小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

日本語を哲学する14

2013年11月29日 20時44分53秒 | 哲学
日本語を哲学する14


第Ⅱ章 沈黙論



 その昔、思想家の吉本隆明が、自らの言語論『言語にとって美とはなにか』を書き上げた後のある講演(「個体・国家・共同性としての人間」一九六八年)で、「沈黙の言語的意味」あるいは「大衆の沈黙の有意味性」を考えることの重要性を指摘していた。
 また、ある論文(「沈黙の有意味性」一九六七年)で彼は次のようなことを指摘している。新約聖書に有名な挿話がある。イエスの弟子・ペテロが、群衆から「この人はイエスと一緒にいた」と言われ、それを三度否定する。するとそのとき鶏が鳴く。ペテロは、「あなたは鶏が時を告げる前に三度わたしを否むであろう」というイエスの予言が当たったことを知り、深く自らを苛む。もしここでペテロが「否」と言わずに黙っていたらイエスとともに十字架に架けられていたかもしれない。「沈黙はペテロの全存在とおなじ重さをもっている」……。
 じつは、吉本のこの二つの指摘のうち、あとのほうについて私はおぼろげな記憶しかなく、出典を探したが見つからなかった。ところがこのたび偶然にも、詩人の北川透氏から『ひとり雑誌 KYO峡』第2号を恵送していただき、その中に探しあぐねていたくだりが引用されているのを知って、大いに驚いた。以上の記述も、ほとんど北川氏の文章からの孫引きである。氏にこの場を借りて深く感謝いたします。
 沈黙の有意味性――この強調は、思想詩人・吉本が、一般の言語学のように、「現に表現されて定着してしまった言葉」だけを扱いうる対象としていたのでは、文学言語の価値の問題が扱えないという強い問題意識を抱いていたことの一つの証拠であろう。発語への思いの高まりとその高まりそのものの現実化(吉本言語論ではこれを「自己表出」と呼ぶ)が、外部の抵抗(音韻規則、統辞法、指示的な意味のひろがり、発話を規定する場面など)に出会い、その抵抗との闘争を通じて、一つの個性的な表出形態を獲得していく過程、そこにこそ、言語の「価値」の実相があらわれる。吉本はそう言いたかったに違いない。北川氏も概略この線に沿ってご自身の言語表現論を書き継がれる構えのようである。
 沈黙に有意味性を認めることは、思想としてたいへん大きな意味をもっている。しかし残念ながら吉本自身は、その後このテーマについて追究を続けた形跡がほとんどないように思う(どなたか知っていたらご教示ください)。なお彼の先ほどの二つの指摘のうち、前者の問題、つまり「大衆の沈黙の有意味性」に関しては、彼の言語論の主たる関心対象であった「書き言葉芸術としての文学表現」とは論理を進める枠組み(範疇)が異なり、主として日常世界における言語行為が問題となるはずである(まったく無関係とは言わないが)。しかもこの場合は、講演タイトルを見てもわかるように、生活と政治との関係における言語行為としての「沈黙」に焦点が当てられている。大衆が国家権力の指令に黙々と従ったり、知識人がいくら理想的な思想を説いても「笛吹けど踊らず」の態度をしばしば示すのはなぜか、というように。
 ところで私自身は、これまで説いてきたところから明らかなごとく、日常生活者の言葉のやりとりの現場にこそ、言語問題の核心も現れると考えているので、吉本の「大衆の沈黙の有意味性」という言葉を、そういう問題意識に引き寄せたいと思う。もちろんこれは、けっして文学言語を軽視するという意味ではない。文学言語は、哲学言語、法言語などと同じように、またそれぞれ違った仕方で、生活のなかで行われている言語行為から立ち上がり醸成され洗練されたところに現れる「結晶形態」なのである。
 日常生活における沈黙の有意味性という概念には、どんな意味と広がりとがはらまれているのか。ここでは、できるかぎりこの問いに応える試みに踏み込んでみようと思う。

 これまで私たちは、聞いたり読んだり理解したりすることもふくめて、言語行為であると考えてきた。というよりも、時枝が鋭く見抜いたように、発話者がある場面を前にして素材を概念にまで構成し、それを「話し(書き)」、受話者が自分にとっての場面においてそれを「聞き(読み)」、さらに概念として理解しつつ納得するという、一連の過程(やり取り)そのものが言語行為である。言語行為とは、それぞれの「自己」を投企しあう関係行為である。
 したがって、ある人が相手の話を聞くために黙っているという態度をとっていることそのものが、それだけで言語行為を行っていることを意味する。
 しかし、前章でも述べたとおり、じつは単に人の話を聴くという機能を果たすために黙っているという態度だけが言語行為であるのではない。人と人とが具体的にかかわっているあらゆる場面で、そのなかのメンバーがさまざまな理由によって黙っているとき、それはすべて一種の言語行為なのである。なぜなら、それらの「沈黙」という様態は、そこにかかわる他者たちに必ずひとつの言語的な「意味」として受け取られるからである。発話をプラスの言語行為とすれば、いわば沈黙とは、マイナスの言語行為である(この「マイナス」という言葉には、価値的な意味を込めていない)。
 私たちは、じっさいの言語活動において、多様な形態の「沈黙」をさしはさみ、その「沈黙」の時間と内実とを包含させることによって、総体として、言語活動を行っているとみなすべきである。
 このことを示す最もわかりやすい例は、小説における会話表現において、しばしば「……」という表記がなされることである。
「……」とはいったい何か。沈黙それ自体が言語としての意味や価値を何ももたないなら、作家はそんな余計な表記を挿入せず、削ってしまえばよいはずである。しかし作家は削らない。必要不可欠なものとして挿入するのである。
「……」は、相手の発語に対して、返す言葉がなかったということであり、その返す言葉がなかったという事実には、ちょうど、数学において負数や虚数の存在が意味をもっているのと同じように、「言語的な意味」があるのだ。ではそれはどんな意味だろうか。
 それは「内語」か、または「内語」にまで構成されることの叶わないさまざまな「思い」であり、「情」である、と簡単に言って済ませることも不可能ではない。しかしこれでは、言語論に限定しただけでも豊かな結論を得たとは言えないし、まして、人間論として「沈黙」や「無言」について何かがわかったとは、到底考えられない。
 ここでは、一つの例だけを挙げたが、じつは、たったいま指摘したように、「沈黙」という事態には、まことに多様な意味や価値が含まれている。そして後に示すように、本当をいえば、その意味や価値が何であるかをきちんと探るには、「言語」的な意味という概念の枠内だけで問題とするのでは不十分なのである。そこでまず、「沈黙」という事態には、どんな質的な違いを持った形態がありうるのかを網羅し、その一つひとつの内実について分析してみるのでなくてはならない。とりあえずそれらの形態を列挙してみよう。

【言葉が出されない事態の諸形態】
①聴覚障害者であるための機能不全
②自閉症児のコミュニケーション失調
③統合失調症患者、うつ病患者など、精神病者にしばしばみられる緘黙
④脳の器質的損傷による失語
⑤吃音障害などによるためらいから習慣化してしまう無口
⑥寡黙で事足りる人(話が苦手、あまり必要と感じない、おしゃべりが好きじゃない、など)
⑦人の話をきいたり、本を黙読しながら、感じたり考えたりしている時
⑧現実場面における発語の断念(選択による沈黙)
⑨文学作品における意識的な言葉の捨象

 およそこんなところであろうか。本稿では、これらすべてに対して均等な目配りをすることはできない。「言語」一般を思想的にとらえることにとって、「⑧現実場面における発語の断念(選択による沈黙)」の意味を掘り下げることが最も重要と考えるからである。しかしそこに至る前に、それぞれの形態の意味をざっと考察しておこう。

①聴覚障害者であるための機能不全
 これについては、前章でやや詳しく論じたので、多くを述べる必要はないだろう。言うまでもなく、聴覚障害者どうしが、発声をほとんどしていなくても、活発な手話を交わしている場合には、彼らは「沈黙」しているのではない。しかし、その場合でも、その手話言語の交換の世界のなかに、健聴者における一般的な「沈黙」と同一の事態が出現していることは疑いない。
 ここでの「機能不全」とは、健聴者の集団に参加しながら、言葉をよく聞き取れないために実質的にはコミュニケーションが成り立っていない状態を指している。

②自閉症児のコミュニケーション失調
 自閉症児の言語発達の遅れは、基本的な障害の結果であって、原因ではない。早期自閉症の研究者、マイケル・ラターは、自閉症の本質を言語的な認識の発達における障害とみなしたが、この説には納得できない。なぜなら、早期自閉症と診断される幼児は、言語を言語として曲がりなりにも駆使できるようになる二、三歳に達するはるか以前に、言語生活以外の多くの側面で、ふつうの子どもとはどこか異なる特徴を示すことが、今日ではよく観察されているからである(もっとも後述するように、これは、親が子どもの言語発達の遅れに気づいて臨床家のもとを訪れてから、問診の過程で乳児期の状況を思い出すという契機を通してである場合が多いとされている。親自身が誕生直後から気づくのは、感情的理由からしてなかなか困難であるらしい)。
 ふつうの子どもは、生後間もなく母親の声を聞き分け(じつはすでに胎児期から漠然と聞き分けていることが実証されている)、母親の接近に喜びと興奮の表情を表わし、また母親の微笑に微笑をもって答えたり、好んで視線を合わせたりする。しかし、早期自閉症と診断される幼児には、乳児期のこうした行動を欠く例が多いと言われている。また、言葉は発しても多くの場合、「対話」として成立していず、単なるオウム返しであったり、養育者の手などを「情のこもった人間の手」とみなさずに、ただの「そこにあるクレーン」として利用したりする。また、厳密な自然規則や機械的な原理に従うもの、時計とか、カレンダーの数字とか、おもちゃの車輪などに異様な執着を示すことも多い。曖昧なもの、見えないがはたらきとしては人間関係にとって不可欠なもの、端的に言えば、他者の「心の表現」と呼ばれるものには、関心を示さなかったり、逃げの姿勢を示したりする。
 なお、こうした特徴は、一九四〇年代に「早期幼児自閉症」の概念を初めて確立したレオ・カナーの周到かつ抑制の効いた症例研究ですでに示唆されていることである。

 レオ・カナー


 カナーの研究が周到で抑制が効いているというのは、症例から安易に「病因」への推論を行っていないという点である。
 これに対して同時代のブルーノ・ベッテルハイムは、精神分析学的な観点から、主として乳児に対する養育者の対応のあり方、つまり後天的、経験的、環境的なあり方に「原因」を求める論理に傾いている。しかし、かなり過酷な環境におかれた乳幼児でも、自閉症的な症状を見せずに発達していく多くの例が存在することを考えれば、このベッテルハイムの「病因論」も納得しがたい。簡単に言えば、単純に養育者や養育環境のせいに帰するわけにもいかない。
 生後まもなくの時点から、この子はおとなしくて親のかかわりにふさわしい反応を示さないどこか変わったところがあった、という感知は、後に自閉症と診断される子どもたちにかなり普遍的に見られる現象である。しかしこの感知はしばしば曖昧である。多くの親は、当然、自分の子どもが異状を示しているということを直視したがらないものであるから、それを深刻に問題にしないまま、二、三年をやり過ごしてしまうという傾向が強い。そのため、言葉の発達の遅れに気づいた時には、「手遅れ」に近い状態になっているケースも見られるという。したがって、初発の「異状」を放置することで進行を助長し、そのために言語的なかかわりをうまく結べないような関係が固定化してしまうという可能性は考えられるが、そのことを「病因」とみなすことはできない。
 そこで現在では、これらの「異状」の「原因」を脳の器質的損傷に求める説が有力視されている。しかし、そういう明瞭な器質的損傷の存在は、機能局在論的な脳科学によっては実証されていないし、そもそも、一義的な「原因」を唯物論的に確定しようとする発想そのものを疑ってみる必要もあるだろう。人間はもともと生物としては多様な偏差と変異をもってこの世に生まれてくるのであり、ある偏差や変異を、「病気」とか「障害」という概念によって切り取り、分節しようとする志向それ自体が、社会的存在として生きなくてはならないという私たち自身の当為や関心から発したものだからである。
 だがまた逆に、こういったからと言って、その「異状」の感知を、「病気や障害ではない」などと楽天視することもできない。なぜなら、私たちの大部分が、自分たちは社会存在であるべきだという動かしがたい自己了解をもち、じっさいその自己了解にしたがって文化や社会のシステムを作ってきたのであって、この歴史を、いまさらないものとすることは不可能だからである。歴史はまさに歴史として、常にそのつど、いま・ここに現前しているのだ。
 なお、自閉症に関する以上の記述には、精神科医・滝川一廣氏の諸論考に負うところが大きい。この場を借りて滝川氏に感謝します。
 自閉症児のコミュニケーション失調の「意味」について現在言えることは限定される。私の推定では、それは、言語活動に先立つ「情緒」的なかかわりの不全を本質としており、養育者との身体接触(肌の触れ合い)や音声のかけあいのもつ人間的な「情緒」の意味を、十分に人間的な「情緒」の意味として受け取れない状態を指している。そして、この推定からさらに次のことが推論される。すなわち、自閉症に関して、「そういえば生まれた時からこの子は何となく変だった」という「異状」が見いだされる事実そのものが、言語活動は言語に「先立つ」情緒的な交流によって支えられるのであって、その逆ではないということを示唆しているのである。
 言い換えるなら、やがて言語健常者として育つべきプログラムを内蔵させて生まれてきた乳児に対して、養育者がそうなるべき存在として適切な情緒的扱いを施すことが、いかに大切な意義をもつかということである。乳児の未熟な前言語的表現(泣く、むずかる、微笑みのような表情を示す、抱擁を求める、身体を一定の仕方で動かす、視線を合わせる、喃語を発する、など)を、養育者は、言語存在としての人間に成っていく準備態勢として受け止めるのでなくてはならない。予定された生得的なプログラムを、プログラム通りに解発せしめるのは、養育者と乳児との前言語的、情緒的なやり取りそのものなのである。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(6)

2013年11月22日 16時12分51秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(6)


 ピアノトリオについての話を続けましょう。

 前回、ビル・エヴァンスについて書き、後期の彼に対して否定的な評価をしました。これに対して一読者の方から疑問の声が寄せられました。それによりますと、70年代後半から最期までの彼には、命の残りを燃え尽くす悲壮感にあふれており、60年代前半とは違った大きな魅力がある、というのです。じつは私は、70年代初めくらいからの彼の演奏を半ば見限ってしまったところがあり、最晩年の演奏をきちんと追いかけていませんでした。自分の中に、最盛期のビルのイメージが染みついており、前回ご紹介したような演奏(「いつか王子様が」)には、どうしても往年の「ビルらしさ」が感じられなかったからです。
 この考え自体はいまも変わりませんが、最晩年についてきちんと評価しなかった点については、不覚のそしりを免れず、ここにお詫びいたします。
 さてビルの晩年のライブ盤「コンプリート・ラスト・パフォーマンス '79」などを聴いてみますと、たしかに「命の残りを燃え尽くす悲壮感」を存分に味わうことができます。なかから一曲、ご紹介しましょう。「ゲイリーズ・ワルツ」。パーソネルは、マーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーベラ(ds)。

Bill Evans Live - Garys Waltz (Jazz Piano)


 前回、軽率にも「晩年の演奏はかなり衰弱したものだ」などと書いてしまいましたが、「衰弱」というような形容はまったくあてはまりませんね。この部分を削除いたします。
 これはこれで抒情あふれる演奏ですが、ただ感じることは、自分の運命を感じ取っているせいか、最晩年のビルは、中間期よりもかえって自由奔放になり、抑制を取り払ってほとんど弾きたいがままに羽を伸ばしているという印象です。かつてのように他のメンバーとのアンサンブルやインタープレイを最重要視していた構成の妙は、あまり感じられません。逆に言えば、他のメンバーは、大マエストロを存分に立てているために、そのぶん影が薄いとも言えます。そこにショパンの独奏曲のあるもののように、やや過剰なロマンチシズムを聴きとってしまうのは、私だけでしょうか。「私の中のジャズピアニスト、ビル・エヴァンス」はどうしてもこれと違う、と言いたくなります(笑)。耳が固まってしまっているので、頑固なんですね。

 ビルについてはこれくらいにして、これまで再三触れたバド・パウエルについて語りましょう。



 バド・パウエルは、ビルよりも5歳年上で、40年代末から50年代初頭にすでにそのモダンジャズピアノのスタイルを確立しています。ピアノトリオという形式を作り出したのも彼の功績です。でもご多分に漏れず麻薬におぼれたために、その最盛期は短く、やがて精神疾患にかかります。60年代にはフランス活動拠点を移し、麻薬禍から立ち直りますが、ほどなく命を落とします。
 しかし、こういうバイオグラフィー的なことを述べるよりも、まずは彼の最も有名な曲をお聴きください。「アメイジング・バド・パウエル vol.5」から、「クレオパトラズ・ドリーム」。パーソネルは、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)。

Bud Powell - Cleopatra's Dream [from 1958 album The Scene Changes]


 とても親しみやすいテーマで、ノリもよく、一回聴いたら忘れられない曲ですね。これは彼が34歳の時の演奏ですが、ソロパートのフレーズも年にふさわしい円熟味が感じられます。しかしよく聴いていただければわかりますが、この時すでに彼の右手は指が相当もつれており、お世辞にもスムーズなプレイとは言えません。最後のテーマに戻るときにもミスっています。
 彼本来の独創性が発揮されたのは、なんといっても51年、27歳の時に発表された、「アメイジング vol.1」においてです。その中から、ジャズファンの間でいまでも評価の高いオリジナル曲「ウン・ポコ・ロコ」をお聴きください。パーソネルは、カーリー・ラッセル(b)、マックス・ローチ(ds)。

Un Poco Loco


 いかがですか? ジャズを聴きなれていない人の中には、「え? 何これ、ヘンな曲」と感じられた向きもあるのではないでしょうか。そうですね。「クレオパトラ」の親しみやすさに比べてたしかにけっこうエキセントリックな雰囲気です。じっさい、「ウン・ポコ・ロコ」とは、スペイン語で「ちょっと狂った」という意味だそうです。
 しかしこの曲には、「俺はこういう音楽をやりたいんだ」という彼の強い気迫と情熱が全編に漲っています。ソロパートをたっぷり聴かせるという楽しみは味わえませんが、カウベルの不思議なリズムに乗って奏でられる激しいテーマの繰り返し、中間部における、訥弁でありながら何かを懸命に訴えようとする切迫した展開、ローチの短いソロを経て、再びテーマへ。これは通常のジャズ音楽の概念を超越していて、並の人間感情の表現ではなく、何か「神々の憤り」とでもいったらよいようなものを感じさせます。狂気の神がパウエルの体にこの時突然降りてきたようです。
 51年という早い時期にこんなアヴァンギャルドな曲が生まれたというのは、まさにアメイジングです。クラシックで言えば、そう、プロコフィエフの登場に似ているでしょうか。私は60年代後半に起こったアヴァンギャルド・ジャズ・ブームをほとんど評価していませんが、パウエルのようなモダンジャズ草創期の人が示したこのような天才性には、脱帽するほかありません。
 この時期のパウエルは、自分が納得するまで同じ曲のテイクを何度も取っています。スタジオ録音では、テイクを何回か取るというのはしばしば試みられることですが、パウエルの場合は、ことにそれがしつこい。「アメイジング vol.1」、同vol.2のCD版では、それをたっぷり聴くことができます。興味を持った方はぜひどうぞ。

 なお蛇足を一つ。
「クレオパトラ」でも「ウン・ポコ・ロコ」でも、パウエル自身の声が聴かれますが、これは彼の癖で、表現したいことを鍵盤にぶつけようとするときの唸りあるいは呻きととらえられるでしょう。好き嫌いがあるでしょうが、そういうところも含めて、彼の演奏にシンクロできれば、これもまた魅力の一つになると思います。
 演奏中に声を出すピアニストには、ほかにオスカー・ピーターソンや、キース・ジャレットがいます。オスカーのそれは、マンブリング(もぐもぐ)と言って、なかなか楽しいものです。もともと彼のピアノはハッピーなトーンですから、それによく適しているでしょう。サッチモ(ルイ・アームストロング)のスキャットに似ていますね。
 キース・ジャレットの声出しは、私にはあまり好もしく思えません。というのは、彼の演奏は、エコーを効かせたとてもきれいなフレーズに満ち溢れているのに、それに「アーッ」というようなよがり声みたいな音がやたら混じるのは不調和そのもので、せっかくの美しい音楽をぶち壊しているようにしか聞こえないからです。



 *次回以降もピアニスト特集を続けます。


平成総理大臣三バカ大賞 第一回受賞者決定!

2013年11月20日 01時01分15秒 | 政治

 平成総理大臣三バカ大賞 第一回受賞者決定!


