を延期してくれて

その間に長男が誕生し今は2歳

可愛い子どもと一緒の

素敵な結婚式でした。

 

父母が生きていたら

どんなに喜んだでしょう。

 

私たちには子どもがなく

姉もシングルなので

弟の家族だけが増殖?していきます。

秋には二人目が誕生するそう。

すでに去年秋に結婚した甥っ子(次男)夫婦にも秋には一人目が生まれるという。

おめでたいことです。

 

何とも幸せな結婚式でしたが

この美しいチャペルの向こうは辺野古の海

 

 

ここをアメリカの軍用機が頻繁に発着するようになったら・・・

京都にいてはわからないリアルさで

この問題を考えました。

 

目の前にあることならすぐわかるし伝わるし心も動かされる

でも日常から離れていると

新聞やTVのニュースで見ていても

わかっているつもりでもどこかで遠いことと思ってしまう。

 

知性とは

物事を知り考え判断する能力

 

基地の問題

知らない、考えない、判断は人任せ

ではだめなんだと

心から思います

 

どうするかどう動くかはすぐわからなくてもいい

知るイメージする考える

それだけでもいいから

まずはそこから

 

辺野古の美しい海と現実

ここに住む人や訪れる観光客のこと

幸せとともに

何ともいろいろな思いを抱いた3日間でした


母逝く

2015年12月18日 | 家族のこと

12月13日(日)のお昼、母が逝きました。

 

GWまでもたないといわれていましたが、

最後は自宅でと帰ってきてからは、食べることもできるようになり、

寝たきりではありましたが、花や木や遊びに来る鳥を眺めながら、

昔の話をしたり、

穏やかに過ごした日々でした。

 

弟も帰ってきていた日曜日で

この日を選んで父が迎えに来たのかと思うほどで、

そんなに苦しむこともなく静かな最後でした。

 

自分自身も

だんだん気持ちの整理ができて

11月にはなぜか

自分もがんばろうと前向きになれました。

 

母なら、極楽浄土の蓮の花の上で

やさしく微笑んでいるような気がします。


母 85歳

2015年09月26日 | 家族のこと

9月24日は母の誕生日。

この日は姉が自分の病気のことで府立医大に行くので

私は早朝、実家へ。

 

この日お休みだった主人もお昼にケーキを持ってきてくれました。

 

 

意識もはっきりしていて

この日を迎えられたのは本当によかった。

 

 

シルバーウィークのお休みには弟夫婦も東京から帰ってきて

昔からお世話になっているとんち寿司で

出前してもらいささやかなお祝い。

 

ここのお寿司はいつもおいしい。


家にもどって

2015年03月24日 | 家族のこと

中庭の紫木蓮が次々と咲き出しました。

母の病室でつぼみが膨らむのを

楽しみにしていましたが

満開になる時に退院。

 

もう一度家に帰らせてあげたいと思っていたので

本当によかった。

 

木や花や青空は

希望や安らぎを

与えてくれますね。

 

今度は自宅でのターミナルケアになります。

幸いにも近くのお医者様が

主治医を引き受けてくださいました。

 

24時間で看護師さんやお医者様が対応してくださるのは

本当に心強いです。

 

でも家族の間でどういう体制を組むのかは

おかれた立場や考え方の違いもあるし

そちらに気を遣ってしまって消耗してしまうことも多いと聞きます。

 

 

仕事も趣味もできるだけ今までのそれぞれの生活をしながら・・・は

もう難しくなってきました。

 

ゴルフ友達のお姉さまたちは

「みんな年より抱えているし、

私もデイサービスやショートステイや在宅のサービスも上手に使って

ゴルフもいくよ。」

ってアドバイスしてくださいますが、

 

私は仕事もし続けないといけないので

当面趣味の時間は最小限に…です。

今は仕事も少し減らさないといけないかなあとも思います。

 

母はいつも家族のためにたくさんの時間を使ってくれました。

私が病気したり手術したりしたときは

朝から晩まで。

 

父の介護も

朝から晩まで。

 

結婚した時も仕事続けたいというと

何でも支えてあげると言ってくれて

 

