こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

【瞑想会より】

2025年03月09日 | 仏教
・瞑想会における話題より抜粋

・「私たちは山にならなればならない」

・人生や価値観を、しばしば山登りに例えられることがある

・山あり谷ありの紆余曲折な様子

・平坦な道、困難な道を取捨選択する岐路

・確かに人生と重ね合わせることができる要素は散見される

・この山登りの比喩が心を奮い立たせ、前へ進む勇気となることもある

・しかしながら、人間の心は優れた登山者になるのではなく、山そのもになる必要がある

・泰然自若とそこにまします、山でなければならない

・あらゆる感情や思慮は登山者である

・山がこころよく思おうが、不快に思おうが、登山者は突然現れ、好き勝手に山を登る

・好き勝手に山を削ったり、ゴミを捨てたりして、またいつのまにかそこを去っている

・ありとあらゆる登山者が、突然現れ、入れ替わり立ち替わり山を荒らし、また突如として消える

・これを延々と繰り返している

・もちろん山にとって喜ばしい登山者もやってくる

・優しく登ってくれたり、ゴミ掃除をしてくれたりする

・けれどそんな「快」の登山者も、「不快」の登山者同様いつの間にか立ち去っている

・決してどの登山者にも、「長く滞在してください」と執着してはいけない

・逆に「来ないでください」と登山を拒否してもいけない

・山が登山者に振り回されてはいけない

・山に出来るのはただそこにいることだけ

・快、不快にかかわらず、ただ登山者を受け入れ、立ち去って頂くだけ

・来る者拒まず、去る者追わず

・そこにただ平穏に、静かに、たたずむ

・心を育み、あらゆる人生における艱難辛苦を受け入れる

・大きな大きな山を育てることが、瞑想の大きな目的の一つです




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【検定を受けること】 | トップ |   

コメントを投稿

仏教」カテゴリの最新記事