旧山田家住宅(長屋門・長塀、主屋)
東一口は、昭和8年巨椋池干拓工事が着工されるまで漁(すなどり)を専業とする集落であった。後鳥羽上皇より賜ったと伝えられる漁業権は、東一口村・小倉村・三栖村・弾正町の4ヶ郷の漁師が、東は津軽外の海、西は艪櫂(ろかい)の及ぶ限りの漁を許されたものであったという。
旧山田家住宅は、その漁業権の総帥としての格式を今に伝え、主屋の規模は当時の3分の1ほどに縮小されているとはいうものの、書院の間や欄間等に往時の姿をとどめている。
当家の玄関を飾るにふさわしい長屋門は、東西15間、奥行2間半。三間の入口には総欅(けやき)の扉があり、両妻の張り、軒の塗籠(ぬりこ)め仕上げ、出格子やその子屋根など、いずれも雄大、大胆な造りである。
巨椋池が干拓された今、かつての漁業集落の面影や情景を、東一口の地から偲ぶことはできないが、幾世紀続いた漁業の繁栄を、旧山田家住宅は誇り高く伝えている。
旧山田家住宅は、平成25年8月1日に前所有者の山田賀〇氏から久御山町に寄贈された。
平成29年3月
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