「悟りの窓」のあるお寺 御寺 泉涌寺別院 雲龍院
大門から 仏殿を見る
浴室
現在は泉涌寺の西方に北面しているが、寛文の再建時には仏殿の北側に南面して建てられていた。さらに泉涌寺の創建時には東北の山裾にあった。浴室内部は高く張られた床上部と入口土間からなり、板を張った床の一角に屋根を冠した仕切りがある。床下に鉄釜で湯を沸かす竈があって湯を沸かし、蒸気を床上に入れる古式の蒸し風呂である。
浴室は仏前に仕える僧侶が身を清めるための施設であった。また古代、中世の風呂は病いに悩む民衆の治療に用いられたこともあった。
本格的な建物で、切妻屋根の破風に、蕪形の懸魚を付ける。蟇股には牡丹の彫刻があり、浴室額と唐戸の間は縦の波模様の透かしのある欄間となっていて、優美な造りである。京都府指定文化財 御寺 泉涌寺
四条天皇外 二十四方御陵参道
泉涌寺水屋形
泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形で、寛文8年(1668)に再建された。屋根は入母屋造、こけら葺で、正面は桟唐戸で上部に欄間があり、屋根には軒唐破風を付けた優雅な意匠の建物である。内部は別所如閑筆の蟠龍図のある鏡天井となっている。京都府指定文化財。この地は月輪山のふもとにあり、緑に包まれた仙境といった趣がある。平安時代に左大臣藤原緒継が神修上人に帰依して法輪寺を建立し、その後、寺は仙遊寺と改称された。泉涌寺の開山俊芿律師が仙遊寺の地を寄進され、中国宋を手本とした伽藍の造営を志した際、ここに清泉が湧き出たので寺名を泉涌寺と改めたと伝えられる。清泉は絶えることなく湧き続け、開山律師の仏教興隆への思いが、今も伝わって来る。 御寺 泉涌寺
清少納言 歌碑
高さ1メートルぐらいの吉野石に
「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」という
清少納言の代表的な歌を刻んである。
彼女が晩年、一条天皇中宮定子の鳥戸野陵に近い
月輪に隠棲したという伝承によって建てられたものである。
仏殿(重要文化財)
仏殿は、寛文8年(1668)に4代将軍徳川家綱公により再建された。一重もこし付入母屋造り本瓦葺き唐様建築の代表作であり、違垂木や釘・土を使わない工法に特色をみることができる。泉涌寺創建当初の伽藍は応仁の乱でほとんどが消失し、現在の伽藍は江戸期に整備とれたものである。本尊は、鎌倉時代の代表的な仏師「運慶」作の「三世尊佛」と呼ばれ、左の阿弥陀如来は現在、中央の釈迦如来は過去、右の弥勒如来は未来の守護尊として、三世にわたって人類の平安と幸福を祈念している。天井の雲竜図、壁画の飛天図、裏堂の白衣観音図は狩野探幽により当堂建立の翌年に奉納された。また当堂では毎年3月14日~16日の間、国内随一の「大涅槃図」(縦16メートル、横8メートル重さ百貫)を奉掲する。作者は江戸期の浄土宗の画僧「明誉上人」 御寺 泉涌寺
舎利殿
舎利殿は釈迦様の遺骨である「仏舎利」を納める貴重な霊殿で、内裏の御殿を移築し、上層部を付け足したことにわり重層に変えたものである。
泉涌寺の仏舎利は、月輪大師の弟子湛海宗師が安貞2年(1228)宋より請来した三国伝来の佛牙舎利と呼ばれ、印度・兜卒天・中国に伝わった不可思議な舎利で、釈迦の歯にあたり、説法される口に有ることから特に尊い舎利だと言われている。
牙舎利は舎利塔という建物の形になった容器の納められ、左右には月蓋長者と韋駄天の像を従え安置されている。舎利殿の天井には、狩野山雪により勇猛な鳴き竜(赤竜)が描かれ、肢体を大きくくねらせながら飛翔する姿、逆打つうろこは悪魔退散の激しい怒りを表現しており、日光の薬師堂と共にさ東西の鳴き竜として有名である。堂内に立って手をたたくと竜が鳴いているように聞こえるという。平成20年、当舎利殿にて今上陛下御即位20年を奉祝し、薪能「舎利」が奉納され、御寺泉涌寺を護る会の名誉総裁秋篠宮殿下もご鑑賞になられました。 御寺 泉涌寺
泉涌寺と謡曲「舎利」
泉涌寺は泉山と号する真言宗泉涌寺派の大本山ですが、古くから皇室の香華院として知られ四条天皇の仁治3年、ここに月輪陵が設けられたのを初めとして、後水尾天皇から仁孝天皇に至るまでの天皇・皇后・親王等25陵5灰塚9御墓の後月輪陵が営まれています。本尊は釈迦・弥陀・弥勒の三尊ですが、舎利殿には堂内に韋駄天立像があり、謡曲「舎利」では、足疾鬼が、舎利殿に飛び上り舎利を奪って虚空に飛び去った所この寺を守護する韋駄天が、これを追いつめ、仏舎利を取りかえすという話になっています。「太平記」に載せられている説話にもとづいたものですが、泉涌寺の仏舎利が天下に二つとない霊宝として尊崇をあつめてきたことは古書にもしるされているので、これらを素材につくられたのでしょう。 謡曲史跡保存会
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五七五
居るけどあの日の妻はもういない /馬聖
ことわざ
兎の上り坂