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ハノイ旅行(8)---ハノイの近況

2015-11-25 | 地球の姿と思い出
「ハノイ旅行(7)---UNISハノイ校の国連デー」から続く。

(2)ハノイの近況
ハノイ国際空港は、昨年5月には建設中だったが昨年末に完成、市街地への道路とホン川に架かる橋も新しくなった。これで最も大切なインフラの整備が一歩前進した。

下の写真は、空港完成の記念碑である。このターミナル2(国際線)は、円借款で完成した。

            ノイバイ空港ターミナル2入口の記念碑
            

ベトナムは社会主義国家であるが親日的な人が多い。したがって、円借款の支援に対する感謝を上の写真で表している。しかし、このような支援をうやむやにする国もある。

今回気付いたことだが、ハノイ周辺では道路の整備と高架/地下鉄の建設、街路の電線地下化が急ピッチで進んでいる。あちこちで進む工事を見て、2000年代初頭のバンコクを思い出した。その記憶は次のとおりである。
◇95年:バンコクのBTS(Bangkok Mass Transit System:高架鉄道)着工
◇99年:開業・・・初乗り15バーツ(約\50)を乗客が敬遠、BTSの車内はガラガラで赤字
◇02年:黒字化
◇04年:バンコク・メトロ(地下鉄)開業+BTSと接続
◇09年:乗客の増加で路線延長開始
◇10年:エアポート・リンク(新空港-市内間の高速鉄道)開業+BTS+メトロと接続
◇12年:乗客の増加で一部の駅にホームドアを導入
◇13年:BTSの延長完成・・・将来の鉄道整備計画を見たが詳しくは不明

鉄道網の整備が進む一方、2000年頃のバンコク市内では、当時の日本では廃車になったようなポンコツ車が走っていた。テールライトがない車や出入口のドアーがないバスも走っていた。しかし、05~07年頃になるとポンコツ車はなくなり、新車も増えはじめた。日系コンビニとケータイが増え、バイクはめっきり少なくなり、世界一といわれた渋滞も少なくなった。知らないうちにスモッグも消えた。

バンコクの交通インフラ整備には以上のような記憶があるが、今回のハノイ訪問でバンコクの記憶と違う点に気づいた。

それは、去年の5月に比べ今回は街に車が増えたことである。

バンコクではインフラ整備の過渡期はポンコツ車の時代だったが、ハノイではいきなり新車やかなり状態の良い車が増えた点が違っている。このままポンコツ車抜きで発展すれば、ハノイの車社会は案外早く実現するかも知れない。早く先進国を追い越し、次世代の都市に向かって発展して欲しい。

とは言うものの、現在の街なかではバイクが圧倒的に多い。下の写真は、運転席から見た夕方の大通りである。このような状態でも、流れが停滞するとバイクと車のすき間を人が横切る。それは、市内には信号が少なく歩道橋もないので、人が道を渡るにはそうせざるを得ないからである。もちろん、筆者には道を横断する勇気はない・・・大通りの向こう側は近くて遠い世界である。

            ハノイ市内の道路
            

もう一つ気づいたことは、写真から分かるように、バイクの人はほゞ100%ヘルメットを着用している。筆者の経験だが、東南アジアでは豊作の翌年、つまり景気が良い年はバイク用品・アクセサリーが良く売れる。この経験則からハノイは景気が良いとみた。

電車やバスが未発達のハノイでは、雨の日は仕事を休むという訳にもいかず、下の写真のようにバイクで出かけることになる。化粧も気にせず、雨の中をバイクで走る女性に逞しさを感じる。雨にも風にも負けず、思う存分活動して欲しい。

            雨の中のバイク
            

写真中央の女性が乗るのは電動バイクらしいが、今回はハノイ市内や観光地で電動バイクをよく見かけた。なぜか、電動バイクの運転は女性に多い。

下の写真は良く見るペダル付きの電動バイク、文字は“NIJIA”と読める。NIJIAの代わりにYAMAHAと書いたバイクも2~3回見た。

            電動バイク
            

ふと電動バイクがもっと普及すれば、街の空がきれいになるだろうと思ったが、それは甘い。よく考えるとバイクは、親子3~4人乗りや大きな荷物を運ぶ日常生活の足、電動バイクではパワー不足である。現在の電動バイクは、女性の運転に耐える程度の乗り物、青空は当分先の話しになる。

前回は旧市街地を中心にハノイを見物したが、今回は市場(イチバ)を覗いてみた。

歴史が浅いアメリカは別として、東南アジアからヨーロッパに至る街や交通の要所、オアシスには昔から市が立つ。地域により呼び名は、マーケット、バザール(Bazar:西アジア-近東)、スーク(Souk:イスラム圏)などという。露店から常設商店街までいろいろな形態がある。

