小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

国家官僚になったら、まず世間を学んで来い

2020年02月28日 23時29分07秒 | 思想


昔、教育論を手掛けていたころ、オーストラリアの大学進学について読んだことがありました。
日本では、大学に進学するほとんどの高校生が、ただちに入学試験に挑戦します。
ところがオーストラリアでは必ずしもそうではなく、1,2年はモラトリアム期間として自由に社会経験を積むケースが多いというのです。
何かの仕事に就くのもよし、諸国を漫遊するのもよし、自分のやりたい自由な研究や創作活動などに打ち込むのもよし……。
親もそのことを許容する雰囲気があるそうです。
筆者はこれを知った時、それはうらやましい! と思いました。

先日、オーストラリア経験が長い日本の知人にこれについて話してみたら、それは日本の教育にない、いいところだと言っていました。
この年齢は、活力にあふれ、さまざまな興味関心に目覚め、世間を味わってみたいと願い、異性関係を充実させたいと思う年齢です。
窮屈な受験勉強などに押し込めるのは、あまりよいことではありません。
筆者がこの稿で本当に言いたいことはその先にあるのですが、いずれにせよ、かけがえのない青春期、子どもたちに、それぞれの関心に見合った自由で多様な経験をさせることはとても大切なことと思われます。

日本では、義務教育と高校教育を終えると、なぜ一直線に進学→卒業→就職というコースをたどる青少年が大部分を占めるのでしょうか。
これは制度上の問題ではありません
やろうと思えば高卒後、しばらく社会経験を積んで、やはり大学を出ておこうと思い立った時点で、勉強に精を出せばできるはずですから。
半世紀も前、筆者の知人で、現にそういうふうにして自分のやりたいことを見つけ、芸大に進んだ人がいました。
最近でも、大学で哲学を学んでから某一流メーカーに二、三年就職し、やはりもう一度哲学を学び直そうと大学院に進んだ人がいました。
若いときは、事情の許す限り、あれこれ選び、いろんなことに手を出して、あちこちふらふらしたくなるのが当然です。
そういうことは、もうずっと前から制度的には可能なのです。

ところで、小さいころから秀才の誉れ高く、有名進学校を出て東大に入り、好成績を修め、国家公務員試験に合格して、そのまま財務省などの官庁に務めて出世していく、あるいは、経済学、法学など、人文系の専門学を学び、アメリカの一流大学に留学し、帰国して学者の道を目指す。
こういうコースを一直線に選んだ人たち(誰とはあえて言いませんが)の中には、世間一般の常識とか、庶民の心とか、貧しい人たちの生活実態といったものに対する想像力が著しく欠けている人がしばしば見受けられます。
彼ら「エリート」は、何やら難しい理論(時としてまるで現実と合わない間違った理論)を身につけているかもしれませんが、私たち国民の普通の暮らしを豊かにしたり、安寧を保証するにはどうすればいいか、という発想がまったくないようです。
それこそが、そもそもエリートたる者の本来の役割であるにもかかわらず。

しかし、本当に公共心の持ち合わせがあれば、多少自分とは違った世界に住む人たちに対して想像力を馳せることはできるはずです。
ところが、日本の「直線コース」志向の圧力はものすごく、そういう想像力を働かせる余地そのものも奪ってしまうようです。
いまの日本の経済状態、国民の貧困状態、若者の将来不安がどんなにひどいことになっているか、ちょっと数字を見ただけで誰でもわかるのに、彼らはひどい視野狭窄に陥っていて、そういうところに目が向かないようです。

