油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

職人になりたい。  その5

2021-03-28 20:58:25 | 小説
 それから一か月経った。
 翔太は、老医師の言うとおりにしっかり治
療に通った。指の傷はずいぶんと癒えたよう
に思え、彼は、早速、仕事を再開しますと店
長に申し入れた。
 「ケガするのは、こころの問題。どこかで
無理をしているからだ。西も東もわからない
土地に来て、あれこれ悩む時期だろう。だか
ら今少し休んだほうがいい。その間に、この
あたりの実情をよく勉強したらどうだ。地元
の人間がどんなことを考えているかってこと
だ。うまいラーメンを作るってことは、材料
や腕前だけじゃない。信用だ。一番大事なの
はな。自分をみがけ。まあ、給料まるまるや
るというわけにはいかないが、食べていける
くらいは保証してあげる」
 日頃とっつきにくく思えていた森田店長が
そう言い終えたとたん、にこっと笑った。
 「店長さんの森田さんさ、あんたたち従業
員にとっちゃ、厳しくて、気むずかしく思え
るだろうけど、ほんとはそうじゃない、優し
いひとなんだ。あのひとさ、この町の出じゃ
ないんだよ。だからお前さんもがんばれ」
 S店に就職して間もないある日、常連のお
客さんのひとりから、そう聞かされたことを
翔太は思いだした。
 指を深く傷つけたのだ。仕事ができなくっ
たってしょうがない。
 翔太は、そう、自分をなぐさめた。
 翔太は、ある日、町の図書館に出かけた。
 ふらりと喜多方駅方面に足を向けた。
 翔太の脳裏に、先日の出来事があざやかに
よみがえってくる。
 翔太はここまで自転車で来た。
 この春、稲荷どおりの古い自転車屋さんで
購入したものだ。骨太で、むかしふう。まる
で頼りがいのある肝っ玉かあさんといった趣
がある。
 ひんぱんに車が行きかう駅前の広いパーキ
ングのど真ん中を渡るのは危険だ、と感じて、
翔太は、パーキングをぐるりと迂回した。
 喜多方という街の特徴を見事につかんで設
計された駅舎を見たとき、翔太は懐かしい思
いにかられた。
 ふいに吹きつけてきた冷風に、翔太は身を
かたくした。
 まだ十一月の半ばなのにと、あきれた。
 持ってきたジャンパーを着て、ジッパーを
首のところまであげた。
 かいた汗が、すぐさま冷やされ、凍りつく
ように思えた。
 都会育ちながら、翔太は、急に心臓を冷や
すことがどれほど具合のわるいことか、知っ
ていた。体をぬぐうタオルくらい、持参すれ
ばよかったと悔やんだ。
 翔太はちらと西の空を見た。
 築後の山の頂上付近が灰色の雲でおおわれ
ている。
 雲は見る間にその層を厚くし、あとからあ
とからやってくるせかされるように、斜面を
くだった。
 「あら、おにいさん。あなた、S店の従業
員さんじゃなかった。めずらしいわねえ、こ
んなところで逢うなんて」
 通りかかった女性に声をかけられ、翔太は
戸惑った。
 翔太ははあっと言ったきり、口を閉ざした。
 彼女の顔をちらりと見た。
 朱色のくちびる、白すぎる肌、つけまつげ
やアイシャドーなどが浮かび上がる。
 衣服を見てもはですぎた。あずき色のコー
トにグリーンの毛糸の帽子、それと黄色のマ
フラー。
 女が水商売を営んでいるように、翔太は感
じた。
 (夢に出てきたうりざね顔の女に似ていな
くもないな。たぶん店のお客さんだろう)
 「なによ。じろじろ見て。きちんと思って
ること、口に出しなさいよ。男らしくないわ
ね、あんたが思ってるように、わたしだって
商売してるわ。昼も夜もね。そうしなきゃやっ
ていけないの。あんたもね。将来、この町で
ラーメン屋をやりたいんだったらね、もっと
しっかりしなさい」
 女の言葉のはしばしに、会津独特の古風な
考え方がにじみ出ている。
 翔太はびくりと体をふるわせた。
 


 
 
 
 
コメント
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