小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

太宰治の短編5つ(その2)

2021年01月15日 16時48分00秒 | 文学


【男女同権】(昭和21年12月発表、太宰37歳
さて戦後です。
この作品は、ある老詩人が、売れなくなって都落ちし、故郷の弟の家に居候しているが、その土地の文化組織から声がかかり、講演をした記録という体裁。
自分は子どもの時から母親を含め、出会った女性にことごとくいじめられてきた。そのさまを縷々語った後、最後に、このたび民主主義の世の中となり、「男女同権」が認められたことはまことに慶賀すべき事であり、これからは言論の自由が保障されるので、女性の悪口を堂々と言うことで余生を過ごそうと思うと結びます。
この作品は戦争直後の浮ついたイデオロギーを徹底的に茶化すと同時に、また、個人どうしの関係では、女性が男よりも常に強いという生活的事実を誇張して表現しています。太宰の真骨頂が出ていると言ってもよいでしょう。
また、彼の一貫した女性観がよく滲み出てもいます。それは、前作『新郎』『十二月八日』にも表れていましたが、女性は日常的現実にとことん根を下ろした存在であり(『皮膚と心』はその典型例です)、男性はそれに支えられて観念の世界に遊ぶことができているという把握です。彼は谷崎のように、女性をそれゆえに崇拝していたのではありませんが、よく女性という存在の本質をとらえていました。このことが男性にとって謎を秘めた女性という存在の内面にうまく入り込めた条件の一つでもあるでしょう。彼自身が多分に女性的な意識・感性の持ち主であったとも言えます。

女権拡張運動の延長としてのフェミニズムは、女性を「男性の支配を受けてきた被害者・弱者」というカテゴリーで一括し、男性の社会的権力に対抗してきました。しかし彼女たちの思想の決定的な欠陥は、意識的にか感性が鈍いせいか、けっしてプライベートな関係における両性のやり取りの構造を見ようとしないことです。エロスの関係では、暴力を用いるのでない限り、諾否の権利はいつも女性が握っています(男が金を支払って女の体を抱かせてもらう売春がその最もよい例)。普通の女性はそのことを必ずわきまえています。一般的な政治的社会的権力関係において、女性がいかに弱者と見えようと、彼女たちは自分たちの「勝利」=「性的アイデンティティ」に自信を持っています。福沢諭吉もその事実を『通俗国権論』の冒頭ですでに指摘しています。
さて最近では、多くの女性たちが「弱者」のレッテルを逆用して、この「隠れていた権力」をあらわに表出するようになりました。何でもセクハラ、痴漢冤罪など。これらはポリコレとして過剰に表通りをまかり通っています。結果、男性たちはますますお行儀がよくなり、女性に対して委縮するようになりました。老詩人の「男女同権」への期待は裏切られたと言えましょう。
何はともあれ、この作品は、硬直した「社会正義」の建前に、搦め手から痛快な一撃をくらわしたもので、思わず吹き出してしまわない読者はまずおりますまい。

【トカトントン】(昭和22年1月発表。太宰37歳)
終戦の詔勅を聞いた時、悲壮な気持ちで死ぬべきだと思ったとたん、どこからか釘を打つ「トカトントン」という音が聞こえ、たちまちその悲壮感が消えて白けてしまった主人公の青年。それから後は、何かに夢中になりかけるたびに「トカトントン」が聞こえて、たちまち情熱が冷めてしまうようになります。この頃では、日常の些細な試みにもこの幻聴が聞こえるようになり、どうにかならないものかと悩んでいます。
こういう人生相談の手紙を受け取った作家は、次のような返事を書きます。

《拝復。気取つた苦悩ですね。僕はあまり同情してはゐないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けてゐるやうですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ伝十章、二十八、「身を殺して霊魂(たましひ)をころし得ぬ者どもを懼(おそ)るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者をおそれよ。」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいやうです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不盡。》

有名な作品ですが、なかなか難解でもあります。この作品の読解のポイントを私なりにいくつか挙げてみましょう。
①一億玉砕も辞さずとまで思いつめた多くの庶民の思いが、一日にしてすかされてしまったその何とも言えない虚脱感が始めに置かれていて、いったいあれは何だったのかというその気分が「トカトントン」という長閑な響きによって象徴されています。これは、死を賭してまで情熱を傾けたことが無意味だったと知らされた時の気持ちをじつによく表しています。この気分が戦後社会の出発点に確実にあったことを太宰は見事に見抜いて表現しました。坂口安吾の『堕落論』『続堕落論』と合わせて読むと、面白い議論ができそうです。

②その後社会、特にジャーナリズムで喧伝されたさまざまな営いやスローガンがすべて空々しい虚妄としか思えないという感慨を、終戦直後の太宰自身は抱いていました。民主国家、文化国家、アメリカに見習え、新生日本・・・・・。

③主人公が情熱を傾けかけた時に「トカトントン」が聞こえる場面は、次の六つ。終戦の詔勅による死の決意、小説の執筆、勤労の神聖さ、恋愛、労働者のデモ行進、マラソン大会。しかし、すべてが外からの影響によって触発された事柄であって、自分から進んで選んだ意思決定ではないことに注意。小説の場合も、もともと太宰らしき作家の作品に長く親しんでいたというきっかけがありました。
唯一の例外は恋愛の場合で、これは勤めている郵便局の窓口にやってきた旅館の女中さんを自然に好きになります。実はこの場合だけは、「トカトントン」という釘打ちの音は、浜辺に二人して座っている時に、幻聴ではなく本当に聞こえてきたとあります。向こうが誘ってくれたのですが、実際には彼女が青年に好意を持っていたわけではなく、自分が定期的に大金を預けに来ることを青年が知っているので、そのことで変な誤解を受けては困ると思って、その秘密を明かして青年の口を封じるために誘ったのでした。
つまり、リアルなかたちで青年の幻想は打ち砕かれたのです。あることがらに情熱を傾けようと思ったときにおのずから白けがやってきて「トカトントン」が聞こえたというのではなく、自分の思い込みが、相手から実際にふられることで勘違いだったことを知らされたのでした。だからこそ、この場合の「トカトントン」は幻聴でなかったのでしょう。

④そこで、「作家」の返事の意味を考えてみます。ちなみに、これがなければこの作品は、戦後社会の上層に漂う虚妄の空気への気の利いたアイロニーだけで終わっていたかもしれません。
近年物故したある文芸批評家は、文学作品に対して奇抜な比喩を仲立ちにしながら社会的解釈を施すことを得意としていた人でしたが、彼がこの作品に触れて、最後の作家の返事は不必要だと唱えたことがあります。なぜ彼がそう言ったのかを私なりに想像してみると、いつもの方法論に従って、文学作品を社会的解釈のほうにことさら引っ張りたかったからなのでしょう。しかし私はそこだけに限定する読み方は不十分だと思います。この結末は不可欠なのです。
この作家の言葉は、青年が何一つ、自分から本気で(命をかけて)取り組んではいないことに関係しています。太宰は(ペンネームからして、堕罪をもじったと言われています)、自分を世間に顔向けのできない恥じ多き人生を送ってきたと常に考えていました。しかし同時に、自分が経てきた苦悩だけは本物だという自恃の念を抱いてもいました。
つまりは、この作品は、戦後の軽佻浮薄な世相の一部に現れた神経症的な傾向の形を借りて、ひそかに自分の魂に救われる余地があるかどうかを問いかけた作品なのだと解釈できます。「トカトントン」に悩まされる青年は、当然、太宰自身の一面でもあるわけです。自分の苦悩など、もしかしたらまだ救済に値しないものなのかもしれない。そう太宰は自問自答しているのです。
ちなみにここにも、他人のあり方の内面に、こっそり自分を忍び込ませる彼の文学的手法が躍如としています。傑作と言っていいと思います。


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太宰治の短編5つ(その1)

2021年01月12日 18時22分39秒 | 文学


由紀草一氏と私が共同主宰している「思想塾・日曜会」の一環として、「文学カフェ・浮雲」というのが運営されています(運営責任者・兵頭新児氏)。1月10日にこの会が開かれ、私・小浜が太宰治の短編をテキストに、レポーターを務めました。扱った作品は、『春の盗賊』『新郎』『十二月八日』『男女同権』『トカトントン』の5作です。その時提出したレポートを訂正・加筆したものを、以下、2回に分けてこのブログに掲載します。久々に文学がテーマです。
「思想塾・日曜会」のHPへのリンクは、このサイトの下部にURLが貼ってありますので、そちらをどうぞ。


【はじめに】
太宰作品は、中学校教科書で「走れメロス」がよく取り上げられます。これは友情を守ることの尊さを主題にした作品だという教育的効果を狙っているのでしょう。しかしこの作品は、太宰作品の中ではあまり上出来とは言い難いし、また太宰らしくないテーマでもあると、私は思っています。
高校から大学くらいになると、文学好きが個人的に太宰作品に触れるようになり、『人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』(いずれも戦後作品)などの「代表作」にいかれる、いわゆる「太宰ファン」が大量発生します。自分自身の中にある弱さをそこに投影でき、そうした自分を代弁してくれているような気がするからでしょう。
しかし文学作品として見た場合、これらは太宰自身の直接的な自己投影の度が強すぎ、それは同時に彼の「本領発揮」の力が弱ってきたことを意味します(ただし『斜陽』は長編としてはかなり成功していますし、私も好きです)。これらの作品だけを読んで、その「弱さの自己肯定」臭に嫌気がさし、逆に太宰嫌いになってしまう人も多いように思います。しかしこれでは太宰文学の優れた点をきちんと評価したことになりません。
私自身が初めて太宰作品に触れた時、上記のいわゆる「代表作」を読んで、なぜこれがそんなにいいのかわかりませんでした。ところが数年後、彼の全作品を通読する機会があり、「これがわからなかったとは」と、かつての自分の未熟さを恥じた覚えがあります。この数年の間に私は大学紛争での挫折や母が精神を病んだ経験をもっています。それらの経験が私を多少大人にしてくれたように思います。

太宰作品には太宰自身と思しき主人公が一人称で頻出しますが、太宰は私小説作家ではありません。このことを押さえることが太宰文学の理解にとってまず何よりも重要です。
また彼の文学的教養はたいへんなものですが、けっして「教養主義」ではなく、むしろ自分が身につけた教養を恥じていました。
さらに彼が極度にデリケートで傷つきやすい性格の持ち主で、自意識過剰であったことは確かですが、彼のいくつかの成功作では、その過敏さを逆用して、他人の中に巧妙に入り込み、他人の意識に非常にうまく取りついてしまう(憑依してしまう)方法が用いられています。自意識とはすなわち対他意識です。
例:「皮膚と心」「女学生」「駈込み訴へ」「カチカチ山」「盲人独笑」など。
この特性と、彼の作の多くがパロディ(パクリ)であることとは深く連続しています。ちなみにパクリという言葉にはネガティブなニュアンスを込めていません。そっくりの盗作でない限り、パロディやパクリの名人であることが、いかに特異な才能を要するものであるかは、一度本気で言語表現に取り組んでみた人ならすぐ納得するはずです。そもそも個人表現の独自性、独立性という事実に価値を置き過ぎるのは近代以降の傾向で、先人の思想や文学に依拠していない作品などありえないのです。言葉は共同体の共有財産です。いかにかつて語られた言葉を生き生きと賦活させるかが大事なのです。
また彼の文体の特徴は、落語のように物語を語っていくところにあります。一見思いついたままを放胆に語っているように見えて、そこには、実際の落語がそうであるように、意識的な計算に基づいて言葉を選んでいる痕跡がうかがえます。
物書きの楽屋などいちいち詮索しない読者は、これらのトリックのために、その軽妙で平易な語り口に思わず乗せられ、魅せられてしまうのです。

【春の盗賊】昭和15年1月発表 太宰30歳
この作品は、結婚後1年を経ずして書かれています。
主題であるはずの「どろぼう」が実際に登場するまでに全ページの3分の2ほどを、「私」が実際の太宰ではないことについてのしつこい言い訳、不眠に悩まされる自分の述懐、来し方の反省、文学への執着、その他の与太話に費やし、どろぼうを自分から招き入れて対話してからも、ひとりごとのように妄言を繰り広げ、余計なことを言って引き出しからなけなしの20円という大金をあっさり持っていかれてしまいます。奥さんが隣室でその様子を始めからうかがっており、最後に慰められ、たしなめられて、しかし心の底では、この現実的で健全な日常生活に甘んじてしまうことに満足できないことを吐露して終わります。
この作品は、青年時代の乱脈から立ち直った太宰が、かつての奔放な、しかし自己をさいなむ生活状態から、賢い妻を得て安定した作家生活に移っていく途上で書かれています。「炉辺の幸福、どうして私にはそれができないのだろう」とは、後の彼の述懐ですが、彼は戦後に至るまでのこの期間は、それができていたことがわかります。
どろぼうの登場以前とどろぼうがリアルな行動をしている間に繰り広げられる「私」の絢爛とも評すべき妄想・連想・饒舌の展開は、語り師としての太宰の才能の凄さを感じさせてあまりあります。
また、「私」が太宰自身でないことのしつこい言及は、作家個人としてはかつて受けた誤解を避けるという動機があったのかもしれませんが、この言及には、日本の自然主義文学が読者に対して進んで招き寄せたこの大いなる誤解(悪弊)への克服の意志が込められていると思います。「私」はここでは二重にからみあった存在として描かれていて、自己韜晦と自己執着の表裏になった構造が見られます。これが太宰の表現意識の原型と言ってもよいでしょう。「私」という語そのものがフィクションとして設定されていますが、同時にそのフィクション仕立てそのものを意識的に種明かしする――この方法のうちに、人はいかにも太宰的表現の典型を見出すでしょう。メタ「私」、メタメタ「私」と呼んでもいいかもしれません。

ところで、肝心の「どろぼう」は、華奢な女として設定されています。そこで私は、これは奥さんのデフォルメだろうと解釈します。もちろん最後に実際の奥さんが登場するのですが、太宰は巧妙に奥さんの分身をどろぼうに託して表現しました。
では彼女が盗んでいったものは何か。生活費の20円であることはもちろんですが、「私」が稼いだ金を生活のために使うのは奥さんです。太宰は、その事実を落語的なヒューモアによって表現してみせたのです。
太宰は奥さんを作中に登場させるときに、けっして彼女を悪く言うことがありません(岩野泡鳴などとそこが違うところ)。女房に頭が上がらないのと女性に優しい彼自身の性格がそうさせたのでしょう。この作品でも、奥さんをひそかに恨んでいたなどという気配はみじんも感じられません。だからこそ、女泥棒という、実際にはあり得ない着想で結婚生活が強いて来る現実の厳しさを表現したのだと思います。
じつはもう一つ「私」が盗まれたものがあります。それは、この作品のメインテーマに関わるもので、自ら恃んできた芸術家としてのプライドです。このプライドの過剰な部分の放棄は、本当は生活破綻を極限まで突き詰めてしまった太宰が、自ら屈して現実生活を受け入れたところから生まれたのですから、「盗まれた」とは言えないかもしれません。しかし最後の「私」のセリフには、実生活を選んだことで、もう帰らないロマン的心情への未練が響いています。
一編の主題を簡単に言えば、芸術と平凡な生活とのどちらにも徹することのできない一人の男の悩み、というところでしょうか。
途中にこういうくだりがあります。
《あたりまへの、世間の戒律を、叡智に拠って厳守し、さうして、そのときこそは、見てゐろ、殺人小説でも、それから、もつと恐ろしい小説を、論文を、思ふがままに書きまくる。痛快だ。鴎外は、かしこいな。ちゃんとそいつを、知らぬふりして実行してゐた。私は、あの半分でもよい。やってみたい。》
そしてこの芸術と現実生活との引き裂かれは、この先も続く太宰文学にとっての本質的な主題の一つでした。しかしそれは、結婚生活での落ち着き(美知子夫人のもたらした功績が大きい)と、戦争に突入していく日本の非常時という状況の中で、直接露出することなくうまく隠されて、その結果かえって多くの佳品を生み出しました。戦後その自己カムフラージュが崩れてしまうのですが。
つまり『春の盗賊』は、青年の嵐の時期から中年の安定期への過渡を表す重要な作品なのです。趣向を凝らした面白い作品であるだけでなく、太宰文学を批評するうえで外せない作だと思うのですが、今までこれについてきちんと取り上げた例を私は寡聞にして知りません。

