「恐竜との出会い」から続く。
1)憧れの海
バンコクから数時間、高速道路を南下すると右手に明るい海が広がる。海岸通りのすぐ横は白い砂浜である。その手前にヤシの木が並び、木々の合間に青い海が広がる。その海は、足元に寄せる波は透明、その先にエメラルド・グリーンの海が広がり、紺碧の水平線に続いている。
船乗りはいつも紺碧の水平線を目指す。その水平線の向こうには未知の世界、行ってみたい世界がある。この未知への憧れは、サントドミンゴ港の砂浜(ドミニカ)、ワイキキの砂浜、ポートスーダンの漁港(スーダン)、幾重にも重なるサンゴ礁をかわしながら近づくジッダ港(サウジアラビア)、小ぢんまりとしたサンゴ島(タイ)などのエメラルド・グリーンのサンゴ礁と紺碧の水平線に結びつく。
ある時、バンコク近くのラン島(Ko Lan)への日帰りツアーがあると知り、早速、現地ツアーに参加した。
マイクロバスが市内のホテルでツアー希望者をピックアップ、郊外のバス・ターミナルで大型バスに乗り換えて島に向かう。参加者は東南アジア、インド、欧米の旅行者が中心である。バスの座席決めで、周囲の人とことばを交わし海岸に着くころにはすっかり打ち解けている。
参加者には、世界旅行中の英国の青年、交換学生でノルウエーから来た女学生、ロシア美人、東南アジアを旅する日本の女性バックパッカーなど、いろいろな人がいる。
2)コーラル・アイランド(Coral Island)
ラン島(Ko Lan)はサンゴ島、パタヤ沖約10kmのサンゴ礁に浮かぶ幅約2km長さ4kmほどの小島である。
ビーチサンダルと半ズボンが似合いの恰好、島へのアクセスはパタヤの砂浜から裸足(ハダシ)で手漕ぎボートに乗り、近くの高速ボートに乗り移る。そこから約20分でラン島に着く。島の周りにはプレジャー・ボートやバナナ・ボートが行き交い、空にはパラセーリングを楽しむ人もいる。浅瀬に船をつけ、波のタイミングを見計らって砂浜に上陸する。少々濡れるが気にしない。
裸足で上陸した小さな入り江には桟橋が1本、エメラルド・グリーンの海に伸びている。入り江の水深は浅く、海底のサンゴを覗くために船底にガラスを張った遊覧船がひしめいている。
コンクリート製の桟橋はみやげ物店とレストランにつながっている。派手なアトラクションもなく、レストランの前の白い砂浜には水着姿の人びとが行き交っている。
ビキニ・スタイルの少女を始め、水着姿のままで長い椅子とテーブルに並んでとる昼食も楽しい。もっとも、今どきのビキニは60年代から進化して「紐(ヒモ)」のように細いものもあるが、ヨーロッパ系の若い女性は恥ずかしがることもない。
ツアー参加者たちの肌の色も話すことばもさまざま、しかし、いつとはなく英語の会話になっていく。ネイティブできれいな英語、訛の強い英語、片言の英語、英語みたいな英語など、中には分かりづらい英語もあるが、ここではだれも英語の上手、下手は気にしない。場数を踏めばその内に通じるようになる。
片言でもお互いに通じるので食事が楽しくなる。ドレッシングの好みは、イタリアンかフレンチかサザン・アイランドかとだれかが聞く。サザン・アイランドは南の島(southern island)でなく千の島(thousand island)であるとか、あれこれと賑やかである。
食後、筆者は若者たちと離れてレンタルのデッキチェアーで海を眺めることにした。
3)少年の頃の記憶
小高い木陰から緑色の海面を這う白い波頭を眺めていると時を忘れる・・・その内、ふと遙か昔を思い出す。どこからともなく、パット・ブーンの「サンゴ礁の彼方に」が聞こえてくる。今も昔も馴染みの歌である。
少年の頃、手造りの帆船を追いながら夢見たのは南海のサンゴ礁だった。帆船の次は電気機関車、その次はレコード・プレイヤーだった。何もない時代だったが、夢があった。
電気機関車は32mmゲージ、モーターの回転をウォーム・ギアで車軸に伝えた。電車の速度を制御するコントローラー、駅、鉄橋も手造り、はんだごてが主な道具だった。ED型電気機関車は真鍮板をハンダで組立てた。トム(無蓋貨車:ムガイカシャ)とワム(有蓋貨車:ユウガイカシャ)は木造、コントローラーはベニヤ板や木切れで作った。図面なしで頭に描く世界は、気まぐれだがレールの先に駅や鉄橋を次つぎと追加した。お年玉を握って、京都東山三条のユニバーサル(今も実在の模型店)に通った。
