アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

記事 更新しました  梅宮大社 

2016年02月13日 09時22分03秒 | 記事 更新しました 

クリックでワープします

 

2月13日  えっ 知らなかった 小野小町・・・  

1月13日  梅宮大社   梅が見頃  に画像を追加しました

1月8日   高松神明神社  平清盛・源義朝が保元の乱のときに集まった陣地 その地を訪れました  

                          画像追加しました

1月7日    ユニークなデザインの校舎  画像追加しました

12月13日   閑臥庵  黄檗宗 画像を追加しました

12月10日   三條南殿の遺址  三条烏丸  源頼朝はここで働いていた  建物の画像を追加しました

12月10日   修学院離宮  松の手入れ  画像を追加

12月7日   信行寺  浄土宗  伊藤若冲の天井画  画像を追加

11月23日  若一神社  平清盛ゆかりの地  御神木の楠は 西大路通りを迂回させた 画像を1枚追加

11月19日  蔵のある風景 65回 伊藤仁斎邸 に画像を1枚追加しました

11月8日  空也堂  空也上人ゆかりの寺 に画像を1枚追加しました

11月8日  茶屋四郎次郎邸宅跡 石碑  に記事を追加しました

11月6日  蔵のある風景 4 ビルの中に埋もれるように  を画像を1枚追加いたしました

11月3日   天道神社 に秋の例祭の準備の様子を追加しました

11月3日   鹿王院 (ろくおういん)  名勝  鹿王院庭園  を改訂しました

11月1日   10月28日の記事  六条河原  昔は処刑場だった に記事を追加しました

11月1日   10月5日の記事  秦家住宅 明治初期の建物 に画像を追加しました

10月28日  4月7日の記事   椿寺 (地蔵院) 今が見頃 に 画像を追加しました

10月23日  6月9日の記事に 水火天満宮・・・ 登天石と桜   10月23日 追加しました に記事を追加しました

10月17日  8月21日の記事  五条天神社 に記事を少し追加しました

10月17日に 3月30日の記事  神泉苑 に 義経・弁慶・源平物語の記事を追加しました

10月17日 に  4月18日の記事  晴明神社 に 義経・弁慶・源平物語の記事を追加しました

10月5日に  5月21日の記事  智光院 に画像1枚追加しました

10月5日に  4月14日の記事  報土寺  すぐ近くに 重要文化財 に画像3枚追加しました

10月5日に  5月8日の記事  玉蔵院 にお彼岸の画像を1枚追加しました 

10月5日に  5月10日の記事  善福寺  戌亥三十三所 第一番 にお彼岸の画像を1枚追加しました

9月24日 に  5月28日の記事   長尾天満宮   を更新しました 頼政の道の記事を追加しました

9月21日 に 6月7日の記事   成願寺 キリシタン墓碑が発見される  ミニ三十三間堂を追加しました

8月1日 に  6月17日の記事    勤王画家 森寛斎 宅蹟 を更新しました  直しました

          4月4日の記事     石碑 横井小楠 殉節地 を更新しました

8月13日 に  4月30日の記事    聚楽第 上杉家・直江家屋敷跡  を更新しました

8月14日 に   6月10日の記事      御土居堀の深さを感じさせる場所  反対柄からの画像を追加しました

8月20日に  5月9日の記事   光清寺 浮かれ猫、「心和の庭」 (重森三玲 作) 

                             猫の絵馬を追加しましした

8月25日 に  5月13日の記事       妙泉寺  浮世絵師・西川祐信の墓所

                           墓所の案内 

9月10日  に   9月10日の記事   河井寛次郎記念館  を更新しました

9月12日 に  9月10日の記事  河合寛次郎記念館  を更新しました

9月20日 に  5月21日の記事  真如院

9月21日 に  5月21日の記事  本圀寺跡 石碑 を更新しました

9月21日 に  6月5日の記事  朝の二条城前の様子 を更新しました


天塚古墳 ・伯清稲荷神社

2016年02月13日 08時19分38秒 | 史跡・旧跡

 

 

 

 

 

天塚古墳

塚は長さ71メートル、二段築成の前方後円墳で、ほぼ南面している。前方部が著しく拡大し、高さも前方部の方がやや高い。内部主体は横穴式石室からなり、後円部の中央西側と前方部のくびれ部との二ケ所にある。明治20年(1887)くびれ部の石室を発掘した際、鉄製馬具類や鉱金刀類等が銅鏡・碧玉類とともに出土した。それらはいま、京都国立博物館や京都大学に保管されている。

この古墳は、6世紀前半の築造で、近くの蛇塚や甲塚と同じく大陸から渡来してこの地域を開いた秦氏一族の首長の塋墳とみられる。往時の土木技術や一族の勢力圏を探る貴重な手がかりになっている。嵯峨野地方現存古墳中、墳丘・内部構造・出土遺物共にそろっているのはここだけで、貴重な存在である。石室内には、現在、白清稲荷が祀られ、信仰の対象になっている。

 

 

 

明治42年(1909)建立

 

 

 

 