【新郎、十二月八日】(昭和16年12月執筆。太宰32歳)
①『新郎』(十二月八日脱稿)には、日米戦争開始の日を迎えた男の生真面目な気持ちが素直に描かれています。これはこ
れで当時の一般男性庶民の偽らざる気持ちの表現になっていて、身の引き締まる思いが感じられます。
ところが、訪ねて来る大学生や手紙をよこす国民学校の訓導や遠方に住む叔母に厳しく対応していながら、それをわざ
わざ「俺はこんなに真面目に殊勝になっているんだぞ」と書くところに、太宰ならではの自己相対化の芸が感じられるの
です。
また、最後の馭者との対話と、紋服を着て銀座八丁を練り歩きたいなどの願望の表現のうちに、自分の肩ひじ張った殊勝
ぶりに対する自己戯画化が施されています。そこに、本気で言っているとは思えないユーモラスな偽装(仮装)が感じら
れます。
『春の盗賊』に見られた二重化された「私」、いつも生身の「私」を超越する「私」の視点を作者はけっして離しません。
自分の来し方のダメさ、一般人として生きることの出来ないコンプレックスがにじみ出ていて、そういう自省と羞恥の上
にしか成り立たない作品でしょう。

しかし、これだけだったら、彼のいつものやり口であり、さして特徴的とは言えないかもしれません。ところが太宰は、わずか二週間弱ほど後に、『十二月八日』(十二月二十日ごろ脱稿)を書きます。今度は奥さん(美知子夫人)の立場に立って、厳粛な心掛けを吐露している夫の気持ちにそのまま寄り添うのではなく、普段の夫の姿をよく知っている人にしか書けないようなスタンスから、その滑稽なさまを描き出しています。
これによって前作の自己戯画化、自己相対化の視線はさらに明瞭になります。説教師よろしく似合わぬ裃を着てはみたものの、西太平洋がどこかも知らず、原稿を届けてしまえば殊勝な心構えもすぐに崩れて、出先で酔っ払って帰ってきて放言するいつもの癖をさらけ出します。その姿態を、奥さんは見逃しません。どうせまた今夜も帰りは遅いだろうということまで見越しているのですね。
ですがその見逃さない奥さんの視点を描くのは太宰自身であるという事実に注目しましよう。
この作品と前作とをセットにして読むことで、男と女とが、この日をどのように迎えたかが、よくできた夫婦漫才のように見えてくる仕掛けになっています。
もちろんこの女主人公も、この特別な日をある種の感動でもって迎えていることは確かなのですが、女のまなざしは、裃を着ようと息張っている男のそれとはまったく異なり、普段とほとんど変わらない暮らしの細部を掬い取り、赤子を抱えて一日を過ごす苦労をさりげなく綴っています。

以上で、太宰は大東亜戦争開戦に対して本気で興奮していないことがわかります。自分が引き締まった気持ちを抱いたことにウソはないのでしょうが、むしろそれを、語り手をチェンジさせることによってすぐに「語り」の素材にしてしまう醒めた目こそが、文学者としての太宰の本領なのです。優れた語り師はこのように、自分自身とその周りとに絶えず気を張り巡らせています。この「語り」の位相は、世界を大真面目に硬直した眼で眺める「男」のある種のタイプを顔色なからしめます。
太宰は、島崎藤村のように「お面!」と大上段に構えて打ち込む作家を嫌っていました。優れた「語り」には、「やんちゃの虫」「ユーモアとパロディの精神」「自分を突き放す二重の目」がぜひ必要なのです。
ちなみにある若手の保守系政治学者が、雑誌論文で大東亜戦争期を論じていました。それはそれでまっとうな政治論文でしたが、その中で太宰の『新郎』を取り上げ、太宰治は愛国者だったと評していました。これはいただけません。冒頭に述べたように、『新郎』は『十二月八日』とセットで読むことで、初めて太宰文学らしさが浮き彫りになるのです。この学者は、申し訳ないけれど、文学の読み方がわかっていないと申せましょう。


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「集団免疫獲得説」噺

2020年09月15日 00時03分25秒 | 文学


【ブログ管理人前口上】みなさま、本日は小浜席亭へようこそお出で下さいました。新型コロナウイルス感染予防のため、座席はソーシャルディスタンスを確保し、一席ずつ空きを取っております。また会場内では、必ずマスクをご着用ください。大きな声での会話はお慎みください。掛け声はご遠慮願います。笑いたくなっても極力我慢していただき、どうしても我慢できない時は、できるだけ声を低めてお笑いくださるようお願い申し上げます。また、お帰りの際には、順にご退席いただくようご案内いたしますので、ご着席のままお待ちください。みなさまにはいろいろとご迷惑をおかけいたしますが、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。それでは、最後までどうぞごゆっくりお楽しみください。
          
                         賽子亭薮八(さいころていやぶはち)

 落語には「地噺」と呼ばれるジャンルがあり、八つぁん熊さんのやりとりではなく、噺家独り語りの与太話で、形は漫談と同じだけれども、おそらく枕の発展型ではないかと思われる。四代目鈴々舎馬風の得意芸で、遠い昔、ラジオで聴いた。風刺の効いた際どい毒舌に人気があり、子どもの私に風刺がピンときたかどうかは怪しいが、けっこう楽しみに聴いて、その口舌は少し覚えている。

 藪八:
てなわけで四代目馬風師匠の前座として、賽子亭の与太話にしばしのおつきあいのほどを。
 小浜席亭のブログで上久保靖彦先生の集団免疫獲得説が話題になっとりやすね。あたくしも感染症やウイルス学は畑違いでズブの素人。さりながら、ヤブの薮八とはいえ、エッヘン、それがしも医者の端くれ。端くれもうんと端っこの端くれとは申せ、素人にちょっぴり毛が生えておりやす。ま、オバQの頭のテッペンくらいの毛で、威張れる代物じゃありやせんが・・・。そいつを頼りにコロナの一席。
上久保先生の出発点は「ウイルスの干渉(競合)」で、これは「インフルエンザに罹ったと思ったら風邪まで引いちまったぜ、ハックション!」てことが、なぜか起きねえ。その説明をするもんです。インフルが重いんで風邪は紛れちまうてぇわけじゃなくて、一つの細胞組織に二種以上のウイルスは住めねぇのがウイルス界の掟。国で言や「領土問題」。ヤーさんで言えば「縄張り問題」。複数種のウイルスが同じ細胞組織に侵入すると競い合いになって、勝ったウイルスだけがその組織で増殖できる。だからインフルと風邪とを同時に患う心配は無用。これが「ウイルスの干渉」。
さて上久保先生は、冬にぐっと増え春にぐっと減るパターンを毎年繰り返すンフルエンザが、今年に限って、例年ならピークの1月に逆に急減した事実に目をつけたんすね。これは不思議、一体、何があった? 
あたくしの灰色の脳細胞は、この急減を一目見て、インフルエンザに対する「ロックダウン」が秘密裏に行われたに違いねえと睨みやしたね。秘密の三密。何せ、インフルは怖い。日本だけでも2017年に2566人、18年に3329人、19年には3412人も死んでおりやす。新型コロナはワクチンも治療薬もないからヤバイと皆さん口を揃えますが、インフルはワクチンや治療薬があってこの数字。ヤバかありやせんか。インフルも重症化すればICUのお世話になりやすし、病状次第ではECMOも使うに違えありやせん。コロナに周章てて首相が「学校ぜんぶ休みにせい!」とお達しする以前から、インフルでの学級閉鎖や学校閉鎖が繰り返されておりやした。
ただねぇ、こいつについちゃ、やれ有名人の某がインフルに罹った、やれ今日は何人インフルで死んだ、本日のインフル感染者数とか、いちいちご親切に報じてくれるメディアがなかったんで、日本中「知らぬが仏」だっただけのこってすね。このあんまりの差別にインフルウイルスは「不公平だ! 偏向報道だ! 新顔のコロナばっかりに目を掛けやがって!」と怒っとりやすよ。
てなわけで、3年続きのインフル流行にも、年々増えるインフル死者数にも無関心なマスコミや世間に、「このままじゃヤバイ!」「もう当てにせんわい!」と、誰が号令するでもなく黙って三密回避を始める日本人が出てきて、それがインフル急減させたに違えねえ。え? 「そんな話きいたことない、そんなことした覚えない」とおっしゃるんで? ふむ、そこがそれ「黙って秘かに」なされた証しでさ。メディアやネットで騒ぐばかしが日本人じゃありやせん。不言実行。男は黙ってサッポロビール。奥ゆかしいなあ。
ところが上久保先生のお説は、こうなんすね。日本には昨年末から1月にかけて中国からすでに初期の新型コロナが渡ってきて、それがインフルとの間で「ウイルスの干渉」を起こした。インフル急減が起きたのはそのせい、と。ふーむ。わが「秘密裏のロックダウン説」は、なんせ「秘密裏」ですから証拠が無え。エビデンスがないのがエビデンスじゃあね・・・。インフルフル急減の説明としちゃ、ウイルス干渉説のほうが何やら科学的ですなぁ。
しかし、御説鵜呑みも癪なんで、ちょいと屁理屈をこねやす。「ウイルスの干渉」たあ、要は椅子取りゲーム、侵入口となる細胞レセプターの奪い合いで、問題は何が勝敗を決めるかすね。早いもん勝ちだったり、大量動員したもん勝ちだったり、ウイルスによってレセプター侵入力に優劣があったり、勝利の方程式は複雑なんでしょうな。インフルがわが世の春とばかりに、いや、わが世の冬とばかりにのさばっていた日本国に初期新型コロナが襲来、驕るインフルに待ったをかけたちゅうのが、上久保先生の干渉説。でも、インフルは急減したもののすぐ新型コロナの流行が始まったわけじゃない。勝利の方程式は複雑で、コロナ圧勝とはいかずインフルの足を引っ張るのが精一杯だったのか、双方譲らず相打ち共倒れになったのか。
なぜ、すぐコロナ流行が起きなかったか。ここが上久保説のミソで、干渉を起こした初期新型コロナは、感染力に比して病原力は弱かったからだ、と。現在の新型コロナも感染者の8割は無発病か軽症ですから、これは十分考えられやす。だから、感染しても発病しなかったり「おや、風邪かな」で済んだりで、誰もコロナ襲来には気付かなんだ。気付かねば、「ロックダウン」だ「三密」だ「マスク」だの言い出す者もいやせんね。渡航制限もなし。こうなりゃ、遠慮なく感染は拡がりますよねぇ。「病気」として表面化しないだけで、水面下で「感染」がどんどん拡がる。免疫は感染によって得られるんで、この見えねえ新型コロナの感染拡大に合わせて、このコロナに免疫を獲得する者も知らぬ間に急増。これが上久保説ですな。人工的に無害な感染を起こして免疫をつけるのがワクチンなら、こいつはいわば天然自然のワクチン接種。
ところが武漢で流行ったのは、上久保先生によればその変異型(g型)の新型コロナだった。こっちは病原性が高く、当初の隠蔽もわざわいして、武漢にパンデミックをもたらし、このウイルスが欧米に渡って多数の死者を生みだし、グローバルなコロナパニックに火をつけた。ところが、その欧米に比べ、日本の死者数は現時点では去年のインフル死者にも遠く及ばないほど少ない。初期型コロナの水面下の流行によって多数がすでに免疫を獲得しており、それが変異型の新型コロナにも有効だったからだと先生は仰いやす。
社会内でその伝染病に免疫をもつ人口比が一定以上になれば、感染がネズミ算的に拡がることはなくなり、パンデミックの心配は消える。これが「集団免疫」で、日本はこの域に達しとるちゅうのが、先生の主張すね。ラッキー、ああ、よかった! それに対して、欧米は早々と渡航制限、ロックダウンを徹底したのが裏目になって、初期コロナによる「天然自然のワクチン」接種を経ることなく、いきなり変異型のウイルスを迎え撃つ羽目に。アンラッキー!
以上が、頭のテッペンの毛が三本でキャッチした上久保説の骨子でして。先生は初期コロナをs型とk型に分けてもうちょい話をややこしくしとりますが、これはインフルの流行曲線に落ち込みが二か所あるためでしょうな。このようにマスとしての病気の動きを数理的・統計的に解析するってぇのは、疫学研究でよく使われる手。ただ、s型、k型、g型の検証となりゃ、各時期のウイルスの物質構造の緻密な解明が必要で、その道の技術をもつ専門家を待つほかありやせんなあ。理論物理と実験物理みてぇな関係。
あたくしが上久保説にいちゃもんつけるとすれば、日本人に免疫をもたらした初期の新型コロナが中国生まれで中国からの渡来なら、中国でもその水面下の大流行が起きて大勢に免疫が獲得されていたはずではないかという疑問でしょうなあ。このへん釈然といたしやせん。
ついでに言やあ、集団免疫ができたとは、感染爆発やパンデミックの心配がなくなったってぇことで、個々の人がコロナになる心配が消えたってぇこっちゃありやせん。免疫をまだ得てない人口の何割かは感染のチャンスも発病のリスクも幾らでもありやす。「集団免疫があるから」マスクもソーシャルディスタンスも不要っていう先生のご託宣は、大きな誤解を招きやすね。同じ理由で「感染者がまだ毎日でてるじゃねぇか」てぇのも、集団免疫獲得説への反論・反証になりやせん。
さて、毛が生えた程度の医学談義、お粗末な前座噺はこの辺で。お後はいよいよ真打ち、馬風師匠のご登場を。

