小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

貧困化した日本

2019年11月26日 15時01分53秒 | 経済



筆者が勤務している大学のゼミで、「運転免許を持っている人」と聞いてみたら、20人のうち2人しか手を挙げませんでした。
持っていない学生に理由を聞いてみると、「別に必要を感じないから」と答えます。
なるほど首都圏に住んでいれば、交通には不便を感じません。
しかしそこにお金の問題がからんでいることは明白です。
免許取得には20万円以上かかりますし、車を持とうと思ったらさらに相当の出費を覚悟しなくてはなりません。

筆者の学生時代(半世紀前)は、大学に入ったら運転免許を取る、というのが当たり前の目標になっていました。
いつまでとはっきり言えませんが、少なくともバブルがはじけるまでは学生が免許を持つことは当然の現象だったでしょう。
また、中古車でもいいから自分の車を持つというのも多くの若者が目指したところでしょう。
車はデートの恰好のツールでしたし、行動意欲に燃えた若者にとって各地に車で行楽に出かけることは、青春を謳歌するまたとない機会だったはずです。

ところで先日、情報戦略アナリスト・山岡鉄秀氏の次のような記事に接しました。
山岡氏は、ある団体から青年向けの講演を依頼された折、「日本の国力が驚くほど低下してしまったと思う人、手を挙げてください」と呼びかけたそうです。
すると会場の半分ぐらいの人しか手を挙げないので、衝撃を受け、次にこう聞きました。
「日本の国力はずっと変わっていないと思う人、手を挙げてください」
するとなんと、残りの半分の人たちが手を挙げているではありませんか。
彼らは皆若く、20代、30代、といった感じです。
なるほどいまの30代の人たちが物心ついた頃、既にバブルは崩壊していて、20代ともなれば低空飛行が当たり前。
だから、彼らの目には、日本は変わっていない、
今の20代、30代の若者には元気だった頃の日本のイメージを共有できないというのです。
しかし、この30年間の国力(特に経済力)の推移を少しでも調べてみれば、あらゆる面でガタ落ちになっていることは明瞭です。
そしてこのガタ落ち傾向は、いまもなお進行中です。

この傾向を大方の若者が目の前で確認できないのは無理もありません。
「変化」の実感がないのですから。
しかし筆者はやはり、これからの日本をしょって立つ若い人たちに、貧困化した日本という事実を客観的な形で知ってほしいと思います。
いま、急いで根本的な手を打たない限り、若い人たちのこれからの人生に、いまよりもさらに悲惨な状況が待ち受けていることは確実だからです。

貧困化を示す指標は、いくつもあります。

・OECD加盟国34か国のなかで、日本の相対的貧困率は29位です(2015年)。



・実質賃金は、この20年間で約13%下がっています。



・世帯収入の中央値は、1995年に550万円だったのが、2017年には423万円に下がって
います。



どの所得階層が一番多いかを示す最頻値になると500万円台から300万円台に落ちています。

・収入が平均値以下の世帯は、62.4%です。

・年収200万以下のワーキングプアは、1996年には800万人だったのが、その後急上昇し、安倍内閣が発足した2013年からは1100万人を突破、現在もそのまま高止まりしています。



・生活保護世帯は、1995年ころには約60万世帯だったのが、やはりその後急上昇し、安倍内閣発足後は、ずっと160万世帯をキープしています。



ちなみに、厚労省が定めている生活保護の対象となる「最低生活基準」以下の所得しかない人は、なんと3000万人弱に達します。
https://www.youtube.com/watch?v=VDhLCDYSrMk&feature=share&fbclid=IwAR0s-tZc_TXumw9B0hMkBxlyp6tzdAOFpoh4OzQUmyRzSwxGx3tIrU03rgI
食べていけないほどの低賃金なのに曲がりなりにも働いているために、生活保護を受けていない人のほうが圧倒的に多いわけです。

・高齢者は5人に1人が貧困層(2015年では、可処分所得が122万円未満)に属します。
なかでも単身高齢者は、男性で約4割、女性では5割を超えます
(上記URL)

