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想像の旅---カサブランカ(6)

2019-03-25 | 地球の姿と思い出
想像の旅---カサブランカ(5)から続く。

地域密着型の店舗
ハムディーは、今までとおり自分の店を旧市街地(メディナ)に密着した店として運営したいと考えている。取り扱う品物は地域の人びとの必需品、在庫量も地域の需要に沿って安全在庫を調整すれば品切れも起こらない。予測が難しい観光客や近所の工事で発生する突発的な需要には、今のシステムには特需を見分ける機能を組み込める。

ハムディーの店の歴史は古いが、店で働く人びとも何代にも亘るメディナの人たちである。この地域がメディナと呼ばれるもっと昔からの住人である。数百年をはるかに超える歴史は、人びとの生活習慣の一部である。たとえば、食生活における古くからの食材、料理法、食器、マナーも生活習慣の一つである。その食生活は彼らの食文化、いわばアセット(asset:持ちもの・身に付けた資産)である。ハムディーは、このような文化をメディナの有形・無形資産(tangible・intangible assets)として大切に守りたいと思っている。

ここで、メディナの過去を振り返ると、その歴史はかなり古い。

カサブランカ(白い家)と云う名前は、ポルトガル人による街の焼き討ちと再開発に由来する。それは1468年のこと、ベルベル人とのトラブルに怒ったポルトガル人によるカサブランカの焼き討ちと1515年の再開発である。再開発された白い街をCasa Blanca(白い家)と呼んだのが名前の由来である。沖合から見た白い街並みが思い浮かぶ。

しかし、カサブランカの歴史はもっと古く、紀元前10世紀頃にベルベル人がこの地に定住し始めたころに遡る。大西洋に面した地中海性気候に恵まれた小さな漁港は、やがて港町に発展した。紀元前7世紀にはフェニキアと交易、前5世紀にはローマとの交易で栄えた。筆者の想像だが、ベルベル人の勢力が強くなるにつれて、イベリア半島のポルトガルとのトラブルもエスカレート、15世紀ころの焼き討ちに至った。

ここで注意したいのは、500年程度昔の焼き討ちではなく、紀元前7世紀から始まったフェニキアとの交易とそれに続くローマとの交易である。

参考だが、カサブランカのベルベル人が交易したフェニキア人はフェニキア文字を発明した(紀元前1500年頃)。彼らは、水に強いレバノン杉の船に乗ってフェニキア文字とともに紀元前10世紀頃にレバノン地方から地中海に進出した。地中海交易の発展とともに22の子音文字から成るフェニキア文字は地中海沿岸と北アフリカ各地に広がった。

ジブラルタル海峡に続くカサブランカもフェニキアの商圏だったので、そこはフェニキア人はもちろん、周辺諸国の人びとで賑わったと想像できる。なお、フェニキア人は航海術にすぐれ、地中海西部から大西洋までの各地に植民都市を建てたが、紀元前一世紀ころからローマに併合されていった(大辞林 第三版)。

下の図は22のフェニキア文字(すべて子音)である。このフェニキア文字は、後にギリシア人が母音を加えて現在のアルファベットに発展したが、もとのフェニキア文字は消滅した。

           

別の参考資料だが、氷河期のヨーロッパに分布した368の洞窟に残された幾何学記号をカナダ人女性科学者(G. von Petzinger)がデータベースで整理した。その結果は、下の図に示す32個の幾何学記号である・・・32個のなかには、2400kmも離れた2つの洞窟に残された記号やパターンが一致すると云う謎もある(イベリア半島(2.2万年前の洞窟)とシチリア島(1.2万年前の洞窟):約2400km、記号には1万年の時差がある)。

           ヨーロッパ氷河期の368洞窟に残された32個の幾何学記号
           
           出典:G. von Petzinger著櫻井裕子訳「最古の文字なのか?」文芸春秋、2016

氷河期の幾何学記号と文字、たとえばフェニキア文字との関係は現段階では不明である。しかし、32個の壁画に描かれた記号と22個のフェニキア文字を比較すると、赤〇(丸印)で示すように5個の文字(記号)が一致する。ただし、5個のうちの△は向きが違うので一致とは言えないかも知れない。また、フェニキア文字には意味と発音(子音のみ)があったが、記号に普遍的な意味と発音があったかは明らかでない。

定説によると文字は文明とともに生まれてきた。世界最古の文明は紀元前4000年頃にチグリスとユーフラテス川の間に住んでいたシュメール人のメソポタミア文明である。シュメール人は楔形文字を発明(紀元前3300年頃)、交易に使用した。ちなみに、あの「目には目を」のハンムバル法典(バビロンで発見、282条、紀元前1790年頃)は、アッカド人の日常語と楔形文字で書かれている。

他方、ナイル川においては、紀元前3000年頃から古王国が繁栄した。有名なヒエログリフ(象形文字:紀元前3000年)に続き、ギザには、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッド(建造;紀元前2500年代)がある。

さらに、地中海においては、紀元前2000年頃に航海術に長けたクレタ島のミノア人がエーゲ海と東地中海の交易を制した。その後、彼らはエジプトや北アフリカ沿岸との交易にも手を広げた。しかし、紀元前1600年頃にミケーネ人がバルカン半島を南下し、ギリシア半島を占拠し、ミノア人を制圧した。さらに、紀元前1000年頃にはミケーネ人はフェニキア人にとって替わられた。

紀元前800年頃にはギリシア文明がフェニキアのライバルとして頭角を現し、次第にフェニキア人はギリシア・ローマに吸収されていった。この頃、カサブランカのベルベル人はフェニキアと交易を始めた。

古代の地中海は、城壁で固めた都市王国と植民都市を拠点にさまざまな民族が興亡した。筆者の単純な発想だが、さまざまな民族が興亡した地中海の海底や地中には、今も多くの文明の遺品がひっそりと眠っていそうに思われる。特に、15世紀頃のカサブランカの焼き討ちでは、多量の食器やタイルが瓦礫として処理されたのでその可能性は大きい。

ハムディーの店のシステム化で出た大量のデッド・ストック(死蔵品)は、帳簿に記録がないガラクタである。観光地の土産物店に並ぶピカピカの量産品でなく、いつ仕入れたかも分からない品々である。それらのガラクタに、もし古代人が描いたフェニキア文字、絵文字や楔形文字があれば、骨董品として価値がある。

まずは、システム開発を優先して、後でゆっくりとガラクタを整理する。

続く。

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