                 *

馬風:
おう、よく来たな。このコロナ渦中で。よっぽど感染が怖くねぇ命知らずめ。自粛で仕事なくなっちまって、どうせ行くとこねえんだろ。ま、カップ片手にソファにくつろいでステイホームしとる優雅なお方は、寄席なんぞに来なさらねえよな。『デカメロン』も黒死病蔓延の巷を逃げて別荘にステイホーム、艶笑譚に興じていられる特権的な方々のお話よ。ステイホームなんて横文字の居場所なんぞ、わしらにはねえんだ。ハチミツだかサンミツだか知らねえが、このとおり寄席もがらがらだ。来てくれてありがとう。
ステイホームと言やあ、そんなもんいらんっていう、あの上久保先生のナントカ説。理屈が難し過ぎらあ。カミクボ先生、もうちょいカミクでえて説明してくだせえよ。ま、理屈なんかどうでもいいんだ。あの御説がけっこう受けてるのは、自粛やら三密禁止やらソーシャルディスタンスやらに、あたしらみんな、内心、イヤになっちゃってるせいじゃありやせんかい。ああ、やんなっちゃった。ああああ、驚いたって。やってられっか、こんなこと! おっと(見まわして)・・・でえじょうぶ、でえじょうぶ、ほとんど誰もいねえな。こんならネットで叩かれる心配はあるめえ。客がいなくて喜んでどうする。ま、こんなふうに気を遣わにゃなんねえ空気が情けねえ・・・。さあ、ここなら気兼ねはいらねえ、お客さんも大声でどうぞ。パチンコいきてえ! 飲み屋にどっと繰り込みてえ! 行楽に行きてえ! どうせいくなら賑やかなとこ行きてえ! 歌舞伎町のどこが悪い! 寄席は大入りじゃなきゃ寄席じゃねえ!
国民の生命が優先か、国の経済が優先かみてぇな大上段の議論は、あたしにゃどうでもいいんで。パチンコいったり飲みにいったりのふつうの暮らし、ふつうの楽しみがなくって、何が生命、何が経済でぇ。マスクして高座あがって何が落語でぇ。
いやあ、こいつは、この「非常時」にあたしのワガママ、自己チュウですかねえ・・・。どーもすいません。三平だね。反省。いやいや、そうたぁ言い切れねえ。あたしらの心の底には、ロックダウンだの自粛だのステイホームだの、ホンマに役に立つんかい?って疑惑がヒソカに頭もたげちゃいやせんか。上久保先生の話は、小難しい理屈はともかく、その疑惑の琴線に触れてくるんじゃありやせんか。だって、あんだけ泡食って国民あげて自粛しあって、「やったぜ、頑張ったぜ」「日本モデル」とか自画自賛したのは一瞬のマボロシ。緊急事態宣言解除したらみるみる感染拡大。元の木阿弥。一体あたしらは何を頑張ってきたんだ? あの自粛、なんだった? と疑わねぇほうがおかしいや。
ど素人の頭で考えても、おかしいだろ。自粛してみんな引きこもっておりゃ、そのうちにコロナウイルス、「日本人ちとも出てこないあるね。来た甲斐ないあるね。国に帰るあるね」と中国に引っ返してくれるんかい? 感染先に窮してウイルス野郎みんなホームレスになって、そのまま野垂れ死んでくれるんかい? ホームレスになりそうなのは、こちとらだ。解除早すぎたとか、また緊急事態宣言せよとか、自粛守らん奴には罰則をとか言うんなら、何年何月何日まで自粛続ければウイルスどもが消えちまうのか、そいつを責任もって言ってくれ。
いくら自粛したって消えちまわねぇだろな、きっと。上久保先生の話からあたしの頭でも分かるのは、メンエキってもんが出来ねえかぎり、感染は起きるってこった。だが、感染しねえかぎり、メンエキってもんは出来ねえ、と。ややこしいこったなあ。あたしゃ、酒がなきゃあ働く気になれねえが、働かなきゃあ酒が買えねえ。や、これは違うか。自粛しとれば、確かに感染はしねぇが、代わりにメンエキもできねぇ。だから自粛やめたとたん、またぞろ感染が増えるのは当たり前の話じゃねえか。第二波もへったくれもあるかい。
感染の増加ってぇのは、メンエキの増加で、長い目で見りゃだんだんコロナ発病減ってくってこっちゃありやせんか、めでてぇ、めでてぇ。え? 感染して死ぬ者もいるんだ、「めでてえ」なんてもってのほかって。どーもすいません。また三平だね。人の命は何より大事、感染なんて万が一にもあっちゃなんねえ。それもご尤もなご意見だが、去年インフル感染で大層な数の高齢者が亡くなっても、そのときゃ誰もそんなこと言わんかった。そこが、わけ分からねえ。
あたしみてぇなよいよい爺さんはいいやね。どっちみち長ぇことねえからな。若えもんが可哀想だ。若くて元気だから感染しても滅多にゃ発病しねえ、しても大概軽く済む。遊びてぇ盛りだ、もっと遊ばせればいいじゃねえか。働き盛りだ、もっと仕事させればいいじゃねえか。ところが、若えもんが外に出りゃコロナ拾って帰ってきて、本人は発病しねえとしても、そのコロナが高齢者に感染する。だから、若者よ、高齢者を護るため外に出るな、とのたまう。いつから日本は敬老精神溢れるお国になったんだ。だったらあたしの老齢年金、もうちっとは上げてくれ。
誰がのたまっているかと思やあ、中高年のエライさんじゃねえか。元気な若者への焼き餅か、巻き添えで手前がコロナに罹るのがイヤなんだ。ロックダウン、自粛、ステイホーム。どれをとっても、それをしたってとうぶん困らねぇ金のある年寄りの生き延び策に違えねえ。たんと長生きするがいいさ。金のねえ若者こそ災難だ。明日の釜の蓋は開くのかい?
商売もおんなじだ。このぼろい寄席小屋はもうもたねぇよ。今宵が最後か。ひい、ふう、みい・・・お客さんは四ったりだ。来てくれてありがとうよ。寄席の向かいの蕎麦屋。爺さん婆さんふたりで細々やってる旨い店だが、たたむってよ。あのふたり、これからどうやって食ってくんだ。敬老精神よろしくな。個人のちっぽけな、でも味のある店や仕事がどんどん潰れていく。いやさ、潰されていく。このコロナ騒ぎで世界中そうなってくんだろうなあ。ロックダウンや自粛にも生き残り、焼け太るのは、エゲツねえグローバルな大資本ばっかりだ。いずれ、コロナ不況からV字回復するにはこれしかねぇとか言って、そいつらをどんどん受け入れてくことになるだろうよ。何もかも巻き上げられちまわあ。この寄席も蕎麦屋の跡地も、この懐かしい街界隈、ひとまとめに買い叩かれて、ローラーで押し潰されて、そこにおっ建つのは中国資本やラスベガス資本のド派手なカジノか。やったあたしに言わせりゃ、博打、賭け事なんざ隠れてやってこそ味わいがあらぁ、どっかの検事長さんもそうだったじゃねぇか。情けねえ。落語がこんな愚痴になっちゃおしめえだ、お後がよろしいようで。いや、もう後はねえかも・・・友よ、サラバ。


黄昏のコロナ

2020年05月27日 13時09分55秒 | 文学


《ブログ管理人能書き》今を去ること60余日、長年親しく交はりたる友の精神科医に、拙著『まだMMTを知らない貧困大国日本』送りしところ、コロナにつきてのすこぶる優れたる見解を付してお礼状を寄せ来たり。このお礼状、当人のお許しを得て本ブログに転載せり。以下のURLにて読むことあたふ。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/1cc9430f7a4e8e6da76d7ae49b379a36

これより数度にわたり彼と我との間でメールを取り交はしたり。さるところ、こたび彼より落語ものせりとて、我に送りき。聞けば、コロナ感染を恐れし人多くして、彼の医院もほとんど電話診療にて、診察室は閑古鳥鳴きたるとぞ。ゆえに徒然なるままに筆染めにけりといふ。医者たる者、落語などにうつつを抜かしてよきか。これ異なる方面における「医療崩壊」にこそあらめ。
もつとも彼、若き頃より大の落語好きにて、高校生の折、落語台本の募集に応じ、佳作に入選せしことありといふ。こたびの品も、そのきゃりあを存分に活かしてさすがの感あり。管理人、これを我が楽しみに留め置くにしのびず、ここにお許しを得て再び転載に及ぶ。読者、よろしく鑑賞せられたし。


ウイルスの黄昏

                            賽子亭薮八(さいころていやぶはち)

 昔からこの、「四百四病」ってぇことを申しまして、病いの数はずいぶん多うでございます。四百四病は順に数えて、六病目が肋膜炎、十病目が糖尿病、十二病目が十二指腸潰瘍、百病目が百日咳、いや、これはあてにはなりませんが・・・。四百四という数は仏教から出たとうかがいましたが、医学からはいかがでございましょうか。
 実は去年、あたし、ちと身体の具合を悪くして病院へ行きました。そこで「先生、昔から四百四病といいますが、ほんとに病気は四百四つなんですか? 一体、誰が勘定したんで?」とお尋ねしてみました。すると先生、「わたしも数えたことはないが、四百四つというのはちがうな。四百三つだ」「一つ少ないんで?」「ああ、今は四百三病だ。もう天然痘が絶滅したから」。
 ところが先だってまた病院に行きましたら、先生、「君、この前、四百三病と言ったが、失敬した、やっぱり四百四病だ」「それはまた?」「新型コロナが出てきた」
 というわけで、コロナのお噺を一席―

