小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

日本語を哲学する25

2015年06月19日 22時11分04秒 | 文学




 以上、ささやかながら、日本の文学における「沈黙」の意義について述べてきた。このように書くと、とかく、それこそは日本の伝統的な美学だというように、限定的に受けとられがちである。しかし私自身が語学に堪能でないので、外国の例を的確に示すことができないが、この事情は、外国においても成り立つのではないかと思う。
 たとえば、シャンソン『枯葉』の作者として有名なジャック・プレヴェールの詩は簡潔をもって知られている。そこには、語られていない行間に多くの含蓄が込められているに違いない。ただそれは私には確信が持てない領域である。
 ここではその代わり、外国文学(小説)の例を一つだけ挙げておこう。

スタインベック『二十日鼠と人間』(大門一男訳、新潮文庫)より、結末直前の部分を引用する。
 この作品の舞台は一九三〇年代アメリカ南部。流れ者のコンビ、ジョージとレニーが臨時に雇われた農場で悲劇的な運命に見舞われる。レニーは大男でバカ力があるため、単純な肉体労働には役立つが、頭が弱いので相棒ジョージをいつも困らせる。またウサギやネズミのような小動物や柔らかい感触のものがことのほか好きで、そのために誤解されてトラブルを引き起こすので、二人は農場を転々とさせられる。しかしジョージは、この愛すべき「うすのろ」との友情をどうしても断ち切ることができない。
 引用箇所は、ある農場で、レニーが経営者のせがれの妻を誤って殺してしまったために、ジョージに言われた通りの場所、サリーナス川のほとりに逃げ隠れるのだが、せがれを先頭にした多数の追手がレニーを探し出してなぶり殺しにしようとする直前の場面である。ジョージは、もはや逃れられないと知って、他人に虐殺されるよりは、自分でレニーを殺すことを決意する。

 人声がしだいに近づいてきた。ジョージは、拳銃を挙げて、その声のほうに耳をすました。
 レニーは、彼にせがんだ。「すぐやろうよ。その土地を手にいれようよ」
「ああ、いますぐにな。おれはやらなきゃならねえんだ。おいらはやらなきゃならねえんだ。」
 ジョージは、拳銃をあげると、しっかりにぎり、銃口をレニーの頭の後ろに近づけた。手が激しく震えたが、顔つきがひきしまると、その手も震えなくなった。彼は引き金をひいた。銃声は山へはねあがって、また返ってきた。レニーはうめき声をあげ、それからゆっくりと前の砂にうつぶすと、身震いもせずに横たわった。


 レニーが「すぐやろうよ」と言っているのは、二人で金をもうけて農場の所有者になり、ウサギを飼おうという、これまで口癖のように繰り返されてきたアイデアのことである。彼は能天気なので、自分がしでかしたことの意味が分かっていない。一方ジョージがそれに応えて、「おれはやらなきゃならねえんだ」と言っているのは、「もうこうなったら、どうしても自分の手でお前を殺さなくてはならない」という意味である。ここに「やる」という言葉に対する二人の理解の齟齬を通じての「懸詞」の妙がある。
 文体を見てのとおり、これは贅肉ができるかぎりそぎ落とされたハードボイルドタッチの作品である。すなわちそこに、書き言葉としての「沈黙」の価値が見事に鳴り響いている。ここには「行為」と「事象」の描写だけがあり、心理や景物の描写はいっさい存在しない。だがまさにそのことによって、読者にこの成り行きの必然性とジョージの悲哀の深さとを遺憾なく伝え、感動を喚起させることに成功している。
 ジョージは、愛すべき厄介者のレニーに対して、たった二人だけのこれまでの長い交流の経験を一気に清算すべく、万感の思いを込めて引き金を引く。「山へはねあがって、また返ってきた」銃声の響きは、ジョージに、ひとつの関係の死のあとにやってくる、静寂と虚脱の感覚をもたらすだろう。彼だけによる一瞬の弔いがそこではもう成就されている。湿っぽい感傷は、彼の奥底にすでにしまい込まれているのである。

 先に呑み屋での客と大将とのやりとりの時にも述べたが、このような例を、たとえば文法的には言わずもがな、言語学的にも「省略」と呼ぶことはできない。「本来なら必要な部分を、あえて効果を生むために意識的に省略した」と呼ぶことさえ適切ではない。読者にとって、作者にそうした意図があったかどうかはどうでもよいことであって、作者はただひたすら良い作品の「よさ」を伝えようと思ってこうした文章を書いたに過ぎないからである。肝心なのは、テクストそれ自体に、「沈黙の言語的意味(価値)」が充満し、それが感動を生む秘密の一つになっているという「事実」なのだ。
「省略」とは、「正確で完全でていねいな表現」という理念をまず想定しており、その仮想された地点からの、ある発語に対するネガティヴな評価をあらかじめふくんでいる。しかし、それぞれの言語の独自の価値という視点からは、こういう理念型はそもそも余計なものである。そういう見方をするのではなく、発語と沈黙とのダイナミックなかかわりあいという観点をきちんと提示することで、ある発語の価値が、そこに表出されなかった言語、つまり「沈黙」によってこそ支えられるという事実が画然と姿を現すのだ。そうしてそれは、そのことを読み取り感じ取る読者の想像力と感性に協力を仰がなければ叶わないことである。文学の価値は、一般に作者と読者の活き活きとしたやり取りによって成立するのである。
 なおこうした書き言葉表現の例における沈黙の条件として重要な意義を担っているのは、「気分」としては相互の美学的なセンスの共鳴であり、「関係」としては両者に共有された言語的慣習のあり方であり、「話題」としては、書記言語活動それ自体の調子である。
 さらにくどいようだが、これらの言語的意義は、読者主体にとってのみ存在するのではなく、話し手(作者)→聞き手(読者)、聞き手(読者)→話し手(作者)という相互コミュニケーションの過程全体にとって存在するのである。言語の本質からして、読者は、別に作者に感想を送らなくても、ただ読んで理解したというそのことだけで、少なくとも観念的には作者に向かってなんらかの能動的なコミュニケーションを成立させているのである。「聞くことは話すこと」(発達心理学者・浜田寿美男氏)だからである。