なぜこういうことになるのか。
これには、明治以来の後進近代国家の悲しい後遺症がいまだに響いているように思います。
「末は博士か大臣か」
「ねえねえ、ハーバード大学出たんだって。すごくない?」
「お偉いさんたちが言ったりやったりしてるんだから、何か考えがあってのことだろう」
こんなふうな空気がまだ支配しているようでは、日本はほんとうの意味で近代民主主義国家とは言えません。
日本は欧米並みの近代国家になることを急いだために(それ自体は必要なことでしたが)、文系学問の各部門が縦割りで発展して、それぞれの間に有機的な連係プレーが成立していません。
分業体制は作ったものの、協業体制ができていないのですね。
だから、どの分野にも専門家がそろってはいるのですが、それらの知見を総合して、全体としてそれらが何を意味するかを考えるジェネラリストが非常に少ないのです。
個々の部品は優秀でも、それを組み立てて優れた自動車を作ることができないようなものです。
部品は車が走る現実の複雑な状況など知りませんから。
いまの日本では、そういう貧弱な状態に乗じて、声のデカい連中が知ったかぶりや権力行使をほしいままにしています。
そしてその結果、こんな貧困大国になってしまいました。

空気の支配と言いました。
そう、これは、言われなく「上」を仰ごうとする空気の支配なのです。
この空気は、大多数の人々の周辺に漂っています。
高校を終了したら、間髪を入れず、できるだけいい大学へ、大学を卒業したら、すぐにもできるだけいい就職先へ……こうした直線コースを当然のこととして疑わない人々がほとんどです。
このゆとりのない人生イメージに最も囚われている人々は誰でしょう。
ほかならぬ子どもたちの親であります。

ちなみに筆者自身も、自分の子どもたちを大学に入れるまでは、そういう直線コースにあまり疑いを持っていませんでした。
日本的な枠組み通りに、普通に進んでくれればいいと思っていたのです。
ところが大学入学後は、子どもたちが勝手に紆余曲折の道をたどるので、もう、勝手にせい、となってしまったわけです。

さて、一部のエリート官僚や学者の想像力の欠落の再生産に一役も二役も買っている日本の「直線コース」志向の圧力を少しでも減圧するにはどうすればいいでしょうか。
親が子どもに託す上昇志向欲そのものは、まずなくならないでしょう。
またそれ自体は一概に悪いと決めつけるわけにもいきません。
自分の子どもが立派になってほしいと願うのが人情というもので、その人情を自分の属する文化圏や時代のなかで満たしていくほかに方法がないからです。

問題は、外見は立派なキャリアを経てきながら、かえってそのことのためにとんでもなく間違った認識や行動を平気で取る「エリート愚民」たちを、どうすれば増産しないで済むか、ということです。
だいぶ以前、どこかに書いたことなのですが、一つ提案をしたいと思います。
これは、ことにエリート官僚候補生について適用すべき提案です。
国家公務員試験に合格して、省庁への採用が決まった時点で、すぐに入省させずに、二年から三年、社会経験の期間を義務付けるのです。
一種のインターン制度ですね。
この社会経験は、一流企業への出向といったたぐいのものではなく、たとえば町工場の作業員、ファミレスやコンビニ店員、小売店員、零細企業の事務職員、電気ガス水道工事屋、看護助手、介護施設職員、保育所職員、建設現場の作業員、レジャーランドの職員、掃除夫(婦)、大型免許や二種免許を持っているならトラックやタクシーの運転手、その他、さまざまなNPO職員等々。
要するに、この社会で縁の下の力持ちを果たしているような職業に就かせて、そこでの仕事のきつさや人間関係の厳しさを学ばせます。
もちろん一つに限ることはないので、期間中にいくつかの職に就くことを選ばせてもいいでしょう。
ただし、あまり自由選択肢を増やさず、いくつかに限定します。
彼らは20代で活力にあふれ、壮健な体と柔軟な頭脳とみずみずしい適応力とを具えています。
この早い時期に、脚光を浴びることのないこれらの職業に就くことを通じて、庶民の心、世間常識、下積みの人々がどういう生活意識で生きているかを骨身に沁み込ませることができると思います。