隠居:おやおや、誰かと思えば珍しい。コロナの八五郎、コロ八さんじゃないか。いつこちらにおいでなすったんだえ。
コロ八:インフルのご隠居さん、ご無沙汰しておりやした。実はひょんなことから江戸へ来ちまったもんで、ご隠居さんにご挨拶に・・・
隠居:そうかえ。よくおいでなすった。まあ、お入りよ。ちょうど一杯始めたとこでな。さあさあコロ八さんも・・・。
コロ八:滅相もない。あっしらウイルスにはアルコールは御法度で。
隠居:なんの、80度も90度もありゃ御免被るが、こいつはたった12%じゃ。
コロ八:そうはいってもアルコールはアルコール、お体に触りゃしませんかい、ご隠居さん。
隠居:お前さん、いつのまに人間みたく健康至上主義者におなりだえ。わしら病源体が健康を気にしちゃ罰があたる。酒は百毒の長といってな、旨いんじゃ(キュッと呑む)。
コロ八:(ゴクリと喉を鳴らし)実を言えばさっきからあっしも・・・
隠居:そうじゃろう。さあ、遠慮なくお上がり(酌をする)。
コロ八:こいつは江戸の酒じゃありやせんね。色も赤くって。
隠居:毛唐の酒でワインちゅうのじゃよ。近頃はグローバルな世になって異国から色んな品が安く渡ってくる。
コロ八:野球が流行ってんですかい。
隠居:そいつはグローブ。わしがいうのはグローバリズム。
コロ八:なんですかい、ご隠居さん、そのグローバなんとかかんとかってえのは?
隠居:ふむ、つまり、その、何だな、その、世界中にグローがバリバリすることじゃ。
コロ八:さっぱりわかりやせん。
隠居:さよう、わけがわからんのがグローバリズムだ。だが、そのおかげで海の向こうの珍しい酒が飲める。
コロ八:するとこいつはメリケンかどっかの酒で?
隠居:いいや、スパニッシュワイン。スペインの産じゃよ。
コロ八:スペイン。なぜか懐かしい響きが・・・
隠居:そりゃそうじゃ。若いお前さんはよく知るまいが、わしらの大先輩がその呼び名でもって世界中に名を売ったものでなあ。おお、そういえば、お前さんたちこそ、いま世界を暴れ回っとるじゃないか。グローバルに大騒ぎになっとるな。
コロ八:暴れ回っているなんて・・・。ご隠居さん、そいつは「人間の見方」ってぇもんで、あっしらからすればどえらい災難なのはこっちでして。だちのコロ熊なんぞ「もう死にてえ!」って泣いてやすよ。
隠居:生物でもねえウイルスが死ぬかい。
コロ八:「不活性化してえ!」なんて。
隠居:そりゃ穏やかじゃない。不活性化して花実が咲くものか。そういや、コロ八さんもなんだか浮かぬ顔だな。どうしたんだい、まあ、話してごらん。
コロ八:酒が旨くなるような話じゃありやせんが、聴いておくんなさい。あっしは生まれも育ちも支那の武漢の山奥で・・・。それがなんで江戸弁だ? なんて混ぜっ返さないで下せいよ、ご隠居さん、これ落語なんすから。
隠居:混ぜっ返しゃしないよ。そもそもウイルスが喋って酒飲んでんだから。それにしても武漢奥地のお前さんがなんでまた江戸に?
コロ八:武漢の山奥のコウモリさんの体内があっしらの住みかで、あの頃はよかったなあ。コウモリさんはあっしらを追い出さず、あっしらもコウモリさんに迷惑かけず、穏やかな暮らしがそれは長く長く続いてやした。
隠居:それをなんでまた、わざわざ江戸になんぞにおいでなすったね?
コロ八:好きで来たとお思いで? とんでもありやせん。あっしらの身に、そのグロバなんちゃらのわけのわかんねえことが起きたみてぇでしてね。ご隠居さん、わしらを取り調べる奉行所が武漢にあるのをご存じで? コウモリさんの体内でのんびり昼寝しているところをいきなり取っ捕まって、奉行所にしょっ引かれましてね。
隠居:それは奉行所ではないな。ウイルス研究所だ。
コロ八:あっしには同じこって。窮屈なガラスん中に押し込められ、これはたまらんと逃げ出したんで。あっしは何も悪いことしてませんぜ。コウモリさんとは仲よくやってた。まして会ったこともねえ人間に悪さした覚えなんざありやせん。不当逮捕でさあ。
隠居:悪事で捕まえるが奉行所、興味で捕まえるのが研究所さね。それにしても、よく逃げて来られたもんだな。ま、支那の研究所は成果第一で安全管理は二の次という噂はわしも耳にしていたが、そのお陰でお前さん逃げ出せたのかもな。
コロ八:お陰さんで逃げ出しはしたが、どこにもコウモリがいないのに参ぇりやしたよ。あっしらは生きた体に潜り込まねえとすぐ死んで・・・もとい、不活性化しちまいますからね。
隠居:そこがわしらウイルスの宿命だな。生き物の細胞に寄生しないかぎり存在も増殖もできねえ。
コロ八:よしてくださいよ、ご隠居さん。あっしら、寄生虫ですかい、蛔虫みてえに。あんなナマッ白い、ノッペラボウの、くねくねした奴と一緒にされたんじゃ、あっしらウイルスの沽券にかかわりまさあ。
隠居:ウイルスは生き物じゃねえから寄生体。寄っかかって生きると書いて「寄生」だが、なあに、何にも寄っかからずに生きてけるものなんてこの世にいない。人間を見てみな、あんなに大勢寄り集まってるのは互えに寄生しあっているからさ。ま、相身互いを共生、お世話になりっ放しを寄生と呼び分けたりしとるがな。
コロ八:なるほど、わかりやした。そのご隠居さんの仰る「寄生体」の身として、やむなく手近にいた人間の体に入り込むほかなかったわけで・・・。それが運の尽きの始まりとなりやした。
隠居:とりあえず助かってよかったじゃないか。活性あっての物種さ
コロ八:そこが大違えで! そいつときたひにゃ、武漢の山に登ってくれればよかったのにあろうことかクルーズ船の船旅で辿り着いた先がヨコハマ、そこからあっしらの黄昏で。
隠居:コロ八さんはまだ若いじゃねえか、たそがれるにゃ、ちと早かないかい。
コロ八:たそがれもしますよ。ご隠居さんの前ですがね、人間ほど住みづらい生き物はありませんぜ。ご隠居さんもご苦労なすったんじゃ?
隠居:そりゃあ、苦労した。わしらのインフルエンザで日本人は去年も一昨年もそれぞれ一冬に3000人ずつ以上死んじまったものなあ。
コロ八:3000人ずつ! いま世間はあっしらに大騒ぎですけど、死んだ人間はまだ800人そこそこでしょ。その数でこの騒ぎですから、そのときはさぞかし途轍もない大騒動だったでしょう。しかも二年続きで。
隠居:それがそうでもなくてな。いまみてえな騒ぎにはならなんだ。不思議と言や不思議だが、まあ、人間のことはわしらにはよう分からんて。人間は騒がなくても、わしらのほうは大変じゃったなあ。わしらウイルスが一番困るのは寄生してた生き物が死んじまうことだからな。住みかを失い、ひいては活性もなくしちまう。ワクチンやらタミフルとかいうわしらには迷惑千万な薬までありながら、それでいて人間ら、あんなに死んじまうとはなぁ。今も信じられん。おかげで数え切れないほどのインフル仲間が、逝って、逝ってしまった。もう帰らない。わしこそ人生黄昏、いやウイルス生の黄昏を感じてなあ。実は、コロ八さん、わしが隠居したのはそれもあってのことさ。もう増殖するのも虚しくてなぁ・・・
コロ八:諸行無常ってことですかい・・・(二人、しんみり酒を汲む)
隠居:ところでコロ八さん、免疫ってご存じかな?
コロ八:知らなくってさ。生き物の体に入ると必ず出てくるあの岡っ引きでしょ。いや、あっしの黄昏のもとは、その岡っ引きでしてね。
隠居:そんなこったろうと思ったよ。まあ、話してごらん。
コロ八:てなわけで、あっしはやむなく人間の体内に逃げ込んだわけでさ。するとメンエキの岡っ引きがでてきて、そいつが横柄で居丈高な野郎でね。十手を振り回して言いやがんの、『やいやい、ここをどこと心得る。人間さまの体内だぞ。テメエらウイルス風情が来るところではない。とっとと出ていきやがれ!』とね。こちとらも江戸っ子、いや、武漢っ子だ。来たくて来たわけでもねえのにそんな口利かれては引き下がれねえ。引き下がれねえが、そこはぐっと呑み込んで、『これはこれはメンエキの親分さん。お控えなすって。手前、生国は支那、支那と言っても広うござんす、支那は武漢、武漢はコウモリの在に発しまするコロナの八五郎と申すしがねえ若輩者にござんす。よんどころない難儀の旅の道すがら、御当家の軒を一夜なりとお貸し下さるよう、よろしうお頼み申しあげまする』と頭を下げやした。
隠居:そんな言い回し、お前さんよく知ってたねえ。で、どうなった?
コロ八:東映任侠映画で覚えましたんで。ところがメンエキの岡っ引き野郎、仁義もわきまえねえ野郎で、『つべこべ抜かすな、このウイルス野郎! テメエ新参者だな。いつぞやはインフルのAとかBとか抜かす野郎がのこのこやってきたが、叩っ挫いてやった。テメエも同じ目に遭いたいか!』とね。
隠居:ふむふむ
コロ八:腹も立ったが、正直、それより面食らいやした。コウモリさんとこにもメンエキの岡っ引きはおりやしたよ。あっしらの取り締まりもしましたが、それはお役目だから仕方ありませんや。でも、コウモリのメンエキの親分は粋でしたね、『おや、コロ八さんじゃねえか、まだおいでなすったのかい?』『へい、申し訳ありやせん、親分さん。もうしばらくおいておくんなさいまし』『ふむ。コウモリの旦那は気のいいお方だ。うるさいことは仰らねえだろ。ま、野暮な説教になるが、悪さだけはしてくれるなよ。旦那に迷惑がかかったら、おいらの顔が立たねえ』『それはもう重々。居候に嫌な顔一つなさらない、店賃よこせとも仰らない、そんな心の広い旦那にご迷惑をかけるなんてとんでもねえこって』『それさえ聞けば安心だ。いつか非番のとき、一杯どうでえ、コロ八さん』ってね。そりゃ人情の、いやコロナ情の、いやメンエキ情の厚いおかたで、テレビで『銭形平次』観るたびに思い出すんで・・・・とうとう一杯やらないままの別れになったのが心残り(涙ぐむ)。それにしても、ご隠居さん、同じ岡っ引きでコウモリと人間とでは何でこうも違うんですかい。
隠居:それはな、コロ八さん。コウモリとお前さんらは人里離れた山奥でお前さんの代だけじゃねえ、祖父さん、曾祖父さん・・・遠い昔からの長ーいつきあい。気心知れた間柄になっとるんじゃ。そうなれば互いの落としどころ、折り合いどころができてくるんだ。
コロ八:成程。確かにメンエキの親分はあっしらを叩き出そうとしなかったし、あっしらのほうも無闇に増殖してこうもりの旦那を困らせたりしなかったすね。でもメンエキの親分と談合してそんな手打ちをした覚えはありやせんぜ。いつか知らん間にそうなってたんで・・・。
隠居:それが自然の摂理じゃよ。メンエキの親分もよし、お前さんがたウイルスもよし、コウモリの旦那もよしで「三方一両得」というわけじゃ。
コロ八:なんですか、その三方なんたらって?
隠居:お前さん、江戸に来たんなら寄席に行かなくっちゃだめだよ。落語ほど面白くてためになるものはない。この噺、いまは亡き志ん朝がよかったなあ。
コロ八:人間とも、その三方なんたらで丸く収まるわけにゃいかねえんですかい? そうなりゃ助かるのに。 
隠居:丸く収まるはずなんだがね。でも、お前さん、人間に会ったのは初めてなんだろう。
コロ八:武漢の山奥まで来る物好きはいなかったすからねえ。奉行所だか研究所だかで出会ったのが初めてでさ。
隠居:ということは、人間もお前さんがたに出会ったのは初めてってことさ。まだ付き合いの浅いお前さんには分かるまいが、人間てぇのは変な生き物でな。知らないものを、やたら警戒したり怖がったりする癖(へき)がある。頼まれもしないのにお前さんがたを山奥から勝手に引っ張り出しておいて、そのお前さんがたを勝手に怖がるんだな。「正体知れない謎のウイルス」って。さっき一冬に3000人も死にながら格段の騒ぎにはならんかったと言ったろう。あれはな、たぶん、人間はわしら「インフルエンザウイルス」を既に知っておった、少なくとも知っとるつもりでおったせいかもしれん。知ったつもりのもんなら平気なのさ。わしらのせいで申し訳ないが、ほれ、グローバルにゃ、毎年30万から60万人が亡くなっておる。じゃが誰も顔こわばらせて「ロックダウンを!」と怯えたりしねえ。ところが未知のお前さんらは、やたらに怖い。怖がるのは勝手だが、恐がりが裏返って居丈高、攻撃的になるのが人間で、はた迷惑な話さね。「新型コロナとの戦争だ!」とか口走っとるじゃろ。
コロ八:あの岡っ引き野郎みたいじゃないですか。でも、あいつは人間じゃねえですよね。
隠居:それがな、そいつみてえに人間の中にずっと住んどると人間が染(うつ)っちまうんだ。人間の癖が染る。お前さんも人間の中にいるんだからお気をおつけ。人間が染るよ。
コロ八:そいつばかりは御免被りてえ。ウイルスに人間が染っちゃ洒落にならない。隠居さん、一体あっしはどうすりゃいいんで?
隠居:感染予防だな。ついちゃあ、ちゃんと御触書が出ていらあ。よく手を洗え。石鹸で30秒以上は洗わなくちゃいけねえ。不要不急の外出、とりわけ夜の外出は自粛。三密は避けよ。国境、町境を越えちゃなんねい。ステイホーム。ソーシャル・ディスタンス。パチンコには行くまいぞ。そして、何と言ってもマスクだな。
コロ八:マスク? そんなもんどこにあります。
隠居:お上が下々にマスクを配っとるそうな。お上のなさるこった、下々にいきわたるのは巷に溢れてもう要らなくなった頃に決まっとるから、だぶついた「オカミマスク」がお前さんがたにも回ってこようさ。小さくて使えんと世間じゃ評判悪いが、お前さんがたに小さ過ぎってこたぁあるまい。
コロ八:じゃ、あっしもマスクで人間感染の予防に努めやす。それに世間じゃマスクなしで街を歩くと白い目で見られるってじゃないですか。それにしてもご隠居さん、あの岡っ引き野郎、どうにかなりやせんか。顔を見れば『テメエ、まだいやがったか! 図々しいウイルス野郎め、いつまで居座る気でえ。叩っ殺してやるぞ!』と真っ赤な顔で怒鳴ってきやがる。こっちも頭にきて『うるせえ、メンエキ野郎。殺せるもんなら殺してみやがれ』と大喧嘩さ。その毎日で、ほとほと参っているんで。
隠居:お前さんも若いねえ。軽くいなすってことができないのかえ。その岡っ引き、口はデカイが腕っ節はそれほどじゃないとわしは見たな。
コロ八:ちげえねえ。ご隠居さん、どうしてそれがおわかりで?
隠居:うむ、奴さんにとってお前さんがたコロナは初めてだ。だから、お前さんらへの免疫力が獲得されてないんだな。うむ、平たくいえば、まだお前さんらを叩き出せる腕っ節がついてないのさ。なので、ほれ、人間によくある「弱い犬ほどよく吠える」ってやつだな。
コロ八:強くもねえくせして十手を笠に着やがって。こちとら居たくて居るわけじゃねえや。人間なんかにだれが住みてえ。出て行きてえのはこっちでえ。なのに居座りを決め込んでいるみたいに言い立てやがるんで、カッとなっちまうわけで。
隠居:あんまりカッカせんよう気をつけなよ、コロ八さん。人間に迷惑だ。
コロ八:「このウイルス野郎!」「このメンエキ野郎!」って体内であっしらが熱くなれば、それが人間を発熱させちまうからですね。そりゃわかっとりやすし、なんのかんの言っても一宿の恩義を忘れるあっしじゃありやせん。人間の旦那の迷惑にならんよう静かにしていてえ。静かにしていてえが、なにせあの岡っ引き野郎、始終しつこく絡んできやがるので、そういかねえわけでさ。そうこうするうちに旦那は熱が続いて弱ってきちまって、とうとう入院。呼吸困難で人工呼吸器、このままじゃ亡くならないとも限らねえ。そうなればあっしだって・・・。ね、黄昏でしょう。
隠居:そいつはいけないねえ。なんだな、お前さんたちのその程度の喧嘩で、そこまで弱りなさるとは、その人間、お年寄りだね。
コロ八:さようで。いいお歳の爺さんでして。
隠居:いいかえ。年寄りと病い持ちは避けなきゃいけないよ。簡単に弱って亡くなっちまいかねないからな。一冬3000人のインフル死者も大部分はご老人だったんだ。高齢者の体の中に居さえしなかったら、わしのインフル仲間もあんなに逝かずに済んだものを・・・悔やんでも悔やみきれねえ。よいね、年寄りに住んじゃいけねえ。住むんなら若い元気な人間におし。これが教訓じゃよ。
コロ八;選べるもんでしたらねえ・・・。そりゃ、あっしだって若いぴちぴちの別嬪さんのほうがいいに決まってら。『ああら、コロナの兄さん、いついらしたの?』『姐さん、ちょっとばかし居らせておくんなさい。いや、お邪魔なら・・』『まあ、お邪魔だなんて、水臭いこと言いっこなしよ。ゆっくりしてらして、あたしが帰さないわよ』なんてね、「お熱」な関係に。けどね、ご隠居さん、落語のあっしらはこの通り酒酌み交わしてますが、リアルなウイルスとなれば、手もなければ足もねえ翼もねえ。何にたどりつくかは風まかせ波まかせ。はかないさすらいの身で。高齢化社会となりゃ、まわりはご老人だらけ、どうしたってお年寄りにぶつかりまさあ。これは、あっしらにゃどうしようもない。そうじゃありやせんか、ご隠居さん。
隠居:理屈はそうだがの。わしの心の中では、あのとき逝ってしまった何十億、何百億という仲間へのいたみが消えぬのじゃよ。ウイルスはコピーで増殖するからみんな我が身同然なんじゃ。もし住んだ先がお年寄りでさえなかったら、という悔いを、わしはどうしようもない・・・
コロ八:あっしらコロナで死ぬ人間も8割がたは70歳過ぎですからねえ・・・(しばし考えて)うーん、3000人も死んだ、800人も死んだっていっても、高齢化社会、人間がやたら長生きして70歳以上がざらの世の中になったせいと考えちゃいけませんか? あっしらのせいばっかしじゃねえ、と・・・。人生五十年の時代だったら死ぬ人間は僅かで、ご隠居さんもあっしらもこれほど悪名を馳せずに済んだかもしれやせん。今は、すっかり「凶状もち」にされちまっとりやすがね。
隠居:時代が悪かったかのう・・・。
コロ八:時代もいやだし、江戸もいやでしょうがありやせん。
隠居:まあ、好きで来なすったわけじゃないからなあ。でも、住めば都ってわけにゃいかないかえ。そんなに江戸の水はあわねえのかい?
コロ八:あわねえ! 江戸は空がありやせん。
隠居:どっかで聞いたせりふだな。
コロ八:ああ、武漢に帰りてぇ、こうもりさんのところへ。昼間、こうもりは深い山の大樹や洞穴の奥にぶら下がって眠っとりやす。それが夕暮れになると目を覚まし、茜に染まる黄昏の空を一斉に舞い始める。同じ黄昏でも、この黄昏は素晴らしい。こうもりは、武漢の天空をどこまでも高く高く飛翔したり、すーっとなめらかに滑空したり、乗ってるあっしも胸がすきやす。眼下には大きな湖が黄金に輝き、森の木々は炎のようで。そして地平線に沈む夕陽! ご隠居さんにもお見せしたい。あんなにでかい、あんなに真っ赤な、あんなに燃える、あんなに透きとおった、あんなに綺麗な夕陽はどこにもありやせん。ああ、もう一度でいい、武漢の夕陽が見てえ。見てえなあ(泣く)。
隠居:泣かなくっていい。ま、もう一杯おやり。大丈夫、お前さん、いつか必ず武漢に帰れるよ。
コロ八:ほ、ほんとですか。帰れやすか。
隠居:帰れるとも。お前さんはウイルスだ。きっと帰省(寄生)できる。




