小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

社会主義はそんなに悪いか

2019年10月31日 13時16分48秒 | 思想


*この論考は、1年前掲載した記事を改稿して再録したものです。

「社会主義」といっても、中共やかつてのソ連を肯定しようなどという話ではありません。

一部で悪評判の高い新自由主義イデオロギーは、以下の諸項目を教義としています。

(1)小さな政府
(2)自由貿易主義
(3)規制緩和
(4)自己責任
(5)ヒト、モノ、カネの移動の自由(グローバリズム)
(6)なんでも民営化
(7)競争至上主義


これらは互いに絡み合い、影響を与え合ってある一つの潮流へと収斂していきます。
その潮流とは、巨額のカネをうまく動かす者、国際ルールを無視する者、国家秩序を破壊する者が勝利するという露骨な潮流です。
(1)の「小さな政府」論者は、(3)の「規制緩和」を無条件にいいことと考え、(6)の「なんでも民営化」を推進し、(7)の競争至上主義を肯定します。
その結果、過当競争が高まり、世界は優勝劣敗の状態となります。
敗者はすべて(4)の「自己責任」ということになり、誰も救済の手を差し伸べません。
また、(2)の「自由貿易主義」は、経済力の拮抗している国どうしであれば、激しい駆け引きの場となります。
しかしふつうは強弱がだいたい決まっているので、強国の「自由」が弱小国の「不自由」として現れます。
こうして(5)のグローバリズムが猛威を奮い、資本移動の自由が金融資本を肥大化させ、実体経済は、国境を超えた金融取引に奉仕するようになります。
中間層は脱落し、労働者の賃金は抑制され、貧富の格差は拡大の一途をたどり、産業資本家は絶えず金融投資家(大株主など)の顔色を窺うようになります。
ケインズが、産業資本家階級と、金主である投資家階級とを同一視しなかった理由もここにあります。

ところで、社会主義国家を標榜していたソ連が崩壊してからというもの、社会主義とか共産主義と聞けば、大失敗の実験であったかのような感覚が世界中に広まりました。
その反動として「自由」を至上の経済理念とする気風が支配的となり、反対に社会主義思想はすべてダメだといった「社会主義アレルギー」が当たり前のように定着してしまいました。
この感覚が、経済における新自由主義の諸悪の延命に一役買っています。

次々に批判勢力を「粛清」して全体主義国家を成立させたのはスターリンであり、その基礎となるロシア革命を起こしたのはレーニンであり、そのレーニンはマルクスの思想にもとづいて社会主義政権を樹立した、だから、スターリン→レーニン→マルクスと連想をはたらかせて、諸悪の根源はマルクスの社会主義思想にこそある、という話になってしまいました。
しかし社会主義を経済理念として見た場合、本当にダメなのでしょうか。
こういう連想ゲームで物事を判断するのは、歴史の実相を見ようとしない、あまりにナイーブな思考回路ではないでしょうか。

筆者は、恐ろしく変転する世界史を、個人と個人をつなぐ連想ゲーム的な思考で解釈する方法には、大きな誤解がある、と長年考えてきました。
ソ連は、なぜ崩壊したのか。
最も大きな理由は、「共産主義」というイデオロギーを掲げた官僚制独裁権力が中枢に居座り、人々の経済活動への意欲を喪失させたからです。
1956年、フルシチョフがスターリン批判を行なったにもかかわらず、彼の失脚後、この官僚的硬直はかえって深まりました。
つまりこの歴史の動きは、創始者の経済思想の誤りにその根源を持つというよりは、ある特定のイデオロギーを「神の柱」とした政治権力の体質にこそあるとみるのが妥当なのです。

筆者は、特にマルクスを聖別するわけではありません。
彼の思想と行動の中には、十九世紀的な(いまは通用しない)過激な理想が確かにありました。
その大きなものは二つあります。
国家の廃絶私有財産制の否定です。
その人性をわきまえない政治革命至上主義をとうてい肯定するわけにはいきません。
しかし、社会主義勢力の現実的な系譜をたどってみるといくつもの飛躍があることがわかります。
それを踏まえずに、創始者がどんな現実認識と基本構想を持っていたかに目隠しをすることは、思想的には許されません。

