小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

女帝・小池百合子のあくなき野望

2020年07月24日 00時27分45秒 | 社会評論


しつこくコロナの話題です。
別にそんなにこだわっているわけではなく、ほかのテーマもあるのですが、向こう(小池都知事)が毎日のようにテレビに顔を出していて目障りですから、この際彼女がどういうインチキな印象操作で、コロナについてのデマを垂れ流しているのかをはっきりさせておきたいと思うのです。
合わせて、この女がこれまで失敗に失敗を重ねてきたにもかかわらず、あくなき権力欲に取りつかれ、民衆がそれに応えて三百三十万票の期待を寄せた、その不死鳥のごとき秘密に迫ってみたい。
といっても、この記事は「小池百合子」ドキュメンタリーではありません。
筆者は彼女の私的人生になど何の関心もありませんし、評判になった石井妙子著『女帝 小池百合子』も読んでおりません。
問題は、彼女の政治活動がきわめて内容空虚なものであり、そのつどの政局や世間の動きを敏感に察知して自分の上昇志向を図るだけのものだということです。
同時に、この特徴こそ、この高度情報社会・大衆社会の時代の全体主義者のあり方をきわめてよくあらわしていると言いたいのです。
彼女はいわば、現代日本女性版「なにがし」として、いま最も危険視しなくてはならない政治家なのです。
混乱を極めた今の時勢もまた、彼女のような空虚なヒロインを求めている風がうかがえます。

前置きが長くなりました。
まず忘れないように、小池都知事が失敗した例の主なものを列挙しておきましょう。
・2017年9月、希望の党代表として野党糾合を目指し自民党に対抗するも、民進党・前原らと折り合わず、野党を混乱させただけに終わった。その綱領は、他党からのパクリが多く、右にも左にもいい顔をするパッチワークのようだった。希望の党は選挙で大敗、11月小池は代表を辞任し、翌年5月解党。
・初めの知事選の時に掲げた「七つのゼロ」公約は、ペット殺処分ゼロ以外、一つも果たせていない。
・築地市場の豊洲移転の方針を二転三転させ、根拠のない理由から1年半延期させ、膨大な経費を費やした。築地跡地再開発計画も全く進展していない。
・東京五輪マラソン札幌実施は、IOCの要求に何の抵抗も示さず、突然札幌市を混乱させた。

まあ、こんなところです。
さて今回のコロナ騒動に際しての小池都知事の態度には、目に余るものがあります。
3月下旬、東京五輪の延期が決定するまで、五輪実現のために、PCR検査実施を極力抑え、
東京ではコロナ感染者がほとんどいないかのような見せかけを作っていました。
ところが五輪延期が決定するや否や、にわかにあたかも日本で突然パンデミックが始まったかのように記者会見を行い、オーバーシュート、ステイホーム、ロックダウンなどの得意の横文字で視聴者をはぐらかし、中央政府を突き上げて、「緊急事態」の雰囲気を作りだしました。
この早業はさすがです。
マスコミは連日感染者数を報告し、トップニュースは来る日も来る日もコロナばかり。
この都知事の変化(へんげ)ぶりが機縁の一つとなって、中央の専門家会議でほどなく全国一律接触8割制限という要請が出されました。
ところが、この8割制限というのは根拠薄弱であったことがいまでは常識となっています。

ここで、新型コロナについての基礎知識を復習しておきます。
①人から人への感染力がきわめて強い
②密室、密集、密接によって感染しやすい
③潜伏期が長い
④高齢者や基礎疾患のある人は重症化しやすい
⑤8割は軽症で回復している
⑥無症状感染者の数が多い
ここでは、④~⑥が大事です。
軽症者と無症状感染者がほとんどであるにもかかわらず、まるで世の中は火がついたように集団ヒステリーに襲われました。
マスコミは、感染者数(陽性者数)が増えた減ったと騒いでいますが、感染者数の変化は、検査件数に依存して変わります。
さらに、PCR検査は打率7割と言われていて、検査サンプルは皮膚の表面だけなので、陽性反応を示しても、ウイルスが内部に侵入していないことがあり、だから陽性になったり陰性になったりするのです。
こういう不完全な検査結果が全国に報道されて、国民は大騒ぎしてきたのです。
このほか、次のことを知っておく必要があるでしょう。

