「須恵器から灰釉陶器へ」と題して
城ヶ谷和宏さん(愛知県立熱田高校教
頭)の講演会が鈴鹿市でありました。
古墳時代の中ごろに朝鮮半島から生産
技術が伝わった焼きものである須恵器
時に儀礼や葬送に不可欠な特別な器と
して、また時には生活に欠かせない日
常の器として用いられ、古墳時代から
飛鳥・奈良・平安時代を通じ500年以上
にわたって生産され使用され続けまし
た。そして、その技術と伝統は中世以
降の窯業の基盤として受け継がれてい
ったのです。パンフレットより
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▼秋晴れのすがすがしい日に隣町の鈴
鹿市にある鈴鹿考古博物館に行ってき
ました。須恵器を中心に製作の際に自
然に灰によって偶然に生じた緑色の釉
の色は大変感動的です。とても古墳時
代に作られたものとも思えないくらい
素晴らしい出来栄えです。とはいえ何
時も偶然がおこるとも限らないので、
発見した時の喜びは一塩であったろう
と想像します。またそういった貴重な
ものは中央へ献上されたと聞きました。
産地として東濃、瀬戸、猿投、知多、
渥美と東海地方に窯があった。良質の
陶土が産出されたからでしよう。丁度
伊勢湾は東海湖の時代に陶土に適した
良質の粘土ができたようです。また伊
勢湾が湖であれば容易に土器を船で運
ぶことが出来たと思われます。やはり
昔も今も地域的には変わらないもので
すね。
こめぞう