国家の制度が整えられた奈良時代(8世紀)以来、大極殿及び朝堂院では元旦に「朝賀の儀式」が盛大にとり行われました。
この時、大極殿の前に7本の宝幢が建てられます。宝幢とは、古代中国伝来の儀式用旗飾りで、
長さ約9メートルの太柱の上に、青龍・朱雀・白虎・玄武の四神の絵がはためき、
烏・日・月の飾り物が華やかに揺れました。
1997年の発掘調査で、この宝幢を建てた柱の堀形が発見されました。
長さ3m、幅約1.2m、深さ約0.8mの楕円形をした大きな掘方で、
中央に大柱、両側に添え柱の痕跡がありました。
柱堀形は三期あり、大極殿の前約百尺(29.6m)の位置に、東西方向へ3mごとに並んでいます。
宝幢は大極殿の中軸線上を中心に左右に計7本建てられるものですから、
発見された柱堀形は東の3本に相当します。同様な遺構は1983年に平城宮の大極殿前でも発見されています。
宝幢は天皇の権威を象徴し、即位式と元旦にのみ建てられる特別な装飾具です。
しかし長岡宮で天皇の即位はありません。
そこでこの宝幢は朝賀の儀式の際に用いられたものと判断されます。
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