小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

「骨太の方針」をどう評価するか

2018年05月30日 11時16分07秒 | 経済


報道によりますと、
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31045710Y8A520C1000000/
政府が6月中旬に閣議決定する「骨太の方針」の原案が5月28日、明らかになりました。
その要点をまとめます。

(1)消費税は、予定通り2019年10月に10%に値上げする
(2)19年度と20年度予算で、税率引き上げによる需要変動の平準化に万全を期す
(3)PB黒字化達成を25年度に先送りする
(4)21年度時点での中間検証では、いずれも対GDP比で、
  1.PB赤字を1.5%程度に抑える
  2.財政赤字を3%以下に抑える
  3.債務残高を180%台に抑える
(5)財政抑制策は盛り込まない

同記事には、「政府・与党内の積極財政派に配慮した成長重視の姿勢がうかがえる」とありますが、これはかなり当たっています。
というのは、(3)と(5)にその形跡が見られるからです。

しかしこれでは、デフレ脱却策として、不十分極まると言わざるを得ません。

第一に、消費税が10%になってしまうと、単に価格が上がるだけではなく、計算が簡単なため、消費を控える人がますます増え、その結果、需要が縮小し、投資もさらに冷え込んでしまうからです。

そのことを心配してか、政府(財務省)は、「税率引き上げによる需要変動の平準化に万全を期す」などと謳っていますが、これはつまり需要縮小をあらかじめ見込んで、それを恐れている証拠です。
それにしても「需要縮小」とはっきり言えばいいものを、「需要変動の平準化」とはお笑い種のレトリックもいいところですね。

何よりも、増税を絶対の前提として政策を打ち出しているところが完全に誤りです。
デフレ期に増税をする国など、日本以外どこにもありません。
「財政破綻の危機」という嘘八百をまき散らしてきた財務省の緊縮路線は、こうしてますます国民を貧困化に陥れようとしているのです。

財務省が恐れているのは、日本経済の悪化による国民生活の窮乏化などではさらさらありません。
ただ、もしかしたら税率の増加によってかえって税収が減ってしまうかもしれない、そうすると増税に関して財務省への批判が高まり、緊縮路線を貫きにくくなるということだけなのです。
国民の豊かさ実現のために最も力を注ぐべき省庁がこの視野狭窄の体たらくなのです。

(4)の各指標についてですが、2の「財政赤字を3%以下に抑える」というのは、別に何の根拠もなく、ずっと以前から決まっていて、EUの基準を模倣しただけのものです。

ちなみに財政収支とPB(基礎的財政収支)の違いについて。
財政収支とは、国の歳入と歳出の差のことで、歳入には、ふつう、税収およびその他の収入に加えて、国債発行収入が含まれます。また歳出には、政策支出のほかに、国債の償還費(元本+利子)が含まれます。
PBとは、歳入から国債発行収入を除いた額と、歳出から国債の償還費を除いた額との差を表します。後者が前者を上回る場合、PB赤字と呼ばれます。
しかし赤字であっても、さらに国債の発行によって赤字が増えたとしても、何ら財政破綻の危機などは意味しません
それなのに、財務省は、これを黒字化することが「財政健全化」だと思い込み、この路線達成に教条的に固執しているのです。

また毎日新聞の24日の記事によれば、
https://mainichi.jp/articles/20180525/k00/00m/020/153000c
「PB以外の2指標は、厳しい歳出改革をしなくても自然に達成できる見通しだ」とのことですから、制約指標が三つもある事実に対して、積極財政派に対する攻勢が厳しくなったとうろたえる必要はありません。
むしろ二つが自然に達成できるなら、デフレ脱却のために、大規模な財政出動を訴えていく余地が大いにできたと考えるべきです。

問題は、PB黒字化目標が残ってしまったという一点なのです。
前出の毎日の記事も、財務省緊縮路線の広報係よろしく、先の文言の後に、「このため財務省内から『歳出を増やしても構わないという誤ったメッセージになりかねない』(幹部)との懸念が出ている」と、わざわざ付け足しています。
御用メディアは困ったものです。

私たちが目指すべき標的ははっきりしています。
消費増税とPB黒字化に象徴される財務省の緊縮路線をいかに潰すかです。

付け加えますが、筆者が、安倍首相と財務省の間には、デフレ対策をめぐって「暗闘」があると書いてきたことに対し、ある媒体で、「どこにそんなものがあるのか証拠を示せ」といった意味のコメントがありました。
証拠は、すでに二つ示しています。

①安倍首相が消費増税を二度延期したこと。
②昨年の「骨太の方針」に政府債務の対GDP比という正しい財政健全化の指標を入れたこと。
https://38news.jp/politics/11893

PB黒字化目標に対抗してこの指標を入れた意味は次の通り。
PBでは、単なる収支上の数字を黒にするために、歳出の削減に走るか、税収を増やそうとして増税を強行するしか手がありません。
しかもこの手法は現に裏目に出ているのです。
じっさい、財務省はそれをやってきました。
しかし債務残高の対GDP比ならば、財政出動によって景気を刺激し、その結果、GDPが増えれば分母が大きくなるので、債務残高がそのままでも、財政健全化が実現するのです。
もっとも日本の財政が不健全だという認識自体、財務省が流し続けたデマに他ならないのですが。
財政不健全を言うなら、デフレ脱却のために必要十分な財政出動がなされないことこそが、まさしく不健全財政というべきです。

さらに今回の方針原案では(3)PB黒字化達成を25年度まで先送りすることと、(5)財政抑制策は盛り込まないことが明記されました。
これは経済財政諮問会議における安倍首相の強い意向がなかったら、いったい誰が実現させたのでしょうか? これも財務省VS首相官邸の「暗闘」の事実を示していると言って差し支えないと思います。

何度でも断ります。
以上の指摘は、安倍政権の経済政策全般のひどさを免罪するものではありませんし、その責任者である安倍首相を擁護するものでもありません。

ただ言っておきたいのは、次のことです。
何でもかんでも財務省と安倍首相とを同一視し、政権内部の複雑な力関係を見ないようにするのは冷静さを欠いた感情的な反応です。
それは、反安倍をひたすら叫ぶ左翼や、個々の政策の良しあしも検討せずに安倍政権をとにかく支持するといった、心情保守派の態度と変わりません。
お互い、事の核心を見誤らないようにしましょう。

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「ポピュリズムの再評価」(仮)の座談会に
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98%の絶望と2%の希望(その2)

2017年11月21日 20時51分31秒 | 経済


クリストファー・シムズ教授


古い話になって申し訳ありません。
今年(2017年)2月、米プリンストン大学教授のクリストファー・シムズ教授が来日して講演会が催されました。
教授は、2011年にノーベル経済学賞を受賞しています。
シムズ教授といえば、浜田宏一エール大学名誉教授が、2016年11月に、「シムズ教授の考え方に衝撃を受けた。金融緩和だけでデフレ脱却できるはずと主張していた自分は間違っていた」と発言したことで、日本でも一部で有名になりました。
おそらく彼の来日には、浜田氏の関与があったのでしょう。

浜田氏といえば、リフレ派の重鎮として、2013年初頭のアベノミクス始動時に、安倍首相に金融政策の基本方針を示唆した人です。
これがきっかけで、黒田日銀総裁の大胆な量的緩和(黒田バズーカ)が始まりました。
この時、安倍首相が浜田氏に「これでいいんですね」と念を押し、浜田氏が「それでいいんです」ときっぱり答えました。
筆者は、いまでもそのやりとりを鮮明に覚えています。

ところで、浜田氏の「反省」の話を今回筆者が蒸し返したのは、たまたまフェイスブックを通して、当時の「文春オンライン」の記事に接し、何というひどい書き方をする記者だと感じ、無性に腹が立ったからです。
ちなみにこの記事のソースは、「週刊文春」2017年2月16日号、記者は川嵜次朗となっています。

筆者がこの記事について言いたいことは二つあります。
一つは遅ればせながら浜田氏向け。
もう一つはこの「川嵜次朗」なる記者およびこういう超バカ記事を載せる文藝春秋の見識に対してです。

まず前者から。
シムズ氏の発言に触れて衝撃を受けたとの浜田氏の発言には、筆者も逆の意味で衝撃を受けました。
経済学の重鎮が、金融緩和だけで財政出動が伴わなければデフレ脱却できないという事実を、あたかもシムズ教授の説によって、今初めて知ったかのように語っていたからです。
財務省の緊縮路線の誤り、リフレ理論の失敗、財政政策の不実行など、デフレ脱却できない原因のすべてについて、30分もあれば、経済学の素人である筆者でさえ説明できます。
それなのに経済学専門のこの先生は、何を今さらアメリカの教授から教わって「衝撃を受けた」などとうぶなことを言っているのか、と思ったわけです。
アベノミクスは、もともと金融緩和(第一の矢)と財政出動(第二の矢)とを車の両輪のように同時並行させて初めて市場の活性化につながるという考えだったはず。
それはデフレ脱却にとって正しい路線でした(第三の矢の規制緩和路線は誤りですが)。
一方の車輪だけで車が走れると思うのがどうかしています。
現に量的金融緩和を四年半も続けてゼロ金利にまで至ったのに、投資はさっぱり伸びず、企業は四百兆円を超える内部留保を抱え、実質賃金は下げどまりのまま。
したがって消費も回復していません。

老ハマコー先生よ、誤りを認めたあなたの誠実さには改めて敬意を払います
それにしても、そのあまりのナイーブさに、ああ、学者先生はこれだから困ると、溜息が出ました。
昔、何十年にわたって英文学を研究してきた老教授が、アメリカの空港に初めて降り立った時、「相手の英語がわからないだけでなく、自分の英語も通じないのに愕然とした」そうです。
なんか日本の文系学者ってその現実感覚のなさの点で共通していませんか(すべてがと言っては、立派な方もたくさんいらっしゃるので、失礼ですが)。

経済学に限らず、学者が理論的探究に深くエネルギーを注ぐのはたいへんけっこうなことです。
しかしその結果、ある理論の信仰者になってしまって、自分の信仰に固執するようになると、現実との乖離が明らかになった時に、現実のほうを認めないという事態がしばしば起こります。
これが困るのは、「権威のある人のおっしゃることだから」という理由だけで国民がその誤謬を信じ込まされてしまうことです。

長い目で見てさらに困るのは、次の点です。
学者先生の誤謬がだれの目にも明らかになっても、なお形骸化した権威だけが残っている時、学界と俗界との連携が途絶えてしまい、だれも学問のほんとうの価値を信用しなくなってしまいます。
つまり「知」一般に対する頽廃とニヒリズムが蔓延するのです。
これは今の日本で現に起きていると筆者は思います。

さて、二番目ですが、これはいま最後に言ったこととかかわっています。
問題のネット記事には、こんなふうに書かれています。

「今や財務省も日本銀行も幹部陣は口を開けばシムズ理論。財政支出を増やせば物価も上がるという2000年代初めに流行った古い理論ですが、まさか浜田氏が今の日本に当てはめる気ではないかと警戒を強めています」(経済部記者)
(中略)
講演後の討論会には、浜田氏も登壇した。日本の経済学者らが「財政拡大しても物価は上がらない」「むしろ不安が増幅する」と口々に疑問視するなか、ただひとり浜田氏が「これは活用できる」と主張。ただし「論拠もなくボソボソと話すので、会場は白け気味でした」(参加者)。
財務省幹部が語る。
「安倍政権はアベノミクス第二の矢としてすでに財政を吹かし、消費増税を2度も延期しながら、低成長の経済を変えられない。よもや総理が耳を貸すとも思えないが、財政再建を放棄すれば国民がアホみたいにお金を使うという暴論が注目される世の中が恐ろしい」
シムズ理論を「目からウロコが落ちた」と語る浜田教授。その学びに付き合わされる国民はたまったものではない。

いかがですか。
この文章は、浜田氏を意図的に貶めようとしている点できわめて卑劣です。
その汚い手口を列挙してみましょう。
まず、軽薄そのもののような「経済部記者」の発言(誰のことかね。しかも「財務省もシムズ、シムズ」と言ってるんだってさ。ウソつけ!)。
次に、財政拡大を口々に疑問視するという「日本の経済学者」の発言(誰のことかね)。
さらに、「会場は白け気味でした」という参加者の発言。
これらによって外堀を埋めつくす。
続いて、ご高齢の浜田氏の討論会での発言を「論拠もなくボソボソと話す」という単なる印象批評で一蹴する。
追い討ちをかけるように、財政拡大を主張しているのが浜田氏「ただひとり」であると決めつける。
ダメ押しに「財務省幹部」(誰のことかね)のデタラメ発言を引用する(記者の歪曲があるでしょうが、とりあえずそのまま受け取ります)。
言うまでもなく、「財務省幹部」発言は、第二の矢を多少とも吹かしたのは初年度一回きりという点で間違っています。
「低成長の経済を変えられない」のは、夫子自身が、PB黒字化という誤った財政再建理論を閣僚や政治家や国民に押しつけているからです。
また、誰も「財政再建を放棄すれば国民がアホみたいにお金を使うという暴論」など唱えておりません。
そして最後に、「シムズ理論を『目からウロコが落ちた』と語る浜田教授。その学びに付き合わされる国民はたまったものではない」と断定する。

週刊文春の川嵜記者とやら、国民は、どう「たまったものではない」のかちゃんと説明してもらえますか。
でも、まずその前に、少しは経済のケの字くらいは見直してから、顔を洗って出直して来いと言いたい。
付和雷同、老人いじめ、無知への居直り、傲慢不遜、これらの精神構造は、そこらの悪ガキとまったく変わりません。

文藝春秋の入社試験に受かっているなら、まあ一応はインテリだと思うのですが、経済のことなど何もわかっていないでデタラメを吹きまくる、こういう痴呆記者を文藝春秋は正社員として雇うのですね。
ちなみに文藝春秋と財務省との結びつきというのは、筆者は寡聞にして知りませんが、そういう裏の事実があるなら、後学のためにどなたか教えていただけませんか。
それにしても、この堕落ぶりに、泉下ではさぞ菊池寛先生が泣いておられることでしょう。

しかし、まあこれがいまの一般国民の水準だと思ったほうがよろしい。
だからこそこの痴呆記者も、自分では何もわかっていないくせに、世間の大勢に安んじて便乗できるのでしょう。
道は遠いと言わなくてはなりません。

絶望ばかり書いてきたのですが、2%の希望について触れましょう。

日本のマクロ経済の進むべき方向について、ウソばかり書いているあの日本経済新聞に、「カトー」というペンネームの記者がいます。
この人は、財務省御用新聞、規制緩和万歳新聞の日経の記者としては珍しく正論を吐くので、近頃私たちの間で評判になりつつあります。
以下は、2017年10月30日付コラム「大機 小機」の一部です。

アベノミクスのもと、基礎的財政収支の国内総生産(GDP)比率、総債務残高のGDPなど財政指標は改善している。それでもいまだに日本の財政危機を懸念する声が絶えない。
 しかし、そもそも日本や米国など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。財政破綻論者は日本のデフォルトとしてどのような事態を想定しているのか、明示すべきだ。
 (中略)例えば、財政破綻論者は以下の要素をどのように評価しているのか。
 日本は世界有数の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界第2位である。その結果、国債は現在94%が国内で極めて低金利で安定的に消化されている。近年自国通貨建て国債がデフォルトした新興国とは異なり、日本は変動相場制の下で、強固な対外バランスもあり、国内金融政策の自由度ははるかに大きい。さらにハイパーインフレの懸念はゼロに等しい――。
 実は、以上の文章の大半は私の書いたものではない。財務省が2002年5月に外国格付け会社宛てに提出した「外国格付け会社宛て意見書要旨」の一部を、多少現状に合わせて数字を変え、ほぼそのまま利用したものだ。(中略)
 執筆者は、当時の財務官、現日銀総裁黒田東彦氏と言われている。確かにマクロ経済学についての理解と歴史の知識に裏打ちされた文章は黒田氏らしい。
 この文章は公開されているから、一部ではよく知られている。ただ、不思議なことに、一般にはあまり知られていない。極めて残念なことだ。
 (中略)
 財政当局である財務省が、対外向けに日本には財政破綻は起こりえないと言っている。日本の財政破綻論者は、まず財務省に説明を求めるべきだろう。


