小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

自由と個人化のつけ

2019年09月22日 20時16分59秒 | 思想



ある人に教えられて、御田寺圭氏の『矛盾社会序説』を読みました。
その人に、20年前に書いた拙著『弱者とはだれか』との共通点を指摘されました。
筆者は御田寺氏の本を、2018年11月に出版されてからまもなく買ったのですが、一年近く積読になっていました。
それで、急いで読んでみたのです。
なるほど拙著の問題意識と一部共通点を持ちつつも、それをさらに現代のシーンにふさわしく洗練させ、思想的に鮮明化させているという印象です。
気づかせてくれた「ある人」に感謝です。

御田寺氏はまだ30そこそこと想像されますが、ネット上では前から有名だったようです。
たいへん鋭い分析力と繊細な感性を持ち合わせた人です。
氏は社会学的知見を駆使しながら、表通りの「正しさ」や公認された「弱者」マークによって、かえってそのために見えなくされているいろいろな人たちにスポットを当て、その不可視化、透明化が、私たちの社会で疑い得ない価値とされている「自由」から生まれてきていると指摘します。
そこには「かわいそうランキング」が成立していて、その上位者だけが脚光を浴びる仕組みになっているというわけです。
不可視化、透明化された対象は、孤独死する独居老人(特に男性)、ワーキングプア、結婚できない男たち、非モテ、地方に拘束される若者、ひきこもり、失業者としてカウントされない「ミッシングワーカー」などです。

「助ける対象を自由に選べる社会」とは「助けない対象を自由に排除できる社会」と同時発生的である。
否が応でも周囲に気を配ったり、親切にすることを求められていたような時代は終わり、個人がそれぞれに関心のある、または肩入れしたいものごとに対してのみ力を注いでよい時代を迎えた。それはつまり、自分がかかわりたくないもの、ごめんこうむりたいものに対する「拒否権」が拡大した時代となったともいえる。》(太字は、原文では傍点)
《(相模原障害者施設殺傷事件の――引用者注)被告が殺害しようとしていた対象(被告がいうところの「無価値」な人間)には、彼の言葉を共感的に見ていた人びと自身も大なり小なり当てはまってしまっているのではないだろうか。

「~への自由」と「~からの自由」とを区別し、前者を肯定しなかったのはバーリンです。
先進社会が普遍的価値として押し出す「自由」という抽象語には、たしかにこのアンビバレンツが含まれ、前者が強調されると、御田寺氏の言うように、「助けない対象を自由に排除できる自由」を必然的に抱えることになります。
「自由な社会」が抱える矛盾は、共同体が成り立たず「個人化」が進んできた傾向と不可分です。

ちなみに、ここで「個人主義化」と呼ばず、あえて「個人化」と呼ぶのは、次のような理由からです。
個人主義という用語は、それぞれの人の生き方のモットーを指すために使われ、それは保守派の一部からしばしば「エゴイズム」と混同されて批判の的とされます。
しかし生き方のモットーとしての個人主義は、他人の生き方をも尊重し、互いの生活にむやみに干渉しないという意味合いを含むので、それ自体はけっして悪いニュアンスではありません。
近代、特に都市社会では、これはなくてはならないマナーの一部となっています。
メールが栄えて、電話による声の迷惑を控えるようになったのなどは、いいことですね。
これに対して「個人化」とは、よくも悪しくも家族や社会の紐帯が崩れ、生活の協同が成り立たなくなった全体的な傾向を指します。
ですから、これは「主義」の問題ではなく、そこに抽象的な「自由」理念がイデオロギーとして深く浸透してしまった事態と呼応関係にある、いわば全社会的な構造の問題なのです。
そして厄介なのは、この構造的な問題が、誰から強制されたわけでもなく、私たちみんなで選んできた結果なのだという点です。

これを少し政治的な文脈に置き直してみましょう。
かつては、国民のほとんどに共通する経済社会的不公正があると、労働組合がその課題を集約し、それを支持基盤とした政党が、野党として相当の勢力を示して中央政府に対峙していました。
それは広範な国民大衆に共通する「明日の暮らしをどうするか」を中心課題としていたからです。
実際、中央政府もこれを無視するわけにはいきませんでした。