母親就業率のランク付けに見る欺瞞

2015年06月12日 20時07分56秒 | 経済




 これから書くことは、政府の女性政策に対する批判であり、同時に、世間で当然と思われている考え方に対する異議申し立てです。その考え方とは、女性が社会に出て労働者として働くことは無条件によいことだというものです。
 まず言っておくと、さまざまな女性を「女性」という抽象的な言葉で一括りにして、だれが、人生のどんな時期に、どういう条件下で働くのがよいのかを一切問おうとしないところに、この考え方の最大のまやかしがあります。ここには、男女共同参画社会などの美名のもとに仕組まれた巧妙なトリックがあるのですが、女性差別はけしからんという一見だれも逆らえない現代の大原則のために、ほとんどの人がそのトリックを見抜けません。
 この原則の前では、女性政策やそれを支える世間の考え方に違和感を感じた男たちがいても、逆襲を恐れて口をつぐんでしまいます。安倍政権の「すべての女性が輝く政策パッケージ」なるものも、当然、このトリックを存分に利用しているのです。
 ちなみに誤解を受けないようあらかじめことわっておきますが、私は、女性が社会で働くことそのものを否定するような保守反動オヤジではありません。むしろ、できるだけ多くの女性が幸せな人生を送ってほしいことを切に願う、真の意味の「フェミニスト」なのです。
そのことは、以下の文章をきちんと読んでいただければ、必ずわかってもらえると思います。

 まず、下のグラフを見てください。これは、子どもを抱えた25歳から44歳までの女性の就業率を都道府県別に表したもので、総務省の「平成24年就業構造基本調査」に掲載されています。




 一見して明らかなように、山陰、北陸、東北などの人口の少ない農村部で高く、首都圏、関西圏、政令指定都市のある県など、大都市を抱えた地域では低くなっています。これについて、総務省自身は、格別のコメントを記していませんが、民間のサイトであるまぐ2ニュース「働くお母さんが多い都道府県第1位は島根県。上位は日本海側に集中」には、次のように書かれています。(http://www.mag2.com/p/news/16593

就業率ワースト12都道府県

1位  神奈川県
2位  兵庫県
3位  埼玉県
4位  千葉県
5位  大阪府
6位  奈良県
7位  北海道
8位  東京都
9位  滋賀県
10位  山口県
11位  愛知県
12位  京都府

就業率上位は島根県など、日本海側に集中

 育児をしている女性の就業率1位は島根県、それに続くのは山形県、福井県、鳥取県、富山県と日本海側の県が目立った。就業率下位は、都市部から周辺のベッドタウンとして栄える地域が目立つ。都市部よりも地方、特に日本海側の地域で就業率が高い点について、47求人.comでは「3世代世帯の多さ」と比例することが要因のひとつとみている。
 47求人.com調査によると、3世代同居率が高い都道府県ランキング(厚生労働省「平成25 年国民生活基礎調査」)でも、上位の山形県、福井県、鳥取県、富山県がトップ5にランクイン(島根県は13 位)。3世代で暮らしている方が、子育てをしている女性が働きやすいという子育て環境の地域差がうかがえる。


 さてこれを読んで、腑に落ちない感じを抱かれた方はいないでしょうか。
 まず、女性就業率の低い順に並べたランキングを、「ワースト12」とは何事でしょうか。なぜ家庭の外で働く女性の少ない県が「ワースト」なのか。ここには、これを書いた記者(「まぐまぐ編集部・まつこ」とあります)のフェミニズム的な偏見が露骨に出ています。
 別にこの記者に対して、個人的な非難を浴びせるつもりはありません。しかしこうした受けとめ方が、相当幅広く(特に知的な女性の階層に)行き渡っていることは確かだと思います。非就業者の中には、幼い子の育児に専念することを最重要と考える女性、生活に余裕があるので、わざわざ稼ぐ必要を感じない女性、家庭での役割を大切にしたいと考える専業主婦、社会の仕事に就くことに向いていないと感じている女性、など、さまざまな女性が含まれているはずです。就業率が低いことを「悪い」とみなす人は、そうした多様な生き方を否定していることになります。この単純な決めつけは、たとえば、元社民党党首の福島瑞穂氏などのような、出産・育児期にも女性は必ず働くべきで、そのために行政に対してもっぱら保育施設の充実を訴えていくという政治的立場と同じです。
 昔、あるテレビ番組で彼女が、M字曲線(出産、育児期に女性の就業率が下がって谷間をなすこと、先進国では日本に特徴的)の図が描かれていたボードに向かって歩いて行き、「こういうふうにまっすぐにするのがいいのだ」と、その図に向かって颯爽と線を引きなおすのを見たことがあります。なんて粗雑な人なのだろうと呆れたのですが、社民党の勢力が衰えても、この考え方は世間に浸透し、いまや自民党までがそれを率先して推奨する立場になっているのですね。なぜそうなるのかには、じつは理由があるのですが、それは後述します。
 現に働く母親が多く、待機児童が山ほどいるのだから、保育施設の充実が目下の政治課題だ、という話なら、もちろん理解できます。一刻も早くその政治課題を解決すべきでしょう。しかしそれは、あくまでも応急手当であって、そこには何が多くの出産・育児期の女性にとって一番ありがたいことか、政治はそれに対して何ができるのか、という本質的な問いが欠落しています。
 答えは言うまでもなく、物質的精神的な生活のゆとりであり、夫が十分に協力できるような体制であり、可愛い子どものために後ろ髪を引かれる思いをしなくても済むような環境でしょう。では、これらのことが満たされるためには、政策として何が必要か。これも明らかです。できるだけ多くの人が豊かに安心して暮らせるように、内需を拡大し、景気の好循環をもたらして国民経済を充実させることです。しかし、いまここでは詳しく述べませんが、安倍政権の経済政策を見ていると、この目的に逆行するようなことばかりしています。高い保育料を払うために、幼子との貴重な接触時間を削ってまで働きに出る、というのでは本末転倒で、シャレにもなりませんね。
 現在年収200万円以下のワーキング・プアは、1100万人もいて、男性は全勤労者の1割ですが、女性勤労者では、なんと4割を占めます。
http://www.komu-rokyo.jp/campaign/data/
http://heikinnenshu.jp/tokushu/workpoor.html
 そういう人たちの多くは、乳飲み子や幼子を抱えながら、働かなければ食べていけないので、仕方なく職に就いているのです。女性政策などを考える人たちは、概してパワー・エリートのキャリア女性で、こういう問題に対する実感に乏しく、自分たちの社会的地位・権力の平等の確保しか頭にないので、女性就業率の低さというような抽象的な数字を「よくないこと」とみなすのですね。彼らは、「働きたい女性を支援する」などという表現を平気で使いますが、しかしこの不況下で働く女性の実態をよく見れば、どの女性もみな「働きたがっている」などということはあり得ないのです。
 ちなみにいま、20代の独身女性の専業主婦願望は、なんと58.5%に及びます。ついでに申し添えておきますと、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考え方に「賛成」と答えた人の割合が過半数を越え51.6%、反対派を大きく引き離しています。
http://magazine.gow.asia/life/column_details.php?column_uid=00003837
 欧米の例も出しておきましょう。
 少し古いですが、2001年に出版した拙著『男という不安』(PHP研究所)の中に、ピーズ夫妻の『話を聞かない男 地図が読めない女』(主婦の友社)の一節を引いた部分があります。そんなに社会心理が変動しているとも思えないので、それをここに再現しましょう。