筆者にとっては、世界各地の市場と美術館巡りがその地の風俗習慣を知る近道である。カイロのヘビ使いと直ぐ隣りのジュースの屋台は今も記憶に新しい。目の前で絞る濃厚なオレンジ・ジュースは格別、オレンジはエジプトが最高と今でも信じている。さらに、美術館では確かな記念品が手に入る。

まずは、旧市街地に近いドンスアン市場を訪ねた。ドンスアンは衣類や装身具から日用品を扱う市場である。

下の写真はドンスアン市場の入口、どことなくヨーロッパの市場やターミナル駅に似ている。フランス植民地時代の影響かもしれない。

            ドンスアン市場の外観
            

入口から一歩売場に入ると通路にはみ出した商品に圧倒された。下の写真は、マスクの山である。この山をみて、マスクだと気づくのにしばしの時間がかかった。さすがにバイクの街、マスクはよく売れるらしい。

            マスク店---ドンスアン市場
            

よく見るとマスクの仕上がりは良く、決して粗製濫造(ソセイランゾウ)の品物ではない。縫製作業の自動化は難しいのでこれらは熟練した手作業の産物である。

下の写真は衣類売場である。小さな店が売場一杯に商品を陳列していた。昨年5月に旧市街地で手編み鞄を買ったが、1階の商品だけでなく、2階の商品置場は天井に届くほどに商品を積み上げていた。商品の選択はお客まかせ、好みの色柄と大きさは見える範囲の商品から自分たちで取り出した。ここでも同じような光景を見た。

            衣類売場---ドンスアン市場
            

この市場も旧市街地の商店も商品は山積み、お客はより取り見取りだった。ただし、それらの商品の共通点は、手作業の産物だった。

人手を必要とする製品を大量に作る→安い労働人口が必要→“仕事はいくらでもある”→街に活気があふれる→バイクの洪水・・・この連鎖の陰に過剰在庫(一部は死蔵品)と過剰な生産能力が隠れている。・・・そのうち廃棄する死蔵品(Dead Stock:不用品)の生産→見かけ上は工場の稼働率が上り、喜ばしいことだが、実は生産してはいけない。生産すればするほど採算性が悪化する。

若くて元気あるこの国は、インフラ整備と歩調を合わせて、安い生産コストに安住することなく、次のステージへの段階的な対策を立てる時を迎えている。まずは、現状分析に抜かりなくと思う。

下の写真は、市場2階の休憩広場である。土曜日の昼前だったが、広場には思ったほどの人出はなく観光客らしき人たちを見かけた。

            2階の広場---ドンスアン市場
            

地元の人は、この市場よりすぐ隣りの旧市街地で買い物を済ませるのかも知れない。本来、大きな市場の広場は時計台がそびえ立つ公園とフード・コートを兼ねている。そこには大道芸が付き物、言うまでもなくスリと置き引きも多い。しかし、この広場は噴水だけである。

旧市街地では、衣類の通り、おもちゃの通り、金物の通り、漢方薬の通りのように通り別に専門店が軒を連ねている。ハノイの旧市街地自体が巨大な市場であり、ドンスアン市場は旧市街地の縮図のように見えた。

また、旧市街地に見られない陶器の専門店は、ハノイ近郊のバッチャン村に集まっているという。そこは「陶器の里」、16世紀ころには日本に安南焼として製品を輸出したと観光案内書にある。

村の人口は約5000人、窯元や販売店は約100軒である。下の写真は村の陶器店、写真の手前には日本人団体の観光バスが止まっていた。ハノイで日本人の団体観光客に出会うのは初めてだった。

            陶器の里---バッチャン村
            

村の入口に「陶器の里」の案内所がある。その案内所の3階は陶器工房の作業を実演する展示場だった。下の写真は展示場の様子である。

            案内所の工房---バッチャン村
            

インターネットの情報だが、バッチャン村の代表的な絵柄の一つはトンボである。それは、16世紀ころの日本の注文にあったトンボを発展させ今日に至ったという。下の写真はトンボの絵付けである。

            トンボの絵付け---バッチャン村
            

下の写真は販売店の陳列棚である。日本の陶器店と変わらない。

            陶器店の商品---バッチャン村
            

数百メートルの村の通りにはあらゆる焼き物の店がある。筆者たちは車で素通りしたが、焼き物好きの人には面白いところだと思う。

バッチャン村からの帰途、イオン・モールの大きなハノイ1号店(敷地=96,000m2)を見た。開店日は10月28日、筆者は開店前に帰国したので次回は訪ねてみたい。ハンザ市場、イオン・モールと来年もまだまだハノイ探検は続く。

「ハノイ旅行(9)---タムコック」に続く。

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