しかし評論家の中野剛志氏が指摘するように、70年代後半から80年代にかけて、「労働者の暮らしを豊かにすること」を中心課題とする労働組合のこの結束は衰退し解体していきました。
これは、直接には、日本が豊かになり、一億総中流などと呼ばれた時代を反映しています。
山崎正和氏の『柔らかい個人主義の誕生』がベストセラーになったのが84年です。
この情勢をそのまま受けて、野党は、「国民生活の豊かさを保証する」という課題を喪失し(放棄し)、代わって、その政策課題を「差別」「人権侵害」「排外主義」など、特定集団が被っているとされる「被害」の撤廃に集中させるようになりました。
ポリティカル・コレクトネスなる概念が世界中を覆い、わが国でもそれが中央政権に立ち向かうための根拠となったのです。

中央政権もこの口当たりのよい「正義」概念に面と向かって逆らうことはできなくなりました。
この概念の仲間に入れてもらうためには、LGBT、移民、アイヌ、女性など、特殊なマークを持つことが必要とされます。
生活者一般の苦労、困窮という見えにくい指標は、特定の個人のアイデンティティという見えやすい指標に取って代わられたのです。
「すべての人に自由と平等を」「一億総活躍社会」「すべての女性が輝く社会」――そんなことが無理なのは大人なら誰でもわかるはずなのですが、そういうあたりさわりのない標語を中央政権も、臆面もなくかざすようになりました。
反権力的な勢力の政治課題がこのように転換したことは、結果的に政府にとって都合のよいことだったかもしれません。
というのは、特定の個人のアイデンティティを政治課題の中心に据えることは、その影で、どんな間違った経済政策を採ろうが、野党がそれを見逃してくれることになるからです。

さて中央政府の経済政策の致命的な失敗によりデフレが20年以上も続き、いまや実質賃金は下がり続け、格差は開き、中間層は脱落し、年収200万円以下のワーキングプアは1100万人超、貯蓄なしの世帯は半数近くに達し、生活保護世帯は安倍政権発足以来ずっと160万世帯で高止まりしています。
10月からは消費税が10%に増税され、国民にとっては「踏んだり蹴ったり」の状態が実現されようとしています。
かつての労働組合が担っていた課題は、いま確実に復活しているのです。
にもかかわらず、消費増税にはろくな反対運動も起きていませんし、政府の経済政策のひどさを根底から批判する政治勢力はほとんど力を蓄えていません。
ごく少数の人たちが、さすがにいまの日本の危機状態を訴えていますが、いまいち「笛吹けど踊らず」の感があります。
増税されても文句を言わずに我慢する「自由」が浸透しているからです。
個人化の深まりが、当然なされるべき結束の動きを阻んでいるのです。

豊かさの実現が、人々をして「自由」を普遍的価値と思いこませ、個人化の傾向を促進させたのですが、その豊かさが消え去っても、いったん出来上がった意識はなかなか元に戻りません。
足元で苦しい生活に耐えながら、それでも人々の意識は、これらの欺瞞的な価値と傾向から抜け出すことができないのです。
危機待望論ではないですが、おそらくもっと事態がひどくならなければ、この意識は変わらないでしょう。

御田寺氏の著書のまなざしは、主として「かわいそうランキング」の下に位置するがゆえに、不可視化され透明化されてしまった人々に注がれています。
それはそれで「自由」という価値が持つ矛盾と欺瞞性を見事に照らし出すものでした。
しかしいまや、一見、別に「かわいそうランキング」にランクされていないような「ふつうの人々」のふつうの忍耐の日常の中に、不可視化と透明化の核心が存在するような時代になったのではないでしょうか。


【小浜逸郎からのお知らせ】
●精神科医・滝川一廣氏との公開対談を開催します
テーマ:「病む心・病む社会」
日程:11月2日(土) 14:00~16:30
会場:きゅりあん5階(JR大井町駅隣)
参加費:2,000円
貧困家庭のみならず中流家庭でも虐待やDVが起き、引きこもりによる殺人事件や、それを恐れて息子を殺害する事件などが世間を騒がせています。それは、ひとりひとりの「こころ」の問題としても現れ、同時に「社会」全体の解決困難な課題としても現れています。
日本人の病むこころから、それを生み出している社会病理に至るまで、広い視野のもとにその背景を探り、適切な処方箋を見出していきます。
お申し込み等、詳細はこちらからご確認ください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

http://amzn.asia/1Hzw5lL

福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説の連載が完結しました!
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/




