今回は、5.展望(11)から脱線して、「ハノイ旅行(5)2014-07-10」の続きとして、孫の英語力を紹介する。
すでにハノイ旅行(5)で紹介したが、筆者の孫は一昨年(2013)8月に東京月島の小学1年生から突然100%未知のハノイに転居した。
あれから1年4ヶ月、当初の心配をよそに状況は大きく変化した。孫は、英語の授業から落ちこぼれるのではないかなどと心配したが、今では日英語のバイリンガルに近づいた。低学年だったためか、英語社会への順応は意外に早かった。ここで一安心、しかしその安心にもいくつかの問題も浮かび上がってきたので、それらをまとめてここに紹介する。
(1)学校での英語力
まず、ここでの説明の留意点は次のとおりである。
1)孫自慢にならないように、できるだけ客観的な立場で状況を説明する。
2)孫は平均的な日本の小学2年生、UNISハノイ校では3年生である。この学年差はUNISの判断、孫が優秀だった訳ではない。また、孫にとっては外国や外国語はハノイがはじめてである。
3)「公文」という会社名を出すが、筆者は「公文」とは無関係、宣伝の意図もない。
次に、先月(12月)の期末学業成績にもとづいて話を進める。
3年生の教科は、PSEL(Personal, Social and Emotional Learning:人格・社会・情動学習)、数学、英語、美術、音楽、体育、演劇、メディア・アートの8科目である。孫は日本人のためEAL(English as an Additional Language:追加言語としての英語)の初級クラスで学んでいる。
各教科の評価は「He has made good progress in ・・・(・・・の力は上達した)」の文章で始まっているので、まあまあの成績であることが分かる。
たとえば、English(日本の国語に該当)では次のようなテーマを学習する:
◇Talking Without Word(ことば無しの話):主題=言語と芸術・・・芸術家はいろいろな手段で人びと
に話しかける。
◇Forces & Energy(力とエネルギー):主題=科学
◇Space Systems(宇宙体系):主題=科学
Englishでは文法より、社会の仕組みや自然科学を学習する。
一方、英語が母国語でない生徒は、EALで英語力を強化する。特に、Listening(聞く)、Reading(読む)、Writing(書く)、Sounding(話す/発音)の4つの能力を重視する。EALは技能(Skill)教育、したがってEALを卒業すれば学年に関係なく、次の言語、たとえばフランス語などに進んで行く。ちなみに、Sounding(発音訓練)の結果と思うが、孫のL、R、Liaison(リエイゾン:連結発音)はアメリカのネイティブと変わりなく、筆者にはまねができない。英語の発音はネイティブに近いが、幸いにも日本語の発音に変わりはない。
EALの成績にある次のコメントは興味深い:
「He needs to concentrate when transferring his ideas into written texts and focus especially on using full stops to create sentences.(彼は、頭の中の考えを文章化するとき、終止符で文章を区切るように努めるべきである。)」⇒だらだらと長文を書いてはいけないという指導である。これは、筆者が50年ほど前にアメリカの大学で教わったことと同じである。
【筆者の英語教育への意見】
日本の英語教育をEAL、英文学、思想・時事、言語学に分割すれば、英語教育の短縮と効率化が可能である。EALは英語の技能教育、工夫すれば受講者の年齢制限を外すことも可能である。また、EALの分離は義務教育と語学学校との在り方にも一石を投じる。なお、現在の早期英語教育とEALは本質的に別ものである。日本でもEALが話題になり始めたことは、一条の光に見える。】
最後のメディア・アートは一種のIT教育である。生徒共有のオンライン画面でデジタル画像などを作成する。
ちなみに、UNISハノイ校のIT環境は次のとおりである:
3年生で「Hour of Code(コーディングの時間(注*))」に参加している。4年生になれば、学校が貸与するパソコン(Fujitsu)を校内で使用できる。5年生になれば自宅への持ち帰りもOKになる。学校と家庭の連絡は電子化されており、筆者も横浜で孫の成績に目を通している。
【(注*):世界規模のコンピューター・プログラミング教室である。アメリカではプログラムをコードと呼ぶことが多い。】
(2)日常での英語力
孫の学校友だちの国籍は、日本、アメリカ、ドイツ、シンガポールなど多彩である。必然的に英語が使用言語になる。しかし、遊ぶときときは、学校英語とは違った俗語や略語が飛び交う。たとえば、OMGはOh, my god!である。しかも、非常に早口である。FaceTimeに映る彼らの会話は、筆者には理解できない。小学校の低学年では体の動きが敏捷で声帯も若い、たぶんこれらの肉体的な条件が新しい言語への順応性に関係しているように思う。