・金融資産ゼロの世帯は、3割を超えています(グラフには「貯蓄ゼロ」とありますが、正確には「金融資産ゼロ」です)。



一方では、個人金融資産の総額は1800兆円という巨大な額に及びます。
これはいかに一部の富裕層に資産が偏っているかを示しています。

・非正規雇用は90年代には2割程度だったのが、ここ数年4割近くと倍増し、その平均年収は正規雇用の65%にしか達しません。

・地方公務員の非正規雇用は11年間で4割増加し、全体の3分の1近くになっています。
正規の地方公務員の年収は平均660万円であるのに対し、フルタイムの非正規公務員は207万円程度、つまり三分の一未満です。
ワーキングプアすれすれですね。
もちろん昇給もボーナスもありません。
また、産休、看護休暇、交通費も認められない自治体が数多くあります。
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/02/0210.html

・地方の疲弊はここのところ顕著で、2019年だけで、百貨店の閉店が約10店舗にも及びます。

・国内の子どもの6~7人に1人が貧困状態にあるとされています。
こども食堂は、こうした子どもを対象に2012年ごろから始まりましたが、2019年調査では、16年時点の319カ所に比べると、わずか3年で12倍近い3700ヵ所以上に開設されています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46629900X20C19A6CR0000/

・子どもの貧困率は、OECD諸国中、下から数えて10位以内に入っており、ひとり親家庭(主として母子家庭でしょう)となるとダントツ1位です。





・日銀短観の2019年9月調査では、大企業・製造業の景況感を示す業況判断指数(DI)は3期連続で悪化しています。
実は途中横ばいの時期が一期だけあったものの、2017年12月調査から見て、7期連続悪化しているのです。
これは2013年6月調査以来の低水準です。

・GDP名目成長率の国際比較によれば、1990年を100として、欧米諸国はどの国も200から300の伸びを示しているのに、日本だけがまったく伸びていません。

・1人当たりGDPは、1996年には世界3位だったのに、2019年には26位に落ち込んでいます。

・1995年には、世界の名目GDPに占める日本のシェアは17%に達していたのに、2018年には6%以下に落ち込んでいます。

このくらいで十分でしょう。
こうした数字はすぐにでも調べられるのに、政府関係者は、「景気は底堅い」などとウソ八百を言い続けてきました。
御用学者や政治家や財界人やマスコミも、この種の悲惨ともいうべき実態をほとんど問題にしません。
それは、自分たちに都合が悪いことを隠しておきたいからです。
「臭いものには蓋」というヤツですね。

また、デフレが続く理由は、日本はモノがあり余っているので、もう経済成長する必要がないからだなどという人が、未だにけっこういます。
とんでもない話です。
そういう人は、自分が余裕のある暮らしをしているので、いま多くの人たちが貧困に落ち込んでいることに想像力が及ばないのです。
彼らは、貯金もほとんどなく、子どもに高等教育を受けさせることもできず、毎日のやりくりに追われています。

なぜこんなに貧困化が進んだのか、その理由は、間違った政治運営にあることは明らかです。
今さら言うまでもありませんが、財務省の緊縮路線竹中平蔵率いる構造改革路線との見事なコンビネーションです。
消費増税、「自由と効率化」の名目で打ち出された雇用システム、株主配当や自社株買いのための人件費削減、財政出動に対する狂気じみた禁圧、デフレマインドによる投資の差し控え等々、すべてが、上の二つの路線の原因であり結果です。
つまり、この二つの路線を楕円の焦点として、すべてが激しい下降スパイラルをなしています。

これらのことは、おそらくこのブログの読者にとってはほとんどが自明の基礎情報に属するでしょう。
しかし筆者は、一般の若い人たちに、少しでも日本全体の経済実態について知ってほしいのです。
そうすることで、運転免許を取らなかったり結婚しなかったりすることが、単に個人の自由意志ではなく、社会構造的な原因に根差しているのだということに気づいてほしいのです。
また、このブログ読者の方たちには、こうした基礎情報が、必ずしも多くの若者の共通認識になっていないこと、それどころか、ほとんどが共有されていないことに、もっと危機感を持ってほしいのです。


【小浜逸郎からのお知らせ】
●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3


●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。


https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。


http://amzn.asia/1Hzw5lL

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。


http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説を連載中です。
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/


マクロ経済はなぜ関心を持たれないのか

2019年11月17日 15時24分18秒 | 思想


日本が凋落の一途をたどっている今日、これを食い止めるには、どんな考え方が必要でしょうか。
凋落の原因が財務省の緊縮路線竹中平蔵氏らの規制緩和路線にあることは、心ある人々の間では、すでに明らかになっています。
しかし心ある人々がいくらこれらの路線を批判したり、関係者(官僚、政治家、財界人、学者、マスコミ)に働きかけたりしても、彼らは一向に聞く耳を持とうとしません。
それぞれのポジションで、頭がかちんかちんになっているのですね。

