小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

緊急事態宣言は不要だった

2020年05月28日 19時46分45秒 | 思想


5月25日に首都圏でも緊急事態宣言が解除されました。
街には徐々に日常性が戻りつつあります。
心なしか、人々の表情には明るさが見られます。
本来、日本では、この「緊急事態宣言」なるものは必要のないものでした。
そんなことを言えば、「何を言ってるんだ、それがなかったら、コロナ感染がどこまで広がっていたかわからない。死者数も比較的少なくて済んだのは、この宣言の要請にみんなが従って自粛したからじゃないか。それに、まだ終息したわけじゃなく、第2波、第3波にも備える必要があるんだぞ」と猛烈なバッシングを食らいそうです。

しかし、この疫病の性格をよく考えてみると、どうもそういう認識は当てはまらないようです。
これからその理由を述べていきますが、その前に、この過剰自粛を促した宣言が、どれほどの経済的犠牲を国民に強いたかに思いを寄せなくてはなりません。
政府は「要請」というレトリックを用いて、休業補償から逃げ、大規模な財政出動からも逃げ、消費税の凍結からも逃げました。
これから日本は大変な経済恐慌に突入していくでしょう。

さて理由の第一は、この病が、感染力の猛烈さに比べて、重症者や死者のほとんどが60歳以上の高齢者と持病の持ち主に限られているということです。
下の図は、5月7日時点での年齢別の感染者数で、上から順に、80代以上、70代、60代、50代、40代、30代、20代、10代、10歳未満、不明となります。色分けは、左が死亡、中が重症、右が軽症・無症状・確認中です。


https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/?fbclid=IwAR2YWT90_yBeDd_-tFhAG6HdAJwoN7JF-Ej_2FwJ7n97c5MqmzAvw7gjUXw

理由の第二は、ここ7年間で、インフルエンザによる死者が平均2000人を超えているのに、その際、ロックダウンの可能性など一切問題にされなかったという事実です。
これに、ふつうの肺炎による死者が、年間11万人以上いることも付け加えておきましょう。
これは病死の原因の第4位を占めています。
もっとも、この場合も、高齢者がほとんどで多くは基礎疾患があった場合でしょう。その点では新型コロナと変わりません。
11万人といえば、毎月約1万人に及ぶので、このコロナ禍が騒がれた4か月間に、すでに4万人近くに達している計算になります。
しかし、これまで普通の肺炎による死者が多いからというので、緊急事態宣言などが発出されたことはありませんでした。
ちなみにコロナ死者は、5月27日現在で累計867人

理由の第三は、自粛徹底あるいは自粛要請が、果たして功を奏したのか、という疑問が残ることです。
政府や自治体は、国民の皆さんのご協力のおかげで感染者数、死亡者数も少なく抑えることができたと、その効果の宣伝に大いに努めることでしょう。
しかし、ヨーロッパでは、スウェーデンが外出規制や過剰自粛などを強制しなかったにもかかわらず、厳しい規制を強いたその他の諸国と、死亡者数の増加のカーヴに変化が見られません。(下図)
欧米諸国では現在、ほとんどの国が終息に向かいつつありますが、厳しい規制を課しているその最中にも、死亡者数はどんどん上昇していました。
無症状感染者、軽症感染者を増やすことによって、免疫力を獲得した人を増やすという戦略も十分にあり得たのです。
もちろんその場合でも、高齢者や持病の持ち主には、厳しい隔離政策を取ることが要求されますが。

理由の第四は、ウィルスというのは、生体に寄生して初めて活性化するので、その生体が死んでしまえば自分も不活性になってしまうという事実です。
現在、ブラジルなど一部の例外を除いて、世界的にコロナ死者が終息に向かっているのは、規制が功を奏したのではなく、一定の死亡者が出たために、ウィルスそのものが自然に不活性化しつつあるためではないかと考えられます。
これはペスト、コレラなどの伝染病を引き起こす細菌でも同じで、中世のペスト流行も、抗生物質などなかった時代にもかかわらず、多大な死者を出したのちに、生き残った者たちの間に自然に免疫が形成され、最終的には終息していきました。
原因は、生体に寄生して生きる宿命を持ったこれらの微生物が、生体の死と共に自分も死んでいったからだと考える以外、決定的な理由が見出せません。

理由の第五は、欧米とアジアとの死亡者数の極端な差にかかわります。
日本ではなぜ欧米に比べて重傷者、死亡者がこんなに少ないのかという現象は、多くの人がその理由を問題にしてきました。
欧米の握手、ハグなどの「濃厚接触」の習慣、マスクをしない習慣、日本人の「ウチ、ソト」をハッキリ分ける伝統、清潔好きの国民性、BCGをしたかしないかの違いなど、いろいろなことを言われましたが、どれもピンときません。
前にもこのメルマガで取り上げましたが、下の図は、人口100万人当たりの死亡者数の5月27日現在までの累計です。


https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html

死亡者が多く出た欧米諸国、上昇中の国、死亡者の少ない国の三つがよくわかるように国を選んであります。
上から順に、ベルギー、スペイン、イタリア、イギリス、フランス、スウェーデン、アメリカ、ブラジル、ドイツ、メキシコ、ロシア、フィリピン、日本、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ。
なお、筆者の判断で、この国の統計は、そのカーヴの具合や国情から見て当てにならないと思える国は、省いてあります。
それは、中国、韓国、台湾、インドです。
疑問に思う方は、上記の原資料に当たってみてください。
しつこいようですが、このグラフの縦軸は、対数目盛です。
したがって、多い国と少ない国との差は、見た目よりもはるかに大きくなります。
最高のベルギーは805.38、日本は6.78、最低のタイは0.82といった具合です。