                              主催:日本政治家評価協会



●この賞は、平成年間の日本の総理大臣の中で、過去・現在および将来にわたって国民の福利を著しく毀損した人の栄誉を称えて与えられるものです。
●受賞者は、故人、生存者を問いません。
●授賞式典次第
 ・日時:11月23日(土)勤労感謝の日 正午
 ・会場:閻魔大ホール(東京都千代田区地獄町1丁目1番地)
 ・当日は、表彰状授与とともに、副賞として「デジタル式舌抜き機 タングポン」を受賞者に進呈します。この最新鋭機は、痛みもなく自己責任において舌を抜くことができ、余計なことをしゃべらなくても済む絶大な効果があります。
●式典に参加ご希望の方は、ご自由においでください。

◎以下に、受賞者名と、その授賞理由を記します(就任順)。

第1バカ大賞 橋本龍太郎(故人)



 【授賞理由】あなたは、平成9年、当時の国民がバブル崩壊後の不況にあえいでいたにもかかわらず、消費税を3%から5%にまで値上げする政策を断行し、もって国民を更なる苦境に陥れるとともに、当初期待されていたはずの税収増を果たせず、かえって税収減をもたらしました。この政策は、財政再建の目的を達成できなかっただけではなく、その後の国内需要をいっそう縮小させ、長く続く円高デフレ不況の大きなきっかけを作りました。その功績はまことに大であり、よってその栄誉を称えここに総理大臣三バカ大賞を授与します。


第2バカ大賞 小泉純一郎



 【授賞理由】あなたは、新自由主義者・竹中平蔵氏の絶大な影響のもとに、構造改革・規制緩和路線の礎を築きました。郵政民営化、医療保険のサラリーマン負担割合増など、財政再建のために一連の政策を断行しましたが、その結果、財政再建の目的を達成できなかっただけでなく、かえってアメリカ発グローバリズムの進展による国富の流出、国内産業の疲弊、中小企業の相次ぐ倒産、雇用の不安定、地方の衰退などを招きました。しかしながら、長期的な見通しもないまま、直感にもとづくワンフレーズによって大衆を煽る才能には、驚嘆すべきものがあり、その人気はいまだに衰えを見せていません。「痛みを分かち合おう」という殺し文句に参ってしまった人がそのトラウマから抜け出せないようです。
 最近の「脱原発」発言においては、局部的なフィンランド視察に触発されただけで、「核廃棄物処理場がないから原発はゼロ」と、その面目を躍如とさせております。
 ちなみにフィンランドでは、現在200万kW級の原発を一基建設中、二基計画中ですし、アジアでは原発建設計画が目白押しです。福島事故の教訓による高度な安全技術の達成も含めた今後の日本の原発技術に、大きな期待が寄せられることは疑いありません。また核廃棄物処理に関しては、処分技術実用化へのあくなき研究、既設の原発でのMOX燃料による再処理トライアル、大きな受容能力を誇る六ヶ所村再処理工場のスタンバイ状態、高速増殖炉再建追求など、処分の具体的な可能性が現存しています。にもかかわらずあなたは、代替エネルギーの見通しを何一つ示さないまま、これらの地道な努力を「脱原発」のただ一言で踏みつぶそうとしています。あなたはこのように、かつての偉大なる人気を利用しただけの不勉強なバカ政治家の見本ぶりをいかんなく発揮しており、その功績はまことに大であります。よってその栄誉を称え、ここに総理大臣三バカ大賞を授与します。

 *日本政治家評価協会・会長から一言:当協会では、小泉氏の総理辞任直後の平成18年、彼の行った政治に対する採点を求められ、その際、75点という高得点を与えてしまいました。無知と不明を恥じ入る次第です。ここに深くお詫び申し上げます。


第3バカ大賞 菅直人



 【授賞理由】あなたは、市民運動家として反国家思想を存分に培いつつ、その一方で持ち前の「イラカン」キャラによって関係者を威圧しまくり、最高権力を通して反国家思想を実践するという、まことに見事な離れ業を実践いたしました。
 平成22年の中国漁船衝突事件においては、那覇地検に責任を押しかぶせて漁船船長を釈放させ、都合の悪い映像情報を公開せず、我が国の安全保障を脅かすこの事件に対して一国の総理として何の説明責任も果たしませんでした。この快挙が、中国に日本を舐めさせる大きなきっかけを与え、その後の尖閣問題につながったことは明白であります。
 また福島原発事故におけるあなたの「原子力のことは俺に任せろ」式の自分勝手な行動が、格納容器の圧力低下のために必要な措置を遅らせたことは有名ですが、こうした高圧的な権力政治屋的振る舞いの割には、「臨界」の意味も、「乗数効果」という経済用語も、「総理大臣が自衛隊の最高指揮官である」という基礎事実も知らなかったというのは、まことに驚くべき椿事であります。あなたのような無知な人を総理大臣に選んだ私たち日本国民は、末代までその栄光を称えられることでしょう。
 またあなたは、以前から北朝鮮と縁が深く、その系統の政治団体に多額の献金までしております。日本の原発をゼロにしようというあなたの悲願は、エネルギー安全保障の観点の片鱗すらなく、ひとえにこの国をいかにして滅ぼすかという崇高な理想の一環として理解できるでしょう。
 私たちは、あなたが総理大臣になってくれたおかげで、頑固な反国家思想の持ち主が国家権力を握るとどうなるかということを深く学ぶことができました。ちょうど党員資格停止処分も解けますので、その旺盛な権力欲を発揮して、再び黄昏の民主党の最高顧問に返り咲き、今後とも民主党の秩序を大いに攪乱していただくことを願っております。
 これらの多大な業績を称え、ここに総理大臣三バカ大賞を授与します。


特別賞  鳩山由紀夫



 【授賞理由】あなたは、東アジアを「友愛の海」に変えようという、かつてない大きな夢を抱き、その夢を「東アジア共同体」という壮大な構想によって実現しようとしました。その手始めに、実施寸前まで決まっていた米軍普天間基地の辺野古への移設を「最低でも県外」という素晴らしい言葉によってぶち壊してくれました。この一言で、東アジアの秩序の安定にとって不可欠である日米同盟がどれほど毀損されたか計り知れません。
 またあなたは在任中に、解放同盟という一圧力団体の権力伸長を本質とする人権擁護法案(正確には人権救済機関設置法案・人権委員会設置法案)や、北朝鮮・韓国が泣いて喜びそうな外国人参政権法案が国会を通過するように強く働きかけています。あなたはまれにみる善人で、現実の政治がどんな力学によって動いているかについての感覚がまったく欠落しているにもかかわらず、果敢にもこれらの国家破壊的な政策の実現に挑みました。「国境を超えて仲良く」は、政治には通用しません。
 あなたにとっては不幸なことに、昨年以来の自民党の圧勝により、この「みんな仲良くお手手つないで」の夢は叶いませんでしたが、総理辞任後も、民主党最高顧問という威厳あるポジションを保ち、中国政府からのお招きがあれば、ホイホイと出かけて、美味しい老酒の振る舞いに顔を火照らせ、安倍政権批判に熱中して中国政府を喜ばせております。
 あなたは、尖閣諸島に対する中国の執拗で明白な侵略行為、韓国の露骨な反日攻勢の後でも、「友愛の海」の夢から少しも覚めていないようです。「宇宙人」と称されるこの天然ボケキャラの持ち主が、総理大臣として通用するという事実は、「奇跡」としか言いようがありません。この奇跡を垣間見せてくれた功績はまことに絶大なものがあります。よって、ここに三バカ大賞・特別賞を授与します。


*日本政治家評価協会・会長から一言:平成の御世も四半世紀を過ぎようとしておりますが、この間に四人もの素晴らしい総理大臣バカ大賞受賞者が出たとは、慶賀の至りであります。ああ、日本はなんて素晴らしい国なんでしょう! この秘密はいったいどこにあるのか、これから皆さんとともに考えていくことにしたいと思います。


倫理の起源15

2013年11月18日 20時37分51秒 | 哲学
倫理の起源15



 つぎに〔証明3〕では、肉体が諸部分の合成であるのに対して、魂は単一であり、肉体に比べて、変化せず、自己同一的で、不可視であることをもって、魂が不死であることの根拠としていた。
 しかしここでのソクラテスの説明の仕方は論理としてまったくあいまいである。魂は、単一で、変化せず、自己同一的で、不可視であるものに「似ている」から、不死であるというのである。ここでひそかに思い浮かべられている、単一で、変化せず、自己同一的で、不可視であるなどの特性は、いうまでもなく神のそれである。しかし神が不死であるからといって、神的なものに似ている魂もまた不死であるなどという論理は通らない。要するにこれは出来損ないの三段論法なのである。いわく、大前提:神は不死である。小前提:ところが魂は神に似ている。結論:よって魂は不死である……。
 加えて、魂が神に似ているという指摘も疑わしい。なぜなら、人間の魂の中には、少しも神的でない、悪い魂、欠けたところだらけの魂(欲望に目がくらんだ魂)などが存在することを、ソクラテス(プラトン)自身がいたるところで認めているからである。認めているからこそ、プラトンは、魂への配慮という戒律を何よりも重視したのであった。
 最後に、〔証明4〕では、数のあり方からの比喩的転用が用いられている。
 このやり方は一種の集合論的な証明方法が採られていると考えるとわかりやすい。3は奇数集合の中のひとつの要素であるが、3と2とは別に反対ではないのに、2が偶数集合の中に含まれるという理由によって、3は2をけっして寄せ付けない(同族としない)結果になる。これと同じように、魂は、仮に生命そのものではないにしても、生命をもたらすものの集合に含まれる。ところが生命をもたらすものの集合とけっして相容れない集合は、「死」的な集合である。二つの集合は交わりをもたないので、はじめの集合の要素(または部分集合)である魂も、けっして死を寄せ付けないというのである。
 これも、証明1と同じ、論点先取の誤謬に陥っている。あるいは同義反復といってもいい。ソクラテスの頭のなかでは、「生命をもたらすもの」という概念と「魂」という概念とがはじめから結びついているので、魂が死を寄せ付けないのは自明のことなのである。しかも、この場合、「生命をもたらすもの」という概念のうちには、「常に」「いつも」「必ず」「永遠に」というニュアンスが込められている。しかし、魂が常に永遠に生命をもたらすものであるかどうかこそが、まさにここで証明しなくてはならないことであった。
 以上で、「魂の不死・不滅」に関するソクラテスの「証明」は、すべて証明の体をなしていないことが明らかになったと思う。
 だが私は、ソクラテスの証明が不備で幼稚であると指摘することで、プラトンの思想的モチーフそのものを殺ぐことになったのであろうか。けっしてそうではない。
 むしろ私は、『パイドン』を著したプラトンが、ここまで無理な苦心を重ねて若者たちを折伏しようとしたところに、彼の悪魔的・詐欺的な情熱のおそろしさを感じるのである。その情熱の直接的な動機は次のようなところに認められよう。

①魂の不死・不滅を信じさせること
②思惟によってしかとらえられない「真実在」「ものそのもの」「イデア」の存在を信じさせること
③①と②とは、必然的な連関をもち、いっぽうが叶わないなら、他方も崩れることを認めさせること


 そしてすでに述べたように、これらの動機は、あきらかに倫理的なものである。『パイドン』におけるプラトンは、「知への愛」(哲学)を人間の営みのうちで最も優れたものとし、そのほかの現世的な営み(生理的欲望、資産を増やす欲望、名誉を得たいとする欲望などを達成しようとすること)の価値をほとんど認めていない。この浮世離れした「哲学」なるものに、魂がこの世で魂であることの一切の価値を集中させるラディカリズムは、「物事を正しく認識し、真理を徹底的に求める」という常人にはけっして叶わぬ狭い通路を指し示しながら、それ(真理の追究)なくしては人間の道徳(善)は成り立たないという、固い信念を表現している。つまり、真理の追究を旨とする「哲学」という名目は、ここでは道徳的な「善」の実現という目的のために利用されているのである。
 あの時代に「哲学」を追究することだけが、道徳的な「善」への唯一の道であるという信念を貫くこと、「善」の実現のためにほかのことは全部捨てて「知識への愛」だけに集中せよと説くことには、ある意味で歴史的・社会的な必然があったかもしれない。
 しかし現実にそれをなすためには、妻子への愛、私的生活への物質的・精神的な配慮、社会的役割を果たすこと、などをすべて捨ててかからなくてはならない。ちょうどイエス・キリストが、集会場に身内の者がやってきたことをだれかによって知らされたとき、「私の家族とはだれか。ここに集まっている者たちこそ私の家族である」と喝破して、血縁的な絆の意義を否定し、自分の思想の共鳴者だけをメンバーとして認めたように。
 共同態的な関係を否定することによって思想を屹立させること、これは、原理的な思想のもつ一種の宿痾のようなものだ。むろん、ある程度裕福な当時の自由市民の一部には、浮き世の雑事に関心を払わずに、知への愛にひたすらかまけることが可能であったろう。だが、問題はそういうことが可能であるか不可能であるかではない。イデアの原理を用いて道徳的な「善」の原理を基礎づけようとすること、その純粋性自体が、巨大な思想的倒錯であり、現実的な価値を転倒させるたくらみなのだ。
 ところで、先に記しておいたように、ソクラテスは若いころ、自然研究に熱中したが、その方法に満足できず、アナクサゴラスの「万物の原因は知性である」という説に触れたという。しかしこれにも失望を感じた彼は、事物の真相を知るための自己流の考え方を編み出した。それは美そのもの、善そのものなどのイデアが確実に存在するという前提から、物事がかくある根拠や原因を説明するという方法である。
 この部分は『パイドン』の中で非常に重要な意味をもつので、これについて考察を進めるために、たいへん長い引用になるが、直接抜き書きしてみよう。

 ところで、いつか、ある人が、アナクサゴラスの書物--―ということだったが、その中から、万物を秩序づけ万物の原因となるものは知性(ヌウス)であるという言葉を読んでくれるのを聞いて、ぼくはこの「原因」に共鳴した。知性を万物の原因であるとするのは、ある意味では、結構なことだと思えたからだ。
 そして、もしそうなら、この秩序を与える知性は、それが最善であるような仕方で万物を秩序づけ、個々の事物を位置づけるであろうと考えた。それゆえ、個々のものについて、それがどのようにして生じ、滅び、存在するかの原因を発見したいと望むなら、その事物がどのような仕方で存在し、あるいはどのような仕方で何らかの働きを受けたり与えたりするのが、そのものについて最善であるかを、発見しなければならない。
 この考えによると、人間自身についても、また、そのほかの何についても、何が最善であり何が最上であるかということ以外には、人間にとって探求するに値するものは何一つないことになる。そして、それを探求する同じ人は、また必ずや、何が悪であるかをも知るはずだ。善と悪についての知識は、同一の知識なのだから。こう考えてぼくは、事物の原因についてぼくの望むような仕方で教えてくれる人をアナクサゴラスに見出したと思って、喜んだわけだ。

 つまり、それぞれ(大地や諸天体のあり方――引用者注)がこのような働きをしたりされたりするのがなぜより善いことなのかを、たずねようと決心した。なぜなら、彼が、これらのものが知性によって秩序づけられたと言う以上、現在のあり方が最善なのだということ以外の原因をそれらに与えるとは、ぼくには考えられなかったのでね。彼は、それらそれぞれに個々の原因を、また、全体に共通な原因を与えるにあたって、それぞれにとって最善なるもの、全体にとって共通な善きものを明らかにするであろうと、ぼくは考えた。

 大いなる希望の重みから、ねえ君、ぼくは転落していったのだ。というのはね、読みすすんでゆくにつれて、ぼくが見出した男は知性など全然使ってもいないし、事物を秩序づける原因を知性に帰することもなく、空気とかアイテールとか水とか、そのほかたくさんのくだらないものを原因としていたのだよ。
 それはちょうど、こう言ったら、いちばん近い譬えになるだろう。つまり、だれかが、ソクラテスはそのすべての行為を知性によっておこなうと言っておきながら、ぼくの行為の一つ一つの原因を説明する段になると、こんなふうに言うのだ。つまり、ぼくがいまここに坐っている原因については、まず、ぼくの肉体は骨と腱からできていて、骨は硬くて関節によってたがいに分かれ、腱は伸び縮みして肉や皮膚といっしょに骨をつつみ、この皮膚がこれら全部がばらばらにならないようにまとめている、そこで、骨はそのつなぎ目でゆれ動くから、腱を緩めたり縮めたりして、ぼくはいま肢を曲げることができ、そしてこの原因によって、ぼくはここにこうして膝を曲げて坐っているのだと。あるいはまた、君たちとこうして話し合っていることについても、彼は別の同じような原因をあげるだろう。つまり、声とか、空気とか、聴覚とか、その他、無数のそのようなものを原因だとして、真の原因を語ろうとはしないのだ。
 真の原因とは、すなわち、アテナイの人たちがぼくに有罪の判決を下すのを善しとし、それゆえぼくのほうもここに坐っているのを善しとし、とどまって彼らの与える罰を受けるのがより正しいと思ったという、このことなのだ。なぜなら、誓って言うが、もしぼくが逃亡するよりも国の命ずる罰にしたがうことのほうがより正しく立派なことだと考えなかったとしたら、思うに、これらの腱や骨は、それこそ最善なりとする考えに動かされ、ずっとまえにメガラかボイオティアあたりに行っていたことだろうからね。
 しかし、そのようなものを原因と呼ぶのは、まったくばかげたことだ。もしだれかが、それらのものをもつことなしには、つまり骨とか、腱とか、その他ぼくのもっているいろいろなものをもつことなしには、ぼくは自分の考えを実行することができないと言うのなら、それはほんとうだろう。しかし、ぼくが行為するのは――しかも知性によって行為するのであるのに――そのようなもののゆえにであって、最善のものを選んでではないというのなら、それはまったくもって、いいかげんな議論と言うべきだろう。真の原因であるものと、それがなければ原因が原因たりえないものとを、区別することができないとはね。多くの人たちが、まるで暗闇を模索するようにして、不当にも原因という名で呼んでいるものは、じつは、このようなものではないかとぼくには思われる。