そこで筆者は、せめても、と思って、次のようなことを考えました。
これは、日本人の知性が劣化して、ごく広い意味での「学問」が受け入れられなくなっている事態だ、と。

しかし、社会科学系に限って言うなら、学問には、やはり「よい学問」と「悪い学問」があります。
「よい学問」とは何か。
これはきわめて明瞭です。
ふつうの生活者の安寧(あんねい)と仕合せを保証してくれる考え方を提供するのが、「よい学問」です。
ふつうの人々が、物質的・精神的な豊かさとゆとりを維持するにはどうすればよいかを教えてくれる考え方と言い換えてもよい。
そうした考え方に直結しなくても、ある専門知をそこにつなげられる道筋をつけてみせることができるなら、それは「よい学問」です。

「よい学問」の定義は簡単ですが、「悪い学問」の定義は難しい。
なぜなら、「悪い学問」には、まさに学問を悪くしてしまうさまざまな個人的・組織的な感情や動機がからんでいるからです。
それらは、学問という体裁のために、その悪い要素が見えにくくなっているのです。
一般に、次のような人たちが学問をしている場合、それは悪い学問です。

・自分(たち)だけの利益のために都合よく屁理屈を用いる者
・自説が間違っていたことが明らかなのに、いつまでもそれを認めようとしない者
・自説に固執して、他人の意見を聞き入れようとしない者
・肩書などの権威主義に居直る者
・権威主義に額づく者
・金銭目当てに自説を立てる者
・現実をよく見ずに整合性や純粋性にこだわり、現実と乖離(かいり)してしまう者
・清廉潔白なだけの思想を学問と勘違いしている者
・いたずらに難解さを気取ってそれ自体が価値であるかのごとく思い込む者
・公共性への配慮がまったくなく、ただのオタク趣味に耽る者

どうでしょう。
いまの日本の「学問」で、これらのどれかに的中するものがいっぱいあるのではありませんか。
では、「よい学問」がそのよさを保つためには、どんな条件が必要でしょうか。
以下に列挙してみましょう。

①現実の危機を深く自覚する
②既成の権威に阿(おもね)らない
③右顧左眄(うこさべん)せず、自分の考えをしっかり固める
④間違った考えを徹底的に糺(ただ)す
⑤自分が間違った時には率直に認め、自説やそれに基づく言動を改める
⑥流布されている「常識」を疑う
⑦自分の考えをわかりやすく公表し、その拡張に絶えず努める
⑧批判者、反論者を恐れず、彼らと堂々と議論する
⑨危機克服のための処方をデザインし、できればそれを自ら実践に移す


これほど日本が衰退の一途をたどっている以上、いまこそ上記のような条件を満たす新しい「学問」の構えが必要です。
「家貧しくして孝子顕(あら)わる」と言います。
これをもじって言うなら、「国貧しくして賢者顕わる」ということができます。
実際、いま日本は、戦後最大の危機にあります。
この局面にあって、いま、上記のような条件を満たす「よい学問」が切に求められています。
ところが、MMTのように、せっかくよい学問が紹介されて、根付きそうな気配があるのに、ほとんどの人は、これをまともに相手にしようとしません。
これはいったいなぜでしょうか。

それは、「経済」という領域が持っている特性にかかわっているのではないか。
エコノミーの語源はオイコノミアです。
これは「家政」を意味する古代ギリシャ語です。
古代ギリシャでは哲学、幾何学、自然学、天文学など、多彩な「学問」が花開きました。
それらは、もっぱら自由市民男子によって担われました。
しかし「家政」は学問の対象になりませんでした。
それが女や奴隷の手に任されていたからです。
そもそもオイコノミアがきちんとしていなければ、学問など「暇なこと(スコラ)」に手を出せないはずなのです。
にもかかわらず、担い手が女や奴隷だというだけで、それは軽侮のまなざしで見られていました。
オイコノミアは私的な領域の問題であり、公共性にかかわらないと考えられていたのです。