 イギリスの民間保険会社BUPAと美容と健康雑誌「トップサンテ」が五〇〇〇人の女性を対象に行なったアンケートでは、(中略)金銭的な問題さえなければ、専業主婦や無職でいたいという女性がほとんどで、仕事をすること自体に意味を見出していた人は二割に満たない。オーストラリアでも、十八~六十五歳の女性を対象に同じような調査が実施されている。人生で大事なことを順番に答えてもらうと、仕事を第一位に持ってきた人は五%だけで、母親であること、という答えが断然多かった。回答者の年齢層を三十一~三十九歳に狭めると、仕事を重視する人は二%に落ちる。

 欧米でもこの通りです。考えてみれば当然で、社会で働くことには肉体的・精神的な辛さがつきもの。安月給としがない仕事で一生を過ごす人がほとんどです。まして人生の最も大切な時期である育児期に、子どもをあずけながらフルタイムのきつい労働に従事することがどんなに厳しいことか。だからM字曲線は、経済的に可能な限りで選び取る、日本人の賢い知恵を表しているのです。欧米では谷間がないからそれに早く追いつけなどと「ではの神」を主張することが、いかに浅薄であるかがわかるでしょう。
 人生にとって職業の意義は大事ですし、たまたま身に合った職業なら続けているうちに興味もファイトも湧いてくるでしょうが、金銭抜きで何でもいいからわざわざ「働きたい」などと思う人がたくさんいるはずがないのです。就業率の低さをそれだけ見て「よくないこと」と考えるような頭の持ち主は、「女性も男性並みに社会で働いてこそ平等が実現する」とか「人は働きたいから働くのだ」といった硬直したイデオロギーに騙されているか、そうでなければ、ある隠された意図のためにこうしたイデオロギーを利用しているのです。

 さて、さきほどの都道府県別の母親の就業率についての記事に戻りましょう。
 この記事には、「都市部よりも地方、特に日本海側の地域で就業率が高い点について、47求人.comでは「3世代世帯の多さ」と比例することが要因のひとつとみている。」とあります。じっさい、47求人.comにはそのように書かれており、3世代世帯の多さと就業率の高さとが相関するという結論が導かれそうです。
http://47kyujin.com/column/infographic-working-mother
 しかしここには、意識的にか無意識的にか、抜け落とされていることがあります。常識的に考えればすぐに思いつくことですが、都道府県別の平均年収が低いところほど、母親の就業率が高いのではないかという予想です。調べてみると、予想通りでした。
 厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」に基づくサイト「年収ラボ 都道府県別平均年収 成25年版」(http://nensyu-labo.com/2nd_ken_ranking.htm)によると、年収上位14位までの間に、上記のいわゆる「ワースト12都道府県」のうち、なんと10位までが収まることがわかります。見事な逆相関です。右に、例の母親の就業率の順位(ワーストではなく)を示します。

都道府県別年収ランキング

順位  都道府県    平均年収(万円)  就業率順位
1    東京       580        40         
2     神奈川       525        47
3    愛知       518        37
4     大阪        498         43
5     滋賀         484          39
6     京都        474         36
7     兵庫        474           46
8     静岡        468
9     埼玉        468          45
10    千葉       465          44
11    茨城       461
12    三重       460
13    栃木       454
14    奈良         446          42

 逆も真なりで、平均年収34位から47位までの下位14県のうちに、就業率の高い県10県が収まります。

順位  都道府県    平均年収(万円)   就業率順位
34    熊本        386          11
35   大分        380
36   鳥取        379           4
37   長崎        378   
38   島根        377           1
39   鹿児島        370
40   高知         366           9
41   山形         366             2
42   佐賀         362            14
43   青森         352           10
44   岩手         350           13
45    秋田         348             7
46   宮崎        347           8
47   沖縄          333


