木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

フキノトウが現る

2023年03月26日 05時29分53秒 | 耕作放棄地

パトロールと称して農園内外を歩き回るのも趣味の一つだが、とりわけ畦道を彷徨うのがお好みなようだ。小さな花々が咲き誇り、個人的には立派な花園かと思っている。季節毎に品種は変わるが、今頃だと「タンポポ」や「オオイヌノフグリ」それに「ムラサキケマン」等が咲き誇り中だろうか。踏みつけないように気を付けて歩かないと。もう少しで「ヒメオドリコソウ」の群落が出現するだろう。春告花でもある。それとこの時期注目するのが「フキノトウ」の発生、フキの幼子だ。早春の花茎をフキノトウと呼ぶようで、春の山草として知られている。

農園内でフキノトウが発生するのは決まった場所だ。日だまりでやや湿った場所を好むようで、師匠宅の田圃の脇がメインの花園である。子狸の耕地からは近いので再々お邪魔して覗くようにしている。時期を得たようで、彼方此方にポツリポツリと出現しだした。色合いは薄いグリーン模様で、華やかさは無い。一寸地味な存在の花であろうか。最も、花々に艶やかさや華やかさを求める方々は山野草には注目しないかと思うので、地味な存在で結構なのかも。

フキノトウは元々が自然の多年草で、里山からの贈り物みたいな存在だったが、最近は減少気味な模様だ。身近に見られるフキノトウは地権者によって管理された存在なのかも。農園のフキノトウも師匠夫人が摘まれている模様で、野生児では無いように思われる。

フキノトウは春の珍味として調理されるようで、師匠夫人が摘まれるのもそうした狙いがあるのだろう。テンプラが代表的だが、おひたしや和え物にも利用されるようだ。但し、アクが強いようなのでアク抜きが必要な模様。師匠宅ではテンプラへの活用だろうか。以前に「長老」からフキノトウ味噌を頂戴したことがある。清々しい香りとほんのりした苦みとが特徴だろうか。ご飯と良く合う品で、フキノトウ味噌だけでおかずは不要な状況だった。作成には手間暇が掛かるかと思うのに、何ともマメな御仁で、おかげで春の珍味と出会うことが可能だったのだ。

もう一箇所の秘やかな場所は栗の木の根本付近、例の早朝散歩が危なげな婆様の農地だ。崖地となってるので少々危険性はあるが、フキの群落で賑やかな場所。当然ながらフキノトウも出現する。日当たりが悪いので、タイミング的には少々遅いかな。斯くして農園はフキノトウの時期となってきた。摘み取って調理するような興味は無いが、開花を楽しむ余裕は存在する。農作業の合間にチョコチョコと覗きに回りましょうかな。

 

 

 

 

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竹棚の構築を

2023年03月25日 05時15分14秒 | 耕作放棄地

作物は地上に畝を作り其処で栽培するのが通例である。この常識を破るのが、いわゆる「空中栽培」だ。ドローンよろしく空中に浮かぶ訳では無い。空中へと伸びるだけなんだが、あえて「空中栽培」と称している。空中が畝の代わりなのだ。無論、それなりの準備活動が必要で、仲間達は主として竹を活用している。竹を切り出し、丸太代わりにして棚を構築する次第、我々もマメ科の栽培で棚作りみたいな事を行うが、支柱の建設とネット張りに留まっている。空中栽培の棚作りは、主に「大御所」と「長老」の役割だ。

今回は大御所の棚作りを覗いて見よう。彼は棚を構築して、カボチャとハヤトウリを栽培している。両者共にツル性で、しかもツルがかなり丈夫ときている。少々の果実がぶら下がってもビクともしないのだ。構築物のセオリーだが、まずは四隅に柱を立て、梁となる材を渡していく。その後、格子状に竹で編んでいくような手法だ。あれこれ説明するよりも画像でご覧戴いた方が早いだろう。

