12月17日発売。定価1,700円
この本は、西部邁氏が主宰する隔月刊誌『表現者』に連載中の原稿から取捨選択し、大幅に加筆したものです。西部邁氏に深く感謝の意を表明いたします。
サブタイトルに、「西欧近代的価値観を根底から問い直す」とあり、帯コピーには、「西欧思想の巨人群に対して私たちが抱いているイメージは正しいのか。世界の混沌を前に、日本人が自前の考え方を確立するための手引き書。」とあります。扱った思想家は次の通り。
プラトン、イエス、マキャヴェッリ、ガリレイ、デカルト、ルソー、カント、ダーウィン、マルクス、ニーチェ、フロイト、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー
以下に、「序に代えて」の一部と「あとがき」の一部を抜粋します。
【序に代えて】
思想は「勉強」すべきものではなく、むしろそれを語った当人と、あたかも先輩や友人のように「つきあう」べきものである――傲慢の謗りを覚悟の上で言えば、筆者はずっとそう考えてきたのです。彼らがどんな偉大な思想家、哲学者、科学者として遇されていようと、またどれほど言語の壁が立ちはだかっていようと、ともかくその一人ひとりの肉声が聞こえたと思えるところまで近づいてみて、真剣に疑問を投げかけ、対話を成立させようと努力すべきではないか。
これをやれば、なかには「偉大」と思われていた思想が意外と「裸の王様」である場合があったり、また逆に、はき違えられて継承されるか不当に冷遇されている場合もあったりするさまが、けっこうよく見えてくるはずです。これが見えてくると、知識界・言論界において、欧米をただ権威と仰ぐ謂われなきコンプレックスから少しは自由になれるでしょう。
【あとがき】
世界はこれから、中世的・近世的な混沌のるつぼの中に差し戻され、西欧が擁立した自由・平等・人権・民主主義などの「普遍的価値観」はいたるところでそのほころびをさらすでしょう。これらがそれを旗印にしてきた特定の国々の自己防衛のためのスローガンにすぎなかったことが暴露されてしまったのですから。
そうなると、世界の国々は、グローバリズムの荒波に対する防波堤を築いてそれぞれナショナリズム(国民主義)にたてこもらざるを得ません。もちろんわが日本も国民の福利を第一に優先させる立場に立つべきなのです。「自由、平等、博愛を奉ずる地球市民」などという夢は早く捨てたほうがいい(ちなみに「博愛」は誤訳であり、正しくは革命勢力の同志愛です)。これからは、好むと好まざるとにかかわらず、ホッブズの言う「自然状態」が国家を単位として当分続くのです。(中略)
さてこの覚悟を固めたとして、西欧をお手本に近代国民国家を作り上げた日本は、もともと同一性の高い国ですから、内外の危機はいろいろあるにせよ、当分の間、この枠組みを保ち続けるでしょうし、保とうとするでしょう。その場合、これからの日本の針路を見定めるにあたって、当のお手本であった西欧の思想がじつはどんな姿と表情をしていたのか、その長所や欠点を冷静に見つめ直す試みがますます必要になってくると思われます。私も回り道をたどりながら、その試みの一端に加わってみたいと思いました。