1.欧米の死者数と日本及び東南アジア諸国のそれとを比べると、2桁から3桁の違いがあり、これは生活習慣などでは説明できず、免疫機構の違いに未解明の何かが存在するとしか考えられない。
2.中南米など、死者が上昇している国もあるが、世界全体ではすでに終息に向かっている。
3.欧米では、外出制限を厳しく取っていたのに、死者数はうなぎ上りだったが、スウェーデンでは規制を厳しくしていなかったにもかかわらず、そのカーブの具合は、ほかの国と変わらなかった。
4.発症者から採ったウイルスのサンプルは、8日間以上は培養に耐えなかった。
5.台湾の研究で、100例の確定患者とその濃厚接触者2761人を調べたところ、後に発病したのはわずか22人、すべて確定者患者とは発症前もしくは発症後5日以内に接触した者で、発症後6日以降に接触した者には発病者はゼロだった。
6.2018年のインフルエンザ死者数は3000人以上だったが、この年に今回のような騒ぎには一切ならなかった。
7.普通の肺炎の死者は年間12万人で、これをこの4か月間に換算すると4万人が死んだ計算になるが、これも騒がれたことは一切ない。
8.第2波、第2波と騒がれているが、これには100年前のスペイン風邪の経験を今に引き移しているだけで、何の理論的根拠もない。スペイン風邪は、コロナとはまったく違う特性のウイルスである。

これらの事実は、コロナが感染力だけは猛烈でも、大した病気ではなく、毎年やってくるようなウイルス性の感染症に過ぎないことを示しています。

小池氏が感染者数と検査件数との関係や、死者、重症者が高齢者に特化していることを知らないはずはありません。
それなのに、都知事に再選されてからは頻繁に記者会見に顔を出し、やれ今日は感染者が200人を超えたの、数が更新されたの、20代、30代の感染者が多いのと、ひたすら都民(国民)を煽り続けていますね。
おまけに検査対象を新宿の風俗街やその周辺に特化して、感染者が出やすい地域を狙い撃ちしています。
そして新宿区内で感染者が出たら10万円支給するなどという珍奇な《支援策》を講じています(区長の決定ということになっていますが、知事が関与していないはずはありません)。
そのため金のない若者が陽性になることを覚悟のうえで、わざわざ検査を受けたりもするそうです。
さもありなん、それにしてもひどい施策ですね。
陽性者をお金で買って増やしているわけです。

最近特に、この煽りがひどくなっていますが、これはなぜだと思いますか。

その前に、次のグラフをご覧ください(都内の最新感染動向)


https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/

これは、東京都が自ら発表している、陽性者数と検査人数との比を表すグラフです。
横軸は月日、縦軸左目盛は人数、棒グラフの色分けは、下から、PCR検査陽性者数、抗原検査陽性者数(ほんのわずかですので見えにくいですね)、PCR検査陰性者数、抗原検査陰性者数です。
また折れ線グラフは、点線が検査人数(7日間移動平均)、実線が陽性率(右目盛り%)です。
このグラフで注目すべきは、4点あります。
一つは、五輪延期まではほとんど検査をやっていなかったこと、もう一つは、5月7日の緊急宣言延期以降、検査人数を急に増やしていること(といっても1000人前後でたいしたことはありません)、三つめは、都知事選の前後で、検査人数が急激に増え、ピーク時は4500人に達していること、そして最後に、これが最も重要なのですが、最近の陽性者数(感染者数)の検査人数に対する割合が5~6%に過ぎないことです。
ところが小池知事は、毎日の感染者数だけを発表して、マスコミもそれをいちいち大げさにニュースで伝えています。
しかもこの5~6%の感染者数のうち、ほとんどが軽症か無症状で済んでしまうだろうことは、コロナの場合、すでに世界的に認められているのです。
さらに言えば、この間、東京都の死亡者数の推移はどうなっているでしょうか。


https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/?fbclid=IwAR2S54N_qvGv4pvErqYep9pud9caVBH44VsTj9dv0q5nXk8iq4ZnOyHd6xw