 この結果は、要するに、所得の高い大都市部では、夫婦の場合、夫の収入だけでも食べていける人が多いこと、反対に所得の低い地方では、妻が働かなければ食べていけない人が多いことを表しています。
 地方の疲弊に対して政府が取ろうとしている地方創生などの政策は、昔の竹下政権時代の「ふるさと創生」や民主党時代と同じようなただのバラマキ政策だったり(バラマキは受け取った側が貯金してしまえば何の経済効果にもつながりません)、もともと条件の違う地域同士を競争させるような政策だったり(これは地域間格差を一層助長させます)と、見当違いのことばかりしています。まずは東京一極集中の回避と地方経済の活性化のためにインフラを整備することが焦眉の課題なのに、そのために予算を組もうとはまったくしていません。
 こうした都市と農村との所得格差という切実な面を見ないで、ただ3世代世帯が多いから母親の就業率が高くなり、それが素晴らしいことであるかのように説くのは、非常に欺瞞的です。3世代世帯といっても、おじいちゃん、おばあちゃんは、無収入か、零細農業などによる微々たる収入しかないケースが多いのではないでしょうか。すると、だから孫の面倒を見てあげられてよいではないかというかもしれませんが、それはまた別の話です。低収入で多人数の家族を養わなくてはならないという面もあるわけですから。

 ところで、なぜ、政府及び公式の世論は、女性の就業率が高まることを無条件によしとしているのでしょうか。単にフェミニズム的なイデオロギーに毒されているだけとは考えられません。そこには次のようなからくりがあります。
 男性と女性の賃金格差は、だいたい10:7で、この比は何年も変わっていません。これは地位と勤続年数とがその主たる理由をなしています。多くの働く女性は、これに対して不平等だという声を挙げず、あきらめムードです。また、責任ある地位や長い期間にわたる勤務を女性自身があまり望まないという点も見逃せません。ですから、それはそういうものという慣習が定着しています。
 さて企業主は、もちろんできるだけ安い賃金で労働者を雇おうとします。それはこの不況時代には自然な成り行きです。そのことで個々の企業主を責めるわけにはいきません。そうした企業主の意向にとって、この慣習の定着はまことに都合がよい。つまり男性よりもはるかに安い女性労働力を利用することは、外国人労働者や派遣労働者を雇うのと同じメリットがあるわけです。取り換えも解雇も男性正社員より簡単にできます。
 ことに、より単純な労働において、この傾向がはっきり出ます。というか、単純労働的な部分をより多く女性にゆだねること、正社員や昇進への道を封じておくことで、結果的に女性の低賃金が固定されるといってもよいでしょう。
 安倍自民党政権は、「すべての女性が輝く政策パッケージ」などと謳って、女性をおだて上げていますが、その本質は、低賃金労働者を労働市場に招き寄せようという経団連など財界の意向をオブラートにくるんでそのまま差し出しているだけのことにすぎません。いま経団連など大企業の集まりは、グローバル企業が多く、国内の賃金が高ければ生産拠点を海外に移して安い労働力を得ようとします。こうして国内の労働者も賃金競争に巻き込まれてしまうわけです。
 ちょっと考えてみましょう。現実にこの不況下で、女性の就業率を挙げるべく労働市場に誘い込めば、低賃金できつい労働に耐えなくてはならない女性が大多数を占めるに決まっています。そういう状況下で、「輝く」ことなどできるはずがないではありませんか。
 ここにこそ、この政策の最大の欺瞞があります。それは、デフレ不況に対して適切な経済政策を打たないで済ませるための目くらましに他ならないのです
 現にこの政策パッケージの中身をつぶさに検討すると、ドボジョ(土木女子)やトラガール(女性トラック運転手)を増やそうなどという提言が大真面目に出てきて驚かされます。
http://www.kantei.go.jp/jp/headline/brilliant_women/pdf/20141010package.pdf
 そういうことを得意とする肉食系の若い女性が少数ながらいても別におかしくありませんが、政策としてそれを増やすということは、労働のきつさに比べて賃金の安い肉体労働に女性を巻き込んでやろうという意図がありありで、まさに問うに落ちず語るに落ちるというべきです。女性には女性に合った職業があるはずでしょう。
 ところでその女性向きの職業の一つである看護師さんは、いま若い人のなり手がなくて現場ではたいへんです。資格があるのに辞めていく看護師さんが激増しているのです。せっかくの潜在的な供給力がつぶされているわけです。理由は簡単で、一般の職業に比べて深夜勤務など労働条件が厳しいのに給料が安いからです。
http://a href="http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan">-"Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000025363.pdf

 私たちは、「すべての女性が輝く」などというまやかしの謳い文句や、母親の就業率をもっと上げるべきだなどという考え方にけっして騙されないようにしましょう。本当に女性に輝いてもらうためには、彼女たちが物質的にも精神的にも豊かになり、ゆとりをもってその女性性や母性に磨きをかけられるようになることが必要です。そのためには、日本が全体として不況から脱却することを何よりも優先させなくてはならないのです。

*以上の論考は、ポータルサイト「ASREAD」に掲載されている「すべての女性がぼやく政策パッケージ――女性政策の欺瞞を暴く」と併せ読んでいただければ幸いです。
http://asread.info/archives/1680

 
        



