油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

MAY  その82

2021-03-01 12:43:23 | 小説
 メイはようやく、ケイをモンクおじさんの
家の庭先に招き入れた。
 霜が溶け出し、庭の土をぬかるんだものに
している。
 「気を付けてね。足もとはどろどろだから。
靴がよごれちゃう」
 「いいの、いいの。たいしたのじゃないか
ら。中学のときに履いてたズックなの。あち
こちやぶけたりしてるのを、今でも大事に使っ
てるのよ。おかしいでしょ」
 「うう、ううん。いいことよ。思い出を履
いてるみたいで。なかなか捨てられないわよ。
思い入れのこもったものはね。わたしだって」
 「そう?良かった」
 メイは、ケイをまじまじと見つめた。
 恥ずかしくなったのか、ケイはメイの視線
から目をそらした。
 「ちょっと待っててね。いますぐ温かい紅
茶をいれるわ」
 「ありがとう」
 庭の真ん中で、山羊の母が、好々爺のよう
な顔つきで、子やぎに乳を与えている。
 子やぎは、彼女の乳房を長い口先でつつい
ては、上手に、長い乳首を舌でからめた。
 「お待ちどうさま。しばらく家にいなかっ
たから、どこになにがあるのか。すっかり忘
れちゃったわ」
 メイはほほ笑んだ。つられて、ケイも。
 緊張でかたかった彼女の口もとがゆるんだ。 
 「素敵だわね。こんな風景。これが自然っ
ていうものだわ。どんな生活を、わたし、夢
見てたのかしら。悲しくなるわ」
 ふいにケイの眼がうるんだ。
 メイは、しばらく、黙った。
 ケイは長い黒髪を両手ですくそぶりをくり
返していたが、やっと顔をあげ、右手の人さ
し指で、そっと彼女のまぶたをぬぐった。
 「しかたないわ、あなたは。だって」
 メイはそれ以上、離さないでいる。
 次から次へと、具合のわるいことばかりが
自分のこころからわいてきてしまう。それら
を口にするのが怖かった。
 「いまさら、こんなところに来られるわた
しじゃないのは知ってるわ。でも、あなたの
お母さんが……」
 ケイはメイの目を見ず、ぼそぼそとしゃべ
りだした。
 「勧めたのね、本当に良かった。あの雪の
深い日。洞窟でさよならしたっきりだったわ。
あなた、あれからどうしたかって。そればっ
かり。母はなんにもわたしに教えてくれなかっ
たし」
 「そうなんだ。メイったら、わたしのこと、
何だって知ってるって思ってたわ。いいかお
りね。おいしそう。カモミールかしら?」
 「そうよ。でもだいじょうぶ?この庭はい
ろんな匂いがいっぱいで」
 「田舎だもの。しかたないわ。ぜいたくな
んて言ってらんない」
 ケイは胸を張った。
 メイの注いでくれた紅茶を一口飲んだ。ど
うぞどうぞ、とメイは、紅茶ボトルの長い筒
先を彼女のほうに向けた。
 「ありがとう。いただくわ。わたし、わる
かったわ。長いこと、いじわるばかり言って。
こんなわたしだから、よこしまな魂をもつ者
たちに利用されたんだわ」
 ケイは両肩を落とした。
 「もうだいじょうぶだわ、あなたは。それ
がわかったんだから。ほんとに良かった」
 塀の向こうで、足音がした。
 メリカおばさんが帰って来たらしい。
 「あなたのおばさんかしら?あたし、なん
て言って、いいわけすればいいか、わからな
いわ」
 「そんなこと。わたしがうまくフォロウし
てあげるから。心配しないで」
 メイは戸のかんぬきをはずすために、席を
立った。
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