1.新緑の京都
五月下旬、久し振りに京都タワーの展望台に登った。地上100メートルから眺める山並みは昔と変わらないが、市街のあちこちを水平方向に横切る高速道路に時の流れを感じた。
(1)京都タワーからの眺望
下の写真は展望台北側の比叡山(No.1=848m)、東山三十六峰の第1峰である。この山から南端の稲荷山(No.36=233m)まで三十六の峰々が続いている。以下()内に三十六峰の番号と標高を示す。
比叡山と銀閣寺方面の眺望
上の写真の中央に赤く小さな平安神宮の大鳥居が見えるが、大鳥居までの距離は約3.5㎞である。大鳥居のやや右奥に京都大学の吉田山(No.12=121m)、その奥に銀閣寺の月待山(No.10=194m)がある。
次に、視界を展望台の東方向に移すと、八坂神社や清水寺が見える。また、この方角には知恩院、円山公園、三十三間堂など、多くの名所旧跡がある。
八坂神社・清水寺の眺望
上の写真では、八坂神社と清水寺は同じ画面に収まる程の距離にある。しかし、平安時代のこの場所は、南都北嶺の対立の最前線だった。南都=奈良の興福寺で清水寺はその末寺、北嶺=比叡山の延暦寺で八坂神社(当時の祇園社)はその配下にあった。
当時、南都と北嶺は互いに反目し、やがて抗争が始まった。それは境界線を巡るトラブルだけでなく、1165年の比叡山僧兵による清水寺の焼打ちは有名な話である。しかし、このような抗争は遠い昔の話、現在のこの辺りは観光を兼ねた散歩道になっている。
上の写真の右側に清水寺の赤門と本堂が見えるが、この辺りを清水山(No.29=242m)、別名は音羽山という。
金閣寺は西日の逆光で撮影できなかったが、明日は金閣寺と銀閣寺と清水寺を訪ねようと思う。
さらに、展望台の右方向に目を移すと下の写真のように東福寺と稲荷山が見える。
稲荷山と東福寺の眺望
東福寺の背後の山は恵日山(No.34=192m)、稲荷山(No.36=233m)は三十六峰の最南端の山である。画面の下に見える高速道路は稲荷山を貫通しており、2、3年前に完成した。
東福寺の通天橋は紅葉が美しいので、秋には訪ねたい。
(2)金閣寺(鹿苑寺:ロクオンジ)
門前の駐車場は観光バスで賑わい、境内では多くの外国人を見かけた。見た目が華やかな金閣寺は外国の観光客に人気があるらしい。
金閣寺の参道
下の写真のように、観光案内でお馴染みの金閣寺を撮影できる場所は“場所待ち”が必要な程立て込んでいた。ビデオを手に長々と“場所”を独り占めする人や待つ人を気にして早々に済ます人など、次々と入れ替わる記念撮影のショットはそれぞれ個性的で面白い。
金閣と鏡湖池
流れ作業を連想するような庭園、その写真を撮り終えて早々に北大路回りの市バスで銀閣寺に向かった。
(3)銀閣寺(慈照寺:ジショウジ)
叡山電車の踏切を渡った銀閣寺の周辺は、道行く人もまばらで京都らしく閑静な佇まいだった。
下の写真は、金閣寺と同様に観光案内などで見かける定番の構図である。ここでは、中学生の団体と一緒になった。
銀閣と庭園
この写真を撮った場所は本堂(方丈)の軒先、その縁側に腰を下ろし静かに銀閣を眺める初老のアメリカ人夫妻を見た。この夫妻一行の他には、外国の観光客を見かけなかった。しっとりした静かな庭園を一回りして境内を出た。
銀閣寺背後の大文字火床
清水寺行きのバス停から、ふと振り返ると大文字の火床が間近に迫っていた。この道の脇を流れる小川には、体長12、3センチのヤマメが川底の砂地に溶け込んでいた(下の写真)。この写真でヤマメの縞模様が保護色になるのを納得した。
清流のヤマメ
銀閣寺のヤマメを見て、鴨川が気になった。さっそく、三条大橋近くの鴨川を歩いた。その河原でゴミを拾う学生ボランティアの一行に出会った。ときどき見回っているという。
鴨川と三条大橋
下の写真は、三条大橋の中ほどから川底を撮影しものである。30年ほど前から鴨川もきれいになり、橋の上からも肉眼で魚影を見ることができた。しかし、今度は魚影を見ることができなかった、また写真にも写らなかった。
鴨川の川底
三条大橋下流で小魚がいない淀みに大きな鯉の群れを見つけた。浅瀬の清流と魚影を期待したが、鯉には悪いが期待はずれだった。
淀みの鯉
次は、清水寺を訪れる。