日本語を哲学する24

2015年06月08日 13時08分03秒 | 文学
日本語を哲学する24




 四つのうち、まず又蔵の記憶の部分を引用する。

 虎松の眼が映したのは、ある時から虎松には理解し難い奇妙なものに囚えられ、いつか引き返すことの出来ない世界に、ひとり運ばれて行った孤独な男の姿だった。少なくとも、虎松の眼は万次郎が放蕩を楽しんで満ち足りているのを見なかったのである。それでもやはり、兄は斬られなければならなかったのだろうか。
 あれが罪とされ、非難されるものなのだろうか、と虎松は思う。それは虎松が十三か、四の頃であった。
 ………………
 ある日暮れ虎松は、万年橋に近い雑木林の端れに、思いがけなく兄の姿をみた。
 稽古が長びいて、いつもより遅くなっていた。日は落ちて、遠い砂丘の上に赤みが醒めかけた空が残っていたが、足もとには薄闇がまつわりはじめている。淡い光の中だったが、虎松にはそれが兄だとすぐに解った。長身の着流し姿で、形よく伸びた背筋、やや怒った肩が兄に紛れもなかった。
 万次郎の方は、立竦んだ虎松に気づいた様子はない。連れがいた。虎松からは白い横顔が見えているだけだったが、髪形と着ているものから町屋の妻女ふうに思える女が一緒だった。女は万次郎より年上のようだったが、美貌だった。
 女が何か言った。声は聞こえなかったが、いきなり手を挙げて万次郎が女の頬を打った音が小さく聞こえた。思わず虎松は息を詰めたが、次に起こったことが虎松の胸を息苦しいほどとどろかせた。
 女の躰が不意に力を失ったように万次郎の胸に倒れ込み、万次郎がその肩を抱くと、二人は縺れ合う足どりで林の奥に入って行ったのである。
 川が小さく流れの音をたて、新芽の匂いが溢れていた。その川沿いの小さな道を、虎松は足音を忍んで引返したのだった。
 ………………
 だが虎松が、川端で万次郎と女を見た頃には、万次郎はまだ颯爽とした面影があったのである。その表情が暗く荒み、身のこなしにもの憂い懈怠がみえるようになったのが、いつからだったか虎松には明瞭な記憶がない。気づいたときに、兄はそういうふうになっていたのである。万次郎の変貌はすみやかだった。


 読者の特権として想像を馳せれば、万次郎は道ならぬ恋に落ち込んでいた。彼の殴打はその恋の真剣ぶりを表していよう。年上の美貌の女は、万次郎の本心を試すような言葉をもてあそんだのかもしれない。女は彼の真剣さの手ごたえをいたく身に感じて、一瞬のうちに体をゆだねる気になった。そのときの万次郎は、ただの遊蕩ではなく、おそらく恋に向かってのひたむきさを匂わせるような霊気を発散していた。それが虎松の眼に「颯爽とした面影」として映ったのである。
 万次郎は、このまま義理の兄・才蔵の律儀と親切とを素直に聞き入れて、義理の姪である年衛を妻に迎えれば、土屋家の跡取りになりおおせるはずだった。しかし妾腹の子である彼には、そういう「恩恵」をそのまま引き受けることを肯じない意地と激しさのようなものがあったのだろう。道ならぬ恋にひたむきになるという成り行きには、あらかじめ定められた境遇に対する反逆の心が内に含まれている。それを逆説的な「武士の一分」と呼んでもあながち的外れではあるまい。
 そして当然のように、この道ならぬ恋は何かの理由で実を結ばなかった。反逆は当時の社会規範のもとにあえなく挫折したのである。その挫折の過程について藤沢は何も描いていず、ただ「沈黙」しているが、「もの憂い懈怠」を見せるようになった「すみやかな変貌」が何よりもその事実を雄弁に語っている。

 次に、万次郎の庄内への已みがたい思いについては、すでに引いたように、兄弟で出奔してから帰郷を提案したのがいつも彼であり、「なぜかは解らないが、万次郎の顔がいつも遥かな庄内領の方を向いているのを虎松は感じていた」とある。このふるさとへの思いにも複雑なものが織り込まれている。
 生を得た地を自ら捨てることがこの時代にどれほど重い意味を持ったかは想像するに余りある。しかし万次郎の場合は、一般的な出郷とはその意味が少し違っている。彼はじつは、観念の上ではとうに出郷してしまっていたのである。土地と有機的に結ばれている土着の慣習、身分の掟、宿命といったもののうちに従順に眠り込む安逸を意識的に拒否したのだから。
 だがそれは新しい生への道を開いてくれるような方向においてではなく、世間からは堕落としか考えられない下り坂の道だった。彼は自覚の年齢に達した時、あることに気づいてしまったのである。自分の一途な激しさと自分が生きている規範の世界とは、どのようにしても折り合いがつくものではないということに。だから下り坂を歩む以外の方法は許されていなかった。
 定めへの意識的な反逆による万次郎の観念上の出郷は、それが反逆性を帯びていればいるほど、その出てきたふるさとに対して、アンビヴァレントな執着を培う。未練とは違うし後悔でもない。彼は、もしかしたら自分はやり直せたかもしれないと考えて「いつも遥かな庄内領の方を向いてい」たのではない。この執着は、出自に対する呪いと表裏一体のものである。