筆者は思うのですが、このインターン期間を終えた上で、本務である官僚の仕事に就かせれば、必ず経験が活きてくるでしょう。
省庁内部での自由な発言も増すでしょうし、これまでの路線に唯々諾々と従うだけでなく、発想も豊かになる可能性があります。
旧態依然たる組織形態や体質を、内部からもっと開かれたものに改善してゆく原動力にもなるでしょう。

この提案は、上司に対しても厳しさが求められる提案です。
上司は、これまでの既定路線をひとまず脇において、若き官僚候補生の言葉や雰囲気を寛容に受け止め、狭いセクト主義を克服しなくてはなりません。
机上で「PBを黒字化しなければ!」などとカルト的教義にいつまでも固執して国民殺しを続けている現在の財務省も、少しは変わるのではないでしょうか。


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3月に上程されるとんでもない種苗法改定案

2020年02月18日 23時50分51秒 | 政治


「桜」騒ぎ、「コロナ」騒ぎで陰に隠れていますが、次のようなことが進行中です。

前衆議院議員の山田正彦氏が、種苗法改定の問題点を詳しく検討し、これについて真剣に警鐘を鳴らしています。
https://ameblo.jp/yamada-masahiko/entry-12575782319.html?frm_src=favoritemail
一部要旨を抽出すると、次のようになります。

①農水省は3月上旬には自家増殖(採種)一律禁止の種苗法の改定案を国会に提出する。自民党筋からの話では、3月中に衆議院を通して4月中には参議院で成立させる予定。
 
②政府は農研機構各都道府県の優良な育種知見を民間に提供することを促進 するとしている。( 8条4項)。この「民間」には海外の事業者も含まれる。
 
③種苗法が改定されると、登録品種は自家増殖(採種)一律禁止になり、農家は登録された品種の育種権利者から対価を払って許諾を得るか、許諾が得られなければ全ての苗を新しく購入するしかなくなる。違反すると10年以下の懲役1000万以下の罰金
  
④いちご・芋類・サトウキビ・りんご・みかん等の果樹はこれまでのような自家増殖ができなくなる

⑤米麦大豆などの専業農家は、新しく購入した登録品種を3年ほど自家採種して使っているので、それが出来なくなると経営的に大きな打撃を受ける。
 
⑥日本は30年前までは国産100%の伝統的な種子を使っていたが、今日ではモンサントなど多国籍企業の種子を毎年購入し、価格も40〜50倍に上がっている。今度の改訂で、新品種に関してもこの傾向が続くことは確実。

⑦育種権利者が都道府県から企業に代わった場合、都道府県との契約内容をそのまま企業が引き継ぐ。しかし農家は都道府県と契約など交わしていないのが普通なので、これから新しく企業と契約を交わすことになり、毎年許諾の代価を支払うか、種苗を企業の言いなりの価格で買わざるを得なくなる。
 
⑧新品種を育種登録するには数百万から数千万円の費用がかかるので、新しい品種の登録は大企業しかできない。
 
⑨新品種であることの認証は、遺伝子解析では不可能。人的能力によるしかないが、膨大な品種の農産物を人的能力で識別することも事実上不可能。

なおこれに関して、山田氏は、「日本の種子(たね)を守る会」を主宰して討論会を開いています。
https://www.facebook.com/events/559943831545149/

以上ですが、種苗法改定は、日本の農家を守るためではなく企業利益のために制定されることは明白です。
その企業利益というのも、言うまでもなくモンサント(現バイエル)やコルテバ・アグリサイエンス(旧ダウ・デュポン)など、世界的なグローバル企業の収益を指しているでしょう。
ちなみに、種苗業界の売り上げランキング上位10位までは以下の通り。




このうち、米国の上記2社が占める割合は、65%、サカタのタネは2%に達しません。

この法案が通ると、2016年4月に改定された農協法と相まって、日本の農業が巨大グローバル企業の餌食になってしまうことは明らかです。
また財力の乏しい農家はどんどん廃業を強いられるでしょう。
いかに農協ががんばっても、これでは限界があります。
これはまさに、2018年12月に制定された水道民営化法や漁業法改正と同じ方向性で、日本国民の水と食の安全と自給を犠牲にして、外国資本に日本の公益事業や産業を売り渡そうという政策です。