マルクスは、主たる活動の舞台を、当時日の出の勢いで覇権国家としての地位を確立しつつあったイギリスの首都・ロンドンに置いていました。
そこで彼が見たものは、年少の子どもたちまでも過酷な労働に追いやる政治経済体制のいびつな姿であり、同時に大量生産によって驚くべき生産力を実現させる資本主義の力でした。
マルクスの頭を占めていたのは、前者の過酷な事態を何とかしなければならないというテーマでしたが、他方では、後者の巨大な生産力を否定することでこの課題を解決すべきだとはけっして考えませんでした。
この巨大な生産力の秘密である資本主義の成長の構造を否定することは、原始生活への回帰か、せいぜいが牧歌的な中世への逆戻りを意味します。
彼はこう考えました。
資本主義の生産力は人類が作り上げた富の遺産であり、これをさらに発展させて、生産手段を一握りの資本家に占有させず、より多くの人々に分配することこそが、問題の解決に結びつく、と。
マルクスは、資本主義を否定したのではなく、資本主義が生んだ大きな
遺産を万人にとってのものにするにはどうすればよいかに頭を悩ませたのです。
そして労働者階級が生み出した価値を資本家階級が搾取する構造を解明しました。
生産手段を労働者主体の手に。
つまり我々一人一人を経済的な主権者に。
その構想を実現するための政治的手段として、無産者階級の団結と、欺瞞的なブルジョア国家の止揚を呼びかけたわけです。
この構想が熟するためには、彼が、ロンドンという当時の世界経済の最先端で、その明暗の両面を観察するという条件が必要でした。

さて世界初の「社会主義革命」を実現させたとされるロシアは、当時どのような状態に置かれていたでしょうか。
ツァーリの圧制のもとに、大多数の無学な農奴たちが社会意識に目覚めることもなく、ただ貧困のうちに眠り込んでいたのです。
産業はほとんど発展していず、マルクスが革命の必須条件と考えていた資本主義的な生産様式はほとんど実現していませんでした。
マルクスは、ロシアを遅れた国として軽蔑していましたし、その国で彼の構想する社会主義革命が起きるなどとは夢にも思っていませんでした。

遅れて登場したレーニンは、まれに見るインテリでしたし、ロシアの現状をとびきり憂えていました。
この国を少しでも良くするには、組織的な暴力革命を起こすしかない、と彼は考えました。
その時彼の目に、これこそ使えると映ったのが、マルクスの社会主義理論でした。
しかしロシアの現状は相変わらずで、マルクスが社会主義実現の必須条件としていた資本主義の高度な発展という段階には至っていなかったのです。
レーニンは、その社会条件のギャップを無視しました。
気づいていなかったはずはなかったと思われますが、政治的動機の衝迫が、そのギャップについての認識を抑え込んでしまったのでしょう。

つまりロシア革命とは、資本主義がまだ熟していなかったロシアという風土における特殊な革命、というよりはクーデターと言ってもよいものです。
世界のインテリたちは、このクーデターに衝撃を受け、支配層は深刻な動揺に陥りました。
労働者階級はここに大きな希望を見出し、資本家階級は大きな狼狽を隠せませんでした。
彼らは当時のロシアの実態をきちんと分析せず、一様に、世界初の社会主義革命が実現した、と錯覚したのです。
その証拠に、眠りこけた農民たちは、革命後もなんだかわからないままに、交替した新しい権力に服従しただけです。
またレーニンの死後、権力を握ったスターリンは、一国社会主義を掲げ、西欧の資本主義諸国に一刻も早く追いつこうと、全体主義的な政治体制の下に、次々に強引な産業計画を進めていきます。
反対者の大量の粛清、強制労働、強制収容所などの汚点は、こうして生まれたのです。
結局、ロシア革命とは、遅れた社会体制を打ち壊して、近代資本主義国家を建設するためのものだったので、マルクスの構想とははっきり区別されるべきものなのです。
これを「ロシア・マルクス主義」という特殊な名で呼びます。