まずここで言いたいのは、欧米に比べて死亡者が少ないのはじつは日本だけではなく、アジア諸国が軒並み2桁から3桁低い数字を示しているという事実です。
これは、生活習慣その他で説明できる問題ではありません。
フィリピンやインドネシアが、日本のような清潔好きの国民性を持っているとは考えられないからです。
なぜアジア諸国がこんなに少ないのかについては、すぐ後で仮説を述べたいと思いますが、
ここで指摘しておきたいのは、第一に、日本人は先進国意識がぬけないために、国際比較をしようとすると、欧米社会しか思い浮かべない癖がついていることです。
そのため、死亡者数に2桁の違いがあるにもかかわらず、欧米で騒がれたことはその対策に関してもすぐ見習って大騒ぎしやすい。
西洋は、これもあとで述べますが、ある社会心理的、宗教的理由から、一種の集団ヒステリーに陥ったのだと思います。
さぞかしペストの歴史的な記憶も甦ったことでしょう。
日本は、足元のアジアの事情など関心の埒外で、この集団ヒステリーに煽られて、パンデミックだのロックダウンだのオーバーシュートだのクラスターだのソーシャルディスタンスだのといった、日常聞き慣れないカタカナ語の飛び回る大きな渦に巻き込まれてしまったわけです。
日本ははたしてロックダウンなど想定すべき状況だったでしょうか。
筆者の考えでは、答えは否です。

ではアジア諸国と西欧諸国とは、どうしてこんなに差がはなはだしいのでしょうか。
筆者は素人なので、推測の域を出ませんが、これには遺伝子的な相性の問題が関係しているのではないかと思われます。
調べてみますと、ヒト白血球抗体(HLA)の違いというのが、ウィルス性の伝染病に罹りやすいか罹りにくいかに大きく関係しているという研究があります。
この相性の問題は白血病や結核についても昔から研究されていますね。
新型コロナでも、今回のウィルスは、西欧人の体内のHLAと共存しやすい。
断定はできませんが、今のところ、この仮説が一番説得力がありそうです。
専門家の研究成果を待ちたいところです。
 
理由の第六。
次のような資料があります。
https://newstopics.jp/url/11218490
新型コロナ患者から取り出した検体からウイルス培養を試みた場合、発症から8日目までの検体からは培養できても、9日目以降の検体からは培養できないそうです。
培養できなくなるとは、ウイルスが増殖力を失ったか減退させたことを意味します。
増殖力がなければ感染も不可能です。
同じ資料にこれと符合する研究が紹介されています。
台湾で100例の確定患者とその濃厚接触者2761人を調べたものがあります。
後に発病したのは22人ですが、すべて確定者患者とは発症前もしくは発症後5日以内に接触した者で、発症6日以降に接触した者には発病者はゼロだったそうです。
これらの研究が正しければ、発病後1週間を経た患者にはもはや感染力はないことになる。
コロナ患者をいたずらに回避したり快復後も外出自粛を要求するのは、無意味で非合理といわざるを得ません。
つまり、新型コロナは、短期間の感染力は猛烈ですが、大した疫病ではなかったのです。

以上述べてきたことについて、次のような反論があろうかと思います。
そうは言っても、第2波、第3波は、必ずやってくる。これで終息に向かうなどとは言えないだろう、と。
もちろん、第2波だろうと第10波だろうと、こうした流行病のたぐいはこれからもやってくるときはやってくるでしょう。
何が起きるか、未来はわかりません。
これまでも、インフルエンザは何度も何度も、かたちを変えてやってきました。
でも問題は、これからそのたびに「そらパンデミックだ」と大騒ぎし、緊急事態宣言を出し、経済活動を停止させるのかということなのです。
一部の医療関係者を中心に、第2波、第3波が必ず来ると騒いでいる人たちは、どういう科学的根拠があってそんな予言めいたことを言っているのでしょうか。
それをきちんと聞きたいものです。
思うに、こうした不安を煽る(自分が不安に煽られている)人たちは、例のスペイン風邪の歴史的な記憶に基づいて騒いでいるだけなのではないか。

また新型コロナにはS型とL型があって、日本にはS型が入ってきたが、ヨーロッパにはL型が入った、第2波ではL型がくるから、これには抵抗できない可能性が高いなどという人もいます。
筆者はSとLとがどう違うのか知りません。
たしかに西洋人は体が大きく、Lサイズが合うでしょうね。
しかし外国帰りの日本人や訪日外国人を通して、すでにL型は入ってきているのです。
それなのに、感染爆発など起きていませんね。

また、最近よく報道されているニュースに、ブラジルのコロナ禍が増大しているというのがあります。
たしかに上の図で確認される通り、ブラジルのコロナ死者数はついにドイツを追い越して、急速に上昇中です。
しかし、これは、疫病問題というよりは、貧困問題、政治問題でしょう。
なぜなら、メディアに映し出されるようなああいう貧困地区では、非衛生極まりなく、治安も悪いので、これまでも悲惨な事態が他にいくらでもあったにちがいないでしょうから。
メキシコもおそらく事情は同じ。
そこからコロナ問題だけを抽出すれば、いかにも今度は中南米から全世界に広がっていくようなイメージを与えられ、集団ヒステリーはまだまだ続くことになります。

それにしても、今回よりずっと死者が多かったほかの時には、日常生活や社会活動を壊すような騒ぎにはならなかったのに、今回のように政府、マスコミ、一般国民のほとんどすべてに至るまで、夜も日も開けずにコロナ、コロナと騒ぎ立てたのは、どうしてなのでしょうか。
まあ、ブームだと見れば、その非合理性に納得がいかないでもないですが、しかしブームはなぜ起きたのか。
これを考えることは、けっこう重要な文化的問題、もっといえば、思想的問題のように思えます。

いろいろ考えられるのですが、一つは、中国という「ならず者国家」がその発祥地だったという点がまずあるでしょう。
独裁政治を敷いて、言論の自由が許されず、国外からは何をやっているのか正確に把握できない。
国際社会のなかで、この大国は、いつも周囲に不気味な心理的威嚇を与えています。
心ある日本人は、この隣国が直接の脅威をもたらしていることを知っているので、その剣呑さをよくわきまえていますが、ヨーロッパ、特にドイツはこれまで中国と経済的に密接な関係を持っていたこともあって、この国の恐ろしさを甘く見ていたところがあります。
流行の先手を切っていたイタリアは、北部の多くの地区が中国人に占領されていました。
で、今回その中国に手ひどい目に遭った。
ようやくヨーロッパ諸国は、今度のことでこの国がいかに危険な要素を抱えているかに気づいたようです。

次に考えられるのは、新型コロナウィルスの到来が、これまでのものと違って、初体験で未知の要素が多かったということです。
疫学的な対処法が確定できず、ワクチンもできていない。
こうした未知との遭遇に、世界の人々の不安はいやがうえにも高まりました。

