アートプラス京めぐり

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神社伏0098  藤森神社  3

2017年04月11日 17時25分53秒 | 神社

 

 

かへし石(力石)

昔、、又祭日には集まった人々によりこの石を持ち上げて力試しをしたものであります。社務所

当社は、勝運の神様「素戔嗚尊」と学問の神様「舎人親王」をお祀りしている、平安遷都以前からこの深草の里に創建された古い神社です。

神功皇后ゆかりの御旗と兵器を埋めたのが起こりと伝えられ、今も境内にある旗塚は埋納した所といわれています。皇室や公家、武家等の信仰をあつめ、古くから信仰された深草一帯の産土神です。

当社は゛菖蒲の節句゛発祥の地して武神をお祀りいることから、昔より勝運の神様として有名でした。毎年5月5日に行われる藤森祭は名高く、代々の天皇、上皇もしばしば訪れたほどです。また当社は、お祀りしている舎人親王(日本書紀の編者で、一般には「トネリシンノウ」当社では

「イエヒトシンノウ」とお呼びします)という日本最初の歴史書を作られた方に因み、学問の神様としても有名です。

1712年(正徳2年)に中御門天皇より賜った本殿は、切妻桧皮葺で宮中侍所(賢所)であったもの。現存する賢所としては最も古く、よく原形を留めています。

 

 

紀念碑石  と書かれている

 狛犬

 

拝殿

 

神馬

 

拝殿より 本殿を見る

 

本殿

 

日本最古の学者 日本書紀編者

学問の祖神 舎人親王御神前

 平安遷都以前に建立された古社で、素戔嗚尊、神功皇后、日本武尊など12柱に及ぶ神々を祀り、洛南深草の産土神として崇敬されている。

「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、毎年5月5日に行われる藤森祭で曲乗りの妙技で有名な「駆馬神事」が行われることから、勝運と馬の神社として特に信仰が厚い。また、日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を祭神としていることから、学問の神としても信仰されている。本殿は、正徳2年(1711)に中御門天皇より賜った宮中内侍所(賢所)の建物といわれる。また、本殿背後東にある八幡宮は応神天皇を祀り、西にある大将軍社は磐長姫命を祀る。どちらも重要文化財に指定されており、特に、大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた社の1つであるといわれ、古来より方除けの神として信仰されている。

本殿東の、神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したといわれる旗塚や、2つとない良い水として名付けられたという「不二の水」は有名である。6月の紫陽花が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれている。京都市

 

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藤森神社  ➡  神社伏0096 藤森神社  南参道  1

            石碑伏0112 伏見義民  蒙古塚 藤森神社内 2

神社 前回の記事  ➡ 神社伏0097  五社の滝神社

 

五七五

聞きやすいのかよく道を尋ねられ /林

ことわざ

色の白いは七難隠す            


史跡大津021  寺田屋 お登勢の実家は 大津にあった

2017年04月11日 05時58分18秒 | 史跡・旧跡

 

升屋跡

お登勢 文政13年(1830)~明治10年(1877)

墓所 京都市伏見区鷹匠町 松林院墓地

お登勢は大津の公事宿「升屋」を経営していた山本重助の次女で、伏見の船宿「寺田屋」六代目主人寺田屋伊助の妻となった。以後、寺田屋はお登勢が切り盛りして多くの幕末志士の面倒をみた。

元治元年8月1日(1864年9月1日)京都の青蓮院塔頭「金蔵寺」でお龍と内祝言をあげた坂本龍馬は寺田屋お登勢にお龍を託す(お龍の回想録『反魂香』)。慶応2年1月23日(1866年3月9日)深夜、龍馬は寺田屋で伏見奉行所捕方の奇襲を受け手傷を負いながらも逃げのびて、以後お龍と行動を共にする。この間約1年半、お龍はお登勢のもとで暮らしていた。そのお登勢の実家「升屋」がこの地にあった。丸屋町宗門人別改帳からお登勢とその家族が確認できる。

関連記事  ➡     史跡伏019  寺田屋 坂本龍馬ゆかりの宿

           お登勢の墓所  寺院伏0307  松林院 

史跡 前回の記事  ➡  史跡東020  夢の浮橋 跡

 

五七五

診察券 今年も1枚多くなり /浜田

ことわざ

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