小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

『第2回グローバリズムとメディアの犯罪①』小浜逸郎 AJER2016.10.17(3)

2016年10月17日 16時50分28秒 | 経済
      


政治経済チャンネルChannel Ajerに、美津島明氏とともに出演しました。よろしかったらどうぞ。

『第2回グローバリズムとメディアの犯罪①』小浜逸郎 AJER2016.10.17(3)


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誤解された思想家・日本編シリーズその2

2016年10月13日 13時46分48秒 | 思想

      





鴨長明(1155~1216)

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」といえば、誰もが聞いたことのある鴨長明の『方丈記』の書き出しですが、この見事な書き出しのために、この作品、および長明という人物について、ある種の誤解がまかり通ってはいないでしょうか。
 この作品は、一般には、『平家物語』と同じように、時代の激動を経験・観察した冷静な書き手が、戦乱や災厄や都の荒廃を目の当たりにして、権勢や栄華や奢侈を誇ること、人と争って欲望を満たそうとすることの空しさを説いた仏教的な無常思想の書として受け取られているように思われます。そう受け取ってしまうと、鴨長明という人が解脱と悟りの境地に達した聖の一人にも感じられてくるのですが、よく読んでみるとどうもそう単純ではない。
 ここにはむしろ長明その人の繊細で孤独な人格に根差した恨み節と強がりと未練がましさのようなものが匂っていて、また同時にその人間臭さは、自分の不徹底だった生き方への慚愧の念としても現れていると言えそうです。いきなり飛躍したことを言うようですが、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』(拙著『13人の誤解された思想家』PHP研究所参照)によく似た面があります。そう言えばどちらも音楽に深く傾倒したのですね。長明は琵琶の名手だったようですが、このほかに歌を詠むことに最も力を注ぎ、後鳥羽院から歌合の寄人に召されています。

 ところでよく知られているように、『方丈記』は、前半が恐るべき火災と竜巻の被害、源平の争いのさなかの慌ただしい福原遷都、凄惨な飢餓、大地震など、都の大いなる乱れの記述に当てられていて、これは分量にして全体の約半分を占めます。そうして次のように締めくくられています。

すべて、世の中のありにくく、わが身と栖との、はかなく、あだなるさま、また、かくのごとし。いはんや、所により、身のほどにしたがひつつ、心をなやます事は、あげてかぞふべからず。

 ここがこの短い「随筆」の大きな転換点で、この後、人と人とが相接して暮らすことに伴う不如意の話に進み、次に自分の来し方を簡単に語り、今のライフスタイルについて紹介するという展開になっています。これはおそらく意識的に取られた方法で、長明は、なぜ自分が六十近くになって、わずか三メートル四方ばかりの粗末な住処を都の中心から離れた日野の里に求めたのか、その意味づけを一生懸命わかってもらおうとしているといった趣きです。あたかも前半の乱世の姿の記述は、そのためであったかのように。
 ところがおもしろいことに、その「方丈」のさまを描写する筆は妙に踊っていて、こういう自由な独居暮らしこそ理想的で、君たちは見習うべきだとでも言いたげなのです。

南に竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、北に寄せて、障子を隔てて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかけ、前に法花経をおけり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に竹の吊棚をかまへて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌・管弦・往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに、琴・琵琶おのおの一張を立つ。いはゆるをり琴・つぎ琵琶これなり。かりの庵の有様、かくのごとし。