また、マスコミだけでなく、SNSなどの情報ツールが過剰に発達していて、不安が不安を呼び、憶測やフェイクニュースや陰謀論が乱れ飛んで、一種の自縄自縛の風評被害に遭ってしまったということも考えられます。
世の中には、いろいろなことが起きていて、個別の不幸や苦しみに出会い、そこで耐えられなくなって挫折したり、必死で耐えている人がたくさんいます。
世界大の出来事もあちこちでたくさん起きているはずです。
ところが、マスコミやネットニュースは、来る日も来る日もまずはコロナばかり。
まるで大事なことはそれしかないと言わんばかりの勢いでした(まだこの傾向は続いていますが)。
この一点集中は、悪循環を生んで、私たちの関心をますますそこに追いこみ、洗脳状態にしてしまいました。
これは一種の全体主義と呼ぶべき事態です。

全体主義といえば、ナチズムやスターリニズムのような、政治的・歴史的な大事件を思い浮かべるのが慣らいですが、筆者は、今回のコロナ騒動に遭遇して、ああ、全体主義ってこういうものなんだなあと、痛感しました。
全体主義とは、要するに、人々が普通の日常生活を普通の気分で送ることを許さない雰囲気の支配、ということです。
たとえば、今日は休みだから、ちょっとぶらっと床屋でも行って、いつものコロッケ屋のおばさんに冗談を言って、コロッケを買って家に帰る。夜は飲み屋で酒を飲み、いい機嫌になって大将と馬鹿話をする。
こういうことができるのが「自由」で、そうした普通の日常を壊すのが「全体主義」です。

今回の「全体主義」は、特定の独裁者が意図的にもたらしたものではありません。
むしろ、その真犯人は、大衆の社会不安につけ込んで心理を支配してしまった、たった一つの「情報」という妖怪です。
その意味では、全体主義が成立するためには、大衆の不安心理という非合理的なものの参加が不可欠です。
そして、この不安心理の背景にあるのは、情報のグローバリズムです。
遠いヨーロッパで起きていることとそっくり同じことがこの日本でも起きているかのような錯覚に陥らせる。
何しろ、リアルタイムで遠隔地の状況が知らされるのですから、明日は我が身、他人事とは思えないという焦りの気分が一気に醸成されます。
こうしてパニックはたちまちのうちに広がり、日本の為政者も国民も、それに何の抵抗もなく乗っかってしましました。

ところで、疫病としてのコロナは、もちろん中国が発祥地ですが、社会心理現象としてのコロナ全体主義は、むしろヨーロッパが発祥地です。
考えてみれば、あの政治的な全体主義も、もともとはその土壌をヨーロッパにもっています。
ヨーロッパの世界把握の仕方は、古くは神と悪魔の対立というスキームにはじまりました。
やがて合理の光の下に闇の部分を抑え込み、その旺盛な力によって、自然や異世界の征服に乗り出します。
あくなき科学的な探求、古い体制の転覆、そして強い意志に基づく大航海時代の遠征や後の植民地帝国主義。
これらは、真理は神(ゴッド)に宿るという一神教的な信念がなければかなわないことです。
しかし、合理主義の力(それはゴッドの近代版です)によって闇や異物を駆逐し、すべてを明るい光の下に照らし出そうとしてきたのですが、この光と闇、神と悪魔の二元論的なスキームにはもともと無理が伴っていました。
時折、闇や未知の異物が出現すると、たちまち不安と心理的恐慌が噴出します。
彼らは、現代の宗教である「科学」の力によって、何が何でも現代の「悪魔」を抑え込まなければならぬという焦燥に駆られます。
彼らは自然が人間を侵害してくる状況に接して、ひたすら自然を敵視し、強引に克服しようとします。
しかし、ウィルスは、果たして克服の対象なのでしょうか。むしろうまく共存すべき相手なのかもしれないのです。

明治以降、西欧化の道を歩んできた日本が、何もその世界把握方法をそのまま真似る必要はなかったのではないでしょうか。
もっとも、今回の場合、ヨーロッパほど厳格な規制を敷いたわけではなかったし、死者数を見ればその必要もなかったのですが、「お上」の言うことに率先して従って自主規制を徹底させた国民は、経済的に自ら首を絞める結果になりました。
この事態はむしろ、まことに日本的というべきかもしれません。

この問題を緻密に探究するには、広い文化論的な視野を必要とするので、一朝一夕には論じられませんから、機会を改めることにしましょう。

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黄昏のコロナ

2020年05月27日 13時09分55秒 | 文学


《ブログ管理人能書き》今を去ること60余日、長年親しく交はりたる友の精神科医に、拙著『まだMMTを知らない貧困大国日本』送りしところ、コロナにつきてのすこぶる優れたる見解を付してお礼状を寄せ来たり。このお礼状、当人のお許しを得て本ブログに転載せり。以下のURLにて読むことあたふ。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/1cc9430f7a4e8e6da76d7ae49b379a36

これより数度にわたり彼と我との間でメールを取り交はしたり。さるところ、こたび彼より落語ものせりとて、我に送りき。聞けば、コロナ感染を恐れし人多くして、彼の医院もほとんど電話診療にて、診察室は閑古鳥鳴きたるとぞ。ゆえに徒然なるままに筆染めにけりといふ。医者たる者、落語などにうつつを抜かしてよきか。これ異なる方面における「医療崩壊」にこそあらめ。
もつとも彼、若き頃より大の落語好きにて、高校生の折、落語台本の募集に応じ、佳作に入選せしことありといふ。こたびの品も、そのきゃりあを存分に活かしてさすがの感あり。管理人、これを我が楽しみに留め置くにしのびず、ここにお許しを得て再び転載に及ぶ。読者、よろしく鑑賞せられたし。


ウイルスの黄昏

                            賽子亭薮八(さいころていやぶはち)

