小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

日本に言論の自由はあるか

2018年02月28日 01時28分29秒 | 思想



日本に言論の自由はあるか。
これは相対的な問題です。
一般的に言って、
社会的立場上、言いたいことが言えないというケースは、
山ほどあります。

しかし北朝鮮や中共に比べればずっとましでしょう。
また、かつてに比べれば、
ITの発達普及によって、
より多くの人がSNSなどを利用して、
言論を発信できるようになりました。
マスメディアの流すウソ情報も、
以前より少しは見抜かれるようになったと思います。

しかし果たしてそれで、
言論が社会をよりよくするのに貢献したかと言えば、
首をかしげざるを得ません。

膨大な情報が超スピードで乱れ飛ぶので、
受け手は何を信じてよいやら。
疑心暗鬼にかられることが多くなったのではないか。
また、この情報インフレの状態は、
真に価値ある情報の重みを相対的に軽くしてしまいます。

そもそも私たちは何が真に価値ある情報なのかを
判定する価値尺度を見失っているのではないか。
いくら精魂込めてオリジナルな発信を繰り返しても、
どれもみな同じというように受け取られてしまう。
初めから「ワンノブゼム」という先入観で受け取られるのです。
要するに「暖簾に腕押し」の状態が支配しています。

もちろん、だからといって、
闘いをやめるわけにはいきません。
取り上げる問題の軽重、調査能力や思考能力の卓越性
これらによって、
ゴミ情報の山から脱け出す戦略が必要です。

また、今の日本では、
露骨な言論弾圧が行なわれているわけではありません。
しかし、
マスメディアの洗脳などは一種の間接的な言論弾圧です。
金銭の力と既得のネットワークの力、
時間帯の支配と情報入手の安直さ、
それらを利用する特定の権力集団の執拗な意思、
これらによって、
ウソを真実と思いこまされ、
理路をいくら尽しても、
聞く耳を持たない人々が大多数を占めているからです。

こうした権力集団は、自分たちの意思を通すためなら、
多少とも邪魔と思える情報に対して、
できることを何でもやってきます。
さらにサイバー攻撃という、
ITの素人では防ぎようのない武器も、
最近では頻繁に使われています。

筆者が少し前に経験した例をお話ししましょう。
筆者は水道の民営化に反対しています。
それで、反民営化論を自分のブログに掲載し、
それをFB画面上で公告しました。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/17802bf252decb3fac028a02d88c051b
あわせて、概略同じ趣旨の論考をある媒体に投稿しました。
すると、ほぼ同時期に次のような三つの反応が現われました。

(1)FBのコメント欄にある人からの反論が載りました。
  これは、筆者の論点にまともに答えていず、恐ろしく煩瑣な行政資料を駆使して、
  結論としてはただ、水道の自由化は心配ないというものでした。
  筆者は論点をいくつか絞ってブログ上とFBコメント上で反論しました。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/7c294b8c9958967f03113a05b02c0c9b
  するとさらに膨大な資料を積み上げて、コメントを寄せてきました。
  資料には論点と関係のないものも多数ありました。
  結論はただ、自分はこの政策を、憲法に規定された生存権を保証するものとして信ずるというものでした。

(2)他の媒体への投稿は、大幅に改竄され
  日本語として論旨が通らない形になっていました。

(3)ブログ記事は残されましたが、
  なんとワードで書いた草稿がそっくり消されていました。
  ちなみに他の保存データには何ら損傷はありません。

(1)の書き手は、筆者の想像に過ぎませんが、
  普通の市民ではなく、
  行政官僚に何らかのかかわりのある人の手になるものでしょう。
(2)についてはしかるべく対処して解決しましたが、
(3)については、だれが操作したのか、
  何の証拠もありませんからどうしようもありません。

陰謀論にハマるのは好きではないのですが、
これらは偶然に起きた反応とはどうしても思えません。
もし何らかの統一的な意図がはたらいているのだとしたら、
自分も特定の権力から危険視されるようになったのかと、
苦笑を禁じえないわけですが、
筆者自身の小さな「災難」の有無にかかわらず、
何となく不気味な空気の流れを感じずにはおれません。