ピークは5月2日で15人、一番右は7月20日で1人です。
なぜ今日は死亡者はありませんでした、とか、今日は死亡者は1名、84歳(?)の男性でした、とか正直に言えないのでしょう。

さてみなさん、いかがですか。
これでも、第2波の危険が迫っているとか、緊急事態宣言が再び必要になるかもしれないとか、不要不急の外出は控えた方がいいとか、根拠を持って言えますか?
つまり小池知事は、日本人の生活の存亡(と言っても経済的な面でですが)がかかっている問題に関して、こういう隠蔽と欺瞞と煽動を平然とやりまくっているのです。
ついでですから、もう一つデータをお見せしましょう。
以下は、7月21日における各都道府県の感染者数の分布です(資料元は先と同じ)。



図の、グレーの県は、感染者数がゼロの県です。
これまで岩手県だけが感染者ゼロと言われてきたのに、ご覧のように、宮城県を除く東北全県、新潟、静岡、福井、鳥取、島根、山口、四国全県、大分、宮崎と、17県にもなっています。
「感染者が増えている」という印象だけを国民に植え付け、不安を増大させ、これからまだまだ第2波、第3波がやってきそうだと信じ込ませようとしている、小池都知事は、いったい何をやろうとしているのでしょうか。

国民の多くがひどい経済的な落ち込みで、これからどうやって生きていこうかと悩んでいる時に、さらに別種の不安をますます増大させる――このデマゴーグは、そこにつけ込んで政府を動揺させ、政府の経済回復方針を妨げようとしているのです。
もちろん、いま話題のGO TO トラベルなるアイデアなどは、ばかげ切ったものです。
こんなものは、経済回復に役立つわけがありません。
これはもともと、全国旅行業協会会長を務める二階自民党幹事長が、コロナが問題になり始めた初めに、対策の中に盛り込んでいた利権がらみのトンデモ案の一つです。
本当は、ようやく成立した第二次補正予算をさらに発展させて、もっともっと大規模な国債発行による粗利補償と、消費税ゼロを目指すのでなければ、予想される大恐慌に向き合えるはずがありません。
しかし、いま第二次補正予算を成立させた政権の足元はかなりぐらついています。
その安倍政権の緊急事態解除後の足元に噛みついて、あえて再びコロナ危機を煽ってその政府のコロナ対策方針を変更させることは、中央政界進出を狙う小池氏にとって、小さくはない賭けを意味しているでしょう。
もちろん、権力意識に取りつかれた彼女にとって、国民の経済危機など念頭にないことは明らかです。

ノンフィクション作家の窪田順正氏によれば、二階・石破・小池の三人は、もともと旧新進党時代のトリオとして親密な仲にあるそうです。
https://diamond.jp/articles/-/242608?page=5
安倍政権がガタガタになって自信を無くしている時、政府のコロナ対策にゆさぶりをかけ、二階氏を後見人として一番人気の石破氏を総裁に立てるたくらみではないかというのです。
考えられるシナリオの一つと言えそうですが、いずれにしても、小池百合子というこの全体主義者にとっては、国民も政府も不安と恐怖に攪乱されているいまこそ、自分の権力基盤を固めていく絶好の機会なのです。
初めに書いたように、今一番恐れなくてはならないのは、何度失敗しても恬として恥じないこの緑のタヌキなのです。
皆さん、簡単な統計のトリックに騙されないように、自分で資料を探しましょう。
すぐ見つかります。

【小浜逸郎からのお知らせ】

●新刊『まだMMTを知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(徳間書店)好評発売中。

https://amzn.to/2vdCwBj

●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

http://amzn.asia/1Hzw5lL

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説の連載が完成しました。
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/

政府の赤字は国民の黒字 財務省を信じず、MMTを学ぼう 

2020年07月21日 22時51分06秒 | 経済


以下の文章は、産経WEBからの求めに応じて書かれたもので、MMTについての両論併記として掲載され、新聞紙上にも載るそうです。相手は財務省系。この期に及んで何を書くのか楽しみですが。

