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七条仏所跡(しちじょうぶっしょあと)
この地は、平安時代中期に活躍した仏師(仏像彫刻家)定朝をはじめ、
その一族・子弟・子孫が長く居住して彫刻に励んだ「仏所」のあった所で、
「七条仏所」「七条大仏所」と呼ばれていた。
定朝は、平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像(国宝)の作者で、
「和様」と呼ばれる優れた彫刻様式を完成したほか、
卓越した技術によって僧綱位の法橋を与えられ、
仏師の共同組織として仏所の制度を整えるなど、仏師の社会的地位の向上に努めた。
これらのことから、定朝は我が国における仏師の祖と仰がれている。
鎌倉時代に入って、この部所から運慶・湛慶・快慶らが相次いで現れ、
剛健な、また写実的な多くの名作を世に送った。
しかし、室町時代に入って、彫刻は全体としてふるわず、
この仏所も21代康正のとき四条烏丸に移転した。
その後、幕末の兵乱で火災に遭い、仏所の遺構は完全に失われた。(京都市 駒札)
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2019年11月 撮影
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