高辻通西洞院を西へ
道元禅師示寂の地
この地は、曹洞宗の開祖道元禅師が生涯を閉じたところである。道元禅師は、正治2年(1200)に京都で生まれ、比叡山で出家の後、貞応2年(1223)に入宋した。帰国後、建仁寺に足をとどめたが、その後、深草に興聖寺(後に宇治に移る)を建て、教化活動を続けた。晩年にいたって、権勢を逃れ、越前(福井県)に地に永平寺を創建し、釈迦正伝の仏法である座禅の厳格な宋風を樹立した。
建長5年(1253)病の療養のために弟子懐弉を伴って上洛し、この地(下京区高辻通西洞院西入る)にあった俗弟子寛念の屋敷に滞在し同年8月に54歳の生涯を閉じた。京都市
1200 貴族の子として生まれる
1212 比叡山にのぼる
1213 僧になる
1217 建仁寺に入る
1223 中国(宋)にわたる
1225 曹洞宗の禅を学ぶ
1227 帰国し建仁寺へ
1230 京都深草へ移る 興聖宝林寺(こうしょうほうりんじ)を建てて禅を広める
1246 永平寺を開く
1247 執権 北条時頼の招きで鎌倉に行く
1253 療養のため京都に入ったが亡くなる
石碑の裏は
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