敬愛するお坊さまがおもしろい提唱をされています。
題しまして「<の>の字を外す運動」。
これは、日本語の中から<の>という字を取り除きましょうという内容です。
もちろん、実際にそんなことしたら不便きわまりない言語になってしまいますから、
ひとつの方便として受け入れて下さいね。
私たちはなぜストレスを感じたり悩んだり苦しんだりするのか?
もしかすると、<の>という字がついているもので苦しんでるんじゃないか?
「僕のもの」、「私のもの」、・・・いつも「自分の・・・」とやります。
だから、自分のものでなかったら、ストレスはなくなるんじゃないか。
で、この<の>の字を取っちゃいましょう!というわけです。
私たちは、自分の財産や持ち物をなくしたら、大騒ぎします。
でも、他人がなくしても、それほど騒ぎません。
なぜかというと、なくなった品物は、自分のものではないからですね。
自分の持ち物がなくなるから苦しい。
さらに、財産や品物がなくなって苦しんでも、
もしかしたら、わたしたちはどうにか誤魔化しながらでもやっていけるかも知れません。
でも、自分の家族を亡くすことは、どうでしょう。
物をなくすこととは比較にならない苦しさ悲しさが予想されます。
私の親、私の兄弟、私の連れ合い、私の子、だからです。
でも、各地でおこる悲惨な事故や事件に巻き込まれて亡くなっていく人の話を聞いても、
「わ~、大変だあ~、たまったもんじゃないねえ。」とか言いながら、
ご飯を食べてたりするでしょっ?
「自分の」じゃないからね。
もしも自分の身内が巻き込まれた事件なら、
ご飯なんか喉を通るわけがない。
だから、お釈迦さまやその他の仏道修行者は、
自分の持ち物は一切捨てて生きて行くわけです。
財産も家族も。
そうすることで、心が勝手に創り出す幻覚の如き世界から離れて、
修行のし易い環境になる。
わたしたちは、この<の>の字がつく世界に取り囲まれているようです。
だからイライラや苦しみが絶えることがない。
<の>の字を取り払ったところに、本当の清らかな心があらわになると、
そんなことをお大師さまは言ってます。
自分と他人っていう対立を飛び越えた、大きな大きな心。
これが、心の解剖図である「まんだら」の絵図に表されているのです。
題しまして「<の>の字を外す運動」。
これは、日本語の中から<の>という字を取り除きましょうという内容です。
もちろん、実際にそんなことしたら不便きわまりない言語になってしまいますから、
ひとつの方便として受け入れて下さいね。
私たちはなぜストレスを感じたり悩んだり苦しんだりするのか?
もしかすると、<の>という字がついているもので苦しんでるんじゃないか?
「僕のもの」、「私のもの」、・・・いつも「自分の・・・」とやります。
だから、自分のものでなかったら、ストレスはなくなるんじゃないか。
で、この<の>の字を取っちゃいましょう!というわけです。
私たちは、自分の財産や持ち物をなくしたら、大騒ぎします。
でも、他人がなくしても、それほど騒ぎません。
なぜかというと、なくなった品物は、自分のものではないからですね。
自分の持ち物がなくなるから苦しい。
さらに、財産や品物がなくなって苦しんでも、
もしかしたら、わたしたちはどうにか誤魔化しながらでもやっていけるかも知れません。
でも、自分の家族を亡くすことは、どうでしょう。
物をなくすこととは比較にならない苦しさ悲しさが予想されます。
私の親、私の兄弟、私の連れ合い、私の子、だからです。
でも、各地でおこる悲惨な事故や事件に巻き込まれて亡くなっていく人の話を聞いても、
「わ~、大変だあ~、たまったもんじゃないねえ。」とか言いながら、
ご飯を食べてたりするでしょっ?
「自分の」じゃないからね。
もしも自分の身内が巻き込まれた事件なら、
ご飯なんか喉を通るわけがない。
だから、お釈迦さまやその他の仏道修行者は、
自分の持ち物は一切捨てて生きて行くわけです。
財産も家族も。
そうすることで、心が勝手に創り出す幻覚の如き世界から離れて、
修行のし易い環境になる。
わたしたちは、この<の>の字がつく世界に取り囲まれているようです。
だからイライラや苦しみが絶えることがない。
<の>の字を取り払ったところに、本当の清らかな心があらわになると、
そんなことをお大師さまは言ってます。
自分と他人っていう対立を飛び越えた、大きな大きな心。
これが、心の解剖図である「まんだら」の絵図に表されているのです。