今さら言うまでもありませんが、安倍政権は、この7年間で、移民政策、消費増税、貧困化政策、グローバル企業優先政策、非正規社員増大政策など、数々の亡国政策を取ってきました。
同時に、一方でたびたびの災害や、これから予想される災厄に対しても、財務省がPB黒字化目標を達成するために財政破綻の危機というデタラメを垂れ流してきた結果、国債発行による十分な財政出動が抑制され、インフラ整備や科学技術振興や社会福祉費や国防費も削らなくてはなりませんでした。
つまり、国民にとって何もいいことをやらなかっただけでなく、悪いことばかりやってきたのです。
この前も書きましたが、この政権は国境の大切さに対する意識がほとんどまったくありません。
鳩山由紀夫氏の言う「日本は日本人のためにだけあるのではない」というふざけた言葉を地で行っているために、国民を困窮の極致に追い詰めているのです。

この政権は、最長にして最悪の政権です。
早く引導を渡さないと、確実に日本は滅びますが、さて、次にどうするかについて、愚かな野党や自民党のポスト安倍候補に期待するわけにもいきません。
今の日本人は、外国から「死にかけたネズミ」と言われているそうですが、言い得て妙です。
戦後最大の危機状態にあるにもかかわらず、立ち上がる気概と結束力を喪失していて、消費増税のようなひどい政策に対しても、大規模なデモ一つ起きませんでした。

これを少しでも克服するには、感情的な支持・不支持、右左イデオロギー対立の不毛、植え付けられた先入観を、私たち自身が一刻も早く捨てることが必要です。
ある政策が国民のためになるかならないかについてきちんと議論する習慣を取り戻し、間違った政策に対しては、力を合わせて反対の声を上げましょう。

不肖わたくしも、言論人の端くれとして、この2月27日に、『まだMMTを知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(徳間書店)という本を出版します。
この本では、いまの政治がいかに間違っているか、その結果どんなにひどい状態が起きたか、どのように考えを改めればそれが克服できるかについて、説いています。
少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。
また、筆者も呼びかけ人の一人として名を連ねている令和元年の4月1日に発足した政策集団『令和の政策ピボット』では、「反緊縮財政、反グローバリズム、反構造改革」を掲げて、超党派的に安倍政権の間違いを糺す政策を掲げています。
どうぞご一読されて、賛同者になっていただくことをお勧めいたします。
https://reiwapivot.jp/


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国境の重要性を再認識せよ

2020年02月05日 18時23分11秒 | 思想

決められた車しか通行できない武漢中心部

勤務している大学で、ごく短い時間、「国家とは何か」について講義します。
そこでは、概略次のような話をします。

初めに、君たちはどういう時に国家というものを意識するかと質問します。
あまりパッと答えられる学生がいないのですが、外国に行った時、オリンピックのような世界的なスポーツ大会の時などの答えが徐々に出てきます。
紛争が起きた時、戦争する時などと答える学生はまずいません。
この答えは、出てきて当然なのですが、そういう国と国との対立という観念が今の日本の若者の頭にはさっぱり浮かんでこないようです。
戦後の平和ボケ日本の弊害ですね。

それはまあ仕方ないとして、こちらからは、まず、主権、国民、領土を国家の三要素と言うという当たり前の話をします。
次に、主権について説明します。
近代民主主義国家においては、主権者が国民とされていること。
しかし、対外的な主権の存在を忘れてはならないこと。
つまり国際関係において、ちょうど個人の人権と同じように、一国が他の諸国に対して侵し得ない独立の権利を持つこと。
それは国家が自ら国民の生命や身体や財産を外部の圧力から守ることによって初めて満たされること