日本に言論の自由はあるか。
高度情報社会はますます互いの疑心暗鬼を高めていくでしょう。
当たり障りのないことだけを言っている自由は保障されていますが、
事と次第によっては、
言いたいことが言えない状態、
言っても何の効果もない状態、
が深まっていくことが懸念されます。
警戒しつつ、
しかしけっしてビビらず、
発信のための言葉を磨きましょう。


誤解された思想家たち・日本編シリーズ(18)――福沢諭吉(1835~1901)その2

2018年02月24日 19時37分54秒 | 思想


 福沢は、人間は個人としてすべて平等であるなどと説いたことは一度もありませんし、そんなことが可能だとも考えていませんでした。
なるほど彼は、『学問のすゝめ』二編に「人は同等なる事」という項を設けて、平等について語っています。しかしそこには大きな留保がつけられています。

ゆえに今、人と人との釣り合いを問えば、これを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは、有様の等しきを言うに非ず。権理通義の等しきを言うなり。(中略)権理通義とは、人々その命を重んじ、その身代所持の物を守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。

 この「権理通義」という独特の言葉ですが、これは、いまの言葉で言えば、個々の人間が共通に持つ法的人格という観念です。この共通性を認めるかぎり、福沢が言う通り、生命、身体、財産、名誉は、どの人も同等に守られなくてはなりません。
では、こういう観念が成立するために何が必要かといえば、文明が一定の成熟段階にまで達していることです。
この文明社会は、古き共同体では自明とされていた社会了解が崩壊したところに初めて生まれてきます。
福沢は、自分がまさにその境界点に立っていることに自覚的でしたから、法の下での平等という観念を時代にふさわしい形で摂取して、人はみな「権理通義において同等」であると唱えたのです。
しかし一方、彼は、その観念が、人間生活の現実の「有様」を見る目まで曇らせてはならないと考えました。

いかに牽強付会の説を作るも、人の身体の強弱には天賦あり、心の強弱には天賦なしとの口実はなかるべし。ひっきょう、世の教育論者がその教育奨励の方便のために事実を公言するをはばかり、ついに天賦論を抹殺して一般にこれを忘れたるものなり。もとより愚民多き世の中なれば、無天賦論の方便も、時としては可ならんといえども、事実を忘れて、これがために遠大の処置を誤るは、憂うべきの大なるものというべし。》(『時事小言』第六篇・明治十四年)

 ちなみに、ここで使われている「天賦論」というのは、人は生まれつき不平等だという意味です。
人の賢愚は生まれつき決まっている。そんなことは誰でも知っているのに、世の教育者たちは認めようとしない。彼らは「生まれつきの能力はみな同じで、努力次第で誰でも出世できる」という神話を植え付けようとする。そういう神話を方便のために使うならわからないではないが、事実そのものを忘れてしまうと、優れた人材の養成という「遠大の処置」を誤ると警鐘を鳴らしているわけです。
これによって、福沢が天賦平等論など少しも信じていないことがよくわかると思います。
すると世のさまざまな格差が生じたのは、学問をしたかしないかによるのだという『学問のすゝめ』の論理が、じつは意識的に使われた「方便」だったということになります。
なぜ彼がこの「方便」を用いたのかについて、もはや多言を要しないでしょう。旧弊を打ち破って、一国の独立のために優れた潜在能力を自由に解放させる必要を強く訴えたかったからです。