 万物が一定の秩序のもとにかくある原因は「知性」であると言うときのアナクサゴラスの「知性」とは、おそらく神々のそれを指すのであろう。自然の法則が整然と成り立つ様は、神々がそれを司っているからだ、という以外に、説明のしようがない。これは現在のように自然科学が発達した時代でも同じことで、自然科学は物質の運動や反応について、その法則的な整合性そのものを記号としての言語を用いて驚くほど精緻にすくい取ってはいるが、「なぜそうあるのが善いことなのか」については沈黙している。
 たとえば、万有引力の法則が「なぜ」成り立つのかはわからないし、ある速度をもつ物体のエネルギーは速度の二乗に比例するという法則が成り立つことが「なぜ」善いことなのかについて説明しようとする科学者はいない。DNAが螺旋状配列をしていることが「なぜ」善いことなのかもわからない。
 ソクラテスは、ここで、アナクサゴラスに無理な要求を突きつけているというべきである。アナクサゴラスは、自然界や生命界におけるさまざまな現象の機序や過程を記述しただけなのであろう。そしておそらくそれらをそうあらしめているのは、神的な「知性」であると考えたにすぎない。神的な「知性」をもたなくとも、物質の運動や反応の因果関係は人間でも追認できるから、そこに一定の法則性を見出すところまでは可能であり、しかもそのことによって、人間は自然を加工して生活に役立たせることができる。
 つまり自然科学は、さまざまな物理化学的な現象に見られる法則性を記述することを通して、物質を操作する技術に結びつくので、有用性という意味では大いにその価値を発揮する。ソクラテスの座っているベッドは、人間が寝たり座ったりするのに都合よくできているであろうし、ソクラテスの身体の構造もまた、ベッドに座りやすくできているであろう。
 ただ、ここでソクラテスがアナクサゴラスを批判しているように、「原因」という概念を「なぜそうあること、そうすることが『善い』ことなのかを説明してくれるもの」というように規定するならば、アナクサゴラスの説明(現代でいうなら、自然科学的な原因規定の記述)は、たしかに「真の原因」とは言えないことになる。骨や腱や筋肉の、また一般的に身体の合目的的なしくみを解き明かすことは、人間の意志や行為が思い通りに運ぶことにとっての単なる契機であり、それらを支えるハードシステムにすぎない。
 現在隆盛を極めている脳科学にしても、それは同じことで、一部の脳科学者たちは、脳神経系の構造と、その構造を通して実現されている電気化学的な反応のプロセスとを可視化することによって、私たちの「心」の動きがなぜそのようであるかが解明されるに違いないという確信を抱いているようである。しかし私にいわせれば、これは原理的な錯覚である。
 なぜなら、第一に、脳神経系の構造や反応プロセスの可視化は、被験者以外の第三者の視界に訪れる知覚と認識の現象であるから、そこにまた被験者当人のそのときの心のはたらきとは別種の知覚・認識過程、つまり「心」の過程が入り込む。それは、被験者の心のはたらきそれ自身とは別のものであって、いわば外部からのなぞりであり、トレースにすぎない。脳神経のはたらきの生理学的・物理学的・化学的プロセスを可視的に客観化することは、どれほど精密になされたとしても、それらのプロセスが、なぜある特定の意志や感情や知覚として実現するのかを説明することはできない。
 また第二に、可視的となった脳の構造や反応のプロセスは、じつはある心のはたらきの「原因」ではなく、心身に同時並行的に起こっている現象にすぎない。したがって、脳の現象の可視化から心の解明へという矢印は引けないのである。
 なるほど、ちょうどソクラテスがそこに座っていられるのは骨と腱とがその持ち前の機能を座るにふさわしくはたらかせていられるからなのと同じように、脳の言語中枢が侵されれば、言葉を話すという心の機能は果たせなくなる。しかし脳の言語中枢は、「それがなければ原因が原因たりえないもの」(機会、条件、契機)に過ぎず、ソクラテスの言わんとする「真の原因」ではない。「真の原因」はこの場合、その人がある言葉を発しようとするとき、なぜその言葉を発しようとするのかという「意」そのものの中に求められなくてはならない。
 たとえば私がモーツァルトの音楽に感動しているとする。この心のはたらきの「原因」なるものは、脳の特定部位の電気化学的反応などにあるのではなく、すぐれて文化的・精神的な交流のプロセスそれ自体にある。それはモーツァルトが創り出した「美」そのもの、テクストそのものの構造解明と、鑑賞者である私の美的感覚がいかにして経験的に養成されたのかという過程の解明との接点を見出すことによってしか究明できない。
 この接点の確定は、文化論、芸術論的な方法の確立を待ってはじめて可能なことであり、自然科学の方法の出る幕ではない。そのかぎりで、アナクサゴラスは「真の原因であるものと、それがなければ原因が原因たりえないものとを、区別することができない」というプラトン(ソクラテス)の指摘は、まことに的を射たものである。
 ちなみに、巧みな整理屋で絶妙なバランス感覚の持ち主であったアリストテレスは、プラトンのこの「唯一の真なる原因=善のイデア」の解明に哲学の真の動機を求める一元性を批判的に相対化して、原因と呼ばれるものをさまざまに分類し、質料因や始動因という概念を設定することで、自然科学的な因果論理の思考法にもじゅうぶんな余地を与えた。アリストテレスの存在が、科学的な探求の礎と見なされるのもゆえなしとしないであろう。そして、ここでソクラテスの主張する「真の原因」は、アリストテレスの整理に従えば、形相因に相当するであろう。
 ところで、ソクラテスは、真の原因とは、なぜ物事がかくかくのあり方をしていることが「善い」ことであるのかを解明するものでなくてはならないという考え方に固執している。万物の根源は何かという問いから始まったソクラテス以前の哲学では、自分たちが存在しているこの世界全体のメカニズムを解明するところに主力が注がれていた。ところがソクラテスは、そういうことを問題にするのは、真の哲学ではなく、方向性を誤っていると考える。そして彼は、事物を秩序づける原因を、空気やアイテールや水などの「くだらないもの」に求めるのは、ほんとうの原因探しではないとして、一蹴している。
 いったいここでは何が行われているのだろうか。
 ソクラテスは、はじめのうちは、万物を秩序づけている原因が何であるかを知ろうとする在来の哲学的関心を一応そのまま受け継いでいる。大地や天体がなぜかくかくのありかたをしているのか、そしてそうあることがなぜよいことなのかを知りたいと語っているからだ。
 ところが、話が進むにしたがって、「なぜかくあることがよいことなのか」という関心の対象を、しだいに「人間そのもの」に移行させている。はじめのほうで、「人間自身についても、また、そのほかの何についても、何が最善であり何が最上であるかということ以外には、人間にとって探求するに値するものは何一つないことになる。」という断定がなされているが、ここですでに「人間自身について」という言葉が鮮明に打ち出されている。とはいえ、まだここでは、「また、そのほかの何についても」と付け加えていて、既存の哲学の発想に対して、一応の敬意を払っていると言える。しかし、書き手プラトンの本意では、もはや「人間自身」のほうに軸足が移っており、「そのほかの何か」は、じつは蛇足なのである。
 また、この部分ではまだ、「何が最善であり何が最上であるか」という言い回しにおける「最善」という言葉遣いにしても、「よい」という言葉一般のもつ多くの含みを保存している。最善、最上と書き並べることで、そのことが推定される。
 しかし、ソクラテス自身がここに座っていることがなぜ「よい」ことなのかというたとえ話を持ち出す段になると、もはや、万物がかくあることの原因が何であり、なぜそれを原因とするのが「よい」ことなのかという問いは、ほとんどソクラテスの関心の埒外に追いやられるのである。
 なぜならば、万物がこのようにあることがなぜ「善」であるのかという問いと、「私」がここに座って死刑を待ち受けていることがなぜ「よい」ことであるのかという問いとの間には、千里の径庭があるからである。前者において問題とされているのは、神々の創造の秩序(自然法則)の意義を求める問いにかかわることがらであり、これに対して、後者において問題とされているのは、人間が作った秩序が、まさに人間同士の生きる社会において適切であるか否かという問いなのである。言い換えると、この、後者の問いは、神々の創造の秘密とは離れて、ほとんど純粋に、人間に自己責任を課さなくてはならない領域の問題、すなわち、倫理的な問題に転化しているのである。
 かくして、「真の原因とは、すなわち、アテナイの人たちがぼくに有罪の判決を下すのを善しとし、それゆえぼくのほうもここに坐っているのを善しとし、とどまって彼らの与える罰を受けるのがより正しいと思ったという、このことなのだ。」と言い切るにおよんで、「善し」という言葉は、完全に倫理的な意味のそれに限定される。
 同時に、哲学が目指すべき課題は、「万物の根源」などではなく、「われわれ人間がいかにすれば善く生きられるか」という問いに答えることだけだと断定されているのである。 つまりこのくだりで行われていることは、「哲学」が目指すべき対象と課題についての、まことに大胆な「視線変更」なのである。プラトンは、哲学が目指すべき対象はわれわれ人間自身であり、その究極の課題は、人間は自らの魂にいかなる配慮を施せば道徳的な意味で「善く生きる」ことができるかという、すぐれて倫理学的なテーマに終始すると言っているのである。



倫理の起源14

2013年11月18日 20時19分30秒 | 哲学

倫理の起源14




次に『パイドン』を調べてみよう。

 周知のように、『パイドン』は、青年の心を惑わしたとして死刑の判決を受けたソクラテスが、死の間際に彼の死を惜しんで集まった友人や弟子たちの前で、自分が死んでいくことは少しも哀しいことではなく、むしろ魂が汚れた肉の世界を離れて永遠のふるさとに帰っていくことなのだから、喜ぶべきことなのだという説をねばり強く展開した作品である。
 一編の主題は、ひとことで言えば「魂の不死と不滅」の証明にあると言えるが、この作品では、前二作に比べて、現世に対するイデア世界の優越性がさらに強調されている。この優越性を強調することは、ソクラテス(プラトン)にとって、単に認識論的な問題として「魂の不死」や「イデア世界の実在」が真実であるからという理由だけではなく、倫理学的に重要な意味をもっていた。
 というのは、作品の終わり近くになって(57節以下)、ソクラテスは、魂が不死・不滅であればこそ、われわれはこの世にある間に魂に対する真剣な配慮をないがしろにしてはいけないという道徳的な教説を、しきりに展開するにいたるからである。
 それは、感覚で把握できるかぎりの世界をはるかに超えた大地全体のモデルを示すことによってなされる。つまり、魂が可視的な世界から不可視の世界にまでずっとその歩みを続ければこそ、死後の歩みが生前の行状によって善くも悪くもいかようにも変わりうるゆえに、生きている間に身を清く正しく保っておかなくてはならないというわけである。
 これは、世界の多くの宗教に共通した因果応報説的な論理だが、ソクラテス(プラトン)は、宗教家としてではなく、まさに哲学者として、人が道徳的に生きるべき根拠を、「魂の不死と不滅」という事実から引きだしてこなくてはならなかった。言い換えると、この問題を論理的に証明してみせることが、彼(ら)にとって必須の課題だったのである。『パイドン』におけるプラトンは、肉体の快楽や欲望の追求に明け暮れる「醜い」人間界に、もしかろうじて倫理性が成り立つとすれば、その成立の可能性は、一にかかってイデア世界の厳たる存在と、その世界をわれわれが味わいうる条件としての「魂の不死・不滅」にこそあると考えたにちがいない。
 作品をソクラテスの論説という面のみに限ってていねいに追いかけてみると、全体を便宜上次のように五つに区分するのが適切に思われる。

①4節から13節まで。
 ここでは、哲学者はなぜ死を怖れないのかが論じられる。
 哲学者は、ただひたすら死ぬこと、死をまっとうすることを目指しており、それは、魂を肉体の結びつきからできるだけ解放しようとするからである。肉体的なものに煩わされていれば、われわれは真実に触れることができない。ただ純粋な思惟のみによってこそ真実在に触れることができるのだが、生きているうちにはそれは不可能である。
 死によって魂は肉体を離れ、純粋に魂だけになり、生きているうちにできなかったことが可能となるのだから、それこそは哲学者の望むところである。生きているときにできるだけ死に近くあるようにつとめてきた者が、いざその死が訪れたとき怖れたり嘆いたりしては、滑稽ではないか。死に臨んで嘆く者を見たら、それはその男が知を愛する者ではなくて肉体や金銭や名誉を愛する者であることの証拠ではないか。

②14節から34節まで
 ここでは、「魂の不死」の証明が三つなされる。
〔証明1〕およそあらゆる相反する性質を持つものは、一方から他方が生ずるというようにできている。小さいものが大きくなる、あるものが悪くなるのは善いものからである等。
 ところが生の反対は死である。ゆえに死んでいるものから生きているものが生ずるのであり、生きているものから死んでいるものが生ずるのである。
 しかもこれは循環をなしている。なぜなら、いったん死ぬと死者はその状態にとどまってふたたび生き返らないのだとすると、すべてはやがて死に絶えて、生きているものは何一つなくなってしまうから。したがって魂は不死である。
〔証明2〕学んで新しい知識を得るということが可能なのは、じつは想起による。ところである知識を想起するには、それをいつか以前に知っていたのでなければならない。われわれが学ぶということは、もともと自分のものであった知識を再把握することである。 たとえば、互いに等しく見える事物と等しさそのものとは同じではない。等しい事物を初めて見たときに、等しさそのものよりは劣っていると考えるとすれば、あらかじめ等しさそのもの(という規準)を知っていなければならない。このことは、美そのもの、善そのもの、正義そのものなどについても同様である。だからわれわれはこれらすべてについての知識を生まれる前に得てしまっていたのでなければならない。
 ゆえに魂は、肉体に宿る以前に、知力を持って存在していたのである。真、善、美など、これらのイデアが存在することと、魂がわれわれの生まれる前にも存在したこととは同じ必然性をもっていて、前者が否定されれば後者も否定されるのである。
〔証明3〕同一で変化しないものは非合成物であり、変化するものは合成物である。真実在は前者に当たり、それにあずかるさまざまな事物(たとえば美しい花)は後者に当たる。また、真実在は不可視であり、さまざまな事物は可視的である。前者の単一で不変で不可視なものは、思惟によってしかとらえられず、後者の合成され、移ろいやすく可視的なものは知覚によってとらえられる。
 ところで魂は、肉体に比べて、それ自身不可視的であり、肉体から離れて自分だけで何かを考察する場合には、純粋で永遠で不死で不変な存在(真実在)へと赴き、常にそれと共にあろうとする。また魂は、肉体に比べてより神的でもある。魂は、神的で、不死で、英知的で、単一の形をもち、分解することなく、常に不変で、自己同一的であるものに最もよく似ている。肉体はこれと反対である。ゆえに魂は不死である。
 この三つの証明のあと、肉体が魂にとっていかに重荷であるか、また哲学だけがこの肉体という牢獄の巧妙さを知っており、哲学者の魂は、快楽や恐怖や欲望を強く感じるとき、その結果としてうけとる悪こそは最大の悪であると考えるなどのことが述べられ、肉体からの魂の解放こそが哲学者の仕事であることが強調される。

③35節から43節まで
 ここでは、聞き手のシミアスが呈した疑問にソクラテスが答える。
 シミアスの疑問は、「魂は一種の調和であるといわれているが、もしそうなら、その調和を作り出している諸部分が狂いを示したら、魂は不調和となり死んでしまうのではないか。しかも調和を作り出しているのは、楽器などの物質的なものである。すると、物質的なもの(肉体)のほうが魂よりも長生きするということにならないだろうか」というものである。
 これに対してソクラテスは、「魂=調和」説そのものが誤りであることを説く。いわく、すでに魂が肉体よりも先に存在していたことをわれわれは認めたのだから、魂は肉体の構成要素からなる一種の調和などではない。またある魂は知性と徳とをもち、善き魂と呼ばれ、別の魂は愚かさと不徳とをもち、悪しき魂と呼ばれることがあり得るが、こうした魂のさまざまなあり方を考慮に入れた上でなお、魂が調和であるという説を支持しようとすれば、調和が自分の中に不調和を分けもつというおかしな結論に導かれてしまう。

④44節から56節まで
 ここでは、聞き手のケベスが呈した疑問にソクラテスが答える。
 ケベスの疑問は、「あるひとつの肉体から魂が離れるとき、その魂がいくら一時的に不死で長生きであったとしても、多くの肉体に宿るうちに、ついには疲れ果てて力を使い果たし、最後の肉体が死ぬとき滅んでしまうということはありうるのではないか。そうすると、自分の魂がこのたびの肉体からの分離において完全に滅びてしまいはしないかと、常に怖れなければならないのではないか」というものである。
 これに対してソクラテスは、その問いに答えることは容易ではないとした上で、長考思案の後、まず自分の研究履歴を語る。
 自分は若いころ、いまでいう自然科学的な探求に熱中したが、その研究は、事物の合成や分解や変化の原因についての説明の点で彼を納得させなかった。たとえば1と1とが近づけば2になるというとき、両者が近づくことがその原因だとされるが、他方では1を分割することによっても2が生じるので、今度は分割が原因だとされる。
 こういう説明に満足しなかったソクラテスは、万物の原因は知性であると唱えているアナクサゴラスの説を学んでみたが、それにも失望した。アナクサゴラスは、ある事象の原因を、その事象を事象たらしめているさまざまな可視的契機と取り違えていて、事物を秩序づける原因を、空気とかアイテールとか水などのくだらないものを原因としていたからである。
 そこでソクラテスは、事物の真相を知るために新しいやり方を考えた。それは、純粋な美そのもの、善そのもの、大そのものなどが確実に存在するというロゴスを前提として、その前提と一致するものを真とするというやり方である。要するにイデアの存在から出発して物事がかくある根拠や原因を説明するという方法である。これを認めてくれるなら、魂の不滅を証明することができると彼は言い、ケベスがこれに同意する。
 ちなみに、この箇所(前の三つのパラグラフ)は、プラトンの根本的発想を知る上できわめて重要である。そればかりではなく、哲学というものが本来何を探求する学であるのかという点について、ソクラテス(プラトン)が、それまでの考え方に対するラディカルな「視線変更」を断行しているという意味でも見逃してはならない急所なのである。しかしこれについては、後に述べる。
 ともあれ、以上の前提を納得してもらった上で、ソクラテスは数を比喩に用いて、それを「魂の不滅」の証明に援用する。
〔証明4〕たとえば3は「奇数そのもの」ではないのに、奇数という性質を持つが、それと反対の性質である偶数をけっして寄せ付けない。しかし3と2とは別に反対ではない。このように、相反する性質どうし(奇数そのものと偶数そのもの)が互いに相手を受け入れないだけでなく、相反する性質を持つ特定の事物(3)も、たとえ自分と反対ではなくとも、それが自分と反対の性質をもっているような事物(2)であれば、それをけっして受け入れない。
 さて、「魂」は、肉体に生命をもたらすという性質を持つが、生命と反対の性質を持つものは「死」である。このようにして、ちょうど「3」が「2」を、自分と反対の性質を持つものであるがゆえに受け入れないのと同様に、「魂」は「死」(という性質)をけっして受け入れないのである。ゆえに魂は不死であるばかりでなく、不滅でもある。
 なおこの証明の途中で、聞き手のだれかから、〔証明1〕では、小さいものから大きいものが生ずるように、一般に相反するものにとって、それぞれが自分と反対のものから生ずるといわれていたが、いまの説明はこれと矛盾するのではないかという異議が出される。これに対してソクラテスは、あの時は反対の性質を持った「事物」について語っていたのだが、いまはこの反対の「性質そのもの」について語っているのだと弁明する。何となく屁理屈めいた弁明に聞こえるが、プラトンのイデア原理からすれば、ここでの弁明は妥当である。

⑤57節から63節まで
 ここでは、ソクラテスは、先に触れたように、われわれにとって可視的な世界を超えた、大地全体のイメージを神話的に繰り広げてみせる。そして死後、魂は、生前の行状に応じて、いろいろなところに送り込まれ、苦を味わったり幸福になったりすることが説かれる。委細は省略するが、これは世界のどこにも見当たるような、一種の因果応報説である。ソクラテスが若い弟子たちに対して垂れる最後の訓辞は以下の通りである。

 で、こういうわけだから、その生涯において肉体にかかわるもろもろの快楽や飾りを、自分とは異質的なもの、むしろ害をなすものとして、それらから離れ、学ぶことの喜びに熱中し、魂を異質的なものによって飾りたてたりせず、魂自身の輝きで、つまり、節制、正義、勇気、自由、真実などで飾り、そうして運命の呼び声に答えてハデスへ旅立つ日を待つ人は、自分自身の魂について、心を安んじてしかるべきだ。

 以上見てきたように、『パイドン』におけるプラトンの筆致は、死の問題を扱うに至って、現世否定的な色合いを濃厚に示す。
 まず①において、哲学者だけが特権者として聖別され、他の現世的な欲望に追われてこの世に未練を残す者たちは、はっきりと、人間として低い存在であると規定される。哲学者(知を愛する者)と称する存在が、ふつうの人々とちがって、死を怖れ悲しまないのは、ふだんからふつうの人々よりも死に近いところにおり、死に親しみ、そして死とは何であるかについて絶えず思いをめぐらせているからというのである。これは、死が何であるかを考えようとしない人々よりも、死について考えているぶんだけ、哲学者のほうが偉いと言っているのと同じである。
 この種の自己権威づけは、たとえば日本の仏教などにも見られる現象であるが、仏教の場合は、寂滅涅槃の境地を最上とするので、そこに到達できるものならばだれでも仏になれることになっている。厭離穢土を唱える点では、ソクラテスと共通しているけれども、哲学者・僧侶(いまで言えば知識人)という存在の特権性を、これほど露骨に強調するわけではない。念仏さえ唱えればどんな凡夫でも阿弥陀様に迎えられて浄土にいけるという思想さえある。
 また仏教は、本来、魂の不滅を積極的に主張することはなく、死後、魂が寂滅せずにこの世の境界をさまようことは、むしろ好ましくないことと考える。生死の繰り返し、輪廻転生は、この世から容易に解脱できない魂の迷いをあらわしているのである。
 これに対して『パイドン』におけるプラトンの「哲学者こそ死を歓迎する」という思想は、二つの点で、仏教などとはちがった、非常に強い野心と情熱によって裏付けられている。
 ひとつは、この世では、金儲けや色欲や名誉欲に執着する人間に比べて、知識を求める存在だけが立派なのだという価値観を貫くことである。このことによって、生来の哲学者的種族は、自己価値を認められて救いを得ることになる。
 そしてもう一つは、ふつうの人々は、感覚によってたしかめられる世界を実在と信じているが、それはまったくの誤りで、純粋な思惟によって把握できる世界だけが真の実在世界なのだという信念を押し通すことである。
 前者が道徳的価値観の一例(ハイデガーと同じように誤った一例だが)であることは見やすい道理だが、じつは、すでに述べたように、またのちにもっと詳しく説くように、後者の信念も、ふつう哲学というものがそうであると思われているごとく単なるニュートラルな世界認識の是非を扱っているのではなく、いかにもプラトンらしい倫理学的関心と深く結びついているのである。そしてそのように、哲学の意匠をまといつつ道徳を語るという形式にこそ、プラトンの「思想の詐欺師」たる面目が躍如としているのだ。
 彼のこの野心と情熱は、②以下の、魂の不死と不滅を論理的に「証明」するという方法に顕著にあらわれている。魂の不死と不滅が、哲学的・論理的に証明されれば、道徳の根拠は、まさしくプラトニズム的に基礎づけられることになる。なぜなら、魂がもしほんとうに不死であり不滅であるなら、人はどうせ死んでしまうのだから現世で何をやろうと自由だという考えは通用しなくなるからである。
 さて問題はその「証明」である。私の考えでは、この四つの証明のうち、どれひとつとして論理的証明の名に値するものはない。一つ一つ吟味してみよう。