コロナ禍は人災である。ここでコロナ禍とは、疫病による感染者、重症者、死者の増大を意味するのではない。政府・自治体の自粛要請に国民の大多数が積極的に従ったことによる恐るべき経済的ダメージのことだ。
すでにこのダメージの結果は歴然と出ている。4月の鉱工業生産指数は前月比で9.1%落ち込んで、これは東日本大震災の時よりも悪くなっている。日銀短観は3月がマイナス8ポイントであったのに対し、6月ではマイナス34ポイント。1~6月の輸出は、前年同期比でマイナス15.4%、輸入はマイナス11.6%。
帝国データバンクによると、今年の倒産件数は1万件を超し、自主的な休廃業などは、2万5千件と言われている。8月に4~6月期のGDPが出るが、目もくらむような下落が予想される。そして忘れてはならないのは、昨年10月の消費税増税によって、すでにGDPがマイナス7.1%という驚くべき落ち込みを見せていることだ。
このまま行くと日本経済は大恐慌に突入することが確実なのだ。
これに対処する方法はあるのか。政府はコロナ対策として第2次補正予算を組み、ようやく32兆円の真水を注入することを決定したが、こんな程度で足りるはずがない。
自民党の安藤裕衆議院議員が会長を務める「日本の未来を考える勉強会」議員連盟では、国債100兆円の発行と、消費税をすべての名目で0%にすることを提唱している。来るべき恐慌への備えとしては、これは当然と言っていい最低限の提案だ。加えて25年も続いた長期デフレから脱却し、政府が目標としていたゆるやかなインフレ(2%)を達成するには、こうした措置をさらに継続させる必要があるだろう。

さてこうした一見大胆な提案がなされると、必ず出てくるのが次の二つの疑問である。
①すでに「国の借金」が1000兆円をはるかに超えているのに、そんなに財政出動を拡大させたら財政破綻するのではないか。
②消費税をゼロにして、税収減を何によって補うのか。大胆な財政出動の財源はどうするのか。
これらの疑問は、財務省が長年国民を騙してきたデマに発するものだ。このデマの浸透は徹底していて、一般国民は言うに及ばず、政治家、学者、マスコミがこぞって緊縮財政を支持する羽目になってしまった。ところが財務省自身のホームページには、なんと、国債の発行によって財政破綻することはあり得ないと書かれているのだ。

昨年、MMT(現代貨幣理論)が日本に〝上陸〟し、上記の疑問がすべて根拠のないものであることを証明してみせた。
まず「国の借金」と呼ばれるものの正体は、政府がこれまで市場に資金供給してきた額の履歴に過ぎない。つまり返す必要のないお金であって、それはそのまま民間の預金として計上される。帳簿上、赤字とされはするが、政府の赤字は民間の黒字なのだ。
そうは言っても負債は負債なのだから、期限が来たら返さざるを得ないだろう、将来世代にツケは残せないと普通の人はつい考えてしまう。誰もが知っているテレビの売れっ子で、評論家まがいの人々も同じ間違いを垂れ流して、国民の思い違いを絶えず助長している。しかし事実はそうではなく、期限が来たら、古い国債を新しい国債に取り換えるだけなのだ。
したがって、政府は今回のような緊急時に限らず、いつでも必要十分なだけ国債を発行することができ、税収に頼る必要などないのである。なぜそんなことができるかと言えば、政府には通貨発行権があるからだ。ただし、これはMMTがしつこく断っていることだが、国債発行にまったく制約がないのかと言えば、そうではなく、インフレ率がある水準を超えた場合(たとえば5%以上)には、発行を抑制する必要が出てくる。市場に貨幣があふれ、貨幣価値が下落し物価が高騰して国民生活が苦しくなるからだ。
しかし、もしこういう事態になったら、デフレ期に増税をするという愚か極まる政策(インフレ対策)を取ってきた政府にとって、物価高騰の抑制は得意中の得意なのだから、日銀と二人三脚で、増税をしたり、国債の売りオペによって市場の余剰貨幣を吸い上げたりすればよいわけだ。