これが「カトー」氏のコラムです。中略部分では、日本政府の総資産が700兆円を超えていることや、日銀が量的緩和によって430兆円の国債を保有していることなどもしっかり指摘されています。
債務残高ばかり1000兆円、1000兆円と騒ぎ立てる財務省は、資産残高については一度も触れたことがありません(つまり政府の財布状態についての正しい情報を発信しません)。
また、日銀保有の国債がそのまま債務の返済額として相殺される事実についても、けっして触れようとしません。
それはすべて、PB黒字化、財政不出動、公共投資削減、消費増税などを正当化するためです。
頭の狂った官僚によって、この国は亡国への道をまっしぐらに歩んでいるのです

ざっくり言えば、上記の数字を単純計算するだけで、日本の財政は、差し引き100兆円の黒字となるわけです。
日本に財政問題などは存在しない
このことを正確に見抜いている記者があの日経にひとりでもいる――これが2%の希望というわけです。「カトー」さん、財務省の圧力や日経中枢部に押し潰されないよう、どうかがんばってください。

ただ希望が2%あるからと言って、残りの98%の絶望がなくなるわけではありません。
筆者は、不覚にも、財務省自身が外国向けにこういうことを書いていて、しかもホームページで誰でも読めるとは、知りませんでした。
でもこれって「2002年」とありますから、15年前なんですよね。
黒田東彦氏だから書けたのかもしれない。
彼が抜けてからの財務省の国民だましこそが問題です。
いまの財務省は、財政破綻論者に対してだけでなく、国民の前で、この恐るべき矛盾について、はっきり説明責任を果たすべきでしょう。


98%の絶望と2%の希望(その1)

2017年11月07日 17時58分47秒 | 経済



総選挙終了後、主としてフェイスブックで得た情報を手掛かりにして、今後の日本経済のお先真っ暗な情勢について書いてみます。
お先真っ暗にしているのは、もちろんすべて財務省

このテーマはもう聞き飽きているかもしれませんが、次の二つの理由から、やはり書くことにします。
①国民のマインドコントロールを少しでも解くためには、何回でも繰り返し伝える必要があること。
②二重の意味でひどい記事に接したので、その書き手のレベルのあまりの低さに腹が立ったこと(こちらは次号)。

第一に、2019年10月に予定されているという消費税の10%への値上げについて。

すでに安倍政権は選挙期間中から、増税を前提とした使い道の議論で国民を煙に巻いていました。
増税で見込まれる五兆円の増額分の一部を負債の返済にあてず、教育資金に回すというのです。
しかもそれでは3600億円足りないから、それを企業の社会保険料から徴収するとか。

突っ込みどころ満載ですね。
まず増税の理由がPB黒字化という根本的に誤った「財政再建」方針にあること。
これは、すでに三橋貴明さんや藤井聡さんによってさんざん説かれてきましたので、ここでは省きます。
次に、そもそも消費増税は、今後予想される社会保障費などの増大に充てるという名目で合意がなされていたはずです。
それがいつの間にか、政府の負債返済に充てると、すり替わってしまいました。
ありもしない財政問題の解決のために。
次に、税率2%の増加で五兆円の税収増という試算の根拠は何なのか。
増税によってさらに消費が大きな打撃を受けることが予想されます。
日本のGDPの6割は個人消費ですから、GDPが大幅に増えない限り、こんな増収は見込めないはずです。
GDPの増加が見込めないなら、負債対GDP比という正しい意味での「財政再建」も望めないわけです。
こういう机上の空論から得た数字で国民をだまそうとする手口は、2017年4月に10%への増税を予定していた時の、軽減税率論議と同じです。
なぜなら、初めに増税ありきで論議しているからです。
しかし、筆者は寡聞にして、今回、この算定根拠について疑問を呈する記事に出会ったことがありませんでした。
さらに、不足分を企業の社会保険料から徴収するというのは、実質的な増税ですから、制度破壊であると同時に、一般国民にしわ寄せが行きます。
いったい何のための社会福祉政策なのか。

●第二に、財務省が提出した診療報酬、介護報酬の減額案について
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13198453.html?rm=150

この案をまとめると次のようになります。

①社会保障費の自然増6300億円を5000億円に抑える。
②診療報酬を2%台半ば以上減額する。
③薬価だけでなく、医師らの人件費も減らす。
④75歳以上の患者の窓口負担を1割から2割に引き上げる。
⑤今年度の介護報酬1.14%プラス改定を、元に戻す。

これらの提案の理由ですが、医療報酬については、デフレ期にもかかわらず、他産業に比べ、本体部分(人件費など)が高止まりしているから、また、介護報酬については、全体の利益率が中小企業の平均より高く、おおむね良好な経営状況だから、だそうです。
この理由はデタラメです
医療業界は深刻な医師不足に悩まされ(特に地方)、救急医療システムは壊滅の危機に瀕しています。
介護業界の仕事のきつさは格別です。
きつさと低収入のために資格や技能を持ちながら離職していく人が跡を絶ちません。
命をあずかる大切な仕事が普通より高収入を得ても当然なのに、国税庁が発表した2015年の業種別平均年収ランキングによれば、全14業種のうち、医療・福祉関係は第10位で、388万円という低所得です。
https://dc-startclub.com/asset/967/3

だいたい、何よりも政府が責任をもってデフレ脱却を果たさなければならないこの時期に、「デフレ期にもかかわらず、他の産業に比べて」とは何事か。
一方では景気は回復しつつある(あるいは、すでに回復した)などと駄法螺を吹きまくっているくせに、利用したい時には「デフレ」を利用する。
自分でデフレを認めているわけですね
このリクツは、みんな一緒に貧乏になるべきだと言っているに等しいではありませんか。
要するに財務省は、国民生活のことなどこれっぽっちも考えていず、とにかく家計と同じように、財源がない、財源がないと、ドケチな数字いじりばかりやっているのです。
臆病な精神が代々染みついているために、パイが限られているという観念に縛られていて、国民から搾り取る以外には、自ら出動してパイを積極的に大きくしていこうという気がみじんもないのです。
ここには積極財政のセの字もありません。
これで、国民経済の運命をあずかる政府の中枢機構と言えるのでしょうか

これについては、10月5日付のフェイスブックで、藤井聡さんが、次のように言及しています。

政府は今、デフレ脱却のために「賃上げ」するように激しく財界に働きかけ続けています。
・・・が、それとは逆の「賃下げ」を、介護、医療で働く人たちに対して進めようとしています。
これって、政府が民間企業に「俺が払う分は、オカネがもったいないから賃金下げるけど、俺のサイフとはカンケーないおまえ達は賃金あげろよ!」」と言っているように聞こえるのは、私だけでしょうか・・・・?
これでは永遠にデフレ脱却なんてできませんね。


この藤井さんの表現はすごくわかりやすいですね。
安倍首相は、以前にも経団連などに賃上げを「お願い」したことがあって、自分のやるべきことをやらないで、何やってんだ、と思ったものです。
筆者は腐っても「小さな政府」論者ではありませんが、資本主義を認めるかぎり、「市場の自由」の原則は守られるべきだと思っています。
政府が勝手に緊縮財政を進めた結果、デフレを長引かせているのに、もしその責任をなにも自覚せずに、市場に何かを要求するとすれば、それは、根本的なルール違反と言ってよい。
自分で出した汚物を、これはお前が出したんだからお前が片づけろよと言っているのと同じです。
いくら財界が「はあ、検討してみましょう」と答えても、実際には「こっちにはこっちの都合があらあな」で終わりです。
資本主義の当たり前の理屈が今の政権はわかっていない。
おろかな政府を持った私たち国民は、「ああ、悲しいかな」としか言いようがありません。

日経のウソ記事にだまされるな

2017年08月15日 20時50分36秒 | 経済
        





8月14日の日本経済新聞ネット記事で、「雇用改善で内需拡大 4~6月実質GDP4.0%増」という見出しが躍りました。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H0F_U7A810C1EAF000/?n_cid=NMAIL001
ほんとかね、と思って記事を読んでみると、やはり肝心のところを見ていない浮かれ記事です。
まず、名目GDP成長率については何も書かれていません(新聞記事には1.1%との記載がありますが、なぜかネット記事では省かれています)。
御存じのとおり、実質GDP成長率は直接積算できず、名目成長率と物価上昇率との関係で決まる概念上の数字ですから、名目成長率が上がらなくても、物価が下落すればそれだけで上昇します。
案の定、物価の変動を示すGDPデフレータは、前年同期比で、0.4%のマイナスになっています。
日経記事には、両者がまったく関連付けられていません。
またこの記事では、景気回復を印象づけるために、消費や投資の伸びを示すさまざまな兆候を挙げていますが、どれも根拠に乏しく、内需拡大を結論づけるには大いに疑問が残ります。
これらについてはすでに三橋貴明氏や藤井聡氏が指摘されています。
三橋氏は、実質賃金、実質消費、GDPデフレータと、三つの指標が全てマイナスになっている以上、再デフレ化と判断せざるを得ない、と。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/day-20170815.html
また藤井氏は、近年の企業の好成績は外需の伸び(つまり輸出)に依存するもので、確実な内需拡大を示してはいず、国際情勢の変化でどうにでもなるたいへん不安定なものである、と。
https://mail.google.com/mail/u/0/#inbox/15de44eef3fcc5c4

一番の問題は、「経済専門紙」を標榜する日本経済新聞のようなマスコミが、日本はすでにデフレから脱却したという、このような超楽観記事を載せることで、国民がそう思い込んでしまうことです。
そうすると、手ぐすねを引いて構えている財務省を中心とする緊縮財政派が勢いづき、財政出動不要論や消費増税の正当化に向かってそれっとばかりに走り出します。これをやられると、日本経済は再生不能です。

日本経済新聞が景気判断についてデタラメを垂れ流すことは今に始まったことではありません。
ここでは、上記記事の詳しい批判は三橋、藤井両氏にお任せするとして、この新聞が、経済に明るくない普通の読者をたぶらかす悪しき体質を、もともと骨がらみで抱えていることについて、別の面から指摘しておきましょう。

筆者はこのブログで、「日本人よ、外国人観光客誘致などに浮かれるな」と題して、2016年の「旅行収支」が1.3兆円の黒字を記録したことなどにそんなに大げさに騒ぐなという趣旨の一文を寄せました。
https://38news.jp/economy/10870
ところが、その矢先、日経新聞が見事にこの大騒ぎをやってくれたのです(8月13日付)
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO19940990S7A810C1EA3000/?n_cid=NMAIL003

  訪日消費、主役は欧州客 「爆買い」より体験
 訪日外国人の消費が新しいステージに入ってきた。これまで日本でお金を使う外国人といえば中国人が中心だったが、英国など欧州勢も1人あたりの消費額を伸ばし、存在感を高め始めた。地方での訪日消費も息長く続き、いずれ地方経済のけん引役は公共投資から観光消費にかわるとの期待も出ている。(中略) 観光庁によると、4~6月期の1人あたり旅行消費額は、首位の英国が25万円、2位のイタリアが23万円。近年トップだった中国は22万円で3位。フランスやスペインも20万~21万円台で肉薄する。消費の主役はいまや欧州勢だ。 1~6月期の訪日客消費額は2兆456億円で過去最高。みずほ総合研究所は下期もこの勢いを保つなら、年間の付加価値誘発額は4兆円になると試算。名目国内総生産(GDP)で0.8%の上昇が期待できる。
(以下略)

突っ込みどころ満載ですが、三つにまとめておきます。

①一人当たり消費額が、中国人より英国客のほうが少しばかり多くなっても、絶対人数では中国人が20倍以上。そのことは記事の後略部に書かれているのに、それに対するネガティブな評価は一切書かれていません。
しかも、筆者が前記事で述べたように、観光客は、「外国人訪問客」の6割どまりで、残りはビジネスその他なのです。
日経記事は、「1人あたり旅行消費額は、首位の英国が25万円、2位のイタリアが23万円。近年トップだった中国は22万円で3位」と、グラフまで掲げて麗麗しく書いていますが、英国とイタリアの訪日人数の合計は、中国一国のわずか6%にすぎません。これでどうして「主役は欧州客」なのでしょうか。印象操作もほどほどにしてほしい。
http://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_tourists.pdf

②訪日外国人が増えても、GDPにカウントされるのは「旅行収支」なので、そのぶん日本人の海外渡航での出費が増えれば、GDPは増えません。
記事中に、「年間の付加価値誘発額は4兆円になると試算。名目国内総生産(GDP)で0.8%の上昇が期待できる。」とありますが、この数字は、たとえ予測通りとしても、日本人が海外で消費する金額が差し引かれていないので、明確に誤りです。
海外取引額としてGDPにカウントされるのは「純輸出」、つまり輸出額-輸入額ですが、旅行収支もこの中に含まれます。
結局、0.8%という見込み数字は、「輸出分」だけを計算しているのです。

③ちなみに「旅行収支」のGDP寄与額1.3兆円は、2016年で、わずか0.26%です。
これで、「いずれ地方経済のけん引役は公共投資から観光消費にかわるとの期待も出ている」とは、お臍が茶を沸かします。

地方財政は、わずかな例外を除いて、いまどこも逼迫しています。
ことに、度重なる災害が起きた地域では、対策費捻出に血のにじむ思いをしています。
中央政府は財務省の「緊縮真理教」のために、ろくな財政出動も行わず、公共投資を減らし続けています。地方交付金をケチってきたために、老朽化した橋やトンネルを修繕できずに潰してしまうところも出ています。
橋やトンネルを潰すということは、そこを通過する道を丸ごとなくしてしまうということでもありますよね。
災害大国日本のインフラ整備は、こんな情けないありさまなのです。

これでは、百歩譲って「観光大国」なる目標を景気回復の選択肢の一つとして認めるとしても、そのために不可欠な基盤整備や観光資源の維持・開発もままならないでしょう。

そういう現実をきちんと指摘して、政府に喫緊の課題として突きつけるのがマスコミの役割であるはずなのに、なんと日経は、「政府は20年に訪日客消費を現状2倍の8兆円の目標を掲げる。」などと、もともと何の根拠もない謳い文句を嬉々として掲げ、政府の宣伝係を自ら買って出ているわけです。

日経のこの記事には、悪政のお先棒担ぎをやっているさまがありありと出ています。いまの日本のマスコミの劣化状態を象徴していると言ってよいでしょう。恥を知れと言いたい。


日本よ、外国人観光客誘致などに浮かれるな

2017年08月01日 22時09分07秒 | 経済
        





2020年東京五輪を控え、外国人観光客をもっともっと迎えようではないかという機運が高まっています。
実際、ここのところ訪日外国人数はうなぎ上りに増えています。
2014年と2016年とを比較すると、わずか2年間で、1340万人から2400万人、倍率にして1.8倍という目覚ましさです。
http://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_tourists.pdf

また先ごろ、2016年の「旅行収支」が1.3兆円の黒字を記録したことがマスコミによって報じられ、一般国民を喜ばせています。
なかには、日本はこれから観光立国を目指すべきだなどという、いささかおっちょこちょいなことを言いだす人も出てくる始末です。