 昔からこの、「四百四病」ってぇことを申しまして、病いの数はずいぶん多うでございます。四百四病は順に数えて、六病目が肋膜炎、十病目が糖尿病、十二病目が十二指腸潰瘍、百病目が百日咳、いや、これはあてにはなりませんが・・・。四百四という数は仏教から出たとうかがいましたが、医学からはいかがでございましょうか。
 実は去年、あたし、ちと身体の具合を悪くして病院へ行きました。そこで「先生、昔から四百四病といいますが、ほんとに病気は四百四つなんですか? 一体、誰が勘定したんで?」とお尋ねしてみました。すると先生、「わたしも数えたことはないが、四百四つというのはちがうな。四百三つだ」「一つ少ないんで?」「ああ、今は四百三病だ。もう天然痘が絶滅したから」。
 ところが先だってまた病院に行きましたら、先生、「君、この前、四百三病と言ったが、失敬した、やっぱり四百四病だ」「それはまた?」「新型コロナが出てきた」
 というわけで、コロナのお噺を一席―

隠居:おやおや、誰かと思えば珍しい。コロナの八五郎、コロ八さんじゃないか。いつこちらにおいでなすったんだえ。
コロ八:インフルのご隠居さん、ご無沙汰しておりやした。実はひょんなことから江戸へ来ちまったもんで、ご隠居さんにご挨拶に・・・
隠居:そうかえ。よくおいでなすった。まあ、お入りよ。ちょうど一杯始めたとこでな。さあさあコロ八さんも・・・。
コロ八:滅相もない。あっしらウイルスにはアルコールは御法度で。
隠居:なんの、80度も90度もありゃ御免被るが、こいつはたった12%じゃ。
コロ八:そうはいってもアルコールはアルコール、お体に触りゃしませんかい、ご隠居さん。
隠居:お前さん、いつのまに人間みたく健康至上主義者におなりだえ。わしら病源体が健康を気にしちゃ罰があたる。酒は百毒の長といってな、旨いんじゃ(キュッと呑む)。
コロ八:(ゴクリと喉を鳴らし)実を言えばさっきからあっしも・・・
隠居:そうじゃろう。さあ、遠慮なくお上がり(酌をする)。
コロ八:こいつは江戸の酒じゃありやせんね。色も赤くって。
隠居:毛唐の酒でワインちゅうのじゃよ。近頃はグローバルな世になって異国から色んな品が安く渡ってくる。
コロ八:野球が流行ってんですかい。
隠居:そいつはグローブ。わしがいうのはグローバリズム。
コロ八:なんですかい、ご隠居さん、そのグローバなんとかかんとかってえのは?
隠居:ふむ、つまり、その、何だな、その、世界中にグローがバリバリすることじゃ。
コロ八:さっぱりわかりやせん。
隠居:さよう、わけがわからんのがグローバリズムだ。だが、そのおかげで海の向こうの珍しい酒が飲める。
コロ八:するとこいつはメリケンかどっかの酒で?
隠居:いいや、スパニッシュワイン。スペインの産じゃよ。
コロ八:スペイン。なぜか懐かしい響きが・・・
隠居:そりゃそうじゃ。若いお前さんはよく知るまいが、わしらの大先輩がその呼び名でもって世界中に名を売ったものでなあ。おお、そういえば、お前さんたちこそ、いま世界を暴れ回っとるじゃないか。グローバルに大騒ぎになっとるな。
コロ八:暴れ回っているなんて・・・。ご隠居さん、そいつは「人間の見方」ってぇもんで、あっしらからすればどえらい災難なのはこっちでして。だちのコロ熊なんぞ「もう死にてえ!」って泣いてやすよ。
隠居:生物でもねえウイルスが死ぬかい。
コロ八:「不活性化してえ!」なんて。
隠居:そりゃ穏やかじゃない。不活性化して花実が咲くものか。そういや、コロ八さんもなんだか浮かぬ顔だな。どうしたんだい、まあ、話してごらん。
コロ八:酒が旨くなるような話じゃありやせんが、聴いておくんなさい。あっしは生まれも育ちも支那の武漢の山奥で・・・。それがなんで江戸弁だ? なんて混ぜっ返さないで下せいよ、ご隠居さん、これ落語なんすから。
隠居:混ぜっ返しゃしないよ。そもそもウイルスが喋って酒飲んでんだから。それにしても武漢奥地のお前さんがなんでまた江戸に?
コロ八:武漢の山奥のコウモリさんの体内があっしらの住みかで、あの頃はよかったなあ。コウモリさんはあっしらを追い出さず、あっしらもコウモリさんに迷惑かけず、穏やかな暮らしがそれは長く長く続いてやした。
隠居:それをなんでまた、わざわざ江戸になんぞにおいでなすったね?
コロ八:好きで来たとお思いで? とんでもありやせん。あっしらの身に、そのグロバなんちゃらのわけのわかんねえことが起きたみてぇでしてね。ご隠居さん、わしらを取り調べる奉行所が武漢にあるのをご存じで? コウモリさんの体内でのんびり昼寝しているところをいきなり取っ捕まって、奉行所にしょっ引かれましてね。
隠居:それは奉行所ではないな。ウイルス研究所だ。
コロ八:あっしには同じこって。窮屈なガラスん中に押し込められ、これはたまらんと逃げ出したんで。あっしは何も悪いことしてませんぜ。コウモリさんとは仲よくやってた。まして会ったこともねえ人間に悪さした覚えなんざありやせん。不当逮捕でさあ。
隠居:悪事で捕まえるが奉行所、興味で捕まえるのが研究所さね。それにしても、よく逃げて来られたもんだな。ま、支那の研究所は成果第一で安全管理は二の次という噂はわしも耳にしていたが、そのお陰でお前さん逃げ出せたのかもな。
コロ八:お陰さんで逃げ出しはしたが、どこにもコウモリがいないのに参ぇりやしたよ。あっしらは生きた体に潜り込まねえとすぐ死んで・・・もとい、不活性化しちまいますからね。
隠居:そこがわしらウイルスの宿命だな。生き物の細胞に寄生しないかぎり存在も増殖もできねえ。
コロ八:よしてくださいよ、ご隠居さん。あっしら、寄生虫ですかい、蛔虫みてえに。あんなナマッ白い、ノッペラボウの、くねくねした奴と一緒にされたんじゃ、あっしらウイルスの沽券にかかわりまさあ。
隠居:ウイルスは生き物じゃねえから寄生体。寄っかかって生きると書いて「寄生」だが、なあに、何にも寄っかからずに生きてけるものなんてこの世にいない。人間を見てみな、あんなに大勢寄り集まってるのは互えに寄生しあっているからさ。ま、相身互いを共生、お世話になりっ放しを寄生と呼び分けたりしとるがな。
コロ八:なるほど、わかりやした。そのご隠居さんの仰る「寄生体」の身として、やむなく手近にいた人間の体に入り込むほかなかったわけで・・・。それが運の尽きの始まりとなりやした。
隠居:とりあえず助かってよかったじゃないか。活性あっての物種さ
コロ八:そこが大違えで! そいつときたひにゃ、武漢の山に登ってくれればよかったのにあろうことかクルーズ船の船旅で辿り着いた先がヨコハマ、そこからあっしらの黄昏で。
隠居:コロ八さんはまだ若いじゃねえか、たそがれるにゃ、ちと早かないかい。