ところで、「財源」の問題である。大多数の国民は、国の歳出は税収によって賄われていると思っているが、これは大きな誤解である。「社会保障の充実のために増税がどうしても必要だ」などと言われると、ただでさえここ25年間実質賃金の低下で苦しんできた国民も、さらなる徴税をしぶしぶ我慢してしまう。こういうバカな目にあわされるのは、税収が国の歳出を支えているという誤解から抜けきれないからだ。
すでに述べたように、インフレ率という制約以外に、国債発行額に上限はないのだ。現に今年度の予算(一般会計)のうち、税収(63兆円)の占める割合は、49.5%と、半分を割り込んでいる。おまけに特別会計予算もある。歳出合計は約250兆円で、これを加えて考えれば、税収から支出されているのは、約四分の一に過ぎない。
そして、こちらの方が大事なのだが、MMTでは、スペンディング・ファーストと言って、ある年の税収を実際に使う前に、財務省は短期証券のかたちで日銀からお金を「借り」、どんどん先に使っていることを指摘している。これもまたただの事実である。
税の機能は、国の歳出に充てるというよりも、「円」という通貨単位での納税を政府が認めることによって一国の経済活動を保証すること、および、景気の動向の調整のために増減税を行なうこと、そして所得の再分配、などである。
消費税をゼロにしても、政府は少しも困らない。その分だけ国債で補えばよい。現在のような緊急時こそこの措置がぜひ必要である。年収220万円の人は、年間200万円を消費し、20万円を消費税で取られるところを、消費税20万円も消費に回せるのだ。しかも政府に吸収されている全額が市場に出回り、その分だけ国民の経済活動は活発になる。

 MMTの基本は事実を述べているだけで難しくない。ぜひこの機会にマクロ経済の基本を学びましょう。


【小浜逸郎からのお知らせ】

●新刊『まだMMTを知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(徳間書店)好評発売中。

https://amzn.to/2vdCwBj

●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

http://amzn.asia/1Hzw5lL

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説の連載が完成しました。
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/




コロナ全体主義をいつまで続ける気か

2020年07月09日 00時14分54秒 | 思想


去る6月25日、ダイヤモンド・オン・ラインに、窪田順生氏というノンフィクションライターの「コロナ禍でわかった、日本人が患う『管理されたい病』の重症度」という文章が載りました。
https://diamond.jp/articles/-/241302
この文章には、次のような3つのデータが紹介されています。
①《NHKの世論調査で、新型コロナなどの感染症の拡大を防ぐため、「政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする法律の改正が必要だ」と考えている人が、62%もいることがわかった。「必要ではない」と答えた人は27%なので、ダブルスコア以上である。》
②《2013年、キーマンズネットがビジネスパーソン585人を対象に、プロジェクトを実行する際に「管理する側」と「管理される側」のどちらがいいかと質問をしたところ、「管理される側」が53%と上回った。》
③《2019年にパーソル総合研究所が、日本を含むアジア太平洋地域の14の国・地域における就業実態の調査をしたところ、日本で管理職になりたい人の割合は21.4%と、14の国・地域の中でダントツに低かった。》
窪田氏は、これらのデータを掲げた後、戦前・戦時中、普通の市民によって構成された膨大な「投書階級」なる存在が、いかに当時の「娯楽統制」に影響を与えたかについて、次のように述べています。
まず、言論統制される以前から、新聞やラジオというマスコミは自ら進んで戦争を煽っていた。軍の発表を盛りに盛って、「爆弾三勇士」などの戦争美談をふれ回った。「そうしろ」と命令されてわけではなく、愛国心を刺激するコンテンツが読者やリスナーに圧倒的にウケたからだ。そして、 この「愛国コンテンツ」を連日のように見せられた国民が、暴走を始める。「投書階級」のように、自分たちの価値観に合わないものを「社会にとって害だ」と排除し始める。たとえば、当時戦争に反対する「非国民」を一般市民が棍棒を持って追いかけ回して袋叩きにする、という事件が珍しくなかったが、それは軍部に命令されたわけではなく、市民たちが自発的に行ったことなのだ。
そのうえで窪田氏は、「令和の日本で木村花さんをSNSでネチネチとイジめた人々や、CMに不倫タレントが出ていると企業にクレームを入れるような人々とそれほど変わらないことを、80年以上前の日本人もやっていた」と語り、「これが、日本が全体主義へのめり込んでいったプロセスである。『陸軍のエリートが暴走した』『軍を抑えられなかった政治家が悪い』『マスコミが戦争を煽った』などといろいろ言われるが、やはり『全体』というだけあって、日本社会がおかしな方向に流れても誰も止められなかった最大の原因は『民意の暴走』にあるのだ」と結論づけています。