 この後も、周辺の環境、風景をじつに詳しく、その春夏秋冬折々の風情がいかに自分の身に合っているかを述べ、また、毎日読経や持戒に汲々としなくとも適当にやっていれば罪を犯すこともないし、時々は松風や流水に合わせて琵琶を弾き歌を詠じて楽しむこともできるというような気楽な暮らしぶりを紹介しています。
 ここに描写された「方丈」は、たしかに広くはありませんが、かなり優雅でオシャレに感じられます。いまで言えば別荘暮らしのようなものか。しかも彼は必ずしも人との交渉を断った隠遁生活に徹したというわけではなく、近所の子どもと楽しそうに遊んでいるし、時々は、あるいはけっこう頻繁に、都に出ていたらしい。
 たとえば簗瀬一雄訳注の角川ソフィア文庫版巻末年表によれば、長明が庵を結んだ後に「『往生要集』(の写本)刊行す」とありますが、長明が上に書いている「往生要集」が、この写本を意味するとすれば、どうやってそれを手に入れたのか、相当のつてがなければできないはずです。またこれは、彼がこの年になっても、現実の状況に対する旺盛な好奇心と向学心とを持っていたことを示しています。何しろ往生要集といえば、法然による浄土宗再興期の知識人にとって、垂涎おくあたわざる必読本ですから(源信がこの原本を書いたのは、これより二百年以上前ですが)。
 また同じころ、彼は親友の推挙で鎌倉にまで赴き、実朝と何回も会ってもいます。
 ちなみにこの東下りの目的が何であったかはまったくわかっていません。実朝に短歌の指南をしたという説もありますが、実朝は藤原定家との間にすでに緊密な師弟関係を結んでいますから、どうもそれも怪しい。
 何よりも、自分のライフスタイルを、どうだ、いいだろうとばかりにこれほどしつこく自慢げに書くというのは、いったいどういう心根の表れでしょうか。へそ曲がりの私は、ついついそういうところに、長明自身のへそ曲がりぶりを読んでしまうのです。つまりはこれは自分の不本意だった前半生と、そういう運命を強いたこの世の不条理に対する屈折した恨み節ではないのかと。
 というのも、もし本当に過去に執着せず、今の暮らしぶりに満ち足りていて淡々と静かな日々を送っているのだったら、わざわざそんなことを構えて書く必要などないからです。世間から「半分だけ」遠ざかった物書き(知識人)の、未練がましい性とでも申しましょうか。

 では彼の前半生はどんなふうだったか。
 彼は下賀茂神社の禰宜・長継の次男として生まれ、父方の祖母のもとでかなり裕福な暮らしをしていたようです。短歌と音楽をことのほか好み、それにもいい先生がついていました。つまり由緒ある家のお坊ちゃんだったのですね。しかし十九歳のころ父を失います。三十代で祖母の家から独立し別の家を建てて住みました。事情はよくわかりません。この新しい家のことは、『方丈記』にも出てきますが、その大きさは、実家の「十分の一」しかなかったと書かれています。
 もはやあまり若いとは言えない三十三歳の時、千載集に一首が載りますが、歌論『無名抄』(『方丈記』とほぼ同じ五十代後半に成立)のなかで、その喜びをナイーブと思えるほどの調子で語っています。このナイーブさは、人が聞いたら書かずもがなの自慢とも聞こえ、そのあたりにこの人の人間関係のつたなさがほの見えます。
『方丈記』での屈折した強がりの姿勢に収斂していく芽は、すでにここに胚胎していたのかもしれません。音楽の先生に「この集には大したことのない人の歌がいくつも入っているので、それを見て悔しく思うはずなのに、一つ入っただけでそんなに喜ぶとは、とても心がけが美しいですね。それでこそ道を尊ぶというものです」とほめられたことまで記しています。ふつうそんなこと公開をもくろんだ作品に書きませんよね。
 また、父が生きていれば河合社の禰宜職を継ぐはずであったのを、歌詠みにうつつを抜かして社の奉公をおろそかにしている間に、親戚筋の鴨佑兼の進言によって佑兼の息子・祐頼にその職を奪われてしまいます。どうも長明はこの件で佑兼のことを後々まで恨んでいたフシがあります。
 賀茂川の別名として賀茂社の縁起の中に見える「瀬見の小川」という名を自分の歌に詠みこんだとき、佑兼から、ハレの場で使うべきその名をふだんの歌会などで使うべきではないと非難されました。ところがその名を判者も含め他の歌人が使うようになって広まってしまいます。するとまた佑兼が、「だから言わんこっちゃない。誰が初めて使ったかわからなくなってしまうじゃないか」と因縁をつけました。ところがこの長明の歌は後にちゃんと新古今和歌集に載ることになります。長明はその一部始終をやはり『無名抄』の中に書きこんでいます。彼にしてみれば、ざまあみろという気持ちだったのでしょう。でも何十年もたって書き下ろした「歌論」のはずなのに、ずいぶん執念深いところがありますね。
 ところで佑兼によって禰宜の職を奪われたことは、長明にとってよほど大きな人生の挫折だったと思われます。河合社の話の時には涙を流して喜んだのに、一度その話がおじゃんになってからは、おぼえめでたかった後鳥羽院がせっかく長明のために別の小社を建て、そこの神職に就くことを勧めてくれたのに、院の申し出を「もとより申す旨たがひたり」とあっさり断ってしまいます。この辺にも融通の利かない頑なな性格がよくあらわれていますね。
 さてこの事件の後、しばらく姿を隠してから再び召し出されるのですが、やがて五十歳の時突然出家して大原に五年間こもります。しかし、この五年のことを『方丈記』では、ただ「むなしく大原山の雲に臥して」としか語っていません。無意味な五年間だったと総括しているのですね。想像をたくましくするに、当時大原は、出家僧が群れて集団を作っていたそうですから、そこでも性狷介な長明は人間関係があまりうまくゆかず、不適応を起こしたのではないか。
 いったいに『方丈記』の長明は、自分の人生の大事な節目にどういう事情があったのかについては口をつぐんでいます。祖母の家を出たこと、出家したこと、大原を出て日野に移ったこと、すべてその動機や理由が何も語られていません。佑兼の横槍で禰宜職を失ったことについては、その事実にすら触れていません。この私生活上のいくつもの大事件に対する沈黙と、都の天変地異・荒廃を語る饒舌とはたいへん対照的で、私はそこにどうしてもある意図を感じないではいられません。
 つまり彼は、自分の人生上の有為転変の帰結として方丈の庵に到達したはずであるのに、その到達の理由を、一般的なこの世の無常という仏教的世界観に置き換えて表現しようとしたのです。そう考えないと、都の悲惨なありさまをこれでもかこれでもかと畳みかけるように活写するその鬼神めいた情熱と、方丈に落ち着いたときの心境をことさらうきうきと語る調子との間のちぐはぐさの印象がどうにも解決がつきません。それは論理的には整合性が取れているのですが、情緒面ではいかにも無理をしている――そんな感じなのですね。
 これは格別非難に値することではありません。何よりも漢文脈の簡潔な調子を活かした和漢混淆文によるこの随筆文体は、それまでの女性的な文学(物語、日記など)では考えられなかった力強さと思想性とに満ちており、そのオリジナリティは否定すべくもありません。男性として、あえて公的な事件を媒介に私的な心境を語る方法を選び、私的な事件を連綿と吐露する「女々しい」流れのほうは抑制せざるを得なかった。だからこそ、こうした斬新な文体が生まれたのかもしれません。
 長明はおそらく、性格的には過剰な自意識をもて余し、感情の起伏の激しい人であったように思われます。それゆえ、世渡りがあまり上手でなく、人間関係で多くの失敗を重ねたのではないでしょうか。