コロ八:たそがれもしますよ。ご隠居さんの前ですがね、人間ほど住みづらい生き物はありませんぜ。ご隠居さんもご苦労なすったんじゃ?
隠居:そりゃあ、苦労した。わしらのインフルエンザで日本人は去年も一昨年もそれぞれ一冬に3000人ずつ以上死んじまったものなあ。
コロ八:3000人ずつ! いま世間はあっしらに大騒ぎですけど、死んだ人間はまだ800人そこそこでしょ。その数でこの騒ぎですから、そのときはさぞかし途轍もない大騒動だったでしょう。しかも二年続きで。
隠居:それがそうでもなくてな。いまみてえな騒ぎにはならなんだ。不思議と言や不思議だが、まあ、人間のことはわしらにはよう分からんて。人間は騒がなくても、わしらのほうは大変じゃったなあ。わしらウイルスが一番困るのは寄生してた生き物が死んじまうことだからな。住みかを失い、ひいては活性もなくしちまう。ワクチンやらタミフルとかいうわしらには迷惑千万な薬までありながら、それでいて人間ら、あんなに死んじまうとはなぁ。今も信じられん。おかげで数え切れないほどのインフル仲間が、逝って、逝ってしまった。もう帰らない。わしこそ人生黄昏、いやウイルス生の黄昏を感じてなあ。実は、コロ八さん、わしが隠居したのはそれもあってのことさ。もう増殖するのも虚しくてなぁ・・・
コロ八:諸行無常ってことですかい・・・(二人、しんみり酒を汲む)
隠居:ところでコロ八さん、免疫ってご存じかな?
コロ八:知らなくってさ。生き物の体に入ると必ず出てくるあの岡っ引きでしょ。いや、あっしの黄昏のもとは、その岡っ引きでしてね。
隠居:そんなこったろうと思ったよ。まあ、話してごらん。
コロ八:てなわけで、あっしはやむなく人間の体内に逃げ込んだわけでさ。するとメンエキの岡っ引きがでてきて、そいつが横柄で居丈高な野郎でね。十手を振り回して言いやがんの、『やいやい、ここをどこと心得る。人間さまの体内だぞ。テメエらウイルス風情が来るところではない。とっとと出ていきやがれ!』とね。こちとらも江戸っ子、いや、武漢っ子だ。来たくて来たわけでもねえのにそんな口利かれては引き下がれねえ。引き下がれねえが、そこはぐっと呑み込んで、『これはこれはメンエキの親分さん。お控えなすって。手前、生国は支那、支那と言っても広うござんす、支那は武漢、武漢はコウモリの在に発しまするコロナの八五郎と申すしがねえ若輩者にござんす。よんどころない難儀の旅の道すがら、御当家の軒を一夜なりとお貸し下さるよう、よろしうお頼み申しあげまする』と頭を下げやした。
隠居:そんな言い回し、お前さんよく知ってたねえ。で、どうなった?
コロ八:東映任侠映画で覚えましたんで。ところがメンエキの岡っ引き野郎、仁義もわきまえねえ野郎で、『つべこべ抜かすな、このウイルス野郎! テメエ新参者だな。いつぞやはインフルのAとかBとか抜かす野郎がのこのこやってきたが、叩っ挫いてやった。テメエも同じ目に遭いたいか!』とね。
隠居:ふむふむ
コロ八:腹も立ったが、正直、それより面食らいやした。コウモリさんとこにもメンエキの岡っ引きはおりやしたよ。あっしらの取り締まりもしましたが、それはお役目だから仕方ありませんや。でも、コウモリのメンエキの親分は粋でしたね、『おや、コロ八さんじゃねえか、まだおいでなすったのかい?』『へい、申し訳ありやせん、親分さん。もうしばらくおいておくんなさいまし』『ふむ。コウモリの旦那は気のいいお方だ。うるさいことは仰らねえだろ。ま、野暮な説教になるが、悪さだけはしてくれるなよ。旦那に迷惑がかかったら、おいらの顔が立たねえ』『それはもう重々。居候に嫌な顔一つなさらない、店賃よこせとも仰らない、そんな心の広い旦那にご迷惑をかけるなんてとんでもねえこって』『それさえ聞けば安心だ。いつか非番のとき、一杯どうでえ、コロ八さん』ってね。そりゃ人情の、いやコロナ情の、いやメンエキ情の厚いおかたで、テレビで『銭形平次』観るたびに思い出すんで・・・・とうとう一杯やらないままの別れになったのが心残り(涙ぐむ)。それにしても、ご隠居さん、同じ岡っ引きでコウモリと人間とでは何でこうも違うんですかい。
隠居:それはな、コロ八さん。コウモリとお前さんらは人里離れた山奥でお前さんの代だけじゃねえ、祖父さん、曾祖父さん・・・遠い昔からの長ーいつきあい。気心知れた間柄になっとるんじゃ。そうなれば互いの落としどころ、折り合いどころができてくるんだ。
コロ八:成程。確かにメンエキの親分はあっしらを叩き出そうとしなかったし、あっしらのほうも無闇に増殖してこうもりの旦那を困らせたりしなかったすね。でもメンエキの親分と談合してそんな手打ちをした覚えはありやせんぜ。いつか知らん間にそうなってたんで・・・。
隠居:それが自然の摂理じゃよ。メンエキの親分もよし、お前さんがたウイルスもよし、コウモリの旦那もよしで「三方一両得」というわけじゃ。
コロ八:なんですか、その三方なんたらって?
隠居:お前さん、江戸に来たんなら寄席に行かなくっちゃだめだよ。落語ほど面白くてためになるものはない。この噺、いまは亡き志ん朝がよかったなあ。
コロ八:人間とも、その三方なんたらで丸く収まるわけにゃいかねえんですかい? そうなりゃ助かるのに。 
隠居:丸く収まるはずなんだがね。でも、お前さん、人間に会ったのは初めてなんだろう。
コロ八:武漢の山奥まで来る物好きはいなかったすからねえ。奉行所だか研究所だかで出会ったのが初めてでさ。
隠居:ということは、人間もお前さんがたに出会ったのは初めてってことさ。まだ付き合いの浅いお前さんには分かるまいが、人間てぇのは変な生き物でな。知らないものを、やたら警戒したり怖がったりする癖(へき)がある。頼まれもしないのにお前さんがたを山奥から勝手に引っ張り出しておいて、そのお前さんがたを勝手に怖がるんだな。「正体知れない謎のウイルス」って。さっき一冬に3000人も死にながら格段の騒ぎにはならんかったと言ったろう。あれはな、たぶん、人間はわしら「インフルエンザウイルス」を既に知っておった、少なくとも知っとるつもりでおったせいかもしれん。知ったつもりのもんなら平気なのさ。わしらのせいで申し訳ないが、ほれ、グローバルにゃ、毎年30万から60万人が亡くなっておる。じゃが誰も顔こわばらせて「ロックダウンを!」と怯えたりしねえ。ところが未知のお前さんらは、やたらに怖い。怖がるのは勝手だが、恐がりが裏返って居丈高、攻撃的になるのが人間で、はた迷惑な話さね。「新型コロナとの戦争だ!」とか口走っとるじゃろ。
コロ八:あの岡っ引き野郎みたいじゃないですか。でも、あいつは人間じゃねえですよね。