 こう考えると、藤沢が、このあまり長くない作品に、なぜこれほど複雑な親族関係を設定したのかという理由が見えてくる。もちろん史実に忠実だったという可能性は考えられるが、史実がどうであろうとそれを取捨選択してそこに独特の濃度を込めるのは作者の創作意図である。
 もう一度その要点を整理すると、万次郎・又蔵兄弟は当主・久右衛門が隠居してからの妾腹の子であり、彼らの義理の兄である才蔵は、彼らの誕生以前に家を継ぐために外から請じ入れた養子である。才蔵夫婦には一人娘・年衛しかおらず、順当にいけば、万次郎、それが駄目なら(駄目だったのだが)、弟の又蔵にその娘をめあわせる手はずになっていた。ところが両方とも出奔してしまったので、致し方なく才蔵は、赤の他人である丑蔵を年衛の婿として請じ入れた。結果的に、「家」の形式を守り抜くために、土屋家には、二重に血のつながらない他人が入り込んだことになる。
 わが国では大正時代くらいまで、武家に限らず、ある程度格式のある家では、「家」の形式を守り抜くための養子縁組制度が盛んに行われた。こうした封建的な慣習が社会秩序の連続性を円滑に維持させてゆくはたらきをもった反面、個人の感情は重く押し潰されて、そこにいくつもの悲劇を生んだこともたしかである。藤沢の筆は、そうした社会的な不公正をそれとしてあからさまに訴えるのではなく、ただ制度上の処理がもたらす不可避的な複雑さを背景に置くことで、それが個人の心理に落とす影をさりげなく描出するのである。
 こうした意味での「沈黙」は、別に藤沢文学に限ったことではなく、むしろ文学一般の専売特許ともいうべき表現手法であると言ってよい。声高な社会的発言、雄弁な論理的発言とは違った、深い共感を呼び起こす独自の力がそこには伏在している。
 万次郎はもともと才も力もあり、ぐれ始めのころは仲間内ではリーダー格であった。要するに肩で風を切って歩くいなせなあんちゃん(今風に言えばカッコいい「不良」)だったのである。真面目な又蔵はそんな兄に、自分には真似のできない存在として、ひそかな憧れと尊敬の念を抱いていたにちがいない。すでに取り返しがつかない段階まで放蕩の淵に沈んでしまった万次郎を父の言いつけで呼び戻しに行く場面があるが、ここでの又蔵は、不本意な役目を押しつけられたといったふうで、諌める調子も口ごもりがちである。おそらく又蔵には、たとえ無意識にではあれ、兄がそのような境涯に落ちてゆくその必然が理解できたのである。

 そこで最後に挙げた、当時の中級下級の藩士の次男、三男が置かれた境遇についての説明が生きてくる。その部分を引いてみよう。

 剣の道場、手習い所には、藩士の次、三男が多く集まった。もちろん長男もいたが、稽古は次、三男の方がはるかに熱心にやった。藩では、みだりに分家することを許していない。長男は家を継ぐが、次、三男は、学問、武芸に精進して認められ、召し出されて新規に家名を立てるか、でなければどこかに婿養子に入るしか道がなかったためである。どちらにしても腕をみがいておく必要があった。
 しかし学問、武芸を認められて藩に取り立てられるというのは、ごく少数の例外で、それだけの器量もなく、婿入りの幸運にも恵まれない次、三男は、実家の部屋住みとして一生を送るしかない。そういう一群の日の当らない若者たちがいた。彼等は正式に妻帯することも認められず、百姓、町人の出である床上げと呼ぶ身分の低い女をあてがわれるが、生まれた子供は即座に間引かれた。
 長男に生まれるか、次男に生まれるかが、彼等の運命の岐れ道だった。長男と次、三男は食事のおかずまで厳しく差別され、兄弟喧嘩があれば、理由を問わずに弟が叱られた。
 稽古所に通い、年月を経る間に、彼らはそういう差別の不当さに気づいて行く。そういう境遇に反発し、離藩、脱藩して領外に新しい道を探ろうとする者もいたし、修業に打ち込むことで、次、三男の境遇から脱け出そうとする者もいた。だが、暗い部屋住み暮らしを予見しながら無気力に日を過ごす者、希望のあてのなさに苛立って、酒や女に走る者の方が遙かに多かったのである。


 万次郎はむろん、ここに例示された次、三男ではない。しかし彼は年老いた父の妾の子であって、そのポジションはさらに微妙である。形式上の嫡男として迎えられた養子の才蔵が、年の離れた義理の弟である万次郎に、いかに世継ぎの地位を譲る寛容さを示したとしても、いや、そうした人為的な寛容さを示されればされるほど、自分の屈折した心が、同じ稽古所に通う次、三男たちへの共感に傾斜していったとしても不思議ではあるまい。「希望のあてのなさに苛立って、酒や女に走る者」の気持ちが、万次郎にはしみじみと肌で理解できたのである。されば彼がその持ち前の才量を「遊蕩仲間」の中心人物となる方向に注いだのは、むしろ当然というべきだったろう。
 しかしそうした若者らしい人情の機微を、社会規範の遵守にとらわれた大人たちがわかろうはずがない。「後日才蔵が、万次郎には同門の稽古所の悪い仲間がいるようだ、と聞き込んできたが、そういう仲間に悪い遊びを吹き込まれたに違いない、と身贔屓な推測を語り合うしかなかった」のである。

 こうして藤沢はこの長くない作品で、幾重にも折り重なる条件をそこかしこにそれとなく提示しながら、万次郎が陥っていたやるせない心情と又蔵の暗い情念とを見事に一本の糸で結び合わせて見せたのである。又蔵の「火」を燃やしていた燠は、容易には言葉にならないものであり、またそこには単に主観的な心理の動きとして片づけることの出来ない不条理な生の条件がすべて凝縮していた。藤沢の筆は、それらを饒舌に「解説」するのではなく、まさに抑制の効いた鋭利な文体によって暗々裏に表現している。そこにこそ、文学における「沈黙」の価値が実現しているのだ。
 そうしてつけ加えるなら、他のいくつもの作品にも見られるこの藤沢文学のスタイルのうちには、不条理な生を強いられる人間の実存の姿に対する一貫した共感の視線が感じられる。そのことによって彼の文学は、時代や社会を超えた普遍性を獲得していると思える。又蔵の「火」――それはとりもなおさず藤沢自身の中に静かに燃えていた「火」なのである。

日本語を哲学する23

2015年06月02日 17時52分33秒 | 哲学
日本語を哲学する23




 さて、散文(小説)における「沈黙」の効果の例を挙げよう。これはおそらく枚挙にいとまがないだろうが、ここでは、時代小説作家・藤沢周平の一作品だけを取り上げることにする。
 藤沢は、下級武士や町人、博徒など、権力者でも英雄でもない生活者群像の切ない生涯を一貫して扱い、非情とも見える切れ味の鋭い文体と、主人公たちへの温かく深い人間洞察とを両立させることに成功した。彼の初期の傑作に、史実に基づいた『又蔵の火』という綿密に描かれた暗い作品がある。史実を素材としてはいるが、ここには藤沢ならではの文学的解釈が躍如としている。しかしその解釈は、はっきりと示されてはいず、よく実際の文章を味読しないと見えてこない。
 おそらく彼は鴎外の時代物や史伝小説に大きな影響を受けているが、鴎外よりも作品構成の技量において立ち優っているように思える。しかもその筆致は、鴎外ほど淡々としてはいず、より劇的な感動を読者に与える。だがその感動は、大げさな身振りによってではなく、まさに「沈黙」の効果を通してもたらされるのである。このことを、本編の筋をやや詳しく紹介しながら解説しよう。