『方丈記』は、最後に、奇妙な迷いの表白で終わっています。仏の教えに従うなら、こうやって草庵暮らしを愛するのも静かな生活に執着するのも罪なことで、自分の振る舞いは格好ばかり聖人ぶっているけれど、心は濁りきっているのではないかと自問しているのですね。

栖はすなはち、浄明居士維摩のこと――引用者注の跡をけがせりといへども、保つところは、僅かに周利槃特釈迦の弟子――引用者注が行ひにだに及ばず。もしこれ、貧賤の報のみづから悩ますか。はたまた、妄心のいたりて、狂せるか。その時、心さらに答ふる事なし。

 あんなに得意げに今の暮らしぶりを語っていたのに、これはどんでん返しともいうべき展開です。察するに、長明の強い自意識は調子に乗りすぎたことを反省し、どう収めようかと苦慮した挙句、やはり悟りの境地に達した隠遁者を気取るよりは凡夫の煩悩をさらけ出しておく方が、当時の世相にふさわしいと考えたのでしょう。受け狙いとまでは言いませんが、なかなか心憎い自己演出です。
 新古今から二首。

  よもすがら ひとりみ山のまきのはに くもるもすめる有明の月

 これは禰宜職を失ったショックで引きこもってから出家するまでの間に詠んだ歌らしいですが、ひとりみ山にこもって鬱屈した気分で過ごしていても、自分の気持ちは有明の月のように澄んでものがしっかりと見えているという心意が込められているように思われます。やはり相当に意地っ張りでこわばったイメージですね。