さてこう考えてくると、長く続いた米ソ対立が、その見かけとは違って、自由主義VS社会主義というイデオロギー対立ではなく、また経済体制の違いをめぐる抗争でもなく、むしろ、両大戦間に覇権国となったアメリカと、独裁政治によって急速に力を伸ばした新興資本主義国ソ連との、単なる政治的な覇権競争であるという実態が見えてくるでしょう。

これは何かに似ていませんか。
そう、現代の米中覇権戦争ですね。

いま問題となっている米中貿易戦争も、資本主義国家どうしの力と力の激突に過ぎないと見なす必要があります。
鄧小平が中国に市場経済を取り入れて以来、この国は、建前だけは社会主義を掲げながら、政治的には中華王朝時代と同じ独裁体制を採りつつ、経済的には最先端と言ってもよい資本主義体制を採っています。
レーニンが打ち倒す対象と考えた「国家独占資本主義」をまさに地で行っているわけです。

では、冒頭に掲げた新自由主義の諸悪は、どうすれば抑えられるのでしょうか。
それには、二つの方法が考えられます。

一つは、有力国家群が協議して、野放図な経済的「自由」を規制するルールを作ることです。
資本主義を否定するのではなく、市場の自由や知財の移動や為替についての共通ルールをもっと厳格にするのです。
しかしこれは、多極化している国際社会の現状や、グローバリズムに乗っかって帝国主義を強引に進めている中国のことを考えると、合意を得るのが極めて難しいでしょう。
すると当面、もう一つの方法に頼らざるを得ません。
それは、それぞれの国家が、自国の経済の能力と限界をよく分析し、各自それに見合った形で、野放図な経済的「自由」の侵略に対する防波堤となることです。

かつて日本は冗談半分に「一種の社会主義国だ」と言われていました。
それは、必要に応じて、政府が適切な関与をし、また基幹産業は国有企業(公社)だったからです。
いまの政権がそれをほとんどなくしつつある状態は、国家としての自殺行為と言えるでしょう。
経済がこれほど衰退し、国全体の凋落が歴然としているいま、さまざまな分野での公共投資を積極的に増やす必要がありますし、政府がバランスあるコントロールをとっていく必要があります。
そのために貧困や失業をなくし格差を是正するという、社会主義がもともと持っていた基本動機のいいところを見直す必要があるのではないでしょうか。
これは、最近話題のMMTにもかなうものだと筆者は確信しています。

*参考:拙著『13人の誤解された思想家』


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マスコミはなぜ懲りないのか

2019年10月19日 00時24分15秒 | 思想


台風19号が残した水害の惨禍が広がっています。
10月17日午後11時現在、死者77名、堤防決壊箇所は、全国68河川で128か所に及んでいます。
まさにそのさなか、日本経済新聞の久保田啓介という編集委員が書いた10月14日付の記事があまりにひどいので、一部で批判の的になっています。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO50958710T11C19A0MM8000/

とにかくまず、久保田某の論説の一部をここに書き出してみましょう(太字は引用者)。

2011年の東日本大震災は津波で多数の死傷者を出し、防潮堤などハードに頼る対策の限界を見せつけた。
堤防の増強が議論になるだろうが、公共工事の安易な積み増しは慎むべきだ。台風の強大化や豪雨の頻発は地球温暖化との関連が疑われ、堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない人口減少が続くなか、費用対効果の面でも疑問が多い
西日本豪雨を受け、中央防災会議の有識者会議がまとめた報告は、行政主導の対策はハード・ソフト両面で限界があるとし、「自らの命は自ら守る意識を持つべきだ」と発想の転換を促した


遅まきながら筆者も、この久保田某をやっつけておきましょう。
これは何が言いたいかというと、要するに、防災のために公共事業費を費やしても無駄だから、それに頼るのは諦めて、自分で命を守る工夫をしろと言っているわけです。
ハードに頼る対策の限界」「公共工事の安易な積み増しは慎むべきだ」というところに端的にそれが出ていますね。
この提言が、財務省の緊縮財政路線べったりであることは、火を見るよりも明らかです。
国民の命よりも「健全財政」のほうが大事だ、国はあんたの命など守ってあげるために国土を強靭化するお金の余裕はないよと、平然と言ってのけているのですね。
「安易な」と形容詞をつけることでソフトに見せかけたつもりでしょうが、長年にわたって公共事業削減を続けてきた歴代政権の失政を認めずに、ひたすらヨイショしていることは見え見えです(公共事業費は。現在97年ピーク時の5分の2。安倍政権になってからも全然増えていません)。

堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない」とは何たる恐ろしいレトリックか。
少しでもかさ上げできれば、それだけ人命を救う可能性が増すにきまってるでしょう。
幼稚園児でもわかりますよね。
この一文を、今回の堤防決壊の実態に当てはめてみてください。
お前が決壊した水に浸かって一番先に死ねよ、と言いたくなりませんか。
ちなみにこのたび、堤防決壊とは別に、ダムの放流が何か所かで予告されましたが、竹村公太郎氏が常々説いている通り、ダムのかさ上げ工事をしておけば、わずかな高さでこれまでよりも圧倒的に多くの水量をキープできたのです。
しかも単純なコンクリート工事ですから、コストはそんなにかかりません。
これをやっておけば、今回のように、下流の住民を危険と不安にさらす必要はなかったのです。

人口減少が続くなか、」――最近、何かというと社会問題(たとえば少子高齢化問題)を論ずる論客が「人口減少」を合言葉みたいに持ち出して、危機を煽ったり言い訳に使ったりします。
人口減少そのものは、推計を信じるとしても、たいへんゆるいカーブであり、差し迫った危機ではありません。少子高齢化問題の要は、人口減少カーブと生産年齢人口減少カーブとのギャップにこそあります。
それよりなにより、国土強靭化の費用をケチるために、なんで人口減少を持ち出すのか。
何の関係もないではありませんか。
自然的な人口減少よりも、この災害大国で、久保田某のような公共事業悪玉論の横行のために失われる命のほうが多いかもしれないのですよ。
費用対効果の面でも疑問が多い」とエラそうにのたまっていますが、彼は、これだけの費用をこういう事業にかけたらこれだけの効果があるという試算でもしてみたのか。
自分でできないなら、専門家の考えを聞くのでもいい。
おそらくこの種のことなど、一度もしたことがないのでしょう。
無責任極まる発言というべきです。

行政主導の対策はハード・ソフト両面で限界があるとし、『自らの命は自ら守る意識を持つべきだ』と発想の転換を促した」――これはウソです。
「令和ピボットニュース」がこのウソを見事に暴いています。
この(中央防災会議の)報告は、西日本豪雨の際に、行政からの情報提供にもかかわらず危機意識が不足していて逃げ遅れた人が多く存在したことを受けて、「住民が『自らの命は自らが守る』意識を持って自らの判断で避難行動をとり、行政はそれを全力で支援する」ことが必要だと訴えるもので、堤防への投資が不要などという話とは全く関係ないのです。
https://reiwapivot.jp/libraries/pivotnews_20191016/

さて、こうしたマスコミの盗人猛々しい論調は、うち続く災害の中にあっても、なぜ変わらないのでしょうか。
こうしたひどさに対しては、「相手にもできない」「頭がおかしい」「バカ丸出し」「狂気の沙汰」など、いろいろな罵倒の言葉を投げかけることができるでしょう。
しかし一方、ただ罵倒で終わらせずに、次のように考える必要もあります。
日経や朝日など大方の大マスコミの劣悪さは、「今に始まったことじゃないさ」と突き放すことができるでしょう。
もともと新聞という媒体は、その発祥からして「社会の公器」ではなく、好奇心を掻き立てる見聞(噂話)を広く知らせて儲けるビジネスでした。
江戸時代の瓦版など、さぞかしガセネタが多かったことでしょう。
19世紀アメリカではイエロージャーナリズムが一気に部数を伸ばしましたし、日本の明治時代にも、このたぐいが大流行りでした。
また、特に公正性などを持ち合わせているわけでもなく、社是としての私的な主張をもっともらしく「公論」として見せかける術にたけているだけです。
そしていつのころからか、彼らが勝手に「公器」を自称するようになったのです。
ですから、国民は、新聞の言っていることなど、まともに信じてはなりません
以前、藤井聡氏がFBにアップしていましたが、主要先進国の国民が、新聞・雑誌をどれくらい信頼しているかを比較したデータがありました(2005年。単位%)。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/3963.html
それによりますと、イギリス13.4(!)、アメリカ23.1、イタリア24.7、ドイツ28.7、フランス38.5、
そして日本72.5(!)。