MMTの就業保障プログラム vs ベーシックインカム

2019年09月18日 22時52分11秒 | 思想



現代貨幣理論(MMT)を体系的に論じたランダル・レイ氏の『MMT現代貨幣理論入門』には、政府が雇用の安定と貧困の解決を目的として提供する「就業保障プログラム(JGP)」というアイデアがやや詳しく紹介されています。
これは簡単に言えば、政府自らが最低賃金を決めて労働者を雇い入れ、不況時に失業者が増大しないようにするシステムです。
政府の提供する仕事は、インフラの整備や社会福祉事業など、公共性の高いものが中心となるでしょう。
しかしそれだけではなく、ふだん民間が行なっているさまざまなプロジェクトについても、不況時には政府もタッチして、失業者に就業機会を提供することになります。
世界恐慌時代のニューディール政策がそのモデルの一つです。

こういうと、いわゆる「小さな政府」論者は、すぐクラウディングアウト(金利高騰による民間需要の圧迫)を心配するでしょう。
しかしJGPはあくまでその時々の最低賃金で雇用することが条件ですから、もし少しでも景気が回復して、それよりも高い賃金で雇う企業が現れれば、労働者はそちらに自動的に移っていきます。
そしてまた景気が悪化すれば、政府が財政支出を行なって、失業者を吸収するわけです。
いわばJGPは、景気循環の波をできるだけ抑えて完全雇用の実現を目指すための労働者のプールなのです。

このアイデアは、いくつかの点で優れている、と筆者は思います。
レイ氏の説明に従って、その利点を挙げてみましょう。

一つは、このアイデアが、「小さな政府」がよいのか「大きな政府」がよいのかといったイデオロギー的な対立の不毛さから自由な、柔軟なシステムだという点です。
JGPの雇用は、景気後退時に増加し、景気拡大時に縮小します。
景気過熱時にはインフレ圧力を弱め、不況時にはデフレ圧力を弱めます。
つまり景気後退時には、「大きな政府」になり、景気拡大時には「小さな政府」になるわけです。
その意味で、アメリカで言えば、民主党だけではなく共和党にも受け入れられる要素を持っています。

また、これは政府が直接雇用しますから、医療、育児、社会保障、病気休暇など、きちんと整った福利厚生とセットになっています。
ここに属する労働者は、パートタイム労働や季節労働を含め、その期間、一種の公務員になるわけですね。

次に最低賃金ですから、民間の雇用者は、これより少しでも高い賃金を支払えば労働者を引き抜くことができるので、雇用者どうしの低賃金競争を制限することができます。
また一般企業は、福利厚生や労働条件の面でも、少なくともこのプログラムと同程度の水準を提示しなければならなくなります。
ブラックな扱いを受けている労働者は、そこから逃れてJGPを選択することができるわけです。

為替レートとの関係ではどうでしょうか。
貧困層に所得をもたらすと、消費が増え、その結果輸入が増えるので、輸入物価が上昇して通貨安となり、インフレが加速することを心配する向きもあるでしょう。
しかしこの心配は、フィリップス曲線を盲信した主流派経済学の一部からくるものです。
フィリップス曲線では、失業とインフレとがトレードオフの関係になりますから、一国の経済の安定のためには、ある程度の失業やむなしという考え方になります。
しかしレイ氏はこれに対して、次のように答えます。
物価と為替レートの安定を達成するための主要な政策手段として貧困と失業を利用することに対しては、強い倫理上の反対論がある。》
また、《むしろ、就業保障プログラムは国内外における通貨価値に(最低賃金という――引用者注)土台を提供するがゆえに安定させ、実際にはマクロ経済の安定性を高める
為替レートへの圧力が万一強まって、それを最小化したいのであれば、国は貿易政策、輸入代替政策、ぜいたく税、資本規制、金利政策、取引高税などを依然として利用することができる
つまり、貿易赤字の増加を解決するために、貧困層や失業者にすべての負担を押し付けるのはおかしいということですね。

このアイデアに対しては、このほか二つの批判があるようです。

一つは、政府の雇用の増減の幅が大きくなりすぎて、制御不能になるのではないかというもの。
不況時に多くの雇用を創出したのに、好況になったらそれがみんな民間の雇用に流れてしまうのでは、多くのプロジェクトを中止しなくてはならなくなるのではないか。
これはもっともな心配です。
しかし、アメリカでは、労働者プールにおける雇用の一般的な増減幅は、好況時の800万人から不況時の1200万人までの400万人と推定されており、好況時でもほとんどのプロジェクトが継続できるように、労働者プールに十分な数の労働者を確保しておくことは可能であろうと、レイ氏は述べています。