次に、国家というものは、国会議事堂とか総理大臣といった実体ではなくて、「私たちは○○国という国家の一員である」という共有された観念なのだという話をします。
観念というとぼんやりしているように聞こえますが、そういう観念を一国のメンバーみんなが抱いていることこそが国家を国家たらしめている唯一の条件なのですね。
国家は国会や内閣や裁判所などの権力システムだけがあってもその要件は満たされない。
それらの権力システムが有効に機能するためには、「私は何国人だ」という観念をみんなが抱いていなくてはならない。
私は前者の権力システムを「機構としての国家」、後者の観念の共同性を「心情としての国家」と呼んでいます。
機構としての国家は、心情としての国家の存在によって初めて意義を持つのです。

では心情としての国家がきちんと統一性を保つためにはどういう条件が必要か。
まず目に見えるもの、つまり統合の象徴が必要です。
それは国王や元首(日本の場合は天皇)、国旗、国歌、心情のよりどころとなる宗教的な建造物などによってあらわされます。
また、生活慣習の共通性、長きにわたる文化伝統、言語の統一性などが重要な条件となります。

以上のような話をした後に、国家権力のもつ両面性について説明します。

国家権力は、二つの意味で、なくてはならない大切さを持っています。
一つは、社会秩序や個人の人権(生命、身体、財産その他)を守ること
このことはふだんあまり意識されませんが、世界の紛争地帯のように、権力が空白になるとそれらがたちまち侵されることからして明らかです。
つまり個人の人権とは、国家と対立するものではなくて、国家の存在によってこそ支えられるのです。
もう一つは、グローバリズムに対する防壁の意味を持つこと
これはことに経済の面において明らかです。

余談ですが、今の日本の学生の多くは、人、モノ、カネの自由な移動、つまりグローバリゼーションをひたすらよいことだと思っています。
困ったものです。
私は自分の講義の別項で、グローバリゼーションがいかに危険性をはらんでいるかについても説明しています。

いっぽう国家権力は、危うい側面も持っています。
一つは、国家というものが必ず外部との関係によって成り立つので、そのまとまりそのものが国家間紛争の種を作りだすことです。
国家利害の衝突が解決不能に陥った時、大戦争にまで発展することは、歴史がさんざん教えていますね。
もう一つは、国家権力はひとりひとりの国民の生活領域をはるかに超えた強大な力を持つので、その用い方ひとつで、国民のためにならないことをいくらでも行える可能性を持っています
したがって私たち「主権者」は、国家権力(政府)が国民に不利益を押し付けないかどうか、絶えず監視する必要があります。

以上のようなことを講義するのですが、まあ、これらは良識ある大人にとっては当たり前といってもよいようなことがらです。
しかし大人でも私生活に紛れて忘れてしまいがちなので、常に意識化、自覚化、明示化しておくことが大切です。

ただ、今回、中国の武漢で新型肺炎が発生し、世界中に流行する気配を見せていることで、私も改めてグローバリゼーションが持つ危険性と、国家の重要な役割を認識させられました。
これまでうかつにも疫病の世界的蔓延という事実には思いいたらなかったのです。
顧みれば、今日のように医学が発達していなかった時代には、ペスト、コレラ、チフス、天然痘など、恐ろしい伝染病が世界を席巻した事実を、歴史が教えています。
いや、今でもインフルエンザ、エイズ、エボラ熱、SARSなど、死に至る病が猛威を奮う事実はいくらでも確認できます。
こういう時、国家が確実な検疫体制を敷くことによって、水際で被害を最小限に食い止めるのでなければ、いったい他のどんな共同体組織がそれをなしうるのでしょうか。
国境は要らないだの、世界人類だの、地球人だの、天賦の人権だのと、安全地帯でノーテンキなことを吹きまわっている輩は、この問いに答えることができますまい。
この際、国境こそが人権(生命、身体、財産)の安全保障を徹底できるという事実を改めて認識することが必要不可欠です。