筆者はこの文章に触れて、わが意を得たりと思い、あるメディアに紹介しました。
それというのも、筆者はこの間ずっとコロナを巡る社会現象を、科学的データも含めて分析してきたのですが、少なくとも日本では、オーバーシュートだのロックダウンだのと大騒ぎするような実態はほとんど見られないにもかかわらず、日本国民全体がいっせいに過剰自粛に走り、陽性反応者などほとんど出ていない田舎町まで、ソーシャルディスタンスの名のもとに、マスク着用はおろか、アルコール消毒やフェイスシールドやビニールシートやアクリル板で溢れるようになった集団ヒステリー現象を、まさに全体主義の下地が露見した状態と指摘してきたからです。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/8b539fc184c8c79ea921ea0f03720352
(6月15日)
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/d9ba7e74cb9e3435b0dbc223bffb8103
(5月28日)
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/c4943a9102096047589a253502165ce5
(4月15日)
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/2d8d910dcbbed2b60866d6903d153874
(3月28日)

上に挙げた現象だけで済めばまだ微笑ましいとも言えますが、それよりもはるかに深刻なのが、飲食業やデパート、小売店の一斉休業、コンサート、スポーツイベントなど文化企画の一斉中止、一般企業のテレワークや時限通勤の非能率、中小企業の倒産、航空、鉄道、タクシーなど公共交通機関の乗客激減など、日本経済に致命的な打撃を与えた事実です。
疫病としてのコロナは、日本のみならず、すでに世界的にも終息の傾向にあるのに、空気としてのコロナ全体主義はいまなお続いており、これがいつ終わるのか、見当もつきません。
経済的ダメージに至っては、これから倒産、廃業、失業の全体像が明らかになるにつれて、第二次世界恐慌への突入が現実化していくので、これを克服するのに何年かかるかわかりません。

ところで、筆者が窪田氏の記事を紹介した時、いくつかの批判を受けました。
一つは(批判Aとしましょう)、日本の庶民は昔から自分で判断して行動しており、政府が緊急事態宣言を出すはるか前から自粛していたのだから、なぜ「管理されたい病」というのかわからないというものでした。
しかしまず窪田氏は、データ①で外出禁止や休業強制を法律化した方がよいと答えた日本人が圧倒的に多かった事実を挙げています。
このデータが示すものが、「管理されたい病」と呼べるかどうかについては後述しますが、危機が来た時には、不安を鎮めてもらうために、厳重かつ律義に規則で固めた方がよいと多くの日本人が考えていることはたしかです。
政府・自治体のゆるゆる規制は、補償から逃げようとする動機があったとはいえ、生活の自由という観点からは悪いことだったでしょうか?
それを一般国民が、わざわざ否定するような選択をしているのです。
また、データ②は、サンプル数の少ない一調査ですから、たしかにこれだけをもって日本人は「管理されたい病」に罹っていると結論づけることはできないかもしれません。
むしろここから何か結論を引き出すとすれば、責任を負いたくないという傾向を表しているというべきでしょう。
データ③も同様で、管理職につきたくないというのは、重責から逃れて気楽な立場で仕事をしたいという傾向の現われでしょう。
さて、以上をより厳密に考えるなら、日本人は、①のように、ある決まったルールがあればそれに従うことに安住していられるし、自粛をもっと徹底できたのにと考えている反面、自分でルール作りに参加したりその責任を負ったりするのは嫌だと感じていることになります。
要するに総論賛成、各論反対というわけで、これは昔から主体的参加や目立つことを嫌がる日本人の傾向をよく表していると思います。
さて批判Aは、日本の庶民は昔から自分で判断して行動しており、政府が緊急事態宣言を出すはるか前から自粛していたとしていますが、昔から自分で判断して行動していたというのは、かなり疑わしい。
参勤交代で大名が通る時にいっせいに土下座する態度を、「自分で判断した行動」と呼べるかどうか。
福沢諭吉が馬に乗った馬子に出会った時、馬子があわてて馬から降りた。
これを見て福沢が「これからは堂々と乗ったらよい」と諭した話は有名です。
また商人は身分の低さを自ら身体化していて、お武家さんの前でもみ手をしながらぺこぺこと卑屈な態度で接し、実利をちゃっかりとる気風を持っていたこともよく知られています。
この気風は今でも残っていて、営業マンが顧客を落とすために、やたら過剰な敬語を使ったりするところに現れています。
庶民は権力の視線の及ばない領域を狡猾に心得ていて、そういうところでは「自分で判断して行動していた」と言えるだけでしょう。
批判Aは、庶民の「自分で判断して行動する」態度を、今回のコロナ騒動に当てはめていて、情報を得てからいち早くマスク着用や外出自粛を取った行動を肯定的にとらえているようです。
しかしマスク着用や外出自粛が、自主的な判断や行動としてそんなに主体的な意志を要するるものかどうか。
「雨が強くなってきたから、今日は外出を控えよう」といった、誰でもそうする程度のことなのではないですか。