たしかに、多くの外国人が(移民としてでなく)観光のために日本を訪れ、「おもてなし文化」のような日本のよいところを知ってもらうのは悪いことではありません。
また、外国人がたくさんお金を落として行けば、観光資源の豊富な地域は儲かるでしょうし、新たに外国人誘致のための観光開発に力を入れることで、経済波及効果が望めるかもしれません。

しかし、です。

こういう議論が、果たしてどれだけこれからの日本経済全体や日本文化全体に資するものかどうかは、もっと慎重に考えてみなくてはなりません。

まず、訪日外国人といっても、すべてが観光目的で日本に来るわけではありません。
観光目的は、全体の約6割にとどまります。残りはビジネスその他なのです。
https://www.mlit.go.jp/common/001084273.pdf#search=%27%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%8F%8E%E5%85%A5+%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E6%8E%A8%E7%A7%BB%27
ビジネスでは、利にさとい中国商人などが、巧みに利益をかっさらっていかないとも限りません。

次に、外国人の内訳ですが、韓国、中国、台湾、香港の4地域で、全体の73%を占めます。
欧米加豪の合計はわずか14%にすぎません。
しかも、2014年当時、前者は、67%、後者は18%でした。
http://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_tourists.pdf

つまり、増えているのは、東アジアからの訪問者であって、ヨーロッパや英米圏から日本を訪問する人たちの割合は、むしろ減っているのです(絶対数は増えていますが)。
数字を大きく押し上げているのは、近隣諸国だということがこれでわかります。

私たちは、外国人と聞くと、何となく西洋人を思い浮かべてしまう習慣から抜けきっていないのではないでしょうか。
そうして、そういうお客さんがたくさん来てくれることはウェルカムだ、とどこかで感じていないでしょうか。
そこには、近代以降の西洋コンプレックスが微妙に左右していると思いますが、それはともかくとしても、韓国や中国がいまの日本にとって、たいへん不安定で剣呑な関係にあるということを忘れないほうがいいと思います。

筆者は別に、この両国の国民一人一人に対して嫌悪感情や差別感情を抱いているわけではありません。それは、筆者の勤務する大学での留学生に対する対応の仕方を見ていただければわかると思います。

しかし、実際に長野オリンピックの際に来日した中国人は、ああいう乱暴な振る舞いに及んだわけですし、最近は少しおとなしくなったものの、訪日中国人観光客のマナーの悪さは有名です。
さらに中共独裁政権には、国防動員法という法律があって、国外に滞在している中国人はすべて有事の際に政権の命令に従わなくてはならないことになっています。
違反すれば厳罰でしょうから、彼らは「便衣兵」としてゲリラ戦を展開する可能性が大きい。

また慰安婦問題に限らず、韓国の反日感情は尋常ではなく、サッカー大会やフィギュアスケート大会などにおけるヒステリックな反応、仏像の窃盗、靖国神社の放火、落書きなど、数々の狼藉ぶりは私たちの記憶に新しいところです。
日本なら確実に犯罪行為とみなされることも、本国ではとがめられるどころか、「もっとやれ」と言わんばかりの調子です。

こういう人たちが「訪日外国人」としてうなぎ上りに増えているからといって、外国人観光客が増えることはいいことだなどと単純に言えるでしょうか。

訪日外国人が増えることを素直に喜べない理由のもう一つ。
じゃんじゃん高級ホテルの建設でも進むなら話は別ですが、実際には、サービスの悪い民泊の増加による料金低下競争が起きています。老舗旅館などが経営難で閉鎖されていきます。
デフレ不況期にこういうことが起きると、移民による賃金低下競争と同じで、日本の経済全体に悪影響を及ぼすのです。

さらに、次の点が重要です。

「旅行収支」が1.3兆円の黒字と聞くと、それだけで日本経済の復活に貢献するかのように思ってしまいます。
観光のにぎわいというのは目立ちますし、外国からたくさんの人がやってきて日本の土地を踏んでくれることは、日本が国際的に認知されて何となく繁栄につながるかのようなお祭り気分に国民を誘います。

しかし、「旅行収支」とは何でしょうか。
要するに、旅行によって外国人が日本に落とすお金(収入)と、日本人が外国に落とすお金(支出)との単なるバランスを示す数字です。日本人がお金がなくて海外旅行にあまり行かなくなれば、それだけで黒字幅は増えます。
知っておくべきなのは、旅行収支は、GDPに算入されないという事実です。
旅行収支は経常収支のうちのサービス収支の一種ですが、経常収支でGDPに算入されるのは、純輸出(輸出額-輸入額)だけです。
GDPは、次の恒等式によって算出されます。

Y(GDP)=C(消費)+I(投資)+G(政府支出)+NX(純輸出)

ここで、言うまでもなく、消費や投資や政府支出とは、国内における日本国民による支出(=他の「日本国民」にとっての所得)を指しています。
つまり、外国人がいくら日本にお金を落としても、それだけでは、GDPの増加にはつながらないのです。必ずしも内需(国内生産)が増えるわけではありませんからね。
一方で国内需要にもとづく財やサービスの生産が大きく落ち込んでいれば(いるのですが)、何にもなりません。

ところで、旅行収支1.3兆円の黒字というマスコミの報道ですが、これって、GDPのわずか0.26%にすぎませんよね。
GDPに算入されないうえに、この程度の黒字幅をもって、何か日本の経済が好転しているかのような幻想を振りまくマスコミの罪はたいへん重い
こうした報道は、政府が本来やるべきことをやらない口実として利用され、不作為の事実を隠蔽する効果を生むだけなのです。

日本は、「観光立国」などという、できもしない浮かれ騒ぎにうつつを抜かすのではなく、一刻も早くPB黒字化目標を破棄し、政府債務の対GDP比という正しい「財政健全化」概念を採用すべきです。
そのうえで、分母であるGDPを拡大させるために、政府支出を惜しまず、大胆な公共投資に打って出るのでなくてはなりません。




もうすぐ「いざなぎ景気」だとよ!

2017年06月20日 00時55分05秒 | 経済

        





驚くべきことがあるものです。
6月15日、内閣府が、景気の拡大や後退を判断する景気動向指数研究会なるものを、約2年ぶりに開きました。
座長はあの悪名高き吉川洋東大名誉教授です。

その報告によりますと、安倍政権が発足した2012年12月から今年4月までの景気拡大期間が53カ月で、バブル景気の51か月を抜き、このまま9月まで続けば昭和40年代の「いざなぎ景気」を抜いて、戦後2番目の好景気となるそうです! (産経新聞6月16日付)

なかでもビックリなのは、この研究会の記者会見で、消費増税を行った2014年でも景気が後退しなかったと発表していることです。

このいけしゃあしゃあぶりは、かの「大本営発表」も真っ青です。

また、最近の人手不足を反映した有効求人倍率の伸びを、アベノミクスの成果だと嘯いてもいます。
言うまでもなく最近の人手不足の最大の理由は、少子高齢化による生産年齢人口の急激な減少にあります。別に政府が有効な雇用対策を打ったからでも何でもありません。

景気動向指数というのは、多くの領域から多くの経済指標を集めてきてややこしい計算式を用い、先行指数、一致指数、遅行指数の三つに分けて景気一般を判断するためのものです。
しかし内閣府の説明を読んでも、どの項目を重点的に選択し、それらのうちどれを加重的に計算するのか、その中身がよくわかりません。

こういう複雑怪奇な手法を用いて景気動向を占うと、「失われた二十年」が、なんと「いざなぎ景気」に匹敵するような好景気に変身するのだそうです。
開いた口が塞がらないとはこのことです。悪い冗談はやめてほしい。

こんな指標を使わなければ御用学者先生方は、「景気判断」を下せないのか。それも実態と真逆な判断を。
筆者には、景気が好転しているように見せかけるために、その中身の部分をわざと隠しているとしか思えません。
それはそうでしょうね。かれらにとって2019年に予定された10%への消費増税は、至上命題なのでしょうから。そのためならどんな理屈もつけようという固い覚悟を決めているらしい

安倍政権になってからも続いている(さらに悪化している)デフレ不況は、もっと単純な指標を見るだけで明らかです。

第一に実質賃金の推移
以下をごらんください。1997年あたりをピークにどの算定による給与も一貫して下がり続けていることが一目瞭然です。
http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0401.html

 (出典:労働政策研究・研修機構)

第二に、先ごろ発表された、2017年1~3月期のGDP成長率が上昇したというフェイク・ニュース
これはすでに三橋貴明氏や藤井聡氏によってそのからくりが暴かれていますが、念のためもう一度。

上昇したのは、「実質成長率」であり、それも前期比でわずか0.5%です。しかも実質成長率は、実際には積算できず、「名目成長率マイナス物価上昇率」という式から形式的に導かれるだけです。
さて名目成長率は、じつは前期比で▲0.03%でした。ところが物価上昇率のほうがそれよりはるかにマイナス度が大きく▲0.6%だったのです。そのため計算上、実質成長率がプラスになったにすぎません。
物価が下がり、賃金も下がり続けているのですから、これをデフレ不況と言わずして何といえばいいのでしょうか。
逆立ちしても「好景気」判断など下せるものではありません。

第三に、GDPの約6割を占める民間最終消費支出の2015年までの推移
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H28/h28/image/b1_1_05.png


このグラフを見て、14年の消費増税によって景気が後退しなかったと考える人がいたら、その人にはいい眼科医を紹介してあげましょう。

しかし、何もこうした統計資料で確かめなくとも(それは大事なことですが)、世相をつぶさに観察していれば、景気など少しも回復していないことは明らかです。

筆者は、タクシーに乗るたびに、運転手さんに「景気はどうですか」と聞くことにしています。
ここ三、四年、これまで五十回くらいは聞いてきたと思いますが、「よくなってきてますね」と答えた人は、ただの一人もいません。
反対に、「よくないですねえ」と答える人が圧倒的に多い。なかには「アベノミクスなんてデッタラメよお!」と威勢よく応じた女性運転手さんもいました。

またこの二年の間に、鶴岡市、京田辺市、白浜町、藤枝市などの地方都市を訪れましたが、どの町も閑散としていて、目抜き通りはシャッター街でした。まことに「いざなぎ景気」とはうら寂しいものであります。

さらに、筆者の住む地区にあるデパ地下のスーパーは、隣のイトーヨーカ堂などより価格が高いので、昼間は閑散としています。ところが、閉店近くになると生鮮食料品が半額になり、客がどっと押し寄せます。特売品には長蛇の列ができます。
この光景は、筆者が子どもの頃開店した「主婦の店、ダイエー」を彷彿とさせます。みんな必死で家計をやりくりしているのですね。

吉川洋氏だけでなく、伊藤元重氏、伊藤隆敏氏、土居丈朗氏など、消費増税推進を目論む御用学者たちは、何か根本的に自らの職業的使命を間違えています。庶民の生活意識や実際の経済実態と、自分たちの主張とがいかに乖離しているかということにすら気づいていない。
いったい何のために「経済学」とやらをやってきたのでしょうか。
緊縮真理教」に骨の髄までやられている財務官僚。そしてそこにゴキブリのように群がるこの人たちを、権力中枢から追放する方法を、何とかみなさんで考えましょう。


『第2回グローバリズムとメディアの犯罪①』小浜逸郎 AJER2016.10.17(3)

2016年10月17日 16時50分28秒 | 経済
      


政治経済チャンネルChannel Ajerに、美津島明氏とともに出演しました。よろしかったらどうぞ。

『第2回グローバリズムとメディアの犯罪①』小浜逸郎 AJER2016.10.17(3)


*当動画をすべて見るためには、プレミアム会員(¥1,050/月税込)になる必要があります。以下のURLをクリックしていただけば、そのための手続きができます。
http://ajer.jp/
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消費増税問答(その3)

2016年10月07日 10時18分31秒 | 経済
      






Q9:もう少し質問させてください。
「もう(国内で)モノが売れなくなっている」という状態がありますね。これは例えば車や携帯電話や各種サービス業など、すでに大体の人が手に入れてしまい、市場が飽和して、商品としての機能充実やサービスも熟しきって新たな需要を喚起できないという状態がけっこうあるんではないかと思います。それには社会構造や人口構成の変化も関係していて、資本主義先進国のある種の行き着く先なのかな? とも思っているんですけど、
・こういうことが内需頭打ちの構造的な原因になってるという理解は正しいと思いますか?
・そしていまのデフレを助長している要因のひとつではないかという疑問についてはどう思いますか。、
この「モノの売れなさ」に対しては、財政出動は経済という面における対症療法としての一定効果と理解すべきであって、社会構造の本質的な改善となると、体制変換のような国家的大問題になると思うのですが。


A9:これは、たいへん重要な問題です。
貴兄の疑問は、半分は当たっていますが、半分は当たっていません。そうして、多くの人が貴兄のように考えているようです。
 当たっているのは、「先進資本主義国では、モノやサービスが余り過ぎて、もう需要は伸びないだろう」とみんなが思い込んでいるために、じっさいに需要が開発されなくなってしまっているという事実。つまり、経済の動向はその時々の心理が大きな決定要因となるという一般的な事実ですね。たしかに、今の日本では、大部分の人がそう思い込んでいて、そのため、実際に内需拡大の方向に経済が動かないということがあると思います。
 しかし、これは結局、「いまはデフレなんだから、デフレが続くのだ」という同義反復のペシミズムを導くだけです。
 内需を拡大しなければこのひどいデフレからの脱却は不可能だという立場からは、この思い込みを取り除く論理を立てなくてはなりません。というよりも、内需は、実際やろうと思えばいくらでも拡大できるし、その条件は、今まさにそろいつつある、というのが真実です。

 具体的にその条件を挙げましょう。

①少子高齢化による労働力不足。
 これは、建設業、介護などの福祉の分野で深刻で、他の分野でも早晩そうなっていくでしょう。つまり、これからの日本は、仕事がない状態から、仕事があるのに人材がない状態へと移っていくのです。これは、内需を拡大するまたとないチャンスですし、同時に賃金が上がっていくことにもなります。
 ちなみに、この問題を口にする時に、ほとんどの人は、政府やマスコミが流した、将来の人口減少を理由として挙げますが、これは大きな誤りです。人口減少は、100年、200年単位の長期的な予測で、そのカーブは極めて緩やかです。事実は人口減少が問題なのではなく、そんなには減らない総人口と、急速に減っている「生産年齢人口」(15歳から64歳まで)とのギャップこそが問題なのです。つまり総人口に対する働ける人の割合が減っているからこそ、人手不足が深刻になり、だからこそ、需要が拡大する余地が大いにあるわけです。
 安倍政権は、一方で、この人手不足問題の解決を、技術開発投資による生産性の向上に求めていて、これは正しい方向です。ところが他方では、外国人労働者を増加させる政策も取っています。事実上の移民政策ですね。これは前者の方向と矛盾するだけでなく、ヨーロッパの移民難民の惨状をちょっと見ただけでわかるように、けっしてとってはならない愚策です。外国から安い賃金に甘んじる労働者が大量に入ってくると、賃金低下競争が起き、国民生活がいよいよ貧しくなる方向に引っ張られます。じつは財界はそれを狙っているので、その点で安倍政権、ことに自民党は、財界の圧力に屈しています。また、移民が増えると、深刻な文化摩擦も引き起こされます。
 外国人労働者拡大(実質的移民)政策は、いわゆるアベノミクス「第三の矢」の規制緩和の一環で、ヨーロッパが取りいれてきて失敗したことを目の当たりにしていながら、それを周回遅れで見習おうとしているのです。
 ちなみにここで言う「外国人」とは、その大きな部分が中国人です。中国政府は尖閣問題だけではなく、日本や南シナ海への進出を露骨に狙っていますから、日本が移民政策などを取ると、これ幸いとばかりどんどん押し寄せてくるでしょう。安全保障の意味からもけっしてとってはならない政策です。