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緊急事態宣言に寄せて4

2020年04月24日 01時13分01秒 | 文学


                        高木四郎朝臣六首
震災や コロナ起るや せき込んで あれもゼイゼイ これもゼイゼイ

民の命 失ひけりな いたづらに 銭貴びて ながめせしまに

我が耳も つひに幻聴 聞ゆなり 「保証策 異国に例なし 我世界一」

日の本は 狼少年 栄ゆ邦 嘘を幾度も 皆信じけり

名にし負はば いざこととはむ 自民党 汝が想ふ 民はあるやと

聡き人 さすが次第に 増え来たり つひに起すや 令和ピボット

                        小浜逸郎朝臣五首
見渡せば 店も呑み屋も なかりけり 栄えし街の 春の夕暮れ

汝や知る 都はコロナの 自粛病 流行るを見ても 落つる涙は

忍ぶれど 数に出にけり 廃業は 自粛よきかと 人の問ふまで

吹くからに 民の暮らしの しをるれば むべ安倍内閣を ほら吹きといふらむ

休みつつ 補償無き夜の 続く日は いかに苦しき ものとかは知る




緊急事態宣言に寄せて3

2020年04月15日 10時16分56秒 | 文学


                    高木四郎朝臣三首
羨まし 優美に自宅で 過すだけ 俺とは違う 日本総理
※小生髙木が、英国じょんそん太政大臣から預りました歌です。『埴生の宿』の曲で歌って欲しいとの要望でした。

非常事態 のんびり過せば いいじゃない どこかで聞いたな 一七八九

昔聞いた 祖父の言葉が 胸を打つ 「馬鹿な大将 敵より怖い」

緊急事態宣言に寄せて7首

2020年04月08日 13時07分30秒 | 文学


   緊急事態宣言に寄せて七首

金急の 折に出されし 宣言は 緊急事態を さらに深くす

108兆 掬へる真水 16兆 金魚掬ひの 紙破れたり

給付金 殺到したる 申請者 三密ゆゑに ころな感染

財出は いくらなりとも よくするを 政治家ますこみ 知らぬさまなり

失業者 ねっと難民 廃業者 ころな終はりて いづくにか行く

政治とは 民亡ぼすものと 聞こゑたり いかにせむとや 力なき者 

天の原 ふりさけみれば かすかなる ころなのために いでし金かも   ――安倍の莫迦麻呂



 ●われよりざえある者多くあるを知る 願わくは雑歌寄せられたし 集めて「ころな集」とて編むこころあり

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熊さん、増税に大いに憤慨

2019年07月10日 23時41分10秒 | 文学



♪テンツンシャン、トコトントン♪

熊さん へい、ご隠居さん、ごめんなすって。
ご隠居さん おや、熊公か。どした。
 へい。ちょいとわからねえことがありやしたんで、うかがいやした。
 わからんこと。ま、突っ立ってないで上がんなさい。
 失敬しやす。
 何だね、そのわからんことってのは。
 へえ。じつは不景気のことなんすがね。
 ほう、不景気。なんだ、借金で首でも回らなくなったか。
 いえ、そうじゃねえんで。たしかにあっしも酒屋に借金してるし、家賃も滞ってますが、何とかしのいでるんで、その辺はご心配なく。
 ご心配なくって、おめえ、借金して家賃滞納して、何とかしのいでるはねえだろ。
 いや、これまでいつもそうでやしたから。
 しょうがねえ奴だな。
 いや、酒屋や大家なんぞてえしたこたぁありゃしません。
 そんなこと言うと、ばちぃ当たるぞ。
 ばちなんぞ怖れとっちゃ生きちゃあいけませんや。それより、昨今、世間に不景気風が吹きまくってるみてえですけど、それについてうかがいてえんで。
 じゃ、何かい。おめえ一身のことじゃねえってのか。
 へえ。どうもこの世間一般の不景気についちゃぁ、わからねえことがいろいろあるもんで。
 ほほお。向学心起こしたってわけだ。どういう風の吹き回しだ。ま、しかしおめえにしちゃ感心なこったな。何でも言ってみなさい。
 へえ。いま世間見るてえと、どこもかしこも貧乏人が増えとりますな。ウチの長屋でも去年亭主に死なれたお菊さんてえのがね、これまで仕立て屋から仕事もらって何とか食いつないでたんすが、こないだ、家の前とおったら、シクシク泣いてるじゃありませんか。聞いてみるてえと、このごろめっきり注文が減って、これから先どうやって暮らし立てていったらいいかわかりませんてんで。あっしゃ、つい不憫になって、お菊さんの肩にこう手を置いて、お菊さん、いまにきっといいことあるから辛抱、辛抱て、ながながと慰めてやったと、こういうわけでさ。いや、これがいい女でね。
 おめえ、肩に手を置いただけだろうな。
 そ、そりゃ、それ以上何にもしてませんよ。嬶にばれたらてえへんだ。
 まあいい。たしかにおめえの言うとおり、昨今は貧乏人がぐんと増えてる。それももう何年も続いてるな。で、何が聞きたい。
 ところがお上は、景気はだんだんよくなってるとか言ってるそうじゃありませんか。こりゃいったいどういうわけなんで。
 うーん、おめえ、いいところ突いてくるな。こりゃこの季節に桜が咲く。
 ヘンな褒め方しねえでくだせえよ。
 よし教えてやろう。それはな、お上ってのは、昔からそういうウソを平気でつくもんなんだ。
 そりゃまたどうして。
 そりゃな、てめえたちがやってきたことの間違いを認めたくねえからよ。てめえたちのおかげで貧乏人が増えちまったってこと認めたら、民百姓が黙っちゃいねえだろうが。
 でもご隠居さん。民百姓が暮らしに困ってるの援けるのがお上ってもんじゃねえんすか。
 それはあの連中の建前ってもんでな。ほんたあ、金持んところにますますカネが集まるようなことばっかりやってる。ほれ、こんどまたモノ買うごとに取り立てる税が厳しくなるだろ。このまんまだと幕府の借金がかさんで、もたねえとかなんとかウソついてな。
 え? ありゃウソなんすか。幕府がつぶれっちまっちゃまずいと思って、しょうがねえけど我慢すっかって思っとったんでやんすがね。
 ウソもウソ、大ウソさ。税なんか取り立てなくたって、幕府は印旛沼の干拓でも何でも、なんかやりたきゃ、お抱えの両替商んとこ行って、何千両借りるぞって書きつけりゃいいだけの話。まあ約束手形みてえなもんだな。手形もらった業者はふつうの両替商にそれ持ってって、大判小判に代えて仕事に使う、と。こりゃいくらでもできる。そうやってこそ、民百姓の暮らしが潤うのさ。ただこれ、あんまりやりすぎるとコメの値段が高くなって、貧乏人は買えなくなっちまうけどな。そこんとこお上がよく見て気ぃつけてりゃいいだけの話よ。
 へえ、幕府が借金するほど、あっしらの暮らしがよくなる。初めて聞いたな。こりゃ世間に触れ回って瓦版にでも書いてもらうとよござんすね。
 ただその瓦版がこのリクツを全然わかってねえのよ。お上の言い分をそのまま垂れ流してるだけだからな。
 なんだかわかったようなわからねえような話だけど、するてえと、何ですかい。そのお抱え両替商ってのは、別に千両箱ため込んでおかなくてもいいし、幕府も借金するのに、世間にいくらカネがあるか気にしなくていいってことでやんすか。
 熊、おめえ、今日は妙に頭冴えてるな。こりゃ、この季節に梅が咲く。
 ヘンな褒め方しねえでくだせえってば。
 しかしおめえの言う通りさ。そもそもふつうの両替商が業者にカネ貸すんだって、お蔵にカネため込んどく必要ねえのさ。ただ借りに来たやつよく見て、こいつはちゃんと期限までに利子払って返しそうかなって見込みつけりゃいいのよ。
 へえ、そうなんだ。んじゃ、あっしもお菊さんのために一肌脱ぐかな。
 だからおめえはバカだってんだ。酒代も家賃も払えねえ奴に、どこの両替屋が貸してくれるてえんだ。
 なある。それがあっしら貧乏人の悲しいとこっすね。ところでご隠居さん、お上はそういうからくり知っててウソついてんのか、それとも知らねえで税上げるぞ、税上げるぞって言ってんのか、どっちなんす。
 それはな、知ってる連中もいれば知らない連中もいる。知らない連中のほうがずっと多いけどな。だから困るんだ。
 しかし知っててあっしらから税むしり取るってのは、ひでえじゃねえすかい。誰っすか、その知ってるやつってのは。
 まあず、勘定方だな。たぶん連中はほんとは知ってるくせにあたしらに知らせないようにひた隠しにしてる。それでとにかくケチくせえから、自分たちの台所の帳尻合わせることばっかり考えて、これからこんなにカネかかるんで、税よこさねえと幕府の財政があぶねえって脅しかけてるのさ。これ、ずーっとやってきたんで、幕府の他の連中もみんな騙されちまったってわけよ。
 んでも、世間にゃおつむのいい学者とかいっぱいいるんでしょう。そういう人たちが、みんな集まって、勘定方、おかしいぞって騒ぎゃいいじゃねえすか。
 それがな、学者ってのもお上にくっついてりゃ安心だから、物事の道理をきちんと考えようとしねえのよ。あの連中も、自分の財布と幕府の財布とをごっちゃにしてる。自分の財布の中身は限られてるけど、幕府の財布はいくらでも増やせるんだ。そこんところの違いもわからんらしい。学問やってる連中の鈍感さだな。だから勘定方に騙されるのさ。
 なんか、こう無性に腹立ってきたな。だけど勘定方は、どうして知ってながら、やり方改めねえんすか。
 そこがお役人のしょうもねえところよ。連中は自分たちだけで仲間作って、いったんこうしようって決めると、ご時世が変わっても何でも、絶対改めようとしねえ。要するに石頭ぞろいなんだな。
 あっしが、ねえ頭で考えるに、税取り立てるんじゃなくて、その約束手形でも何でもどんどん振り出せばいいじゃねえすか。
 熊、おめえ今日は異様に勘がいいな。こりゃこの季節に雪が降る。
 ヘンな褒め方しねえで……。
 いやしかし、そのとおりなんだ。いまのご時世はな、モノ作っても買う人がいなくて困ってるご時世だ。だから誰も作ろうとしねえし、そのためにカネ使おうともしねえ。そうすっと働く連中にもカネが回ってこねえ。そこであたしら庶民はしょうがねえから節約しようとする。そうすっとますます買う人がいなくなるから、モノ作るためにカネ出す人がますますいなくなっちまう。
 ふむふむ、なあるほど。……そうすっと働く連中にますますカネが回ってこねえから、ますます節約する。そうすっとますます買う人がいねえから、モノ作るためにカネ出す人がますますいなくなっちまう。そうすっと働く連中にますますカネが回らなくなるから……。
 いつまでやってんだ、熊。もういいよ。とにかくこうやって回り回って貧乏人が増えてるのさ。ところがお上は何やってるかってえと、そういうご時世に、庶民からカネ吸い上げて、使えるカネ少なくさせて、悪いご時世をさらに悪くさせてる。みんながカネ出す気なくしてるときにお上がやるべきなのは、自分たちが借金して、干拓でも作物の栽培でも何でもいいからどんどん民のために仕事作ってやることなのに、逆をやってるってわけさ。
 ご隠居さん、出刃包丁一本貸しておくんなせえ。
 なんだ、やぶからぼうに。
 あたぼうよ。その勘定方のおエラいさんてえ奴めっけ出して一発かますのよ。
 ちょ、ちょっとぶっそうなこと考えるんじゃねえ。おめえには女房も子どももいるじゃねえか。つかまって手打ちんなったら、おめえはいいかもしれねえが、路頭に迷うのは女房子どもだぞ。
 じゃ、こういう理不尽、許しといていいんすか。
 よくねえさ。あたしもそれは十分承知してる。しかし、いかんせん、お上に逆らったって手打ちにされてそれでおしめえだ。
 じゃ、あっしら弱いもんはどうすりゃいいんすかね。
 血の気の多いおめえにゃあ、我慢ならないかもしれねえが、お上の考えが間違いだってことをできるだけ多くの人に伝えてだな、だんだん仲間作って、その力使って、お上に改めさせていくしかねえだろうな。
 そりゃあ、何年かかるんすかね。
 さあ、こればっかりはあたしにもわからん。十年、二十年……。
 その間にお菊さん、飢え死にしちまいますぜ。
 なんだ、やっぱりお菊さんのことだけしか頭にねえのか。
 へえ。キクは知るの初めなりって申しやすから。

♪ツレトンシャン、トントトトン♪

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●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

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万葉の森を訪ねる(その3)

2018年08月14日 22時19分54秒 | 文学


それでは残った三名の選歌を紹介します。

Dさん(六十代・男性):
 ・あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(20)          額田王
 ・紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(21)        天武天皇
 ・東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ(48)            柿本人麻呂
 ・磐代の浜松が枝を引き結びまさきくあらばまた還り見む(141)         有馬皇子
 ・み空行く月の光にただ一目あひ見し人の夢にし見ゆる(710)          安都扉娘子
 ・世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(893)      山上憶良
 ・若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る(919)         山部赤人
 ・石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも(1418)       志貴皇子
 ・春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(4139)            大伴家持
 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(4291)        大伴家持

*オーソドックスな選択です。どれも名歌というにふさわしい。また人口に膾炙していますね。20と21は、秘めたる恋の相聞として有名ですが、宴で酔った天武天皇の舞姿が女に秋波を送るように見えたので、額田王が半ばいさめ、半ば揶揄するように歌ったのを、天武が当意即妙で返した、という山本解釈もあります。いずれにしても、文芸の価値はその成立事情とは自立したところに求めるべきですから、額田王のこの歌が、恋心の機微を美しくとらえた最秀作の部類に入ることは間違いないでしょう。893は有名な「貧窮問答歌」の反歌ですが、齢七十を超えた憶良の心境がいみじくも出ていて、貧窮問答歌そのものよりも優れていると思います。Dさんは公平な評価をする人だと思いました。

Eさん(六十代・女性):
 ・籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも(1)                          雄略天皇
 ・熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(8)      額田王
 ・あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(20)        額田王
 ・紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(21)      天武天皇
  *以上二つはセットとして考えてください。
 ・わがせこを大倭へ遣るとさ夜更けてあかとき露にわが立ち濡れし(105)    大伯皇女
 ・瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思はゆ 何処より 来りしものそ 眼交に もとな懸りて 安眠し寝さぬ(802)                       山上憶良
 ・石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも(1418)     志貴皇子
 ・旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群(1791)       遣唐使の親母 
 ・勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ(1808)   高橋虫麻呂歌集
 ・鈴が音の早馬駅家のつつみ井の水をたまへな妹が直手よ(3439)      作者未詳
 ・吾が夫子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな(3774)      茅上娘子
 
*一見して、若い番号の歌を多く選んでいることがわかります。万葉集の順序は、必ずしも時代順ではありませんが、巻十までの間に初期から中期までの古い歌が多く集められていることは事実です。Eさんはおそらく、上古の格調ある歌の中に神話的なロマンを見出しているのでしょう。それは、1の求婚歌や、105の、やがて謀反の疑いで処刑される大津皇子を送り出す姉の運命的な別離の歌、「あかねさす」の洗練された恋心のやり取り、などへの共感のさまに伺うことができます。また有名な802や1791を選んでいるのは、子どもを思う母心を投影させているのでしょう。さすがは女性らしい細やかなセンスだなあと思いました。