 福沢は民権論者から国権論者へと変節していったという誤解も根強くあります。
こういう二元論でものを見ることがそもそも福沢誤解のもとなのです。
国権論という言葉を民衆を抑圧する権力と解釈せずに、国際社会に対峙する国家主権の確立論と受け取るなら、彼は一貫して国権論者でした。
その確立のために、極端な民権論も極端な民権抑圧論も共に百害あって一利なしなので、互いに猜疑と激情と暴力を捨てて、政府はもっと寛容に反対論者に耳を傾け、民権運動者は、国家統一の重要性をもっと認識せよと、ひたすら官民融和の論陣を張ったのです。
そのため彼は『通俗民権論』(明治十一年)から『藩閥寡人政府論』(明治十五年)に至るまでの一連の政治論で、しつこく国会開設の効用を説きました。
官に対しては多事争論恐れるに足らずと言い、民に対しては、衆の暴力に訴えず言論に訴えてこそ政府も耳を貸すだろうと、それはまるで周旋屋のような役割でした。
彼の議論はある角度からは民の側に立って官を攻撃しているように見え、別の角度からは官の立場から民権論者を批判しているように見えます。
しかしこれは、彼がコウモリ的にふるまっていたのではなく、まさになぜそうするかという確固たる目的があったからです。
その目的とは、西洋列強に対して独立主権国家としての面目を示すことに尽きます。西洋に負けない軍備を整え、それを背景に対等の外交関係を築き、富国強兵を真に実あるものとするためには、弾圧と反権力ごっこをしている時ではないというのが、この時期の福沢の痛切な状況認識だったのです。
 彼の脳裡には、英国議会の二大政党制がその国権独立の維持を保証するイメージとしてありました。たしかにやや理想化していたきらいがあったでしょう。
しかしひるがえって現代日本の政治を見る時、福沢の「一身独立し、一国独立す」の悲願がとうてい果たされていない惨状に、何ともやりきれない思いを抱くのは、筆者だけでしょうか。

 福沢の強い危機意識の表現は、今の日本が突き当たっている国際環境にそのままスライドさせることができます。
にもかかわらず、今の日本人のほとんどは、福沢の期待した「気概」をまったく喪失しています。この腑抜けた「危機意識の欠如」「焦燥感の欠如」こそが、現在の日本の体たらくを招いているのです。悪いのは外圧ではなく、外圧を外圧と感じないほど鈍感になってしまった日本人自身なのです。
 国会議員たちは「もりかけ」問題だの、不倫問題だのと、小さなスキャンダルの追及に血道を上げ、今目の前に迫っている国際的な外圧を取り上げようともしません。
リベラルを自称する知識人たちは、ジャーゴンの世界に潜り込み、総合的な視野を失っているので、大局的な問題に関して国民に勇気をもって自分の判断を示すことができません。
マスコミの大部分は、官僚の仕組むウソやアメリカのメディアの報道をそのまま垂れ流すか、幼稚な反権力イデオロギーや「人権」至上主義や空想的平和主義で国民を洗脳するのに暇(いとま)がありません。

 こんな体たらくになってしまった原因は、様々考えられます。それは別途検討すべき課題として、少なくとも必要とされるのは、かつての「気概」を一刻も早く取り戻すことです。
 いま私たちは、福沢の時代から百五十年を経て、新しい激動の時代に見舞われています。それは、近代国民国家が、資本主義の頂点としてのグローバリゼーションという激しい波濤に翻弄されている時代です。
この揺さぶりに対する舵取りを誤ると、その先には、革命や戦争や亡国の危機が待ち受けているでしょう。
 そして日本。
日本はまさにそのかじ取りを誤りかけています。
すぐ近くには、図体のとてつもなく大きな新興帝国主義国家が、発展途上特有の粗略で強大なエネルギーを外に振り回して私たちを脅かしています。この暴れん坊は、グローバリズムを国是として取り込み、したたかな手口を駆使しながらユーラシアの東端にある日本を飲みこもうとしています。
これに飲み込まれたくないなら、私たちは、だらしなく緩みきった褌を締め直すために、近代国民国家存立の大切な初期条件とは何であったのかを呼び戻してみなくてはなりません。その時、最も頼りとなるのが福沢の思想なのです。
福沢諭吉はただの「古典」ではなく、現代の思想家です。あなたに、いま、呼びかけているのです。