ときには、日本人同士でも英語、しかし、誰かがひと言日本語を発すると、瞬時に全員が日本語になり、また、誰かが英語を発すると、瞬時に英語の世界に変化するという。それは「判断」というより「反射」に近いスイッチの切り替えである。そこでは、日本語と英語の変換(翻訳)はなし、あたかもコンピューターの直接読み書き(Direct Access)のように、日本語と英語それぞれの記憶領域に直接的にアクセスしているように見える。それはバイリンガルの特性かも知れない。
(3)日本人たるべき努力
孫が急速に英語の世界に溶け込んで行く様子を見ていると、このまま「日本」への帰り道を見失うのではないかと不安に思う。たとえば「Talking Without Word」で出会うであろう「アウンの呼吸」も「日本のアウン」と「アメリカのアウン」ではそれぞれ異なっている。いわゆる社会生活習慣の違い、センスの周波数の違いである。これらの違いを識別する日本の感性も必要である。
一つの対策として、3年ほど前に始めた「公文」の国語(日本語)と算数を継続している。国語は日本語の文章力と漢字力の強化、算数は計算力の強化が目的である。実際には「公文」算数の計算力は教室での強みになり、英語力の弱みを補完する。筆者のアメリカでの見聞でも、日本人留学生は一般に理工系のテストでは好成績を取っていた(数学は世界共通語)。
さらに、経験者のアドバイスを参考に、筆者の娘(孫の母)は、中断していた英語の「公文」も再開するという。それは日本の英検を意識した対策である。
もし「日本の英語」と「世界の英語」が同等ならば「公文」英語は不要である。しかし、残念ながら日本の英語は文法にもこだわるのでかなり難しいという。その難しい英語の入口には関所があり、その関所を通過する(試験)ためには「公文」英語も有効とのことである。
ついでながら、筆者も高度な日本の受験英語には泣かされた。筆者は受験英語が本当に不得意中の不得意だった。しかし、受験英語には弱かったが、本場のアメリカの大学や世界各国での英語の仕事には支障はなかった。また、世界のどこでも英語さえ通じれば外国とは思わない。とはいうものの、今も新聞紙上で見る入試問題は(答えを一つに決めかねるので)難しい。
一方、ハノイの日本大使館が支給する日本の教科書は、孫に目を通させる程度である。実際には母親に尻を叩かれながら鉛筆を握り、母親が採点する「公文」の方がはるかに有効である。したがって、日本人たるべき努力の一つとして、英数国を「公文」に頼るのが現実である。
「公文」と「日本大使館」には失礼だが、補習塾たる「公文」がメイン(主)で、本命たる日本の教科書が参考程度、本末転倒である。誰のせいでもないが、知らないうちにおかしな状況に陥っている。考えると変な話である。
昔からの問題だが、グローバル化の進展とともに日本語と他言語との問題がますます多発する。孫のケースも一つの事例、後学のために状況観察を継続しながら、変な話を一つずつ解明する。
次回は、5.展望(12)コンパクト・シティーに続く。
すでにハノイ旅行(5)で紹介したが、筆者の孫は一昨年(2013)8月に東京月島の小学1年生から突然100%未知のハノイに転居した。
あれから1年4ヶ月、当初の心配をよそに状況は大きく変化した。孫は、英語の授業から落ちこぼれるのではないかなどと心配したが、今では日英語のバイリンガルに近づいた。低学年だったためか、英語社会への順応は意外に早かった。ここで一安心、しかしその安心にもいくつかの問題も浮かび上がってきたので、それらをまとめてここに紹介する。
(1)学校での英語力
まず、ここでの説明の留意点は次のとおりである。
1)孫自慢にならないように、できるだけ客観的な立場で状況を説明する。
2)孫は平均的な日本の小学2年生、UNISハノイ校では3年生である。この学年差はUNISの判断、孫が優秀だった訳ではない。また、孫にとっては外国や外国語はハノイがはじめてである。
3)「公文」という会社名を出すが、筆者は「公文」とは無関係、宣伝の意図もない。
次に、先月(12月)の期末学業成績にもとづいて話を進める。
3年生の教科は、PSEL(Personal, Social and Emotional Learning:人格・社会・情動学習)、数学、英語、美術、音楽、体育、演劇、メディア・アートの8科目である。孫は日本人のためEAL(English as an Additional Language:追加言語としての英語)の初級クラスで学んでいる。
各教科の評価は「He has made good progress in ・・・(・・・の力は上達した)」の文章で始まっているので、まあまあの成績であることが分かる。
たとえば、English(日本の国語に該当)では次のようなテーマを学習する:
◇Talking Without Word(ことば無しの話):主題=言語と芸術・・・芸術家はいろいろな手段で人びと
に話しかける。
◇Forces & Energy(力とエネルギー):主題=科学
◇Space Systems(宇宙体系):主題=科学
Englishでは文法より、社会の仕組みや自然科学を学習する。
一方、英語が母国語でない生徒は、EALで英語力を強化する。特に、Listening(聞く)、Reading(読む)、Writing(書く)、Sounding(話す/発音)の4つの能力を重視する。EALは技能(Skill)教育、したがってEALを卒業すれば学年に関係なく、次の言語、たとえばフランス語などに進んで行く。ちなみに、Sounding(発音訓練)の結果と思うが、孫のL、R、Liaison(リエイゾン:連結発音)はアメリカのネイティブと変わりなく、筆者にはまねができない。英語の発音はネイティブに近いが、幸いにも日本語の発音に変わりはない。