 まず〔証明1〕では、あらゆる相反する性質を持ったものは、小さいものから大きいものが生じ、眠っている状態から覚醒が生じ、そして逆も真というように、一方から他方が生ずるという具合になっている。よって生から死が生ずるように、死から生が生ずるのであると説かれていた。これは、あとでソクラテス自身がことわっているように、反対の性質を持った「事物」について語られている。
 とすれば、この場合、何か特定の「事物」の存在がまず前提として疑いなく認められていて、その上でその「事物」の状態の変化を語っていることになる。たとえば小さかった子どもが大きな大人になる、というように。そしてむろんここでは、その「事物」そのものの自己同一性自体は疑われていない。小さかった健ちゃんも、大きくなった健さんも、同じ健である。
では、生と死の場合はどうであろうか。生から死が生じ、死から生が生ずると言い切るためには、特定の魂という「事物」が、まず肉体が生きているか死んでいるかの区別とは無関係に存在し、しかるのちその魂の状態が、互いに反対のものに移行するということが認められなくてはならない。言い換えると、魂がまずあって、それが肉体に宿ったり離れたりするという相反する状態変化を経験するのでなくてはならない。
 ところが、まさに魂という「事物」が、肉体の生死という状態とは無縁に存在するかどうかということこそ、ここで証明しなくてはならないことのはずであった。したがって、死から生が生ずるかどうか、つまり魂が生まれる前から存在していたかどうかは、証明不可能なのである。ソクラテスは論点先取の誤謬を犯していると言える。
 次に〔証明2〕では、知らなかったはずの知識が教えや気づきによって得られるのは、もともと持っていた知識がそのとき「想起」されるからにほかならず、この事実は、魂が生まれる前から知力をもって存在していたことの証拠となると説かれていた。
 ところが、この名高い「想起説」そのものが、一種の仮説である。ソクラテスは、知識が獲得されることの不思議さについて永年思索を重ねてきた後にこの仮説にたどりついたのだが、これは、イデア論者におあつらえむきの仮説だと言える。そのことをソクラテス(プラトン)はじつのところよく知っていて、この「証明」の箇所では、次のように述べている。

 ぼくたちがいつも話している美とか善とか、すべてそのような真実在が存在するならば、(中略)それらの真実在が存在すると同じように必然的に、われわれの魂も、われわれが生まれる前に存在していたことになる。しかし、もしそれらの真実在が存在しないならば、いまの議論はまったくなりたたないことになるだろう。(中略)そして、これらの真実在が存在するということと、われわれの魂がわれわれの生まれるまえにも存在したということとは、同じ必然性をもっていて、前者が否定されれば後者も否定されるのではないか。

 この記述から察しられるのは、「イデア=真実在」という超経験的な観念が、一種のあらまほしき「理念」あるいは「ゾレン」であって、ソクラテスみずからも、この世の人間のひとりであるかぎり、どれほど純粋な思惟のうちに沈潜したとしても、それの存在を明瞭にはたしかめられ得ないひとつの作業仮設であるということだ。
 問題とすべきは、ではなぜソクラテス(プラトン)がこうした理念(仮設)を立てたのか、その動機は何かということなのだが、それは簡単にいえば、魂は不死なのだから、生きているうちに魂をよく世話することを怠ってはいけないという、すぐれて倫理的な動機なのである。しかしこれについては、のちにもっと詳しく論じる機会があろう。
 ちなみに言っておくと、ここでのソクラテスの困惑にみちた自己暴露は、カントが純粋理性の二律背反を説き、神の存在や世界の始まりなどは純粋理性によっては証明することができず、それらは実践理性の要請として認められなくてはならないとして、純粋理性(認識能力)に対する実践理性(道徳への配慮)の優位を説いたのと、同じ思考の範型であると考えられる。だがこれも、カントについて触れるときにもう一度問題にすることにしよう。
 とまれ、ソクラテス自身も自己暴露しているように、「魂の不死」説と「イデア」説とは、互いが互いを支える形になっていて、いっぽうが崩れれば、他方も根拠を失うのである。したがって、想起説を媒介としたこの「証明」も、論理的には証明ではないことになる。
 なお、想起説そのものについてであるが、経験を超えた世界の存在を信じることができれば、想起説はたしかに魅力的なものとなる。しかし超経験的世界を想定しなければ、知識の獲得・発見は根拠づけられないだろうか。
 この想起説を人々に納得させる方法として、ソクラテスが年端のいかない子どもに、ある正方形の2倍の面積を持った正方形を書き示すにはどうしたらよいかという問題を出し、その子がちょっとしたヒントで見事に解いてみせたというエピソードが有名である(答は、対角線を一辺とする正方形を書けばよい)。
 しかし、この例でも言えることだが、その子のなかで未知から発見に至る過程で確認できるのは、人間の知識世界では、言語や図形という物質的なもの(記号)の連鎖によって伝達がなされており、その連鎖を構成している基本要素をその子がすでに経験によって学習し終えているという前提である。それまで持っていなかった知識が根づくのは、人間の経験世界の中で用いられている言語その他の力を彼が徐々に習得し、そのことによって、人間世界で真理とされていることに同化しうる能力が芽生えるからである。基礎的な記号理解がなければ「発見」はありえない。「神的なひらめき」など本当はないのである。つまりここで起きていることは、言語の獲得と生活経験の累積との照合可能な対応関係の成立である。したがって、想起説を持ち出さなくても、経験論的に知識の獲得は説明可能である。



日本人の自己評価は、なぜこんなに低いのか

2013年11月15日 20時08分00秒 | エッセイ
日本人の自己評価は、なぜこんなに低いのか


 大学のゼミで、今回はじめてこんな試みをやってみました。
 社会現象についてさまざまな調査項目を設定し、学生各人に割り当て、ネット情報を使って表やグラフなどの資料を引き出してもらいます。それを学生全員にコピーして配り、ある項目を担当した学生には、その資料内容の特色を分析させ、感想を述べてもらいます。
 たとえば、

●殺人認知件数の年次推移
●殺された人の数の国際比較
●交通事故死の年次推移
●未婚率の年齢別、男女別、年次推移
●失業率の国際比較、年次推移
●世界の平均寿命ランキング

といった具合です。
 これをやると、いま日本がかつてと比べてどんな時代であり、他国と比べてどんな国かという大まかなイメージが得られます。結論から先に言いますと、概して今の日本は昔と比べても他国と比べても「天国」といって過言ではない状態だということです。
 殺人件数、交通事故死は共に数十年前に比べて激減しています。殺人の国際比較では、人口比で、日本はイギリスとともに最低、アメリカの15分の1、ロシアの50分の1です。失業率は世界最低水準、平均寿命は、ここ何年かトップを続けています(特に女性)。
 未婚率だけは急速に上昇していて、しかも低所得者、非正規労働者ほどその率は高いので、「天国」という形容にはふさわしくないかもしれません。しかし、これも考えようによっては、個人の自由選択度が増した(特に女性に経済力がついた)ということを示してもいるわけですから、必ずしも「ただまずい状態」とは言いきれません。少子化担当相などというのがありますが、そもそもなぜ少子化に是が非でも歯止めをかけなくてはならないのか、という根本問題がきちんと議論されたためしがありません。
 なおまた、自殺者数の高止まり、景気回復の先行き不透明、各種インフラの劣化、近隣諸国の不穏当で不当な動静、グローバリズムの暴力的な浸透とそれに対抗する政治力の頼りなさ、などを考え合わせると、不安材料はいくらでもあり、この先「天国」はもうおしまい、ということにならないとも限りません。
 それでも、上のような試みは、過去や他国と比べて、いまの日本がさまざまな点でいかに優れた状態にあるかということを知る一つの目安にはなると思います。そうして、そのことを知った上で、だからこそ、この優れた状態(秩序と平和と豊かさと国力と人倫意識)を守るために、それを侵すあらゆる危険に対して国民が力を合わせて闘わなくてはならないのだと思います。
 ところで、そのように国民が適切な力を発揮するために必要なことは何でしょうか。これはいろいろ考えられますが、私が重視するのは次の点です。
 すなわち、他国に対して卑屈・弱気にならず、自国の優れた点をきちんと客観的に評価し、そのことに誇りと自信を持つこと。
 根拠のないお国自慢、感情的な意地っ張りは、ご近所のどこかの国(複数)のようにみっともないですが、裏付けのある自恃(じじ)の念をもつことは、この国を不幸な状態にしないための士気をしっかりと踏み固める道に通じますから、とても大切なことだと思います。
 ところがです。
 同じ授業で、「世界評価と自国評価の違い」という項目を設けて学生に発表させてみました。これはたとえば、日本人は日本という国をどの程度肯定的に評価しているか、他国の人々の日本に対する評価はどうか、ということを比較する試みです。アメリカの場合はどうか、中国の場合はどうか、等々。
 ここにそのことを示す有力な資料があります。英国BBC放送が世界28か国、約3万人を対象に定期的に行っている調査の2012年版です。



 これを見て一目瞭然なように、日本以外のすべての国は、自国評価のほうが世界評価よりも高く、唯一日本だけが、自国評価が低くなっています。その低さは、ここに表された国の中ではパキスタンに次いで第2位です。また日本に対する世界評価は50%を超えており、ドイツ、カナダ、イギリスに次いで第4位です。
 このギャップ、情けないと思いませんか。多くの日本国民が自国の状態を正確に知らないからこういうことになるのです。逆に自分の国のことをうぬぼれている人々も世界にはたくさんいるのですね。
 学生たちに、他国とのこの違いはなぜだと思う? と聞いてみたところ、日本人はもともと謙虚な国民性の持ち主だから、とか、根のところでは自信を持っているのだが、海外に遠慮して慎ましくふるまう、などの答えが返ってきました。
 もちろん、これらは当たっているところがあるでしょう。しかし、たとえばもし日露戦争直後くらいの時期に同じような調査をやっていたら、これと同じ結果が出たでしょうか。どうもそうは思えません。
 つまり、大東亜戦争であれだけコテンパンにやられて以後、この過度の自己卑下と劣等意識が形づくられた部分が相当程度あるのではないかと思います。特に欧米に対する実力コンプレックス、中韓に対する道徳的コンプレックスはいまだに拭いがたく、政治・外交・学問・思想・言論などの面にその傾向が顕著に表れています。この自虐的な精神構造こそが、「戦後レジーム」の核心にあるものです。そこからの脱却を本当に成し遂げたいと思うなら、まずこの精神構造を克服しなくてはなりません。
 それはやろうと思えばできるはずです。製造業、サービス業の水準の素晴らしさをさらに発展させること、欧米に比較してはるかに行き届いた公共サービスの実態を維持すること、年次改革要求、TPPなど、アメリカ主導の強引な主権侵害的経済政策に対して、きちんと抵抗できる交渉力を身につけること、学問・思想・言論分野におけるいわれなき欧米跪拝の風潮から早く脱すること(及ばずながら私は、当ブログの言語論や倫理学の分野でそれを試みています)。これら現実的な実践過程を通して、徐々に裏付けのある自信を身につけていけばよいのです。
 しかし間違っても、ご近所のどこかの国(単数)の独裁政府のように、自分が世界の中心だなどと妄想してはなりません。他国のいいところを素早く読み取って、謙虚にそれを吸収し、自家薬籠中のものにする、これが日本の伝統的な得意技でもあるからです。自国評価と世界評価とがともに高まり、同レベルになることが理想ですね。
 


引っ越してきました。よろしくお願いいたします。

2013年11月14日 20時11分18秒 | お知らせ
引っ越してきました。よろしくお願いいたします。




 はじめまして。評論家の小浜逸郎(こはま・いつお)と申します。
 これまで他のブログに記事を掲載していましたが、そちらが12月末をもって新規投稿停止となるため、こちらに引っ越してまいりました。過去に掲載した記事はすべて積み込んできましたので、閲覧が可能です。
 なお12月末までは、両方に同じ記事を掲載していきます。

 旧住所:http://kohamaitsuo.iza.ne.jp/blog/

どうぞよろしくお願いいたします。

日本語を哲学する13

2013年11月14日 19時28分00秒 | 哲学
日本語を哲学する13



 次に②の反論に答える。もう一度それを掲げよう。

②ボストン近郊のマーサス・ヴィニヤード島で使われていたヴィニヤード・サイン・ランゲージや、ニカラグァ聾学校(全寮制)の子どもたちの間で自然発生した手話の例などから見ると、音声言語以前に思想はないというあなたの考えは間違っているのではないか。これらの例は、チョムスキーが唱えた「人間には生得的に言語獲得能力がある」という説を証明するものでもある。

 ヴィニヤード・サイン・ランゲージや、ニカラグァ聾学校(全寮制)の子どもたちの間で「自然発生した」といわれる手話の例については、繰り返しになるが、これらの言語は実験室での実験のように、まったく周囲から孤立した聾者のみの共同体の中から「自然発生」したわけではない。これらにおいても、当事者たちは、周囲の年長者たちが何やら口をあけて動かしながら共同生活を成り立たせていて、そのことが生きることにとってきわめて重要な役割を果たしていること、また、自分たちはその能力を欠いているか不十分にしか持ち合わせていないことを、ごく幼いころから直感するのである。また、周囲の人たち(特に母親)は、この欠落や不十分さに対して、それに見合うような対処法を懸命に講じようとする。この当事者たちの直感と周囲の努力とが、代替言語としての手話を発生させる必須条件なのである。
 ニカラグァの例でも、それが「聾学校」という高度な社会的配慮と技術とによって設置された特殊な文化環境を背景にしていることに注意しよう。「特殊な文化環境」ということは、何ら「完全に孤立した共同体」であることを意味しない。むしろすでに自分たちの傷害をよく自覚している子どもたちが、まさにその自覚にもとづいて互いの表現欲求を交錯させようとしたからこそ、あたかも「自然発生」したかのような濃密な手話が出現したのである。彼らの言語共同体においては、はじめから音声言語共同体との関係が深く織り込まれている。
 人間は本質的に関係を持とうとすることによって自己を成り立たせる存在であるから、その欲求を満たすふつうの道(この場合には聴覚を媒介にした交流の道)がふさがれているという欠如感覚があると、かえってその欠如感覚をテコにして別の回路を創造していくという本性をもっている。しっぽが切られても再生するトカゲのような強力な生理的補償作用は人間にはないが、代わりに観念の力による補償作用があるのだ。手話言語が独特な形で豊かに発達するのも、この「欠如そのものをポジティヴな力に変える」という、人間の普遍的な傾向に根ざしている。
 チョムスキーの説との関連で言えば、私は別に人類に生得的な言語獲得能力があることを否定していない。そういう能力が潜在的に存在するにちがいないことは、むしろ当たり前のことで、そういう潜在能力(設計図のようなもの)がなければ、いかに経験的な学習を積んでも、現実に言語能力を開花させることは不可能だろう。犬やサルに言葉を教えようとしても、どうしてもあるレベル以上の抽象概念を教え込むことができない壁にぶつかることはよく知られている。
 しかしまた逆に、いかに潜在能力があっても、適切な時期にそれを開花させるにふさわしい周囲からのはたらきかけを怠れば、現実に言語を獲得できないことは、イタールの「アヴェロンの野生児」の例などによっても明らかである。設計図だけあってもそれを有効に活かす大工さんや建設業者がいなければ家は建たない。楽譜だけあってもそれを演奏する人がいなければ、楽譜はただの紙屑である。
 問題なのは、生得的な言語獲得能力という概念を、何か人間の共同生活における実践的な交流とは無縁に、個人が「自然に」獲得できる能力と思い込む誤りである。こういう一種の「自然発達主義」は、先に挙げた上農氏の著作でも徹底的に批判されているが、私には、こうした「自然主義」が受け入れられてしまう理由のひとつに、現代の異文化相対主義の風潮が一枚噛んでいるように思えてならない。
 というのは、ニカラグァの例などに「異文化言語」としての手話の発生を目の当たりにして、これを純然たる「自然発生」と勘違いして興奮し、しかもそれを生得的な言語獲得能力が証明された例とみなすというようなおかしな論理の背景には、次のような価値観が無意識のうちに潜んでいると考えられるからである。
 その価値観とは、個人や一集団は、それを取り巻くより大きな人間社会との関係がなくとも独自の「個性」や「文化」を築きうるのであって、いかなる個人やいかなる小集団といえども、その独自性をこそ尊重しなくてはならないといった、相対主義的な価値観である。いや、もっと正確に言えば、相対主義とは、価値を選び取ることの放棄であり、価値の軽重を論ずることそのものに対する否定である。また政治イデオロギー的には、素朴な権力アレルギーである。
 個人や小集団を尊重しなくてはならないことは言わずもがなだが、この場合、「個人」とか「小集団」と呼ばれている対象群は、すでに完成された存在としてのそれである。それらが完成されたものとして一定の概念枠組みをもつためには、それらを取り巻くより優位な(ある場合にはより強い、ある場合にはより優れた)集団との実践的な関係交流が先立つのでなくてはならない。個人の場合で言えば、乳幼児はまだ「個人」とは言えず、そのように承認されるためには、より優れた社会的能力の持ち主である養育者とのかかわりを通して発達を遂げ、まがりなりにも一人前の意思表示、言語表現、生活自立力などをそなえるのでなくてはならない。乳幼児や子どもをはじめから自立した「個人」であるかのように大人と同列にとらえるのは、かえって人間個体のそれぞれの具体的あり方を尊重していないことになるのであって、それこそ粗雑な相対主義・平等主義イデオロギーであるというべきである。
 ともあれ、この文化相対主義の傾向は、近年、中立の体裁を保たなくてはならない学問の分野ではますます隆盛を極めている。しかし現実の人間の生は空間的にも時間的にも限定された範囲内でしか成り立たないので、その限界内である価値を優先的に選び取るということが避けられないのである。学問がいつまでも中立性の体裁を気取ることで自らの「価値」を維持することを主張するならば、思想はどこかで学問と訣別しなくてはならない。言語思想もその例外ではない。

 さて、最後に③の反論に答えよう。もう一度それを掲げる。

③先天的な聾者でも学力優秀な子どもは、現に読み書きをおぼえ、難しい本でも読解する能力を習得できるし、また高度な文章を書きこなすこともできる。もしあなたの言うように、読むことが「観念的な音声を聞く」ことならば、聞こえない子どもたちはどのようにしてこれらの能力を獲得したというのか。やはり音声言語に先立って人間には「思想」する力があるのではないか。

 この反論は一見強力に思える。
 まず第一に断るべきは、この反論は、言語と思想が別物であるという論拠を提示しているわけではないという点である。私が3節で「言葉は思想そのものである」という命題を掲げたのは、言語=コミュニケーションのツール・手段という軽薄な考え方を批判したいがためであった。この反論は、その私の動機の枠内に収まるもので、枠外からの批判ではない。
 この反論の要点は、音声言語と思想との必然的な関係を疑っているのであって、聾者が読み書きするときに「観念的な音声」を用いているというのは論理矛盾であるから、彼らの文字理解や文字表現は、どのような内的プロセスによって行なわれているのかと問うているのだと考えられる。
 たしかに、この例の場合には、「観念的な音声を用いる」という表現は的を射ていないだろう。聴者の場合は、黙読しているとき、明らかに「頭の中で音声が流れている」という感じがあるのだが。
 そこで考えられるのは、文字を習得した聴覚障害者の頭脳のはたらきにおいては、視覚映像としての文字形態の差異の識別機能が精密に作動するのであろうということである。つまり彼らは文字の視覚的な形態を通して異なる音韻を識別しているのである。
 この点につき、私は自信がなかったので、先の専門家に尋ねてみた。その結果得られた答えは、私の推定を十分に裏付けるものだった。
 聴覚障害者は、手話の折にも頭の中に三次元空間を思い浮かべている場合が多く、そのため、相手のを注視することはかえって対話に対する注意をそらしてしまうことになりがちである。本を読むときには、開いたページの視覚像が一気に目に入ってくる。話の中で本に書いてあったことを表現する場合には、それが書かれてあったページの視覚像が思い浮かべられていたり、その内容から想像される三次元空間がイメージされていたりする。その世界では名高いある人は、この視覚によって文字をとらえる能力が極めて優れていて、一時間で文庫本を読んでしまう、ということだった。
 だから先天的な聴覚障害者は、書き言葉の読み取りにおいて、独特の回路をたどる脳神経系のシステムを発達させていることになる。この場合にも欠如をテコにした代替機能が旺盛に駆使されることによって、文字の習得が果たされるのであろう。
 そのように聴者とはまったく違った回路をたどって書き言葉を習得するのだとしても、そのことは、思想と言葉とが別物であり前者が後者に先行して存在するということには、何らならない。なぜならば、聴覚障害者が文字を視覚的にとらえて理解するときにも(思想の受信主体)、また書き言葉で何かを表現するときにも(思想の発信主体)、それらの言語行為そのものを通してそのつど思想が組み立てられていくことには変わりがないからである。


(第Ⅰ章了。次回から、「第Ⅱ章・沈黙論」を掲載します。)


これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(5)

2013年11月14日 19時09分53秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(5)