ぐるっと 右回りに一周してみます

 

 

 

 

石室

 

 

墳丘部分

 

もう一方の 墳丘部分  

 

最初の入口付近

スェーデン皇太子 訪問記念碑

碑文が書かれています

大正十五年九月廿六日

    瑞典国皇太子殿下

    同      皇太子妃殿下

    両殿下御台覧ニ浴ス

 大正十五年十一月十一日

    暹羅国

       タニー親王殿下

          御台覧ニ浴ス

 

「瑞典」はスウェーデンの,「暹羅」はシャム(現タイ王国)のそれぞれ音訳表記。天塚古墳は前方後円墳の首長墓で国指定史跡。大正15926日に,来日中のスウェーデン王国皇太子グスターヴ・アードルフ夫妻が京都帝国大学教授浜田耕作のすすめで見学した。ついで同年1111日に,来日中のシャム王国文部大臣ダンニ親王が見学した。

 

 「瑞典」はスウェーデンの,「暹羅」はシャム(現タイ王国)のそれぞれ音訳表記。天塚古墳は前方後円墳の首長墓で国指定史跡。大正15年9月26日に,来日中のスウェーデン王国皇太子グスターヴ・アードルフ夫妻が京都帝国大学教授浜田耕作のすすめで見学した。ついで同年11月11日に,来日中のシャム王国文部大臣ダンニ親王が見学した。

スウェーデン皇太子夫妻の天塚古墳見学については山田邦和「考古学者スウェーデン皇太子入洛」(丸山宏他編『みやこの近代』2008年思文閣刊)に詳しい/スウェーデン皇太子夫妻は天塚古墳とともに至近の千石船も一見している/解説中「ダンニ親王」の表記は大正15年11月に同親王の来京を報じた一連の京都日出新聞記事に依拠した

左の石碑

 

京都の古墳  ➡  史跡  天皇の杜古墳

           蛇塚古墳 (へびつかこふん)

              稲荷古墳の上にある富岡大明神

           名勝 双ヶ丘

           清水山古墳跡

 スェーデン皇太子はここも見学しています  ➡  千石公園の石碑


石碑 佐賀鍋島藩屋敷跡  

2016年02月12日 08時37分29秒 | 石碑

鍋島家は,肥前国佐賀(佐賀県)で35万石余を与えられた外様大名。

元禄初年(1688~97頃)まではこの地に藩邸があったが,

元禄14年(1701)までに烏丸通四条下る西側へ移転した

 

ここにも 佐賀藩屋敷跡があります  ➡  江戸時代 佐賀鍋島藩屋敷跡

 


上京区  姉小路通  仁丹看板

2016年02月12日 07時25分18秒 | 仁丹看板通り別

11月10日  油小路東入   宮木町

11月10日  衣棚西入    突抜町

2月10日  麩屋町東入   姉大東町

2月11日  富小路西入   菊屋町

関連記事・検索・まとめ ➡ 仁丹 町名ホーロー看板


右書き看板79  堂雲彩   

2016年02月12日 07時15分39秒 | 右書き看板

江戸末期より京都の画家たちに絵の具と筆を提供し続けてきたのが老舗の「彩雲堂」。日本画用の絵の具は、鉱石や植物そして虫など天然の材料から作り、あの日本画独特の色を生み出します。

 

 

前回の記事 ➡  右書き看板78 るうほ麦蕎  舗老  屋道河

 

 


円山応挙地蔵尊

2016年02月11日 07時33分12秒 | 地蔵尊

 

応挙地蔵尊

 

大正10年8月 建立

 

円山応挙関連記事  ➡  角屋 ・ 角屋もてなしの文化美術館

                 回向院  画家 長沢芦雪(ろせつ)の墓所

                 悟眞寺・應攀寺 (ごしんじ・おうきょでら)


蔵のある風景  218回    JR太秦駅 付近  水の意味は何

2016年02月11日 07時09分41秒 | 蔵のある風景

 

 

この    は 何を意味しているのでしょう   姓名、屋号、その他

 

前回の記事 ➡  蔵のある風景 217回   桂川松尾橋上流右岸 付近


清水山古墳跡  

2016年02月11日 07時07分52秒 | 史跡・旧跡

清水山古墳は,全長約60メートル,横穴式石室を持つ前方後円墳。5世紀末~6世紀初頭の首長墓と考えられている。昭和48(1973)年,宅地開発により破壊され消滅した。

 

 

関連記事  ➡  史跡  天皇の杜古墳

           蛇塚古墳 (へびつかこふん)

              稲荷古墳の上にある富岡大明神

           名勝 双ヶ丘


右書き看板78 るうほ麦蕎  舗老  屋道河

2016年02月11日 07時06分37秒 | 右書き看板

祖先はもと桓武天皇の平安京遷都と共に随って移り住み元禄の頃には上京の小川通上長者町上る処に店を構えて菓子を商う旁ら河漏(そば)を商っておりましたが偶々火災に遭い現在の場所に移転したことが家伝の書に記してございます。HPより

 

 

前回の記事  ➡  右書き看板77   麦蕎御