隠居:それがな、そいつみてえに人間の中にずっと住んどると人間が染(うつ)っちまうんだ。人間の癖が染る。お前さんも人間の中にいるんだからお気をおつけ。人間が染るよ。
コロ八:そいつばかりは御免被りてえ。ウイルスに人間が染っちゃ洒落にならない。隠居さん、一体あっしはどうすりゃいいんで?
隠居:感染予防だな。ついちゃあ、ちゃんと御触書が出ていらあ。よく手を洗え。石鹸で30秒以上は洗わなくちゃいけねえ。不要不急の外出、とりわけ夜の外出は自粛。三密は避けよ。国境、町境を越えちゃなんねい。ステイホーム。ソーシャル・ディスタンス。パチンコには行くまいぞ。そして、何と言ってもマスクだな。
コロ八:マスク? そんなもんどこにあります。
隠居:お上が下々にマスクを配っとるそうな。お上のなさるこった、下々にいきわたるのは巷に溢れてもう要らなくなった頃に決まっとるから、だぶついた「オカミマスク」がお前さんがたにも回ってこようさ。小さくて使えんと世間じゃ評判悪いが、お前さんがたに小さ過ぎってこたぁあるまい。
コロ八:じゃ、あっしもマスクで人間感染の予防に努めやす。それに世間じゃマスクなしで街を歩くと白い目で見られるってじゃないですか。それにしてもご隠居さん、あの岡っ引き野郎、どうにかなりやせんか。顔を見れば『テメエ、まだいやがったか! 図々しいウイルス野郎め、いつまで居座る気でえ。叩っ殺してやるぞ!』と真っ赤な顔で怒鳴ってきやがる。こっちも頭にきて『うるせえ、メンエキ野郎。殺せるもんなら殺してみやがれ』と大喧嘩さ。その毎日で、ほとほと参っているんで。
隠居:お前さんも若いねえ。軽くいなすってことができないのかえ。その岡っ引き、口はデカイが腕っ節はそれほどじゃないとわしは見たな。
コロ八:ちげえねえ。ご隠居さん、どうしてそれがおわかりで?
隠居:うむ、奴さんにとってお前さんがたコロナは初めてだ。だから、お前さんらへの免疫力が獲得されてないんだな。うむ、平たくいえば、まだお前さんらを叩き出せる腕っ節がついてないのさ。なので、ほれ、人間によくある「弱い犬ほどよく吠える」ってやつだな。
コロ八:強くもねえくせして十手を笠に着やがって。こちとら居たくて居るわけじゃねえや。人間なんかにだれが住みてえ。出て行きてえのはこっちでえ。なのに居座りを決め込んでいるみたいに言い立てやがるんで、カッとなっちまうわけで。
隠居:あんまりカッカせんよう気をつけなよ、コロ八さん。人間に迷惑だ。
コロ八:「このウイルス野郎!」「このメンエキ野郎!」って体内であっしらが熱くなれば、それが人間を発熱させちまうからですね。そりゃわかっとりやすし、なんのかんの言っても一宿の恩義を忘れるあっしじゃありやせん。人間の旦那の迷惑にならんよう静かにしていてえ。静かにしていてえが、なにせあの岡っ引き野郎、始終しつこく絡んできやがるので、そういかねえわけでさ。そうこうするうちに旦那は熱が続いて弱ってきちまって、とうとう入院。呼吸困難で人工呼吸器、このままじゃ亡くならないとも限らねえ。そうなればあっしだって・・・。ね、黄昏でしょう。
隠居:そいつはいけないねえ。なんだな、お前さんたちのその程度の喧嘩で、そこまで弱りなさるとは、その人間、お年寄りだね。
コロ八:さようで。いいお歳の爺さんでして。
隠居:いいかえ。年寄りと病い持ちは避けなきゃいけないよ。簡単に弱って亡くなっちまいかねないからな。一冬3000人のインフル死者も大部分はご老人だったんだ。高齢者の体の中に居さえしなかったら、わしのインフル仲間もあんなに逝かずに済んだものを・・・悔やんでも悔やみきれねえ。よいね、年寄りに住んじゃいけねえ。住むんなら若い元気な人間におし。これが教訓じゃよ。
コロ八;選べるもんでしたらねえ・・・。そりゃ、あっしだって若いぴちぴちの別嬪さんのほうがいいに決まってら。『ああら、コロナの兄さん、いついらしたの?』『姐さん、ちょっとばかし居らせておくんなさい。いや、お邪魔なら・・』『まあ、お邪魔だなんて、水臭いこと言いっこなしよ。ゆっくりしてらして、あたしが帰さないわよ』なんてね、「お熱」な関係に。けどね、ご隠居さん、落語のあっしらはこの通り酒酌み交わしてますが、リアルなウイルスとなれば、手もなければ足もねえ翼もねえ。何にたどりつくかは風まかせ波まかせ。はかないさすらいの身で。高齢化社会となりゃ、まわりはご老人だらけ、どうしたってお年寄りにぶつかりまさあ。これは、あっしらにゃどうしようもない。そうじゃありやせんか、ご隠居さん。
隠居:理屈はそうだがの。わしの心の中では、あのとき逝ってしまった何十億、何百億という仲間へのいたみが消えぬのじゃよ。ウイルスはコピーで増殖するからみんな我が身同然なんじゃ。もし住んだ先がお年寄りでさえなかったら、という悔いを、わしはどうしようもない・・・
コロ八:あっしらコロナで死ぬ人間も8割がたは70歳過ぎですからねえ・・・(しばし考えて)うーん、3000人も死んだ、800人も死んだっていっても、高齢化社会、人間がやたら長生きして70歳以上がざらの世の中になったせいと考えちゃいけませんか? あっしらのせいばっかしじゃねえ、と・・・。人生五十年の時代だったら死ぬ人間は僅かで、ご隠居さんもあっしらもこれほど悪名を馳せずに済んだかもしれやせん。今は、すっかり「凶状もち」にされちまっとりやすがね。
隠居:時代が悪かったかのう・・・。
コロ八:時代もいやだし、江戸もいやでしょうがありやせん。
隠居:まあ、好きで来なすったわけじゃないからなあ。でも、住めば都ってわけにゃいかないかえ。そんなに江戸の水はあわねえのかい?
コロ八:あわねえ! 江戸は空がありやせん。
隠居:どっかで聞いたせりふだな。
コロ八:ああ、武漢に帰りてぇ、こうもりさんのところへ。昼間、こうもりは深い山の大樹や洞穴の奥にぶら下がって眠っとりやす。それが夕暮れになると目を覚まし、茜に染まる黄昏の空を一斉に舞い始める。同じ黄昏でも、この黄昏は素晴らしい。こうもりは、武漢の天空をどこまでも高く高く飛翔したり、すーっとなめらかに滑空したり、乗ってるあっしも胸がすきやす。眼下には大きな湖が黄金に輝き、森の木々は炎のようで。そして地平線に沈む夕陽! ご隠居さんにもお見せしたい。あんなにでかい、あんなに真っ赤な、あんなに燃える、あんなに透きとおった、あんなに綺麗な夕陽はどこにもありやせん。ああ、もう一度でいい、武漢の夕陽が見てえ。見てえなあ(泣く)。
隠居:泣かなくっていい。ま、もう一杯おやり。大丈夫、お前さん、いつか必ず武漢に帰れるよ。
コロ八:ほ、ほんとですか。帰れやすか。
隠居:帰れるとも。お前さんはウイルスだ。きっと帰省(寄生)できる。