私(七十代・男性):
 ・熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(8)      額田王
 ・淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ(266)          柿本人麻呂
 ・石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも(1418)      志貴皇子
 ・朝寝髪われは梳らじ愛しき君が手枕触れてしものを(2578)         作者未詳
 ・燈の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(2642)        作者未詳
 ・信濃道は今の墾道刈株に足踏ましなむ履はけわが背(3399)         作者未詳
 ・鈴が音の早馬駅家のつつみ井の水をたまへな妹が直手よ(3439)       作者未詳
 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(4291)       大伴家持
 ・天離る 鄙治めにと 大君の 任のまにまに 出でて来し 吾を送ると 青丹よし 奈良山過ぎて 泉川 清き川原に 馬とどめ 別れし時に 真幸くて 吾帰り来む 平けく 斎ひて待てと 語らひて 来し日の極み 玉鉾の 道をた遠み 山川の 隔りてあれば 恋しけく 日長きものを 見まく欲り 思ふ間に 玉梓の 使の来れば 嬉しみと 吾が待ち問ふに 逆言の 狂言とかも 愛しきよし 汝弟の命 何しかも 時しはあらむを はだ薄 穂に出る秋の 萩の花 にほへる屋戸を 朝庭に 出で立ちならし 夕庭に 踏み平らげず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末に 白雲に 立ちなびくと 吾に告げつる(3957)                                  大伴家持
 ・色深く背なが衣は染めましを御坂たばらばま清かに見む(4424)       物部刀自売

*「あかねさす」はみんなが選ぶと思ったので、へそ曲がりの私はあえて避けました。それでも万葉の最高の歌姫を入れないわけにはいかず、「にぎたづ」にしました。
ところで昨年の百人一首の会の時には、意識的に恋歌に限定して選んだのですが、今回の選歌を見ても、私はやはりエロス感情や身近な生活感情の動きに一番関心があるようです。
ちなみに今回は示し合わせたわけではまったくないのに、私の選んだ歌は、八つまでが誰かの選歌と重なっています。これは自分としてはうれしいことでした。なお他の人が選ばなかった2578は、エロチシズムのリアリティをとても感じたから。また3957の長歌は、家持が越中に赴任した時に送ってきてくれた弟が急死した知らせを受けて、その驚きと悲しみをうたったもので、家持の真率な心の動きに打たれました。
長歌はもともと宮廷歌人が天皇の営みなどを寿ぐ儀式的・宗教的な意味合いが濃かったものですが、家持の時代にはその趣向はすたれて、いたたまれぬ個人感情を吐露するところまで来ていたのですね。万葉集に載せられた歌はわずか150年ほどのものに限られていますが、この間に、長歌の歌い収めとしての反歌から短歌として自立していく過程を通して、しだいに、歌は共同体の精神から独立した個人表現としてのフォームを確立させていきます。これを是とするか非とするか。山本健吉は、芸術の本質という見地からして、この事態をあまり面白く思っていないようですが、もちろん言葉の芸術という枠組みの中では、復権の試みは不可能でしょう。

さて今回の試みでは、61の歌を掲載しましたが、けっこう重なりが多いことに気づかれたと思います。
試みに人気投票ふうに整理してみると、
「いわばしる」
「わがやどの」
「ともしびの」          以上各3票

「あかねさす」
「にぎたづに」
「むらさきの」
「あふみのうみ ゆふなみちどり」
「たびびとの」
「かつしかの」
「しなのぢは」
「すずがねの」
「いろふかく」          以上各2票

いろいろと不十分なところもある会でしたが、普段忙しさに紛れて、なかなかこういう試みはできるものではなく、何とかやりおおせただけでもよかったと感じています。
今後それぞれの立場と関心に合わせて、さらに日本文化史への関心を深めていければ、と思います。

万葉の森を訪ねる(その2)

2018年08月13日 07時33分29秒 | 文学


さてそれでは、各メンバーがどんな歌を選んだかをここに掲げましょう。
万葉集鑑賞の参考にしていただければ幸いです。

Aさん(三十代・男性):(彼は巻十一以降に限定して選歌しています。)
 ・淡海の海沈く白玉知らずして恋ひせしよりは今こそ益れ(2445)      柿本人麻呂歌集
 ・燈の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(2642)       作者未詳
 ・八釣川水底絶えず行く水の続ぎてそ恋ふるこの年頃を(2860)       柿本人麻呂歌集
 ・現にか妹が来ませる夢にかもわれか惑へる恋の繁きに(2917)       作者未詳
 ・つぎねふ 山城道を 他夫の 馬より行くに 己夫し 歩より行けば 見るごとに 哭のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と わが持てる 真澄鏡に 蜻蛉領布 負ひ並め持ちて 馬買へわが背(3314)                    作者未詳
 ・信濃道は今の墾道刈株に足踏ましなむ履はけわが背(3399)        作者未詳
 ・吾が面の忘れむ時は国はふり嶺に立つ雲を見つつ思はせ(3515)      作者未詳
 ・君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ(3580)      作者未詳
 ・かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを(3959)   大伴家持
 ・色深く背なが衣は染めましを御坂たばらばま清かに見む(4424)      物部刀自売

*ほとんどが作者未詳歌です(ちなみに柿本人麻呂歌集とあるものも、多くは作者未詳です)。しかも恋歌か、旅立つ人や遠く離れている人への女性の思いやりをうたった歌で占められていますね。エロスの感情を大切にする若いAさんの、庶民的で、ロマンティックで、優しい人柄がしのばれます。

Bさん(五十代・男性):
 ・淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ(266)          柿本人麻呂
 ・ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(416)      大津皇子
 ・燈の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(2642)       作者未詳
 ・君が行く道のながてを繰り畳ね焼き亡ぼさむ天の火もがも(3724)     茅上娘子
 ・家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥処知らずも(3896)      大伴旅人の傔従
 ・大海の奥処も知らず行く吾れをいつ来まさむと問ひし児らはも(3897)   大伴旅人
 ・万代と心は解けてわが背子が摘みし手見つつ忍びかねつも(3940)     平群女郎
 ・紅は移ろふものそ橡の馴れにし衣になほ及かめやも(4109)        大伴家持
 ・藤波の影なす海の底清み沈く石をも珠とそわが見る(4199)        大伴家持
 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(4291)      大伴家持

*一首目は誰もが推すことをためらわないでしょう。二首目は非業の死を予定された者の辞世といってもよい歌で、日頃なじんだ鴨との別れを通して自らの死を見つめるその哀切さに共感したものと思われます。それ以外は、中期から後期にかけての歌が多く集められています。とりわけ家持作が三首入っているところが引き立ちます。掘り下げられた内面性から生まれた言葉の美を重んじるところがBさんらしいと言えるでしょうか。4199は私も選ぼうか、迷いました。

Cさん(五十代・男性):(彼はAさんと逆に、巻十までに限定しています。)
 ・鯨魚取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ(153)       倭 大后
 ・み吉野の象山の際の木末にはここだもさわく鳥の声かも(924)       山部赤人
 ・ぬばたまの夜の更けぬれば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く(925)    山部赤人
 ・西の市にただ独り出でて眼並べず買ひにし絹の商じこりかも(1264)     古歌集
 ・春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける(1424)   山部赤人
 ・大の浦のその長浜に寄する波寛けく君を思ふこの頃(1615)         聖武天皇
 ・君なくはなぞ身装餝はむ匣なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず(1777)    播磨娘子
 ・旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群(1791)        遣唐使の親母
 ・勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ(1808)    高橋虫麻呂歌集
 ・天の川水陰草の秋風になびかふ見れば時は来にけり(2013)         柿本人麻呂歌集

*過ぎ去った物事への思い出の貴重さ、自らになじみある土地への愛着、伝説に保存された記憶の大切さ、聴覚に集中される夜の孤独な心境など、ともすれば壊れそうになる繊細な感覚を言葉に掬いあげた歌が多く選ばれています。しかし1264のような諧謔味の勝った歌、1777のような女性のきっぱりとした確かな恋情にも共感を示しているところを見ると、ただ寂かな境地を愛するというだけではなく、まさに「寛けき」鑑賞眼の持ち主でもあることがわかります。

次回も参加者が選んだ歌を掲載します。あと三人です。


万葉の森を訪ねる(その1)

2018年08月11日 09時10分37秒 | 文学


今からちょうど一年前、大岡信編訳『小倉百人一首』をテキストにして、「私が選んだ十首」を発表して語り合う会というのを催しました。その模様と、筆者の選歌および感想は、以下のURLでご覧いただけます。

https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/888a79da294ef49422b0607b733ce51d
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/eb13abafd9fe29dd02ad0aebcddef440
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/888a79da294ef49422b0607b733ce51d


今年は、『万葉集』に挑戦しました。メンバーに小さな変動はありましたが、だいたい同じです。
さて一口に『万葉集』に挑戦といっても、4500首を擁するあの巨大な言の葉の森に、古典の素人である私たちがどうやって入り口とルートを見つけたらよいのか、けっこう悩みました。
やはり適切な道案内人が必要だろうということで、事前相談の結果、昔から定評のある山本健吉・池田弥三郎著『萬葉百歌』(中公新書・1963年)と、少し時代を下って中西進著『万葉の秀歌』(講談社・1984年、文庫版ちくま学芸文庫・2012年)の二冊をテキストとし、三人で分担してレポートすることにしました。ちなみに、前者は表題歌109首、後者は252首、両者の重なりは34首。文中に紹介されている歌も多数あるので、500首以上は鑑賞したことになると思います。
さらに新しく加わった一人に、保田與重郎著『萬葉集の精神 その成立と大伴家持』(筑摩書房・1942年、文庫版新学社・2002年)から目ぼしいところを抜き出して解説してもらうという形を取りました。

全員が少々忙しく、やや準備不足の気味はありましたが、それでもレポートは順当に進み、最後に、それぞれのメンバーが「私が選んだ十の歌」を発表し、その思いを述べるという形で終了しました。

副産物として、山本健吉著『古典と現代文学』(新潮文庫・1955年、講談社文芸文庫・1993年)が取り上げられ、古典世界においては、共同体の過去からの共有物としての言葉をそれぞれの時代の意識がそれぞれの仕方で受け継ぐことによって、初めてすぐれた作品が成立するという認識が共有されました。本歌取りとかパロディ、変奏といったものは、言語芸術が成り立つうえでの必然だということです。
これは時代をさかのぼればさかのぼるほど顕著に言えることで、柿本人麻呂という一個人名がその背後に膨大な口承文芸、宗教的儀礼の言葉、神話や伝説などによってあらわされた共同体の精神を背負っているのは、ちょうどホメロスという個人名が一人の天才詩人に名付けられた名前ではないのと同じです。
まあ、言ってみれば当たり前の認識ではありますが、孤立した個人の才能とか個性といったものを芸術成立の必須条件として偏重しがちな近代以降の傾向に対する有力な反措定として、再確認しておく必要はあるだろうということです。すぐれた才能そのものが共同体の精神の一つの体現だと考えればよいわけです。

また、どんな芸術もそれが生まれた時代や社会とまったく無縁ではありえないので、今回、万葉の世界に踏み込むにあたっても、初期、中期、後期の政治社会史がどのような様相を帯びていたのかについて、それぞれのメンバーが考えることを余儀なくされました。
有間皇子や大津皇子の悲劇的な最期、多くの女帝たちの擁立の影に垣間見える皇位継承の困難、天智―天武時代の激しい権力争いとその狭間で舞う女たち、男たち、藤原氏の台頭と相まって凋落してゆく大伴氏の運命、聖武天皇治下の度重なる遷都の背後に見え隠れする政治の乱れ、防人歌からうかがえる民衆への圧制等々。

さらに、山本・池田テキストと中西テキストに共通に取り上げられている歌における、両者の解釈の違いを比較することで、いろいろな議論が沸き起こりました。
一例を挙げると、額田王の「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」(巻一・八)をめぐって、山本は、軍旅の先駆けではあるがそこに祭事に伴う楽しさをも見る(したがって華やかな女性も伴う夜の船乗りで、言葉通りに、満潮と月の出とを同時刻とする)のに対して、中西氏は、当時、危険を伴う夜の船出は考えにくいとして、これは昼の船出であり、月が船出にふさわしい状態になるのを何日か待っていたと解釈します。
池田・山本解釈では、この「船乗り」そのものに軍旅に先立つ禊ぎという宗教的な意味を見るわけですが、中西解釈では、戦闘集団の実際の「船出」ということになります。ちなみにこの解釈の食い違いは両テキスト以前からあったようです。
筋としてはどちらも通っていないことはありませんね。しかし歌いっぷりの宣命めいた鮮やかさからして、また大いくさの前に盛大な儀式を必要としただろう当時の習俗からして、山本解釈が当たっているように思います。それに、そう考えた方が、この歌の醸す、いかにも古代的な昂揚した雰囲気に素直に同化できるのではないでしょうか。
「月待てば……潮もかなひぬ」という自然時間の連続性の表現に、夜を集団で共有する華やぎと躍動感が感じられ、そこに歌の命を見たい気がします。

保田與重郎については、大東亜戦争突入期という時代背景もあって、万葉集、とりわけ山上憶良と大伴家持の二人に体現された言霊の精神に熱い思いを寄せる保田の気迫が伝わってきました。
由来藝能の文化は滅びようとするもの、ないしは滅びる怖れにあるものを、その終局の美しさに於て、ことばの神の力によつて後に傳へようとするものである。それは創造の根據であつたし、永遠に不滅を信ずる者の祈念の表現であり、又傳統を傳承する實践であつた。
こう説いて保田は、すでに万葉の昔日において、わが国のことばの美しさを守らねばならぬ時代に来ていたことを強調します。これは、うっかり読むと、やがて来る国家としての滅びを美学的に予言しているかのように見えますが、彼の執着はあくまでも「ことば」の伝統を内側から守ろうとするところにあり、政治的なメッセージなどを読み込もうとするのは、筋違いというものでしょう。
そうしてこの執着は、いささか大時代がかった表現を割り引くなら、いつ、どこにおいても文学的情熱の根源を明かすものとして、意外にも普遍的なところに届いていると言えます。

次回は、各メンバーが選んだ歌をご紹介します。



【小浜逸郎からのお知らせ】

●新著『日本語は哲学する言語である』が
徳間書店より発売になりました!


