橘 逸勢邸址
大正五年五月建之 京都市教育会
昭和三年六月 京都史蹟会引継 (昭和御大典の年です)
たちばなのはやなりていあと
平安京左京三条二坊十一町にあった蚑松殿(はいまつどの)と呼ばれた
橘逸勢(?~842)の邸宅。
逸勢は延暦23(804)年留学生として入唐,大同元(806)年帰国。「橘秀才」といわれ,
三筆の一人に数えられる。承和の変(842)で罪なくして遠流に処せられ,
伊豆下向途中の遠江で病により没した。
そのため御霊として祀られ,邸宅跡に橘逸勢社が建てられたが焼失した。
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