    身ののぞみかなひ侍らで、やしろのまじらひもせでこもりゐてはべりけるに、葵をみてよめる
  みればまづいとゞ涙ぞもろかづら いかに契りてかけはなれけん


 これこそは、長明の真情が直接に出ていると言えるでしょう。「もろかづら」は葵の別名でもあり、葵と桂を組み合わせて賀茂祭の飾りにするそうです。だから「もろ」が「もろい」の掛詞とも見え、もろくも縁から見放された自分を暗示していることになります。また「かけはなれ」は、葛の縁語でもあるそうです。要するに、本来なら賀茂祭を取り仕切る立場になるはずであった自分なのに、どんな因縁からこんな悲運にあったのかと嘆く歌ですね。
 構えた「随筆(エッセイ)」ではいろいろと言葉の武装を凝らすことができましたが、やはり「歌」にこそ凡夫としての本音が出てしまうとは、昔も今も変わらないことなのでしょうか。このあたりまで長明に近づいてみると、彼に対するえもいわれぬ親しみがようやく湧いてくるような気がするのです。


消費増税問答(その3)

2016年10月07日 10時18分31秒 | 経済
      






Q9:もう少し質問させてください。
「もう(国内で)モノが売れなくなっている」という状態がありますね。これは例えば車や携帯電話や各種サービス業など、すでに大体の人が手に入れてしまい、市場が飽和して、商品としての機能充実やサービスも熟しきって新たな需要を喚起できないという状態がけっこうあるんではないかと思います。それには社会構造や人口構成の変化も関係していて、資本主義先進国のある種の行き着く先なのかな? とも思っているんですけど、
・こういうことが内需頭打ちの構造的な原因になってるという理解は正しいと思いますか?
・そしていまのデフレを助長している要因のひとつではないかという疑問についてはどう思いますか。、
この「モノの売れなさ」に対しては、財政出動は経済という面における対症療法としての一定効果と理解すべきであって、社会構造の本質的な改善となると、体制変換のような国家的大問題になると思うのですが。


A9:これは、たいへん重要な問題です。
貴兄の疑問は、半分は当たっていますが、半分は当たっていません。そうして、多くの人が貴兄のように考えているようです。
 当たっているのは、「先進資本主義国では、モノやサービスが余り過ぎて、もう需要は伸びないだろう」とみんなが思い込んでいるために、じっさいに需要が開発されなくなってしまっているという事実。つまり、経済の動向はその時々の心理が大きな決定要因となるという一般的な事実ですね。たしかに、今の日本では、大部分の人がそう思い込んでいて、そのため、実際に内需拡大の方向に経済が動かないということがあると思います。
 しかし、これは結局、「いまはデフレなんだから、デフレが続くのだ」という同義反復のペシミズムを導くだけです。
 内需を拡大しなければこのひどいデフレからの脱却は不可能だという立場からは、この思い込みを取り除く論理を立てなくてはなりません。というよりも、内需は、実際やろうと思えばいくらでも拡大できるし、その条件は、今まさにそろいつつある、というのが真実です。

 具体的にその条件を挙げましょう。

①少子高齢化による労働力不足。
 これは、建設業、介護などの福祉の分野で深刻で、他の分野でも早晩そうなっていくでしょう。つまり、これからの日本は、仕事がない状態から、仕事があるのに人材がない状態へと移っていくのです。これは、内需を拡大するまたとないチャンスですし、同時に賃金が上がっていくことにもなります。
 ちなみに、この問題を口にする時に、ほとんどの人は、政府やマスコミが流した、将来の人口減少を理由として挙げますが、これは大きな誤りです。人口減少は、100年、200年単位の長期的な予測で、そのカーブは極めて緩やかです。事実は人口減少が問題なのではなく、そんなには減らない総人口と、急速に減っている「生産年齢人口」(15歳から64歳まで)とのギャップこそが問題なのです。つまり総人口に対する働ける人の割合が減っているからこそ、人手不足が深刻になり、だからこそ、需要が拡大する余地が大いにあるわけです。
 安倍政権は、一方で、この人手不足問題の解決を、技術開発投資による生産性の向上に求めていて、これは正しい方向です。ところが他方では、外国人労働者を増加させる政策も取っています。事実上の移民政策ですね。これは前者の方向と矛盾するだけでなく、ヨーロッパの移民難民の惨状をちょっと見ただけでわかるように、けっしてとってはならない愚策です。外国から安い賃金に甘んじる労働者が大量に入ってくると、賃金低下競争が起き、国民生活がいよいよ貧しくなる方向に引っ張られます。じつは財界はそれを狙っているので、その点で安倍政権、ことに自民党は、財界の圧力に屈しています。また、移民が増えると、深刻な文化摩擦も引き起こされます。
 外国人労働者拡大(実質的移民)政策は、いわゆるアベノミクス「第三の矢」の規制緩和の一環で、ヨーロッパが取りいれてきて失敗したことを目の当たりにしていながら、それを周回遅れで見習おうとしているのです。
 ちなみにここで言う「外国人」とは、その大きな部分が中国人です。中国政府は尖閣問題だけではなく、日本や南シナ海への進出を露骨に狙っていますから、日本が移民政策などを取ると、これ幸いとばかりどんどん押し寄せてくるでしょう。安全保障の意味からもけっしてとってはならない政策です。