もう一つは、例によって「財源」をどうするのかという議論です。
政府が福利厚生とセットで賃金を払って労働者を直接雇用するとすれば、当然、相当の財政出動を覚悟しなくてはならないからです。
しかし、MMTをよく知る人なら、この議論は「うんざり」でしょう。
というのも、MMTは、自国通貨を発行できる国では、財源を税収に求めることを認めていないからです。
原則としてインフレ率以外に財政支出には制約がなく、債務の累積によって財政破綻することはありえないというのがMMTの最も重要な指摘です。
債務残高は、過去の財政支出のうち、税金で取り戻せなかった分の記録に過ぎず、それはそっくり民間の貯蓄になっています。

また、税の機能は、歳出を賄う点にあるのではありません
それは、国民経済を安定化(インフレ、デフレのコントロール)させること、所得の再分配によって極端な格差をなくすこと、自国通貨納税によって一国の経済活動に信用をもたらすこと、公共性を害する経済活動を処罰することの四つです。

さらに進んで、中央政府は、中央銀行の準備預金口座に必要金額を電子記録として書きつけるだけで財政支出が可能となるので(つまり貨幣の創造)、MMTでは、利払いを伴う国債の発行すら、あまり思わしくないとされています。
国債とは、準備預金口座に必要な支出を書き込む作業の代替機能に過ぎないのです。
「ザイゲン、ザイゲン」と騒ぐ人たち(ほとんどの行政関係者、政治家、エコノミスト、マスコミがこれに当たりますが)は、これらのことをまったく理解していません。

さて、MMTの就業保障プログラムとは別に、ベーシックインカムというアイデアが一部で盛んに議論されています。
これは、個人単位で、全国民に一定額を支給するというものです。
働いている人も働いていない人も、子どもも高齢者も、富裕層も貧困層も、ハンディのある人もない人も、一律同じ金額が支給されます。
政府が、生活できるだけの最低保障をするから、あとは自由に生活設計をしろというわけですね。

この考えはどうでしょうか。

メリットとして、貧困対策、少子化対策、地方の活性化(地方のほうが物価が安いので)、多様な生き方の実現、非正規雇用問題の緩和、社会保障制度の簡素化、行政コストの削減、などが挙げられていますが、どれも説得力がありません。

まず、真剣に貧困対策を考えるなら、富裕層にも支給するというアイデアはおかしいですね。
また、子どもにも支給されれば結婚や出産へのハードルが外されるというもっともらしい理屈は、これまでの子ども手当などの対策が一向に効果を上げていないことで反証済みです。

地方の活性化は、インフラの整備というポジティブな政策によってこそ実現するので、物価が安いぶんだけ活性化につながるなどというのは、なんとも屁理屈めいています。
物価の安さは、同時に生産活動の沈滞をも表しています。

また、多様な生き方といえば聞こえはいいですが、引きこもりやニートもその一つということになりますから、そういう生き方を助長してしまうでしょう。

非正規雇用やワーキングプアの問題は、デフレのために雇用者が人件費を削減する動機から出ているので、デフレを前提とした上で、ベーシックインカムがその緩和に役立つという発想は、本末転倒です。
支給された金額が消費に使われずに貯金されてしまったら、デフレ脱却はいっそう遠のくでしょう。

社会保障制度の簡素化と行政コストの削減。じつを言えば、これがベーシックインカムという発想が出てくる本音の部分をあらわしています。
というのは、このアイデアは、もともと社会保障を極小にせよという新自由主義的な考え(小さな政府)から来ていて、高齢者、障碍者、病者など、特殊条件を抱えた人々に対するきめ細かな対応をやめて一本化してしまえばよいという粗雑な発想に基づいています(左派系の人たちは、一応社会保障制度との抱き合わせを主張しているようですが)。
ミルトン・フリードマンの「ヘリコプター・マネー」と共通していますね。
貧困? 失業? カネをばらまきゃいいじゃないか、というわけです。
じっさいフリードマンは、「負の所得税」という言い方で、ベーシックインカムとよく似たことを提案しています。
それぞれに特別な条件を抱えていて、ベーシックインカムではとても足りないという人はどうすればいいのでしょうか。
新自由主義得意の、「あとは自己責任で」というのでしょうか。
また、行政コスト云々については、MMTがそれを心配する必要がないことを証明してしまったのですから、何らメリットにはなりません。