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●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』
(PHP新書)好評発売中。


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●『正論』8月号(7月1日発売)
「日大アメフト報道の短慮」
●『正論』9月号(8月1日発売予定)
「戦後リベラル砦の三悪人・丸山眞男、
柄谷行人、中沢新一」
●『表現者クライテリオン』9月号特集
「ポピュリズム肯定論」の座談会に
出席しました。(8月16日発売予定)

オノマトペアの謎

2018年06月18日 15時20分44秒 | 文学


みなさんは、オノマトペアに興味を持ったことはありませんか。
ワイワイとかガタガタとかウキウキとかいったあれですね。
今度出版する『日本語は哲学する言語である』(徳間書店・7月刊)という本の中で、これについてちょっと考えてみたのです。
本では、それほど掘り下げることができなかったのですが、ゲラ校正がすんでからも気にかかっていたので、もう少し掘り下げてみました。

日本語が豊富なオノマトペアを抱えていることは、たいへん特徴的で、外国人もこれをおもしろがります。
私の知人のアメリカ人が、日本に来て間もないころ、日本人同士が話すのを聞いていて、オノマトペアが出てくると、とても面白がって復唱していました。
でもどんな感じを表しているのか、きっとつかめなかっただろうと思います。
また、これは時代とともに次々に新語が作り出されていますね。
私の若い頃は、キャピキャピとかルンルンなんて言いませんでした。
誰かが即席で言ったのを初めて聞いても、日本人なら何となくその感じがわかってしまうのではないでしょうか。
たとえば「口に含むと、なんかモギョモギョした感じだね」なんて、いかがでしょうか。
宮沢賢治などは、自分でいくつも作っていますね。
「山がうるうると盛り上がった」とか「虹がもかもか集まった」とか。

オノマトペアは、一応、擬音語・擬声語・擬態語に分かれます。

擬音語:ヒューヒュー、ゴトゴト、サクサク、ザワザワ
擬声語:ワンワン、キャアキャア、シクシク、ワアワア、
擬態語:ピョンピョン、ホイホイ、ビクビク、ユラユラ

ちなみに本当は、「じっと」「しんと」とか「すっきり」「さっぱり」なども広い意味でオノマトペアのたぐいに入るのですが、ここでは上のような、二回反復型に限ることにします。

さて上記のように分けてはみたものの、擬音語と擬声語をはっきり分けられるかというと、疑問が残ります。
たとえば「キンキン響く」は擬音語でしょうが、「キンキン声」といえば擬声語ということになるでしょう。
擬音語・擬声語と擬態語も区別がつきにくいところがあります。
ゴシゴシとかガミガミなんて、どっちでしょうね。
また同じオノマトペアでも、文脈次第で、擬声語として使っている場合と、擬態語として使っている場合とがあります。
たとえば、「ペラペラ」は、「英語をペラペラしゃべる」といえば擬声語的ですが、「ペラペラの紙でできている」といえば、明らかに擬態語でしょう。
こういう区別のつきにくさには、オノマトペア特有の謎が秘められているようです。

これらはふつう、自然現象を生き生きと言葉に写し取ったものとされています。
そして、こういう語群が豊富にある言語は、人々が自然と長く親しんできた歴史を持つことを証していると理解されています。
しかしどうかな? 上記のように、区別が明瞭にできないという事実は、オノマトペアが自然をそのまま写したものだという理解が必ずしも正しくないという理解への入り口を示しているのではないでしょうか。

また、擬音語や擬声語の場合は、かなり自然音に近いとは言えますが、それでも、必ずしも自然音そのままとは言えないものがあります。
たとえば「鍋がゴトゴト煮立ってきた」とか「小川がサラサラ流れる」などは、自然音からかなり遠ざかっています。
さらに擬態語となると、そういう音がするわけではありませんから、自然状態からはいっそう遠ざかっていると言えるでしょう。
「どんどん進んでいく」「すいすい泳ぐ」「つんつんした態度」「ぶらぶら揺れる」などは、なぜこのような音韻が、その状態にいかにも合っていると感じられるのか、なかなか合理的な理由を見つけるのが難しいでしょう。

言葉というものは、『一般言語学講義』の著者・ソシュールが考えたように、もともと反自然的な、あるいは自然からは自立した文化的本質を持ちます。
オノマトペアも例外ではありません。
これがどのような意味で自然から自立した人間的な意味合いがあるのかを突き止める必要があるでしょう。

オノマトペアの特徴としてまず言えるのは、多くが二音節を二回繰り返すことで成り立っていることです。
これには、日本語という言語特有の文化的(非自然的)特性が絡んでいるでしょう。
その特性とは、
①日本語の音韻は、[a][ka]のように、ほとんどが母音だけか、一子音音素+母音で出来上がっていて、これが音節を作る。
②他の音韻の場合も、このルールに馴致される(たとえば拗音[kya]は一音節、子音+撥音[kan]は二音節として扱われる)。
③日本語は三音節か四音節の句が非常に多く、これが息遣いに一つの区切りをもたらし、調子やリズムを作る。

たとえば「キャピキャピ」というオノマトペアは、[kya-pi-kya-pi]で、四音節語ということになります。
また、「ルンルン」は[ru-n-ru-n]で、やはり四音節語として扱われます。

次に、オノマトペアは、時間のなかでのある「動き」の形容であるということ。
二音節の二回繰り返しというスタイルは、おそらく時間的な継続感を表現しようとする意識にもとづいていると推定されます。
つまり、動きの形容であるということとマッチしているわけです。
幼児がオノマトペアをすぐ覚えるのも、幼児は動きや繰り返しをとても喜ぶからでしょう。

ただしあまり長くなっては言葉の経済学に反しますので、二回にとどめたのでしょう。
それに、二音節を三回繰り返すと、日本語としての調子が悪くなるとも考えられます。
四回繰り返した方がまだいいでしょう。「ぐるぐるぐるぐる」「ざわざわざわざわ」

たとえば地名や人名はだいたいが三音節か四音節ですね。東京、大阪、名古屋、横浜、福岡、山田、佐藤、鈴木、中村、渡辺、高橋……。
  
また、外来語などを省略する場合は、ほとんどが四音節で、三音節にするときは、そうしないと語呂が悪いからです(四音節略語:パソコン、リストラ、セクハラ、パワハラ、エアコン、カーナビ、コンビニ、デパ地下……。三音節略語:テレビ、スマホ……)。

このようにして、オノマトペアの場合は、二音節の二回反復で、動きの感じを表すとともに、四音節語として日本語らしいリズムとまとまり(快適さ)に落ち着かせるという作用がはたらいてできていると考えられます。

さてオノマトペアが必ずしも自然音や自然状態そのままの音声化ではないという事実は、それらを受け取った人間(ここでは日本語話者および聞き手)が、自分たちの感性あるいは情緒をそこに付け足して編成し直していることを意味します。
二回の繰り返しや音節数の限定という形式面にもそれは現れていて、日本語にとって心地よい調子に仕立て上げているのです。

この自分たちの感性あるいは情緒というのは、身体性と言い換えても同じです。
つまり、自然音や自然状態の客観的あり方がどうだというのとは違って、むしろそれらを受け取った私たちの身体による主体的な把握の仕方が元のところにあって、それを音声言語に翻訳しているのです。
この場合の身体による把握の仕方のなかには、外界の知覚だけではなく、私たち自身の行住坐臥にともなうリズム、たとえば歩行とか、身振りとか、躍動とか、手の動きなどが含まれます。

たとえば「どんどん進んでいく」という表現では、「どん」という音韻によって、ものがぶつかったりする激しい衝撃の感じを身体感覚として掬い取っているのだと思われます。
「つんつんした態度」でも、やはり「つん」という音韻に、細く鋭く、何か自分に向かって刺さってくるような感じがありますね。

このように、オノマトペアは、けっして単なるナマの自然対象が出す音や自然状態の模写ではなく、きわめて人間的な情緒あるいは身体性による創造的表現なのです。
初めに擬音語、擬声語、擬態語と分けてみても、その区別がつきにくい、そこのところに謎があると書きましたが、おそらくその謎の答えは、オノマトペアが音声言語として定着するために、話者および聞き手自身の情緒的・身体的な感受と創造のプロセスそのものの媒介を必須としているというところに求められるでしょう。

日本語がこれを豊富に抱えていることは、日本人が周囲の現象にたいへん繊細で鋭敏な感覚を張りめぐらせ、しかもそれを自分のなかで反芻し再構成していることを表しています。

大岡 信 編訳『小倉百人一首』をテキストに語り合う(その3)

2017年08月12日 00時00分53秒 | 文学
        






【概説その2】

 以上のように、百人一首の恋歌には、相手への思いがそのまま自分の命や死に対する自意識と折り重なって表現されるという特徴が強く見られます。恋の情熱に燃え尽きんとすること、秘めたる恋をそのまま墓場まで持ち越すこと、こうしたリズムと振幅の激しさのうちに、宮廷歌人たちの心のあり方をうかがうことができます。平安時代の詩歌を少しでも理解しようと思ったら、まずはその異常なまでの心拍数に寄り添ってみなくてはならないということがこれでわかると思います。「雅(みやび)」というようなのんびりした枠組みだけでは、そこに近づくことはできないでしょう。

 自由恋愛が横行するようになった近代以降では、相手と心や身体を通わせるためのバリアーが低くなっているので、なかなかこうした思いの高まりを経験することが難しくなったようです。
 私は大学の講義で恋愛について語る機会があるのですが、その折、人間の恋愛感情の特徴をいくつか挙げます。その一つに、「壁があるほど盛り上がる」というのがあります。例としては、身分の違い、婚姻関係を決める親の権威、傾城という特殊な世界での恋、片思いの自意識と妄想など。そして、逢瀬の叶わぬこうした事情が少なくなった現代では、濃密な恋愛感情が育ちにくいと説きます。
 現に、契りを結んでもその持続期間がずいぶん短くなっているようですね。いささか寂しい情景ではあります。
 とはいえ、現代でも、不倫、三角関係のもつれ、遠距離恋愛など、恋の情熱や悩み苦しみをかき立てる要素がいくつかないわけではありません。その点では古代と現代で、そんなに変わっていないのかもしれません。
 たとえば俵万智さんの歌では、恋心を詠ったものや不倫の苦しみを詠ったものだけが抜群に優れていて、あとはちっとも面白くない(と私は評価を下しているのですが)のなどは、そういうことの表れとも言えます。「恋は神代の昔から」

 閑話休題、話を平安時代の歌の世界に戻しましょう。
 この世界では、それらの表現が必ずしも真情の素朴な吐露ではなく、あくまでもあるフィクション性を含んだ「言葉」であるということが大切です。歌会の題詠で技を競い合うという形式、当時常套句として共有されていた文句(多くは地名や景物に託されている)がもつ隠語的な含み、気のあるところを飾り立ててみせる相手に対してこちらも気の利いた返歌を返さなくてはならないという一種の約束事――これらは、かなり当時の歌の様式を決定的といってもよいほどに「拘束」するものだったと思われます。
 たとえば、「逢坂山のさねかづら」といえば、「あふ」を「会う」に懸け、「さね」を「寝る」に懸け、それによって、恋人に会って寝るという意味を暗示する(二十五番)というように、また、「高師の浜のあだ波」といえば、言い寄ろうとするプレイボーイの浮気心をうまくかわすための喩の効果を持ち(七十二番)、さらに「陸奥のしのぶもぢずり」といえば、その草の様子がおどろに乱れた恋心を表し(十四番)、「末の松山」を「波が超す」といえば、絶対ありえないことの喩えを意味した(四十二番)というように。

 これらの言葉群は、単なる「枕詞」ではなく、当時の宮廷社会における「教養の共有」の意味を持ちましたし、同時に、そういう自然物に特殊な情趣を託すためのきわめて限定された言葉の運びのスタイルだったということができます。
「袖が濡れる」「名こそ惜しけれ」「物おもふ」「有明の月」「名にし負はば」などの定型的な言い回しも、みな同じような「拘束」を表しています。
 要するにこれらの「拘束」を自ら嵌めて、それらの組み合わせの妙によって、いかに同胞たちを感心させるか、そこにこの時代の言語芸術の目指すところがあったと言えましょう。
 これを、一種の言葉遊び=言語ゲームだったと評しても、けっして歌詠みたちの「いい加減さ」を示すことにはなりません。むしろ、知性を駆使して感情交流の場面を必死で虚構しようとする真剣勝負の場だったのだと思います。
 こうしたところにいやでも宮廷歌人たちの表現意識の位相は置かれていた。そう考えると、逆説的ですが、そのような高度なフィクションであればあるほど、後世にまで訴える力を持ったのだということができます。
 言葉は磨かれた拘束性においてこそ、普遍性を獲得する……。


 もう一つ指摘しておきたいのは、短歌(和歌)とは、もともと個人の芸術表現ではなく、古代の歌垣をその発生の起源とすることからわかるように、集団のお祭りのようなものから生まれてきたということです。
 一年に何度か(ふつう春秋二回)、農民たちが豊饒を祈念して集まり、酒を酌み交わしながら無礼講に興じる。カーニバルのように、さぞかし性の自由な交流もあったことでしょう。
 そういう交流の場で、誰かが上の句を唱える。これはそれ自体としては、さほど意味のない、しかし日常生活で皆が親しんでいるさまざまな自然物、地名、機織りや漁撈の道具、仕事のさまなどを提示したものと思われます。
 すでに数百年を経て、洗練された宮廷歌人たちが歌った歌を多く集めた百人一首でも、その痕跡を示す歌がいくつか見つかります。

 筑波嶺の みねより落つる みなの川(十三番)

 名にし負はば 逢坂山の さねかづら(二十五番)
 
 みかの原 わきて流るるいづみ川(二十七番)

 有馬山 猪名のささ原 風吹けば(五十八番) 

 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の(七十七番)

など。
 これらの上の句に、どんな下の句をつけるかで、そこにえもいわれぬ感興が生まれ、「うまい、うまい!」という集団的興奮に沸いたのではないか。
 それが多く、性愛・恋愛・噂話などを喚起させる文句であったことは想像に難くありません。相聞的なやりとりの場合だったら、虚構と現実が交錯して、その興奮は絶頂に達したことと思われます。返歌を投げる女性の言葉の技量は、こうして上達していったのでしょう。
 また下層身分の間では、さぞかし卑猥で露骨なやりとりがもてはやされたことでしょう。囃し立てる周囲の情景が目に浮かぶようです。

 こういう出自とまだ完全に無縁にはなっていない百人一首の世界、つまりほとんどの歌が平安から鎌倉初期までの八代集から採られている世界では、この「集団性」ということをある程度前提に味わう必要があります。個人の芸術作品というよりは、多分に昂揚した「雰囲気」から思わずこぼれ出た、と言った方が近いかもしれない。
 それらの歌が作られた背景、シチュエーション、返歌である場合には、贈歌との関係、歌合の題詠における場の雰囲気、などから切り離して味わおうとすると、鑑賞態度として邪道に迷い込む危険や、勘違いの感動の仕方をしてしまう恐れもなしとしません。その点によく注意を払ってこそ、この平安貴族社会という独特な文化風土に近づけるのではないかと思います。
 事実、この歌には、かくかくの詞書がついているとか、かくかくの歌の返歌であるなどの事情を知ると、まったく理解と趣が変わってくるのを経験します。
 また大岡さんの訳詞と解説を読むと、えっ、そんな意味が隠されていたのかとか、思いもかけぬ惻々とした哀しみが詠いこまれているのだなあとか、そこまでひねりを効かせるか、などの驚きを禁じ得ません(六番、十一番、三十八番、五十七番、六十八番、七十五番など)。
 
 しかし、新古今時代(十三世紀初)のスーパースターであり、百人一首の編纂者とも伝えられる藤原定家は、勅撰を命じた当の後鳥羽院が隠岐に流されて後書いたと言われる「後鳥羽院御口伝」では、「総じてかの卿(定家)が歌存知の趣、いささかも事により折によるといふことなし」と揶揄的に批評されています。
 つまり、定家に至ってはじめて、短歌という形式は、その背景や時や所と関係のない一個独立の完成品として自立したと言えます。つまり、定家は教条主義的なまでに、個人の芸術としての短歌という理念にこだわり、また事実、彼以降、この詩形式は、本当にそのように扱われるようになりました。
 この事情は、松尾芭蕉が連歌の世界から出発しながら、発句だけを独立させて「俳句」の世界を切り開いたのとよく似ています。