もちろん、いまの大新聞は、さすがに事実報道という面では、頼りになる面があります。
始末に悪いのは、社説とか、その社が発する論説といったたぐいの文章です。
これは久保田某や、朝日新聞の原真人など、編集委員、論説委員と呼ばれる「エラくなった人」が書きます。
彼らは細かい現場事情に触れる必要がなく、具体性の乏しい抽象的な文章を書くことが許されています。
言葉が抽象的であること自体は、必ずしも悪いことばかりとは言えませんが、庶民感覚、現場感覚をきちんと包み込むことが困難になることはたしかでしょう。
そういう危うさを抱えたところに、頑迷な「社是」や「理念」が取りつくと、現実から遊離した文章が出現するわけです。
社是や理念があらかじめ決まっているので、何か書くのに、いちいちエビデンスを取る必要もありません。
だから、乱暴に言えば、新聞社では、エラくなればなるほど、アホな文章が出やすくなります。
彼らは高給を取って、高い社内的地位に甘んじて、それに見合わない見当違いの文章を平気で書くことができます。
高級な考えを書いているという自己満足感と共に。
これは言ってみれば、「権威主義」という組織構造的な問題でもあります。
社内に開かれた議論の空間が確保されていて、それをボトムアップできるシステムがあればいいのですが、いまの新聞社にそれを期待することは無理でしょうね。
政界、学界の構造とも似ているでしょう。

私たちは、こうした事実をよくよく踏まえ、批判精神を大切にして、お人好し的国民性から脱しなくてはなりません。
イギリス13.4%というのがちょっと羨ましいですね。


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エリートたちの思考停止

2019年10月11日 13時34分38秒 | 思想



2019年10月8日、遠藤金融庁長官が、厳しい経営環境が続く地銀について「他力本願的だ」と指摘し、主体的な改革推進を求めました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191008-00000013-jij-pol&fbclid=IwAR0cYwfhmTgvK_gBb10SJlrX8IlWIOouMyF6T6Qzuwmq1dlKAUNVwCMnFMo
 遠藤長官は、地銀の収益改善策について「顧客と中長期的な信頼関係を結ぶビジネスを真剣に考えれば資金利益は確保できる」と強調しました。
また、預金口座の維持手数料を利用者から徴収する議論が浮上していることに対しては「サービスが変わらないまま、収益向上のためだけに手数料を取るのであれば顧客が納得しない」と指摘し、利便性を高めるなど、現行取引に付加価値を加えることが大事だと語りました。
一見正しいことを言っているように見えます。

しかし地銀の経営が厳しさを増している背景には、安倍政権のデフレ政策の誤りがあります。
そしてその根源には、金融緩和さえやればOKというリフレ派の考え方があったのです。
日銀は、いまだにこれを続けています。
この政策のために金利が極端に低下し、銀行はいま青息吐息です。

銀行の主な利益は、貸出金利と預金金利の差額、それに取引に伴う手数料です。
しかし肝心の金利がこんなに低くなってしまっては、経営が圧迫されるのは当然でしょう。
おまけに需要が冷え込んでいる地方企業が、銀行からお金を借りて投資に踏み出そうとしません。
それは、このデフレ状況では、将来的に儲かる見込みが立たないからです。
そういうわけで、地銀はどこも断崖に立たされています。
島根銀行が一番に破綻しましたね。
この状況は、政府が大胆なデフレ対策を打たない限り、解決不可能です。

そんなことは一目瞭然なのに、金融庁長官はその根本原因に言及する代わりに、地銀に対して、効果のないスポ根型精神論をひたすら押し付けているわけです。
知っていながら知らないふりをしているのか、マクロ経済に蓋をして、ミクロ経済の問題にスリカエているのですね。
間違った前提をそのまま受け入れて、自分の役職の範囲内でしかものを考えたり発言したりしないのです。
ここには、全体的な流れやプロセスを見ようとしない思考停止の典型が現れています。