ベーシックインカムのメリットとして、ブラック企業の抑止効果を唱える人もいるようですが、おいおい、それは反対だろう、と言いたいですね。
「お前は最低限食っていけるんだから、ウチじゃあ、そんなに給料出す必要はねえ。それでも働きてえなら、こんだけの仕事をいついつまでにこなせ」と考えるのが、ふつうの雇用者心理ではないでしょうか。

このアイデアの最もまずい点は、人々の勤労意欲を殺ぐことです。
楽をしたがるのが人性というもの。
もし働かなくても最低生活が保障されるなら、好き好んでつらい労働に従事する人はいなくなるでしょう。
ローマ時代末期の「パンとサーカス」と同じような状態が出現します。
筆者は、楽をすることが道徳的によくない(「働かざるものは食うべからず」)と言いたいのではありません。
働かなくても食っていけるのなら、多くの人が生産現場から手を引き、当然、社会全体の生産力、生産性は低下します
つまりかえって貧困化が進み、亡国への道を早めるでしょう。

MMTの提唱する就業保障プログラムと、ベーシックインカムとの決定的な違いは、前者が必ず政府による雇用を条件としているのに対して、後者が、働くか働かないかを問題にしていない点です
もちろん、どれか一つの政策に固執する必要はないので、状況に応じて、複合的に組み合わせて用いることは可能であり、それを許容する寛容さを持ち合わせることは大事なことです。
たとえば、給付型奨学金制度などは、ベーシックインカムの部分的な適用と見なすことができますから、大いに推奨されるべきでしょう。

ただ、思想として見た場合、どちらが優れているかといえば、就労を条件とするJGPのほうが、人間的自由の獲得の条件としてやはり立ち勝っていると言えるでしょう。
ベーシックインカムは、かつて救貧のために方法を見出せなかった時代の、富裕層による上からの慈善事業の現代ヴァージョンです。
もし誰もが勤労の対価を受け取り、それによって社会に参加しているという実感を抱けるなら、それが結果的に一人一人の誇りを維持する一番の早道と言えるのではないでしょうか。

昔の偉い思想家も、次のように述べています。
各人が自分の欲求を満たすという主観的な動機にもとづいておこなった労働の投与が、全体としては、たがいに他人の欲求をも満たす相互依存の生産機構を作り出す。これは、「共同の財産」である。もしそういう共同の財産のネットワークが市民社会にきちんと整っているなら、それによって、だれもが自分の労働を通じて社会から一人前であるとして承認される。それは、慈善や憐憫に頼るような奴隷的なあり方とはちがった、人間的な自立と自由とを実感できる道である。》(ヘーゲル『法哲学講義』――ただし一部筆者改訂)
人生の要訣はただ働くにあり》(福沢諭吉『民間経済録』


【小浜逸郎からのお知らせ】

●精神科医・滝川一廣氏との公開対談を開催します
テーマ:「病む心・病む社会」
日程:11月2日(土) 14:00~16:30
会場:きゅりあん5階(JR大井町駅隣)
参加費:2,000円
貧困家庭のみならず中流家庭でも虐待やDVが起き、引きこもりによる殺人事件や、それを恐れて息子を殺害する事件などが世間を騒がせています。それは、ひとりひとりの「こころ」の問題としても現れ、同時に「社会」全体の解決困難な課題としても現れています。
日本人の病むこころから、それを生み出している社会病理に至るまで、広い視野のもとにその背景を探り、適切な処方箋を見出していきます。
お申し込み等、詳細はこちらからご確認ください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

http://amzn.asia/1Hzw5lL

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説の連載が完結しました!
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/


横浜のカジノ誘致に反対すべき本当の理由

2019年09月05日 21時08分52秒 | 政治



横浜市が8月22日、山下埠頭へのIR(カジノを含む統合型リゾート)誘致を表明しました。
また9月3日の横浜市議会で、市はIR誘致に向けた34億円の補正予算案を提出しました。
林文子市長は質疑で「横浜の将来への危機感からIR誘致を決断した」と言及し、観光や地域経済をけん引する事業だ」とし、市独自の調査を進めると語りました。