②超高齢社会による、医療・福祉分野での需要の拡大。
これは、あらゆる分野に波及する可能性を持っていますよね。特に介護にたずさわる人は女性が多いのに、力仕事ですから、パワードスーツなどのAI機器の開発・普及が期待できます。

③高速道路網、高速鉄道網の整備による生産性の向上と地方の活性化
これは、地図を見るとわかるのですが、計画だけはすでに何十年も前からあるのに、その整備状況はひどいものです。先進国の中で格段に遅れています。
 山陰、四国、九州東周り、北陸から大阪までの各新幹線はまだ出来ていませんし、山形新幹線も中途半端で、鶴岡や酒田や秋田にそのままでは抜けられませんね。北海道新幹線も、札幌まで延ばさなければほとんど意味がありません。同じ地方の高速道路網も、全然整っていません。
 これが整備されていないために、地方の過疎化が進み、東京一極集中がさらに進むという悪循環に陥っています。これは、単に地方が疲弊してゆくという問題だけではなく、災害大国である日本の首都で大地震が起きたら、地方に助けてもらえないということも意味します。
 なおまた、新しい交通網の整備だけではなく、すでに1964年の東京オリンピックの頃に整備された古いインフラが、日本中で劣化をきたしていて、そのメンテナンスがぜひとも必要だという事実もあります。道路、橋、歩道橋、水道管、火力発電所など。こういうことにお金をかけることがいかに大切かは、ちょっと考えれば誰でもわかるのに、多くの人の頭の中には、消費物資の飽和状態というイメージしかないのです。

④スーパーコンピューターの開発
 日本は、この分野で世界で一、二位を争っていますが、蓮舫氏の言う「どうして二位じゃいけないんですか」は、絶対にダメです。すでにスピードでは中国に追い越されていて、省エネ部門(いかにエネルギーを使わずに高性能とスピードを達成するか)でも追い越されかかっています。エクサスケール(100京)のコンピューターが完成すると、コンピューターが自らコンピューターを作り始めるので、2位以下の国はもはや自国でコンピューターが作れず、すべて、1位になった国が作るコンピューターを買わされることに甘んじなければならないそうです。

 総じて、人間の技術の発達史を見ると、需要が頭打ちになるなどということはあり得ないことがわかります。新しい技術は、これまでの困難を克服するだけでなく、新しい欲望を作り出すのです。それがいいことか悪いことかは、この際措きますが。
 なお貴兄のいわゆる「資本主義の行き着く先」という問題は、実体経済における需要の頭打ちというところに現れるのではなく、金融資本の移動の自由や株主資本主義が過度に進んだために、ごく一部の富裕層にのみ富が集まり、貧富の格差が極端に開いているところに現れています。その意味でも私たち国民生活に直接役立つ実体経済の分野に投資がなされなくてはならないのです。


Q10:最後に幼稚な疑問ですが、最近は大新聞さま以外にもいろんなニュースサイト、オピニオンサイトがあり、情報ソースの選択肢自体は多いにも関わらず、例えば経済に明るい若手の企業家などが一見クレバーなことを言うようなケースは多くても、こういったことを一般の肌感覚に照らしてわかりやすく発信するところが少数派な気がするのですが、それはなぜですか。真実をきちんと見つめる人が常に少数派だからですか?

A10:これは残念ながらその通りですね。この傾向は、情報過剰社会になって、ものをよく考える習慣を身につけていない人たちが、いっぱし意見を発信するので、ますます真贋を見分けることが難しくなっていることを示しているでしょう。高度大衆社会は、無限に多様化したオタク社会でもあって、ものごとを総合的に把握する人が相対的に少なくなっていると言えそうです。
 真実をきちんと見つめて正しいことを言うのはいつも少数派です。マルクスは、バカどもが下らない議論をしているときに、「無知が栄えたためしはない!」とテーブルを叩いたそうですが、実際には「まずは無知こそが栄える」というのが正しいでしょう。
 私もそんなに大きなことは言えませんが、これまでの自分のささやかな言論活動のなかでも、聞く耳を持たない奴らに何度言ってもわかるはずがないという残念な感慨をたびたび味わってきました。
 しかし、こと経済に関しては、貴兄以上に音痴だったのですが、少しばかり勉強するうち、きちんとものを見ている人は、たとえ少数でもいるものだということに気づきました。これまで名前を挙げた人たち、田村秀男、三橋貴明、青木泰樹ら各氏ですが、あと二人、、内閣官房参与を務めている藤井聡氏と、経産省官僚ですが独自に言論活動をしている中野剛志氏を挙げておきましょう。ともかくこういう人たちがいるかぎり、こちらも絶望ばかりはしていられないという気になってくるわけです。

(このシリーズはこれで終わります。)

消費増税問答(その2)

2016年10月03日 14時17分55秒 | 経済

      





*前回、このシリーズ、2回で終わらせると書きましたが、後半が長いので、3回とさせていただきます。今回はその2回目です。

Q4:消費増税を主張する財務省や御用学者が間違っていることはよくわかりましたが、なぜそういったことがマスコミで言われないのでしょうか? また財務省や御用学者はなぜ真実を隠してソッチに世論を誘導しようとしているのでしょうか?
まずマスコミについては、左翼的偏向などは影響なさそうだから、彼らがそうなってしまう仕組みがよくわかりません。単に不勉強というに尽きるのでしょうか? それとも何か、彼らがソッチへ行ってしまう偏りの根があるのでしょうか?
 そして財務省については、
・本当は真実を理解しているが予算拡大=権益確保のために意図的に世論誘導しているのか? あるいは他の理由もあるのか?
・増税という財務省の悲願は、その本来の意味/無意味を問うことを忘れるほど魔力のあるものなのか?
・あるいは、経済理解には常に諸説あり、現状ではソッチ派がなんらかの理由で(東大閥とか)主流になってしまう(つまり彼らとしては意図的ではなく、本当にソッチが真実だと思っている)のか?
 このへんはどうでしょう。


A4: なかなか鋭い質問です。当然起きてくる疑問で、私もこれについては相当考えてきました。貴兄の言っていることはある程度までは当たっています。これも前回紹介した拙著『デタラメが世界を動かしている』p73~74に書かれているのですが、もう少し展開してみましょう。

 まず、財務官僚ですが、彼らは何らかの悪意とか、作為とかがあってそうしているのではなく、ケチケチ病という一種の強迫神経症と、臆病という不治の病と、長年続いた公共投資アレルギーとに骨の髄まで侵されているのでしょう。単年度会計で収支バランスを取る、ということだけが彼らの習慣的な思考スタイルになってしまっていて、それを抜け出すことができなくなっているのだと思います。いわば彼らは「緊縮財政真理教」なる宗教団体と化しているとも言えましょう。
 なぜそうなるのか。
①ひとつは、彼らが悪しき意味での「秀才」だからです。この連中には、普通の国民が何に関心を持っているかという一番大事なことが視野に入っていません。「経済学」をお勉強して、密室の中でシコシコと机上の空論をもてあそんできた連中です。彼らは、与えられた課題、つまり、国家財政を均衡させるには数字をどう動かせばよいか、ということしか考えていず、そのためには、赤字国債や国債利子の支払いを減らして税収を増やさなくてはならないというテーゼに金縛りになっているのです。先に述べたとおり、税率を上げても税収は増えないのですがね。
②その「経済学」というやつですが、現在幅を利かせている「主流派経済学」は、「すべての個人は利益最大化と効率のために合理的な行動をとる」という機械的な仮定を前提として、数式を用いた理論モデルでガチガチになっています。これは、財務官僚の周りに群がる御用経済学者たちの基本的なスタイルです。そうして複雑難解な経済理論、経済法則なるものを作り上げ、理論と現実とが乖離している場合には、理論の間違いを柔軟に認めるのではなく、現実のほうが間違っているとみなすのです。
 たとえば、彼ら(新古典派経済学と呼ばれますが)の仮定によれば、市場の均衡原理が成り立っている状態では、完全雇用が成り立ち、非自発的な失業者(仕事を探しているのに仕事に就けない人)は存在しないというバカげた結論が導かれます。こういう経済学に依拠している限り、財務官僚も安んじて低所得者層の問題など頭から放逐できるわけです。
③官僚体質と昔から言われますが、彼らは、一度正しいと信じて決めたことは何が何でも通そうとします。現実の変化に応じて柔軟に対応しようという政治判断ができません。その決めたことを貫くための実務能力において、彼らは極めて「優秀」です。
 これは、今の場合で言えば、かつて田中角栄の時代やバブル時代に多少通貨が膨張してインフレになったので、「羹に懲りて膾を吹く」の体で、「決してインフレにしてはならぬ! そのためには倹約せねばならぬ!」という教科書の教えを守り抜いているわけです。そうしてひどいデフレ状況を二十年以上も支えてきました。ちなみに、江戸時代の三大改革は、いずれも倹約の美徳を説いて、産業の振興を抑制したために、経済政策としてはことごとく失敗していますね。
④このDNAは、後続世代にそのまま遺伝します。財務官僚といえども、若い世代のなかには、上司の方針はおかしいんじゃないのと疑っている人はけっこういると思いますが、部内で異を唱えると、必ず出世に差し支えます。官僚とはそういう世界です。

 次に御用学者ですが、彼らは若いころ、エール大学とかハーバード大学とかシカゴ大学とかで、いま言ったように理論経済学を叩きこまれていて、現実に生き生きと対応できるような思考の道具を持っていないのです。「真実」を知っていながら隠しているのではなくて、本当に自分たちが正しいと信じ込んでいるようです。
 つまりエリートとしてのプライドと権威主義とが、真実を見ることを妨げているのですね。だから、たとえば中小企業診断士から身を立てた筋金入りの経済評論家・三橋貴明さんなどから矛盾を突かれると、話を逸らしたり、答えないで黙ってしまったりします。消費税には直接かかわりませんが、日銀副総裁の岩田規久男氏などは、金融緩和だけでデフレ脱却できるという理論(リフレ派といいます)が現実によって裏切られているのに、いっこうにその誤りを認めようとしません。

次にマスコミですが、これは産経新聞特別記者の田村秀男さんのようなごくまれな例外を除いて、本当に不勉強でバカです。財務省や日銀という権威筋の言うこと、やることをそのまま虎の威を借りる狐のように大衆に向かって垂れ流しています。特に経済専門紙であるはずの日本経済新聞がひどい。この新聞は、率先して消費増税の必要性を説いてきました。
 そればかりではなく、景気悪化の指標が歴然と出ているにもかかわらず、政策の批判をせずに、その原因を暖冬のせいで暖房器具が売れなかったとか、原油安が響いたとか、政府が外部要因のせいにするのを鵜呑みにしています。つい先日も、8月の最終消費支出が前年同月比でマイナス4.6%になり、6カ月連続の落ち込みだと伝えながら、その原因を、台風で天候不順が続いたからだ、と平然と書いていました!
 忙しくて考える暇のないサラリーマンのほとんどが、日経を読み、経済紙の言っていることだから正しいだろうと刷り込まれてしまいます。非常に罪が重い。朝日、読売などもこの点では同じです。
 またNHKラジオなどでときおり経済問題特集をやるのをカーラジオで聴くのですが、出てくる経済部記者や論説委員は、ほとんど権威筋の言うことをオウムのように繰り返しているだけです。批評精神などみじんもありません。
 参考までに、先日、日銀が「総括的な検証」を発表した時のNHKのひどさについて、ブログに書きましたので、覗いてみてください。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/44d5affc8b33d3b9a0e525ed26c69820

Q5:貴兄は、「政府が通貨発行権を持つので、新たに通貨を発行することで、(すべてではないにしても)ある程度まで借金をチャラにできます。これは動画でも、だからってハイパーインフレなんかにならない」と言ってますが、現実的に問題が起きない程度での借金チャラ化は、およそどの程度までなら可能なのでしょうか?

A5:これに答えるのはちょっと難しい。つまり、仮に1000兆円借金説が正しいとして(正しくないのですが)すべてを通貨発行でチャラにするというのは、やや乱暴な話で、そんな政策を打ち出せば、それこそ緊縮財政派の財務省、学者、エコノミスト、マスコミが、「ハイパーインフレになって国債が暴落する!」と鬼の首を取ったように叫び出すでしょう。要するに、これは、その時々の実体経済市場と金融市場の情勢を踏まえて決定すべきバランスの問題でしょうね。たとえば私が試算したように、政府の負債が100兆円くらいなら、通貨発行でチャラにしてもほとんど悪影響はないと思います。また負債がこれくらいなら、わざわざチャラにする必要がないとも言えますね。

Q6:貴兄はまた、「日銀は広い意味で政府の一部門なので、日銀が買い取った国債を、新規発行の国債(無利子、返済期間無期限)と交換できます。」と言っていますが、これは、通貨発行で負債をチャラにするのと実質同じようなことに思えますが、そういう理解でよいのでしょうか?

A6:通貨発行でチャラにするのと、国債の借り換えとは違います。前者は、実際に通貨が市場に流通するので、巨額ならばインフレ懸念が発生しますが、後者の場合は、日銀と政府とで、書類上の書き換えをするだけです。だから、インフレ懸念も発生しないとてもよい方法だと思います。これは、日本の経済学界で、主流派経済学者に抵抗してほとんど孤軍奮闘されている青木泰樹先生から直接聞きました。

Q7:貴兄はさらに、「政府の負債は、拡大しても返済義務があるわけではなく、また罪悪視する必要は何らなく、国民生活に役立つならむしろ積極的に拡大すべきなのです。特にデフレの時は民間を刺激する必要があるので、これが求められます。」と言っていますが、これはつまり、借金、というより、出資、という方が正確な理解に近いと思ってよいのでしょうか? イコールではないにしても言葉のニュアンスとして。

A7:まさにそのとおり。そういうイメージで国民の多くが捉えれば、何の問題もないのに、財務省やマスコミが「借金」という言葉を使って国民を騙すので、国民は、自分の家計に引きつけて考えてしまうわけです。企業は自己利益のためになると考えたら、投資という賭けに出るために借金をしますが、儲からないと踏んだら融資を受けません。これに対して政府は自己利益のためにあるのではなく、国民の福祉のためにある公共体ですから、儲からなくても「出資」すべきなのです。

Q8:公共事業などで景気が良くなり設備投資などで好景気の影響が循環していくというのは分かりますし、低金利政策も仕組みとしては理解できます。でも低金利政策は行くところまで行っちゃってあまり日銀は有効な手を打てないのかなと理解しているんですがいかがですか。

A8;そのとおりです。日銀の金融政策にはもともと限界があります。一つは、黒田バズーカを続け過ぎて、金融市場の国債が不足しつつあることで、あと3年くらいこのまま続けるとゼロになってしまいます。すると、金融機関は、そのぶん海外のハイリスク商品に手を出す可能性が出てきます。運用が下手なことで有名な年金機構などは危ないですね。でも量的緩和(国債の買い取り)自体は低金利政策のために続ける意味があります。その点からも政府が新規国債を発行する必要があるわけです。
 また日銀は、ついにマイナス金利まで導入しましたが(すべての国債残高に対してではなく、新規発行のほんの一部ですが)、これは市中銀行が日銀に金を預けていると、逆に利子を取られてしまうという仕組みです。この結果、10年物長期国債の金利までマイナスになってしまいました。ここまでやっても、企業は積極的にお金を借りようとしません。それほどデフレマインドが染みついてしまっているのですね。
 それだけでなく、マイナス金利には、銀行の営業を圧迫するという副作用があります。特に中小銀行には痛手でしょう。これが高じると、預金者にも迷惑が及ぶ可能性すらあります。極端な場合、銀行預金にマイナス金利がかかり、みんなが預金を下ろしてタンス預金をしてしまう。そうなると、ますます市場にお金が回らなくなりますから、デフレの悪循環に落ち込みます。
 さすがに黒田総裁は、このたびの「検証」で長期国債の金利がマイナスからせめてゼロになるように誘導すると発表しているようですが、どうやってやるのかよくわかりません。じつは万策尽きているというのが本音でしょう。日銀は「まだできる、まだできる」と意地を張らずに、自分の限界をはっきり表明して、政府に強く財政出動を求めればよいのです。