 前回、ベース特集をやり、最後にスコット・ラファロとビル・エヴァンスの共演「グロリアズ・ステップ」をご紹介しました。これはあまりにも有名なライブ盤「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード」に収められているのですが、スコットは、この録音の11日後に事故死してしまいます。最良の盟友を突然失ったビルはがっくりきて、半年くらいピアノに向かう気がしなかったそうです。
 その思い、さぞや、というところですが、こんなことを書いているうちに、どうしても巨匠ビル・エヴァンスについて語りたくなってきました。こういう巨人について語るのはできるだけ後に引きのばしてやろうと思っていたのですが、そんなもったいぶっていたら、いつまで経ってもジャズの本筋に入れないので、この際、えいっと決めることにしました。
 ビルは白人で、比較的恵まれた家庭に育っており、クラシック音楽の素養を早くから身につけています。モダンジャズ界における彼の存在意義は、貧困と被差別が当たり前であった黒人ミュージシャンたちの世界のまっただなかに、そういう社会背景をまったく問題とせず、高度な音楽性、精神性を堂々と持ち込んだところにあります。
 彼以前の優秀なピアニストとしては、やや泥臭いエロール・ガーナー、特異な感性を強烈に打ち出したバド・パウエルなどが挙げられますが、ビルのピアノは、彼らとは全然違い、上品で洗練されていて出しゃばらず騒がしくなく、それでいて、余人を許さない個性を感じさせます。また、他のプレイヤーとの対話、インタープレイを非常に重んじていて、一曲全体の完成度を高いレベルで達成させるという特長があります。「俺が、俺が」というのがそんなにないのに、結果として彼の存在が際立ってくるのですね。
 前回すでに「ソー・ホワット」でご紹介しましたが、彼は短い期間、マイルス・デイヴィスのクインテットに参加して、ソロパートを少しばかり担当しています。しかしそこでは、脇役の分際を心得ていたのかとても控え目で、あまり目立った演奏ぶりをしていません。ところがよく聴いてみると、ピアノトリオ(つまり彼自身が主役になるケース)での演奏との共通点が明らかに認められます。これがまさに彼の個性の秘密なのです。
 その共通点とは何か。ひとことで言うなら、右手と左手との絡み(和声、ハーモニー、対位法的奏法)を即興演奏の核心に置くということです。
 これは、もちろんクラシック音楽の素養にもとづいているのでしょう。ある音楽通に聞いたところでは、ドビュッシーの影響を強く受けているそうです。なるほど、彼のソロアルバム「ビル・エヴァンス・アローン」を聴くと、そのことがよく納得できます。クラシックファンで、これからジャズを聴こうと思っている方には、このアルバムがお勧めです。ビル自身も、ひとりでピアノに向かい合っている時間が長かったことが自分の演奏活動にとってとても重要な意味をもっていたという意味のことを語っています。
 しかし、そういう素養をジャズに持ち込むというのは、かなり冒険を要することです。というのは、伝統的なジャズスピリットからすれば、なんといっても、哀感を伴うブルース調やファンキーなノリで「歌う」ことが優先されるので、そのメロディアスな感じをわかりやすく表現するには、左手はあくまで基本コードを押さえるにとどめ、それを土台としつつ、右手を自由に遊ばせるというのが手っ取り早い方法だからです。
 ビルのピアノは、もちろんブルース調でもファンキーでもありませんが、そうでない分だけ、逆に「ただ一人歌う」のではなく、「合わせて歌う」ことの複雑さが実現されているのです。「合わせて」とはいっても、お祭りのようにみんなでワッショイ、ワッショイというのとはまるで違います。彼の場合、単純なピアノ・タッチそのものが、何か深く考え込んだ人のそれ、といった趣があり、これが複合的に奏でられると、いろいろな思いを抱えた者どうしが心を通わせた語り合い、という感じになるのですね。
 そういうことを一台の楽器で表現しながら、いっぽうで主役のメロディーラインも存分に踊っています。言ってみれば彼の演奏は、総合的、全体的なのですね。これは、ほかのジャズピアニストではあまり見られないことだと思います。乱暴に言えば、それだけ芸術的なレベルが高いということです。つまりもともと自分の中にあった複合的な要素が、共演になると、プレイヤーどうしの見事な絡み合い(インタープレイ)として外側に表出してきたのでしょう。
 講釈はこれくらいにして、ともかく一曲聴いていただきましょう。名盤「ポートレイト・イン・ジャズ」から、シャンソンの名曲「枯葉」。この曲では、いま言った右手左手の複合的なプレイが、特にソロパートの後半で確認できます。
 なお「枯葉」はたくさんのジャズメンが手掛けていて、どれもそれぞれに魅力的ですが、ビルの「枯葉」は、その構成力、解釈の仕方などからみて、ピアノ演奏としては群を抜いていると感じられます。また他の楽器とのインタープレイの妙も充分に楽しめます。パーソネルは、先のメンバーと同じ、スコット・ラファロ(b)、ポール・モティアン(ds)。ポールの巧みなブラッシュワーク、スティックに持ち替えてスウィング感を盛り上げていくシーンなども聴きどころです。

http://www.youtube.com/watch?v=nheqSZPIcNE

 さてこんなふうに偉そうに書いてきたのですが、じつをいえば、ジャズを聴き始めたころの私は、ビル・エヴァンスには大して興味を持っていませんでした。彼の奥深さがわかっていなかったようです。若い頃って、とかく単純に強いもの、激しいものを求めますからね。前に触れたジャズ仲間たち、K君、A君も、私がしげく付き合っていたころは、ビルの含蓄豊かな大人の演奏にはさほど惹かれていなかったようです。
 私が、彼のことを何と傑出したピアニストなんだろうと思うようになったのは、おそらく30歳くらいからではないかと思われます。それは、同時代の他のピアニストたちと聞き比べていくうちに、その芸術性の高さと独特のセンスに気づいていったということもあるのでしょうが、それよりも、自分自身の人生経験がしからしめるところが大きいように思います。威勢のよいホーンの響きが入った曲より、成熟するにつれてだんだんとピアノトリオの響きのうちに自分の気分や波長をシンクロさせるようになりました。昼間の猥雑な生活に追われたのち、ふと孤独をかみしめる夜の時間帯になると、ピアノトリオの醸す雰囲気はとても心に染み入ってきます。その中でも特に、ビルの演奏はなんだか哲学的な対話をしているような気分にさせられるのですね。
 またそれまで、クラシック音楽にも多少親しんでおり、なかでもピアノという楽器の音色がいちばん自分の感性に合っていました。この楽器は他の楽器に比べて、人間の情緒のさまざまな幅と広がりを最もよく表現できますね。激情、感傷、繊細さ、軽快さ、優美、涙、どす黒い情念、勇壮、可愛らしさ、明るさ、さわやかさ、スピード感、意志の強さ、憧れ、郷愁、はずむ恋心、失恋の悲しさ、知的な疑惑、不安、重々しい鬱屈……数え上げればきりがありません。
 情緒の幅と広がりといえば、ビルのピアノは、思索的で理知的であると同時に、そこに得も言われぬリリシズムが湛えられています。テンポの速い曲だと、そのことがあまりよくわからないかもしれませんので、彼のスローバラードを一曲聴いてみましょう。これまでこのシリーズでご紹介してきた曲は、みな比較的リズミカルなものが多かったので、そういう意味でも、ここらで静かに聴き入る時間を持つのも一興かと思います。
 先のヴィレッジヴァンガードでのライブ演奏を集めたアルバムには、もう一枚、「ワルツ・フォー・デビイ」というのがあります。こちらのほうが有名で、いまでもビル・エヴァンスと言えば、真っ先にこのアルバムが挙げられるのが普通です。



 ジャケットデザインも素敵ですね。タイトル・テューンの「ワルツ・フォー・デビー」も文句なく素晴らしい名演奏ですが、ここでは、スローバラードの「マイ・フーリッシュ・ハート」。ちなみに、客のおしゃべりの声が少々気になります。ビルも弾きながら耳障りだったに違いありません。

http://www.youtube.com/watch?v=eFRsgGF80To

 ビルはこの最盛期の後も、ベーシストにチャック・イスラエル、エディ・ゴメスら(この二人は、スコット・ラファロが切り開いた地平を継承しています)を迎え、70年代後半までそれなりの活躍を続けますが、残念ながら往年の輝きはみられません。音楽にかける情熱は死ぬまでいささかも衰えを見せていないのですが、私生活面での不幸がさまざまな形で影を落としているようです。他の女性と仲良くなったために離縁をもちかけたことによる妻の自殺、やはりピアニストであった兄の自殺、家族との離別、長年の麻薬中毒による肝臓障害など、本当に孤独な芸術家の運命を象徴しているようです。1980年に51歳の若さで亡くなりました。
 後年の演奏を聴くと、先に述べたような、両手による絶妙な和声の繰り出しや白熱したインタープレイによるビルらしさの魅力が明らかに衰えていて、右手のシングルトーンによる即興部分が多くなり、これくらいなら、ほかにも巧者がいるだろうと感じさせます。こういうことも皆さんの耳で確かめていただく必要を感じますので、ここにそれを転載しておきましょう。「いつか王子様が」。パーソネルは、エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds)。

http://www.youtube.com/watch?v=bu8BcRSNfxU

 この動画を見ると、彼の指が異様に腫れ上がっているのがわかりますね。おそらく肝臓障害のせいだろうと推測されます。
 ところで、麻薬中毒で若死にしたと書きましたが、ジャズメンたちの麻薬中毒と若死には少しも珍しくありません。51歳というのは、むしろ長生きのほうといっても過言ではないのです。先に取り上げたクリフォード・ブラウンもスコット・ラファロも20代、チャーリー・パーカー、エリック・ドルフィー、ポール・チェンバース、ウィントン・ケリーは30代、ジョン・コルトレーン、バド・パウエルは40代初期というありさまです。そして彼らはほとんど例外なく麻薬に手を出しています。
 この事実に、ジャズ演奏家という種族の生活の乱脈ぶりを想像する人もいるかもしれません。それはある意味では間違いとは言えませんが、私にはむしろ、こういう激しくも創造的な音楽ジャンルを作り出していく人たちにとってある種の必然なのではないかと思われます。ちなみにクラシックでも、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマンら、あのような繊細な音楽を創出した人たちは、みな若死にですね。
 冒頭にビルの肖像を掲げましたが、彼はまるで生真面目な銀行家か研究熱心な学者のような風貌をしています。資質的には事実、そういう側面があったのだろうと思います。生真面目で研究熱心、それがジャズという音楽に打ち込むとなるとどのようにあらわれるか。彼は絶えず独創的なフレーズを即興で繰り出していかなくてはなりません。その追いかけられる感じ、一瞬一瞬における時間との闘いは、神経を激しくすり減らすでしょう。インスピレーションをハイな状態に保つために、麻薬に頼らざるを得ない。そうした悲劇が、この芸術の舞台裏にはあらかじめ織り込まれている――そんな気がしてなりません。

倫理の起源13

2013年11月14日 19時00分34秒 | 哲学

倫理の起源13



 恋を発展させて道徳に転化させる? だがだまされてはいけない。いったい恋の本質としての「狂気性」はどこに消えたのだ?! 
 プラトンはこの疑問に対して、次のように答えるかもしれない。
 いわく、そんなこともわからないのか。恋を成就させるためには、つまり恋する相手と結ばれるまでは狂気性は不可欠のものだが、そのような狂気性を媒介としてこそ、ほんとうの「善いカップル」が生まれるのであって、そうして苦労して勝ち得た恋の成就の暁には、このようなけだかい関係のあり方が必ず訪れてくるのだ。そのとき狂気性そのものは少しも衰えることなく、知への愛という本来的な形態へと昇華されるのだ……。
 しかしこんな空手形にだまされてはいけない。お互いに現実感覚を失わないようにして、生の経験豊かなる読者に問いたい。現実には、恋の狂気性は、結ばれたあとも、新しい葛藤の種になりはしないだろうか。あるいは狂気的であったがゆえに、少しの時日が経てばその恋は夢のようにはかなく冷めていくのではないか。あるいは一方が冷めずに他方が冷めてしまえば、そこに生まれるのは、惨めな破局ではないか。狂気が恋する側に残っていればこそ、嫉妬に苦しむことにもなるのではないか。
 プラトンには、恋愛における狂気性を動力として結ばれた二人の間にならば、その狂気性をそのまま、知を愛し求める狂気性へと転換することが可能だという信念のようなものがあったように思える。あるいはそうでなければ、常識的に考えて相容れるはずのない二つの道(恋愛の道と知への道、あるいは地上的な狂気とイデアを求める狂気)の隔たりを、それと知りながらごまかして、わざと無視したのではないか。そして私には、このあとの欺瞞的な手つきのほうがありありと見えて仕方がないのだが。
「恋していない者にこそ身をまかせるべきだ」というリシュアスの説を思い出そう。この説はこの説で、てらいすぎのパラドックスだが、エロス神を冒涜するものだといってにべもなくこれを否定した第二のソクラテスには、恋の狂気が、私的関係の平穏な持続や公共性の維持に対して、いかに破壊力を秘めたものであるかという、危険性の認識があっただろうか。まだリシュアスの説のほうに、その感覚が保存されていたのではないか。
 ところがソクラテスは、この第二の物語の終わり近くで、リシュアスの説に対して次のような極め付きの批判を行っているのである。

 これに対して、恋していない者によってはじめられた親しい関係は、この世だけの正気とまじり合って、この世だけのけちくさい施こしをするだけのものであり、それは愛人の魂の中に、世の多くの人々が徳としてたたえるところのけちくさい奴隷根性を産みつけるだけなのだ。

 恋していない者によってはじめられた親しい関係は、けっして善い関係を生まないと言っている。ここで意識されている善い関係とは、単に彼らが二人だけの閉鎖的な幸福を得ることだけを意味しているのではない。そこには、旧世代から新世代に受け継がれるべき善き公共性を維持するにはどうすればよいかという例の問題意識も暗黙のうちに含まれている。
 なぜならば、先にも述べたように、プラトンおよび彼の同時代人の知識層が思想的に目指していたのは、明らかに倫理的な課題だったからである。その倫理的な課題とは、年少者と年長者とのプライベートな絆を、ただの肉体的な欲望の発散や私的な恋愛沙汰に終わらせずに、ポリス共同体というパブリックな体制の維持に貢献させることである。言い換えると、エロス的な関係を、個体の有限性を超えた時間的連続性に耐える堅固なものとするためには、いかなる知恵が必要とされるかという問題意識である。
 リシュアスの逆説もその倫理的課題の範疇におさまることはいうまでもない。とはいえもちろん、少年が彼を恋していない者に「身をまかす」(性愛関係になる)ことを軸とするような関係のあり方が、この倫理的課題を解き明かすものでないこともまた、あきらかである。好きでもない相手に安易に身を任せれば、相手は彼を軽視して簡単に捨てることになりがちだからだ。
 ソクラテスが「この世だけのけちくさい施こしをするだけのもの」「世の多くの人々が徳としてたたえるところのけちくさい奴隷根性」と、口を極めて批判しているのは、そのかぎりではおそらく当たっている。
 しかし、では、激しい恋心の結果少年の心身をわがものとするようなアイデアが、右の課題の解決策につながるかと言えば、それもあり得ないことである。激しいエロス感情にもとづいて作られた絆と、知を愛し求める志の共有にもとづく絆とが幸福な一致を見るなどということは、普遍的には成り立たないからである。プラトンは時代の渦中にいて壮大な夢を見ていたのだ。
 さてこれまで、ソクラテスが語った二つの物語のうち、あとの「恋の狂気」賛美の物語のほうに、プラトンがほんとうに言いたかったことがもっぱら集約されているという前提で、それを批判することに注意を集中してきた。おそらく『パイドロス』を読んだ多くの読者も、この物語にこそ、恋愛や美についてのプラトン思想の核心が宿っているという事実に疑いをもたないであろう。副題にも「美について」とある。
 ところが、『パイドロス』は、以上の「物語」で終わらずに、後半、ほぼ全体の半分に相当するページを、優れた話のあり方とは何かという主題をめぐるソクラテスとパイドロスの対話に当てているのである。それは、リシュアスの書いた話といまソクラテス自身が語ったばかりの二つの話についての反省会といったおもむきである。そしてそのなかにはまた、ソフィストたちの弁論術に対する批判もふんだんに出てくる。
 この内容自体は、さほど興味をそそられるものではなく、また本書のテーマからは外れるので、ここでは扱わない。ただ一点引っかかるのは、ソクラテスが、自分の二番目の話には、善き弁論をするための二つの手続きが使われていた、と指摘しているところである。
 二つの手続きのひとつは、多様に散らばっているものを綜観して、これをただ一つの本質的な相へとまとめること。もう一つは逆に、さまざまの種類に分割すること。
 このいわば「総合」と「分割」の二つの方法を言語に対して用いる技術は、ソクラテス自身によって、「ディアレクティケー」と呼ばれる。そして、自分がエロースとはなんであるかを定義したのは、前者の「総合」に当たり、また、恋の狂気性を、禍をもたらす部分(暴れ馬によって象徴される)と、反対にわれわれに最も善きものをもたらす部分(恋人に対する馭者の畏怖と敬虔の念に相当する)とに分割したのは、後者の「分割」に当たるとされる。
 このような一種の楽屋話のような「メタ言論」を聞かされると、私たちは、プラトンの作家的構成能力の複雑高度なあり方に舌を巻かされる思いがする。そして一瞬、ではソクラテスの二番目の「狂気礼賛」の物語は、必ずしもプラトンその人の思想を直接に表現したのではなく、恋やエロースという概念について別の側面からはこういう見方もできるというかたちで、説得力のある言論の見本をひとつ提示して見せたにすぎないのではないかという疑いにとらえられるのである。作品全体は、読者に新しく考えさせるための、一種の教科書のようなものである?
 だが、仮にそうだとしても、プラトンは、まずソクラテスにリシュアスの言論の主旨をもっと強調するような演説をさせ、そのあとそれを後悔して、エロス神をたたえる演説をさせているのであるから、私たちは、これまで批判してきたことを引き下げる必要はないであろう。やはりプラトンがソクラテスを使って自分の思想を表現したかった部分は、第二の演説の中に込められていると考えて間違いではなかろう。
 つまり、ソクラテスの互いに相反する二つの演説それ自体が、彼のいう「ディアレクティケー」の構造になっていると考えれば、プラトン自身は、やはり、あとの演説のほうが、言論そのものの「最も善きものをもたらす」部分に相当すると考えていたとみなして大過ないだろう。
 いうなれば、リシュアスの言論をソクラテスなりに整理して、その論点を強調した第一の演説が、分割の第一番目、すなわち「禍をもたらす部分」を示し、エロス神の礼賛を軸とした第二の演説が、分割の第二番目、すなわち「最も善きものをもたらす部分」を示しているとみなすことができるだろう。私たちのプラトン批判は、だからこそ、この第二番目の部分に集中したのだった。
 この推定は、他の作品、『饗宴』『パイドン』『国家』『ゴルギアス』などによって補強される。プラトンは、これらの作品において、はじめから自分の主張を一方的に繰り出すのではなく、ソクラテスを主人公とした「対話(ディアレクティケー)」という両論併記の方法を用いることによって、まず考えられるかぎりの反論を提示しておき、それをあとからゆっくりとひっくり返していくという、弁論のドラマ性を重視した。もちろん最後に勝つのはいつもソクラテスなのだが(『パルメニデス』などは例外)。この弁論のドラマ性は、読者に文学的興味をそそらせるテクニックであると同時に、議論というのはこのようにいつもだれにでも開かれていなくてはならないという彼の思想的態度の表明でもあった。
 この思想的態度の表明にかぶれる人は多いが、私はむしろ、そこにもプラトンの狡知を見出す。なぜなら、ソクラテスが登場するほとんどどの作品でも、ソクラテスの発言量が圧倒的に多いし、対話の相手はほとんどの場合、ソクラテスの考えにそのつどただ同調する未熟な若者であり、最終的に議論に決着をつけているのは、いつもソクラテスだからである。ただし、『ゴルギアス』におけるカリクレスと『国家』におけるトラシュマコスはこの言い方には当てはまらない。これらは例外と言っていいかもしれない。つまり「対話」とは、だいたいにおいて、巧妙な見せかけである、と私は言いたい。
 ともあれ、『パイドロス』の前半は、表面上「(少年は)恋している者に身をまかせるのと、恋していない者に身をまかせるのと、どちらがよいか」という問いをめぐって展開されており、「美について」という副題が付されてもいるが、じつは、この作品も『饗宴』と同様、「善なる存在として生きるにはどうすればよいか」というプラトンの強い倫理学的な問題意識を底に隠した作品なのである。ここにただの「美」論や恋愛論を読むのは、読みが浅いと言わなくてはならない。
 というのは、ソクラテスの第二の演説の結末に見られるごとく、ここには、恋する者どうしの絆を、神に祝福されるべきより高い生のステージにまでもたらすためには、必ず彼らがその絆を利用して、手に手を取って知を愛する精神的な営みに励まなくてはならないという「お説教」が語られているからである。
 言い換えると、プラトンの思想的射程の中では、「恋」という最も狂気性のあきらかな、また快楽の奴隷に陥りやすい人間の心身の営みさえもが、その特性ぐるみ愛知や哲学に昇華されなくてはならず、そうした「善」を目指す生き方のうちに包摂されることが要求されているのである。
 ハイデガーは、世人の頽落状態から脱してたったひとりで死と向き合うかまえのうちに道徳性の源泉を見ようとした。これに対して『饗宴』と『パイドロス』におけるプラトンは、恋の狂おしい力によって結びついた二人の関係の展開に道徳性がはらまれる可能性を見出そうとした。
 なるほど、愛し合った二人が、その二人だけの閉ざされた世界の中でだけ精神性を高め、自分たちは俗情の渦巻く世間から離れて、「善のイデア」に近づいたと主観的に感じ合うことはあるだろう。ことに二人の恋が世間や社会からの迫害にあうとき、そのような精神状態になることはしばしばある。しかしそれは、ちょうどある宗教が、自分たちの教義だけが正しいと主張して他の宗教を異端として斥けるのと同じように、普遍性への回路をもたないものである。
 この世での恋がかなわぬものならば、せめてあの世で永遠の愛を、と観念することは、人間のロマン的本質に根差している。たとえば我が国の文学でも、近松の心中ものなどは、そのプロセスを克明にたどろうとする。しかしそれは、その現実的な悲しみと苦しみゆえにこそ人々の共感を誘うのであって、その限りでよく納得できる成り行きである。
 だがそのロマン的本質を、「善のイデア」と呼び変えうるかどうかは、また別問題である。私はこのプラトンの手つきにどうしても嘘くさいものを感じる。この嘘くささは、キリスト教道徳の加勢を得て、ヨーロッパの精神史の中に長く根付いて行ったようだ。その好例を、たとえばダンテの『神曲』の構成の中に見出すことができるだろう。美少女ベアトリーチェへの恋心が、天上の至高の輝き、その唯一絶対的な完全性に出会うことで成就しうる? 狂気的なエロスの欲望が、道徳の源泉と最終的には融和する? そんな馬鹿な。