【小浜逸郎からのお知らせ】
●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(仮)を脱稿しました。出版社の都合により、刊行は5月になります。中身については自信を持っていますので(笑)、どうぞご期待ください。
●『表現者』連載「誤解された思想家たち第28回──吉田松陰」
●「同第29回──福沢諭吉」
●月刊誌『正論』2月号「日本メーカー不祥事は企業だけが悪いか」
●月刊誌『Voice』3月号「西部邁氏追悼」


誤解された思想家たち・日本編シリーズ(17)――福沢諭吉(1835~1901)その1

2018年02月18日 00時33分22秒 | 思想



 福沢諭吉は「武士」でした。そして真正のナショナリストでした。
その心は、彼が、あの動乱と建設の時代における公共精神を代表しており、当時の日本国民の幸福獲得について、終生、力を尽くして考え抜いた人だったという意味です。福沢は、列強の脅威に取り巻かれる中で、日本の独立を真に成し遂げるには何が必要かを一心に考え抜いた人でした。

 しかし福沢にはいくつもの誤解がまとわりついています。
この誤解の種は福沢自身にあるというよりも、福沢読者の側にあります。つまり、読者たちのイデオロギー的立場から来ている部分が大きいのです。

たとえば福沢は、しばしば欧化主義者の代表のように見なされます。
このイメージはリベラル左派の人からは歓迎され、保守派など右寄りの人からは苦々しいものとしてとらえられます。
しかし『学問のすゝめ』(明治五年~九年)や『通俗国権論』(明治十一年)、『民情一新』(明治十二年)その他を見ればわかるとおり、彼は一貫して欧化主義者に批判的でした。彼らを「西洋心酔者流」と呼んで至る所で痛快な揶揄を飛ばしています。
福沢がいち早く西洋近代文明とその背後にある進取の気象に触れ、これをとりあえずのお手本として積極的に摂取すべきだと唱えたことは事実です。
けれども同時に彼は、たえず外に進出していこうとする西洋の強大な力の脅威を人一倍強く感受し、これに対抗する必要性を繰り返し訴えていました。
そのためには、一時、感情的な攘夷思想などに走らず、まず「敵」をよく知ること、「敵」の優れた点を換骨奪胎してわがものとすることこそ大切だと説き続けたのです。いまの言葉で言えば、グローバリズムの不可避的な浸透に対して、ただ精神論的に強がって見せるのではなく、国および国民を守るために、現実的に有効な対策を真剣に模索したわけです。

 彼はまた単純な国権主義者と見なされることがあります。
この場合は逆に左寄りの人からは顰蹙を買い、右寄りの人からは好意的に迎えられます。
しかし主著『文明論之概略』(明治八年)や『通俗民権論』(明治十一年)その他を見ればわかるとおり、彼の胸中にあったのは単に内への国家権力の強化ではなく、人民の自主独立の気風を育てることによって官民融和の関係を築き上げることでした。それが日本の文明化にとって不可欠と考えられたのです。
 政府は人民によって支えられる。幕末維新の政変も、一部権力者や倒幕勢力の力によるものではなく、人民の気風が高まっていたからである。国権と民権とでは、統治の維持という意味においてもちろん国権が優位に立つが、どちらか一方が強すぎてもダメで、両者が車の両輪のように作用してじっくり協力体制を築いていかなくてはならない。それによって初めて実質的な国力を富ませることができる――これが、福沢の国家建設のグランドデザインでした。

 また、福沢は平等主義者だったというとんでもない誤解があります。
福沢諭吉というと、誰もが『学問のすゝめ』冒頭の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という文句をすぐ連想します。人間の平等は天賦のものなのだ、と。
ところがこれは福沢自身の言葉ではなく、したがって彼の思想ではありません。彼は、「天賦」という言葉を平等や人権に当てはめて用いたことはなく、逆に「天賦」と言う時には、体力や知力や気力などにかかわる、乗り越えられない人間の不平等の実態を形容するときだけでした。
 実はこの文句のあとには、「……と云へり」とあるのですが、ほとんどの人がこれを見逃してしまいます。
「……と云へり」とは、「と言われている」という意味なので、「一応そういうことになっている」ということです。
さてその数行後に、「されども今、広く此人間世界を見渡すに」とあって、いかに現実の世が貧富、賢愚、身分、権力においてはなはだしい格差に満ち満ちているかという記述があります。
『学問のすゝめ』はここを発端として、この格差から生じる奴隷根性を少しでもなくし、多くの人が自主独立の気概をもって人生を歩めるようにするには、「学問」がどうしても必要だ、というように展開されていくのです。

