はじめ平安京の五条大路(今の松原橋)に架かっていたが、天正年間、豊臣秀吉が
その下流の六条坊門小路(今の五条通)に付け替えたのがこの橋の起こりで、
名もそのまま五条橋と称した、このため元の五條橋は松原橋と名を改めた。
もとは木橋であったが、市内と伏見をつなぐきわめて重要な橋のため、
正保2年(1645)石造に改造し、擬宝珠高欄付とした。
また鴨川の氾濫や寛文2年(1662)の地震などで破損したこともあったが、
その都度、公儀によって修理されたので、公儀橋とも称した。
昭和10年(1935)6月の鴨川の氾濫に五条橋も流失し、
擬宝珠の一部は大阪湾、淡路島沖に打ち上げられたことがある。
現在の橋は昭和34年(1959)3月の改修によるもので、
御影石の高覧、青銅の擬宝珠は昔の面影をとどめている。
正保2年(1645)の擬宝珠
すべての擬宝珠を撮影するのは次の機会にします
橋の西詰の北側の公園内に 昔の橋脚がありました
柱の下の方に暦が彫られていました
天正17年 1589年です 秀吉が付け替えたときの橋脚です
公園にごろごろ とある 橋の遺物らしきもの
五条橋から 松原橋を見る
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