窪田氏の記事のタイトルが「管理されたい病」となっているので、誤解を招きやすいですが、上で引用したように、彼は、むしろ一般市民の自主的な行動が全体主義の生みの親だということを、戦前・戦中の例を出しながら繰り返し強調しているのです。
そしてこれは、責任意識の欠落と主体的に決断の意思を示さないような上述の傾向と矛盾しません。

ただし、政治的な全体主義はむしろヨーロッパやロシアがご本家ですから、一般市民の自主的な「暴走」を日本人特有の傾向とすることはできないでしょう。
いずれにしても、批判Aは、窪田氏の記事をきちんと読んでいないか、読んでもその要点を無視しているのでしょう。

もう一つの批判(批判Bとしましょう)は、あのように自主的に素早く自粛したからこそ、欧米に比べて奇跡的に感染者数や死者数を抑制できたのだというのがあります。
これはまったくの間違いです。
上に挙げたブログURLでも何度も指摘していますが、欧米とアジア(日本だけでなく)とでは、死者数が2ケタ、3ケタ違います
この極端な違いは、生活習慣の違いや自粛の徹底などで説明できるものではなく、山中伸弥教授が「ファクターX」と呼んでいるように、何らかの疫学上の人種的相違、あるいはウイルスと接触した細胞との関係の変容によるものでしょう。
そして自粛や外出規制が被害を少なくしたのではないことは窪田氏も指摘していますし、この事実はもはや常識となっています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/542fccde6866d9b910ccbb4ff4b94466c4930282?page=1
ただしこれは、今回の新型コロナウイルスの型については当てはまっても、それ以上のことは何も言えません。
今後の研究成果に期待するほかはありません。
批判Bは、今回のコロナの流行の世界的な傾向について、何も勉強していないのでしょう。