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自ら米中の奴隷役を買って出る日本政府

2020年02月01日 17時07分14秒 | 政治


連日、武漢発の新型肺炎のニュースでマスコミもネットも持ちきりです。
さまざまな情報が乱れ飛んでいますが、今のところ、どこまで感染が拡大するのか、どれほどの被害者が出るのか、見当がつきません。
確実な情報が限られていますし、日ごとに状況が変わるし、深く長く中国に進出している日本企業の社員の去就や、産業の低迷下の危機など、微妙かつ予測不可能な問題もありますので、現時点であれこれ論評するのは差し控えたいと思います。
日本政府や医療関連機関が蔓延を最小限度に食い止め、一刻も早く事態の終息に向かってくれることを祈るばかりです。

ただ気になること、というか、腹立たしく感じたことが一つだけあります。
在中国日本国大使館の公式HPに掲載された「安倍晋三内閣総理大臣春節祝辞」についてです。
これが掲載されたのは、1月24日です。
すでに多くの批判が寄せられていましたが、まぐまぐニュースhttps://www.mag2.com/p/news/437867によれば、1月30日午後1時の時点でまだ掲載されていたそうです。
筆者が31日午後8時に検索したところ、ようやく削除されていました。
しかしもはや公表されてしまっているので、なかったことにすることはできません。
以下に全文を掲げましょう(上記まぐまぐニュースより)。

日本で活躍されている華僑・華人の皆様、謹んで2020年の春節の御挨拶を申し上げます。
今春、桜の咲く頃に、習近平国家主席が国賓として訪日される予定です。日本と中国は、アジアや世界の平和、安定、繁栄に共に大きな責任を有しています。習主席の訪日を、日中両国がその責任を果たしていくとの意思を明確に示す機会にしたいと思います。
本年夏には、東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。日中両国の選手が大活躍することを心から祈念します。両国は本年を、「日中文化・スポーツ交流推進年」として、人的・文化交流を一層推進していくことで一致しています。著名なアイドルグループ「嵐」に、この推進年の親善大使を務めてもらいます。国民間の交流が、相互理解・信頼を更に深める役割を果たすことを期待しています。
春節に際して、そしてまた、オリンピック・パラリンピック等の機会を通じて、更に多くの中国の皆様が訪日されることを楽しみにしています。その際、ぜひ東京以外の場所にも足を運び、その土地ならではの日本らしさを感じて頂ければ幸いです。同時に、更に多くの日本国民が中国を訪問し、中国への理解を深めて頂きたいと思います。
日中関係の発展のため、華僑・華人の皆様に、日頃から両国の間の架け橋として貢献して頂いていることに感謝申し上げると共に、新年が皆様にとり素晴らしい年となりますことを、そして皆様のお力添えのもと日中関係が更に発展することを心より祈念し、新年の御挨拶とさせて頂きます。
2020年1月
内閣総理大臣
安倍晋三<
/span>

全文が空々しいとしか言いようがありませんが、特に強いブーイングが寄せられたのは、「春節に際して更に多くの中国の皆様が訪日されることを楽しみにしている」という部分です。
この祝辞が掲載された24日には、新型肺炎の感染者は中国国内で883人、死者は26人と報告されており(他の情報によれば、こんなレベルのものではないらしい)、日本国内でも2人目の発症者が出ています。
この文章が仮に新型肺炎発覚前に起草されたのだとしても、発表の時点で控えることはできたはず。
平気でこういう文章を載せる日本官僚(大使館員?)の神経を疑います。

もちろんそればかりではありません。
ここには、日本政府のここ1年ばかりの対中姿勢がもろに出ています。

周知のように、アメリカが中国に対して経済制裁を仕掛けてから2年経ちますが、これは次第にエスカレートしていきました。
中国側も報復措置に出たものの、アメリカの措置が相当な痛手だったことは間違いないようです。
俗に貿易戦争と呼ばれていますが、これが、アメリカの衰えに乗じて中国が世界の覇者たろうとのし上がってきたところに生まれた、両国の覇権戦争の一角であることは、貿易以外のさまざまな対決姿勢から見て明らかです。

