それからどれくらい経っただろう。
森のどこを探しても、もはや敵の姿はなく、
荒涼とした景色が広がっているばかりだ。
森を復元しようとする機運が、人々の間で
高まるけれども、被害があまりに大きい。
百年単位の時間が必要という人も少なから
ずいて、どこから手を付けたらいいか、大抵
の人は考えあぐねていた。
しかし、春を告げる兆しが、こんな森の中
にも現れはじめていた。
十二月から二月の間に、滝の水は、厳しい
寒さのため、流れ落ちる姿のまま、瞬時に氷
となり果てていたが、次第にその表面が解け
はじめた。その滝は大きくて長い。山の斜面
に沿って、一段二段、そして三段と流れ下っ
ていた。まるで竜がくねくねと泳いでいるよ
うに見えた。
もっとも高い峰を縫うようにして走る道路
は完全に閉鎖され、五メートルにも及ぶ積雪
が決して人を寄せつけないでいたが、徐々に
その量を減らしていた。
この辺りは、もっとも高い山岳地帯として
知られていて、その中腹ふきんには大きな湖
があった。あまりに険しく、容易に足を踏み
入れることができない。
それだけに、敵が入り込みやすいと考えら
れた。
この地域一帯は、地球防衛軍の戦略上、重
要拠点のひとつに数えられた。
それを、安易に敵に知られることのないよ
う防御が、ひと工夫された。
こんな非常時でも、森林公園の管理人たち
は詰め所に通い、それぞれの仕事をこなす。
ジープの前輪のタイヤ二本に、厳重にチェ
ーンを巻き、長くて急な坂道をのろのろと走
行した。
この冬は温暖化の影響で、寒さは大したも
のじゃないだろう喧伝されていただけに、数
十年ぶりの冬らしい冬に、彼らはショックを
隠しきれずにいた。
管理人にまじってひとりの若い男がいた。
ニッキである。
非番なのだろう。めずらしくカジュアルな
いでたちである。
後部座席には、ひとりの女性。
ふたりのひげづらの男たちの間で、きゅっ
と身を固くしている。
トンボの目玉を思わせる黒いサングラスを
かけているので、顔がよくわからない。
オレンジ色の厚手の防寒服が、彼女の腰か
ら首までをおおいつくしている。
それが、春の陽ざしの中で咲くたんぽぽを
思わせた。
およそ半時間後、森の管理人たちが、それ
ぞれの持ち場に散らばっていった。
ニッキとメイといえば、ふたりは湖のほと
りを散策していた。
湖の上を長い間おおっていた灰色の雲がよ
うやく流れ去り、人々が待ち望んでいた太陽
の光が差しこみはじめた。
「まだ寒いじゃない。どうしてこんなにさ
びしい場所に、わざわざわたしを連れて来た
のかしら。信じられない」
こぶし大くらいの丸まった小石で埋めつく
された岸辺に、メイはしゃがみこむと、左手
にはめた手袋を取り去った。
五本の指をすっと水中に差し入れる。
「まあ、なんて冷たいんでしょう」
ニッキは黙っている。
メイの声を合図にするようにぴたりと立ち
止まったが、ニッキは彼女のほうに体を向け
ず、湖の向こう岸ばかり見つめた。
「ほんとニッキったら、憎たらしい。こん
な僻地に来ても、わたしを邪険にするのね」
雲間からほどなく青空がのぞきはじめた。
空の青さが湖のおもてに反映するが、あま
りに水深が深い。
火山の爆発により、生まれた湖だと信じら
れていた。
「そう見えるかい?」
ニッキが口をきいた。
「見えるでしょ。だれが見てもそうよ。昔
馴染みだからわたし、あなたの誘いを拒まな
かったのよ。こんなところに来るってわかっ
てたら、わたし……」
「来なかったっていうんだね」
「そうよ。いつまでもわたしのこと、ばか
にするんだったら、ほんと、ニッキったらいっ
たい、自分をなに様だと思ってるの……、あっ」
メイの言葉が途切れた。
「まあ、あれは何?真っ白な鳥が向こうの
岸近くで泳いでるわ」
「ああ、あれ。白鳥さ」
「ええっこんなところに?」
「そうさ。昔からね。言っとくけど、ぼく
は決してきみをばかになんてしやしない」
ニッキの声がはずんだ。
その頃、惑星エックスが、再び地球に近づ