②超高齢社会による、医療・福祉分野での需要の拡大。
これは、あらゆる分野に波及する可能性を持っていますよね。特に介護にたずさわる人は女性が多いのに、力仕事ですから、パワードスーツなどのAI機器の開発・普及が期待できます。

③高速道路網、高速鉄道網の整備による生産性の向上と地方の活性化
これは、地図を見るとわかるのですが、計画だけはすでに何十年も前からあるのに、その整備状況はひどいものです。先進国の中で格段に遅れています。
 山陰、四国、九州東周り、北陸から大阪までの各新幹線はまだ出来ていませんし、山形新幹線も中途半端で、鶴岡や酒田や秋田にそのままでは抜けられませんね。北海道新幹線も、札幌まで延ばさなければほとんど意味がありません。同じ地方の高速道路網も、全然整っていません。
 これが整備されていないために、地方の過疎化が進み、東京一極集中がさらに進むという悪循環に陥っています。これは、単に地方が疲弊してゆくという問題だけではなく、災害大国である日本の首都で大地震が起きたら、地方に助けてもらえないということも意味します。
 なおまた、新しい交通網の整備だけではなく、すでに1964年の東京オリンピックの頃に整備された古いインフラが、日本中で劣化をきたしていて、そのメンテナンスがぜひとも必要だという事実もあります。道路、橋、歩道橋、水道管、火力発電所など。こういうことにお金をかけることがいかに大切かは、ちょっと考えれば誰でもわかるのに、多くの人の頭の中には、消費物資の飽和状態というイメージしかないのです。

④スーパーコンピューターの開発
 日本は、この分野で世界で一、二位を争っていますが、蓮舫氏の言う「どうして二位じゃいけないんですか」は、絶対にダメです。すでにスピードでは中国に追い越されていて、省エネ部門(いかにエネルギーを使わずに高性能とスピードを達成するか)でも追い越されかかっています。エクサスケール(100京)のコンピューターが完成すると、コンピューターが自らコンピューターを作り始めるので、2位以下の国はもはや自国でコンピューターが作れず、すべて、1位になった国が作るコンピューターを買わされることに甘んじなければならないそうです。

 総じて、人間の技術の発達史を見ると、需要が頭打ちになるなどということはあり得ないことがわかります。新しい技術は、これまでの困難を克服するだけでなく、新しい欲望を作り出すのです。それがいいことか悪いことかは、この際措きますが。
 なお貴兄のいわゆる「資本主義の行き着く先」という問題は、実体経済における需要の頭打ちというところに現れるのではなく、金融資本の移動の自由や株主資本主義が過度に進んだために、ごく一部の富裕層にのみ富が集まり、貧富の格差が極端に開いているところに現れています。その意味でも私たち国民生活に直接役立つ実体経済の分野に投資がなされなくてはならないのです。


Q10:最後に幼稚な疑問ですが、最近は大新聞さま以外にもいろんなニュースサイト、オピニオンサイトがあり、情報ソースの選択肢自体は多いにも関わらず、例えば経済に明るい若手の企業家などが一見クレバーなことを言うようなケースは多くても、こういったことを一般の肌感覚に照らしてわかりやすく発信するところが少数派な気がするのですが、それはなぜですか。真実をきちんと見つめる人が常に少数派だからですか?