20年近くたってこの仕事はやめたいというと

疲れたやろ、ゆっくりしいやと言ってくれた

 

そんなあれこれが

頭をよぎります。


一喜一憂

2015年03月04日 | 家族のこと


昨日はお雛祭りで、病室にも桃の花を持っていきました。
でも昨日は治療をみているのも辛くて、帰ってから仕事の時間までに気持ちを立て直すのが大変でした。

でも一日たった今日は、
入院してから初めて自分でスプーンをもち食事を口に運び、
少し話もして、昔の母が戻ってきたように感じました。

女性は生命力持久力が強い
だからまだまだ大丈夫
そう思えるちょっと穏やかな一日。

今朝は

2015年02月26日 | 家族のこと



実家の母は先週の後半から容態がよくなくて、
入院してみると思っていた以上に病気はすすんでいました。
今朝は穏やかです。


もうこのままかと思うときと、
話ができて、これならまだまだ大丈夫と思うときが
交互にやってきます。

自分でナースコールもできない、でも意識はあるので、
完全看護といっても身内の誰かがついた方がいいと
姉と交互で病院につめています。

介護がもし独りだと本当に大変ですが、
相談をしたり、いろいろ話ができる人がいるだけで、気持ちは楽になります。

でもやっぱり姉にものすごい負担をかけてしまっています。

「お前は自分勝手」という父の言葉は本当にその通りです。


お雛様

2015年02月20日 | 家族のこと



実家の母は時間ができて人形を作るようになってから、
時々こういうお雛様を作って人にプレゼントしていました。

最近、むくみがひどくなってきていたのてすが、痛みもあるのでしょう、
嫌がっていた入院も自分からすると言い出し、
お医者様のすすめもあって、
明日病院に行くことになりました。

家でゆっくりできる時間をできるだけ長くと思っていますが、
このところ容態があまりよくないので心配です。

この入院はむくみを軽減するためなので

長引かないで戻ってきて

ひな祭りのおいしいお寿司を一緒に食べれますように。


こんな日々はしばらく続く

2014年10月15日 | 家族のこと

実家の母の様子はよくはならないけれど、そんなに悪くもならない、小康状態。

寝たり起きたりゆっくり時間をすごしています。

 

でも主人のお母さんが昨年の大腿ヘルニアの再発で入院

明日再手術をすることになりました。

これもそんなに難しい手術ではないようで

2週間ほどで退院できそうです。

 

お母さんは2度目なので

「(病院の)食事がすごくおいしい。」

とか少し余裕がありますが、

お父さんは

掃除以外家事を全然しない人なので

お母さんの入院というとお父さんの方がやつれていかないか心配になります。

 

 

2世帯同居なので距離が少し難しい。

 

 

それでも自分でできることはなるべく自分で・・・

と主人は言います。

確かに大事なことです。

 

私の亡くなった父は台所にも立つし、買い物も掃除も洗濯も平気でした。

おとなりの老紳士はもうすぐ90歳ですが、一人暮らしでがんばっておられます。

もちろん主人も「花子とアン」の英治さんみたいに

私の仕事をサポートしてくれるし、励ましてくれるし、家事もバンバンやってくれます。

 

 

そんなこんなで、もうすぐ83歳の我が家のお父さまも

明日は洗濯に挑戦するのだそうです。

前お母さんが入院した時、下の洗濯機は二槽式だったのが今は全自動に変わったので

「またようわからん。」

そうです。

 

「いい嫁より鬼嫁の方がいいのよ。」

ってだれか言ってた。

もうしばらくはその路線??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


松の木がなくなった庭

2014年10月12日 | 家族のこと

松くい虫にやられた松の木を

ついに植木屋さんが切っていかれました。

 

何年前に植えられたか調べてくださるそうです。

 

庭を見られる部屋で寝たり起きたりしている母が

やっときた「大竹さんの赤いスマホ」でメールを送ってくれました。


ところがそのメールは主人の方に行き

「お母さんからこんなメール届いた」

というので

「私と間違えたか練習してるかどっちかやし、返事してあげて。」

というとちゃんと返信してくれる主人。

 