日本語を哲学する12

2013年11月14日 18時52分59秒 | 哲学

日本語を哲学する12


4節 言葉の本質

 これまで、言葉の本質を導き出すための準備作業として、三つの基本命題を立て、それらの意味するところについて説いてきた。もう一度その命題を掲げる。

 1 言葉の本源は音声である
 2 言葉は世界を虚構する
 3 言葉は思想そのものである

 以上の命題の言わんとするところをよく理解していただければ、言葉の本質を規定することはもはやさほど困難ではない。

 言葉とは、音声をその本源としつつ、自己を互いに投げかけあうことを通して思想を形成し、それによって共同存在としての自分たちを不断に創出していく営みである。

 いくらかの解説と、予想される疑問・反論に対する弁明を必要とするかもしれない。
 この定義で、「自己を互いに投げかけあう」というとき、実際に発話という行為に踏み出す側のことだけが考えられているのではない。前に述べたように、黙って人の話を聴いているのも言語行為である。
 次章で詳しく扱いたいと思うが、さらに言えば、単に人の話を聴くために黙っているという心理的状態だけが言語行為であるのではなく、人と人とが具体的にかかわっているあらゆる場面で、そのなかのメンバーがさまざまな理由によって黙っているとき、それはすべて一種の言語行為なのである。なぜなら、それらの「沈黙」という様態は、そこにかかわる他者たちに必ずひとつの言語的な「意味」として受け取られるからである。発話をプラスの言語行為とすれば、いわば沈黙とは、マイナスの言語行為である(この「マイナス」という言葉には、価値的な意味を込めていない)。
 また、ここで言われている「自己」とは、2節で指摘したように、何かあらかじめ内容をもった「自己」なる存在があるのではなく、ひとつの身体からの音声表出という物理的生理的な過程の形式そのものをそう呼んでいるだけのことである。中身はさしあたり空虚なのである。
 なおまた、「共同存在としての自分たち」という言葉は、次の人間認識にもとづいている。その認識とは、人間はもともと他者とかかわりあう存在であるところにその本質があり、その本質は、一個の個人のうちに動的な構造として内在化されているという認識である。言語交流とは、まさにこの動的な構造のあからさまな出現の一形態なのである。

 さて、次のような重要な反論が考えられる。
 言葉は音声を本源としており、音声言語以前に思想はないとあなたは言うが、先天的な聾者が手話によって旺盛なコミュニケーションが可能になることを考えれば、音声が不在であっても言語は存在すると言えるし、また、じっさい音声なしに思想の交流を行なっているのだから、まず思想が人間のなかに生れて、それを種々の手段によって表現するという論理経路のほうが実態にかなっているのではないか。思想や思考が普遍的に存在し、音声言語はそれを表現するための特殊な手段にすぎないのではないか。
 この反論に対しては、すでに1節で短い答えを出しておいたが、ここではもう少しよく考えてみることにしよう。
 言葉の流通がほとんど障碍なくスムーズに行なわれるためには、そのメンバーが一定の言語共同体の中で生まれ育つ必要がある。日本語、英語、中国語というように、ある共同体の中でだけ通用する特殊な言語規範というものが現に存在し、それらはそれぞれ文法構造を異にしている。にもかかわらず、人間がもつ共通普遍の生活感覚、世界把握の仕方というようなものがあり、だからこそ言葉がちがっても翻訳によってかなりのところまでは疎通が可能なわけである。そのことはもちろん認めなくてはならない。
 ところでいま、ひとつの思考実験として、完全に周囲から孤立した先天的な聾者だけによる共同体というものを想定してみよう。もし、人間のもつ共通普遍の生活感覚、世界把握の仕方というものがあらかじめあり、彼らもそれを完全に共有しているのだとすれば、その孤立した共同体の閉ざされた歴史のなかにおいても、人間にとっての普遍的な「思想」を表現するための特殊な表現「手段」(たとえば手話)が形成されていくと考えられそうである。
 しかし、じつはこういう思考実験はただの思考実験として想定されるだけで、現実にはけっして成り立たない。先天的な聾者も必ず、すでに出来上がった言語文化共同体のただなかに生まれてその文化のあり方を支配的なものとして引き受けつつ育つのである。
 さて、一定の言語文化共同体が出来上がるために絶対に必要な条件は、1節で述べたとおり、音声(音響)とその知覚によるメンバー相互の応酬の歴史が積み重ねられることである。この実践的交流の歴史のうえに言語の体系がいったん出来上がると(そこではすでに「思想」の交流もされている)、それは一見、その根源的な要因から自立して、あたかも音声言語とは別に、それ以前から「思想」を想定できる人間的な意識が存在していたかのような仮象が成立するのである。言い換えると、特殊な手段とは必然的な関係をもたない言語一般、思考一般、内面一般、真理一般というようなものが、音声言語以前にあったかのように感じられるのである。
 だがそれは、1節と3節をよく読んでいただければわかるように、おそらく私たちの錯覚である。音響の知覚こそが私たちに共通の「内面」なるものの根源的な形成にあずかるのだし、人類史の起源においては、言語の形式的な本質の一側面をなす「概念」は、もういっぽうの側面である「分節化された響き=音韻」によって指し示されたのである。そしてこの「概念」こそは、思考が思考として成立するための不可欠な条件なのだ。
 では、手話の体系はどうして成立したのかといえば、音声にもとづいてすでに出来上がっている言語(思考)体系を基盤として、それの代替機能としての新しい言語(思考)体系が作られたのである。これが可能なための必須条件は、先天的な聾者たちの周りに、音が聞えて音声言語を交わすことができる人たちが存在したことである。彼らの存在によってはじめて、聾の人たちは、生れてから早い時期に、この世界には「音声」という現象が存在してそれを交し合うことで人間の文化の中心部分が成り立っていることを知る。そこから旺盛な代替機能の創出が始まったのであろう。したがって手話は、音声言語の体系からまったく無関係に成立した言語とみなしうるものではなく、既存の言語体系との関係において作られた、より高次の言語体系である。だから反論者が言うように、「思想」が音声言語に先立つわけではない。
 聴覚障害者、特に重度の難聴者は、概して精神発達が遅れがちであり、抽象的な思考や複雑な思想内容を理解するのが困難であるという話を複数の筋から聞いたことがある。また、18歳以上の厚生訓練施設で聴覚障害者を対象に知能検査を行うと、動作性検査では難なくクリアーできるために知的障害はないと診断されるが、言語性の検査を行うと多くが不合格になる。これは概して手話を習得してこなかったためだそうである。
 現在でも、聴覚障害者は、言語を覚える大切な時期に周囲のコミュニケーション環境からほうっておかれたり、適切な言語教育を受けることができなかったりしがちである。また、軽度、中度の難聴者は、なまじ「聞こえている」と周囲が認定するために、自分でも無理にそう思い込まされ、音としては聞こえていても言葉として識別できないことが多い。その結果、音声言語の飛び交うコミュニケーション空間に突き出されながら、じっさいには何が話されているかわからずにボーっとしている期間が続いてしまう。そのため複雑な思考能力の発達が阻害されがちなのである。
 言語を駆使できるようになって初めて思考が発達するのだから、これらの現象はある意味で当然のことだと私は思う。つまり、手話というよくできた代替機能を身につけることができない限り、音声言語を交換できないことは、それがそのまま思考や「内面」の未発育につながるのである。この事実は、言語以前に思想があるわけではないという私の論の傍証となるだろう。

 ところで、このように言うと、聴覚障害児教育や研究に携わってきた人々から、さらに次のような反論が返ってきそうである。三つに整理する。

①あなたの論は、音声中心主義であり、現在の聴覚障害児教育の主流が口話法から手話中心に移りつつある動向を逆行させる危険性をはらんでいる。
②ボストン近郊のマーサス・ヴィニヤード島で使われていたヴィニヤード・サイン・ランゲージや、ニカラグァ聾学校(全寮制)の子どもたちの間で自然発生した手話の例などから見ると、音声言語以前に思想はないというあなたの考えは間違っているのではないか。これらの例は、チョムスキーが唱えた「人間には生得的に言語獲得能力がある」という説を証明するものでもある。
③先天的な聾者でも学力優秀な子どもは、読み書きをおぼえ、難しい本でも読解する能力を習得できるし、また高度な文章を書きこなすこともできる。もしあなたの言うように、読むことが「観念的な音声を聞く」ことならば、聞こえない子どもたちはどのようにしてこれらの能力を獲得したというのか。やはり音声言語以前に人間には「思想」する力があるのではないか。

 ①について。
 これは、障害児教育の技術論的・方法論的な次元での批判だが、もしこういう批判が出てくるとすれば、それは、長きにわたる口話法教育が、聞こえない人たちを無理に聞こえる人たちの世界に引きずりこうもうとしてきた結果、思ったほどの成果を上げられなかっただけではなく、聾者の親や聾者自身の心理を自己欺瞞的なものにゆがめてきたという事実から来ていることになろう。親は自分の子どもが言葉をわかっていると思いたがり、子どもは聞こえているふりをして、貴重な数年間をやり過ごしてしまうケースが非常に多いといわれている。
 障害児を健常児と同じ教室で学ばせる方法をインテグレーション(統合)教育と呼ぶが、このやり方にははじめから大きな無理がともなっていた。この無理には、「人間はみな平等だ」「傷害があってはならない」といった観念的な平等主義イデオロギーがたぶんに作用してきた面も見落とせない。また聾者と聴者との中間に位置して、口話法教育によって何とか聴者の文化に同化することができた「難聴者」たちは、青年期以後、かえって前二者の「異文化」のどちらにもうまく適応できずに悩むことが多いといわれている。(上農正剛著『たったひとりのクレオール』〔ポット出版〕、村瀬嘉代子編『聴覚障碍者の心理臨床』、村瀬嘉代子・河崎佳子編著『聴覚障碍者の心理臨床2』〔日本評論社〕など参照)
 これらの事実が次第に明らかになり、そのために、むしろ聞こえない子どもたちやその親や教師は、聞こえないという現実を厳しく直視して、その子どもたちの真の人間的な自立のためにどんな教育法が適しているかを誠実に探求すべきだという主張が現在力を得てきている。聴覚障害児教育が手話中心に移りつつあるのもその一環とみなすことができる。
 ただし、この方面に長年実践的にかかわってきたある専門家の言によれば、口話教育一本槍の弊害を切り捨てるために一気に振り子の針を反対にして、手話教育一本槍にしてしまうのもまたバランスを欠いている。早期教育において音韻発声のための筋肉運動の「おけいこ」を同時に行い、最終的に「口形を伴う完全手話」の形に到達させるのが理想的だとのことであった。なるほどこれなら、マジョリティが作っている言語文化体系への開かれた参加の道も確保できるわけである。
 ところで、私は、口話法教育から手話教育中心へのこの(軋みをはらみながらの)転換、及びその背景にある主張をまったく正しいものと認める。むしろ遅きに失すとすらいうべきで、現実を見据えない理念だけの「反差別主義」イデオロギーが、インテグレーション教育のいいかげんな実態や聾学校の衰退を招いたことは、わが国の障害児教育にとって取り返しのつかない損失であったろう。
 しかし、こうした社会実践面での主張がいかに正しいものであるからといって、それがそのまま、「言葉の本源は音声である」というテーゼを揺るがせるものとはならない。私は音声中心主義という「主義・イデオロギー」を語っているのではなく、起源から現在に至るまでの歴史的事実の重みを語っているのである。
 すでに述べたように、いかなる言語文化、言語共同体も、代々の生活者たちが音声交流によって実践を積み重ねてきた長い長い歴史を基盤として成立している。文字、手話などの視覚言語、点字などの触覚言語は、一見、音声言語とはまったく独立に、聴覚とは異なる感覚を媒介にして成立した異質な言語文化であるように見える。しかしそれらは、音声言語と並立しているのではなく、音声言語文化を土台として、その上に開いた、より高次の言語文化なのである。


*今回の論考を起こすにあたって、聴覚障害の問題に長年かかわってこられたK氏のお話を参考にさせていただきました。私の奇妙な疑問に一つ一つ誠実に答えてくださったK氏に、この場を借りて深く感謝いたします。



「一票の格差」是正のまやかし論議に騙されるな

2013年11月14日 18時37分15秒 | 政治

「一票の格差」是正のまやかし論議に騙されるな


*本文に記載されているURLは、そのままではヒットしませんので、検索欄にコピペしてご参照ください。



 報道によりますと、昨年12月の衆院選で最大2.43倍の「一票の格差」が生じたのは違憲として、2つの弁護士グループが選挙無効を求めた訴訟で、上告審の弁論が明後日(23日)に、最高裁大法廷で開かれることになっています。
 この問題について私は、3月25日、26日に広島高裁及び同岡山支部で違憲・無効判決が出た時点で、良識を喪失した司法の判断に呆れ、月刊誌『Voice』6月号に、一文をものしました。
 最高裁でどのような判決が出るのか見守りたいところですが、こんな非常識な「違憲判決」が堂々とまかり通るようでは、本当の意味での民主主義は終わりです。そういう危機感を抱いていますので、これを機に、『Voice』6月号の記事に微細な訂正を施して、以下に再録したいと思います。ご意見をお寄せいただければ幸いです。


一票の格差違憲判決は横暴な権力行使
                                    
 昨年12月の衆院選で最大2.43倍の「一票の格差」が生じたのは違憲であるとして、2つの弁護士グループが計16の訴訟を起こしました。このうち、「違憲・無効」判決が2件、「違憲・有効」判決が12件、「違憲状態」判決が2件ということです。このなかで3月25日の広島高裁判決と26日の同岡山支部判決は、選挙を無効としており、特に岡山支部判決は、猶予すら設けず判決確定で無効という、何とも端的で厳しいものでした。国政選挙に多少とも関心のある人々は、このニュースにさぞびっくりしたことでしょう。
 これらの訴訟はすべて上告され、やがて最高裁の統一見解が出されると思いますが、現在の時点で、自分なりの見解を述べておきたいと思います。
 結論から言いますと、私はこの判決は「司法」という名の権威を笠に着たとんでもなく非常識な判決だと考えます。
 そう判断するのにはいろいろな理由がありますが、いちばん問題なのは、こうした司直の見解に対して、ほとんどの人が、違憲判決は厳粛に受け止めなくてはならない、と感じてしまうことです。ここにはまず現行憲法の権威に対する疑いのない受容の意識があり、それに乗っかった形での司法判断一般を、無条件に尊重してしまうという習慣の力があります。そのため、この司法判断が本質的な意味で妥当であるかどうかが問われず、一票の格差そのものを何とかしなければ、という共通了解がすぐに成立してしまいます。一見「正義」とみえるものを金科玉条のように思って、そこにさからえない空気が覆いかぶさるのですね。後に述べるようにこれは「戦後」民主主義の悪弊の一つと考えられます。
 私が触れたかぎりでは、わずかに4月12日付産経新聞「正論」欄で、検察OBの土本武司氏がこの無効判決に対して次のように疑問を提示しています。

 だが、無効判決が確定した選挙は無効になり、他の選挙は事実上有効になる問題をどうするのか。選挙制度を見直さなければならない時に、一部議席が空白のままでできるのか。選挙無効となった議員が審議に関与した、法律や予算まで取り消されることになるのか、何よりも、投票という国民の主権行使を無に帰せしめることにならないか。国家運営や民主主義の根幹にかかわる重大な難問が惹起されるのは疑いない。

 土本氏のこの疑問は、すぐれた実務畑の人にふさわしい、たいへん現実的で良識にあふれたもので、私は全面的に支持したいと思います。しかしこの問いかけですら、そもそもごく一部の弁護士グループが「一票の格差」にこれほどこだわり、しかもその主張が通ってしまう戦後平等思想そのものの本質的な問題点には踏み込めていないうらみが残ります。
 言うまでもなく、日本国憲法には、国民の生活を守るために大切な価値がいくつも盛られていて、これらを頭から否定するわけにはいきません。しかし憲法は何も不磨の大典ではなく、改正すべき点が多々あります。また、憲法の条文は、その性格上、抽象的ですから、いくらでも多様な解釈を許す部分があります。
 今回の「一票の格差」問題について言えば、違憲訴訟の根拠となるのは、「法の下の平等」を規定した14条でしょう。一人一票を規定した公職選挙法36条も絡むでしょうか。また具体的には、「衆院選挙区画定審議会設置法」(略称「区割り審」)第3条1項で、2倍以下という規定があることが問題の一番の焦点となります。
 しかしこれらのどこにも、当選者の得票数に格差があってはならないとは書かれていません。つまり、「一票の平等な重み」という概念は、憲法や法律に書かれているから守らなくてはならないのではなく、「 絶対平等を理想とする民主主義」という、戦後浸透した一般通念に拠っているものということができます。さてこの通念は正しいでしょうか。
 まず問題なのは、ここでの「平等」という概念が、ただの算術的な頭数のうえでの平等という機械的な考え方にもとづいている点です。いかにも合理的で公平に見えますが、この機械的な合理主義は、私たちの現実的な生活の多様な面に思いを致すとき、少しも妥当とは言えないことに気づきます。いわば、コンピュータの判断した「平等主義」なのですね。いや、いまのコンピュータは将棋名人に勝つほど優秀ですから、さまざまな条件をインプットしさえすれば、もっとずっと適正な答を出してくれるでしょう。

「一票の格差」が問題となる背景は、なんといっても、都市と農漁村との人口の落差でしょう。人口が集中している都市部では、たくさんの票を獲得しなければ当選できず、したがって、有権者の一票の重みがそれだけ軽くなるという話ですね。
 しかしここで、都市で暮らしている人と農漁村で暮らしている人とのスタイルの違いを考えてみましょう。全国の地方都市をいろいろ回ってみるとわかりますが、高度成長期以降に発展した大都市(政令指定都市ほどの規模)での生活は、だいたい似たりよったりです。それぞれの都市の特色がないわけではないものの、そこで暮らしている人たちの日常的な意識と行動は、ほとんどどこでも共通しています。つまり大都市住民の多くは、毎朝自宅マンションやアパートから出て、自分の選挙区とは異なる地域に赴いて仕事をし、夜遅くなってから帰宅するということを繰り返しています。営業や出張で他地域に出かけることもたびたびです。
 こういう生活スタイルをとっている人たちの中に、自分の住居と、それが属する選挙区との必然的なつながりを意識するような要素がどれほどあるでしょうか。いわば大都市住民は、毎日、遊民生活を送っているようなものです。おそらく、家業をやっていたり地域活動を熱心にやっていたりする人たちを除いて、大多数の人たちにとっては、機械的に区割りされた自分の選挙区に対する特別の思い入れ、執着心、愛郷心、土着のこころといったものなど、ほとんど持ちようがないのではないでしょうか。
 これに対して、過疎地域の農漁村に永く暮らしている人たちは、大地や森林や海といった特殊な自然風土と有機的に結びついた土着のこころを大切にしています。先祖からずっと引き継いだ仕事や信仰、祭りや言い伝え、人間関係などを尊重しながら毎日を生きているのだと思います。たしかに人口は少ないでしょうが、そういう人たちの土地に根ざした思いには、それぞれ独特のローカリティが宿っており、そこから国政の代表を選ぶときには、この思いが無意識のうちに込められるでしょう。算術的な平等を機械的に貫くよりは、計量できないこうした質的な「意味」の違いを汲み取るほうが大事ではないでしょうか。もっと言えば、こういう人たちの一票のほうが、大都市住民のそれより重んじられて当然だと考えるべきではないでしょうか。
 これは、出身地に利益誘導をしろという政治的な意味とは次元の異なる話です。東日本大震災や原発事故で故郷を追われた農漁村の人々が、いかに故郷に帰りたがっているか、帰ることが不可能になってしまったことでいかに無念をかみしめているかに想像力をはせてみれば、すぐわかることです。

