桃栗三年、柿八年、枇杷は早ようて十三年
幼少の頃から慣れ親しんでいた柿の古木が切り倒されて、
はて、何年が経過しただろうか。
倒木の後まもなく、残されていた古木の根っこ付近から、
柿木の新芽が育っていた。
もう今では高さ2メートルほどにまで成長。
しかし、何年も実を付けることはなかったけれど、
先日眺めていると、テカテカと緑色した小さな柿の実が
立派にぶら下がっているじゃないの。
桃栗三年柿八年、とはいうものの、
あえて苗木を植えて育ててきたわけでもない柿木が、
今年から初めて実り始めたことに、たいへん感激を覚える。
ところで、仏教を勉強する人たちには、
通説で、「唯識(ゆいしき)三年、倶舎(くしゃ)八年」という合い言葉みたいなものがある。
仏教を学ぶ上で基本になる科目のことだけど、
要するに、唯識という学問は、最低でも三年は勉強しなきゃあ身に付かない、
そして、倶舎という論を理解するには、八年は必要になる、
っていうことで、仏教を志す若い人たちを叱咤激励するための教訓みたいなもの。
ところで、
”枇杷は早うて13年”って言葉までは、正直よくしらなんだ。
13年かけて身に付くもの。時間をかけてじっくりと実を付けていくもの。
時間が極端に速くなってしまった現代に、
なんだかとても味のある言葉に思えてくる。
幼少の頃から慣れ親しんでいた柿の古木が切り倒されて、
はて、何年が経過しただろうか。
倒木の後まもなく、残されていた古木の根っこ付近から、
柿木の新芽が育っていた。
もう今では高さ2メートルほどにまで成長。
しかし、何年も実を付けることはなかったけれど、
先日眺めていると、テカテカと緑色した小さな柿の実が
立派にぶら下がっているじゃないの。
桃栗三年柿八年、とはいうものの、
あえて苗木を植えて育ててきたわけでもない柿木が、
今年から初めて実り始めたことに、たいへん感激を覚える。
ところで、仏教を勉強する人たちには、
通説で、「唯識(ゆいしき)三年、倶舎(くしゃ)八年」という合い言葉みたいなものがある。
仏教を学ぶ上で基本になる科目のことだけど、
要するに、唯識という学問は、最低でも三年は勉強しなきゃあ身に付かない、
そして、倶舎という論を理解するには、八年は必要になる、
っていうことで、仏教を志す若い人たちを叱咤激励するための教訓みたいなもの。
ところで、
”枇杷は早うて13年”って言葉までは、正直よくしらなんだ。
13年かけて身に付くもの。時間をかけてじっくりと実を付けていくもの。
時間が極端に速くなってしまった現代に、
なんだかとても味のある言葉に思えてくる。