近代になって、人々の私生活上の動きが全体としては、重要な公共的意味を持つことに気づかれました。
それにもかかわらず、オイコノミアに対するこの軽侮の念はいまだに残されています。
人々は一般に、経済について考えることに対する軽侮、ではないまでも、ある種の敬遠の意識を抱いています。
これに比べて、一見経済とは自立した政治問題(ポリティカ)に関しては、昔から多くの人が関心を持ち、時には興奮した感情をあらわにして意見を述べたりします。
いまでもそうですね。
たとえば韓国が反日感情をむき出しにした振舞いに及んだとか、アメリカがISの指導者を死に追いやったとか、安倍内閣の閣僚の失言と辞任が相次いだとか。

いっぽう、人々は、金儲けにからむミクロ経済には強い関心を示します。
それなのに、公共性にからむマクロ経済にはあまり関心を示しません。
こうしたみんなの無関心が、間違った「経済学」を平気で呼び込んでしまうような気がします。
その無関心のうちには、歴史的に培われてきたオイコノミアに対する軽侮・敬遠の念が無意識に作用していないでしょうか。
近代以降は、ポリティクスのなかに不可避的にマクロ・エコノミーが組み込まれているのですが、それでも相変わらず、それは人々の関心から遠ざけられる傾向のうちにあるようです。

次のようなことも考えられます。
政治現象は見えやすく、毎日のニュース報道として直接耳目を刺激します。
これに対して、経済現象、特にマクロ経済は、「誰それが何々をした」というような物語としては現れません
それは、力も意志も異なる世界の膨大な人々の複雑な思惑や活動の乱反射状態としてしか現れません。
つまり眼前にはっきり像を結ばないのです。
それは画然とした物語性を持たず、いわば無人称・無人格の水面下の蠢(うごめ)きとしてしかとらえられません。
だから、マクロ経済のからくりを視野に収めようと思ったら、いったん身辺の関心事を離れる必要があります。
そのうえで、直線的な因果関係論理(「こうであればこうなる」)だけを武器にして、人々の活動の乱反射状態の中に突入していかなくてはなりません。
生活を根底のところで規定しているのが経済であることは疑い得ない事実です。
にもかかわらず、その全体のからくりについて考えることから手を引いてしまいがちなのは、そうした像の結びにくさをまるごと引き受けて論理的に把握しなくてはならない手続き上の面倒くささに原因の一端があるでしょう。

経済現象を学問的に解明しようとする人たちは、この像の結びにくさを十分わきまえずに、人間活動に対するある仮説を立て、自然科学が見出したのと同じようにこの現象のうちに普遍法則を発見しようとします。
しかしその初めの仮説が幼稚なものであったり間違ったものであれば、元も子もありません。
ここでは詳しく述べませんが、いわゆる主流派経済学は、この部類に属する学問です。
それは、どの人間も利益最大化を目指して生きているという仮説に依拠しています。
また、どの人間も同時刻に等しい経済情報を手にしているという仮説にも依拠しています。
この幼稚な人間仮説への固執が主流派経済学を生んだようです。
その固執を捨てないことにおいて、主流派経済学は「悪い学問」です。

そこでまず、経済について考えることに対する敬遠の意識を拭い去ることにしましょう。
また主流派経済学が植え付けた間違った仮説から自由になりましょう。
そして経済についての「よい学問」(よい思想の構え)を貫くことにしましょう。


【小浜逸郎からのお知らせ】
●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

http://amzn.asia/1Hzw5lL

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説を連載中です。
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/


災害対策、防災対策にMMTを!

2019年11月07日 23時08分21秒 | 政治


台風大雨被害からの復旧や復興が遅れています。
直接の理由はお分かりと思います。
わずか1か月余りの短期間に台風15号、19号、東日本の大雨と、これだけ押し寄せてくれば、被害の重なった地域ではライフラインの復旧すらままなりません。
しかし必ずしもダブル、トリプルの被害を受けずにそれぞれ個別に被災した地域に限っても、関東甲信越東北の被災地全般を見渡せば、ため息の出るほど復旧・復興に手間がかかることが想定されます。
倒れた高圧電線や電柱による停電、土砂災害による寸断された道路や倒壊家屋、各河川の堤防決壊や氾濫が引き起こした水害による鉄道や橋の崩落、浸水で使えなくなった家屋・家財、田畑の被害など、後始末だけでも大きな人手とコストを要します。
まして被害に遭った人たちの生活や産業の再建には莫大な労力と費用が掛かるでしょう。
一説によると、総被害額は5000億円に上ると言われています。