消費増税問答(その1)

2016年09月30日 01時04分10秒 | 経済

      




 さる9月19日、政治経済ジャーナルChannel Ajerに出演しました。テーマは「消費増税の真実」です。
 消費増税は3年後に延期されたので、とりあえず国民の関心から遠のいているように見えます。しかしなお、なぜ増税の必要があるのか、増税には根拠があるのかについて、ふつうの人々に理解が行き渡っているとはとうてい言えません。財務省やマスコミ、一部の経済学者やエコノミストたちは、いまだにその必要を説き、国民をまんまと騙しています。このインチキをしっかり暴いておくことは、たいへん重要です。なぜならば、三年後には必ず増税が実施されるものとほとんどの人がいま思い込んでいることそのものが、直近の経済活動の大きな抑制効果として現れているからです。増税は延期ではなく、少なくとも凍結、本来は増税ではなく元の5%に戻すべきなのです。根拠のない増税論がまかり通ることによって、現在の人々の消費行動や投資意欲を縛っています。人は将来の予想によって現在の経済行動を決めるからです。

 動画は全体で40分ほどですが、初めの15分は、you tubeで無料でご覧になれます。
https://www.youtube.com/watch?v=O4sbDuq7Dok

 
 さてこれを見た私の親しい知人から長い質問メールをいただいたので、それに応答しました。以下、2回にわたってその質疑応答を掲載します。なお質問は、より一般的なものにするために私が勝手に整理し、また応答のほうも若干修正したところがあります。

Q1貴兄は動画のなかで、増え続ける社会保障費の財源のためにも増税は必要だという論理に対して、「お金に色はない。歳入で税収が増えたとしても歳出を決めるのは財務省と各省庁との折衝で決まる。特別会計で使い道を決める法律でも通すなら別だが、そんな議論はなされていないのだから、国民だましのトリックにすぎない」と言っていますが、「でも、財布全体の支出増に対して収入を増やさなきゃ、ということ自体は考え方として間違っていないのでは?」という反論があったらどうなのでしょうか。この反論が正しければ、社会保障を抑えるか税収を増やすかどちらかは結局しなくてはならないのではないでしょうか
 あるいは、この動画の趣旨は、家計を「喩え」に用いて、何とか収入を増やすかそれとも我慢して節約するかと考えるのと、政府の歳入歳出とは本質的に違う、ということなのでしょうか


A1:収入を増やさなければならないというのはその通りです。社会保障費を抑えるわけにはいかないし、抑えるべきでもありません。しかし税収を増やすだけがその方法ではありません。
 社会保障費のためには、特例国債(赤字国債)を発行すればよいのです。特に長期国債の利子がマイナスにまで落ち込んでいる現在、特例国債によって賄うのは絶好のチャンスであり、理にかなったことです。もちろんその償還は将来の税収からということになるのですが、後に述べるように、「国の借金1000兆円」というのはデタラメですから、新規国債発行を政府が(まして国民が)恐れる必要はもともとないのです。
 また、社会保障費でなく、現在ぜひ必要な高速道路網、劣化した橋などのインフラ整備のためには、赤字国債とはまったく異なる建設国債を発行することができます。これによって公共投資を行った場合には、建設された公共施設が将来も国の資産として長く残るため、いま増税分で償還しなければならないということはありません。

 おっしゃる通り、家計と国家財政とは根本的に違います
 家計は決まった収入によって制約されますが、国家財政は、
①政府が通貨発行権を持つので、新たに通貨を発行することで、(すべてではないにしても)ある程度まで負債をチャラにできます。
②日銀は広い意味で政府の一部門なので、日銀が買い取った国債を、新規発行の国債(無利子、返済期間無期限)と交換できます。
③アベノミクス第二の矢であった「積極的な財政出動」によって公共投資を拡大し、民間経済を活性化させることができます。
④政府の負債が拡大しても、それはそのまま債権者である国民の財産ですから、普通の借金のように法的に返済義務があるわけではなく、また罪悪視する必要は何らありません。国民生活に役立つなら(デフレの時は特に民間を刺激する必要があるので)、むしろ積極的に拡大すべきなのです。
⑤日本国債は、100%円建てなので、①②で述べたように、政府・日銀レベルでいくらでも処理できますから、破綻の危険はゼロです。そこがユーロで借金しなければならないギリシャなどとまったく違うところです。
⑥そもそも国家財政の破綻とは、借金が返せなくなることではなく、誰も新たに貸してくれなくなること、つまり日本政府が国民や金融機関の信用を失って国債を発行しても誰も買わなくなることです。しかしそういうことはこれまで起きたことがありません。日本の国民と国家との信認の関係を考えれば、これからも起こりえないでしょう。
⑦日本は対外純資産(外国に貸している金―外国から借りている金)250兆円を保有しており、世界一の金持ち国です。これを処理することもできます。

 なお、動画でも言っていますが、税率を高くしさえすれば税収が確保できると考えるのは、端的に誤りです。なぜなら、税収はGDPの関数なので、消費税率を高めれば高めるほど、消費や投資が減り、つまりGDPが下がり、結果的にその分だけ税収も減ってしまうのです。これは97年橋本内閣の時に実際に起きたことです。

Q2いまよく世間で言われているのは、「国債の債務が膨張すると日本経済の信用や格付けが低下し、さらに予算膨張も続く。すると円の信用が低下し、国際発言力の低下やら対外経済の状況悪化を招く。だからそれを避けるために国民全体で国家予算を健全化しましょう。そのためには増税やむなしですね」といった文脈ではないのですか。貨幣価値が「信用」をベースにしている以上、海外の経済格付け会社の評価が下がったり、グローバル経済界を行き来している人々の間に蔓延しているトレンド(つまり、はやりの「気分」)とか、そういったもので信用低下という流れが定着してしまうと、それがどれだけ本質と離れていようと、貴兄の言われる怖ろしい「デタラメな世界」が実現してしまう。それに対する危機感、には一定の根拠があるのではないですか。

A2:まず国際経済の「気分」が円の信用失墜に結びつくことはあるのではないかという懸念ですが、現下の状況では、国際通貨の中で、円は、ドル不安やユーロ危機などが高まった時(実際高まっているのですが)に、必ず避難場所として買われる(両替される)ので、まず信用失墜ということはあり得ません(ただし再び円高に振れ過ぎて輸出がふるわなくなるということはあり得ますが)。
 また格付け会社などは、頼まれもしないのに、勝手に他国の国債の格付けをやっているので、こんな外国人投機筋の思惑を過度に気にするには及びません。それよりも真っ先に大事なことは、日本がデフレから脱却するにはどうすればよいかということであって、それは国家主権を握っている日本政府の決断しだいでいかようにも対策を打てます。それをやらないで、財務省、御用経済学者、エコノミストたちが「国の借金が~」とか「国際的な信認が~」などと根拠のないことを言って国民を騙し続けてきたので、いつまでも景気が良くならないのです。
 デフレとは国内の総需要の不足ですから、政府が内需拡大のために、率先して財政出動を行い、民間のデフレマインドを一刻も早く打払うべきです。ここさえ突破できれば、円高による輸出不振が多少あったとしても、それほど問題ではなくなります。
 なお、国際的な経済の減速はすでに十分認識されていて、先日のG7やG20でも、各先進国が緊縮財政から積極財政へと方向転換すべきだという点で一致しました(頭の硬いドイツ以外は)。このへんは、公式的には言いませんが、安倍首相も2014年の増税による大失敗で痛い目に遭って、ようやく理解したようで、財務省の圧力を何とかはねのけようと努力しています。
 しかし財務省、経済学者、エコノミスト、マスコミのマインドコントロールの力はものすごく、自民党議員もいまだに緊縮財政派が主流で、積極財政派は少数派です。政治家はじつに不勉強なのです。

 また、動画の無料公開部分では言及されていませんが、私は、いわゆる1000兆円の国の借金というのが完全なデマだということを、具体的な数字を挙げて細かく説いています。
 いろいろな算出の仕方が考えられますが、あの放送では(ここがあの放送の一番大事な部分なのですが)、最終的に政府の負債は100兆円足らずだという試算を試みています。
①政府の資産650兆円のうち、流用可能な額が約250兆円。
②財政投融資による特殊法人の借金が160兆円であり、これは税収から返済することが禁止されており、法人が政府に返済すべき。
③建設国債250兆円は、政府の資産に変貌するので、借金と見なす必要なし。
④3年間にわたる日銀の年間80兆円の国債買い取りによって240兆円の負債はすでに消えている。
 よって、1000兆円―250兆円―160兆円―250兆円―240兆円=100兆円
 なお拙著『デタラメが世界を動かしている』P59~P61でも、この試算をやっていますが、こちらは、①の650兆円を全て算入してしまっているので、やや乱暴であるのは否めません。

Q3「空気」によるデタラメが通ってしまう結果として、誰も望んでないのにグローバル化せざるをえず、誰も望んでいなくても、「日本経済ちゃんとやってます」的な花火を打ち上げないといけなくなる、ということはあるのではありませんか。だからと言って、消費増税がこれらの漠然とした国際的な信認失墜の不安に対する有効な対応策だとは思いませんが、上記のデタラメな危機感への対策として、「少なくとも何か手を打ってます感」を出さなくてはならない、ということはあるのかな、と思うのですが。

A3:一国のデフレ対策をどうするかということと、一定程度の已むをえぬグローバル化(ヒト、モノ、カネの国境を超えた移動)の必要とは話が別です。
 たしかに、IMFなどはバカの一つ憶えのように、何かといえば構造改革せよ、財政均衡を保てなどと偉そうに忠告してきます。IMFはもともと国情もわきまえずに、とにかくある国の財政破綻を過剰に恐れる体質を持っているので、それももっともといえばもっともですが、それに加えて、IMFの中に、財務省べったりで構造改革派の日本人メンバーが入り込んでいて、いかにも国際的権威の衣を着て、それが正論であるかのように押し付けてくるのです。
 しかし、体面を保つためにそうした言い分に従い続けているうちに、デフレからの脱却はますます困難になり、日本の実質賃金はこの三年間で、6%も下がってしまったのです。国民の生活をこれだけ犠牲にしてまで「何か手を打ってます」感などを示す必要があるでしょうか。しかもその「手」なるものが何の解決にも導かれないのです。根拠のない「危機感」のために、大げさではなく、亡国の憂き目に遭いかねません。まさしく「日本経済ちゃんとやってます」的なことを示すためには、デフレを解消して実体経済の活気を取り戻して見せなくてはならないのです。国民経済の全体と、政府の間違った経済政策とを混同してはなりません。

つい熱くなって長々と書きました。お許しください。



9.21日銀の総括的な検証とそのNHK報道について

2016年09月22日 16時14分42秒 | 経済

      



 9月21日、日銀は政策決定会合で、「金融緩和強化のための新しい枠組み」と称して、量的・質的金融緩和導入以降の経済動向と政策効果についての「総括的な検証」を行い、その見解を発表しました。
 その要旨を見ますと(産経新聞2016年9月22日付)、例によって、事実と異なることが平然と書かれていたり、物価上昇が目標どおりにいかなかったことを「外的な要因」のせいにしています。
 たとえば――
 まず、「大規模な金融緩和の結果、物価の持続的な下落という意味でのデフレはなくなった」と書かれています。「物価の持続的な下落という意味での」と但し書きをつけているところがいかにも苦しいですが、事実は、4~6月の消費者物価指数はすでに発表されているとおり、0.5%下がっています。2%目標には程遠いのに、これを「デフレはなくなった」とは何事でしょうか。
 次にこの目標達成ができなかった原因を、原油価格の下落、消費増税後の需要の弱さ、新興国経済の減速といった「外的な要因」に帰しています。しかし、日銀は、そうした金融政策以外の要因とかかわりなく、リフレ派理論に従って、金融緩和だけで目標を達成できるとコミットメント(責任履行を伴う約束)したのですから、こういう言い訳は通用しないはずです。さまざまな外的要因をいつでも考慮のうちに入れておかなければ、そもそも目標設定の意味がありません。
 さらに、マネタリーベース(法定準備預金+現金通貨)の拡大が「予想物価上昇率の押し上げに寄与した」と書かれていますが、「予想」(=期待)と付け加えているところがミソで(誰が予想しているのか?)、現実の物価上昇率とのかかわりについては何も言及されていません。手の込んだ言い逃れです。当局が勝手に2%と予想すれば、それで「寄与」したことになるというわけです。予想して量的緩和を行い、その予想が全然当たらなくても、予想自体はもとのままなのだからその予想に「寄与」したのだ、というめちゃくちゃな論理です!
 最後に、マイナス金利の導入が長期金利の低下までもたらしたので、国債の買い入れとマイナス金利との組み合わせが有効であることが明らかとなったと書かれています。マイナス金利の導入は、市中銀行の経営を圧迫するという大きな副作用をもたらしていますが、それについては何も触れられていません。おまけに、長期金利まで低下したからといって、融資は一向に促進されず、投資も消費もほとんど伸びず、実体経済には何の有効な結果ももたらしていません。
 要するに今回の「総括的な検証」なるものは、全編、この間の日銀の政策が(2013年当初を除き)効果がなかった事実をあったかのようにごまかして正当化するための「検証」だったということになります。
 経済評論家の島倉原(はじめ)氏は、日銀が「これまでのコミットメントに加え、安定的に2%を『超える(オーバーシュート)』ことを現行のマネタリーベース拡大政策の新たなターゲットとする」と述べているのに対して、次のように書かれています。まったくこの通りというほかはありません。

しかしながら、もともと効果が乏しいと自らが認めている(この認識自体は正しい!)中央銀行の目標設定を、言葉遊びのレベルで「2%を実現する」から「2%を超える」に強めたところで、どれほどの上乗せ効果が見込めるというのでしょうか。
こうした政策を「新しい枠組み」として掲げていることが、むしろ現行の金融政策の迷走ぶりを示していると言えるでしょう。
(「金融政策の迷走」三橋経済新聞9月22日付)
https://mail.google.com/mail/u/0/#inbox/1574f72adf60f6a9

 もっとも島倉氏も私も、黒田バズーカが無意味だったと言っているのではありません。それはそれで一時的に円安、株高を導き輸出産業はいっとき息を吹き返しました。しかし3年にわたる「大胆な金融緩和」は、デフレ脱却にとって一番必要な内需の拡大にはまったく結びつきませんでした。これは金融政策だけではデフレ脱却には限界があるということを図らずも証明しているわけです。日銀としては、デフレ脱却のための政府の無策ぶりを公然と批判するわけにもいかず、苦し紛れの弁解に終始したということなのでしょう。
 このブログでも繰り返してきましたが、消費や投資が冷え込んでいるときに政府は消費増税という最愚策を断行して、日本経済にさらに致命的な打撃を与えました。また内需拡大のためには緊縮財政路線を即刻改めて、本来アベノミクス第二の矢であった「積極的な財政出動」を継続し続けなければならなかったのに、それも1年だけしかやりませんでした(ようやくその方向に舵を切ろうとはしていますが、財務省のプライマリーバランス回復論がいまだに大きく壁として立ちはだかっています)。
 
