大内山と号する真言宗御室派の大本山で、仁和寺門跡・御室御所ともいう。仁和2年(886)光孝天皇が在位中、国家の安泰と仏法の興隆を願って建立に着工されたが、その半ばにて崩御された。よって宇多天皇は父帝の遺志をついで工事を進められ、仁和4年(888)に金堂が完成した。先帝の等身阿弥陀三尊を安置し、先帝の一周忌をあわせて盛大な落慶供養が行われた。これが当寺の起こり。
仁王門
南大門ともいう。5間三戸、重層、屋根は入母屋造り、本瓦葺、朱塗の楼門で、禅宗寺院の三門に似ているが、これには左右に山廊がなく、また上層の屋根が大きく、急勾配であるため、鎌倉時代以前の建物にみられるような安定感に欠けている。しかし平面的な広がりと圧倒的な重量感は、豪壮さがある。また柱上には上下階とも典型的な三手先斗栱を組み、間斗束を組んで軒を支える等、純和様でつくられているのも特色で、王朝時代に創建された当寺の三門にふさわしい復古的な気風がただよっている。正保元年(1644)徳川家光の寄進と伝わる。
五重塔
方三間、本瓦葺の五重塔婆で、高さは33m、東寺の五重塔と同じく、寛永期を代表する塔であるが、各層の逓減率が乏しく、古代・中世の塔のもつ安定感におよばない。しかし、各層の木割や斗栱・尾棰など建築細部には均斉がよく保たれ、塔全体に破綻のない調和をみせている。「仁和寺のシンボル」となっている。
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