EALの成績にある次のコメントは興味深い:
「He needs to concentrate when transferring his ideas into written texts and focus especially on using full stops to create sentences.(彼は、頭の中の考えを文章化するとき、終止符で文章を区切るように努めるべきである。)」⇒だらだらと長文を書いてはいけないという指導である。これは、筆者が50年ほど前にアメリカの大学で教わったことと同じである。
【筆者の英語教育への意見】
日本の英語教育をEAL、英文学、思想・時事、言語学に分割すれば、英語教育の短縮と効率化が可能である。EALは英語の技能教育、工夫すれば受講者の年齢制限を外すことも可能である。また、EALの分離は義務教育と語学学校との在り方にも一石を投じる。なお、現在の早期英語教育とEALは本質的に別ものである。日本でもEALが話題になり始めたことは、一条の光に見える。】
最後のメディア・アートは一種のIT教育である。生徒共有のオンライン画面でデジタル画像などを作成する。
ちなみに、UNISハノイ校のIT環境は次のとおりである:
3年生で「Hour of Code(コーディングの時間(注*))」に参加している。4年生になれば、学校が貸与するパソコン(Fujitsu)を校内で使用できる。5年生になれば自宅への持ち帰りもOKになる。学校と家庭の連絡は電子化されており、筆者も横浜で孫の成績に目を通している。
【(注*):世界規模のコンピューター・プログラミング教室である。アメリカではプログラムをコードと呼ぶことが多い。】
(2)日常での英語力
孫の学校友だちの国籍は、日本、アメリカ、ドイツ、シンガポールなど多彩である。必然的に英語が使用言語になる。しかし、遊ぶときときは、学校英語とは違った俗語や略語が飛び交う。たとえば、OMGはOh, my god!である。しかも、非常に早口である。FaceTimeに映る彼らの会話は、筆者には理解できない。小学校の低学年では体の動きが敏捷で声帯も若い、たぶんこれらの肉体的な条件が新しい言語への順応性に関係しているように思う。
ときには、日本人同士でも英語、しかし、誰かがひと言日本語を発すると、瞬時に全員が日本語になり、また、誰かが英語を発すると、瞬時に英語の世界に変化するという。それは「判断」というより「反射」に近いスイッチの切り替えである。そこでは、日本語と英語の変換(翻訳)はなし、あたかもコンピューターの直接読み書き(Direct Access)のように、日本語と英語それぞれの記憶領域に直接的にアクセスしているように見える。それはバイリンガルの特性かも知れない。
(3)日本人たるべき努力
孫が急速に英語の世界に溶け込んで行く様子を見ていると、このまま「日本」への帰り道を見失うのではないかと不安に思う。たとえば「Talking Without Word」で出会うであろう「アウンの呼吸」も「日本のアウン」と「アメリカのアウン」ではそれぞれ異なっている。いわゆる社会生活習慣の違い、センスの周波数の違いである。これらの違いを識別する日本の感性も必要である。
一つの対策として、3年ほど前に始めた「公文」の国語(日本語)と算数を継続している。国語は日本語の文章力と漢字力の強化、算数は計算力の強化が目的である。実際には「公文」算数の計算力は教室での強みになり、英語力の弱みを補完する。筆者のアメリカでの見聞でも、日本人留学生は一般に理工系のテストでは好成績を取っていた(数学は世界共通語)。
さらに、経験者のアドバイスを参考に、筆者の娘(孫の母)は、中断していた英語の「公文」も再開するという。それは日本の英検を意識した対策である。
もし「日本の英語」と「世界の英語」が同等ならば「公文」英語は不要である。しかし、残念ながら日本の英語は文法にもこだわるのでかなり難しいという。その難しい英語の入口には関所があり、その関所を通過する(試験)ためには「公文」英語も有効とのことである。
ついでながら、筆者も高度な日本の受験英語には泣かされた。筆者は受験英語が本当に不得意中の不得意だった。しかし、受験英語には弱かったが、本場のアメリカの大学や世界各国での英語の仕事には支障はなかった。また、世界のどこでも英語さえ通じれば外国とは思わない。とはいうものの、今も新聞紙上で見る入試問題は(答えを一つに決めかねるので)難しい。
一方、ハノイの日本大使館が支給する日本の教科書は、孫に目を通させる程度である。実際には母親に尻を叩かれながら鉛筆を握り、母親が採点する「公文」の方がはるかに有効である。したがって、日本人たるべき努力の一つとして、英数国を「公文」に頼るのが現実である。
「公文」と「日本大使館」には失礼だが、補習塾たる「公文」がメイン(主)で、本命たる日本の教科書が参考程度、本末転倒である。誰のせいでもないが、知らないうちにおかしな状況に陥っている。考えると変な話である。
昔からの問題だが、グローバル化の進展とともに日本語と他言語との問題がますます多発する。孫のケースも一つの事例、後学のために状況観察を継続しながら、変な話を一つずつ解明する。
次回は、5.展望(12)コンパクト・シティーに続く。