さらにもう一つの批判(批判Cとしましょう)は、やはり批判Aに通ずるもので、まだ政府・自治体が外出規制を出す4月前に、桜の花がほころぶころ、みんなの気が緩んで、感染者数が跳ね上がったという事実がある(つまり、外出自粛に効果があった証拠だと言いたいのでしょうか)というものです。
これも、きちんとデータを調べると、間違いであることがわかります(東洋経済新報社がPCR検査数、検査陽性者数、重症者数、死者数、退院者数、地域別感染者数、年齢別陽性者数など、多岐にわたって、コロナ関係の推移を追いかけている資料。いまも続けています)。
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/?fbclid=IwAR1K46rf5-f7gEulYku9DhisT4y8M_eWseRRz3IujXUuvGNwyWC8t-SvWII
これを見ると、3月中旬から下旬にかけて感染者数はわずかに増えていますが、跳ね上がるというほどでもありません。
また重症者数、死者数はまったく増えていません。
それが、緊急事態宣言が発出される4月7日前後から急速に増えているのです。
そして宣言の延期(5月7日)前にはいずれもピークアウトしています。
つまりこのことは、自主的な外出規制も、政府の宣言も、どちらもこれらの動きに関係がないことを示しているのです。
批判Cは、感染者数の増減をもって判断の根拠としていますが、そもそもこの判断が間違っています
PCR検査は、日本では実施数も日によって違い、実施地域もバラバラです。ある地域(たとえば東京)で(政治的な理由も絡んで)特定地区に集中的に検査数を増やせば、陽性者数が増えるのは理の当然です(それでも思惑通りには増えていないようですが)。
しかもこの検査は打率7割という低さです。
陽性と診断された人が再検査で陰性となることもあれば、逆もあります。
つまり、マスコミが報道している「陽性者数」の増減というのは、まったく客観性が担保できない数字なのです。
批判Cはマスコミの報道を鵜呑みにしていて、より信頼のおける死者数に言及していません。

筆者は、このたびのマスコミ報道を見ていて、どうして感染者数ばかりを強調するのか、視聴者はどうしてこの報道姿勢に疑問を持たないのか、不思議でなりませんでした。
つまりは、この数字だけでこの疫病がたいへんな病気なのだという印象を植え付けるためだとしか思えなかったのです。
あるいは、頭がそこまで働かなくて、無意識にやっていたのでしょうか。
そうだとすれば、バカとしか言いようがありません。
窪田氏の記事で最大の要点は、こうした全体主義的空気を作り上げるのに、たとえ無意識にもせよ、マスコミと一般国民の大多数とが一役も二役も買っていたという事実なのです。

こういう批判(これを批判Dとしましょう)もあります。
窪田氏の記事には、「日本人はお上の言うことに従う」というステロタイプな思い込みがあって、それが鼻につくというのです。
批判Dも、これによって、彼の記事を最後まで読んでいないことがわかります。
たしかに「管理されたい病」などとレッテルを貼れば、そういう印象を抱くのも無理はないとは言えるでしょう。
しかし彼が言いたいのは、むしろ逆で、大衆はある普遍的な不安や危機的な情報に煽動されると、そこで作られた正義とされるイデオロギーを「自主的に」選択して、それに従わない者を「社会全体にとって害になる」とばかり、容赦なく排除する行動(時には「暴走」)に走るものだという指摘なのです。
そのことを読みえていない批判Dも、窪田氏の記事をきちんと読んでいないと言えます。

ところで窪田氏が言っていることは、思想的にもたいへん重要な指摘なのです。
いったん暴走のエネルギーを持った大衆の情念は、「お上」の規制など平気で乗り越えてしまい、次々に異端を火あぶりにしていきます。
そこには経済的なゆとりを失った人々が不満のガス抜きのために多数参加しているでしょう。
そうして、そこに生じた混乱を一気にまとめ上げるべく、単純なスローガンを掲げたヒーローが登場します。
あるいは、その下に多くの小ヒーローが参集し、弱気な者たちに「正義」を押し付けてマウントするのです。
こうして「全体主義」が完成することは、歴史がさんざんに証明しています。

筆者はこのたびのコロナ騒動に接して、こうした全体主義の影を、国民大衆の「自主的な」姿勢そのものの中に垣間見たのです。
それにほとんど近いことを窪田氏が説いているのを見て、賛意を禁じ得ませんでした。
いま思うことは、何かある言説がまことしやかに流れたら、本当かどうかよく調べること、世の動きの大勢に対してたえず違和を抱く感性を失うべきでないこと、そして、いまだこの国に残り続けているヘンな心理的コロナ後遺症から早く国民が脱却してほしいということです。


【小浜逸郎からのお知らせ】
●新刊『まだMMTを知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(徳間書店)好評発売中。

https://amzn.to/2vdCwBj

●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

http://amzn.asia/1Hzw5lL

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説の連載が完成しました。
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/