牧野省三像
生涯を映画の発展と前進に尽力し日本映画の父と仰がれたマキノ省三先生が大正10年に最初の撮影所を創設せられたのは実にこの等持院の地でありました
このたび先生の銅像を太秦より迎えましたのはひとえに日本映画史の一頁を飾るゆかりの此の地に永く先生の遺徳を顕彰したいとねんずるからであります
昭和45年7月25日
マキノ省三先生顕彰会
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牧野省三顕彰之碑
20世紀のはじめ、京都に新しい産業 映画芸術として日本映画は興った 牧野省三先生は明治11年(1878)京都に生まれ 実家の劇場経営の経験を提げて明治40年(1907)この振興の事業を興した。爾後 昭和4年(1929)京都に没するまで 常にこの道の先覚者として企業と芸術の両面より日本映画創建に尽力された。
日本映画は先生の創意工夫によって 映画の先進諸国に遅れることなく表現上の技法を身に付けることができた
日本最初の監督は先生であった プロデューサー制度の確立や教育映画事業の創始者も亦先生であった。
俳優・監督その他映画を志す者多数この新天地に集い 日本映画発展の礎を築いた
先生逝いて70余年 キネマの天地京都から輩出された人材は数知れず現に映画界の各分野でその中枢として活躍している 日本映画は先生の進取の気質と情熱によって開拓され 今世紀百年に亘って日本の映像文化産業の中心として歩み続けてきた
ミレニアム2000年 改めて日本映画の父 牧野省三先生の偉業を讃え 映画のまち太秦のこの地に建立し 新世紀での日本映画の更なる発展を祈念するものである。
平成12年10月1日
牧野先生顕彰之碑 建立委員会
東映株式会社京都撮影所
東映太秦映画村
東映太秦映像株式会社
松竹京都映画株式会社
映像京都株式会社
株式会社高津商会
有限会社山崎かつら
国松建設株式会社
京福電気鉄道株式会社
京都バス株式会社
大映通り商店街振興組合
長門裕之
津川雅彦
南田洋子
岡田 茂
高岩 淡
佐原 信一
西岡 善信
畑 利明
神先 頌尚
俊藤 浩滋
高津 俊治
石田 宏治
藤田 まこと
吉永 小百合
小沢 茂弘
葛西 隆男
黒田 義之
里見 浩太郎
佐藤 雅夫
新藤 兼人
宍戸 大全
高橋 英樹
中島 貞夫
松方 弘樹
松平 健
森田 富士郎
山内 鉄也
由美 かおる
渡 哲也
矢田 精治
森 春生
中川 茂信
宮原 一男
草壁 好清
片岡 千恵蔵 の名がある
伴 淳三郎 磯川 元春
上の写真に咲いている花は
ハナニラ (セイヨウ アマナ)
社を取り囲む 柵の柱に刻された名前は以下の通り
常盤 操子 生島 巳三郎
入江 たか子 市川 小文次
伊丹 禮三郎 山本 嘉一
その他に
瀬川 路三郎 ・ 瀬川 銀潮 ・ 森田 肇
酒井 米子 ・ 澤村 春子 ・ 嶋谷 美三郎
〇田 純三郎 ・ 廣瀬 恒美 ・ 池永 浩久
の名がある
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