彼の空中棚は支柱を立て、梁を渡し終えたところだろうか。建築途上のようだ。この後、格子状の組み立てを終わり、地上に畝立てを行ったらスタンバイ完了となる。カボチャやハヤトウリを植え付けるのが4月にはいってからだから、タイミングとしては上々かな。大御所は農閑期の休眠状態かと思いきや、静かに着々と下準備は進めていた模様だ。甘く見る無かれ、水鳥は見えない水面下でしっかりと足を動かしているのだ。

地上の畝部分の整備はこれからのようだ。ハヤトウリの収穫が終わるのが晩秋、その後の植え付けは無かったようで、該当部分はシートが被せてあった。ハヤトウリの地下部分が温存されているのかも知れない。彼は「種子保存」が定例だが、両者併せ持つ手法の採用かな。ご存じかも知れないが、ハヤトウリの冬越しはかなり困難だ。幾つかの手法を組み合わせるのが安全パイかも知れませんね。

竹は丸太で使うと数年間は使用可能だ。割ると耐用年数が短くなりがちなので。彼は其処らも考慮した模様。画像では青竹と古竹とが混在してるかと思うが、使用に当たっては支障は無い。例え竹の1本とはいえ、可能な限り寿命を全うさせてやりたいものだ。

SDGsとか何とか、「流行り言葉」が飛び交っているようだが、何のことも無い。ご先祖様達が暮らしてこられた生活をなぞっているだけかと思われる。「流行り病」に翻弄されない事が肝心なのかも。

 

 

 

 

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雑草たちとの格闘

2023年03月24日 05時52分34秒 | 耕作放棄地

春先の農作業は「雑草たちとの格闘戦」がメインである。何せ.春の到来は伸び盛りの到来、人間で言うところの成長期だろうか。サクラでもお解りのように、昨今は温暖化の傾向が甚だしい。雑草たちにとっては我が世の春、雑草にあらずんば植物に非ず・・・・・・・とか何とか、言ったとか言わなかったとか。それはともかく、対策が必要な事は自明の理。但し、状況は作物の間と来ている。一筋縄では解決不能なのだ。

一例としてタマネギ畑を覗いてみよう.昨年11月に定植した苗は結構大きくなり、これから球の拡大期にはいるところ。雑草は最大の敵でもある。「止肥え」を散布しても雑草達に食害されては何をしている事やらなのだ。画像でもお解りのように、タマネギの間隔は凡そ20センチ余り、その間に雑草が生え込んでいるのだ。タマネギに留意しつつ雑草を抜き取るのは少々困難な作業、お解りかと思う。

何時ものパターンだが、入浴用のイスを持ち出して座り込んだ。上述のような状況で、雑草の抜き取り作業を行うには長期戦が必要、相応の準備が求められるのだ。しかも畝間のスペースは狭い。窮屈な姿勢で座り込むので、体にとっては捻れたような体勢となる。長時間の作業は困難だ。

用具は子狸の場合、専ら手鎌、鎌の刃先を抜き取り用具としている。刃先でつついて雑草を掘り起こし、ミの中へと放り込んでいく。あっという間に山盛りとなってくる。雑草の捨て場へと搬送するのだが、立ち上がるのも一苦労だ。

こうした作業を繰り返しながら少しずつ進捗していく。窮屈な姿勢なので長時間は無理、適当に他の作業や撮影等を組み合わせて作業に変化を持たせるのが要諦だろうか。「パトロール」と称して仲間達の畑を見回りに出かけるのも通例、何をしていることやら。それでも徐々に雑草たちが少なくなっていくのは気持ちの良いもの、達成感の一瞬を味わうこととなってくる。

間もなく春の種蒔きや植栽が始まってくる。雑草との格闘戦もそれまでに終了させる必要があるのだが、捻れた姿勢の抜き取り作業が継続できるのかどうか、怪しげな雰囲気だ。

 

 

 

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ソメイヨシノの開花

2023年03月23日 06時11分35秒 | 余話

何気なく近くの街路を歩いていた。ふと見上げると真っ白な花が。サクラだ.予想されていた27日どころの話では無い、予想日よりも1週間近くも早いのだ。直感したのは、異変が生じた・・・・とのこと。何が何でも早すぎるのだ。期待された、小学校入学式との同時開花の夢想は儚く消え去った模様だ。このままでは入学式にはサクラの存在は無理だろう。本年度の新1年生には何とも気の毒な。