こうとしていた。
森のどこを探しても、もはや敵の姿はなく、
荒涼とした景色が広がっているばかりだ。
森を復元しようとする機運が、人々の間で
高まるけれども、被害があまりに大きい。
百年単位の時間が必要という人も少なから
ずいて、どこから手を付けたらいいか、大抵
の人は考えあぐねていた。
しかし、春を告げる兆しが、こんな森の中
にも現れはじめていた。
十二月から二月の間に、滝の水は、厳しい
寒さのため、流れ落ちる姿のまま、瞬時に氷
となり果てていたが、次第にその表面が解け
はじめた。その滝は大きくて長い。山の斜面
に沿って、一段二段、そして三段と流れ下っ
ていた。まるで竜がくねくねと泳いでいるよ
うに見えた。
もっとも高い峰を縫うようにして走る道路
は完全に閉鎖され、五メートルにも及ぶ積雪
が決して人を寄せつけないでいたが、徐々に
その量を減らしていた。
この辺りは、もっとも高い山岳地帯として
知られていて、その中腹ふきんには大きな湖
があった。あまりに険しく、容易に足を踏み
入れることができない。
それだけに、敵が入り込みやすいと考えら
れた。
この地域一帯は、地球防衛軍の戦略上、重
要拠点のひとつに数えられた。
それを、安易に敵に知られることのないよ
う防御が、ひと工夫された。
こんな非常時でも、森林公園の管理人たち
は詰め所に通い、それぞれの仕事をこなす。
ジープの前輪のタイヤ二本に、厳重にチェ
ーンを巻き、長くて急な坂道をのろのろと走
行した。
この冬は温暖化の影響で、寒さは大したも
のじゃないだろう喧伝されていただけに、数
十年ぶりの冬らしい冬に、彼らはショックを
隠しきれずにいた。
管理人にまじってひとりの若い男がいた。
ニッキである。
非番なのだろう。めずらしくカジュアルな
いでたちである。
後部座席には、ひとりの女性。
ふたりのひげづらの男たちの間で、きゅっ
と身を固くしている。
トンボの目玉を思わせる黒いサングラスを
かけているので、顔がよくわからない。
オレンジ色の厚手の防寒服が、彼女の腰か
ら首までをおおいつくしている。
それが、春の陽ざしの中で咲くたんぽぽを
思わせた。
およそ半時間後、森の管理人たちが、それ
ぞれの持ち場に散らばっていった。
ニッキとメイといえば、ふたりは湖のほと
りを散策していた。
湖の上を長い間おおっていた灰色の雲がよ
うやく流れ去り、人々が待ち望んでいた太陽
の光が差しこみはじめた。
「まだ寒いじゃない。どうしてこんなにさ
びしい場所に、わざわざわたしを連れて来た
のかしら。信じられない」
こぶし大くらいの丸まった小石で埋めつく
された岸辺に、メイはしゃがみこむと、左手
にはめた手袋を取り去った。
五本の指をすっと水中に差し入れる。
「まあ、なんて冷たいんでしょう」
ニッキは黙っている。
メイの声を合図にするようにぴたりと立ち
止まったが、ニッキは彼女のほうに体を向け
ず、湖の向こう岸ばかり見つめた。
「ほんとニッキったら、憎たらしい。こん
な僻地に来ても、わたしを邪険にするのね」
雲間からほどなく青空がのぞきはじめた。
空の青さが湖のおもてに反映するが、あま
りに水深が深い。
火山の爆発により、生まれた湖だと信じら
れていた。
「そう見えるかい?」
ニッキが口をきいた。
「見えるでしょ。だれが見てもそうよ。昔
馴染みだからわたし、あなたの誘いを拒まな
かったのよ。こんなところに来るってわかっ
てたら、わたし……」
「来なかったっていうんだね」
「そうよ。いつまでもわたしのこと、ばか
にするんだったら、ほんと、ニッキったらいっ
たい、自分をなに様だと思ってるの……、あっ」
メイの言葉が途切れた。
「まあ、あれは何?真っ白な鳥が向こうの
岸近くで泳いでるわ」
「ああ、あれ。白鳥さ」
「ええっこんなところに?」
「そうさ。昔からね。言っとくけど、ぼく
は決してきみをばかになんてしやしない」
ニッキの声がはずんだ。
その頃、惑星エックスが、再び地球に近づ
こうとしていた。