この復旧・復興の遅れは、昨年7月の西日本豪雨、9月の大阪地震の際にも指摘されました。
一つの大きな理由は、長年にわたる公共事業の削減によって、中小の建設業者が倒産・廃業に追い込まれたためです。
復旧しようにも人手が不足し、高い生産技術があっても、うまく使いこなせる人がいません。
おまけに昨年から今年にかけての場合、東京五輪準備のために多くの建設業者が取られ、とても対応することができないのです。
昨年の12月には、こんな報告もなされています。

広島県では工事が必要な被災箇所は約7千件に上ると見込んでおり、山間部で重機が入れないケースなど難易度が高い現場も多い。人手不足で人件費が高騰する傾向がみられ、業者からは「経費がかかる分、利益が圧縮される。コストに見合わない」「発注が多すぎて、人繰りがつかない」という声が上がっている。岡山県と愛媛県では不調の発生率は10%以下に抑えられているが、今後も工事が増えていく中で危機感は強い。両県では、多くの業者が入札しやすいように設計金額の要件を緩和。人手不足に対応するため近隣の工事をまとめて発注し、1人の技術責任者が複数の現場を同時に監督するのを認めている。》(太字は引用者)

一般に、戦争や大災害があると、需要が伸びます。
戦争の場合は、それ自体が莫大な費用を必要としますし、日本のように敗戦の痛手を受けたケースでは、復興需要が発生します。
また大災害の場合でも大きな潜在的需要が生まれるので、それに応えられる供給力さえあれば、皮肉なことに経済成長のきっかけになることが多いのです。
ところが近年うち続く大災害の場合、復旧・復興のための供給力が決定的に不足しています。

もちろん、被害に遭った各家庭や企業に十分すぎるほどの経済力があれば、もしかしたら復興需要を満たすだけの供給力が創出されるかもしれません。
建設業者の経営者が従業員にうんと高い給料を払うことにして、高度人材を集め、生産性の高い技術を駆使するとか。
それだけの資金を提供できるだけの消費者(被災者)がいさえすれば、の話です。
しかし、それにはどう考えても限界があります。
貧困化している今の日本で、そんなお金持ちばかりがいるはずがありません。
また、橋や道路は地方自治体が復興に当たらなくてはなりませんが、地方自治体はただでさえ財政難で悩んでいます。
そこにこの度の連続災害に遭遇したことは、まさに「泣きっ面にハチ」でした。

さてどうしたらいいでしょう。
もちろん、中央政府の支援に頼るほかありません。
その中央政府は何と言っているでしょうか。

首相は「必要があれば補正予算も含めてしっかりと財政措置を講じていく」と表明した。政府は今年度当初予算で確保した予備費5千億円のうち、すでに使途が決まっている230億円を除いた部分を活用した上で、補正予算案の編成に着手する。自治体への普通交付税について首相は「繰り上げ交付を迅速に実施するように」とも述べた。https://www.sankei.com/politics/news/191015/plt1910150047-n1.html

一見、やる気満々のようです。
ところがです。
昨年の西日本豪雨災害の後、次のようなことが確認されました。

厚生労働省は、2018年9月に公共施設や病院などにつながる全国の主要な浄水場3521カ所を調査。その結果、22%に当たる758カ所が浸水想定区域にあり、そのうち76%の578カ所は入り口のかさ上げや防水扉の設置などの対策がされていなかった。土砂災害警戒区域にも542カ所あるが、うち496カ所が未対策だという。

さて1年経ちました。
今年の台風19号による水害では、次のような、同じ数字が報告されています。

河川の氾濫(はんらん)などで浸水する恐れがある場所に設置されながら、浸水対策がされていない浄水場は全国で578カ所にのぼっている。台風19号の大雨では、福島県いわき市の平(たいら)浄水場が水没し、最大で約4万5千戸が断水した。災害からの復旧を支えるインフラの備えが遅れている。

これは、1年たっても、問題の浄水場に対して新たな整備が行われていないことを示しています。
こんな調子では、意気込みだけ表明されても信用できません。
しかも「必要なら」と仮定を置いているだけですし、補正予算もどこまで組めるのかおぼつきません。
なにしろ、鉄壁の緊縮財政というこれまでの「実績」がありますから。