 さて9月21日の18時、NHKラジオ夕方ニュースでこの日銀の「新しい枠組み」問題を取り上げていました。ここに解説者の一人として登場した第一生命チーフエコノミストの熊野英生氏は、この件に関して、日銀の政策には限界があるので政府の財政運営に期待するという趣旨のことを語っていました。ここまでは一応同意できます。もっともこれは今回の日銀のペーパーにもすでに書かれていることですが。
 熊野氏はもともと日銀出身のエコノミストなので、日銀の政策に異を唱えないのはわからないではありません。問題なのは、彼が、この「新しい枠組み」によってデフレ脱却が可能なのかという最も聴取者の関心を呼ぶ疑問に対して、政府の財政運営への期待に言及しながら、脱却を困難にしてしまった2014年の消費増税の失敗や、いまようやくシフトしつつある積極的な財政出動政策についてまったく触れようとしなかったことです。
 熊野氏が、期待されるべき政府の財政運営として言及したのは、規制緩和による成長戦略(つまりアベノミクス第三の矢)であって、これは小泉改革以来の構造改革路線なので、百害あって一利なしです(拙著『デタラメが世界を動かしている』第三章参照)。
 熊野氏ばかりではありません。同席していたNHK解説委員の関口博之氏の解説や、アナウンサーのかなりしつこい質問の中にも、消費増税の「しょ」の字も財政出動の「ざ」の字も出てきませんでした。
 今日の番組のテーマは日銀の「新しい枠組み」と「総括的な検証」についてなので、それはまた別問題だ、という弁解があるかもしれません。しかし、すでに番組中で政府の財政運営について触れているのですから、デフレ脱却を遅れさせた過去の致命的な失敗事例に一言も触れないというのはおかしいですし、これから進むべき積極的な財政政策の前に財務省の緊縮財政路線が大きな壁として立ちはだかっている事情について何も語らないというのもはなはだ客観性に欠ける。マクロ経済問題を語るには、常に総合的な視野を手放さないようにしなければなりません。
 私の印象を付け加えるなら、ここにはそこに話をもっていかないような何らかの圧力がはたらいているか、そうでなければ、NHK番組構成陣の狭量な頭がそこまで及ばないかのどちらかとしか考えられません。一般の聴取者にとってただでさえ難しい経済問題です。公共放送NHKがこういう偏頗なレポートを続けているようでは、デフレ脱却へ向かっての国民の気運は、いつまでたっても高まらないでしょう。




舛添騒動に見る日本人の愚かさ

2016年06月16日 18時47分48秒 | 経済
      






 昨日(2016年6月15日)、都議会での舛添知事の最後の言明をテレビで観たばかりです。いまさらこういうタイトルの記事を書いても「遅きに失す」かもしれませんが、やはりこの際自分の考えを表明しておこうと思います。あの決着場面を見るずっと前から、私はこの問題について周囲に同じようなことを言っていたので、けっして「炎上」を恐れて表明を控えていたわけではありません。単に他のことにかまけ、タイミングを逸したにすぎないのです。もっとも私などが書いても「炎上」などには至らないでしょうが。
 はっきり言って私は、辞任という決着に至るまで延々と続いた舛添いじめの「逆らい得ない」空気の流れを終始不愉快に感じていました。このいやな空気の流れはいったい何を意味しているのか。私の不愉快感覚は何に由来しているのか。
 誤解のないように断っておきますが、私は個人的に舛添要一という人が好きではありませんし、今回指摘された知事としての振る舞いをいいとも思っていません。この人はもともと自己顕示欲が異様に強く、元国際政治学者の肩書よろしく、海外向けには不必要としか思えない派手な行動が目立ち、権力欲もすこぶる旺盛です。また「都市外交」と称して中央政治の頭越しに朴槿恵大統領と会い、都立高校跡地を韓国学校にすると口約束した件も、日韓の現状を考えるかぎり、どう見ても失政というべきでしょう。
 しかしあらゆる大マスコミがこの間、あたかも日本国の一大問題であるかのように連日このニュースで紙面や画面を埋め尽くし、舛添問題以外に国家としての重要問題がないかのような印象を与え続けたのはいかがなものでしょうか。私は、この現象を民主政が衆愚政治化しつつある典型と見なします。そして大局的に見た場合、そこに日本の民主政が全体主義へと転落してゆくきわめて危険な兆候を見出さざるを得ません。

 告発された舛添氏の「罪状」の主たるものは、要するに公金流用という公私混同問題です。その内容を見ると、海外出張でのファーストクラス使用や一流ホテル宿泊など、通算8回(9回?)で総額3億円(2億円?)の出張費、美術品購入額900万円、湯河原の別荘近くの回転寿司屋や自宅近くの飲食店などでの食事代30万円以上、会議の名目で家族旅行総額37万円、湯河原別荘への公用車使用など、ということになります。
 初めの海外出張費については、たしかに高すぎるし、都政上果たして必要かどうかに疑問が残ります。しかし石原慎太郎元都知事もこれに近い金額で同じようなことをやっていたのに、長年の「オーラ」のおかげか、ほとんど問題にされたことがありません。しかも彼の場合、ろくに都庁に登庁せず、必要な執務をしなかったそうです。サラブレッドは得ですね。
 これに対して舛添氏の場合、あまり裕福とはいえない生家の前に、川を隔てて八幡製鉄所の重役の家がでんと構えていて、少年時代にそれを睨みながら、「よーし、今に見ていろ」と思ったそうです。こういう激しい上昇志向欲と成功へのギラギラした野望があのエネルギッシュな活動と深く結びついているわけですが、そうした「成り上がり者」性を、民衆は鋭敏に嗅ぎ分けて好んで叩きたがるものです。その雰囲気が、活躍期の舛添氏には確かににじみ出ていましたね。自分とたいして変わらない出自なのに成り上がりやがってけしからんというわけでしょう。人は手の届かない高みにあるものにはあこがれ、逆にちょっと自分より優位にあるものを引きずりおろそうとするのです。これは一種の差別感情と言ってもいい。人間の醜い一面ですね。よってたかって私生活のあることないことまでも噂し、書きたて、本人をじわじわと追い込んでいきます。
 美術品購入に関しては、都政運営上必要な部分と、単なる趣味としての私的流用でしかない部分とに分かれるでしょうが、明確な線を引くことは困難です。それ以外の行跡は、金額もきわめて低く、まことにチンケな問題だというほかありません。昔の政治家はこんなこと平気でやっていました。脛に疵を持たない政治家などいるわけがなく、叩けばみなほこりが出るのはこの世界の常識です(だからいいと言っているわけではありません)。
 また、意味が違うとはいえ、どの企業経営者や事業主でも、税金逃れのためにいろんなことをやっています。大規模なレベルで言えば、メガバンクやグローバル企業の巨額の法人税逃れ、タックスヘイヴンへの資金流入が平然と行われていますね。こちらのほうがよっぽど問題です。日本人はほとんどそのことを忘れてしまっています。
 そうした大きな問題を大マスコミは真面目に取り上げもせず、その代わり、聖人君子ぶりを気取ってひとりの公人を徹底的にスケープゴートに仕立てるための世論操作に奔走しました。いつものやり口といえばやり口ですが、「なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て」(ヨハネ伝8章7節)というイエスの言葉でも少しは噛みしめたらどうでしょうか。
 この世論操作に見事に呼応して踊らされたのが愚民化した大衆で、その群衆心理の出どころは言うまでもなく下品なルサンチマンそのものです。ただでさえデフレ不況で欲求不満がたまっているので、公務員が安定した高給取りにみえる。そこへもってきてアクが強く反感を買いやすいキャラが、ザル法と言われる政治資金規正法をいいことに、つい調子に乗って公私混同を犯した。こんないいガス抜きショーはないですね。しつこく、しつこく「人民裁判」が続きました。これは血祭りという見世物以外の何ものでもありません

 今回の追及で、完全に抜け落ちているのが、舛添氏の知事としての行政手腕や執務実態、実績などについての評価です。この点についてマスコミはほとんど問題にせず、ただ大したことのない使い込みを非難し続けただけでした。これはいかにも片手落ちです。私は舛添氏の行政手腕や実績がどんなものか知りませんが、それをも取り上げて判断材料にするのでなければ、本当にひとりの政治家を公正に判断したことにはなりません。だれもそういう所に目が及ばず、道徳的・人格的な非難ばかり浴びせる。いかにも日本人的です。
 さらに、こうした追及をしてきた人々は、彼が辞任した場合、だれが後任として適切なのかについての展望をまったく欠落させています。長期戦略が何もなく、ただ目前の「敵」を引きずりおろしさえすれば、「あとはどうにかきゃあなろたい」とばかり、ひたすら感情的に騒ぎ立てるだけなのですね。これもたいへん日本的です。この前の戦争の失敗の底に潜む心性と共通しています。

 さてその後任候補ですが、下馬評でいろいろな名前が取りざたされています。しかしさまざまなメディアが行なったアンケートで、必ず上位にランクされる人に橋下徹元大阪市長がいます。本人はいまのところ出馬を否定しているようですが、この人は「2万%ない」などとウソばかりついてきた前歴があるので、現時点での言辞は全然当てになりません。橋下氏が仮に出馬した場合のことを考えると、それこそは日本が全体主義への道をひた走ることになる、と私は恐れるのです。すでに都民の中には、「やっぱりあの人しかいないんじゃないの」などという声がいくつも聞かれます。
 たかが都知事というなかれ。彼が都知事になれば、次は総理大臣を狙うに決まっています。安全保障で頭をいっぱいにしている安倍首相と妙に相性がいいのも不気味です。また、東京都民は大阪市民と違うというなかれ。彼は一種の天才詐欺師ですから、大阪市民には大坂モード、東京都民には東京モードと使い分けるなどお茶の子さいさいです。現にいまテレビのバラエティー番組で、しきりに好感度を高めていますね。
 彼は「大阪都構想」なるものをぶち上げた時、議会が否決したにもかかわらず、住民投票にかけるというルール違反を平然とやってのけました。そうして、危ういところでこの構想は実現しかけたのです。それをかろうじて防いだのは、藤井聡京都大学院教授を中心とした学識者同盟の必死の努力があったからです。
 ちなみに「大阪都構想」とは、次のようなインチキだらけの構想です。

①大阪市と大阪府が合併しても、国会で法律を通さなければ、「都」にはならないのに、東京と張り合いたい大阪市民の夢をくすぐった。
②二重行政解消という触れ込みで実現するのは、わずか二億円の節約にすぎない(そんな金額よりも、合併手続きのほうがよほどお金がかかります)のに、いかにも市の発展に寄与するような幻想を振りまいた。
③大阪府の財政は危機状態で、借金ができず、法的に「禁治産者」のような位置にあるので、合併すると大阪市から二千億円以上の金が府の借金返済に使われてしまう実態をひた隠しにしていた。
④大阪市は市としての権限を失い、東京都の行政区のようにほとんど何の権力もない区に分割されてしまうだけなのに、そのことをまったく伝えなかった。


 まだまだあったようですが、とにかくこの構想は、大阪市民を騙して市の地盤沈下を一層促進する以外の何ものでもありません。住民投票で敗れた橋下氏は、記者の前に爽やかな顔で出てきて、政治から手を引くと嘯き、その実、大阪維新の会の顧問役に就きました。自らは黒幕にとどまり、市長任期切れを機に同じ大阪維新の会から吉村洋文氏を擁立して、この選挙には勝利したのです。大阪市民は、また騙されました。
 二〇一二年に橋下人気で華々しく立ち上がった日本維新の会は、もともと大阪維新の会をその前身としています。ところでこの年の総選挙の際、日本維新の会がどんな公約を掲げていたか憶えておいででしょうか。いちいち論評すると長くなりますので、手短に行きます。

①首相公選制――代議政治の意義をわきまえないポピュリズムの典型です。直接民主制はイメージや空気で選んでしまう国民の特性を利用したもので、全体主義者にとって一番の早道です。ちなみにアメリカの大統領選挙は、複雑な仕組みによって間接民主制を担保しています。
②参議院の廃止――当時のねじれ状態における決まらない政治へのいらだちから出た提案でしょうが、すぐに決まってしまう政治はもっと危険です。
③衆議院議員定数の半減と議員歳費の三割カット――めちゃくちゃです。日本の議員数の人口比は世界で最も少ない部類に属します。日本人の好きな倹約の美徳を利用して、公務員の身を切らせることで国民のルサンチマンを和らげようというつもりでしょうが、一億三千万の人口を抱える大国の政治をわずか二百四十人の国会議員で取り仕切ることができるでしょうか。つまりは独裁政治への道を開いておこうという魂胆なのです。
④消費税の地方税化と地方交付税の廃止、道州制――地域の自主自立という美名のもとに考えられた政策ですが、これをやると、もともと地域格差のある地方と地方とで競争しなくてはならず、優勝劣敗が露骨にまかり通ってさらに格差が拡大し、地方の過疎化と東京一極集中がいっそうすすみます。税収の公平な配分の観点からも均衡ある経済発展の観点からも防災の観点からも、けっしてとってはならない政策です。

 以上でお分かりのように、橋下氏という人は、大衆の心理を読むのにじつに長けた人で、その「才能」をフルに活用して最高権力を奪取する機会を虎視眈々と狙っているのです。そう、ドイツに登場した「あの人」にとてもよく似ていますね。ちがいは、あの人のように経済復活のための腕力が不足していること、日本にユダヤ人憎悪のような根深い歴史的事情が存在しないこと、くらいでしょうか。
 でも、もしこれからの日本がデフレ脱却できず、国民の不満がいよいよ高まって行った場合、その時こそが、この人の出番です。政治とは、ある意味では、人民の無知をとことん利用して、いかに自分の思い通りに国を動かすかという操作術のことだからです。悪い芽は早く摘まなくてはなりません。橋下氏がもし都知事選に立候補したら、けっして彼に投票しないようにしましょう。彼よりはいくらかだらしない人のほうがまだマシです。
 今回の舛添騒動では、まさに大マスコミが、何の未来展望もないままにつまらない煽動を繰り返し、曲がりなりにも保たれていた既成の秩序を破壊しました。そうして権力の空白を作り出して人々を不安に陥れ、全体主義に向かう道の露払いを見事に果たしてくれたのです