これに対しては、すでに様々なニュースが流れています。

最も目立ったのは、横浜港運協会会長で「ハマのドン」と異名をとる藤木幸夫氏が「顔に泥を塗られた」と怒りをあらわにしたことです。
藤木氏が会長を務める横浜港ハーバーリゾート協会は、カジノはいらないとして、国際展示場、F1、ディズニークルーズの拠点化計画を提出しています。

これだけ聞くと、地域を巡る利権争いのように見えますが、ことはそれにとどまりません。

もともとIRの候補地は3か所に絞ることになっていて、これまでに大阪市(府)、和歌山市、佐世保市で首長による誘致の正式決定が発表されていました。
ところが、これに加えて、苫小牧市、岩沼市、千葉市、東京都、常滑市、北九州市などが誘致に前向きで、それに横浜市が加わったわけです。
3か所に対して10都市ですから、これから誘致競争はますます激しさを加えるでしょう。
しかし、横浜が名乗りを上げたとなると、首都圏内の伝統ある大港町ということで、大いに有力視される可能性が高いでしょう。

じつは横浜が有力視されるのには、そうした表面的な理由とは別に、次のような背後事情があると言われています。

地元有力企業のトップであり、故小此木彦三郎元建設相ら政治家との太いパイプで知られた同氏(藤木氏)への配慮が市当局の決断を阻んでいた。
それが一転したのは、横浜選出の菅義偉官房長官が誘致にゴーサインを出したからだとされる。小此木氏の秘書経験が、菅氏の政治家としての原点であり、藤木氏もまた長年にわたる支援者でもあった。
今や大官房長官である菅氏は、藤木氏との決別も辞さずの決断をしたというのだ。この決断が林市長の背中を押したのではないか。

https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190827/pol1908270003-n2.html

また、次のような記事もあります。

横浜へのカジノ誘致の仕掛け人をあげるとするなら、菅官房長官ということになろう。週刊新潮 2015年ゴールデンウイーク特大号に以下の記述がある。

 昨年夏前、東京・永田町からほど近いホテル内の日本料理屋で数人の政界関係者による会合が催されていた。
 座の主役は、2012年12月以来、安倍内閣において官房長官の重責を担い続ける菅義偉氏だ。(中略)
 その場にいた政界関係者の1人によれば、会合の途中、雑談の流れの中で「統合型リゾート整備推進法案(カジノ法案)」の話になった。
 「やっぱり、候補地はお台場が有力なんですかね?」政界関係者の問いに、菅氏は顔色を変えずに応じた。
 「お台場はダメだよ。何しろ土地が狭すぎる」(中略)「横浜ならできるんだよ」

この会合が開かれたのが2014年の夏。ちょうど同じ年の8月16日の日経新聞に以下の記事が載ったのは偶然ではないだろう。
京浜急行電鉄は15日、カジノやホテルなどで構成する統合型リゾート(IR)を整備する構想を正式発表した。横浜市の山下埠頭を最有力の候補地と考えているもようで、実現すれば数千~1万人単位の雇用が生まれそうだという。

https://www.mag2.com/p/news/412835/2

そういえば、この9月17日から、京浜急行電鉄は、品川から横浜のみなとみらい地区に「京急グループ」として本社が移転します。
横浜を貫いて走る京急なら当然と思うかもしれませんが、拠点を横浜に置くことが、IRに重点を置くことと無関係とは言えないでしょう。
そしてこの移転に、横浜に縁の深い菅官房長官の息がかかっているという推測も成り立ちます。

さらに、菅官房長官のすぐそばには安倍首相とトランプ大統領との関係が控えています。

非営利・独立系の米メディア「プロパブリカ」が報じたところでは、2017年2月、ワシントンにおける日米首脳会談で、トランプ大統領から安倍首相にカジノを日本につくるよう要請があった。
ラスベガス・サンズを経営するカジノ王、シェルドン・アデルソン氏も同じ業界のCEO二人とともにこの首脳会談にあわせてワシントン入りし、安倍首相と朝食をともにしていた。(中略)
カジノ会社にとって日本は、世界で最も魅力的な「未開拓市場」の一つである。アデルソン氏は2014年5月にサンズ社が運営するシンガポールのカジノへのツアーを安倍首相のために手配するなど、日本政府に働きかけを続けてきた。

https://www.mag2.com/p/news/412835

林横浜市長は、こうした事情を聞かされて自分でも乗り気だったに違いありません。
しかし2017年の市長選挙の時は、選挙に勝つために「カジノは白紙撤回」と訴えました。
ところが、2年後の今年、手の平を返したように、住民の意向を無視して、平然とIR誘致を決定したのです。
じつは2018年に出された横浜市中期4か年計画には、すでにIR誘致の可能性が言及されていました。
筋書きはすでに出来上がっていたのですね。