しかもこれには後日談があります。
信頼できる筋からの情報ですが、今度は、自民党の金融調査会で、国会議員が同じ論調で当の金融庁を責めていたそうです。「金融庁の指導が足りない」「地銀はもっとニーズに合ったサービスをしないからダメなんだ」という具合に。
真相から目を背ける人々の、見苦しい「罪のなすり合い」ですね。

このように、手を汚さないで済むエリートや財界人たちのなかで、いま思考停止による無責任な言動が横行しています。

もう一つ例を挙げておきましょう。

一日後の10月9日、ファーストリテイリング会長の柳井正氏が日経ビジネスのインタビューに答えています。
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/00357/?fbclid=IwAR0q2FElDohYtgGKOwaZE4OykqTNXOKN70joIMZ7zM0ypMj-U4AftKtixUk
このインタビューで、柳井氏は、日本はこのままでは滅びるから、大改革が必要だというのです。
ではその大改革とは何かといえば、次のようなトンデモ政策です。

まずは国の歳出を半分にして、公務員などの人員数も半分にする。それを2年間で実行するぐらいの荒療治をしないと。今の延長線上では、この国は滅びます。
 参議院も衆議院も機能していないので、一院制にした方がいい。もっと言えば、国会議員もあんなに必要ないでしょう。町会議員とか村会議員もそう。選挙制度から何から全部改革しないと、とんでもない国になります。


これは、維新が掲げている政策と酷似していますね。
アメリカで盛ん(だった)「小さな政府」論への盲従です。

柳井氏は、日本の公務員が人口比で世界一少ないということも知らないらしい。
これ以上公務員を減らしたら、公共サービスの劣化はますます進むでしょう。
災害時などの繁忙期に、公務員がいかに心身をすり減らして死にたくなるまで働いているか、氏は想像したことがあるのか。
公務員は少なくとも、いまの2割は増やさなくてはならないのです。
また、歳出を半分にして、デフレ脱却、社会福祉の充実、インフラ整備、教育、医療、防災、国防その他、いま日本にとってぜひ必要とされる案件をどうやって解決しようというのか。
何よりも、こういう「大改革」をすれば、どうして「滅びゆく日本」を少しでも食い止めることができるのか、その理路がまったく立っていません。
いまの日本の衰退のおおきな原因が、柳井氏のアイデアとは真逆の、緊縮財政路線にあるということも、彼はまるで分っていないようです。
要するに、ふだんから、「小さな政府」を実現して、自分たちのビジネス領域を拡大しようとしか考えていないので、何の根拠もない思い付きをフカしているだけなのです。

儲けることに専念して(それはそれで結構なことですが)経営に成功してきた者が、ちょいと偉くなって政治に口出しなど始めると、バカなことしか言えない、その無残な例がここに現れています。
日本の衰退を政治的に問題にするなら、もう少し政治について勉強してはどうでしょうか。
あなたのような人がいるから、日本は滅ぶのだと言いたい。

御用学者のたぐいにも無知をさらしている人はたくさんいますが、それはこのブログで何度も取り上げてきましたので、今日は控えておきましょう。
いずれにしても、これら著名人の発言が、じつは私的利害や主観的信念や自己保身のためだけなのに、公共的な体裁のもとになされている例が氾濫しています。
こういう無責任な言論状況が積み重なることもまた、「滅びゆく日本」をいっそう前に進めるでしょう。
一国が滅んでゆく最大の原因は、その国の国民が、自国の滅亡過程を自覚しないことです


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貧困家庭のみならず中流家庭でも虐待やDVが起き、引きこもりによる殺人事件や、それを恐れて息子を殺害する事件などが世間を騒がせています。それは、ひとりひとりの「こころ」の問題としても現れ、同時に「社会」全体の解決困難な課題としても現れています。
日本人の病むこころから、それを生み出している社会病理に至るまで、広い視野のもとにその背景を探り、適切な処方箋を見出していきます。
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リベラリズムの退廃

