平安宮 朱雀門跡
朱雀門(すざくもん)は、平安宮(大内裏)の南面大垣中央に設けられた宮城門である。柱間は7間(梁間2間)、中央5間に扉が付く二階門で、宮城12門の中でも最も規模が大きい。
朱雀大路に面する平安宮の正門であり、南は平安京の朱雀大路南端にあった羅城門、北は宮城内の応天門や大極殿と一直線上に並んでいる。
平安時代の終わりころ頃に描かれた国宝『伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)』には、炎上する応天門へ急ぎ駆けつける群衆とともに朱雀門が描かれている。その姿は、壇上積基壇の上に建てられた壮大な瓦葺き朱塗りの門で、5間戸の全面には階段が敷設されている。
朱雀門の造営当初の具体的な規模や、その後の変遷については、発掘調査例がなく不明である。ただ、千本通りで実施した朱雀門跡推定地における立会調査で、平安時代の整地層が確認されている。
なお、朱雀門の前面は広い儀礼の場となっており、毎年恒例の6月と12月の大祓とともに、斎内親王(斎宮)の伊勢群行や大嘗祭などに伴う臨時の大祓などが朱雀門前で行われた。また、寛弘4年(1007)の藤原道長による有名な金峯山参詣の折にも、土御門第から朱雀門大路に出て祓(身を清める神事)を行い、羅城門(跡)から平安京を出立しており、朱雀門前の広さを物語るエピソードとして興味深い。
このように、平安宮の象徴的な門である朱雀門も、承元2年(1208)9月に火災に遭い、翌年再建されたが、構造的欠陥からか建暦元年(1211)に自然倒壊し、以後は二度と再建されることはなかった。
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