追悼 柳家喜多八

2016年06月14日 23時29分40秒 | 経済
      





 落語好きです。といってもハマりだしたのはわずか四年ほど前のあるきっかけからです。そのころたまたま柳家喜多八師匠を聴いたのですが、いっぺんで気に入ってしまいました。この人の芸風は、初めやる気のないような調子で話し始め、徐々に盛り上げていき、後半に至ってその熱演ぶりで聴衆を一気に魅了するタイプです。滑舌はあんまりよくないが、それはテンポのいいべらんめえ調と表裏一体。渋い、という言葉はこの人のためにあるようなものです。
 その喜多八師匠が、今年5月17日に66歳の若さで亡くなりました。落語界で60代といえば、旬と言ってもいい年齢です。まだまだこれからという時に惜しい人をなくし、残念でなりません。
 師匠の噺を最後に聴いたのは、2月23日でした。幕が開くと最初から高座に座っています。もともと小柄な人ですが、この時は痩せてずいぶん小さく見えました。すでにがんに深く侵されていたのでしょう。もはや立って歩くことができず、車椅子を使って、弟子に助けてもらって高座に上ったものと思われます。しかしそんな 姿をお客さんに見せちゃあ、噺家の名が廃るってもんだ、てなことをよくよく周りにふくめたんでしょうな。
それでもトリで演じたのは、あのたいへんな精力を要する「らくだ」でした。半次が大家を脅す場面、屑屋が半次に勧められた酒を重ねるうちに豹変していき、ついに立場を逆転させる場面など、病気とは思えない味と迫力でした。まさか死の3か月前とは知る由もありませんが、痛々しい印象はぬぐえなかったので、一流芸人の筋金入りのすごさに舌を巻いたものです。
 今となってみると、あれを見ておいてよかったと思っています。記録によりますと、死の8日前、5月9日まで演じていたそうですから、その芸人根性にはただただ頭が下がります。舞台や高座の上で死ぬのが一生を芸に託した者の本望だとはよく言われることですが、そういう意味では、師匠の死も限りなく本望に近いものだったと断じて、けっして誤りではないでしょう。
 じつは昨年(2015年)八月の暑いさかりに、新宿のRyu's Bar(道楽亭)という所で四十人余りの観客を相手に「喜多八連続六夜」というのがあり、それに一夜だけ出かけました。隣席の客と話が通じて聞いてみると、全夜通しで来ているとのこと。まあ、よくもと思ったので、あんたの人生、もうおしまいなんじゃないのとからかってやりたくなりました(言いませんでしたが)。贔屓というのは恐ろしいものですね。師匠はこうした玄人筋にすこぶる人気があったようです。
 その時のこと、会場前に立ち並んでいると、やがて普段着の小さなおじさんが出てきて私たちを招き入れてくれます。はじめ気づかなかったのですが、師匠自らドアボーイをやってくれていたのですね。思わず声をかけたくなり、「連日の出演で疲れませんか」と聞くと、師匠、淡々と「いや、演じていて疲れるということはないです」。
 もちろんまだこの時は、彼が重い病にかかっていることは知りませんでしたから、なるほどそういうものかと単純に感心してしまったのですが、あとから考えてみると、「演じていて疲れることはない」という言い方の中には、病気が進行しているから衰えは感じるが、というニュアンスが暗に込められていたのですね。この短い会話が、師匠と交わした最初で最後の会話でした。
 さて開演間際になると、身動きもできないような狭い片隅にいて、羽織袴に着替えていきます。さえないドアボーイのおじさんが、一流の師匠に忽然と変身してゆく。その見事な早業がとても印象に残りました。
 私は昔から職人芸にあこがれてきました。ドアボーイをやったそのままの延長上で高座に上って脱力気味に話し始めながら、最後は聴衆を笑いと興奮の世界に連れて行ってしまう喜多八師匠。私も死が間近に迫ってきてなお書くことを続けていられたら、さりげなく言ってみたいものです――「いや、書いていて疲れるということはないです。」
 遅ればせながら、合掌。











タックスヘイヴンとグローバル資本主義のゆくえ(その1)

2016年06月02日 18時44分31秒 | 経済
      



2016年4月、ロンドンで行われた、反緊縮財政デモ。10万人が参加したと伝えられる。


以下の文章は、パナマ文書のリークによってにわかに世界的話題となったタックスヘイヴン問題をめぐって、フェイスブック上で美津島明氏との間に交わしたやりとりを転載したものです。まず私が4月25日、パナマ文書に関する新 恭氏の「日本政府がタックスヘイブン対策に消極的な理由」という論考http://www.mag2.com/p/news/181248?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_0425 をめぐって、次のようなコメントを投稿しました。

タックスヘイヴンについての新恭(あらた・きょう)氏の以下の記事は、実態をよくとらえており、消費増税などによる国民へのしわ寄せを批判している点で、基本的に共感できるものですが、次の引用部分に関しては、抽象的で納得がいきません。タックスヘイヴンにため込まれている資金は単なる内部留保であり、何ら生産活動に寄与していないのですから、これに対して一国の政府が自国企業の所得や資産として課税を強化することが、どうして「世界経済戦争にのぞむ自国の企業の不利」に結びつくのかよく理解できないのです。どなたか経済に明るい方、この人の指摘が正しいかどうか、教えていただけないでしょうか。
【以下、新恭氏の論文からの引用】
「節税でも脱税でもなく、いわばグレーゾーンにある租税回避は、いまやグローバル資本主義になくてはならないものとして組み込まれている。それだけに、各国政府としても、税収奪還を厳しくやれば世界経済戦争にのぞむ自国の企業に不利というジレンマに悩んでいるのが実情だろう。」

それに対して美津島氏から、次のようなコメントをいただきました。その後、氏との間でパナマ文書やタックスヘイヴンをめぐるやり取りが続きました。美津島氏が私にバトンタッチしたところで中断していますが、これは、論題が、行き着くところまで進んだグローバル資本主義のゆくえという大変大きな世界史的テーマに及び、よくよく考えた上でないとヘタなことは言えないという感想を私が抱いたからです。とりあえず、現段階までをここに掲載することにいたします。

●美津島→小浜
別に、経済にそれほど明るいわけではないのですが、小浜さんの疑問に関して自分なりに分かっていることを申し上げます。まず、「内部留保」の解釈について。これは、会計学上のいわば俗称のようなもので、貸借対照表(いわゆるバランスシート)の借方の「資産」から貸方の「負債」を差し引いた「資本」から税金・出資者への配当金・役員賞与など外部に支払われる金額を控除した残高を「内部留保」と言っています。単なる計算上の数値ですから、とても抽象的な概念なのです。別に企業の金庫にそれだけの金額が貯め込まれている、というわけではないのです。それゆえ「内部留保」が、具体的に資産としてどう運用されているかは、特定のしようがないわけです。つまり、現金預金として貯め込まれているのか、有価証券に化けているのか、設備投資に回ったのか、あるいは、タックスヘイヴンでぬくぬくと太っているのか、特定のしようがないわけです。だから、小浜さんがおっしゃるように「何ら生産活動に寄与していない」とは言い切れないというか、もともとそういう言い方となじむ概念ではない、と言えるでしょう。長くなりそうなので、まずここまでよろしいでしょうか。腑に落ちない点があれば、なんでもおっしゃってください。

●小浜→美津島
ご回答ありがとうございます。なるほど、「内部留保」が設備投資などのかたちで生産活動に寄与している可能性があることは理解できました。もしその部分が大きいことが確証されるなら、グローバル競争に直接関与していることも考えられるわけですね。しかし、依然として、一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化することが、そのまま自国企業の海外での敗北に結びつくという論理がすっきりと理解できません。国際競争に勝つために大切なのは、あくまで世界の需要に応えるべく、良い品やサービスを安く提供するための生産活動そのものだからです。一国だけ突出して課税強化に手を付けると企業の資本が逃げてしまうと「何となく」「みんなが」思っているために、思い込みが常識となって力をふるっているのではないでしょうか。考え方によっては、他国(この場合はタックスヘイヴン)の法人税と自国のそれとに差がないならば、企業は海外展開にそれほどうまみを感じなくなって、国内需要のために生産拠点を自国に移そうとするというシナリオも想定できるように思うのですが、ちがうでしょうか。もっとも、タックスヘイヴンに合わせて自国の法人税を無条件に下げるというのでは、かえって法人税低下競争が起こり、よけい税収を確保できなくなるわけですが。重ねてご教示いただければ幸いです。

●美津島→小浜
ご返事、ありがとうございます。「依然として、一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化することが、そのまま自国企業の海外での敗北に結びつくという論理がすっきりと理解できません」。小浜さんのこの疑問を意識しつつも、しばし遠回りをすることをご容赦ください。というのは、ここには現代資本主義の行く末を考える上でとても大きな問題が潜んでいるような気がするからです。端的な物言いをして溜飲を下げてみてもしょうがないと思うのですね。さて、内部留保の抽象的な性格については、ご理解いただけたものとして、次に、グローバル企業の内部留保が拡大傾向にあることについて、どう理解すべきかを考えてみたいのです。内部留保の拡大とは、マルクス経済学の用語を使えば、「資本の自己増殖運動」そのものです。マルクス(あるいは、宇野経済学の目を通してみたマルクス)は、資本主義の本質は、労働力の商品化によって剰余価値を獲得する「資本の自己増殖運動」であると述べています。その指摘が正しいとするならば(私は正しいと思っています)、内部留保の拡大は、資本主義の本質がむき出しになったものであると言っていいでしょう。分かりやすく擬人法を使えば、内部留保の拡大は、資本主義の本能の表れである。で、そのような資本主義の本能の露出を許したものは、1980年代からの、デフレの招来を不可避的に伴う規制緩和という名のグローバリズムである。と、ここで生徒が来てしまいました。とりあえずここまでで投稿してしまいます。なにかあれば遠慮なくおしゃってください。

(ここで、一日、間が空きます)

続きです。前回申し上げたことをまとめると、規制緩和という名のグローバリズムは、宇野経済学の用語を借りれば、「資本主義の純粋化」をもたらす。すなわち、資本の自己増殖運動という資本主義の本質を鮮明化する。言い換えれば、資本主義の本能を解き放つ。以上です。ここで、タックスヘイヴンにご登場ねがいましょう。グローバル企業は、タックスヘイヴンの守秘法域という性格と避税機能とを活用することによって、資本の自己増殖過程への国家権力の介入を能う限り遠ざけることができます。そうすることで、グローバル企業は、グローバリズムの「意思」を体現することになる。で、グローバル企業間の競争の本質を、「資本の自己増殖の度合いの競い合い」ととらえるならば、「一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化すること」は、明らかに、国家権力による資本の増殖過程への介入を意味し、資本の自己増殖の度合いの競い合いというゲームに興じているグローバル企業の足をひっぱることになるのは間違いない、ということになります。一国が、グローバリズムを国是としているかぎり、そういう事態は避けるべきもの、危惧すべきものである。そのような「グローバル国家」が、法人への課税強化を「自国企業の海外での敗北に結びつく」と認識したとして何の不思議もありません。で、国家権力を担う政党は、グローバル企業がタックスヘイヴンを活用して資本の自己増殖ゲームに興じるのを認めるかわりに、巨額の政治献金を受け取ることに甘んじる、というスタンスに落ち着くことになりましょう(日本を含む欧米諸国の有力政党は、左右を問わず、そうなっているようです)。勢い、法人が払わなくなった税金は、消費増税という形で、一般国民からせしめる。本当のことを言ってしまうと国民が暴れだすので、あの手この手でだまくらかして、消費増税をしぶしぶ認めさせる。おおむね、そういうことになっているのではないでしょうか。そうして、行きつく先には、ハイテックなスーパー人頭税国家が待っている。それが、グローバル企業バンザイの新自由主義者が夢に描いている国家の未来像のようです。その場合、国家権力は、グローバル企業のために、一般国民に重税を課す大番頭のようなものに成り下がることになります。マルクス経済学において、労働者は、産業資本と契約を結ぶことで自分の労働力を搾取の対象とされることを余儀なくされます。でも、一応「契約」が介在しているわけです。しかし人頭税国家において、一般国民は「契約」の手続き抜きに、国家権力という大番頭を介して、グローバル企業から税金を搾取されることになるのですね。21世紀の純粋化された資本主義が、19世紀の産業資本主義の退廃形態という一面を有するゆえんです。

●小浜→美津島
恐ろしいシナリオをまことに「生き生きと」描き出していただきました。「資本主義の本能」にそのまま添うかぎり、国民国家としての防壁(民主主義もその重要な要素)は次々に崩され、国家はグローバリズムの奴隷と化していくわけですね。これは、柴山桂太氏が『静かなる大恐慌』(集英社新書)の中で紹介していた、ダニ・ロドリック教授のいう「国家主権、グローバリズム、民主政治」のトリレンマのうち、前二者が最後のものを駆逐してしまう状況を意味しています。タックスヘイヴンについては興味本位の陰謀論が飛び交っているようですが、ことの本質は、国家権力がグローバリズムに全面的に加担し、格差を極大化して中間層、一般庶民を奈落に突き落としてゆく、その過程にどのようにブレーキをかけるかという問題です。これは近著『デタラメが世界を動かしている』(PHP研究所)でも触れたのですが、世界の富裕層80人の資産が世界人口の半分、36億人のそれに匹敵するそうです。さてどうするか。マルクスの剰余労働価値説は私も正しいと思いますし、彼の分析した資本主義の末期症状が今まさに当てはまる状態になってきたと考えられます。しかし彼は私有財産の否定と暴力革命の肯定とを二つの大きな思想理念としていましたから、現在これをそのまま受け入れるわけにはいきません。彼は生まれてくるのが早すぎた思想家だったと言えるでしょう。資本主義と法治主義を守りながら不当な格差の問題をどのように解決するか。私たちの時代の難問はここにあります。トマ・ピケティ氏が提案した富裕層への累進課税率の引き上げも、彼自身が実現困難と認めています。多極化した現在の世界で「せ~の!」でやるわけにはいかないからですね。グローバリズムに対抗するには、まさにグローバリゼーションそのものへの規制ルール、特に資本移動の過度の自由を規制するルールを、問題意識を共有する有力国家群が一致協力して決める以外にはないと思います。ところで、4月30日放送の「チャンネル桜」で、高橋洋一氏が大蔵官僚としてのかつての経験を踏まえて、合法的である租税回避を摘発することはたいへん難しく、訴訟になるとかえって国が負けてしまい、何千億も取られてしまうと語っているのが印象的でした。節税と脱税の間に線を引くのは困難で、しかも大企業や顧問弁護士は自分を守るために何百億もかけて必死で抵抗するからだというのです。これはおそらく正しいでしょうね。感想も含め、お返事いただければ幸い。
http://www.nicovideo.jp/watch/1461917084
1/3【討論!】パナマ文書と世界経済の行方[桜H28/4/30]
◆パナマ文書と世界経済の行方パネリスト: 有本香(ジャーナリスト) 川上高司(拓殖大学海外事情...

