アートプラス京めぐり

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寺院笠置0740 笠置寺 毘沙門堂

2020年11月23日 17時48分27秒 | 寺院

 

毘沙門堂 笠置寺49院の一子院多聞院の本堂。

本尊は、鎌倉期の像高50cm木造毘沙門天である。

伝説では、楠木正成公の後念持仏として、かつては信貴山の毘沙門天と並び戦勝の神、福徳の神、財宝の神として多くの人々に信仰された。建物が老朽化したため、平成16年現在の建物に改築したものである。

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道標左0312   同志社創立者 新島襄先生墓所 参道

2020年11月23日 11時42分35秒 | 道標

同志社創立者

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       墓所 道標 道標左0136  哲学の道・新島襄墓地登り口・冷泉天皇陵

       住まい   新島襄 旧邸  22歳の時アメリカへ密航した

             女紅場  我が国最初の女学校

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時代祭行列 中世婦人列  静御前  英雄との出会い悲劇の生涯

2020年11月23日 07時40分57秒 | まち歩き

静御前

英雄との出会い悲劇の生涯

義経に愛され、劇的な生涯をおくった女性。都随一の白拍子だった静は、義経との出会いで、生まれたばかりのわが子を、海に投げ捨てられ殺されるといった、波乱にとんだ一生を過ごすことになる。

後白河法皇から六条堀川館を賜わる。ここが義経・静の住まいとなる。このとき義経には既に正妻がいた。頼朝に追われた義経。静は義経と吉野山中で別れた後、鎌倉方に捕らわれる。義経の行方詮議の厳しい取り調べをうける。生まれたばかりの子どもは、男の子だったため、由比浦に投じられ、殺されてしまう。放免され京に帰った静は、嵯峨野の一角に草庵をむすび、文治3年(1187)の秋に20歳で死んだと伝えられている。

静の祠

府下竹野郡網野町の入船の浜に小さな祠があり、白拍子姿の像がある。

静神社

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