手造りオモチャの話は長くなるのでここで打ち切るが、サンゴ礁と水平線の彼方への憧れは今もこのブログに続いている。
サンゴ礁に話を戻すが、パナマ運河を超えて入港したサントドミンゴ港のサンゴ礁はまさにエメラルド・グリーンに輝いていた。そこには、亡命に失敗した独裁者トルヒーヨ(1961年射殺)のスクーナー型の白い帆船が座礁していた。エメラルド色の海に座礁した真っ白な大型帆船、その優美な姿と人間の浅ましさが強烈な印象となって今も心に残っている。トルヒーヨが水平線の彼方に描いた世界は知るよしもないが、その夢は叶わず射殺された。
紺碧の水平線を眺めていると、サンゴ礁にかかわる思い出が次々と浮かんでくる。
サントドミンゴ港:
優美な白い帆船とトルヒーヨの結末、岸壁の近くに住む少年とその家族、少年と岸壁でのカニ取り
ワイキキ:
ワイキキの突堤、アラモアナの食堂街、日本でリタイア―した老人が作るかつ丼、パールハーバー
ポートスーダンの漁港:
サンゴ礁の浅瀬で漁をするモーゼのような風貌の老人、荷役作業者たちの泥で固めた頭髪
ジッダ港:
砂漠の平坦な港への進入⇒レーダーでの位置決め困難⇒パイロット(水先案内人)の巧妙な操船、
サンゴ礁で釣れる鯛に似た魚の刺身、メッカへの巡礼とDeck Passenger(甲板旅客)
水平線の向こう側には、聞きなれないことばと街並み、珍しい食べ物と風俗・習慣、その土地特有のルールと働き方がある。街ではバスやタクシーの乗り方とお金の支払い方にも違いがある。乗り合いバス(≠路線バス)や乗り合いタクシーは途上国に多く、乗り合わせる人びととの接触がおもしろい。現地ツアーは一種の乗り合いバスである。
少年のころから今日まで水平線の向こうに夢を描き、いろいろな世界を見てきた。その一つひとつの場面は懐かしく、懐かしさの度合いに比例して、その先に新しい夢と希望が現われる。夢を追う人生も一つの生き方である。
デッキチェアーから眺める白い波は途絶えることなく続くが、間もなく桟橋に迎えのフェリーがやって来る。
次回は「世界の市場」に続く。
1)憧れの海
バンコクから数時間、高速道路を南下すると右手に明るい海が広がる。海岸通りのすぐ横は白い砂浜である。その手前にヤシの木が並び、木々の合間に青い海が広がる。その海は、足元に寄せる波は透明、その先にエメラルド・グリーンの海が広がり、紺碧の水平線に続いている。
船乗りはいつも紺碧の水平線を目指す。その水平線の向こうには未知の世界、行ってみたい世界がある。この未知への憧れは、サントドミンゴ港の砂浜(ドミニカ)、ワイキキの砂浜、ポートスーダンの漁港(スーダン)、幾重にも重なるサンゴ礁をかわしながら近づくジッダ港(サウジアラビア)、小ぢんまりとしたサンゴ島(タイ)などのエメラルド・グリーンのサンゴ礁と紺碧の水平線に結びつく。
ある時、バンコク近くのラン島(Ko Lan)への日帰りツアーがあると知り、早速、現地ツアーに参加した。
マイクロバスが市内のホテルでツアー希望者をピックアップ、郊外のバス・ターミナルで大型バスに乗り換えて島に向かう。参加者は東南アジア、インド、欧米の旅行者が中心である。バスの座席決めで、周囲の人とことばを交わし海岸に着くころにはすっかり打ち解けている。
参加者には、世界旅行中の英国の青年、交換学生でノルウエーから来た女学生、ロシア美人、東南アジアを旅する日本の女性バックパッカーなど、いろいろな人がいる。
2)コーラル・アイランド(Coral Island)
ラン島(Ko Lan)はサンゴ島、パタヤ沖約10kmのサンゴ礁に浮かぶ幅約2km長さ4kmほどの小島である。
ビーチサンダルと半ズボンが似合いの恰好、島へのアクセスはパタヤの砂浜から裸足(ハダシ)で手漕ぎボートに乗り、近くの高速ボートに乗り移る。そこから約20分でラン島に着く。島の周りにはプレジャー・ボートやバナナ・ボートが行き交い、空にはパラセーリングを楽しむ人もいる。浅瀬に船をつけ、波のタイミングを見計らって砂浜に上陸する。少々濡れるが気にしない。
裸足で上陸した小さな入り江には桟橋が1本、エメラルド・グリーンの海に伸びている。入り江の水深は浅く、海底のサンゴを覗くために船底にガラスを張った遊覧船がひしめいている。
