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右書き看板32  丸神六  郎三利田亀

2015年11月27日 10時49分16秒 | 右書き看板

昔は六神丸の店だった  今は ゲストハウス になっている

 

「六神丸」そして「亀田利三郎薬舗」 HPより

伝統の家庭薬「六神丸」の元祖  心臓をいたわる動物性漢方薬 カメロクの”六神丸” 六神丸は動物性の漢方薬です。 動悸、息切れ、胸の締付けを 感じたら、おすすめします。亀田家は近江国甲賀郡(滋賀県)の出身。 江戸中期・元禄の頃京都へ出て五条室町に店を構えた。 代々、井筒屋利兵衛の名で、紅商を営んでいたが、のち呉服商に転じた。 六代目利兵衛の長男利三郎が親戚の清水焼の陶工・真清水蔵六と景徳鎮へ渡中したとき上海で病気になり、現地で入手した六神丸でたちまち快癒した。そこで、 この六神丸を日本へ輸入し売り広めようと、雷氏方という処方を学んで帰国した。 当初は、蘇州の雷桐君堂の六神丸を中国雑貨(緞子類など)と輸入して販売していたが、明治26年、六神丸の評判がよいため、呉服商から薬屋へ転業。そして六神丸を輸入すると同時に、国産化の研究に精魂を注いだ。 明治32年、輸入している六神丸に鶏冠石(砒素)が含まれていたため輸入禁止となったのを機に、国産の 赤井筒薬六神丸を販売し今日に至っている

京都市北区平野宮本町95  現在の店の場所

中国での六神丸のルーツについては、雷氏方という処方がいちばん古く、清の時代、康熙〜乾隆帝の頃(今から約300年前)にできたとされているが、はっきりしたことはわかっていない。 日本では、当社の亀田六神丸が、一番古い歴史をもっていると思われる。先々代・亀田利三郎が日清戦争(1894〜95)後、中国へ渡航したとき、六神丸の応用・薬効を知り、日本へ持ち帰った。 明治29年(1896)1月15日に博愛新報第一号付録に、発売本舗・亀田利三郎として虔脩六神丸の広告が出されている。この六神丸は清国から直接輸入していたもので、鶏冠石が含まれ、効能は、肺病や腫物、赤痢病などと書かれている。(現在でも中国の六神丸は消炎鎮痛剤として腫物の薬として使われている。) しかし、明治33年に薬制改革があり、鶏冠石は毒薬に指定されて一般に使用できなくなった。このため、鶏冠石を除いた六神丸が製造された。 大正時代、スペイン風邪が大流行した時、問屋が店の前に並んでできたばかりの六神丸を奪うように持ち帰るほど、よく売れた。 戦争中は、出生する兵士がよく買いにきたという話も伝わっている。 昭和24年の薬事法の制定により、心臓や胃腸への効能が前面に押し出された。 昭和48年、辰砂が水銀製剤ということで使用禁止となり、辰砂のかわりに人参を加えた現在のものが作られた。

 

 

錺屋はゲストハウス  HPより

錺屋の建物は、大正時代に建築された、モダンな町家です。この場所で江戸時代より続く薬屋さんであったため、 正面の壁には薬の名である「六神丸」そして「亀田利三郎薬舗」という屋号の入った、 古い一枚板の看板が飾られています。 木と白壁の洋室やタイル貼りのキッチンなど、生活の中で手入れされ続けてきた屋内は、 長い時間とその空気をそのまま残し、 縁側からゆったりとした中庭の木や草花を眺めるひと時は京都らしくもあり、 時には、街中であることを忘れさせてくれます。また、内装は京町家の伝統と文化を大事にしつつも、どこか西洋の香りも漂う、和洋折衷な、ロマンティックな空間で、 他の宿とはひと味違う、ここにしかない特別な時間が流れています。

 

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