 こういうことも言えます。
 私の知人で対馬出身の人がいるのですが、対馬は朝鮮半島と日本本土の中間に位置していますから、古来、その地政学的な位置関係に由来する独特の文化をもっているそうです。しかし人口が少ない関係から一選挙区として認められておらず、長崎県の他の地域といっしょくたにされています。彼は対馬を一選挙区として認めてほしいと言っていました。
 さてご存じのとおり、いま領土問題で韓国との間に緊張関係があります。多くの韓国民が竹島のみならず、対馬をも自国の領土だと主張している有様です。こういう政治外交上の一焦点となっている地域に、日本国家として格別の配慮をしなくてよいでしょうか。格別の配慮を実現させるためには、国政のエネルギーを、他の平穏な地域よりもより多く注ぐべきであり、そのためには、その地域の切実な事情を国政に反映させることのできる優秀な政治家が育つことが必要です。算術的な平等などに過度にこだわらず、それぞれの地域住民の生活関心と、その地域にかかわる国家的なインタレストとの両方に叶うような、新しい区割りの発想が要請されるはずです。
 しかしまあ、量ではなく質にきめ細かく配慮した区割りを考えるべきだ、とまで一般化してしまうと、「言うは易く行うは難し」で、全国津々浦々、その特性は無限に多様ですから、コンセンサスを得るのがとても困難になるでしょうね。
 それはわかります。ことは単に選挙制度の問題にとどまらず、行政のケアがどこまで行き届くかという点のほうが重要なのかもしれません。ただ、算術的・形式的な平等主義によって「違憲だ、違憲だ」と騒ぎ立てる前に、弁護士も裁判官も、こういう質的な問題を少しでも考慮するように頭を切り替えるべきではないか、と訴えたいだけなのです。
 繰り返しますが、大都市のなかを、毎日あちらの選挙区からこちらの選挙区へと動き回っている市民にとって、一選挙区などという区割りは大した意味を持っていません。私は、大都市から立候補する候補者は、多くの票を得なければ当選できないという事態に耐えるべきだと思います。また人口の少ない農漁村から立候補する候補者は、そこに定住して生活している人々の一人ひとりのこころをきめ細かく大切に受け止めるべきだと思います。

 ところで先にも述べたとおり、こういう違憲騒ぎを巻き起こしているのは、ごく限られた弁護士グループだけです。じっさいに大都市で生活している有権者の多くから、「私の一票は鳥取県人の一票に比べて限りなく軽いから、何とかしてくれ」という声が強く挙がっていますか。あるいは大都市での立候補者たちが、「こんなに票をかき集めなくてはならないのは不当だから、格差をなくしてくれ」と叫んでいますか。私はこれまで聞いたことがありません。
 この騒ぎを起こしている弁護士の人たちは、形式的な民主主義理念に金縛りになっていて、主権者である国民の意思が平等に反映されないのはおかしいと理屈をこねているだけです。ところが不思議なことに、国民の大多数の意思を最も尊重すべきであると主張している当の人たちが、ほとんど国民から支持もされていない自分の主張を声高に叫んで、強引に司直を動かしているのですね。自分たちの主張が国民の多数から支持されているのかどうか、彼らは少しでも調べてみたのでしょうか。それをやるのが民主主義政治の実現にとって欠かせない手続きというものだと思うのですが。
 要するにこれは横暴な権力行使であって、彼ら自身の民主主義理念に反することを自らやっているわけです。この人たちの頭の中はどうなっているのでしょうか。
 さて問題は、なぜこんな少数者の偏った主張が、中央政治に大きな影響(悪影響)を与えてしまうのかという点です。法の専門家と称する一部の人たちが、その架空の権威を笠に着て司直を動かし、「違憲判決」をおごそかに宣言させ、そうして、安定政権がようやくじっくりと時間をかけて政治を運営していこうとしているその矢先に無意味な混乱を持ち込んでいるわけです。現実的には、0増5減案が国会を通過し、2倍未満になったのだから、何の問題もないではありませんか。
 ちなみに私自身は、国会議員の定数を削減すること自体に反対です。この点はここで詳しく語る余裕がありませんので、ご関心のある方は、以下のブログにアクセスしてみてください。

「美津島明編集・直言の宴」2013年4月16日掲載
国会議員数減らしと役人給料カットは愚策
http://mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/3051606/

 それにしても動かされる司直も司直ですね。なんでこんなことがまかり通るのでしょう。理由を二つばかり推測してみました。
 ひとつは、法曹界の一部が、自分たちの思い通りになる範囲での権限をできるだけ悪用する習慣に染まっているのではないかということです。言い換えると、国民の多数の思いがどこにあるかなど忖度しなくても済むような「司法専門家ムラ」が、その閉鎖性をますます強めているのではないか。そこには弁護士と裁判官と、時には検察までもが結託している構造が垣間見えます。「ムラ」にすぎないのに権力を行使できるから始末が悪い。
 二つ目。先の選挙で惨敗した民主党と、違憲訴訟を起こした弁護士たちとが有形無形のかたちでつながっていて、民主党が負けた腹いせのために彼らを陰で操っているのではないかということ。私はこういう陰謀史観は好きではないのですが、あの弁護士たちの原理主義的な「民主主義」観念と、民主党の一部に見られたサヨク思想とは、どうしてもイメージが重なります。しかしもし本当に無効判決を生かして7月に衆参ダブル選挙が行われたら、「泣きっ面に蜂」の目を見るのが当の民主党であったことは明らかです(笑)。
 いずれにしても、私は今回の成り行きに「戦後」民主主義の悪弊の典型を見る思いです。自分たちの横暴な権力行使に対する自覚がないままに、自分たちがいちばん「民主主義者」だと勘違いしている。こういう勘違いが公然と演じられるようになったのが、「戦後」民主主義のレジームです。そして、この勘違いにいちばん染まりやすいのが、生活や政治に現実的な感覚をもたない老インテリさんたちだ、という点も指摘しておきましょう。老インテリさん、かつての社会党や共産党が抱懐していた「革命」の理想など、とうに夢のまた夢として過ぎ去ってしまったことはご存知ですよね。だったら、正当な「民主主義」的手続きを通して多くの国民の支持を得た新政権の足を引っ張るようないじましいマネはやめたほうがいいと思うのですが。そんな屈折した手を使うのではなく、与党が進める具体的な政策を堂々と批判して、少しでも日本をよい社会にすることに貢献するべきではありませんか。

 最後に話題になっているネット選挙について一言述べます。
 ネット選挙法案は、衆院を通過し(全会一致)、参院審議を経て成立しました。私はこれについて論じる資格があまりないのですが、まあ、これだけインターネットが普及してしまうと、多少の難点はあっても流れには逆らえないのだろうなあ、と思っています。今後を見守るしかないでしょう。
 ただ、この法案が若年層の関心を政治に惹きつけて投票率を高めるという意図からなされているのだとしたら、それは少し違うのではないか。先の衆院選の投票率は60%を割り込み、戦後最低を記録しました。若者の政治離れが嘆かれ、この事態に言及する人は、ほぼ例外なく、もっと政治に関心をもって投票所に行こうと呼びかけます。しかし、棄権者が4割いるということは、そんなに悪いことでしょうか。
 いわゆる無関心層の中には政治にはっきりと絶望している人もいるかもしれませんが、はじめから政治に興味をもたない人、だれに入れていいか決められない人、多忙な人、予定が入っている人、超高齢者、判断能力がない人など、さまざまな人がいるはずです。そういう人たちが、たまの日曜日にわざわざ投票所に足を運ばない自由が許されているということは、必ずしも悪いことではない、と私は思います。政治に過剰な関心をもたなくてもなんとかその人たちの生活がやり過ごせていることを意味するからです。
 衆院選で4割はたしかにちょっと多いかもしれません。しかし逆に、実態は独裁国家なのに国民から支持を取り付けたというアリバイのために選挙をやるような国では、たいてい投票率9割以上などという結果が出るものです。ここには強制や買収や組織ぐるみ参加がはたらいていることが明白ですね。一般大衆のすべてに対して政治について考えろという圧力がかかるのは、社会状況がよほどよくないか、強制的に投票させられているかどちらかです。
 国民の政治参加と言っても、ふだんからきちんと考えている人、選択能力のある人が投票所に行くのが、自由社会の理想なのです。かえってそのほうが結果に信頼がおけます。だれにも選ぶ権利が与えられているという民主的原則は、形式的にはそれでかまいませんが、実質的には、公共性についてよく考えている人によって社会が支えられるかたちこそ健全な姿といってよいのです。

倫理の起源12

2013年11月14日 18時22分27秒 | 哲学

倫理の起源12



 『パイドロス』についての言及を続ける。

 プラトンの記述は、『パイドン』において魂の不死の証明のために用いられた有名な想起説を用いながら、さらに進む。
 ちなみに想起説とは、われわれ人間は、生まれる前にあの神々の行進に随行して、天球の外にあるもろもろの聖なるイデアに一度は触れたことがあるのだが、生まれると同時に地上の汚れたものに接してそれらを忘れてしまい、のちに知的努力によってようやくそれらの片鱗を思い出すことができるという考え方である。そしてこの想起をうまくなし得る者は、見えないものを思惟によって見ようとする訓練を受けた哲学者と呼ばれるごく少数の者に限られる。
 しばらくプラトン自身の昂揚した筆致をそのまま追尋しつつ、彼が恋の狂気一般を称えているように見せながら、ほんとうは何を伝えたかったかを、注意深く検討することにしよう。

 
 正当にも、ひとり知を愛し求める哲人の精神のみが翼を持つ。なぜならば、彼の精神は、力のかぎりをつくして記憶をよび起こしつつ、つねにかのもののところに――神がそこに身をおくことによって神としての性格をもちうるところの、そのかのもののところに――自分をおくのであるから。人間は実にこのように、想起のよすがとなる数々のものを正しく用いてこそ、(中略)言葉のほんとうの意味において完全な人間となる。

 この一節には詳しい解説は要らないであろう。神に祝福されて完全な人間として認められるのは、知を愛する哲人の精神のみであると明言しているのだから。言うまでもなく、哲人の恋はその対象を、地上に現れた個別の美しい肉体になど求めはしないのである。

 狂気という。しかり、人がこの世の美を見て、真実の美を想起し、翼を生じ、翔け上ろうと欲して羽ばたきするけれども、それができずに、鳥のように上の方を眺めやって、下界のことをなおざりにするとき、狂気であるとの非難を受けるのだから。
 (中略)この狂気こそは、すべての神がかりの状態のなかで、みずから狂う者にとっても、この狂気にともにあずかるものにとっても、最も善きものであり、また最も善きものから由来するものである、と。


 下界のことをなおざりにするとき、その人は狂気と呼ばれるが、それは「真実の美を想起」する人に限られている。問題は、「この世の美」を見た人が、必然的にかつて見たはずの「真実の美を想起」するような段階に移行するかどうかである。
 この記述には、『饗宴』においてみられたのと同様の強引さと身勝手さがある。プラトンはここで、ひとたびこの世の美に触れた者は、それをきっかけ(入り口)として知を愛する努力を重ねれば、だれでも「真実の美を想起」できるかのように書いているが、じつのところそれはプラトンにとって「かくあるべし」と考えられた、ゾレンとしてのプロセスにすぎない。
 なるほど美しい異性の心身に触れた人のうち、ある一部の人は、そこに美のイデアを探し求めようとするかもしれない。しかし、そのような心の動きをみせずに特定の個体としての相手との合一を求める人もまた、その相手に恋をしているとじゅうぶんに言えるのであるから、プラトン自身の思想に即するかぎり、いずれの狂気をも一緒くたにして、最も善きものから由来するとは言えないはずである。次の二つの節を読むと、地上の美への狂気は、ここでの祝福されるべき狂気とは無縁のものであることがはっきりする。

 その秘儀(神々とともに行進していたときに参与することができた秘儀――引用者注)を祝うわれわれ自身、まったき姿のままで、後にわれわれを待ちうけていた数々の悪をまだ身に受けぬままで、まったき姿の、純一な、荘重な、祝福に満ちた聖像を、明るくきよらかな光の中に啓示され、それによって奥義を伝授されながら、この秘儀を祝ったときのことであった。そのとき、きよらかな光を見たわれわれもまたきよらかであり、肉体(ソーマ)とよぶこの魂の墓(セーマ)、いま牡蠣のようにその中にしっかりと縛りつけられたまま、身につけて持ちまわっているこの汚れた墓に、まだ葬られずにいた日々のことであった……

 さて、秘儀に参与したのが遠い昔になった者、あるいは堕落してしまった者は、この地上において美の名で呼ばれるものを見ても、この世界からかの世界なる《美》の本体へとむかってすみやかに運ばれることはない。したがって、そういう者は、美しい人に目を向けても、畏敬の念をいだくこともなく、かえって、快楽に身をゆだね、四つ足の動物のようなやり方で、交尾して子を生もうとし、放縦になじみながら、不自然な快楽を追いかけることを、おそれもしなければ、恥じもしないのである。


 ソクラテスは、肉体(ソーマ)と墓(セーマ)とを懸詞にして、肉体を魂の「汚れた墓」であるとしている。
 あらゆる宗教的な教説は、人間の生が限りあるものであることを起点として、生誕以前や死後の魂のあり方を構想し、うつし身を魂の仮の宿と考える。そしてだいたいにおいて、肉体は汚れに染まっており、その肉体をまとわない魂は、清浄なものとしてイメージされる。その意味では、ソクラテスのここでの霊肉二元論も、宗教的な教説の常道をそのまま踏襲していると言える。うつし身は、肉体をまとったがゆえに汚れたものなのである。
 このことはじつはプラトンにとって自明のことだった。だから、彼はここで一種のジレンマに立たされていると言ってよい。恋の狂気一般を肯定した以上、たとえその狂気にしたがって「四つ足の動物のようなやり方で」快楽に身をゆだね放縦に馴染む者がいたとしても、それを一概には否定できないはずだ。ところが彼はここでホンネの価値観を自己暴露し、そういう恋の成就の仕方を頭ごなしに切り捨てている。
 だが恋の狂気一般を肯定したプラトンにとって、地上で出会う美を求める魂の狂気、つまりふつうのエロス感情は、美のイデアに到達するための不可欠な前提であり入り口であるという論理だけは、是非とも救い出さなくてはならないものだった。そのため彼は、ふつうのエロス感情に従って行為におよぶ者たちの所業を、「秘儀から遠ざかった者」や「堕落してしまった者」たちが美の本体を見失い美しい人への畏敬の念を忘れた状態と規定せざるを得なかった。そればかりかこれらの人の快楽を「不自然な」ものと呼んでさえいる。
 どこに問題があるのだろうか。すでに『饗宴』において、「同一視」と「抽象化」という詐欺的な手つきを確認していた私たちにとって、答は簡単である。個体に対してエロス的な欲望を抱くことは、イデアとしての《美》一般への欲望に還元されない独特の感情である。そしてそれは、《美》一般への欲望と比較して、劣っているわけでもなければ優れているわけでもない。
 ところが、プラトンの構想では、個体に対するエロス的な欲望は、美のイデアへの欲望のより低い段階(入り口)として、すでに体系的に取り込まれてある。いっぽうでプラトンは、地上的にとどまる恋の感情とその自然な帰結としての行為を、どこかで汚らわしい動物的な営みとして振り切ってみせなくてはならなかった。感覚によってとらえられる世界は、イデア世界の単なる影にほかならないからである。それゆえことの必然として、次のような論理が語られることになる。

 美は、もろもろの真実在とともにかの世界にあるとき、燦然とかがやいていたし、また、われわれがこの世界にやってきてからも、われわれは、美を、われわれの持っている最も鮮明な知覚を通じて、最も鮮明にかがやいている姿のままに、とらえることになった。というのは、われわれにとって視覚こそは肉体を介してうけとる知覚の中で、いちばん鋭いものであるから。《思慮》は、この視覚によって目にはとらえられない。もしも《思慮》が、何か美の場合と同じような、視覚にうったえる自己自身の鮮明な映像をわれわれに提供したとしたら、おそろしいほどの恋ごころをかり立てたことであろう。

 凡人と違って、よく「思慮」を凝らして見えないものを見ようとする「哲学者」にだけは、感覚によってとらえられるうつし世の価値よりもはるかに高い価値がイデア界に存在することがわかる。もとよりそのことを力説することが、プラトンの大きな動機のひとつだった。
 人がこの世で感知される「美」を狂おしく求めるのは、たまたま「美」のみがわれわれの感官にうったえるからであり、もし視覚の鮮明さと同じほどに「思慮」の力がわれわれに与えられていれば、必ずやわれわれはその「思慮」によってとらえられる対象のほうを、もっと激しく恋い求めることになるだろう。そしてその最高の対象とは、言うまでもなく「善のイデア」にほかならない。
 ここで何が行われているのか? ゆっくりと、そして注意深く、価値の移し替えが行われているのだ。実感できる、また直接的に欲望を喚起できる対象の美的価値から、実感もできず、ふつうにはさして激しく求められもしない、道徳的な「善」の価値への移し替えが。
 言うまでもなく、地上的な「美」的存在への欲望を、そのまま地上的価値としての「善」(もろもろの徳目)への欲望に移し替えることはできない。なぜなら、美と道徳的な善とは、この地上においてはまったく異なる価値として理解されているし、ときにはそれらは相反する価値として対立し抗争することすらあるからだ。
 この困難を回避するために、プラトンはまず恋の狂気をそれとして肯定し、次にその狂気が崇高な天上の神から与えられたものであることを力説し、さらに狂気を対象の違いによって序列化する。視覚的な美への狂気よりも、「思慮」がもつべき狂気のほうがはるかに高い価値をもつというように。
 地上から天界へ、そしてふたたび天界から地上へ。かくしてこの過程で、地上的な美への欲望とそれを味わう快楽とは、美のイデアのなかに吸収され、さらにはいつの間にか善のイデアの中に吸収されてしまう。こうした迂回路を媒介させる手の込んだトリックによって、彼は、美的価値よりも道徳的価値のほうが優先することを人々に納得させようとするのである。だが、いくら巧妙なトリックを用いても、続く各節を子細に見れば、『パイドロス』におけるプラトンの真意がその点にこそあることは明らかだ。
 はじめに、神々の行進に随行する人間たちの魂は、理性をわきまえた馭者と従順な馬と暴れ馬との三つで成り立っていることが説明された。ソクラテスはなぜか、以下のくだりでは、この魂が恋の対象に近づいたとき、どのようなことが起きるかを、長々と語っている。
 それによれば、暴れ馬はまっしぐらに欲望の対象にむかおうとひたすら馭者を引っ張るが、馭者は恋の対象の神々しさに圧倒されて、近づくことができず、逆に手綱を思い切り引いて後ろにひっくり返ってしまう。馭者と暴れ馬との激しい引き合い・葛藤は何度も繰り返される。馭者はそれでもしだいに暴れ馬の言い分をしぶしぶ聞くようになり、暴れ馬はしだいに馭者に服従するようになる。

 こうして幾度となく同じ目にあったあげく、さしものたちの悪い馬も、わがままに暴れるのをやめたとき、ようやくにしてこの馬は、へりくだった心になって、馭者の思慮ぶかいはからいに従うようになり、美しい人を見ると、おそろしさのあまり、たえ入らんばかりになる。かくして、いまやついに、恋する者の魂は、愛人の後をしたうとき、慎みと怖れにみたされるということになるのである。

 おやおや! 『饗宴』において、大人の節制を無力であるとして退けたソクラテス(プラトン)はどこに行ってしまったのだろうか。けだし、ここに書かれていることは、暴れ馬の本領である狂気性をなだめて理性に馴致させなければ恋は成功しないという、ありふれた「大人の教訓」を語っているようにしか読めない。なぜなら、この記述では、恋する者がどんなに内的葛藤を演じようと、結局は相手をうまくものにすることになるのだから。
 いや、皮肉はやめよう。プラトンの頭の中にはもともと、理性によってコントロールされるべき理想的な恋愛形態というものがあって、その実現において愛し合う二人の間でどんなことが行われなくてはならないかという、明確なイメージが存在したのである。ただし、それは肉の交わりをともなわない、いわゆる「プラトニック・ラブ」ではない。前後する記述の中には、二人が肌を重ねて同衾する成り行きになることが当然のように書かれている。ではそういう間柄になりながら、二人はどのようでなければならないか。

 さて、そこでもし、精神のよりすぐれた部分が、二人を秩序ある生き方へ、知を愛し求める生活へとみちびくことによって、勝利を得たとしよう。その場合まず、この世において彼らが送る生は、幸福な、調和にみちたものとなる。それは彼らが、魂の中の悪徳の温床であった部分を服従せしめ、善き力が生ずる部分はこれを自由に伸ばしてやることによって、自己自身の支配者となり、端正な人間となっているからだ。

 精神のよりすぐれた部分が、二人を秩序ある生き方へ、知を愛し求める生活へと導くこと、魂の中の悪徳の温床であった部分を服従せしめ、善き力が生ずる部分はこれを自由に伸ばしてやること――なるほど、この状態に達することが、プラトンの考える理想の恋の目標であった。秩序ある生き方をする、知を愛する、悪徳の温床を服従させる、善き力を自由に伸ばす――なんと分別と節制をわきまえた道徳的なそして穏当な生き方ではないか。恋を発展させて道徳に転化させる? だがだまされてはいけない。いったい恋の本質としての「狂気性」はどこに消えたのだ?! 