A10:これは残念ながらその通りですね。この傾向は、情報過剰社会になって、ものをよく考える習慣を身につけていない人たちが、いっぱし意見を発信するので、ますます真贋を見分けることが難しくなっていることを示しているでしょう。高度大衆社会は、無限に多様化したオタク社会でもあって、ものごとを総合的に把握する人が相対的に少なくなっていると言えそうです。
 真実をきちんと見つめて正しいことを言うのはいつも少数派です。マルクスは、バカどもが下らない議論をしているときに、「無知が栄えたためしはない!」とテーブルを叩いたそうですが、実際には「まずは無知こそが栄える」というのが正しいでしょう。
 私もそんなに大きなことは言えませんが、これまでの自分のささやかな言論活動のなかでも、聞く耳を持たない奴らに何度言ってもわかるはずがないという残念な感慨をたびたび味わってきました。
 しかし、こと経済に関しては、貴兄以上に音痴だったのですが、少しばかり勉強するうち、きちんとものを見ている人は、たとえ少数でもいるものだということに気づきました。これまで名前を挙げた人たち、田村秀男、三橋貴明、青木泰樹ら各氏ですが、あと二人、、内閣官房参与を務めている藤井聡氏と、経産省官僚ですが独自に言論活動をしている中野剛志氏を挙げておきましょう。ともかくこういう人たちがいるかぎり、こちらも絶望ばかりはしていられないという気になってくるわけです。

(このシリーズはこれで終わります。)

消費増税問答(その2)

2016年10月03日 14時17分55秒 | 経済

      





*前回、このシリーズ、2回で終わらせると書きましたが、後半が長いので、3回とさせていただきます。今回はその2回目です。

Q4:消費増税を主張する財務省や御用学者が間違っていることはよくわかりましたが、なぜそういったことがマスコミで言われないのでしょうか? また財務省や御用学者はなぜ真実を隠してソッチに世論を誘導しようとしているのでしょうか?
まずマスコミについては、左翼的偏向などは影響なさそうだから、彼らがそうなってしまう仕組みがよくわかりません。単に不勉強というに尽きるのでしょうか? それとも何か、彼らがソッチへ行ってしまう偏りの根があるのでしょうか?
 そして財務省については、
・本当は真実を理解しているが予算拡大=権益確保のために意図的に世論誘導しているのか? あるいは他の理由もあるのか?
・増税という財務省の悲願は、その本来の意味/無意味を問うことを忘れるほど魔力のあるものなのか?
・あるいは、経済理解には常に諸説あり、現状ではソッチ派がなんらかの理由で(東大閥とか)主流になってしまう(つまり彼らとしては意図的ではなく、本当にソッチが真実だと思っている)のか?
 このへんはどうでしょう。


A4: なかなか鋭い質問です。当然起きてくる疑問で、私もこれについては相当考えてきました。貴兄の言っていることはある程度までは当たっています。これも前回紹介した拙著『デタラメが世界を動かしている』p73~74に書かれているのですが、もう少し展開してみましょう。

 まず、財務官僚ですが、彼らは何らかの悪意とか、作為とかがあってそうしているのではなく、ケチケチ病という一種の強迫神経症と、臆病という不治の病と、長年続いた公共投資アレルギーとに骨の髄まで侵されているのでしょう。単年度会計で収支バランスを取る、ということだけが彼らの習慣的な思考スタイルになってしまっていて、それを抜け出すことができなくなっているのだと思います。いわば彼らは「緊縮財政真理教」なる宗教団体と化しているとも言えましょう。
 なぜそうなるのか。
①ひとつは、彼らが悪しき意味での「秀才」だからです。この連中には、普通の国民が何に関心を持っているかという一番大事なことが視野に入っていません。「経済学」をお勉強して、密室の中でシコシコと机上の空論をもてあそんできた連中です。彼らは、与えられた課題、つまり、国家財政を均衡させるには数字をどう動かせばよいか、ということしか考えていず、そのためには、赤字国債や国債利子の支払いを減らして税収を増やさなくてはならないというテーゼに金縛りになっているのです。先に述べたとおり、税率を上げても税収は増えないのですがね。
②その「経済学」というやつですが、現在幅を利かせている「主流派経済学」は、「すべての個人は利益最大化と効率のために合理的な行動をとる」という機械的な仮定を前提として、数式を用いた理論モデルでガチガチになっています。これは、財務官僚の周りに群がる御用経済学者たちの基本的なスタイルです。そうして複雑難解な経済理論、経済法則なるものを作り上げ、理論と現実とが乖離している場合には、理論の間違いを柔軟に認めるのではなく、現実のほうが間違っているとみなすのです。
 たとえば、彼ら(新古典派経済学と呼ばれますが)の仮定によれば、市場の均衡原理が成り立っている状態では、完全雇用が成り立ち、非自発的な失業者(仕事を探しているのに仕事に就けない人)は存在しないというバカげた結論が導かれます。こういう経済学に依拠している限り、財務官僚も安んじて低所得者層の問題など頭から放逐できるわけです。
③官僚体質と昔から言われますが、彼らは、一度正しいと信じて決めたことは何が何でも通そうとします。現実の変化に応じて柔軟に対応しようという政治判断ができません。その決めたことを貫くための実務能力において、彼らは極めて「優秀」です。
 これは、今の場合で言えば、かつて田中角栄の時代やバブル時代に多少通貨が膨張してインフレになったので、「羹に懲りて膾を吹く」の体で、「決してインフレにしてはならぬ! そのためには倹約せねばならぬ!」という教科書の教えを守り抜いているわけです。そうしてひどいデフレ状況を二十年以上も支えてきました。ちなみに、江戸時代の三大改革は、いずれも倹約の美徳を説いて、産業の振興を抑制したために、経済政策としてはことごとく失敗していますね。
④このDNAは、後続世代にそのまま遺伝します。財務官僚といえども、若い世代のなかには、上司の方針はおかしいんじゃないのと疑っている人はけっこういると思いますが、部内で異を唱えると、必ず出世に差し支えます。官僚とはそういう世界です。