トランプ政権は本気で中国を叩こうとしています。
さてその過程で、これまでの対日姿勢を一変させて(うわべだけですが)、「金持ち国」日本にすり寄ってきたのがこの1年ほどの中国です。
この豹変ぶりを見ていると、アメリカによって受けている中国のダメージが相当のものであることがうかがえます。

お人好し日本はこの「すり寄り」を、長い間の確執が雪解けに向かったものと勘違いして、日中友好・親善の兆しとして受け止め、歓迎しています。
古くからの親中で有名な二階自民党幹事長などは、こんな言葉まで吐いている始末です。
親戚の人が病になったという思いで日本人みんな思っていますから、中国の皆さんが一日も早く奮起をして元気になって頂きたいと願っております。出来るだけのことを国を挙げて対応しようとしています。必ず中国のお役に立てるように、結果を出せると思っています
多くの大企業が中国に進出しているので、それを集約する利権屋政治家のたわごとと言ってしまえばそれまでですが、「親戚の人が病になったという思い」を「日本人みんな」が抱いているはずがありません。
2019年10月に言論NPOと中国国際出版集団が行なった「第15回日中共同世論調査」の結果によれば、中国に「「悪い印象」を抱いている日本人が84.7%に昇っています。
http://www.genron-npo.net/world/archives/7382.html

昨年も中国の公船が尖閣諸島周辺の領海侵入を繰り返していますし、ロシアと合同で爆撃機が領空侵犯すれすれの行動をとっています。
また沖縄や北海道への合法的な領土進出を進めていることも多くの日本人が知っています。
「南京大虐殺」も中国の巧妙な情報戦によって、国際常識として定着しつつありますね。
さらに中国人観光客のマナーの悪さについても有名です。

何よりも、中国共産党の日本に対する大戦略の要の一つは、日米分断にあります。
ですからこの1年ほどの「すり寄り」も、お人好し日本から金を引き出し、同時に政治的にもうまくこちらの言うことを聞かせてやろうという魂胆見え見えだと考えるのが、まともな判断というものです。
そのことを自覚せずに、先のような「総理大臣 安倍晋三」名義の声明を発表する在中日本大使館は、たとえ新型肺炎の問題がなくても、ノーテンキそのものと言うべきでしょう。

これを単なる社交辞令と見なすことはできません。
文中、「今春、桜の咲く頃に、習近平国家主席が国賓として訪日される予定」とありますが、国賓には天皇陛下が直接対面されます。
当然、習近平主席と「和やかに握手し、楽しく食事する」ツーショットが撮られ、それが世界に発信されます。
そうすれば、世界、特にアメリカ政府はどういう印象を抱くでしょうか。
「そう、日本は中国につくのね」と思うのではないでしょうか。
これは同盟国の裏切り行為でといっても過言ではありません。
同時に天皇陛下の政治利用でもあります。
また、85%の国民が悪印象を抱いている相手国の元首を「国賓」として招くことは、国内的にもけっして望ましいことではありません。
筆者は確信しますが、いま「習近平主席を国賓として招くことに賛成ですか」という世論調査をやったら、圧倒的多数で反対と出るでしょう。
しかしマスコミがそれに踏み切らないのは、結果が想定できるのであえて避けているにちがいありません。

習主席の国賓招待は、「この時期には適切でない」とかなんとか適当な理由をつけて、断固中止すべきです。
不謹慎な言い方で恐縮ですが、新型肺炎が流行しつつある今こそはそのチャンスなのです。
またこれを奇貨として、中国に進出している日本企業も撤退を進め、落ち込んでいる国内需要の開発に努めるべきです。
右顧左眄を繰り返してきた日本外交も、ここらでぐっと身を引き締め、真の独立国としての毅然たる態度を内外に示すべきではないでしょうか。
今の安倍政権にそれを期待するのがそもそも無理なのかもしれませんが。

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●長編小説の連載が完成しました。
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
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