『又蔵の火』はそう長くない作品(四百字詰め原稿用紙で150枚程度)だが、人間関係はけっこう複雑であり、またこれを説明しないと、この作品の勘所をうまくつかむことができない。
 主人公・又蔵は、百五十石取りの庄内藩士・土屋久右衛門(本家ではない)の妾腹の子であり、その四歳上の兄・万次郎は、放蕩にうつつをぬかし、土屋一門の鼻つまみ者となっている。
 時は三十年近くさかのぼるが、久右衛門の嫡男・八三郎は二十二歳ですでにこの世を去り、妻女・見代野もすぐ後を追った。家系が絶えることを憂えた久右衛門は、知り合いから才蔵と九十尾を夫婦養子として迎え、みずからは隠居して妾を持った。その子が万次郎と又蔵である。養子の才蔵は律儀な男で、二人を土屋家に引き取り、文武両道に励ませることを怠らなかった。またゆくゆくは万次郎を、自分の娘・年衛(万次郎の義理の姪に当たる)とめあわせることを久右衛門に願い出て、久右衛門の快諾を得る。
 ところが立派に成長した万次郎の素行が突然乱れ始める。周囲ではその理由がわからず当惑するが、いくら父と才蔵が諌めても一向に改まる気色がない。やがて久右衛門が死ぬと、その乱脈ぶりはいっそうひどくなった。才蔵は江戸出府のためいつも彼を見張っているわけにはいかない。何度目かの帰郷の折、ついにたまりかねて万次郎を座敷牢に閉じ込める挙に出る。このままでは土屋家の家名に傷がつくことを恐れたのである。
 又蔵はひそかに万次郎を牢破りさせ、二人つるんで出奔する。行方知れずとなって一年ほどがたち、才蔵は十七になった娘の年衛に、黒谷家の次男・丑蔵を婿に迎える。丑蔵は剣術の達人で性格も真面目一徹、万次郎・又蔵兄弟の義理の甥に当たるが、年は万次郎より三歳上である。土屋家は血のつながらない跡取りを得たことになるが、それでも一族は安堵した気分だった。
 一方、江戸へ向かう途中で路銀が尽きた万次郎は金策のため庄内に戻ると決め、又蔵は宇都宮で待つことにした。しかし一向に帰ってこない万次郎の消息を案じて故郷近くまで戻り、兄のかつての友人・石田の元を訪ねると、兄が近い親戚の三蔵(おそらくもう一つの土屋分家の嫡子で、兄弟とは従兄筋に当たるのであろう。彼も万次郎の三歳年上である)と丑蔵とによって殺されたことを知る。しかし二人は積極的に殺したのではなく、万次郎の帰郷についての密告を受けて穏便に連れ帰る途上、隙を見せた丑蔵への万次郎の不意の襲撃から自分たちを防衛するためにやむなく殺したのだった。
 又蔵は、深い衝撃を受ける。いくら放蕩三昧で土屋家の厄介者になっていたとはいえ、「盗人にも三分の理」があるだろう。一族の誰にも理解されなかった兄。彼の中に兄に代わって無念を晴らそうとの火が燃え上がる。仇討ちを決意した彼は江戸に剣術の修行に出るが、十分に熟達したとは言えない段階で師匠に事情を打ち明け、目的を達するために帰郷する。昔又蔵の乳母を務めた女の夫・源六の家にしばらく寄寓して機会をうかがう。源六の家には十六になる娘・ハツがいる。又蔵は自分の幼いころに乳母の背に負われていた赤子を思いだす。
 やがて又蔵は、情報を得て丑蔵を総穏寺付近で待ち伏せ果し合いを申し出る。はじめは取り合わなかった丑蔵も、又蔵に卑怯者呼ばわりされた上に執拗な食い下がりに会い、ついにこれに応じなければ武士の名が廃ると臍を固める。街路と寺内での凄惨な争闘の後、もはや二人とも絶命するほかはなしと悟った丑蔵は、たまたま通りかかった番頭(ばんがしら)に差し違えの見届け役を頼む。二人はすでに朦朧とした意識のまま、万次郎の墓前まで互いに寄りすがるようにたどり着き、そこで相果てる。役人に届けられた又蔵の荷物の中に願書が二通あり、一方には、丑蔵を討った後、三蔵とも勝負することを願い出る旨のことが書かれてあった。
 ハツは、その日の日暮れ、ずっと庭に立ちすくんで野面の一本道を見つめ続けていたが、歩いてくる若者の姿はなかった。