 次に御用学者ですが、彼らは若いころ、エール大学とかハーバード大学とかシカゴ大学とかで、いま言ったように理論経済学を叩きこまれていて、現実に生き生きと対応できるような思考の道具を持っていないのです。「真実」を知っていながら隠しているのではなくて、本当に自分たちが正しいと信じ込んでいるようです。
 つまりエリートとしてのプライドと権威主義とが、真実を見ることを妨げているのですね。だから、たとえば中小企業診断士から身を立てた筋金入りの経済評論家・三橋貴明さんなどから矛盾を突かれると、話を逸らしたり、答えないで黙ってしまったりします。消費税には直接かかわりませんが、日銀副総裁の岩田規久男氏などは、金融緩和だけでデフレ脱却できるという理論(リフレ派といいます)が現実によって裏切られているのに、いっこうにその誤りを認めようとしません。

次にマスコミですが、これは産経新聞特別記者の田村秀男さんのようなごくまれな例外を除いて、本当に不勉強でバカです。財務省や日銀という権威筋の言うこと、やることをそのまま虎の威を借りる狐のように大衆に向かって垂れ流しています。特に経済専門紙であるはずの日本経済新聞がひどい。この新聞は、率先して消費増税の必要性を説いてきました。
 そればかりではなく、景気悪化の指標が歴然と出ているにもかかわらず、政策の批判をせずに、その原因を暖冬のせいで暖房器具が売れなかったとか、原油安が響いたとか、政府が外部要因のせいにするのを鵜呑みにしています。つい先日も、8月の最終消費支出が前年同月比でマイナス4.6%になり、6カ月連続の落ち込みだと伝えながら、その原因を、台風で天候不順が続いたからだ、と平然と書いていました!
 忙しくて考える暇のないサラリーマンのほとんどが、日経を読み、経済紙の言っていることだから正しいだろうと刷り込まれてしまいます。非常に罪が重い。朝日、読売などもこの点では同じです。
 またNHKラジオなどでときおり経済問題特集をやるのをカーラジオで聴くのですが、出てくる経済部記者や論説委員は、ほとんど権威筋の言うことをオウムのように繰り返しているだけです。批評精神などみじんもありません。
 参考までに、先日、日銀が「総括的な検証」を発表した時のNHKのひどさについて、ブログに書きましたので、覗いてみてください。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/44d5affc8b33d3b9a0e525ed26c69820

Q5:貴兄は、「政府が通貨発行権を持つので、新たに通貨を発行することで、(すべてではないにしても)ある程度まで借金をチャラにできます。これは動画でも、だからってハイパーインフレなんかにならない」と言ってますが、現実的に問題が起きない程度での借金チャラ化は、およそどの程度までなら可能なのでしょうか?