ライターで編集者の石田雅彦氏は、次のように語ります。

そうした市の姿勢に対し、市民の間には不信感が募る。中期計画に関するパブリックコメントの約2割がIRに関する内容で、その94%がカジノを含むIRや市民の声を無視したIR計画推進に否定的なものになった。
横浜市はその後、IR誘致の情報収集や業者選定と委託などを行い始める。5月にはIR検討調査報告書を公表した。林市長は7月上旬、政府のIR整備の政令発表と同市の報告書の結果を受けた形で、もし仮に横浜にIRを誘致した場合、カジノを含むのは当然のこととし、誘致に関する住民投票で賛否を問うことはないと明言する。

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20190831-00140545/

筆者は、横浜市の西区で生まれ育ちました。
北部に移ったいまも横浜在住者です。
IRの候補地とされている山下埠頭の周辺に小さいころから何度も行ったことがあります。
周辺には、山下公園や港の見える丘公園、元町商店街や山手の丘など、懐かしい場所がたくさんあります。
ですから、一市民としても、このよくなじんだ地域に富裕層をカモにした公認のカジノ(賭場)が出来て、依存症が増えたり、反社会的な勢力との結びつきが育つのを座視しているわけにはいきません。
市長は住民投票をやる気はないと言っているのですから、そう言い張る限り、リコール運動に一票を投じるつもりです。

しかし筆者は、そうした愛郷心から出た行動もさることながら、本当に問題とすべきはそこではないと思っています。
言い換えると、横浜にカジノが出来さえしなければいいのか、他なら構わないのかと問うべきなのです。
依存症が増える危険とか、反社会的勢力と結びつく危険といった問題点は、どこにカジノを置こうが転がっています。
またこれまでも、パチンコ、競輪、競馬、競艇など、およそギャンブルと名の付くものには、そうした危険がいつもつきまとっていました。

この問題の本質は、日本政府が、緊縮財政に固執して国内供給に見合う需要を作り出すことに失敗し、諸規制の緩和によって、あらゆる種類の外資を参入させてしまったことにあります。
つまり国内産業を健全に育てることを怠ってきたために、ガイジン様の資本やインバウンドに頼らざるを得なくなった情けない後進国状態を象徴しているのです。
これはIR法だけではなく、水道民営化法、移民法、種子法廃止……など、みな同じです。

カジノは、そのあがりの7割を営業主体であるカジノ経営者(ラスベガスのサンズ社など)が取り、15%を国が、残りの15%を自治体が取る、という約束になっています。
またも国富(国民の稼ぎ)が外国資本にチューチューと吸い取られていくさまがありありと見えるようですね。
15%のおすそ分けに与って、横浜市は財政難を克服できるのか!
また他国の例を見ても、水道民営化と同じように、カジノ経営は失敗する可能性がある。
その場合でも、外資はさっさと逃げ出すでしょう。
コストパフォーマンスのつけは、自治体がもっぱら背負うことになるでしょう。

林さん(菅さんと言った方がいいのかな)、きらびやかに「ミナトヨコハマ」を飾り立てることばかり考えず、地道に投資や消費を伸ばすことを考えたらどうでしょうか。
聞けば山下埠頭の向こう側の本牧埠頭では、今年の5月、2年10か月ぶりに、世界最大のコンテナ船が寄港して荷役を行なったそうです。
こちらの方の港湾整備にもっともっと力を入れてほしいですね。



【小浜逸郎からのお知らせ】

●精神科医・滝川一廣氏との公開対談を開催します

テーマ:「病む心・病む社会」
日程:11月2日(土) 14:00~16:30
会場:きゅりあん5階(JR大井町駅隣)
参加費:2,000円

貧困家庭のみならず中流家庭でも虐待やDVが起き、引きこもりによる殺人事件や、それを恐れて息子を殺害する事件などが世間を騒がせています。
それは、ひとりひとりの「こころ」の問題としても現れ、同時に「社会」全体の解決困難な課題としても現れています。
日本人の病むこころから、それを生み出している社会病理に至るまで、広い視野のもとにその背景を探り、適切な処方箋を見出していきます。
お申し込み等、詳細はこちらからご確認ください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説の連載が完結しました!
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/