エコノミストの斎藤満氏は、次のように述べています。
政府は遅ればせながら、にわかに復興支援に積極的な姿勢を見せ始めました。日銀が支援融資を検討するほか、政府はこれを機に積極財政に転換した模様です。(中略)幸い財務省は、このところの超低金利を利用して、18年度中に52.5兆円も国債を前倒し発行し、その資金をある程度プールしています。財政資金はいつでも活用できる状況にあります。これで災害復旧が進めば、それなりに生産やGDPが増えるはずです。https://wezz-y.com/archives/70280?utm_source=onesignal&utm_medium=button&utm_campaign=push

しかし国債を災害対策にどこまで充てるのか、まったく怪しいものです。
というのも、使える資金はあると言ったその舌の根も乾かないうちに、斎藤氏は、次のようなことを言っているからです。

政府が支援のために財政支出を拡大するとしても、国にお金があるわけではないので、それは国民の税金や、将来世代からの借金によって賄えることになります。》(同前、太字引用者)

要するに政府の支援金は国民の税金から拠出し、不足分は国債(いわゆる国の借金)で賄うと言っているわけです。
「国にお金があるわけではない」という言葉がそれをよく表していますね。
これは、彼が財政支出の仕組みをわかっていないことを表しています。
しかし何も斎藤氏だけが悪いわけではありません。
日本国民のほとんどが、いまだに財政支出の主たる部分は税金で賄い、足りない分はやむなく国債を発行して間に合わせると思いこんでいます。
つまり公共事業や社会福祉事業、災害対策費などを捻出するのに、国民からカネを集めて行うと信じているのです。
国債もこんなに残高が積み重なっているから、「孫子の代に迷惑がかからないように」できるだけ節約をして、などと誰もが考えるのでしょう。

しかしMMT(現代貨幣理論)によれば、財政支出のためのカネは、政府がキーストロークだけでいくらでも創出できるのです。
そこにはインフレ率以外の制約はありません。
これは政策判断以前の、単なる会計上の事実です。
なにしろ政府には通貨発行権があるのですから。
「国にお金があるわけではない」などというのは、例によって、財政を家計の財布に例えるトリックを使った財務省に騙されているにすぎないのです。

さてここに、激甚な災害に見舞われている国民がいて、財政難のためにその対策ができずに悩んでいる地方自治体があります。
非常時です。
政府は支援のために5000億円取ってあるだの、補正予算を組むだのと大げさに騒いでいます。
おそらく補正予算なるものも、緊縮財政の枠をはみ出さないようにセコイセコイ金額しか積まないのでしょう。
どうせそうに決まっています。
国会議員たちもほとんどが騙されているのですから。
しかしこれは、あそこにいくらあるからあれを使って、というような話ではありません。
非常時ですよ。
中央政府にだけ許された通貨発行権を大いに行使して、復旧・復興のために、必要十分な数字をはじき出し、それを直ちに特別予算として組めばよいだけの話です。
けっして税収から何とか、などと考えてはなりません。
人手不足が問題なら、国が自ら中小企業に潤沢な補助金を提供して、企業はそれを人材登用に充てればよい。
こういうことをしたって、何も高インフレになどなるわけがありません。
欠損してしまったものを埋めるだけなのですから。
ちなみに東日本大震災というあれほどの非常時に、政府はいくらでもできるはずの財政出動をせずに、あろうことか、国民から(それも被災者まで含めて!)復興税を徴収したのです!

ところで、災害大国ニッポン。
このような危険は、これからも年を追うごとに増大していくことが予想されます。
こういう国土から逃げるわけにいかない以上、私たちは、永遠にそれに対する備えをしていかなくてはならないのです。
「今受けた被害のために」だけではなく、「これからの子どもたちが被害に遭わないように」財政支出をし続ける必要があります。
単に、災害が起きた後の場当たり的な応急処置で済ませてはなりません。
今年度は災害対策のためにこれだけ使いました、来年度は未定だからわかりません、では、いつまでたっても国土強靭化が果たせません。
単年度会計のしくみから改めていく必要があるでしょうね。

これを機会に、財務省もいいかげんに「狂気の緊縮路線」をすっぱり捨て、今後に備えて地方インフラ、防災インフラなどハード面の充実のために、長期計画を立てておおらかにキーストロークを叩きましょう。



【小浜逸郎からのお知らせ】
●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。

https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/

●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。

http://amzn.asia/1Hzw5lL

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr

●長編小説の連載が完結しました!
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/