●美津島→小浜
上記の討論会を拝見しました。元大蔵官僚の高橋氏の話は、おっしゃるとおり、現場感覚にあふれていて大変参考になりますね。タックスヘイヴンを利用した、大企業や富裕層の避税に関して、金融機関や会計事務所や弁護士が知恵を絞っているので、いくら疑わしくても、裁判で勝訴して税金をぶんどるのは極めてむずかしいというお話など、なかなか説得力がありますね。しかし、討論の全体的な印象としては、パナマ文書をめぐってのアメリカの陰謀説、アメリカによる中共政府叩き、などに話が偏っていて、パースペクティヴがやや狭いという感じがしました。そこで、と言っては何ですが、『アングラマネー』や『世界経済の支配機構が崩壊する』などの著者・藤井厳喜氏の、タックスヘイブンをめぐってのロング・インタビューがあり、それがタックス・ヘイヴン問題をめぐっての見通しの良いパースペクティヴを与えてくれるよう気がしますので、その写しを小浜さんにお送りし、情報の共有を図ったうえで、改めてお話しを続けるというのでいかがでしょうか。

(以上の手続きを経たうえで)

話しを続けましょう。藤井氏によれば、タックスヘイヴンは、米ソ冷戦のはざまで生まれました。石油・天然ガス・金・材木などの一次産品を売った代金としてのドルを(国家間の貿易は通常ドル建てで行われます)、当時のソ連は、アメリカに預けていました。しかし、冷戦が先鋭化するにしたがって、ソ連は、それをアメリカから凍結される危惧を抱くようになりました。それで、そのお金をロンドンのシティに持っていきました。それが当時は、正体不明のユーロ・ダラーと呼ばれました(昔、新聞記事に登場するユーロ・ダラーなるものがよく分からなくて苦慮したのを覚えています)。シティは、もともと歴史的に治外法権の地で、女王陛下でさえも当地区に入る場合、シティの市長の許可を得なければならないほどです。その特権をフル活用して、シティは、ユーロ・ダラーをイギリス国内法の規制を逃れるものにしてしまいました。イングランド銀行もそれを黙認するほかはありませんでした。で、シティは、イギリス王室属領(ジャージー島など)・英国海外領(ケイマン諸島など)・旧英国植民地(香港など)を取り込んで複雑化な蜘蛛の巣状のタックスヘイヴン・ネットワークを構築しました。アメリカは、それを後追いした形なのです。つまり、イギリスは、タックスヘイヴン先進国であり、タックスヘイヴン立国であるといえるでしょう(これは大きなポイントです)。タックスヘイヴン問題の転機が訪れたのは、2001年の9.11事件です。アメリカは、当事件をきっかけにテロ対策に本腰を入れ始めたのです。テロを撲滅するには、その資金源を断たねばなりません。そこでアメリカ政府は、アルカイダなどのテロ組織の資金源としてのアングラマネーを追跡し、それをロンダリングするタックスヘイヴンに着目することになります。ところが、タックスヘイヴンには、テロ組織のみならず、名だたるグローバル企業や大富豪の巨額のマネーが行き来していることが判明したのです。それは、1980年代以来の規制緩和の敢行によって、日本を含む欧米のグローバル企業が「資本主義の本能」を解き放たれ、資本の自己増殖過程を貫いた結果である、と言っても過言ではないでしょう。で、アメリカは、タックスヘイヴンそれ自体を規制の対象にし、その縮小を図ることでテロ資金の撲滅を実現しようとしてきたし、している。その延長上にFATCA(ファトカ)があり、さらには、パナマ文書流出問題がある。これが、一番大きな文脈でパナマ問題をとらえた言い方なのではないかと思われます。その場合、まっさきに追い詰められつつあるのは、テロ組織は当然のこととして、タックスヘイブン立国のイギリスなのではないかと思われます。アメリカ主導でタックスヘイヴンの規制が進めば進むほど、イギリスは行き場を失くし、危険な賭けに出る危険が高まる。その現れが、人民元帝国構想の一環としてのAIIBへの参加であり、ウクライナ紛争への資金供与である。藤井氏の論にしたがえば、そんな風にとらえることができるのではないでしょうか。

●小浜→美津島
藤井厳喜氏のインタビュー記事、ありがとうございます。たいへん参考になりました。ここで言われていることは、おおむねそのとおりと思いますが、FATCAに対する期待感が少し楽観的に過ぎるのではないかと感じました。というのは、FATCAは明らかにアメリカ政府が自分の国益のために設立して他国(スイス、ロンドンのシティなど)の合意を半ば無理やり取り付けたもので、これが真の意味の公共精神に根差しているとは思えないからです。FATCAの場合、アメリカ本土以外のタックスヘイヴンに対しては、たしかに守秘法域と租税回避を解除させるために、企業名や金額を教えないとアメリカに投資させないという脅しをかけ(これは一定程度成功したようですね)、また「教えてくれればウチに投資しているお宅の企業情報も知らせてあげるよ」という交換条件で各国政府に協力を呼びかけたわけですが、これが果たして税の公正な徴収や貧富の格差の是正に結びつくのかどうか。というのは、ご存じのとおり、第一に、パナマ文書は、アメリカの政治家やグローバル企業の名前が今のところ発表されていません。第二に、アメリカ国内には、すでにサウスダコタ州、ワイオミング州、デラウェア州などにタックスヘイヴンが存在すると言われています。以上の事実を素直に受け取るなら、アメリカ政府のFATCA実施の目的は、行き過ぎた資本移動の自由やその結果としての極端な貧富の格差に規制をかける所にあるというよりは、むしろ他国に流れている資本を本国に呼び戻す所にあると考えられます。これはたとえて言えば、横に広がっているものを自分中心の縦軸に集めるということです。そうすることによって経済的覇権を取り戻すわけです。もしそうだとすると、美津島さんがいみじくも「グローバル国家」と呼んだ(私の知るかぎり、グローバリズムと国家とを対立項としてでなく一つに結合して見せたのは美津島さんが初めてではないかと思います)事態がまさにアメリカという超大国において実現しつつあることになるわけで、政府はグローバリズム資本と癒着して国家はグローバリズムの奴隷(つまり「大番頭」)になり下がるわけですね。そこでは官許アングラマネーもさぞかし跋扈することでしょう。OECDの建前上の努力も、しょせん先進国政府と国際金融資本によっていいように操られるのではないでしょうか。国際金融資本は世界に冷戦や紛争などの不安定要素を作り出すことによって利益を生み出すというのは、今日ほぼ常識となっていますから、彼らが金の力にものを言わせるかぎり、当分世界平和の維持や公正な所得の実現などは夢のまた夢。産業資本主義時代に生きたマルクスの、「生産力と生産関係の矛盾が極限に達して桎梏に変じた時、必然的に矛盾の止揚としての革命に発展する」という予言は、この金融資本主義の時代においてこそ不気味なリアリティを持ってきます。アメリカ大統領予備選でトランプ氏が共和党候補として確定し、サンダース氏が大健闘しているのも、この経済的矛盾を最も体現しているのがアメリカだからと言えそうです。どちらもウォール街に反感を持つ貧困層の圧倒的な支持を受けているからです。今後もし革命が起きるとしたら、まずはアメリカか、はたまた中国か。

●美津島→小浜
興味深い論点をたくさん提示していただきながら、すぐに返事ができなかったことをお詫びいたします。さて、一点目。パナマ文書がアメリカの国益を体現する勢力によって漏えいされたと仮定したうえで、その目的は「他国に流れている資本をアメリカ本国に呼び戻す所にある」のかどうか。小浜さんは、そうではないかとおっしゃっていますね。私としても、格別それに異を唱える理由はありません。というより大いにありえることでしょう。なぜか。その理由の核心は、国際関係ジャーナリスト・北野幸伯氏が言うように「いまのアメリカの最大の課題は、いかにして低下しつつある覇権国の地位を維持するかである」ということに深く関わります。覇権を維持するうえでの最大のポイントは、なんでしょうか。世界最強の軍事力を維持することはもちろんでしょうが、そのためにも、ドルは基軸通貨(国際通貨)であり続けなければなりません。ドルが基軸通貨であるかぎり、アメリカは、いくら双子の赤字で苦しもうとも、いくらでもドルを刷って他国から好きなだけ物品を輸入することができます。つまり最強の経済力を維持することができます。で、逆に、ドルが基軸通貨でなくなれば、双子の赤字は、いまのギリシャのように、アメリカ経済の首根っこを締め付けることになり、GDPは激減を続け、アメリカは覇権国家の地位から陥落することになるでしょう。では、いかにしてドル基軸通貨体制を維持するか。それは、世界の金融資本地図においていまだに大きな(隠然たる)力を保有し続けているイギリスはロンドン・シティの世界大のタックスヘイブン網を潰し、そこに滞留している巨額のドルを自国内のタックスヘイヴンに流入させることによってでしょう。つまり、イギリスから金融立国の地位を奪い、ウォール街を世界金融資本の唯一の中枢にすることによって、ドル基軸体制はとりあえず保たれる。アメリカの権力中枢がそう考え、ウォール街がそれに加担したとしてもなんの不思議もありません。それは、中共に傾斜し経済における事実上の同盟関係を築きつつある英国の国力を衰退させ、英中の絆を分断することで、中共をけん制する、という安全保障面からも理にかなった考え方でしょう。米中新冷戦時代において筋道の通った意思決定であるといえるでしょうね。しかし他方で、5月10日の「ヴォイス」にコメンテーターとして出演した藤井厳喜氏によれば、オバマは、デラウェア州・ワイオミング州・サウスダコタ州などの国内タックスヘイヴンに介入すると言明してもいます。https://www.youtube.com/watch?v=MFieATtz5X4&app=desktop タックスヘイブン情報を他国と共有・交換するFATCAの実施に至る、アメリカのタックスヘイヴンとの長い闘いのきっかけが、2001年9.11事件にあることを思い起こせば、それもむべなるかなと思われます。もしも、覇権国維持のためにアメリカが世界で唯一のタックスヘイヴン国家になってしまうと、アメリカは、イスラム原理主義のテロ勢力にタックスヘイヴンを通じて巨額の軍資金を与える最有力・テロ支援国家になってしまうわけです。それは困る、というわけで、オバマは「国内タックスヘイヴンに介入する」と言明するのでしょう。ここには、明らかに矛盾があります。つまり、アメリカは、衰退する覇権国であるがゆえの大きな矛盾を、タックスヘイヴンをめぐって抱えこんでしまっている。この矛盾をどう昇華するか、という問題は、おそらく、今後の世界史に大きな影響を与えてしまうことでしょう。ここをもう少し引き延ばすと、小浜さんの「今後もし革命が起きるとしたら、まずはアメリカか、はたまた中国か」というもうひとつの論点につながるような気もします。しかし、ひとつの論点をめぐって、字数をたくさん費やしてしまいました。とりあえずここまでで、バトンタッチします。

パナマ文書問題を論じて「新々三本の矢」を提案す(その2)

2016年04月15日 14時02分31秒 | 経済

        




 前回、陰謀論合戦がこの稿の目的ではないと述べました。今回は初めに、陰謀論合戦にはあまり意味がないと私が感じているその理由について簡単に述べます。推理小説ファンやスパイ小説ファンの方には申し訳ありませんが。
 まず私には、どういう力がどのように作用してこうした結果を生んだのかということについて、たしかなことを言えるインテリジェンスの持ち合わせがありません。
 それに、そもそも陰謀論は、一つの明確な目的意識を持った有力な人物や組織や勢力がその目的を達するためにあることを目論んで、そのとおりの結果を生み出したという前提に立っていますが、この前提自体が疑わしい。
 世界の動きは、恐ろしく多元的な作用の交錯によって一つの結果を生むので、本当は、私たちの一元的な因果的思考(の組み合わせ)を超えているところがあります。陰謀を仕組んでもその実現のプロセスで思わぬ作用が入り込んできて反対の結果になってしまったとか、思わぬ方向に展開してしまったいうような例は、歴史上いくらもあるでしょう。
 ところで今回の騒ぎで危惧されるのは、アメリカ(や日本)以外の著名な政治家の名前がこれだけ出ることによって、世界の関心が、この驚くべきスキャンダルに対する関係者の直接的な対処や、分析家の謎解きや、各国の感情的一時的な反政府デモなどに集中してしまうことです。なぜなら、そういうことに関心が終始することによって、本当の問題への目がそらされてしまいかねないからです。
 本当の問題とは何か。
 言うまでもなく、世界のグローバル資本が想像も絶するほどの巨額の資金をタックスヘイヴンにプールして税金逃れをやっているというわかりやすい事実です。これは明らかに、国家の財布を貧しくして、そのツケを増税や福祉削減などのかたちで、富裕層でない一般国民に押し付けていることを意味します。グローバル資本は自国の国益のことなどまったく考えていませんから、この歯止めの利かない流れが続く限り、近代国家の防壁と秩序は崩され、貧富の格差はますます開き、大多数の国民は貧困化していくでしょう。
 今回のパナマ文書には、日本の一部上場企業時価総額上位五十社のうち、四十五社までが記載されているという情報もあります。電通、ユニクロ、ソフトバンク、楽天、バンダイ、三菱商事、三井物産、三井住友FG、みずほFG……。これ自体は、どうやらガセネタの可能性が高いようですが、ICIJは五月に日本の企業名も発表すると言っているそうなので、いずれ真偽のほどは明らかとなるでしょう。しかしいずれにしても、火のない所に煙は立たぬ、タックスヘイヴンは、何もパナマやヴァージン諸島だけではなく、世界中にいくらでもありますから、日本のグローバル企業がこれを大いに利用していないはずはありません。
 井上伸氏の次のブログに書かれていることは、かなり信頼がおけます。ここには、タックスヘイヴンとして有名なケイマン諸島における日本企業の投資総額についてのグラフ、および、これに正しく課税すれば消費税が不必要になる事実についての記述があります。ケイマン諸島への投資額については、日本銀行の「直接投資・証券投資等残高地域別統計」という公式サイトに掲載されている数字にもとづいています。
http://editor.fem.jp/blog/?p=1969(井上伸ブログ)
【グラフ】


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【記述】
 このケイマン諸島で税金逃れした60兆9280億円に、現時点の法人税率23.9%を課すとすると、14兆5617億円の税収が生まれることになります(中略)。増税前の消費税率5%のときは、消費税の税収は10兆円程度でした。消費税率8%になって直近の2016年度予算で消費税の税収は17兆1850億円です。これに対して、大企業のケイマン諸島のみで14兆5617億円の税収が生まれるので、これに加えて、ケイマン諸島での富裕層の税逃れと、ケイマン諸島以外での大企業と富裕層のタックスヘイブンでの税逃れ(中略)を加えれば、現在の消費税率8%の税収をも上回ると考えられるのではないでしょうか?
 そうだとすると、庶民には到底活用など不可能なタックスヘイブンにおける大企業・富裕層の税逃れをなくすだけで、消費税そのものを廃止することができるのです。これが当たり前の「公正な社会」ではないでしょうか?


日本銀行【直接投資・証券投資等残高地域別統計】
https://www.boj.or.jp/statistics/br/bop/index.htm/

 おまけに、経団連など財界は、政府に、自分たちがろくに払ってもいない法人税の減税を要求しています。これは減税すれば日本で生産してやるという条件提示と、外資を呼び込みやすくする規制緩和との二つの意味がありますが、前者は当てにならない単なる脅しであり、デフレ脱却ができていない現在では、実際には浮いた部分、内部留保を増やすだけでしょう。また後者は、TPPと同じように、日本の農業、医療、保険など、国民生活にとってなくてはならない分野の安全保障を根底から脅かすことになります。
 こうしてタックスヘイヴン問題は、じつはナショナリズム(国民主義)に対するグローバリズムの経済的な侵略以外の何ものでもないのです。
 タックスヘイヴンは一応合法的ですから、個々の企業を道徳的に非難してもあまり意味はありません。要は法制度の問題です。財務省が一般国民を苦しめる消費増税に固執することをやめ、政策の矛先をタックスヘイヴンに対する厳しい規制に向けかえればよいのです。先述のように、二〇一四年七月から米政府のFATCAが実施に移されているので、日本もこれに積極的に協力して、グローバル企業からの徴税の道筋をぜひともつけるべきです。
 これによって、国民の消費性向は強まり内需が高まりますから、企業もデフレマインドから目覚めて国内向けの投資を増やすようになるでしょう。そうすればGDPの成長率は期待どおり伸び、税収も余裕で確保できます。
 もちろん、企業の国内投資を牽引するために、政府が新幹線網、高速道路網などのインフラ整備を中心とした大幅な財政出動をすべきであることは論を俟ちません。これは三橋貴明氏や藤井聡氏らが繰り返し説いているように、首都一極集中を避け、防災体制を固め、生産性を向上させ、疲弊した地方を甦らせることにも貢献します。
 アベノミクス三本の矢のうち、第一の矢である「大胆な金融政策」は、黒田バズーカとマイナス金利政策によって、もう十分すぎるくらい行われました。いま貸し出されない資金がすでにジャブジャブあり、長期国債の金利までがマイナスとなりました。政府はまさに財政出動に打って出るチャンスを手にしているのです。
 ちなみに、「新三本の矢」なるものは、安倍政権の経済政策の失敗を糊塗するためのものです。目的を掲げただけで、それを達成するための具体的な手段をなんら提示できていません。的と矢をはき違えているのですね。
 そこで、ここに真にデフレ脱却を果たすための「アベノミクス新々三本の矢」を提案します。

①消費増税の廃止、または5%への減税、最低でも凍結
②20兆円規模の建設国債の発行によるインフラの整備
③タックスヘイヴンへの投資の規制による適正な税の徴収