 

しかしその携帯はまだガラケーです。

 

負けてる。

 

 


古いアルバムから

2014年10月03日 | 家族のこと

伯母(母の姉)が亡くなり、今週水曜日お葬式がありました。

呉服屋に嫁いだ伯母でしたが、

この若いころの写真はTVドラマにでもでてきそうな雰囲気。

 


母は7人兄弟の末っ子で二人の兄と4人の姉がいますが

これで4人が故人となりました。





母の実家は造り酒屋でちょうど今、朝ドラでやっているマッサンの実家の酒蔵みたいな蔵がありました。

古いアルバムの中に見つけた母の十三参りの写真。

でも戦争が激しくなっていく頃には・・・。                

 

この写真は亡くなった長兄が撮ってくれたとのこと。(昭和18年)

この時代にカメラや現像室を持っていた。写真が上手です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


母のスマホ

2014年09月09日 | 家族のこと

この1週間、実家の母は病院へいくこと3度。

アッシー君をする私、



車椅子に乗った方が安全だけど・・・と思うのですが、

母はなんとかたちあがり、押し車で車のそばまで行き、

あちこちつかまりながら自力で車のシートに座ります。



なんとか自分で・・・

この根性はすごい。


胃や肝臓のガンの進行は遅いようで

今はまだ少し穏やかな時をすごせます。

私のスマートフォンのバッテリーが持たなくなってきていて

機種変更しようかなとか

姉も携帯からスマホにかえようかなとか

そんな話をしていると



「私も大竹さんのにかえようかな」23a

と母がいう。


もうすぐ84歳になる母ですが

携帯を結構使いこなしていました。

でも、最近あまりメールもうたなくなったので、

機種変更して興味のあることに向かうのはいいかもと思いました。

その気になっている母。

さすがです。


代理人で変更するには母に書類を書いてもらい、F06f_red_l1

私の戸籍謄本とかいるのでさっそく役場にとりにいき

docomoのお店に昨日行ったのですが




「赤は在庫がありません。」

とのこと。


残念、でも、

赤でないとね。

予約しました。

待つも楽し・・・です。

文字入力も携帯式なので

母にはすごく移行しやすそうでした。


さて私のは

「バッテリーパックをかえるなら機種変更がおすすめです。」

とのこと。

いろいろな機種があり

0円でも結構いいのがあります。

迷った末

もうちょっと今ので。

長いお出かけには

必ず予備電源持っていかないといけないのですが。


母の人形

2014年07月09日 | 家族のこと

Dscf4190私の実家はとても古い家です。



ほとんどの時間を家で寝て過ごす母のためにリフォームした時に

片づけ上手な姉が

蔵や物置にあった古いものを処分してくれました。









でも骨董品のようなタンスや

古いオルガンDscf4191











母は昭和5年生まれ。

このオルガンは母が物心ついたときには母の実家にあったそう。

一番上のお姉さんがひいていたとのこと。







母は手先が器用で洋裁もしていて

発表会の服やコンサートの衣装、ウェディングドレスも

全部縫ってくれたものです。

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私たちがオバサンになってからは

古いタンスや長持に眠っていた着物や布で

人形を作るようになりました。








一体作るのに半年以上かけていました。

たくさんの人形には命がやどっているよう。






促成栽培のようなものづくりではなくて

いい材料といい環境で

じっくり時間と手間暇かけて

愛情込めて

作り上げていく




人も物もやっぱりそれが大事。

楽してほっておいても

すぐ育つ

すぐ作れる





そんな

促成の果実を求めるような生き方からは

あまりいいものは生まれないだろうなあと

思います。





最近実家にいく時間もふえて

人形の写真集を作るとか

昔の話を書き留めるとか

そんなこともしてみたいと思います。


母の日に

2014年05月12日 | 家族のこと

Dcim1089土曜日は主人の家族と母の日で一緒に食事、

日曜日は月例の後実家へお花を届けにいきました。





この前は起きて食事もとれるようになって

ほっとしていたのだけれど

