「四季おりおりの季節季節の変化が著しいように、日本の人間の受容性は調子の速い移り変わりを要求する。だからそれは大陸的な落ち着きを持たないとともに、はなはなだしく活発であり敏感である。活発敏感であるがゆえに疲れやすく持久性を持たない。しかもその疲労は無刺激的な休養によって癒されるのではなくして、新しい刺激・気分の転換などの感情の変化によって癒される。癒された時、感情は変化によって全然他の感情となっているのではなく、依然としてもとの感情なのである。だから持久性を持たない事の裏に持久性を隠している。すなわち感情は変化においてひそかに持久するのである。 」
和辻哲郎の「風土記」の一文です。
先月の長崎新聞のエッセイに、
諫早市の図書館長をされている平田先生が
この一文を引用されながら、
「一日中ハンモックに横たわって本を読み、
何日も同じところに滞在して風景を楽しみ、
長期間豪華客船で船旅を満喫という
変化や刺激の少ないものでは癒されず、
~今は山中今は浜/今は鉄橋渡るぞと/
思う間もなくトンネルの~、でなければならない。」
と、日本人の具体的な習性をあげながら、
共感の弁を述べられていた。
変化や刺激によって疲労した後、
その疲労は違う変化や刺激によって癒されると言う。
しかも面白いのは、精神的な持久性に欠けているように見えて、
その実はしっかりと<変化においてひそかに持久するのである>
日本人のしたたかさは、こんなところに由来するのかと
感心するばかり。
ともあれ、和辻の鋭い指摘は、
風土から生まれた各種宗教の必然にも及び、
結構面白そうです。