樹種はソメイヨシノであろう。クローンで育つから近隣のサクラ樹は全てが一斉開花かと思われる。現在のところ、三分咲きか四分咲きといった状況だろうか。満開となるのも時間の問題かな。花見の適期は来週位だろうか。新入社員の担当と目される、花見の場所取りも今年は間に合いそうに無いようだ。最初の仕事を挫かれて意気消沈なのか喜んでいるのか、どちらだろうな。

天候はあいにく雨模様の予測だ。閉塞前線が引っ掛かっているようで、雨若しくは雨交じりの曇りだとか。下手をすると満開を待たずして散ってしまう可能性もあり、何とも危ぶまれる。当地も雨の予報だったが、今のところ降ってはいない。ただ上空は雨雲なので、時間の問題かとも思われる。

さてこの異変の原因だが、一般には地球温暖化の故と説明されている。何でも地球の平均温度が1度か2度上昇した結果、地球に大きな負荷をもたらし環境条件が変わってしまった結果だそうな。これを「温暖化脅威論」と言うそうで、現在学会の主流となっているようだ。反して「温暖化懐疑論」と呼ばれる論もあるようで、要するにマイナリティーの立場な模様だ。とある学者氏の分析によると、「温暖化脅威論」が主流の結果、同調圧力が強くて「温暖化懐疑論」の論者は論説発表の機会すら奪われている状況だとか。

子狸は個人的には、「真理は常に少数者の手中にアリ」との独断と偏見を信条としている。天動説全盛の時代に、それでも論説を変えなかったガリレオ・ガリレイでは無いが、少数説の論者の見解に注目していきたいものと思っている。

 

 

 

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一家総出の農作業

2023年03月22日 05時06分37秒 | 耕作放棄地

農園への出動は単身赴任が通例である。家族の中で「農」に興味を持つものが、場合によっては非難をもものともせず農作業へ・・・・・というのが多いのかな。だが、中には家族総出での仲むつまじい光景も無いでは無い。「チームリーダー」の一家がその例で、時折家族そろっての農作業の姿が垣間見られる。彼は現職のビジネスマン、時間が取りにくいタイプだ。僅かに許された希少な時間を有効に使っている模様。今回もそうした事例のようで、遠目にチョコッと覗いてみようかと思う。

当主はどうやら竹を使った支柱作りのようだ。マメ科を筆頭に竹材を使用する例は多い。何かと工作時間が必要なのは他の仲間達も同じ事。日常茶飯事なのだ。奥方はブロッコリーの手入れか収穫の模様、専ら調理用の収穫がメインらしい。幼い子ども達は走り回りながら親達の動静を見守っているようだ。

家庭サービスという側面もあるのだろうが、リーダーのリーダーたる所以は深層心理に潜んでいるのではと推測している。子ども達を農園へと連れだし、農作業を垣間見せることである種の効果を狙っているのではなかろうか。

思えばかっての我が国では、自宅周辺で一家総出の作業というか労働が当たり前であった。就学前の幼子でも、貴重な労働力だったのだ。「虐待」と言うなかれ、それが日常風景で、作業を行いながら文化や伝統を伝えていく側面もあったのだ。親と子ども達と全員が働いて、かろうじて食を準備する、それが日常であった。産業革命を経て工業化や分業化が進み、労働と家庭生活とが完全に分離されるようになり、上述のような光景は無くなっていった。子ども達が親達の働く姿を垣間見る事も消えてしまったのだ。

「背中姿で語りかける・・・・・」との箴言が我が国には残っているかと思う。「チームリーダー」は伝統文化の神髄を弁えた上で子ども達を連れ出したのではなかろうか。親には親の役割が有り、教育機関としての「学校」では決して果たし得ない教育分野も存在する。彼ら夫婦の働く姿は、子ども達にとっては太陽のような存在では・・・・・・・そんな想いに駆られた一時であった。

 

 

 

 

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