昨日は腰が痛くて

おきづらそうでした。






何とかトイレはいけるようですが心配。

でも、6月に女学校の同窓会があるので

そこに行けるようがんばりたいと目標をもっています。






「車椅子で介護者付きでも、いいやん。」

というと

「ほとんどの人手押し車やし、付き添いの人といっしょの人もいる。」

とのこと。

80代半ばの同窓会ができるだけでもすごいなあ。




今週は2回病院にもいかないといけなくて

私の車に何とか乗れるかしら?介護タクシーにした方が安心かしら?と

不安。

こういう時やっぱり男手があるといいなあと思います。

同窓会の日は主人が

「早引きして送迎するし、任せてください。」

と母に約束してくれました。


本当に心から感謝です。


薄味濃い味

2014年05月08日 | 家族のこと

私の母は薄味好みです。 ImagesUdonn_2

にんにくとか

辛い調味料も嫌い。









主人は全く逆で

おそばでもだしは真っ黒?なくらいがいいという。

学生時代仙台の駅前のそばやさんで食べていたのがいいというのです。

七味とかでも真っ赤になるくらいふりかけている。






実家にいって母のお昼におうどんとかを作るときには

(薄味、薄味。)

と意識しないといけない。






子どもの頃、焼きそばはしょうゆ味ががあたりまえと主張して、

友達に、

「ほんまにやきそば食べたことあんの?」

と不思議がられたことがありました。


唐揚げも、ささみに薄い醤油味をつけて片栗粉をつけて揚げるだけ、

あっさりしたものでした。





インフルエンザ、花粉症と続いてきて

私の嗅覚も鈍っているのもありますが

何がおいしいのか

味覚がぼやけてきたような感じ

混乱しているのもありますが

老化もあるのでしょうか?




母の主治医は女性です。

「食べられない栄養がたりないと、薬やドリンクやゼリーを並べられても食欲がわきますか?」

「やっぱり食べたいなあと思える食事が大事です。」

言われることはもっともなのです。





最近昆布とかつおでだしをとるようにしています。

作ってくれたものを思い出しながら

母は何が好きだったのかと考えるのですが

父が好きだったものは思い出せるのに

母が好きだったものは思い出せない。



父や私たちが喜ぶものを優先して

自分を後回しにしていたのかもしれません。


あるいはよく作ってくれたものは

母のすきだったものかもしれない。





連ドラ「ごちそうさん」を見てから

料理は大切ってつくづく思うようになりました。




最近座って食事ができるようになり

まだしばらくは穏やかにすごせそうです。

何ならおいしいと喜んで食べられるかしら

手抜きばかりしていたので

必要な栄養もとれて

少しずつおいしそうなものをならべるのは

むずかしい。


これから

2014年02月01日 | 家族のこと

Epson005 1月27日は実家の母に付き添って

府立医大病院に行きました。



月曜日がお休みの主人が車を出してくれました。

二人の先生の診察があるのですが

予約していてもいつも90分遅れとかになります。

                  
                          

    
                      

今回はそれ以上に長引いて、

私が仕事に間に合わないので

電車で先に帰り

最後まで付き添ってくれたのは主人でした。

本当に感謝しています。





C型肝炎から肝硬変がすすみ

癌ができはじると

手術しても

またしばらくしてできてしまう。





今の母の年齢を考えると

強い薬も体力を奪うし、

その入退院を繰り返していくことで

かえって弱っていくこともあるしで

治療を続けることがベストなのかもわかりません。






母は抗がん剤や手術はもうしないと決めていたようです。

お医者様も本人の意思が一番大事といいます。

家族が治療をしてほしいと思っても本人が望まないならその意思を尊重し、

その逆で本人が治療をしたいと思っているのなら治療はしていくべきだと話され、

私自身も納得できます。


リフォームした部屋で穏やかにゆっくりすごせる時間が

できるだけたくさんありますようにと

神様にお願いしています。




姉が一緒に住んでいてくれるのは心強い限りです。

私もすぐに行けるので

これからの時間できることをしていきます。

写真   木佐聡季(千代枝)さん写真集より