A5:これに答えるのはちょっと難しい。つまり、仮に1000兆円借金説が正しいとして(正しくないのですが)すべてを通貨発行でチャラにするというのは、やや乱暴な話で、そんな政策を打ち出せば、それこそ緊縮財政派の財務省、学者、エコノミスト、マスコミが、「ハイパーインフレになって国債が暴落する!」と鬼の首を取ったように叫び出すでしょう。要するに、これは、その時々の実体経済市場と金融市場の情勢を踏まえて決定すべきバランスの問題でしょうね。たとえば私が試算したように、政府の負債が100兆円くらいなら、通貨発行でチャラにしてもほとんど悪影響はないと思います。また負債がこれくらいなら、わざわざチャラにする必要がないとも言えますね。

Q6:貴兄はまた、「日銀は広い意味で政府の一部門なので、日銀が買い取った国債を、新規発行の国債(無利子、返済期間無期限)と交換できます。」と言っていますが、これは、通貨発行で負債をチャラにするのと実質同じようなことに思えますが、そういう理解でよいのでしょうか?

A6:通貨発行でチャラにするのと、国債の借り換えとは違います。前者は、実際に通貨が市場に流通するので、巨額ならばインフレ懸念が発生しますが、後者の場合は、日銀と政府とで、書類上の書き換えをするだけです。だから、インフレ懸念も発生しないとてもよい方法だと思います。これは、日本の経済学界で、主流派経済学者に抵抗してほとんど孤軍奮闘されている青木泰樹先生から直接聞きました。

Q7:貴兄はさらに、「政府の負債は、拡大しても返済義務があるわけではなく、また罪悪視する必要は何らなく、国民生活に役立つならむしろ積極的に拡大すべきなのです。特にデフレの時は民間を刺激する必要があるので、これが求められます。」と言っていますが、これはつまり、借金、というより、出資、という方が正確な理解に近いと思ってよいのでしょうか? イコールではないにしても言葉のニュアンスとして。

A7:まさにそのとおり。そういうイメージで国民の多くが捉えれば、何の問題もないのに、財務省やマスコミが「借金」という言葉を使って国民を騙すので、国民は、自分の家計に引きつけて考えてしまうわけです。企業は自己利益のためになると考えたら、投資という賭けに出るために借金をしますが、儲からないと踏んだら融資を受けません。これに対して政府は自己利益のためにあるのではなく、国民の福祉のためにある公共体ですから、儲からなくても「出資」すべきなのです。

Q8:公共事業などで景気が良くなり設備投資などで好景気の影響が循環していくというのは分かりますし、低金利政策も仕組みとしては理解できます。でも低金利政策は行くところまで行っちゃってあまり日銀は有効な手を打てないのかなと理解しているんですがいかがですか。

A8;そのとおりです。日銀の金融政策にはもともと限界があります。一つは、黒田バズーカを続け過ぎて、金融市場の国債が不足しつつあることで、あと3年くらいこのまま続けるとゼロになってしまいます。すると、金融機関は、そのぶん海外のハイリスク商品に手を出す可能性が出てきます。運用が下手なことで有名な年金機構などは危ないですね。でも量的緩和(国債の買い取り)自体は低金利政策のために続ける意味があります。その点からも政府が新規国債を発行する必要があるわけです。
 また日銀は、ついにマイナス金利まで導入しましたが(すべての国債残高に対してではなく、新規発行のほんの一部ですが)、これは市中銀行が日銀に金を預けていると、逆に利子を取られてしまうという仕組みです。この結果、10年物長期国債の金利までマイナスになってしまいました。ここまでやっても、企業は積極的にお金を借りようとしません。それほどデフレマインドが染みついてしまっているのですね。
 それだけでなく、マイナス金利には、銀行の営業を圧迫するという副作用があります。特に中小銀行には痛手でしょう。これが高じると、預金者にも迷惑が及ぶ可能性すらあります。極端な場合、銀行預金にマイナス金利がかかり、みんなが預金を下ろしてタンス預金をしてしまう。そうなると、ますます市場にお金が回らなくなりますから、デフレの悪循環に落ち込みます。
 さすがに黒田総裁は、このたびの「検証」で長期国債の金利がマイナスからせめてゼロになるように誘導すると発表しているようですが、どうやってやるのかよくわかりません。じつは万策尽きているというのが本音でしょう。日銀は「まだできる、まだできる」と意地を張らずに、自分の限界をはっきり表明して、政府に強く財政出動を求めればよいのです。