「学問」というと難しく聞こえますが、福沢のいう学問とは、「知性の活用」というのとほぼ同じです。つまり、単に学者が文献に首を突っ込んで博識をため込むのとはまったく違います。書物や経験や見聞から得たあらゆる知見を総合し、これを実地に用いて、みんなのために役立てることを意味しているのです。
福沢は、高尚ぶって役に立たない知識ばかり詰め込んでいるオタク知識人を非常にバカにしていました。当時で言えば儒学者の大半がこれに当たります。社会情勢と時代の気運を読めないこうした連中を「腐儒」と呼んでいます。

 彼はアメリカに二度、欧州に一度渡航していますが、そこで味わったものは、ただ物質文明の進んだ姿だけではありません。彼を刺激したのは、そういう文明を作り出した西洋人たちの、目には見えない精神、気概、またそれを可能にした社会制度の仕組みとはいったい何なのかということでした。
彼が得た当座の結論は、「人間交際」のあり方のうちにこそその秘密が隠されているというものでした。
彼はしばしば蒸気機関や電信技術について語っていますが、そういう技術文明の秘密は分厚い中産階層(ミドル・クラス)のうちにこそ宿っていると判断しました。そうした力に満ちた階層の活発な交流が、今日の西洋文明を生み出したのだ、と。

西洋にあって日本にまだないもの、それは、ある程度の経済力を蓄えた階層に属する人々による自由で活気溢れる「人間交際」である。こう見抜いた彼は、この力強い気風を学ぶことによって、単なる技術の導入にとどまらず、西洋に負けない国家体制を築き上げることができるはずだと考えたのです。
 それを担う底力がいま(当時)の日本にあるか。福沢は、ある、と考えました。
まずは明治維新によってリストラされ旧士族であり、もう一つは、すでに形成されていた商人階級です。
しかし前者は、多くが旧態依然たる儒教的観念や、家禄を失ったことの不満に満たされていました。また後者は、経済力はあっても私的な実利に汲々としており、公共精神を培うだけの知恵や視野に欠けていました。
そこで福沢は、こうした人民の「潜在能力」をうまく引き出し、それを変形させて、国民一丸となって西洋に負けない国家体制を作り上げるべきだと考えたのです。
ことは単なる技術の導入ではなくそれを作り活用していく精神のあり方の問題でした。

 『学問のすゝめ』をはじめとした明治初年代の福沢の仕事の眼目は一つです。
無学の一般人民に、何とか世界の物事を知ることの価値を伝え、これまでの人民を卑屈な精神から脱却させて、お互いの自由な生き方を尊重する気風を作り出すこと。
その場合お手本となるのは、さしあたり進んだ西洋文明であるほかはない。しかし西洋文明は、あくまでも「さしあたり」であって、けっして窮極地点ではありません。
 『文明論之概略』に盛られた彼の考えによれば、文明の発展は広大で無限であって、西洋文明もその過渡的な一地点にほかなりません。
長い鎖国の間に遅れを取った日本も、やがてこの暫定的なお手本に追いつくことができるし、追い抜くことができる。追いつくまでは、日本にとって西洋文明をお手本とするが、それは「一手段」にすぎません。
その場合、「目的」は、日本を「国家」として西洋に拮抗できるものに仕立て上げるところに置かれます。
そのかぎりで、まず果たすべきは、旧来の封建的しがらみから国民一人一人が解放されることでした。各人が自分の人生を自由に追求する権利を獲得することは、彼の願ってやまないところでした。
彼は権威を否定したのではなく、自由を不当に拘束する権威「主義」を否定したのです。
 しかしその「自由」にしても、福沢は、その必要を説いた後に、必ず、人に迷惑が及ぶようなわがままに陥らないように、それぞれの「分」に応じて、責任をまっとうすべきことを付け加えるのを忘れていません。