五月下旬、久し振りに京都タワーの展望台に登った。地上100メートルから眺める山並みは昔と変わらないが、市街のあちこちを水平方向に横切る高速道路に時の流れを感じた。
(1)京都タワーからの眺望
下の写真は展望台北側の比叡山(No.1=848m)、東山三十六峰の第1峰である。この山から南端の稲荷山(No.36=233m)まで三十六の峰々が続いている。以下()内に三十六峰の番号と標高を示す。
比叡山と銀閣寺方面の眺望
上の写真の中央に赤く小さな平安神宮の大鳥居が見えるが、大鳥居までの距離は約3.5㎞である。大鳥居のやや右奥に京都大学の吉田山(No.12=121m)、その奥に銀閣寺の月待山(No.10=194m)がある。
次に、視界を展望台の東方向に移すと、八坂神社や清水寺が見える。また、この方角には知恩院、円山公園、三十三間堂など、多くの名所旧跡がある。
八坂神社・清水寺の眺望
上の写真では、八坂神社と清水寺は同じ画面に収まる程の距離にある。しかし、平安時代のこの場所は、南都北嶺の対立の最前線だった。南都=奈良の興福寺で清水寺はその末寺、北嶺=比叡山の延暦寺で八坂神社(当時の祇園社)はその配下にあった。
当時、南都と北嶺は互いに反目し、やがて抗争が始まった。それは境界線を巡るトラブルだけでなく、1165年の比叡山僧兵による清水寺の焼打ちは有名な話である。しかし、このような抗争は遠い昔の話、現在のこの辺りは観光を兼ねた散歩道になっている。
上の写真の右側に清水寺の赤門と本堂が見えるが、この辺りを清水山(No.29=242m)、別名は音羽山という。
金閣寺は西日の逆光で撮影できなかったが、明日は金閣寺と銀閣寺と清水寺を訪ねようと思う。
さらに、展望台の右方向に目を移すと下の写真のように東福寺と稲荷山が見える。
稲荷山と東福寺の眺望
東福寺の背後の山は恵日山(No.34=192m)、稲荷山(No.36=233m)は三十六峰の最南端の山である。画面の下に見える高速道路は稲荷山を貫通しており、2、3年前に完成した。
東福寺の通天橋は紅葉が美しいので、秋には訪ねたい。
(2)金閣寺(鹿苑寺:ロクオンジ)
門前の駐車場は観光バスで賑わい、境内では多くの外国人を見かけた。見た目が華やかな金閣寺は外国の観光客に人気があるらしい。
金閣寺の参道
下の写真のように、観光案内でお馴染みの金閣寺を撮影できる場所は“場所待ち”が必要な程立て込んでいた。ビデオを手に長々と“場所”を独り占めする人や待つ人を気にして早々に済ます人など、次々と入れ替わる記念撮影のショットはそれぞれ個性的で面白い。
金閣と鏡湖池
流れ作業を連想するような庭園、その写真を撮り終えて早々に北大路回りの市バスで銀閣寺に向かった。
(3)銀閣寺(慈照寺:ジショウジ)
叡山電車の踏切を渡った銀閣寺の周辺は、道行く人もまばらで京都らしく閑静な佇まいだった。
下の写真は、金閣寺と同様に観光案内などで見かける定番の構図である。ここでは、中学生の団体と一緒になった。
銀閣と庭園
この写真を撮った場所は本堂(方丈)の軒先、その縁側に腰を下ろし静かに銀閣を眺める初老のアメリカ人夫妻を見た。この夫妻一行の他には、外国の観光客を見かけなかった。しっとりした静かな庭園を一回りして境内を出た。
銀閣寺背後の大文字火床
清水寺行きのバス停から、ふと振り返ると大文字の火床が間近に迫っていた。この道の脇を流れる小川には、体長12、3センチのヤマメが川底の砂地に溶け込んでいた(下の写真)。この写真でヤマメの縞模様が保護色になるのを納得した。
清流のヤマメ
銀閣寺のヤマメを見て、鴨川が気になった。さっそく、三条大橋近くの鴨川を歩いた。その河原でゴミを拾う学生ボランティアの一行に出会った。ときどき見回っているという。
鴨川と三条大橋
下の写真は、三条大橋の中ほどから川底を撮影しものである。30年ほど前から鴨川もきれいになり、橋の上からも肉眼で魚影を見ることができた。しかし、今度は魚影を見ることができなかった、また写真にも写らなかった。
鴨川の川底
三条大橋下流で小魚がいない淀みに大きな鯉の群れを見つけた。浅瀬の清流と魚影を期待したが、鯉には悪いが期待はずれだった。
淀みの鯉
次は、清水寺を訪れる。