コンクリート製の桟橋はみやげ物店とレストランにつながっている。派手なアトラクションもなく、レストランの前の白い砂浜には水着姿の人びとが行き交っている。
ビキニ・スタイルの少女を始め、水着姿のままで長い椅子とテーブルに並んでとる昼食も楽しい。もっとも、今どきのビキニは60年代から進化して「紐(ヒモ)」のように細いものもあるが、ヨーロッパ系の若い女性は恥ずかしがることもない。
ツアー参加者たちの肌の色も話すことばもさまざま、しかし、いつとはなく英語の会話になっていく。ネイティブできれいな英語、訛の強い英語、片言の英語、英語みたいな英語など、中には分かりづらい英語もあるが、ここではだれも英語の上手、下手は気にしない。場数を踏めばその内に通じるようになる。
片言でもお互いに通じるので食事が楽しくなる。ドレッシングの好みは、イタリアンかフレンチかサザン・アイランドかとだれかが聞く。サザン・アイランドは南の島(southern island)でなく千の島(thousand island)であるとか、あれこれと賑やかである。
食後、筆者は若者たちと離れてレンタルのデッキチェアーで海を眺めることにした。
3)少年の頃の記憶
小高い木陰から緑色の海面を這う白い波頭を眺めていると時を忘れる・・・その内、ふと遙か昔を思い出す。どこからともなく、パット・ブーンの「サンゴ礁の彼方に」が聞こえてくる。今も昔も馴染みの歌である。
少年の頃、手造りの帆船を追いながら夢見たのは南海のサンゴ礁だった。帆船の次は電気機関車、その次はレコード・プレイヤーだった。何もない時代だったが、夢があった。
電気機関車は32mmゲージ、モーターの回転をウォーム・ギアで車軸に伝えた。電車の速度を制御するコントローラー、駅、鉄橋も手造り、はんだごてが主な道具だった。ED型電気機関車は真鍮板をハンダで組立てた。トム(無蓋貨車:ムガイカシャ)とワム(有蓋貨車:ユウガイカシャ)は木造、コントローラーはベニヤ板や木切れで作った。図面なしで頭に描く世界は、気まぐれだがレールの先に駅や鉄橋を次つぎと追加した。お年玉を握って、京都東山三条のユニバーサル(今も実在の模型店)に通った。
手造りオモチャの話は長くなるのでここで打ち切るが、サンゴ礁と水平線の彼方への憧れは今もこのブログに続いている。
サンゴ礁に話を戻すが、パナマ運河を超えて入港したサントドミンゴ港のサンゴ礁はまさにエメラルド・グリーンに輝いていた。そこには、亡命に失敗した独裁者トルヒーヨ(1961年射殺)のスクーナー型の白い帆船が座礁していた。エメラルド色の海に座礁した真っ白な大型帆船、その優美な姿と人間の浅ましさが強烈な印象となって今も心に残っている。トルヒーヨが水平線の彼方に描いた世界は知るよしもないが、その夢は叶わず射殺された。
紺碧の水平線を眺めていると、サンゴ礁にかかわる思い出が次々と浮かんでくる。
サントドミンゴ港:
優美な白い帆船とトルヒーヨの結末、岸壁の近くに住む少年とその家族、少年と岸壁でのカニ取り
ワイキキ:
ワイキキの突堤、アラモアナの食堂街、日本でリタイア―した老人が作るかつ丼、パールハーバー
ポートスーダンの漁港:
サンゴ礁の浅瀬で漁をするモーゼのような風貌の老人、荷役作業者たちの泥で固めた頭髪
ジッダ港:
砂漠の平坦な港への進入⇒レーダーでの位置決め困難⇒パイロット(水先案内人)の巧妙な操船、
サンゴ礁で釣れる鯛に似た魚の刺身、メッカへの巡礼とDeck Passenger(甲板旅客)
水平線の向こう側には、聞きなれないことばと街並み、珍しい食べ物と風俗・習慣、その土地特有のルールと働き方がある。街ではバスやタクシーの乗り方とお金の支払い方にも違いがある。乗り合いバス(≠路線バス)や乗り合いタクシーは途上国に多く、乗り合わせる人びととの接触がおもしろい。現地ツアーは一種の乗り合いバスである。
少年のころから今日まで水平線の向こうに夢を描き、いろいろな世界を見てきた。その一つひとつの場面は懐かしく、懐かしさの度合いに比例して、その先に新しい夢と希望が現われる。夢を追う人生も一つの生き方である。
デッキチェアーから眺める白い波は途絶えることなく続くが、間もなく桟橋に迎えのフェリーがやって来る。
次回は「世界の市場」に続く。