 話は飛躍しますが、クラシック音楽の歴史で、ベートーヴェンの登場によって、パトロン付きの「芸」であったそれまでの宮廷音楽の世界から初めて「個人の内面の表現」としての芸術が成立した事情とも。
 さらに美術の世界でも、弟子たちを集めた工房から個人のアトリエへと変化しています。絵画、彫刻などの造型芸術は、元は建築の装飾でした。

 このように、芸術の歴史というものは、おおよそどの世界でも、集団的協業の世界から次第に独創的な「個人」の作品という色合いを濃くしていくような流れになっています。このことはどうやら不可避的、不可逆的のように思われます(もっとも映画芸術、アニメなどは、その反動と言えるかもしれません)。
 どちらを好むかは、鑑賞者次第、作品次第ということができますし、もともとこんな問いには意味がないのかもしれません。
 しかし私個人の現在の考えを言えば、「個性、個性」と騒ぎ立てるのはあまり好きではありません。そんなことを言わなくても、現に感動的で立派な作品はいくらでも生まれているのですから。
 このように考えるなら、平安貴族たちの作り出した言葉の世界は、人間の情緒の世界を極めたものとして、まさにその全体が「集団芸術」の粋であると言えるのではないでしょうか。


*この記事はこれで終わります。

大岡 信 編訳『小倉百人一首』をテキストに語り合う(その2)

2017年08月10日 21時21分50秒 | 文学
        







【各歌感想】

 それでは、私が選んだ十首について、簡単にその感想と批評を述べてみます。とはいっても、この十首に絞るに当たっては、たいへん迷いました。恋歌だけに限定しても、心に響く捨てがたい歌がたくさんあるからです。ここに掲げた歌には、文句なく「入選」するものもありますが、こっちは捨ててやっぱりあっちを拾っておくべきだったかなあ、というのもあります。そういう未練がましい思いがいつまでも残りました。

   ●十九                    伊  勢
 難波潟 みじかき蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや


 「みじかき蘆のふしの間」という表現はきわめてわかりやすく、誰にでもピンとくる。一本の短い蘆にすぎない一生の、そのまた短い節と節との間。この喩は、それだからこそ、下の句に直接つながる切迫感の演出に成功している。「過ぐして」は、今風に「毎日を過ごす」というのとは違って、それだけで生が終わってしまうことを暗示しているので、よけいにその直情的な強い思いが伝わってくる。


   ●四十                    平 兼盛
 しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで
   
 これは二重の倒置法が効いている。「わが恋は しのぶれど 物や思ふと 人の問ふまで 色に出にけり」が散文的な順序。また、真情が他人に覚られるところとなったという誰にでも心当たり感のある事情を素直に歌い上げながら、そのことを通して秘密を隠しおおせなくなった恋の苦しさを明快と評すべきほどに表出させている。できそうでできない、コロンブスの卵のような歌。


   ●四十一                   壬生忠見
 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか


 まだ内に秘めたる片恋の思いを初々しく表現している。先の四十番と同工異曲ともいえるが、違いは、こちらがまだ思いを遂げていない点であろう。それなのに、人々がもう噂し始めている。それなら、この恋はあきらめるしかないのだろうかという哀しい気持ちが、最後の係り結びによる「思ひそめしか」という強い詠嘆の表現にとてもよく現われていて、深い共感を呼ぶ。上の句と下の句の転換のさせ方も鮮やか。ちなみに「名」とは浮名のことで、この時代、口さがない噂を恐れる気持ちは尋常ではなかったようだ。女性の歌によく登場する「名こそ惜しけれ」は、世間に顔向けできなくなって死ぬほどにくちおしいという意味である。


   ●四十三                 権中納言敦忠
 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり


 大岡さんの解説では、一夜を過ごした直後に歌われたとなっているが、ここはどうしても「昔」という言葉に引きずられるので、瞬間の心情であるよりは、恋が成就した後の長い悩みの時間もはらまれていると読みたい。もっとも大岡さんも、「恋の切なさ一般を歌いえている」と的確に評している。現代では、恋愛をただ素晴らしいことのように喧伝する風潮が目立つが(そのくせ、大した恋愛など成立しにくいのだが)、本当の恋というのはこのようなものであろう。


   ●四十六                   曾禰好忠
 由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな


 一見関係のない上の句を、「恋の道」に結びつけた技が鮮やかである。それでいて、意味上の不自然さはまったくなく、第三句から第四句へときわめてスムーズにつながっている。海人や船人にことよせた歌は多いが、この歌では、「由良の門」という地名にちなんで、「ゆらゆら」とあてどなくさまようイメージと、「かぢを絶え」で、波の高さに茫然として舵からも手を離してしまった船人の寄る辺なさとを重ねることで、あれこれと心惑う「恋の道」の視覚的な喩を形成し、それを最後の一句に見事に活かしている。


   ●五十                    藤原義孝
 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな


 思いを遂げた時のこの上ない喜びを何の衒いも凝った技巧もなく一気に歌い上げている。「君がため」に命をかけるのは、いわゆる「男気」というものである。もっともこの場合の「惜しからざりし命」は、君と添えるならという意味で、愛する者を救うために命を捨てるというのとは少し違う。それはともかく、思いを遂げた後は、幸福感のために、これがいつまでも続いてほしいという、一種の未練ともまがう「たおやめぶり」を示している。とかくおおげさに見栄を張りがちな「ますらをぶり」からの転換がここにある。それだけに一層、エロスの真実に迫りえている。


   ●五十四                  儀同三司母
 忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな


 今度は女性の側からの喜びを歌った歌である。先の五十番と比較すると面白い。この時代、女性は、たまさか訪れてくれる男のあてにならない約束をいつまでも待たなくてはならなかった。あなたはいま末永く決して忘れないと約束したけれど、それは当てにならない――これは女性にとって自明だった。その習俗が強いる事実が、女性に独特の屈折を与え、それが男のような単純な喜びを歌にするのとは違った複雑な陰影をもつ言葉を紡がせたのである。今日のこの喜びのまま死んでしまったほうがよいと一気に詠まれた下の句が、それを端的に表している。ちなみにこの行き詰まるような心情は、後世、近松が描き出した傾城の女の一途な恋心にそのまま通じている。


   ●五十六                   和泉式部
 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな


 これは解説不要。ダントツ一位。あえて野暮なことを言えば、迫りくる死の予感の中で、いよいよ高まる男への思慕の気持ちを「一目会いたい、一目会いたい」と祈りのように表現しているが、そうした鬼気迫る切迫感は、一種の宗教性すらおびている。女性は男性と違って、性愛の対象を自分の心に叶う一点に絞り、そこに情熱を集中させる。少なくともそれを理想としている。和泉式部はそのことをよく知りつくしていて、それを言葉にしたのである。彼女が実際に死の床に伏していたかどうかはあまり問題ではない。近代では、与謝野晶子が近いが、近代特有の夾雑物がややそれを妨げているかもしれない。


   ●五十八                   大弐三位
 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする


 この歌は「猪名」=「否」、「風」=「そよ」、「そよ」=「そうよ(肯定)」と、入り組んだ技巧に満ちている。これは、後に述べるように、地名とそれにちなんだ自然物を言えばすぐにその含みが理解されるような「隠語=共通語」を歌の起点として選んでいる。大岡さんの解説に、「通ってくるのが間遠になった男が自分のことは棚に上げて、『あなたのお気持ちがつかめなくて』などと言ってきたのに対して、上品な皮肉をこめて」返したとある。女性の返歌には、機知を利かせて痛烈な肘鉄を食らわせるものもあるが(たとえば清少納言の六十二番)、この女性のそれは、「否などと言ったことがあって? どうしてあなたのことを忘れたりするでしょうか」とやんわりと、しかも艶っぽく応じている。ある種の成熟した娼婦性と呼んでもいい。男はたまらず会いに行ったのではないか。何よりも風物の流れと、濁音を抑制した音韻の響きが美しい。


   ●八十九                  式子内親王
 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする


 この歌の作者・式子内親王は、幼い頃から斎宮を務め、病弱でもあり、またその地位からして(後白河天皇の第三皇女)、かなり窮屈な生涯を送らざるを得ない運命に置かれたようだ。高位であること特有の辛さがいつも付きまとっていたであろう。生涯独身で晩年には出家している。おそらく男と契りを交わしたことはなかったと思われる。そのせいか、「忍ぶ恋」を歌にしたとき、まことに心の底から絞り出すような真実味溢れる作品として結晶した。生きつづければ忍ぶ力が尽きて恋心が表に出てしまうだろうという独特のレトリックは、比類がない。ちなみに相手が誰かという下世話な興味がかき立てられるが、定家、法然などの説がある。事実を歌ったものとすれば、定家よりも法然のほうが可能性が高い。ある高位の尼僧の臨終の際に、法然が、お側に参じたいけれども諸般の事情から叶わないという意の長文の手紙を送っているからである。しかし、おそらくは、単なる題詠であるというのが真相に近いだろう。

大岡 信 編訳『小倉百人一首』をテキストに語り合う(その1)

2017年08月10日 01時57分25秒 | 文学
        






 以前このブログで、「大岡 信 編訳の『小倉百人一首』はすごい」というタイトルの記事を載せました。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/2507469c96bd504ccae3a9c6d1e533c8
これをきっかけとして、親しい仲間六人で、「それぞれのメンバーが百人一首から感銘を受けた歌十首を選び、それを発表しながら口頭または文章で感想と批評を述べ、みんなで自由に語り合う」という趣旨の会を開きました。文学研究者はいますが、短歌に関しては素人ばかりです。
 メンバーは三十代男性のHさん、Kさん、五十代男性のUさん、Gさん、六十代女性のMさん、それに私。
四十年近く世代の幅がありながら、話は妙に噛み合い、事前に一切相談しなかったにもかかわらず、選んだ歌が重なる場合もけっこうありました。
 しかしまた、それぞれの趣味嗜好、どこにアングルを定めるか、接触体験の深浅などによって、顕著な違いもあらわとなり、それはそれで、メンバー一人一人の個性、人柄を改めて相互に知る結果となりました。
 百人一首は定家が編集しただけあって、わずかな例外を除いて、いずれ劣らぬ秀歌がそろっています。しかも恋歌、美しい叙景歌、羇旅の歌、孤独の境涯を自ら偲ぶ歌、技巧の面白さを極めた歌など、多様さに溢れていますから、このような結果になるのは、考えてみれば当然だったとも言えるでしょう。

 Hさんは直感派。音声CDを聴きながら、その場でピンとくるのを選んだだけでしたが、けっこういいセンスを示しました。自分にとって縁の深い地名に反応するところに、ナマの現場を尊重する精神が感じられたのと、やはり若い世代にふさわしく、i-phoneなどで絶えず「音」を聴いている日常経験も関係しているのでしょう。
 Kさんは歳に似合わず、出家遁世の境地を歌った歌が多く、老成ぶりを示しました。作者を見ると、やはり僧侶が多い。心労の多いお仕事に就いているので、日ごろのストレスも関係しているかと邪推。しかし、そのよくできた円満な人柄からして、むべなるかなと感じたことも事実です。
 Uさんは、文学に造詣が深く、慎重に吟味した形跡が感じられました。数多い恋歌はなるべく避け、あえて叙景歌を中心に選んだとのこと。誰でもなじんでいる歌がいくつか含まれていましたが、その感想、批評を聞いていると、あまりに有名なので何気なく通り過ぎていた歌にもずいぶん奥深い歌心が込められていることを教えられました。
 Gさんも文学研究者ですが、温和な人柄にふさわしく、清冽な叙景歌や孤独で静謐な心境を歌ったものが多く、あまりに技巧に凝った歌や激しい感情を歌い上げたものは一つも選びませんでした。しかも総じて素直でわかりやすい歌が多い印象がありました。彼は今回の趣向とは別に、詩歌の批評についての発表も自発的に担当しました。持統天皇の「春過ぎて~」の歌における万葉集と新古今集との異同の問題を、昔日流行した「新批評」の旗手が論じた論考を素材とした発表だったので、これをきっかけに大いに議論に花が咲きました。
 Mさんは、いかにも女性らしく、ほとんどが恋歌でした。しかも女性歌人の繊細複雑な、また時には激しく乱れる心模様を歌ったものが多く、どれも秀歌と言わざるを得ないものばかりでした。一位から十位までランクをつけて発表した点、自ら選んだほとんどの歌に、日ごろ傾倒しているシャンソンの曲を対応させ、恋の悩み苦しみは古今東西共通したものである点を印象づけたことなど、新鮮でユニークな視点を提供してくれました。
 最後に私ですが、あらかじめ文章の形でレポートを用意していったので、それにやや修正を加えて以下に分載します。元のレポートは、「概説」と「各歌感想」の二部仕立てになっていましたが、ここでは、「概説」の冒頭部分をまず掲げ、次に「各歌感想」、最後に「概説」の残りの部分を載せることにします。

 会が終わるころ、流れはしだいに、やはり万葉集をやらなければなあ、というところに落ち着いていきました。次の機会には、古典に造詣の深いよき導き手の書いたものを参考にしつつ、ぜひ万葉集に踏み込もうと約束を交わしたのでした。


【概説その1】

 私は今回、あえて恋の歌ばかりを選びました。もちろん百人一首には、美しい叙景歌、人の世をはかなむ歌、羇旅の歌、ウィットと技巧のかぎりをつくした歌など、捨てがたい作品がたくさんあります。けれども、それらを捨てて恋歌に絞ったのは、一つには、私自身が最も関心を寄せることがらが、人間と人間との交流のあり方、ことに男女のそれであるために、その領域に限定したいと思ったからです。
 もう一つは、百の歌の中で恋歌の占める割合が飛び抜けて多いという事実のうちに、やはりこの時代の関心もそこに集中しているなという確信を得たからです。
 加えて、数ある恋歌が、どれも人の心の機微と奥深さ、人生の哀歓全体を表現して余りある秀歌ばかりだという感触を得ました。やるせない恋心を詠っていても、この時代の恋情には、寿命の短さからくる人生観が反映しているのか、必ずと言ってよいほど、人の世の無常、遠からずやってくる死への思いが、影のように付きまとっています。
 しかし一口に恋歌といっても、その歌心には、じつに複雑で微妙な綾が詠いこまれています。特に平安時代の貴族階級では、一夫多妻と妻問い婚が一般的でしたから、位の高い男性の多くは艶聞華やかなプレイボーイ、女性は孤閨を守りながら、たまさか訪れてくる男を待ち焦がれたり、いつの間にか忘れられたりといったパターンが多かったようです。
 だからこそ、女性の歌には、激しい情熱のほむらの燃え上がりや、胸をちりちりさせる片思い、夜明けまでわびしく空閨をかこつ哀しさ、噂に上ってしまうことを極度に恐れる秘めたる思い、そして時には、相手の言葉のうちに軽薄さを嗅ぎつけたうえでの当てこすりといった繊細な表現が実を結んだのでしょう。