倫理の起源11

2013年11月14日 18時12分26秒 | 哲学

倫理の起源11




 プラトン批判を続けます。

『パイドロス』を見てみよう。ここでは、プラトンの詐術はさらに手が込んでいる。
 この作品は、次のようにして始まる。
 パイドロスが、信服しているソフィストであるリュシアスが書いた文書を、ソクラテスに向かって読み聞かせる。その内容は、「少年は、恋をしている人に身をまかせるよりも、恋していない人に身をまかせる方がよい」という逆説的な思弁である。
 いわく、恋をしている人は、とかく肉体的な欲望のために目が曇らされるから、その当座は、恋人に対して自分を気に入ってもらおうと、甘い約束をしたり、褒めるべきでないことも褒めそやしたり、言いなりになったりするが、ひとたび恋が冷めると、そうした自分の態度を後悔して容易に態度を変える。しかし恋していない人にはそういうことは起こらず、最善のことがらや悪いことがらに対する正しい判断力を持って少年に接するので、少年も優れた人間になれるはずである。
 また、少年が、優れた人を選ぶのに、自分に恋をしていない人のほうが数が多いから、自分の愛情に値する人に出会える公算が大きい。さらに、恋をしている人は、その恋人を独占しようとして、嫉妬にさいなまれ、自分よりも優れた人や財産を多く持つ人を恋人から遠ざけようとする。そのため少年は孤立したり、多くの人を敵に回すことになったり、当の相手と仲違いしたりする。だが恋していない人は、そのような嫉妬に悩まされることはないので、他の人びともその少年と交わることができ、そこに友情が生まれる望みが大きい。
 したがって、身をまかせてしかるべき相手は、ただ恋い求める人たちではなく、身をまかせるだけの値打ちのある人たちである。少年の若盛りを享楽しようとする人たちではなく、少年が年をとった後も、自分が持っているよき徳性を分け与えてくれるような人たち、恩返しをする能力がいちばんある人たちなのだ……。
 リシュアスの文書は、少年が年長者に身をまかせる場合には、少年への恋に目がくらんで欲望の虜になってしまうような人ではなく、ほんとうに自分を正しい道に導いてくれるような、分別と冷静さと節操をわきまえた人(つまりリシュアスその人であるような人)を選ぶべきで、そのためには、自分に熱い恋心など寄せていない人のほうがよいと説いている。要するに、普通のやり方の裏をかいた巧妙な口説き文句と言えるだろう。
 もちろんこれは単なる口説き文句ではない。ここには同時に、はっきりと書かれてはいないが、前に述べたのと同じような、ポリス公共体への倫理的な配慮がはたらいている。善き公共体を維持するためには、世代から世代への正しい理にかなった知識の伝達が必要だが、それは年長者と少年との私的な交わりを通して行われるほかないので、すべからく若い世代は、恋に溺れて分別を失った年長者に籠絡されてはならず、慎重に優れた相手を選ぶべしというのである。
 さて、これを聞かされたソクラテスは、パイドロスから、これと同じ知恵でもっと内容豊かで価値のある話ができるなら、それを語ってくれと強引にせがまれ、同趣旨で別ヴァージョンの話をする。この話には、リシュアスのそれと比べて、取り立てて異なる観点のものは盛り込まれていない。ただ、いつものソクラテス(プラトン)の流儀で、論じようとする対象(恋)が何であるかを明確にイメージ・アップした上で、あえてその悪いところを取り出して強調し、その行き着くところを順に述べ立てていくという、よく整理された方法を採っている。
 ソクラテスは、恋とは(美しいものに対する)ひとつの欲望であり、恋をしていない者でも美しいものに対して欲望を持つことがあると指摘した上で、それでは恋をしている者としていない者とは何によって区別したらよいのかと問いかける。そして人間のうちには生まれながらに備わる快楽への欲望と、最善のものを目指す後天的な分別の心という二つの力がはたらいていて、この二つの力が互いに相争って、快楽への欲望がうち勝つときには、「放縦」と呼ばれる状態になる。逆に分別の心がうち勝つ場合には、それは「節制」と呼ばれる。ソクラテスは、後者が「恋をしていない者」の状態を表していると言いたいのであろう。
 このあとは、欲望に支配され快楽の奴隷となっている者が、自分自身や恋人にいかに悪影響を与えるかが、リシュアスの議論よりもむしろ厳しく列挙されている。
 さて「恋をしている者」の有害さがひとわたり述べられた後、ソクラテスは、突如話を打ちきって、パイドロスから逃げるように、目の前のせせらぎをわたろうとする。パイドロスがもっと話してくれと引き止めると、ソクラテスは戻ってきて、自分がいま川向こうに行こうとしていたときに、「お前は神聖なものに対して罪を犯しているから、みずからその罪を浄めるまでは立ち去ってはならない」というダイモーンの命令を聞いたように感じたと言う。神聖なものとは、すなわち「エロス神」である。いやしくも神の名をもつものが、自分たちがいま話していたような悪いものであるはずがない。だから自分の身を浄めるために、この神を称える別の話「パリノーディアー(取り消しの詩)」をしなくてはならないというのである。
 見逃しがちだが、このくだりに次のようなソクラテスのセリフが挟まれている。プラトニズム的な「恋」の考えがよく暗示されている箇所なので、読者の方はよく覚えていてほしい。

 じっさい、ここにもし一人のけだかくおだやかな品性の人がいて、もう一人の同じような品性の人を恋しているか、あるいはかつて以前に恋したことがあるとする。この人がまたまた、ぼくたちの話を聞いていたと想像してみたまえ。恋する者はつまらぬことで腹を立てて強い憎しみをいだくものだとか、愛される少年に対して嫉妬ぶかく、害毒をあたえるとか言っているのを聞いたら、なんと思うだろう。その人はきっと、何か船乗り仲間の間にでも育って、高貴な恋というものを一度も見たことのない連中の話を聞いているのだと、考えずにはいられないだろう。

 さて、ソクラテスはまず、狂気というものが無条件に悪いものだなどということは言えず、われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、最も偉大なものはみな、神から授かった狂気を通じて生まれてきたと説く。例として、神々に憑かれたときの予言者たちの言葉が正しかったこと、疾病や災厄が氏族を襲ったときにそれを救ったのがやはり神に憑かれた狂気であったこと、さらに、詩人たちはみな、ムゥサの神々から授かった狂気によって詩作したことが挙げられる。そして、恋という狂気もこよなき幸いのために神々から授かったのであって、そのことは真の知者であれば信じられるであろうとされる。
 次にソクラテスは、魂の不死についての短い証明を行う。「魂はすべて不死なるものである。なぜならば、常に動いてやまぬものは、不死なるものであるから」
 また魂は自分で自分を動かすものであり、そのようなものは「動」の始原として、滅びることも生じることもない。ゆえに、魂は不死である……。
 ちなみに魂の不死の証明は、『パイドロス』よりも前に書かれたと推定される『パイドン』で詳しくなされているが、いずれの作品における「証明」も十分な説得力を備えたものとは言えない。論理学的に言えば、すべては論点先取の誤謬か、単なる同義反復に陥っている。だが『パイドン』に関しては、後に譲ろう。
 ともあれ、魂がはたして「常に動いてやまぬ」ものであるかどうか、また自分で自分を動かす「動」の始原と見なせるかどうかは、魂という主語の概念がどう規定されるかにかかっており、その規定はまた、ある言語を用いる共同体の間で、その言語(ここでは「魂」)がどのようなものとしてイメージされているかに依存している。
 魂が不死であるかどうかは、魂という主語のうちに、自己原因的であったり、動いてやまぬものであったり、「動」の始原であったりといった述語(特性)があらかじめ包摂されており、その包摂されている事実を、共同体が疑い得ない「信」として認めているかどうかにもとづいている。魂という「言語」が、それを流通させている共同体の中で、そのような「信」を与えるだけの力を秘めているかぎり、証明をまたずして魂は不死なのである。
 したがって重要なのは、「魂」という言葉の存在の力を、私たちがそのような特性をあらかじめ含みもつものとして信じるかどうかであって、証明の可否そのものは、ここでは重要ではない。ソクラテス‐プラトンの時代には、このような「信」があまねく存在したにちがいなく、それゆえソクラテスは、その「信」を基盤として安んじて証明を行うことができたのである。
 次にソクラテスは、魂の本来の姿について、ひとつのたとえ話を持ち出す。ここから、この作品の白眉ともいうべき、天空と天外を翔る神々と人間たちという雄大なミュートスが語られる。
 魂は、翼を持った馭者と二頭の馬にたとえられる。人間の場合には、片方の馬はできがよく馭者に忠実だが、もういっぽうの馬はできが悪く、馭者の言うことをなかなか聞こうとしないじゃじゃ馬である。
 さてゼウスを先頭とする魂の一団は天空を行進するが、饗宴の時が来ると彼らは穹窿の極みまで登りつめようとする。しかしそこは道が険しい。悪い性質の馬は馭者を下の方に引っ張るので、魂には激しい労苦と抗争とが課せられることになる。
 不死の魂は極みまで登りつめると、天球の外に出て、天外の世界を観照する。天外の世界に位置するのは、感覚ではとらえきれず知性のみが見ることのできる「イデア」(真実在)である。真実の知識とは、みな、このイデアについての知識である。
 神々の魂はすべてこれらのイデアを観照することができるが、人間たちの魂は、馬に煩わされるため、神の行進についていこうとしながら力およばず、互いに先に出ようとして激しく争い合う。その結果、彼らは真実在の世界をわずかに垣間見はするが、翼を傷つけられはなはだしく疲れて、地上に落下し、何らかの個体を受肉することになる。翼を失って落下したこれらの魂は、手綱さばきの違いに応じて、より多く真実在に触れることのできたものもあれば、ほとんど触れることのできないものもあった。彼らは、天空外の真実在に触れた度合いに応じて、人間界でのその最初の生き方が決められる。その序列は次のようになっている。

 真実在をこれまでに最も多く見た魂は、知を求める人、あるいは美を愛する者、あるいは楽を好むムゥーサのしもべ、そして恋に生きるエロースの徒となるべき人間の種の中へ――
 第二番目の魂は、法をまもり、あるいは戦いと統治に秀でる王者となるべき人の種の中へ――
 第三番目の魂は、政治にたずさわり、あるいは家を斉え、あるいは財を成す人の種の中へ――
 第四番目の魂は、労苦を愛する体育家、あるいは肉体の治療にたずさわるべき人の種の中へ――


 以下このようにして、第五番目として、占い師や宗教家、第六番目として、劇作家や俳優、第七番目として、職人や農夫、第八番目としてソフィストや民衆扇動家、最下位として僭主というように、九番目までが定められている。そしてそれぞれの魂は、自分たちがそこからやってきたもとの同じところへ帰り着くのに一万年かかるのだが、一つだけ例外があって、「誠心誠意、知を愛し求めた人の魂、あるいは知を愛する心と美しい人を恋する思いとを一つにした熱情の中に、生を送ったものの魂」が、千年ごとの周期がめぐってきた際に続けて三回そのような生を選んだならば、それによって翼を生じ、三千年で天上に去ることができるというのである。
 読者は、ここでもプラトンの微妙な言い方に注意してほしい。
 真実在を見た程度の大きさによって分類されている魂の序列について語ったはじめの部分においては、この、知を愛する人と単に恋する人とは、同一視されず、「知を求める人、……そして恋に生きるエロースの徒」というようにただ並列されているだけである。ところが、そのあとのくだりでは、例外的に天に昇ることができる資格を持つ優れた魂とは、「誠心誠意、知を愛し求めた人の魂、あるいは知を愛する心と美しい人を恋する思いとを一つにした熱情の中に、生を送ったものの魂」であるとされている。
 つまり、単に恋に生きた人は、この資格から外されているのである。「知を愛し求めた人」か、あるいは「知を愛する心と美しい人を恋する思いとを一つにすることのできた人」だけがその資格がある。美しい対象に恋をするにしても、そこに「知への愛」がともなっていなければ、何ものでもない。そう読めるのである。
 ここには、『饗宴』におけるソクラテスの教説と同じ構造をした詐術が読みとれる。はじめの列挙の部分を素直に読めば、知への狂気的な愛にせよ、美しい肉体への狂気的な愛にせよ、いずれもその狂気を神々から授けられた者として、それぞれが祝福されてしかるべきである。ところがプラトンは、そう言うと見せかけて、じつはその狂気性が知への愛や善のイデアを志向する傾向を合わせ持っていなければ、祝福される資格は与えられないと言っているのだ。これが単なる恋愛賛美でないことはたしかである。
 ここで読者は、先に注意を促しておいた一節を思い出していただきたい。そこにはこう書かれてあった。

 じっさい、ここにもし一人のけだかくおだやかな品性の人がいて、もう一人の同じような品性の人を恋しているか、あるいはかつて以前に恋したことがあるとする。この人がまたまた、ぼくたちの話を聞いていたと想像してみたまえ。恋する者はつまらぬことで腹を立てて強い憎しみをいだくものだとか、愛される少年に対して嫉妬ぶかく、害毒をあたえるとか言っているのを聞いたら、なんと思うだろう。その人はきっと、何か船乗り仲間の間にでも育って、高貴な恋というものを一度も見たことのない連中の話を聞いているのだと、考えずにはいられないだろう。

 ソクラテス(プラトン)は、恋する人の貴賤を峻別している。「けだかくおだやかな品性の人」は、「船乗り仲間」のような、当時においては下賤な身分とみなされていた人びとの恋とはまったく違って、「高貴な恋」をするのだと言い切っている。
 私はこの指摘をもって、プラトンが差別意識の持ち主だったなどと、つまらぬことを言いたいのではない。時代を考えればそんなことは当然であって、問題とするに足りない。そうではなく、これらの記述によって、プラトンが、いわゆる恋愛に耽る人と、知を愛し真理を求める人とを、それらが共に狂気性をその内在的な媒介としているという共通点によっていったんは結び合わせておきながら、しかもその上で、感覚を頼りとした地上の恋愛における狂気と、思惟を通してしか発揮されない愛知における狂気とを、じつは明瞭に区別していると言いたいのである。


これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(4)

2013年11月14日 17時59分17秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(4)



 だいぶご無沙汰しました。
 前回、モダンジャズ史の栄枯盛衰について語るなどと大見得を切ったのですが、それはまだ早いようで、その前にもっともっと語りたいことがあります。
 これまでドラマー、ピアニスト、トランぺッター、サックス奏者など、たくさんのプレイヤーを紹介してきましたが、ジャズにとって欠かせない楽器であるベースについてはほとんど触れてきませんでした。今回はベースのことを語ろうと思います。
 ベースは、クラシック音楽ではコントラバスと呼ばれ、オーケストラの一番右の方で、最低音部を担当していますね。この楽器は主として伴奏楽器として位置づけられてきました。しかし、主役を演じる場面もしばしばあります。そういう場合、地底からの響きのような野太い旋律の流れは、私たちの腹にもろにこたえます。たとえば有名なところでは、ベートーヴェンの交響曲第五「運命」の3楽章、2分目あたりからのちょっと怖い第2主題の提示とそれに続く高音弦楽器への移行、また第九「合唱付き」の4楽章の初め、あの晴れやかな主題「ミミファソソファミレ……」が出てくる前の芸術家の逡巡と否定と模索とを表現した部分など、じつにこの楽器の特長を活かした素晴らしい曲想です。
 クラシック音楽では、バイオリンやチェロのように「アルコ(弓)」による演奏が主流ですが、ジャズでは弦を指ではじく「ピツィカート」奏法が主流です。クラシックではどちらかと言えばメロディの流れを重んじるのに対して、ジャズではどちらかと言えばリズムの恒常性を重んじますので、ピツィカート奏法によるベースがリズム部門を担当するのも当然と言えば当然。ドラムとともにリズムを支えながら、独特のはずみ、スウィング感を曲全体に与えて、花形楽器をインスパイアする黒子的役割を演じます。
 でもベースってかっこいいんですよね。あのボンボンボンボンという響きは、言ってみれば子どもや少年が楽しく遊んでいるのにお父さんも思わず自分から参加してノリまくり、しかも彼らを最初から最後まできちんと見守っているような感じ。

 また思い出話になりますが、前に登場してもらったジャズ友だちのK君が、じつはこの楽器にすっかりいかれてしまい、どういう経緯だったか、中古品を手に入れてあまり広くない団地の一室で弾き出したのです。
 そのころ彼は浪人中で、美術系の大学を目指していたのですが、ご両親は大学も決まっていない息子があんなどでかいモノを持ち込んできて夢中になっているのを見て、「こいつはいったい何を考えているんだ」と、さぞ苦々しく思われたことでしょう。当時はちょうどベンチャーズが来日して、エレキブームが起きていた時で、この種の楽器などに手を出すこと自体が、親からは不良視されるような時代でした。
 K君はそれでも、受験が迫ってくると相当デッサンや油絵の修業に打ち込んでいたらしく、本命の大学に賭けており、試験が終わった直後は、かなり自信を持っていたようです。実際そのセンスはいま思い出してもなかなかのものでした。ところがふたを開けてみると、なんと不合格。これにはよほどがっくりきたようで、埼玉に近い東京北部の自宅から横浜の私のところに電話がかかってきました。
「ダメだったよ、来てくんねえか」
 私はすぐに駆けつけました。すると狭い部屋でボリュームをでかくしてジャズをかけ、それに合わせながらうつろな目をしてベースを弾きまくっています。私はかける言葉がありませんでした。お母さんも、しばらくはそのままにしておいてやろうと気遣っていたようです。
 その後も彼とはたびたび会っていましたが、こちらはこちらで忙しく、しばらく間遠な時期が続きました。三バカトリオでバンドをやろうかなどと集まったこともありましたが、諸般の事情でほとんど練習もできず、初めから解散状態。K君のベースもその頃は正規の奏法を身につけたわけはなく、いわば我流でした。ところが彼はひとり執着を捨てず、何年もたってから、プロのオーディションに合格したというのです。本気で何かを好きになるってなかなかすごいものですね。ちなみに彼はいま、栃木で窯を焼いています。愛犬の名は「ジャズ」。

 ベースは黒子的役割と言いましたが、モダンジャズ界がしだいに成熟してくると、独創的なベーシストがたくさん現れ、さかんにソロ・パートを受け持つようになります。これがまたそれぞれに個性があって面白いのですね。
 マイルス・デイヴィスのバンドを中心に驚くべき量の演奏をこなしているポール・チェンバース、オスカー・ピーターソン(p)のよき相棒を長年務めた巧者レイ・ブラウン、エキセントリックな曲で評判をとった親分肌のチャールズ・ミンガス(この人はあまりお勧めできませんが)、渋い歌を聴かせるジョージ・ムラーツ、やや時代が下って、ヨーロッパ出身でビブラートを効かせながらきれいな音を出すミロスラフ・ヴィトス(この人は、一回目で紹介したチック・コリアの「ナウヒースィングズ・ナウヒーソブズ」でベースを弾いています)、そして何といってもビル・エヴァンスと短い期間共演して夭逝した天才、スコット・ラファロ。
 それではここで、ベースが生かされている曲を連続3曲聴いていただきましょう。なお、パソコンではどうしても低音部が響きませんので、できればi-podなどに取り込んで聴くことをお勧めします。
 まずポール・チェンバース。



 マイルスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」から「ソー・ホワット」。ここでポールは、ソロ・パートを受け持ってはいませんが、テーマ曲でとても大事な役割を演じています。思わず釣り込まれますよ。他のパーソネルは、マイルス・デイヴィス(tp)、ジョン・コルトレーン(ts)、キャノンボール・アダレイ(as)、ビル・エヴァンス(p)、ジミー・コブ(ds)。ジミー・コブの繊細で精確できれいなドラミングも聴きものです。
http://www.youtube.com/watch?v=DEC8nqT6Rrk

 次にレイ・ブラウン。



オスカー・ピーターソンのライブ・アルバム「ザ・サウンド・オブ・ザ・トリオ」から、「トリクロティスム」。華麗な超絶技巧のオスカーを見事にサポートしながら、ソロ・パートでは、ちょっとひょうきんで味な節回しの演奏を聴かせます。前奏部分の掛け合いも呼吸ぴったり。ドラムは、エド・シグペン。
http://www.youtube.com/watch?v=y3jU6KGAzg8

 最後に、スコット・ラファロ。



 ビル・エヴァンスのライブ・アルバムとして名高い「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」から、「グロリアズ・ステップ」。この曲でビルは、若きスコット・ラファロを思い切り立てて、その才能の開花を存分にバックアップしています。スコットのソロを聴いて、ベースでこんなことができるのかと驚いた人もたくさんいるのではないでしょうか。素早く動く右手に弦を抑える左手が追いつかず、雑音が混じるところもありますが、それも、彼の激しい表現意欲の表れととらえることができます。また、ビルのピアノは、出だしから深い内面性を感じさせる何とも言えない味わいがあります。ドラムは、ポール・モティアン。
http://www.youtube.com/watch?v=rARGPAkIcw4

 ここにあげた人たちは、すでにモダンジャズの古典的なプレイヤーとなっています。その後、技量も進化していますから、おそらくいまの一流プレイヤーなら、これくらいの演奏は可能なのではないかと思います。でもどの芸術分野でもそうですが、はじめにこういう演奏をしたということの意味が大きいのですね。後から来た人たちも、これらの演奏に魅せられ、深く傾倒し、懸命に学びながら自らの技を磨いていったのだと思います。文化というものが常に先人の偉業を受け継ぎ、ある場合にはそれを乗り越えて発展していくものだという万古不易の事実を、これらの演奏を通して再確認していただければさいわいです。