人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば、わがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基き、人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。》(『学問のすゝめ』初編)

技術文明との向き合い方

2018年02月12日 22時45分12秒 | エッセイ


何とこの年になるまで、回転寿司というものに入ったことがありませんでした。
別に寿司の通を気取っていたわけではありません。
チャップリンの『モダンタイムズ』みたいに、自分が流れ作業に従事している感じがして、何となく入る気がしなかったのです。安かろうまずかろうとも思っていました。せめてゆっくり食事する時ぐらいは静かにテーブルで、と。

しばらく前、近くのデパートのレストラン街に、金沢が本店の「もりもり寿司」ができてうまそうなので、このたび、入ってみました。
完全に食わず嫌いだったことがわかりました。

知っている人にとっては当たり前なのでしょうが、テーブル席にも適度な速さでコンベアが走っていて、そこから自由に取り出せるだけでなく、タッチパネルで注文すると、上部のコンベアをおもちゃの新幹線が走ってきて、ピタとテーブルの前で止まります。あがりも湯呑に抹茶を入れて自動給湯で思いのまま。
お会計は、テーブルに積み上げたお皿を店員がスキャナーでさっとひと撫で、たちまちレシートが出ます。相当食べて飲んで、お値段もリーズナブル。
店内は寿司屋らしい和風の雰囲気が保たれています。肝心のお味ですが、これがまた、なかなかうまいのです。
後で聞けば、こんなシステムはもう何年も前から整っているとのこと。でも何しろ初めてなので、小さい子どもみたいにちょっと感動してしまいました。

いろいろな人がいて、あんなのは邪道だと思っている向きもあるでしょう。分厚い檜一枚板のカウンターを挟んで板前さんと差し向かい、世間話に花を咲かせながら江戸前寿司を握ってもらう――これが「本来」なのかもしれません。
こういう伝統的な雰囲気を守ることももちろん大切でしょう。
しかし技術は需要(欲望)に見合って進展します。スマホがあっという間に普及し、いまなお技術革新の競争が止まないように、その背景には膨大な人々に共通した需要があるわけです。
進化した回転寿司のテーブル版は、家族連れ、数人規模のお客さんなどにはもってこいです。

新しい生活技術、生活文化が登場すると、決まって三種類の人が出てきます。
抵抗なくすぐに飛びつく人、拒否反応を起こす人、定着と改良を待って慎重に構える人。
すぐに飛びつく人がおっちょこちょいかというと、一概にそうでもなくて、早くからその技術に適応し、便利さや快適さを判断しつつ、性能をよく知った上で次の改良技術に軽快に乗り換えていくケースが多いようです。キャリアが長いほど、熟達度も増します。主として若者たちですね。