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コロナ騒ぎで頭の病が悪化したインテリ愚民(その2)

2020年05月13日 23時31分25秒 | 経済



少しタイミングのずれたお話になります。
しかしこの話は、じつは歴史的なタイムスパンを見込む話なのです。

前回は、いわゆる「学者」を相手にしました(まだ愚民学者は山ほどいて、とてもすべては扱いきれません)。
今回は少し方向を変えて、一律10万円給付の話があった時に、国会議員、地方議員、公務員は受け取るなと真っ先に言い放った橋下徹氏をまず問題にしましょう。

https://www.excite.co.jp/news/article/Real_Live_200019157/
《橋下氏は4月21日更新のツイッターで、「給料がびた一文減らない国会議員、地方議員、公務員は受け取り禁止!となぜルール化しないのか」と疑問を呈し、「それでも受け取ったら詐欺にあたる、懲戒処分になると宣言すればいいだけなのに」と罰則規定の制定にも言及した。》

橋下氏はそれだけでなく、自分は9人家族だから、90万円ももらってしまうので受け取れないとも表明しました(その後物議をかもして受け取ることにしたそうですが)。
安倍首相もこれに影響されたか、「私は受け取らない」と表明、この「自粛」ムードが次々に地方自治体にも波及しました。
たとえば山梨県の長崎幸太郎知事は給料を1円にすると言い、続いて愛媛県の中村時広知事が全額返上を表明したほか、北海道の鈴木直道知事、福岡県の小川洋知事らも減額の意向を示しました。
https://www.mag2.com/p/news/449885

また、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた国の10万円の一律給付に合わせ、石川県志賀町は、町民1人につき2万円を上乗せする独自の給付制度を設け、町職員の給与を減額するなどして財源とする方針を固めました。減額は6月から来年3月までの10カ月間で、小泉勝町長は毎月2割、一般職員約260人と副町長、教育長が毎月1割カットだそうです。
https://www.asahi.com/articles/ASN4S6GBHN4SPISC018.html?fbclid=IwAR09H03RU9MohT8pphJO2bXgkEcSCqcoDaEti3OtcBwmgkxSf3GHCJ_yIHo

最後の例は、苦しい町財政の限界内での苦肉の策として、一概に非難できない部分を含んでいますが、いずれにしても、以上挙げた主張や措置は、すべて根本的に誤っています
言うまでもなく、火付け役である橋下氏が最も罪が深い

橋下氏のこの提案の根底には、次の2つの思惑が横たわっています。

①国会議員半減、公務員減らしという、維新の会発足当時からの政策綱領の延長上にあり、いわゆる「身を切る改革」を国民に示すことによって、政治家の「良心」のありどころを見せつける。
②高給取りや安定した給与所得者、富裕層に対する一般国民のルサンチマンを利用して、心情的な共感を誘い、危機に乗じて自分の人気を高める。

