枇杷庄庚申堂の由来
この庚申堂は、300年余にわたる長い歴史を持つ、
元禄2年(1689)、富士山を信仰する当地の修験者が建てた行屋(ぎょうや・ぎょうのための施設)がその起源である。
この行屋がいつしか庚申堂と呼ばれるようになり、
天満宮社・阿弥陀寺とともに当地域住民の心のよりどころとして厚く信仰されるようになった。
庚申とは、60日または60年に一度回ってくる干支のことである。
「庚申の日の夜に眠ると三しの虫が体内から抜け出して天に昇り、天帝にその人の日頃の罪過を告げる、
すると天帝はその人を殺してしまうので、長生きを願うなら眠らずに起きていよ」
という中国の道教の教えがわが国の諸信仰と習合し、その夜は身を慎んで庚申をまつる庚申信仰となった。
お堂内には、密教の中心本尊の大日如来像、庚申信仰の本尊である青面金剛尊のほか6体の仏をまつっている。
13才の子供に知恵を授ける十三まいりの本尊・虚空蔵菩薩、
一切の悪を火焔で焼き払う不動明王、
愛の守護神・愛染明王、
財宝と美を与える弁財天、
福徳を功徳とする吉祥天、
修験道の祖・役行者菩薩である。
この庚申堂の老朽化という事態に際し、ぜひ再建すべきだとの声が高まり、
自治会内に庚申堂再建委員会が設けられ、その努力と地域住民の熱意によって、
平成2年(1990)12月、再建竣工の運びとなった。
長寿や諸願成就に霊験あらたかな諸仏をまつる枇杷庄庚申堂は近隣に例のない本格的な庚申堂であり、
当地住民の誇りとするものである。
平成2年12月
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