 この作品は、源六の家に滞在することになった若者が路上で凶暴な野犬を一刀のもとに切り捨てる光景を、用向きから帰って来たハツが遠目で見届けるところから書き出されている。その若者の殺気にただならぬものを感じたハツは、彼に強い関心を抱き、父親に委細を問いただそうとするが、源六は本当の事情を知ってか知らずか、要領を得ない答しかしない。ハツがその説明に満足していないことは明らかである。ハツの若者に対する関心は、又蔵の尋常でない覚悟への直感に裏付けられてはいるが、そうであればこそ、それは急速に育った乙女の恋心だといっても過言ではない。恋心といってもし軽薄に響くとすれば、又蔵の鬼気迫る様相に強く魅せられ、金縛りにあうように彼の一挙手一投足に思いを懸けるようになったのである。
 藤沢はそれが恋だとは書いていず、結末部分で「一日中、その心配で胸を騒がした」としか表現していないけれども、まさしくこの結末の描写と冒頭場面とを巧みに呼応させる構成によって、ハツの強い懸想を暗示しているのである。ここにまず第一の「沈黙」が響いている。野暮なことを書き添えるなら、恋をした女性はその対象に対していかにもこうした「心配」の仕方をするものだ。
 もっと重要なのは、万次郎の死を雪ぎたいという又蔵の一途な決意が、一見したところでは、さほどの強い説得力を感じさせるようには表現されていないことである。先に述べたように、万次郎は理不尽に殺されたのではなく、むしろ仕掛けたのは万次郎のほうだった。またたとえば石田の話を聞いて又蔵の心中にほむらが燃え上がる場面でも、次のような抽象的な描写に終始している。

「もともと万次郎も悪いのだ。土屋の家では手に余ったろう。俺の家で俺をもて余したようにな」
「解っております。しかし殺さなくても――よいと存じます」
 虎松(又蔵の幼名――引用者注)は石田から視線をはずした。底深いところから、隙をみて噴き上げて来ようとする乱れた感情があって、それをこらえようとすると唇が顫えた。

 虎松は顔を挙げた。
「私は江戸へまいります」
「江戸へ? 何しに行く」
 疑わしそうに、石田は虎松を見た。
「兄が行きたがっていましたゆえ」
 咄嗟に行ったが、それは嘘だった。万次郎が江戸へなど行きたがらなかったことを、虎松はよく知っている。
 国元を抜け出し、福島まで来てそこで路銀を使い果たしたとき、ひとまず国へ帰ろうと言い出したのも万次郎だったし、宇都宮まで来ていながら、国元に金策に帰ると言い出したのも万次郎の方からだった。なぜかは解らないが、万次郎の顔がいつも遥かな庄内領の方を向いているのを虎松は感じていた。
 ――その庄内で殺された。
 不意に衝きあげてきた、憤怒とも悲しみともつかない目が眩むような激越なものを、石田の目から隠すために、この無口な少年は、生まれてはじめてともいえる意識的な嘘をついた。


 また、石田の家を後にして南へ下り、金山峠でしばしの時を過ごして回想に耽り、いよいよ故郷に再び別れを告げる場面では、次のようにその思いがつづられている。

 不意に虎松が鋭く眉を顰め、握り飯から顔を離した。
 ――兄の死を、悲しんだものは誰もいなかっただろう――
 この思いが胸を抉ったのである。土屋家の放蕩者が死んだことで、人々はむしろ安堵し、その死はすばやく忘れ去られつつあるだろう。兄が落ちた地獄の深みを測るものもなく、ましてその中で兄が傷つき、罰されていたなどと僅かでも思わず、たまに思い出しても、つまみどころもない遊び者だったと顔を顰めて噂をするだけなのだ。≫
≪ 石田から兄の死を聞いた時から、心をゆさぶっている暗い衝動が、少しずつ明確な形を整えてきているのを虎松は感じた。
 ――兄に代わって、ひとこと言うべきことがある……
 その気持ちが強くした。一矢報いたい、と言いなおしてもいいと思った。兄がしたことを、いいことだとは思わない。だが放蕩の悦楽の中に首まで浸って満ち足りていたという人々の見方も、正鵠を射てはいないのだ。兄はときに悲惨で、傷ましくさえみえた。人々はそのことに気づこうともしなかったのである。
 ――盗人にも三分の理か――
 それでもいい。その三分の理を言わずに済ますことは出来ないと虎松は思った。
 仇を討とうなどという思案はやめろ、と言った石田の声が甦ってきた。そう言われたとき、虎松は復讐を考えていたわけではない。だがいま押えようもなく募ってきているのは、紛れもなく復讐の意志だった。


 さてこれだけ書かれていても、命を捨てて仇討に踏み込むための理屈は一応わかるものの、又蔵(虎松)の執念の根源にまで得心がいくとまでは言い難い。以上の部分では、又蔵の意識的な心理の過程を追いかけているだけだからである。それは、だれも兄の放蕩の内に秘められていた内面の苦悩をわかろうとしなかったという形でまとめられている。そうして藤沢は、この部分では、又蔵の心理過程からその苦悩の「意味」をそれ以上追いかけることをしていない。ここに、牢破りを率先して助けるほどの幼いころからの強い兄弟の絆というような、外部からの解釈を補助線として引いたとしても、又蔵の暗い情熱の由来を本当に探り当てたとまでは言えないだろう。それを探り当てるには、又蔵の仇討ちへの執念と万次郎の遊蕩への急激な傾斜との間に、ある必然的な連関が見出されるのでなくてはならない。
 このために藤沢が記すのは、又蔵のある記憶であり、万次郎の庄内への已みがたい思いであり、複雑な親族関係の記述であり、そうしてはじめの方に出てくる、当時の中級下級藩士の次男、三男が置かれた境遇についての説明である。以上四つは、一見、又蔵の執念という個人的な心理とは直接のかかわりがないかのように書かれている。つまりそこには作者の意識的な「沈黙」がある。しかしよくこれらをつなぎ合わせてみると、その執念の由来がしだいにくっきりと浮かび上がってくるのである。


*次回も『又蔵の火』について論じます。

『Voice』7月号にシンポジウムの記録が載ります。

2015年06月02日 13時14分38秒 | お知らせ
『Voice』7月号にシンポジウムの記録が載ります。


 さる5月15日にPHP研究所で行われた「特別シンポジウム・日本の資本主義は大丈夫か」の記録が、月刊誌『Voice』7月号に掲載されます。
 パネリストは、経済評論家・三橋貴明氏、評論家・中野剛志氏と小浜の三人です。どうぞご期待ください。