これが全体主義者・橋下氏の常套手段であることは火を見るよりも明らかです。

それに橋下氏は、マクロ経済のイロハがまったく分かっていないのです。
国会議員だろうと公務員だろうと、給付されたお金は市場で有効に使われることによって、そのぶんだけ国民経済を潤します。
消費増税によるデフレの深刻化に、コロナ自粛要請による民間企業の倒産、廃業、失業者の大量発生の危機が重なって、経済恐慌のさなかにある今日、給付金や給料は誰がもらおうと、どんどん市場で消費されるべきなのです。
橋下氏などに脅迫されて、国会議員や首長たちがもらうことにそんなに良心が咎めるなら、困っている身近な人に差し出して、これで生活の足しにしてくれと言えばいい。
政治家は、高給をもらっていることに後ろめたさなど感じる必要はありません。
それは本末転倒で、「これだけの高給をもらっているのだから、それに値するだけの立派な仕事をしなくてはならない」と考えるべきなのです。
私たち国民も、ルサンチマンなど抱かず、その政治家が立派な仕事をしているかどうかを常に監視すればよい。

橋下氏がマクロ経済に無知なのは、4月11日に放映されたTBSのニュースキャスターでの発言を聞いてもわかります。
彼はそのとき、「こういう緊急事態なんだから政府もこの際覚悟を決めて、大いに支出したらいい」と発言したのです。
大規模な財政出動をすべきなのは、覚悟の問題ではありません。
国債発行によって財政出動する金額には、インフレ率以外に制約がありません
コロナ自粛による恐慌に突入している今こそ、この事実を活用すべきなのです。

この事実をわかっていないのは、何も橋下氏ばかりではありません。
上に挙げた自治体の知事もわかっていないことになります。
もちろん政治家のほとんども、国民の大多数も、多くの学者・エコノミストも、政府の拠出するお金の財源には限度があると、いまだに信じています。
財務省が長年にわたって振りまいてきた「国の借金による財政破綻」なるデマに騙され続けているのです。

ところで、昨年MMT(現代貨幣理論)の論客たちが来日して財出にはインフレ率以外制約がないという事実を広め、またそれ以前から、少数ではあれこの事実を説いてきた日本の論客たちがいたにもかかわらず、ほとんどの人たちがこの事実に対して聞く耳を持とうとしないのはなぜでしょうか。
筆者は、財務省の詐欺だけがその理由ではないと考えています。
「詐欺に遭うのは騙される方も悪い」とはよく言われる世間知の一つです。
この巨大な詐欺が長年にわたって一国の中で堂々と通用してきたのには、国民の中に、それを受け入れる集団心理的な下地があるからです。

その集団心理的な下地とは何でしょうか。
それは、江戸時代にまでさかのぼって形成された、「倹約はよいことだ」という道徳観念であり、「身を切る」(切腹!)という言葉に象徴されるような、潔癖と誠実の美学です。
この道徳観念と美学とは、何百年もかけて根付いてきた日本人の抜きがたい国民性となっています。

いまでは周知のことですが、江戸時代に断行された財政改革(正徳の治、享保の改革、寛政の改革、天保の改革)は、すべて国民に厳しい倹約を強いるものでしたが、結果はことごとく失敗しています。
マクロ経済のからくりがよくわかっていなかった江戸時代に倹約の奨励をするのは、まだ許せるところがあります。
しかし主流派経済学の誤りが明らかとなり、MMTに代表されるようなケインズ正統派(あえてこう言いましょう)の考えが見直されつつある今日でも、日本はいまだにこの道徳観念と美学とに精神を骨の髄までやられているのです。
国民の自殺行為と言う以外に形容のしようがありません。
ちなみに、このたびのコロナ禍による経済危機に直面した主要諸国は、どこでもこれまでの慎重路線からの大きな転換を図っています。
ユーロ加盟国に緊縮を強いてきたEU、ど緊縮国家ドイツ、そしてアフターコロナの失業問題を考慮して大胆な雇用計画を構想しているアメリカ……。
必然的に襲ってくる恐慌に備えるためには、これは国家として当たり前の措置です。
日本だけが倹約道徳と潔癖の美学に拘束されて、この転換を図れないでいるのです。

この国民性あるがゆえに、財務省の詐欺、財政破綻の危機煽動がまかり通っているのだということを、私たち国民がはっきり自覚しなくてはなりません。
この詐欺は、コロナが終息すれば、間違いなく復活します(今でも喧伝しているバカ学者がいるくらいですから)。
今でこそけち臭い給付金だの助成金だのと、政府はしぶしぶ財政出動に踏み切ろうとしていますが、それはコロナという未曽有の事態に、緊縮財政の限界内でただ場当たり的に対応しているだけです。
しかも、コロナで使った金をさらなる消費増税復興税(東日本大震災の時と全く同じ!)などによって取り戻そうという考えが、確実に浮上しているのです。
バカマスコミも、この動きにすぐにでも同調するでしょう。
あたかも20年以上続いたデフレと、それに追い打ちをかけた昨年10月の増税によって、GDPが▲7.1%という恐るべき落ち込みを見せたことなど、知らぬが仏のごとくです。
政府のこの無知そのもののポスト・コロナ戦略にハマってはなりません。

三橋貴明氏が常々指摘しているように、作られた「財政破綻の危機」説は、40年前の大平内閣の時から始まっています。
そこには国民を苦しめてやろうという悪意がはたらいてきたのではありません。
ただ、愚鈍な官僚とそれを信じる政治家やマスコミが、江戸時代以来の「財政危機克服の手段」として正しいと信じてきただけなのです。
それを真に受けながら、多くの国民が自民党政権を支持してきました。
こうした愚かな政府とそれを押し頂く愚かな国民の善意の積み重なりが、今日及びこれからの日本の悲運を準備してきたわけです。
やる気もなくなった政府と、貧困や倒産や廃業や失業で疲弊しつくした日本国民。
上級公務員への嫉妬とルサンチマンがうっ積した膨大な日本国民。
ナショナリズムの崩壊による民主主義政体の解体。
その先に何があるでしょうか。
橋下氏的な全体主義の跋扈(ばっこ)と、隣国のじわじわと迫る帝国主義的な侵略と、グローバル投資家の金融支配。
すべてが同時に襲ってくる局面を私たちは前にしているのです。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」


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