当たり前ですが、拒否反応を起こす人は、高齢者に多く、なかには、自分の拒否反応に理屈をつける人がけっこういます。
テレビが普及し始めた時に、一億総白痴化と評した評論家がいました。教育に与える悪影響が大真面目に論じられたものです。
モータリゼーションの波がやってきたときには、「走る凶器」などと呼ばれ、車廃絶運動が実際にそれ相応の力を持ちました。
漫画が流行した時に、大学生が漫画を読むとはなんと嘆かわしいことだと騒がれました。
携帯電話が普及した時には、「心蔵のペースメーカーをつけている人に悪影響を及ぼしますので」なんて、ヘンな車内放送が流れました(そんな人、めったにいねーだろ)。「偶数号車ではマナーモードで、奇数号車では電源をお切りください」なんてのもありましたね(いちいち車両番号確認して乗る人がいるわけねーだろ)。
もっとも、車内での通話は確かにうるさく感じる人が圧倒的に多かったので、これは迅速にマナーが徹底しましたが。
スマホに変わると、迷惑に感じる人はほとんどいなくなったので、今度は、テレビの時と同じように、みんなが車内でスマホを覗いている姿を見て、嘆かわしい時代になったなどとつぶやくご老人も現れました。
でもスマホは、実に多機能ですから、くだらない芸能ネタを追いかけている人もいれば、ゲームに熱中している人もいる反面、一生懸命調べ物をしている人もいれば、仕事にぜひ必要なメール交換を繰り返している人もいる。友達や恋人と楽しいコミュニケーションを交わしている人もいる。そういうことをくだんのご老人は考えてみようとしないのですね。
これは本当は、自分がついていけないことに対する負け惜しみなのですが、自分がついていけないだけなのだと素直に認めたくない感情があって、しかもそのことを自覚していないのです。
この種の人たちは、自分の限られた前半生の中で、じつはそれまでの技術文明の恩恵にさんざん浴してきたのに、その事実は脇に置いてしまいます。そして、こなしきれないものが現われると、たいてい道徳的なスタイルを取って世を嘆き、「昔はよかった」と過去を美化します。
その「昔」というのも、せいぜい自分の祖父母の代くらいまでしか想像力が及ばず、前近代がどんなたいへんな時代だったかなどを考えてみようとしないのですね。

こういうことは、文明が始まってから、ずっと続いてきたのです。でもいまでは一部の偏屈な人を除き、だれもが少し前に現れた文明の利器をまったく自然に使いこなしているので、そのありがたみを意識しないだけなのです。
人間なんて、大多数の愚民と少数の賢者がいるだけで、昔からそんなに変わっていないんですよ。

回転寿司から話が広がりましたが、以上のように書くと、筆者が技術文明の発展を手放しで肯定しているかのように受け取られたかもしれません。
もちろん文明の利器には、それぞれに固有の欠陥があります。
テレビはいまでは、地上波メディアのコンテンツがすっかりマンネリ化しているのに、その洗脳力だけは強く残っていますから、ウソを平気で信じ込ませるための恰好の道具と化しています。
車は、性能が向上し、だいぶ事故が減りましたが、それでも年間交通事故死者数は4000人を超えています。
インターネットの普及は、質の高い出版文化の衰頽に大きな影響を及ぼしています。
また、だれでもロクに勉強せずにSNSなどで意思を発信できますので、間違った情報や悪意のある情報が乱れ飛ぶようになりました。
さらに、サイバーテロなどの新しい問題も起きています。

およそこれらのことは、技術文明の発達にはつきものです。
しかしいったん広がって私たちの生活に深く定着してしまった技術をなしにすることはできません。
あなたは車やスマホを棄てられますか。
ある技術文明の欠陥を克服するには、その全体を否定するのではなく、蓄積されてきた特定の技術領域の範囲内で工夫を重ね、より高度化した技術を開発して乗り越えるか、まったく新しい発想にもとづく技術を発明するか、それ以外に方法はないのです。
プロメテウスは人間に火を与えたことで、山頂に縛り付けられて鷲に肝臓をついばまれる罰を受けましたが、この罰は、人間自身が背負うことになった労苦とも考えられます。

筆者の頭の中では、エネルギーや環境や医療、食糧やAIなど、現代技術文明にかかわるさまざまな問題がぐるぐる回っていますが、それについて詳しく語ることはまたの機会に。
いまは、あの回転寿司がもっと技術的に改良を重ねて、より快適な「和」の空間で、より美味くより安い寿司が食べられるようになることを願うにとどめておきましょう。

【小浜逸郎からのお知らせ】
●『福沢諭吉と明治維新』(仮)を脱稿しました。出版社の都合により、刊行は5月になります。中身については自信を持っていますので(笑)、どうぞご期待ください。
●『表現者』連載「誤解された思想家たち第28回──吉田松陰」
●「同第29回──福沢諭吉」
●月刊誌『正論』2月号「日本メーカー不祥事は企業だけが悪いか」
●月刊誌『Voice』3月号「西部邁氏追悼」