2019年10月02日 11時41分11秒 | 思想



9月27日、「チャンネル桜」放送、我那覇真子氏の「おおきなわ」で、ジェイソン・モーガン氏が「アメリカン・バカデミズム」(育鵬社、9月10日発売)という自著について紹介していました。
https://www.youtube.com/watch?v=HNITQkAwlis&t=136s
筆者はこの本は未読ですが、内容を聞いてびっくりしました。
いまアメリカのリベラル系の大学では(すべてではないでしょうが)、アイデンティティ・ポリティクスが大流行で、氏によれば、個人のアイデンティティが100以上あるそうです。
アリゾナ州立大学大学院の博士課程の院生が「私はカバです」とか「私は犬です」などと大真面目に主張していて、犬を自分のアイデンティティにしている人は、実際にお椀で食べたり犬のベッドで寝たりしているとか。
木と結婚するとか、石と関係するなどということも実践されているらしい。
メンタルの病にかかっているとしか考えられません。
「そりやいくら何でもバカバカしいよ」などと言おうものなら、直ちに差別として告発されます。
代名詞もheとshe以外にいくつもあり、ニューヨーク州では、ある人を間違った代名詞で呼ぶと罰金を取られるという法律が堂々と成立しているそうです。

モーガン氏は、リベラル色濃厚なウィスコンシン州立大学に論戦を挑むべく、あえて歴史学部に入学したのですが、まったくこちらの議論に耳を貸してくれませんでした。
ある時、全学生に州知事に反対するデモに参加せよとのメーリングリストが回ってきて、そのスローガンが「州知事は皇帝ネロだ」というものでした。
氏は、学問の府を政治の舞台にするのはどうかと思い、一人で全員に反論メールを出しましたが、無視されました。
また氏は、慰安婦問題について秦郁彦氏や平川祐弘氏に学び、韓国が間違っているとの確信を得て、それを歴史学会のニューズレターに投稿したところ、反論者はたったの一人でした。
しかしその背後で、500人もの人が「日本が悪い、安倍(首相)は韓国に謝れ」といったお祭り騒ぎを演じました。
氏の指導教授は、他教授と「モーガンが大騒ぎの張本人だ」というメール交換をする一方、氏に対しては、「超多忙」を理由に何にも取り合ってくれなかったそうです。
どうやら韓国からの裏金が動いていたらしい。
そうした事実をもっと日本人に知ってもらいたくて、『アメリカン・バカデミズム』を書いたと、モーガン氏は述べていました。

この話を詳しく紹介したのには、2つの理由があります。

一つは、徴用工問題、韓国への輸出規制、韓国のGSOMIA破棄など、最近の一連の日韓関係の悪化について、日本の一部保守派の反応を見ていると、対韓国との関係で「ざまあみろ、自業自得だ、日本の勝ちだ」といった感情的な炎上が少なからず見られる点に疑問を持つからです。
といっても、筆者は、この関係の悪化はまずいことだから、何とか仲直りする道を探すべきだなどと言いたいのではありません。
問題は、日本の一部保守派が、韓国一国との関係だけで一喜一憂している点です。

周知のように、現代の戦争は、ドンパチだけではなく(むしろそれは少なくなっており)、情報戦、経済戦の様相が色濃くなっています。
日本は、韓国および中国とは、すでに長いこと情報戦と経済戦を戦っているのです。
そしてことに情報戦において、日本は中韓に大差をつけられています。
それは、国連や欧米諸国で、中国のいわゆる「南京大虐殺」や韓国のいわゆる「従軍慰安婦」などの問題が当たり前のこととして受け取られている事実を見ればわかります。
彼らは、国際的な情報戦に勝つために、膨大なエネルギーを注いできました。
しかし日本は、一部有志の努力があったものの、外務省をはじめとして、この問題を、国連や欧米諸国で日本がどう受け止められるかという地球規模の問題として扱ってきませんでした。
現在のところ、勝敗は決したも同然で、このままほおっておけば、「日本の悪」が国際的な正史として定着してしまうでしょう。
覇権戦争のさなかにある米中は、日本の主張の正当性をけっして認めないという意味では、皮肉なことに、かつての「戦勝国」として連携していると言えるのです。
モーガン氏の話は、そのことを象徴しています。

