「遠海山蓮華寺 潮音院の沿革とご本尊、そして文化財。」
・起源:平安末期。
語り伝えられる所に依れば、平家の落人武将「樋口光盛」が住した庵寺が、
潮音院の始まりと伝承されている。(『目盲ケ原物語』潮音院縁起より)
・延徳年間(1494)に現在地に建立(山津波により、寺院境内消滅)
山津波によって押し流された石塔の一部が、今も参道脇にまつられている。
・中興:天正2年(1574)
・当山は、平戸25代藩主 信(道可公)ゆかりの聖地。
道可公の隠居寺院「印山寺」にあった印山寺梵鐘
1714年十月吉祥日 願主 当寺十三世住職 法印盛陽
同 長峰長右衛門の尉(じょう) 次政(つぎまさ)
前佐賀住 谷口安左衛門
・寛永4年(1627)に快深により本格復興
・平戸印山寺の末流寺院、平戸松浦藩祈願所として代々の藩主より寺領を賜る
・信公の指定に始まり、30代雄香公、31代藩主篤信(松英公)、33代藩主誠信(安 靖公)、
らのお墨付きが現存。
・秘仏として、薬師如来掛け仏 銅製 (平安時代)が現存する。
・その他、「印山記」潮音院写本(快深による写本)・・・戦国記
道可公33回忌に当たる年であることから、道可公供養のために写されたモノと推察される。
現存する印山記写本の中では、最も古く、また体裁も良い状態。
その他、多数の古文書が、古文書郡として現存する。
・明治初期、廃仏毀釈の波に飲み込まれ喪失した諸寺院の什物が、
その難を逃れ、この潮音院にたどり着き、今もなお大切に保存されている品も多く現存している。
平戸安満岳西禅寺の修行者が製作した光明真言マニ車型経筒。
田平町弥勒寺に奉納された「仁王護国経」二巻。