もう一つは、モーガン氏の話が、アメリカのリベラル左翼がいかに硬直したイデオロギーに染まっているかを示しているという点です。
個人のアイデンティティを当の個人が勝手に決めて、それを笑ったりバカにしたりしたら差別だというのは、リベラリズムが行きつく退廃の極をあらわしています。
その点で、日本の左翼のほうがまだしも健全な常識の範囲内にあると言えますが、しかしここには、左翼がたどる、笑うだけでは済まされない一つの道筋がくっきりと示されています。
日本の左翼も、現在、LGBT、アイヌ、女性、障害者など、特殊性を持った「記号としての弱者」のカテゴリーをあらかじめ決めておく傾向が顕著です。
そしてその傾向に少しでも違和をあらわす言動がなされると、すぐ差別とか人権蹂躙とか排外主義と言ったレッテルを貼りつける風潮が目立ちます。
これは、左翼が本来の任務を放棄している証拠なのです。

左翼の本来の任務とは、中央政府が一般国民の生活の豊かさと安定を保証せず、かえってないがしろにする方向に走っている時に、その事実を指摘して改めさせるような政治行動を起こすことです。
その基盤にあるのが、ふつうの労働者のための組合運動ですが、80年代くらいからそれがすっかり鳴りを潜めてしまいました。
しかし現実には、いまの日本の政権は、グローバリズムに完全にいかれてしまった結果、ふつうの国民生活をさんざんに苦しめています。
日本国民が貧困化している証拠は山ほどあります。
つまり労働組合や左翼政党が活躍すべき条件が十分に復活しているのです。
にもかかわらず、一部の突出した人気政治家を除いて、その条件を活かす兆候は見られません。

このところ、行き過ぎた金融資本の自由化を是正し、政府の財政政策を積極的に肯定しようとする新しい経済学の理論が盛り上がっています。
その潮流の担い手の一人である経済学者を日本に招聘しようと努力していた人(Aさんとしましょう)が、思わぬ苦労を経験しました。
Aさんは一応保守派を標榜しているのですが、現政権の経済政策のとんでもない誤りを少しでも日本国民に知らしめるべくその経済学者を呼ぼうとしたのです。
ところが一部の左翼勢力が、Aさんの主宰するメルマガに掲載されたある人の論考を探り出して内容をその経済学者に知らせたそうです。
その論考は、モーガン氏が論戦を挑んだのと同じように、いわゆる「従軍慰安婦」問題や「徴用工」問題や「南京大虐殺」問題についての日本の主張の正しさに触れたものでした。
同時にこれらの情報戦における、日本の対応のふがいなさにも触れています。
これを知った経済学者は、その論考を削除しなければ訪日しない旨を伝えてきたそうです。
Aさんは、イデオロギーで人を入れたり切ったりすることを嫌うプラグマティストですから、粘り強く経済学者を説得して、訪日OKにまでこぎつけました。
もちろん、削除要求に対しては拒否しました。
左右イデオロギーを超えて、正しい理論を少しでも広めることができるのですから、それはそれで大変よいことだったと思います。

以上の経緯が示していることは何でしょうか。
筆者は、正直なところ、この経済学者の対応に驚きました。
英語圏では、学者までもが、かくも特定イデオロギーに染まってしまっているのですね。
日本の憲法学者や御用学者などを見ていると、人のことは言えた義理ではありませんが、学問や言論の自由を最大限尊重する英語圏の学者なら、まさかそんなことはないだろうという幻想を筆者も持っていたのです。
筆者はそこに、モーガン氏が経験したのと同じリベラリズム全体の政治的偏向と退廃を見る思いがしました。
もう一つ、残念なのは、やはり先に述べたように、英語圏の人たちの多くは、東アジアのもつれた関係についてよく知らないのに、「悪いのは日本だ」と信じ込んでいるらしいことです。
ここにも中韓の情報戦の圧倒的な勝利の証拠を見ることができます。
韓国のほうだけを見て一喜一憂している場合ではないのです。
筆者もモーガン氏にならって、世界では「悪いのは日本」が常識になってしまっているという事実を知ってもらいたくて、これを書きました。
くだんの経済学者個人を批判したくて書いたのではないことをお断りしておきます。


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